いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

程材篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 17 · 漢字 2,662字 · 朗読 10.6分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

論者多謂儒生不及彼文吏,見文吏利便而儒生陸落,則詆訾儒生以為淺短,稱譽文吏謂之深長。是不知儒生,亦不知文吏也。

論ずる者はしばしば、儒生はあの文吏に及ばないと言う。文吏が利があって便であり、儒生が立ち後れて落ちるのを見て、そこで儒生を謗って浅く短いとし、文吏を褒め称えて深く長いとする。これは儒生を知らないのであり、また文吏も知らないのである。

儒生、文吏皆有材智,非文吏材高而儒生智下也,文吏更事,儒生不習也。謂文吏更事,儒生不習,可也;謂文吏深長,儒生淺短,知妄矣。世俗共短儒生,儒生之徒亦自相少。何則?并好仕學宦,用吏為繩表也。儒生有闕,俗共短之;文吏有過,俗不敢訾。歸非於儒生,付是於文吏也。夫儒生材非下於文吏,又非所習之業非所當為也,然世俗共短之者,見將不好用也。將之不好用之者,事多,己不能理,須文吏以領之也。夫論善謀材,施用累能,期於有益。文吏理煩,身役於職,職判功立,將尊其能。儒生栗栗,不能當劇,將有煩疑,不能效力,力無益於時,則官不及其身也。將以官課材,材以官為驗,是故世俗常高文吏,賤下儒生。儒生之下,文吏之高,本由不能之將。世俗之論,緣將好惡。

儒生も文吏もどちらも材と智があり、文吏が材が高くて儒生が智が下だというのではなく、文吏は事を経験しており儒生は習っていないのである。文吏は事を経験しており儒生は習っていないと言うのはよいが、文吏は深く長く儒生は浅く短いと言うのは、知がみだりである。世俗はそろって儒生を短いとし、儒生の徒もまた互いに自分たちを少なしとする。なぜか。どちらも仕えることを好み宦えることを学んで、吏を縄や表としているからである。儒生に欠けたところがあれば世俗はそろってこれを短いとし、文吏に過ちがあっても世俗は敢えて謗らない。非を儒生に帰し、是を文吏に付けるのである。そもそも儒生の材は文吏より下ではなく、また習った業が当然なすべきものでないわけでもないのに、それでも世俗がそろって短いとするのは、将が用いることを好まないのを見るからである。将が用いることを好まないのは、事が多くて自分では治められず、文吏を待ってそれを領させるからである。そもそも善を論じ材を謀り、用を施し能を累ねるのは、益のあることを期するのである。文吏は煩わしいことを治め、身が職に役され、職が判じられ功が立てば、将はその能を尊ぶ。儒生は栗栗と怖れて劇しい務めに当たれず、将に煩わしい疑いがあっても力を効せず、力が時に益がなければ、官はその身に及ばない。将は官によって材を課し、材は官によって確かめとするから、それゆえ世俗は常に文吏を高しとし、儒生を賤しめ下に置く。儒生の低さと文吏の高さは、もともと能のない将から来ている。世俗の論は、将の好悪に縁るのである。

今世之將,材高知深,能達眾凡,舉綱持領,事無不定。其置文吏也,備數滿員,足以輔己志。志在修德,務在立化,則夫文吏瓦石,儒生珠玉也。夫文吏能破堅理煩,不能守身,〔不能守〕身,則亦不能輔將。儒生不習於職,長於匡救,將相傾側,諫難不懼。案世間能建蹇蹇之節,成三諫之議,令將檢身自敕,不敢邪曲者,率多儒生。阿意苟取容幸,將欲放失,低嘿不言者,率多文吏。文吏以事勝,以忠負;儒生以節優,以職劣。二者長短,各有所宜。世之將相,各有所取。取儒生者,必軌德立化者也;取文吏者,必優事理亂者也。材不自能則須助,須助則待勁。官之立佐,為力不足也;吏之取能,為材不及也。

