いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

禍虛篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 12 · 漢字 2,196字 · 朗読 8.8分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

世謂受福佑者既以為行善所致,又謂被禍害者為惡所得。以為有沉惡伏過,天地罰之,鬼神報之。天地所罰,小大猶發;鬼神所報,遠近猶至。

世は、福や佑けを受ける者はすでに善を行ったことが致したのだとし、また禍や害を被る者は悪を為して得たのだとする。沉んだ悪や伏せた過ちがあれば、天地がこれを罰し、鬼神がこれに報いるのだという。天地が罰するものは、小さくても大きくてもなお発れ、鬼神が報いるものは、遠くても近くてもなお至るという。

傳曰:「子夏喪其子而喪其明,曾子吊之,哭。子夏曰:『天乎,予之無罪也!』曾子怒曰:『商,汝何無罪也?吾與汝事夫子於洙、泗之間,退而老於西河之上,使西河之民疑汝於夫子,爾罪一也;喪爾親,使民未有異聞,爾罪二也;喪爾子,喪爾明,爾罪三也。而曰,汝何無罪歟?』子夏投其杖而拜,曰:『吾過矣,吾過矣!吾離群而索居,亦以久矣!』」

伝えに言う。子夏がその子を喪ってその明を喪ったとき、曾子が吊って哭いた。子夏は言った。「天よ、わたしに罪はない。」曾子は怒って言った。「商よ、お前はどうして罪がないのか。わたしはお前とともに洙や泗の間で夫子に事え、退いて西河の上で老いたのに、西河の民にお前を夫子かと疑わせた。お前の罪の一つである。お前の親を喪ったとき、民に異なる聞こえがないようにした。お前の罪の二つである。お前の子を喪って、お前の明を喪った。お前の罪の三つである。それなのに、お前はどうして罪がないと言うのか。」子夏はその杖を投げて拝し、言った。「わたしが過っていた、わたしが過っていた。わたしが群を離れて索り居ることも、また久しくなっていた。」

夫子夏喪其明,曾子責以罪,子夏投杖拜曾子之言,蓋以天實罰過,故目失其明,已實有之,故拜受其過。始聞暫見,皆以為然;熟考論之,虛妄言也。夫失明猶失聽也。失明則盲,失聽則聾。病聾不謂之有過,失明謂之有罪,惑也。蓋耳目之病,猶心腹之有病也。耳目失明聽,謂之有罪,心腹有病,可謂有過乎?伯牛有疾,孔子自牖執其手,曰:「亡之,命矣夫!斯人也而有斯疾也!」原孔子言,謂伯牛不幸,故傷之也。如伯牛以過致疾,天報以惡與子夏同,孔子宜陳其過,若曾子謂子夏之狀。今乃言命,命非過也。且天之罰人,猶人君罪下也。所罰服罪,人君赦之。子夏服過,拜以自悔,天德至明,宜愈其盲。如非天罪,子夏失明,亦換三罪。且喪明之病,孰與被厲之病?喪明有三罪,被厲有十過乎?顏淵早夭,子路醢。早死、醢,極禍也。以喪明言之,顏淵、子路有百罪也。由此言之,曾子之言誤矣。然子夏之喪明,喪其子也。子者人情所通,親者人所力報也。喪親民無聞,喪子失其明,此恩損於親而愛增於子也。增則哭泣無數,數哭中風,目失明矣。曾子因俗之議,以著子夏三罪。子夏亦緣俗議,因以失明故拜受其過。曾子、子夏未離於俗,故孔子門敘行未在上第也。

そもそも子夏が明を喪ったとき、曾子が罪で責め、子夏が杖を投げて曾子の言に拝したのは、天が実に過ちを罰するから目がその明を失ったのであり、己に実にそれがあるから拝してその過ちを受けたということである。初めて聞いて暫く見れば、みなそうだと思うが、熟く考え論ずれば、虚しく妄りな言である。

