いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

順鼓篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 16 · 漢字 2,300字 · 朗読 9.2分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

《春秋》之義,大水,鼓用牲於社。說者曰:「鼓者,攻之也。」或曰:「脅之。」脅則攻矣。(陽)〔陰〕勝,攻社以救之。

『春秋』の義では、大水が出れば鼓を打ち、牲(いけにえ)を社に用いる。説く者は「鼓とは攻めることである」という。あるいは「脅すことである」という。脅すのなら攻めることである。陰が勝つので、社を攻めてそれを救うというのである。

或難曰:攻社,謂得勝負之義,未可得順義之節也。人君父事天,母事地。母之党類為害,可攻母以救之乎?以政令失道陰陽繆戾者,人君也。不自攻以復之,反逆節以犯尊,天地安肯濟?使湛水害傷天,不以地害天,攻之可也。今湛水所傷,物也。萬物於地,卑也。害犯至尊之體,於道違逆,論《春秋》者,曾不知難。案雨出於山,流入於川,湛水之類,山川是矣。大水之災,不攻山川。社,土也。五行之性,水土不同。以水為害而攻土,土勝水。攻社之義,毋乃如今世工匠之用椎鑿也?以椎擊鑿,令鑿穿木。今儻攻土令厭水乎?且夫攻社之義,以為攻陰之類也。甲為盜賊,傷害人民,甲在不亡,舍甲而攻乙之家,耐止甲乎?今雨者,水也。水在,不自攻水,而乃攻社。案天將雨,山先出雲,雲積為雨,雨流為水。然則山者,父母;水者,子弟也。重罪刑及族屬,罪父母子弟乎?罪其朋徒也?計山水與社,俱為雨類也,孰為親者?社,土也。五行異氣,相去遠。

ある人が難じて言う。社を攻めるというのは、勝ち負けの義は得ているとしても、まだ順(したが)う義の節度を得ているとは言えない。君主は天を父として事(つか)え、地を母として事える。母の身内が害をなすからといって、母を攻めてそれを救うことができようか。政令が道を失って陰陽が食い違ったのは、君主のせいである。自分を攻めてもとに復さず、かえって節度に逆らって尊い者を犯すのでは、天と地がどうして助けてくれようか。湛水が天を害し傷つけ、地によって天を害するのでないなら、攻めてもよい。いま湛水が傷つけたものは、物である。万物は地に対しては卑しいものである。害が至って尊い体を犯すのは、道に違い逆らうことであるのに、『春秋』を論ずる者はついに難ずることを知らない。思うに、雨は山から出て流れて川に入るのであり、湛水の類といえば山と川がそれである。大水の災いに山と川は攻めない。社は土である。五行の性質で、水と土は同じでない。水が害をなすからといって土を攻め、土が水に勝つという。社を攻める義は、まるで今の世の工匠が槌と鑿(のみ)を用いるのと同じではないか。槌で鑿を打ち、鑿に木を穿たせる。いまはひょっとして土を攻めて水を押さえつけるというのか。また社を攻める義は、陰の類を攻めることだと考えている。甲が盗賊となって民を傷つけているのに、甲が居てなくならないまま、甲を放っておいて乙の家を攻めて、甲をやめさせられようか。いま雨は水である。水があるのに、自分で水を攻めず、社を攻めるのである。思うに、天が雨を降らせようとすれば山がまず雲を出し、雲が積もって雨となり、雨が流れて水となる。とすれば山は父母であり、水は子弟である。重い罪で刑が一族に及ぶとき、父母や子弟を罪するのか、その仲間を罪するのか。山と水と社とを数えあげれば、どれも雨の類であるが、どれが親しいものか。社は土である。五行は気が異なり、互いの隔たりは遠い。

殷太戊桑谷俱生。或曰:「高宗恐駭,側身行道,思索先王之政,興滅國,繼絕世,舉逸民,明養老之義,桑谷消亡,享國長久。」

殷の太戊のとき、桑と穀とがいっしょに生えた。ある人は言う。「高宗は恐れ驚いて、身を慎んで道を行い、先王の政治をたずね求め、滅んだ国を興し、絶えた世継ぎを継がせ、世に隠れた民を取り立て、老いた者を養う義を明らかにしたので、桑と穀は消えてなくなり、国を久しく享(たも)った。」

此說(者)《春秋》〔者〕所共聞也。水災與桑谷之變何以異?殷王改政,《春秋》攻社,道相違反,行之何從?周成王之時,天下雷雨,偃禾拔木,為害大矣。成王開金滕之書,求索行事,周公之功,執書以泣,遏雨止風,反禾,大木復起。大雨久湛,其實一也。成王改過,《春秋》攻社,兩經二義,行之如何?