いまの世の将が、材が高く知が深く、多くの凡を達し、綱を挙げ領を持って、事に定まらないものがないのであれば、その文吏を置くのは、数を備え員を満たして、自分の志を輔けるに足るからである。志が徳を修めることにあり、務めが化を立てることにあれば、あの文吏は瓦や石であり、儒生は珠や玉である。そもそも文吏は堅いものを破り煩わしいものを治められるが、身を守れない。身を守れなければ、やはり将を輔けられない。儒生は職に習っていないが、匡し救うことに長じており、将や相が傾き側いても、諫め問い詰めることを懼れない。調べてみると、世間で蹇蹇たる節を建て、三度諫める議を成して、将に身を検べ自ら敕めさせ、敢えて邪に曲がらないようにさせる者は、おおむね儒生が多い。意に阿って間に合わせに容れられ幸を取り、将が放ち失おうとしても、低く黙って言わない者は、おおむね文吏が多い。文吏は事で勝ち忠で負け、儒生は節で優り職で劣る。二つの長短には、それぞれ宜しいところがある。世の将や相には、それぞれ取るところがある。儒生を取る者は、必ず徳に軌り化を立てる者であり、文吏を取る者は、必ず事を優先し乱を治める者である。材が自ら能くなければ助けが要り、助けが要れば勁いものを待つ。官に佐を立てるのは力が足りないからであり、吏の能を取るのは材が及ばないからである。

日之照幽,不須燈燭;賁、育當敵,不待輔佐。使將相知力若日之照幽,賁、育之難敵,則文吏之能無所用也。病作而醫用,禍起而巫使。如自能案方和葯,入室求祟,則醫不售而巫不進矣。橋梁之設也,足不能越溝也;車馬之用也,走不能追遠也。足能越溝,走能追遠,則橋梁不設、車馬不用矣。天地事物,人所重敬,皆力劣知極,須仰以給足者也。今世之將相,不責己之不能,而賤儒生之不習;不原文吏之所得得用,而尊其材謂之善吏。非文吏,憂不除;非文吏,患不救:是以選舉取常故,案吏取無害。儒生無閥閱,所能不能任劇,故陋於選舉,佚於朝庭。

日が幽きところを照らすのに、灯や燭は要らない。賁や育が敵に当たるのに、輔佐を待たない。もし将や相の知と力が、日が幽きところを照らすようであり、賁や育が敵としがたいようであれば、文吏の能は用いるところがない。病が起こって医が用いられ、禍が起こって巫が使われる。もし自分で方を按べて薬を和え、室に入って祟りを求められるのであれば、医は売れず巫は進まない。橋や梁を設けるのは、足が溝を越えられないからであり、車や馬を用いるのは、走って遠くを追えないからである。足が溝を越えられ、走って遠くを追えるのであれば、橋や梁は設けず車や馬は用いない。天地の事や物で人が重んじ敬うものは、どれも力が劣り知が極まって、仰いで足らせることを待つものである。いまの世の将や相は、自分が能くないことを責めずに、儒生が習っていないことを賤しみ、文吏が用いられる理由を原ねずに、その材を尊んで善い吏だと言う。文吏でなければ憂いは除かれず、文吏でなければ患いは救われないと言う。それゆえ選挙には常の故きものを取り、吏を按べるには害のないことを取る。儒生は閥閲がなく、能くするところが劇しい務めを任せられないので、選挙に陋しめられ、朝廷から佚れるのである。

聰慧捷疾者,隨時變化,學知吏事,則踵文吏之後,未得良善之名。守古循志,案禮修義,輒為將相所不任,文吏所毗戲。不見任則執欲息退,見毗戲則意不得。臨職不勸,察事不精,遂為不能,斥落不習。有俗材而無雅度者,學知吏事,亂於文吏,觀將所知,適時所急,轉志易務,晝夜學問,無所羞恥,期於成能名文而已。其高志妙操之人,恥降意損崇,以稱媚取進,深疾才能之儒,(泊)〔汨〕入文吏之科,堅守高志,不肯下學。亦時或精暗不及,意疏不密,臨事不識,對向謬誤;拜起不便,進退失度,秦記言事,蒙士解過;援引古義,割切將欲,直言一指,觸諱犯忌;封蒙約縛,簡繩檢署,事不如法,文辭卓詭,辟刺離實,曲不應義。故世俗輕之,文吏薄之,將相賤之。