そもそも明を失うのは聽を失うのと同じである。明を失えば盲い、聽を失えば聾となる。聾を病むのを過ちがあるとは言わないのに、明を失うのを罪があると言うのは、惑いである。そもそも耳や目の病は、心や腹に病があるのと同じである。耳や目が明や聽を失うのを罪があると言うのなら、心や腹に病があるのも過ちがあると言えるのか。伯牛に疾があったとき、孔子は牖からその手を執って言った。「亡くなるのか、命であろうな。この人にこの疾があるとは。」孔子の言を原めれば、伯牛が不幸だとしてこれを傷んだのである。もし伯牛が過ちによって疾を致し、天が悪で報いたのが子夏と同じであるなら、孔子はまさにその過ちを陳べて、曾子が子夏に言った状のようにしたであろう。今はむしろ命と言った。命は過ちではない。

その上、天が人を罰するのは、人の君が下を罪するのと同じである。罰された者が罪に服せば、人の君はこれを赦す。子夏は過ちに服し、拝して自ら悔いた。天の徳が至って明らかなら、まさにその盲いを愈えさせるべきである。もし天の罪でないのなら、子夏が明を失ったことで、また三つの罪を換えたことになる。その上、明を喪う病は、厲を被る病とどちらであろうか。明を喪うのに三つの罪があるなら、厲を被るのには十の過ちがあるのか。顔淵は早く夭し、子路は醢にされた。早く死に、醢にされるのは、極まった禍である。明を喪うことで言えば、顔淵や子路には百の罪があることになる。これによって言えば、曾子の言は誤りである。

しかし子夏が明を喪ったのは、その子を喪ったからである。子は人の情が通ずるところで、親は人が力めて報いるところである。親を喪っては民に聞こえがなく、子を喪ってはその明を失った。これは恩が親に損じて愛が子に増したのである。増せば哭き泣くことが数しれず、数しば哭いて風に中たって、目が明を失ったのである。曾子は俗の議に因って、子夏の三つの罪を著した。子夏もまた俗の議に縁って、明を失った故で拝してその過ちを受けた。曾子と子夏は俗を離れていなかったから、孔子の門で行いを敘べるのに上の第にいなかったのである。

秦〔昭〕襄王賜白起劍,白起伏劍將自刎,曰:「我有何罪於天乎?」良久曰:「我固當死。長平之戰,趙卒降者數十萬,我詐而盡坑之,是足以死。」遂自殺。白起知己前罪,服更後罰也。夫白起知己所以罪,不知趙卒所以坑。如天審罰有過之人,趙降卒何辜於天?如用兵妄傷殺,則四十萬眾必有不亡,不亡之人,何故以其善行無罪而竟坑之,卒不得以善蒙天之佑?白起何故獨以其罪伏天之誅?由此言之,白起之言過矣。

秦の昭襄王が白起に剣を賜ると、白起は剣に伏して自ら刎ねようとして言った。「わたしに天に何の罪があるのか。」しばらくして言った。「わたしはもとより死ぬべきである。長平の戦いで、趙の卒で降った者が数十万、わたしは詐って尽くこれを坑めた。これは死ぬに足る。」そのまま自ら殺した。白起が己の前の罪を知って、後の罰に服し更えたのである。そもそも白起は己が罪せられる理由は知っていたが、趙の卒が坑められた理由は知らなかった。もし天が審らかに過ちのある人を罰するのなら、趙の降った卒は天に何の辜があったのか。もし兵を用いて妄りに傷つけ殺したのなら、四十万の衆の中に必ず亡ぶべきでない者がいたはずである。亡ぶべきでない人が、どういう理由でその善い行いと罪のなさをもってしても、ついに坑められ、善によって天の佑けを蒙ることができなかったのか。白起はどういう理由で、ひとりその罪で天の誅に伏したのか。これによって言えば、白起の言は過っている。

秦二世使使者詔殺蒙恬,蒙恬喟然嘆曰:「我何過於天,無罪而死?」良久,徐曰:「恬罪故當死矣。夫起臨洮屬之遼東,城徑萬里,此其中不能毋絕地脈。此乃恬之罪也。」即吞葯自殺。太史公非之曰:「夫秦初滅諸侯,天下心未定,夷傷未瘳,而恬為名將,不以此時強諫,救百姓之急,養老矜孤,修眾庶之和,阿意興功,此其(子)〔兄〕弟(過)〔遇〕誅,不亦宜乎!何與乃罪地脈也?」

秦の二世が使者に詔して蒙恬を殺させると、蒙恬は喟然と嘆いて言った。「わたしに天に何の過ちがあって、罪なく死ぬのか。」しばらくして徐ろに言った。「恬の罪はもとより死ぬべきである。そもそも臨洮から起こして遼東に属けるまで、城が径に万里である。この中に地の脈を絶たないことはできなかった。これが恬の罪である。」すぐに薬を吞んで自ら殺した。太史公はこれを非として言った。「そもそも秦が初めて諸侯を滅ぼし、天下の心がまだ定まらず、夷れ傷んだところがまだ瘳えないときに、恬は名ある将でありながら、この時に強く諫めて百姓の急を救い、老を養い孤を矜れみ、衆庶の和を修めることをせず、意に阿って功を興した。この兄弟が誅に遇ったのも、また宜しいことではないか。どうして地の脈に罪を帰するのか。」

夫蒙恬之言既非,而太史公非之亦未是。何則?蒙恬絕脈,罪至當死。地養萬物,何過於人,而蒙恬絕其脈?知己有絕地脈之罪,不知地脈所以絕之過。自非如此,與不自非何以異?太史公(為)〔乃〕非恬之為名將,不能以強諫,故致此禍。夫當諫不諫,故致受死亡之戮。身任李陵,坐下蠶室,如太史公之言,所任非其人,故殘身之戮,天命而至也。非蒙恬以不強諫,故致此禍,則己下蠶室,有非者矣。己無非,則其非蒙恬,非也。作伯夷之傳,(則)〔列〕善惡之行云:「七十子之徒,仲尼獨荐顏淵好學。然回也屢空,糟糠不厭,卒夭死。天之報施善人如何哉!盜蹠日殺不辜,肝人之肉,暴戾恣睢,聚党數千,橫行天下,竟以壽終。是獨遵何哉?」若此言之,顏回不當早夭,盜蹠不當全活也。不怪顏淵不當夭,而獨謂蒙恬當死,過矣。漢將李廣與望氣王朔燕語曰:「自漢擊匈奴,而廣未常不在其中。而諸校尉以下,才能不及中,然以胡軍攻取侯者數十人。而廣不為(侯)後人,然終無尺(土)〔寸〕之功,以得(見)封邑者,何也?豈吾相不當侯,且固命也?」朔曰:「將軍自念,豈常有恨者乎?」

そもそも蒙恬の言はすでに非であるが、太史公がこれを非としたのもまだ是ではない。なぜか。蒙恬が脈を絶って罪が死ぬべきに至ったというのなら、地が万物を養うのに、人に何の過ちがあって蒙恬がその脈を絶ったのか。己に地の脈を絶った罪があることは知っていて、地の脈が絶たれた理由の過ちは知らない。自ら非とすることがこのようなら、自ら非としないのと何が異なるのか。

太史公はむしろ、蒙恬が名ある将であって強く諫められなかったから、この禍を致したと非とした。そもそもまさに諫めるべきを諫めなかったから、死亡の戮を受けるに致ったというのである。身をもって李陵を任けて、罪に坐して蠶室に下されたのは、太史公の言のとおりなら、任けた相手がその人でなかったから、身を残なう戮が天命として至ったことになる。蒙恬が強く諫めなかったからこの禍を致したと非とするのなら、己が蠶室に下されたことにも、非とされるところがある。己に非がないのなら、その蒙恬を非としたことが非である。

伯夷の伝を作って、善悪の行いを列べて言う。「七十子の徒の中で、仲尼はひとり顔淵が学を好むと荐めた。しかし回は屢しば空しく、糟や糠にも厭きるほど食えず、ついに夭く死んだ。天が善い人に報い施すのはどういうことか。盜蹠は日々に辜なき者を殺し、人の肉を肝にし、暴れ戾り恣い睢って、党数千を聚めて天下を横行したのに、ついに寿を終えた。これはいったい何に遵ったのか。」この言のようなら、顔回はまさに早く夭ぬべきでなく、盜蹠はまさに全く活きるべきでない。顔淵が夭ぬべきでなかったことを怪しまないで、ひとり蒙恬が死ぬべきだったと言うのは、過っている。

漢の将の李廣が、気を望む王朔と燕やかに語って言った。「漢が匈奴を撃って以来、廣がその中にいなかったことはない。それなのに諸々の校尉以下で、才能が中にも及ばない者が、胡の軍を攻め取って侯となった者が数十人ある。廣は人に後れないのに、ついに尺や寸の功もなくて封邑を得られないのは、どうしてか。まさか吾の相が侯に当たらないのか、それとももとより命なのか。」朔は言った。「将軍は自ら念うに、まさか常に恨みとすることがおありではありませんか。」