聡く慧く捷く疾い者は、時に随って変化し、吏の事を学び知って文吏の後に踵ぐが、良く善いという名は得られない。古を守り志に循い、礼を按べ義を修めれば、たちまち将や相に任じられないものとなり、文吏に毗り戯れられるものとなる。任じられなければ志を執って退き息もうとし、毗り戯れられれば意が満たない。職に臨んで勧まず、事を察して精しくなく、ついに能くないとされ、習っていないとして斥け落とされる。俗な材はあっても雅な度のない者は、吏の事を学び知って文吏に混じり、将の知るところを観て時の急なところに適わせ、志を転じ務めを易え、昼夜学び問うて羞じ恥じるところがなく、能という名を成すことばかりを期する。その志が高く操が妙な人は、意を降し崇きを損じて、媚びて称われ進むことを取るのを恥じ、才能のある儒者が文吏の科に汨れ入ることを深く疾んで、高い志を堅く守り、身を下げて学ぼうとしない。またときには精しさが暗くて及ばず、意が疏くて密でなく、事に臨んで識らず、答えが謬り誤り、拝み起つのが便でなく、進退が度を失い、記を奏り事を言うのに蒙い士のように過ちを解き、古の義を援き引いて将の欲するところを割き切り、直な言で一つを指して諱に触れ忌みを犯し、封じ蒙い約し縛り、簡を繩い検め署するのに、事が法のようでなく、文辞が卓れていながら詭しくて実を離れ、曲がって義に応じない。だから世俗はこれを軽んじ、文吏はこれを薄んじ、将や相はこれを賤しむのである。

是以世俗學問者,不肯竟經明學,深知古今,急欲成一家章句,義理略具,同(超)〔趨〕學史書,讀律諷令,治作(情)〔請〕奏,習對向,滑(習)跪拜,家成室就,召署輒能。徇今不顧古,趨仇不存志,競進不案禮,廢經不念學。是以古經廢而不修,舊學暗而不明,儒者寂於空室,文吏嘩於朝堂。材能之士,隨世驅馳;節操之人,守隘屏竄。驅馳日以巧,屏竄日以拙。非材頓知不及也,希見闕為,不狎習也。蓋足未嘗行堯、禹問曲折,目未嘗見孔、墨問形象。

それゆえ世俗の学び問う者は、経を究め学を明らかにして古今を深く知ろうとはせず、急いで一家の章句を成して義理がおおよそ具わると、そろって史書を学ぶことに趨り、律を読み令を諷し、請や奏を作ることを治め、答えを習い、跪き拝むのを滑らかにして、家が成り室が就けば、召され署されるとたちまち能くなる。今に徇って古を顧みず、仇を趨って志を存せず、進むことを競って礼を按べず、経を廃して学を念わない。それゆえ古い経は廃れて修められず、旧い学は暗くて明らかでなく、儒者は空しい室で寂まり、文吏は朝堂で嘩しい。材能の士は世に随って駆け馳せ、節操の人は隘いところを守って屏れ竄れる。駆け馳せれば日に巧みになり、屏れ竄れれば日に拙くなる。材が頓く知が及ばないからではなく、見ることが希で為すことが闕けていて、狎れ習っていないからである。そもそも足はかつて堯や禹のもとへ行って曲折を問うたことがなく、目はかつて孔子や墨子を見て形象を問うたことがない。

齊部世刺繡,恆女無不能;襄邑俗織錦,鈍婦無不巧。(日)〔目〕見之,日為之,手狎也。使材士未嘗見,巧女未嘗為,異事詭手,暫為卒睹,顯露易為者,猶憒憒焉。方今論事不謂希更,而曰材不敏;不曰未嘗為,而曰知不達。失其實也。儒生材無不能敏,業無不能達,志不(有)〔肯〕為。今俗見不習謂之不能,睹不為謂之不達。科用累能,故文吏在前,儒生在後。是從朝庭謂之也。如從儒堂訂之,則儒生在上,文吏在下矣。從農論田,田夫勝;從商講賈,賈人賢。今從朝庭謂之,文吏,朝庭之人也,幼為干吏,以朝庭為田畝,以刀筆為耒耜,以文書為農業,猶家人子弟生長宅中,其知曲折愈於賓客也。賓客暫至,雖孔、墨之材,不能分別。儒生猶賓客,文吏猶子弟也。

斉の部では代々刺繡をするので、並の女で能くしない者はなく、襄邑では俗に錦を織るので、鈍い婦でも巧くない者はない。目で見て、日々それをして、手が狎れたのである。もし材ある士がかつて見たことがなく、巧みな女がかつてしたことがなければ、異なる事と詭しい手で、暫く為して卒かに睹るのだから、顕わに露れて為しやすいことでも、やはり憒れ憒れとするであろう。いま事を論ずるにあたって、更ることが希だとは言わずに材が敏くないと言い、かつて為したことがないとは言わずに知が達していないと言う。その実を失っている。儒生は材に敏くなれないものはなく、業に達せられないものはないが、志が為そうとしないのである。いまの俗は、習っていないのを見てこれを能くないとし、為さないのを睹てこれを達していないとする。科によって用い能を累ねるので、文吏が前にあり儒生が後にある。これは朝廷に従ってそう言ったのである。もし儒の堂に従って訂せば、儒生が上にあり文吏が下にある。農に従って田を論ずれば田夫が勝ち、商に従って賈を講ずれば賈人が賢い。いま朝廷に従って言えば、文吏は朝廷の人であり、幼いときから干吏となって、朝廷を田畝とし、刀筆を耒や耜とし、文書を農業としているのだから、家の子弟が宅の中に生まれ育って、その曲折を知ることが賓客より勝るのと同じである。賓客は暫く至るだけであるから、孔子や墨子の材であっても分け別つことはできない。儒生は賓客のようであり、文吏は子弟のようである。

以子弟論之,則文吏曉於儒生,儒生暗於文吏。今世之將相,知子弟以文吏為慧,不能知文吏以狎為能;知賓客以暫為固,不知儒生以希為拙:惑蔽暗昧,不知類也。一縣佐史之材,任郡掾史。一郡修行之能,堪州從事。然而郡不召佐史,州不取修行者,巧習無害,文少德高也。五曹自有條品,簿書自有故事,勤力玩弄,成為巧吏,安足多矣。賢明之將,程吏取材,不求習論高,存志不顧文也。

子弟によって論ずれば、文吏は儒生より曉く、儒生は文吏より暗い。いまの世の将や相は、子弟が文吏として慧いことを知っていながら、文吏が狎れによって能いことを知れず、賓客が暫くであるから固いことを知っていながら、儒生が希であるから拙いことを知れない。惑い覆われ暗く昧くて、類を知らないのである。一つの県の佐史の材が、郡の掾史を任じられる。一つの郡の修行の能が、州の従事に堪える。それでも郡が佐史を召さず、州が修行する者を取らないのは、巧みに習っていることは害がないが、文が少なく徳が高いからである。五曹には自ら条品があり、簿書には自ら故事があるから、勤め力めて玩び弄んで巧みな吏となることが、どうして多しとするに足ろうか。賢く明らかな将は、吏を程り材を取るにあたって、習いを求めず高きを論じ、志を存して文を顧みない。

稱良吏曰忠,忠之所以為效,非簿書也。夫事可學而知,禮可習而善,忠節公行,不可立也。文吏、儒生皆有所志,然而儒生務忠良,文吏趨理事。苟有忠良之業,疏拙於事,無損於高。論者以儒生不曉簿書,置之於下第。法令比例,吏斷決也。

善い吏を称えて忠と言うが、忠が効となる理由は、簿書ではない。そもそも事は学んで知ることができ、礼は習って善くすることができるが、忠や節や公けな行いは、立てることができない。文吏も儒生もどちらも志すところがあるが、儒生は忠と良に務め、文吏は事を理めることに趨る。まことに忠と良の業があれば、事に疏く拙くても、高きに損じるところはない。論ずる者は、儒生が簿書を曉らないとして、これを下の第に置く。法令の比例は、吏が断じ決することである。