廣曰:「吾為隴西太守,羌常反,吾誘而降之八百餘人;吾詐而同日殺之。至今恨之,獨此矣。」朔曰:「禍莫大於殺已降,此乃將軍所以不得侯者也。」李廣然之,聞者信之。夫不侯,猶不王者也。不侯何恨,不王何負乎?孔子不王,論者不謂之有負;李廣不侯,王朔謂之有恨。然則王朔之言,失論之實矣。論者以為人之封侯,自有天命。天命之符,見於骨體。大將軍衛青在建章宮時,鉗徒相之,曰:「貴至封侯。」後竟以功封萬戶侯。衛青未有功,而鉗徒見其當封之証。由此言之,封侯有命,非人操行所能得也。鉗徒之言實而有效,王朔之言虛而無驗也。

廣は言った。「わたしが隴西の太守であったとき、羌が常に反いたので、わたしは誘ってこれを降らせること八百余人、わたしは詐って同じ日にこれを殺した。今に至って恨みとするのは、ただこれだけである。」朔は言った。「禍はすでに降った者を殺すことより大きいものはありません。これが将軍が侯を得られない理由です。」李廣はこれをそうだと思い、聞く者はこれを信じた。そもそも侯とならないのは、王とならないのと同じである。侯とならないのに何の恨みがあり、王とならないのに何の負いがあろうか。孔子は王とならなかったが、論ずる者はこれに負いがあるとは言わない。李廣が侯とならなかったのを、王朔は恨みがあると言った。それなら王朔の言は、論の実を失っている。論ずる者は、人が侯に封じられるのには、おのずから天命があると考える。天命の符は、骨や体に見える。大将軍の衛青が建章宮にいたとき、鉗をかけられた徒がその相を見て「貴きこと封侯に至る」と言った。後にはついに功で万戸侯に封じられた。衛青にまだ功がなかったのに、鉗の徒はそれが封じられるべき証を見た。これによって言えば、封侯には命があって、人の操行で得られるものではない。鉗の徒の言は実があって効があり、王朔の言は虚しくて験がない。

多橫恣而不罹禍,順道而違福,王朔之說,白起自非、蒙恬自咎之類也。倉卒之世,以財利相劫殺者眾。同車共船,千里為商,至闊之地,殺其人而并取其財,尸捐不收,骨暴不葬,在水為魚鱉之食,在土為螻蟻之糧;惰窳之人,不力農勉商,以積谷貨,遭歲飢饉,腹餓不飽,椎人若畜,割而食之,無君子小人,并為魚肉:人所不能知,吏所不能覺。千人以上,萬人以下,計一聚之中,生者百一,死者十九。可謂無道至痛甚矣,皆得陽達富厚安樂。天不責其無仁義之心,道相并殺;非其無力作而倉卒以人為食,加以渥禍,使之夭命,章其陰罪,明示世人,使知不可為非之驗,何哉?王朔之言,未必審然。

横しまに恣って禍に罹らない者が多く、道に順って福に違う者が多い。王朔の説は、白起が自ら非とし、蒙恬が自ら咎めた類である。倉卒の世には、財や利のために相い劫かし殺す者が衆い。車を同じくし船を共にし、千里のかなたまで商いをして、至って闊い地に至って、その人を殺してあわせてその財を取り、尸を捐てて収めず、骨を暴して葬らない。水にあれば魚や鱉の食となり、土にあれば螻や蟻の糧となる。惰り窳い人は、農に力め商に勉めて穀や貨を積むことをせず、歳の飢饉に遭って腹が餓えて飽かなければ、人を畜のように椎ち、割いてこれを食う。君子も小人もなく、並んで魚肉となる。人が知ることができず、吏が覚ることができない。千人以上、万人以下で、一つの聚の中を計えれば、生きる者は百に一、死ぬ者は十に九である。無道で痛みが至って甚しいと言うべきであるのに、みな陽らかに達し、富み厚く安らかに楽しんでいる。天はその仁義の心がなく道で相い并せ殺したことを責めず、力めて作さずに倉卒のときに人を食としたことを非として、渥い禍を加えてその命を夭くし、その陰の罪を章らかにして世の人に明らかに示し、非を為してはならない験を知らせることをしない。どうしてか。王朔の言は、必ずしも審らかにそうではない。