文吏治事,必問法家。縣官事務,莫大法令。必以吏職程高,是則法令之家宜最為上。或曰:「固然,法令,漢家之經,吏議決焉。事定於法,誠為明矣。」

文吏が事を治めるには、必ず法家に問う。県官の事務で法令より大きいものはない。必ず吏の職によって高さを程るのであれば、それでは法令の家が当然もっとも上となる。ある人は言う。「もとよりそうである。法令は漢家の経であり、吏が議って決する。事が法に定まるのは、まことに明らかである。」

曰:夫《五經》亦漢家之所立,儒生善政大義,皆出其中。董仲舒表《春秋》之義,稽合於律,無乖異者。然則《春秋》,漢之經,孔子制作,垂遺於漢。論者徒尊法家,不高《春秋》,是暗蔽也。《春秋》、《五經》義相關穿,既是《春秋》,不大《五經》,是不通也。《五經》以道為務,事不如道,道行事立,無道不成。然則儒生所學者,道也;文吏所學者,事也。假使材同,當以道學。如比於文吏,洗泥者以水,燔腥生者用火。水火,道也,用之者事也,事末於道。儒生治本,文吏理末,道本與事末比,定尊卑之高下,可得程矣。

答える。そもそも『五経』も漢家が立てたものであり、儒生の善い政と大きな義は、どれもその中から出る。董仲舒が『春秋』の義を表して律に稽え合わせたが、乖き異なるものはなかった。とすれば『春秋』は漢の経であり、孔子が制り作って漢に垂れ遺したものである。論ずる者がただ法家を尊んで『春秋』を高しとしないのは、暗く覆われているのである。『春秋』と『五経』は義が互いに関わり貫いているのだから、すでに『春秋』を是としながら『五経』を大きいとしないのは、通じていないのである。『五経』は道を務めとするから、事は道に及ばず、道が行われれば事が立ち、道がなければ成らない。とすれば儒生が学ぶものは道であり、文吏が学ぶものは事である。仮に材が同じであるなら、当然道の学によるべきである。文吏に比べれば、泥を洗う者は水によってし、腥く生なものを焼く者は火を用いる。水と火は道であり、それを用いることが事である。事は道の末である。儒生は本を治め、文吏は末を理める。道の本と事の末を比べて尊卑の高下を定めれば、程ることができる。

堯以俊德致黎民雍。孔子曰:「孝悌之至,通於神明。」

堯は俊い徳によって黎民が雍ぐことを致した。孔子は言った。「孝と悌の至りは、神明に通ずる。」

張釋之曰:「秦任刀筆小吏,陵遲至於二世,天下土崩。」

張釋之は言った。「秦は刀筆の小吏に任せて、陵み遅れて二世に至り、天下は土が崩れるようになった。」

張湯、趙禹,漢之惠吏,太史公《序累》置於酷部而致土崩,孰與通於神明,令人填膺也?將相知經學至道,而不尊經學之生,彼見經學之生能不及治事之吏也。牛刀可以割雞,雞刀難以屠牛。刺繡之師,能縫帷裳。納縷之工,不能織錦。

張湯と趙禹は漢の恵み深い吏であるが、太史公は『序累』でこれを酷吏の部に置いて、土が崩れるに至らせたとしたのだから、神明に通ずることに比べて、どちらが人の胸を塞ぐであろうか。将や相は経学が至った道であると知りながら、経学の生を尊ばないのは、彼らが経学の生の能が事を治める吏に及ばないのを見るからである。牛を割く刀で鶏を割くことはできるが、鶏を割く刀で牛を屠るのは難しい。刺繡の師は帷や裳を縫うことができる。縷を納める工は、錦を織ることができない。

儒生能為文吏之事,文吏不能立儒生之學。文吏之能,誠劣不及,儒生之不習,實優而不為。禹決江河,不秉棃鍤;周公筑雒,不把筑杖。夫筆墨簿書,棃鍤筑杖之類也,而欲合志大道者躬親為之,是使將軍戰而大匠也。說一經之生,治一曹之事,旬月能之。典一曹之吏,學一經之業,一歲不能立也。何則?吏事易知,而經學難見也。儒生擲經,窮竟聖意。文吏搖筆,考跡民事。夫能知大聖之意,曉細民之情,孰者為難?以立難之材,含懷章句,十萬以上,行有餘力。博學覽古今,計胸中之穎,出溢十萬。文吏所知,不過辨解簿書。富累千金,孰與貲直百十也?京稟知丘,孰與委聚如坁也?

儒生は文吏の事をなせるが、文吏は儒生の学を立てられない。文吏の能は、まことに劣って及ばないのであり、儒生が習っていないのは、実は優っていながら為さないのである。禹が江や河を決したとき、棃や鍤を秉らなかった。周公が雒を筑いたとき、筑杖を把らなかった。そもそも筆や墨や簿書は、棃や鍤や筑杖の類であるのに、志を大道に合わせた者に躬ら親しくそれを為させようとするのは、将軍に戦わせながら大匠をさせるようなものである。一つの経を説く生が一つの曹の事を治めれば、十日か一月でそれを能くする。一つの曹を典る吏が一つの経の業を学べば、一年でも立てられない。なぜか。吏の事は知りやすく、経学は見がたいからである。儒生は経を擲って聖人の意を窮め竟める。文吏は筆を揺らして民の事の跡を考える。そもそも大聖の意を知ることと、細かな民の情を曉ることと、どちらが難しいか。難しいことを立てる材で章句を含み懐くことが十万以上であるから、行うのに余る力がある。博く学んで古今を覧れば、胸中の穎れたものを計って、十万を出て溢れる。文吏の知るところは、簿書を辨え解くに過ぎない。富んで千金を累ねることは、貲が百や十であることに比べてどうであろうか。京の稟の知が丘のようであることは、委ね聚めることが坁のようであるのに比べてどうであろうか。

世名材為名器,器大者盈物多。然則儒生所懷,可謂多矣。

世は材を名づけて名器と言うが、器が大きいものは盈れる物が多い。とすれば儒生が懐くものは、多いと言ってよい。

蓬生麻間,不扶自直;白紗入緇,不染自黑。此言所習善惡,變易質性也。儒生之性,非能皆善也,被服聖教,日夜諷詠,得聖人之操矣。文吏幼則筆墨,手習而行,無篇章之誦,不聞仁義之語。長大成吏,舞文巧法,徇私為己,勉赴權利。考事則受賂,臨民則采漁,處右則弄權,幸上則賣將。一旦在位,鮮冠利劍。一歲典職,田宅并兼。性非皆惡,所習為者違聖教也。故習善儒路,歸化慕義,志操則勵,變從高明。將(見)〔相〕之顯用儒生:東海相宗叔,廣召幽隱,春秋會饗,設置三科,以第補吏。一府員吏,儒生什九。陳留太守陳子瑀,開廣儒路,列曹掾史,皆能教授。簿書之吏,什置一二。兩將知道事之理,曉多少之量,故世稱褒其名,書記經累其行也。

蓬が麻の間に生えれば、扶けなくても自ら直く、白い紗が緇に入れば、染めなくても自ら黒い。これは習うところの善悪が、質や性を変え易えるという言葉である。儒生の性が、みな善であるわけではないが、聖なる教えを被り服て、日夜諷し詠んで、聖人の操を得るのである。文吏は幼いときは筆と墨で、手が習って行い、篇や章の誦えることがなく、仁義の語を聞かない。長じ大きくなって吏となり、文を舞わせ法を巧みにし、私に徇って己のためにし、勉めて権と利に赴く。事を考えれば賂を受け、民に臨めば采り漁り、右に処れば権を弄び、上に幸せられれば将を売る。ひとたび位にあれば鮮やかな冠と利い剣であり、一年職を典れば田や宅を并せ兼ねる。性がみな悪なのではなく、習って為すところが聖なる教えに違うからである。だから善い儒の路を習えば、化に帰り義を慕い、志と操がそこで励まされ、変わって高く明らかなものに従う。将や相が儒生を顕わに用いた例としては、東海の相の宗叔が、広く幽れ隠れた者を召し、春秋に会して饗し、三科を設け置いて、第によって吏に補した。一府の員吏は、儒生が十に九であった。陳留の太守の陳子瑀は、儒の路を開き広げ、諸曹の掾史はみな教え授けられる者で、簿書の吏は十に一、二を置いた。二人の将は道と事の理を知り、多少の量を曉ったので、世はその名を称えて褒め、書き記したものがその行いを重ねて載せているのである。