傳書李斯妒同才,幽殺韓非於秦,後被車裂之罪,商鞅欺舊交,擒魏公子,後受誅死禍。

伝わる書に、李斯が同じ才を妒んで韓非を秦で幽めて殺し、後に車裂の罪を被り、商鞅が旧い交わりを欺いて魏の公子を擒にし、後に誅せられ死ぬ禍を受けたという。

彼欲言其賊賢欺交,故受患禍之報也。夫韓非何過而為李斯所幽,公子何罪而為商鞅所擒?車裂誅死,賊賢欺交,幽死見擒,何以致之?如韓非、公子有惡,天使李斯、商鞅報之,則李斯、商鞅為天奉誅,宜蒙其賞,不當受其禍。如韓非、公子無惡,非天所罰,李斯、商鞅不得幽擒。論者說曰:「韓非、公子有陰惡伏罪,人不聞見,天獨知之,故受戮殃。」

彼らは、賢を賊い交わりを欺いたから、患いや禍の報いを受けたのだと言おうとする。そもそも韓非に何の過ちがあって李斯に幽められ、公子に何の罪があって商鞅に擒にされたのか。車裂や誅死が、賢を賊い交わりを欺いた報いだというのなら、幽められて死に、擒にされたのは、何によって致ったのか。もし韓非や公子に悪があって、天が李斯や商鞅にこれに報いさせたのなら、李斯や商鞅は天のために誅を奉じたのであって、まさにその賞を蒙るべきで、その禍を受けるべきではない。もし韓非や公子に悪がなく、天が罰したのでないのなら、李斯や商鞅は幽め擒にすることができなかったはずである。論ずる者は説いて言う。「韓非や公子に陰の悪や伏せた罪があって、人は聞き見なかったが、天が独りこれを知っていたから、戮や殃いを受けたのだ。」

夫諸有罪之人,非賊賢則逆道。如賊賢,則被所賊者何負?如逆道,則被所逆之道何非?

そもそも諸々の罪ある人は、賢を賊うのでなければ道に逆らうのである。もし賢を賊ったのなら、賊われた者には何の負いがあるのか。もし道に逆らったのなら、逆らわれた道には何の非があるのか。

凡人窮達禍福之至,大之則命,小這則時。太公窮賤,遭周文而得封。甯戚隱厄,逢齊桓而見官。非窮賤隱厄有非,而得封見官有是也。窮達有時,遭遇有命也。太公、甯戚賢者也,尚可謂有非。聖人純道者也,虞舜為父弟所害,幾死再三;有遇唐堯,堯禪舜,立為帝。嘗見害,未有非;立為帝,未有是。前時未到,後則命時至也。案古人君臣困窮,後得達通,未必初有惡天禍其前,卒有善神佑其後也。一身之行,一行之操,結髪終死,前後無異。然一成一敗,一進一退,一窮一通,一全一壞,遭遇適然,命時當也。

およそ人の窮まり達し、禍や福が至るのは、大きくは命であり、小さくは時である。太公は窮まり賤しかったが、周の文に遭って封を得た。甯戚は隱れ厄しかったが、齊の桓に逢って官に見えた。窮まり賤しく隱れ厄しかったことに非があり、封を得て官に見えたことに是があったのではない。窮まり達するに時があり、遭い遇うに命があるのである。太公や甯戚は賢者であるから、まだ非があると言えるかもしれない。聖人は道が純い者であるのに、虞舜は父や弟に害されて、ほとんど死にかけたことが再三であった。唐堯に遇うことがあって、堯が舜に禪り、立って帝となった。かつて害されたときに非があったのではなく、立って帝となったときに是があったのではない。前は時がまだ到らず、後は命と時が至ったのである。案ずるに、古の人や君や臣が困り窮まって後に達し通ずるを得たのは、必ずしも初めに悪があって天がその前に禍したのでもなく、ついに善があって神がその後を佑けたのでもない。一身の行い、一つの行いの操は、髪を結んだ時から死ぬまで、前後に異なりがない。それでも一たび成り一たび敗れ、一たび進み一たび退き、一たび窮まり一たび通じ、一たび全く一たび壊れるのは、遭い遇うことが適々そうであり、命と時が当たっているからである。