この説は『春秋』を説く者がみな聞いているところである。水の災いと桑穀の変異とは、どこが違うのか。殷王は政治を改め、『春秋』は社を攻める。道が互いに違い反しているのに、行うにはどちらに従うのか。周の成王のとき、天下に雷雨があり、禾(いね)を倒し木を抜いて、害が大きかった。成王は金滕の書を開き、行われた事をたずね求めて周公の功を知り、書を手にして泣いた。すると雨はとどまり風はやみ、禾はもとに返り、大木はまた起きあがった。大雨と長い湛水とは、その実は一つである。成王は過ちを改め、『春秋』は社を攻める。二つの経の二つの義を、どう行えばよいのか。

月令之家,蟲食谷稼,取蟲所類象之吏,笞擊辱以滅其變。實論者謂之未必真是,然而為之,厭合人意。今致雨者,政也、吏也,不變其政,不罪其吏,而徒攻社,能何復塞?苟以為當攻其類,眾陰之精,月也,方諸鄉月,水自下來,月離於畢,出房北道,希有不雨。月中之獸,兔、蟾蜍也。其類在地,螺與也。月毀於天,螺舀缺,同類明矣。雨久不霽,攻陰之類,宜捕斬兔、蟾蜍,椎被螺,為其得實。蝗蟲時至,或飛或集。所集之地,谷草枯索。吏卒部民,塹道作坎,榜驅內於塹坎,杷蝗積聚以千斛數,正攻蝗之身,蝗猶不止。況徒攻陰之類,雨安肯霽?

月令の家では、虫が穀物を食えば、その虫がかたどる類の吏を取って、笞(しもと)で打ち辱めて、その変異を消す。実を論ずる者はそれが必ずしもほんとうに正しいとは言わないが、それでもそうするのは、人の心に合わせて押さえるためである。いま雨を招いたのは政治であり吏であるのに、その政治を変えず、その吏を罪せず、ただ社を攻めるだけで、何をもとに復し塞ぐことができようか。もしその類を攻めるべきだというのなら、あらゆる陰の精は月である。方諸を月に向ければ水がおのずと下りてき、月が畢に近づいて房の北の道に出れば、雨の降らないことはまれである。月の中の獣は兎と蟾蜍(ひきがえる)である。その類が地にあるものは、螺(にし)と蚌(はまぐり)である。月が天で欠ければ螺や蚌も欠けるので、同じ類であることは明らかである。雨が長く降って晴れないとき、陰の類を攻めるなら、兎と蟾蜍を捕らえて斬り、螺や蚌を槌で砕くべきで、そうしてはじめてその実にかなう。蝗(いなご)が時に至り、あるいは飛びあるいは群がる。群がった土地では穀物も草も枯れつくす。吏や卒や村の民が道に濠を掘り穴を作り、打ち追って濠や穴に入れ、蝗をかき集めて千斛もの数に積みあげる。これはまさに蝗の身を攻めているのに、蝗はそれでもやまない。まして、ただ陰の類を攻めるだけで、雨がどうして晴れようか。

《尚書》《大傳》曰:「煙氛郊社不修,出川不祝,風雨不時,霜雪不降,責於天公;臣多弒主,孽多殺宗,五品不訓,責於人公;城郭不繕,溝池不修,水泉不隆,水為民害,責於地公。」

『尚書』『大伝』に言う。「煙や気を焚く郊社の祀りが修まらず、山や川に祝(のりと)を上げず、風雨が時に合わず、霜や雪が降らなければ、天公を責める。臣が主をしばしば弑し、孽(しょ)が宗家をしばしば殺し、五品が教えられなければ、人公を責める。城郭が繕われず、溝や池が修まらず、泉が盛んでなく、水が民の害となれば、地公を責める。」

王者三公,各有所主;諸侯卿大夫,各有分職。大水不責卿大夫而擊鼓攻社,何(知)〔如〕?不然,魯國失禮,孔子作經,表以為戒也。公羊高不能實,董仲舒不能定,故攻社之義,至今復行之。使高尚生,仲舒未死,將難之曰:「久雨湛水溢,誰致之者?使人君也,宜改政易行以復塞之。如人臣也,宜罪其人以過解天。如非君臣,陰陽之氣偶時運也,擊鼓攻社,而何救止?

王者の三公には、それぞれ主(つかさど)るところがあり、諸侯や卿大夫には、それぞれ分かれた職がある。大水のときに卿大夫を責めず、鼓を打って社を攻めるのは、どういうことか。そうでなければ、魯が礼を失ったのを、孔子が経を作ってそれを表し戒めとしたのである。公羊高はそれを実(あきら)かにできず、董仲舒も定めることができなかったので、社を攻める義が今もなお行われている。もし高がまだ生きていて、仲舒がまだ死んでいなければ、こう難ずるだろう。「長雨で湛水があふれるのは、誰が招いたものか。君主のせいなら、政治を改め行いを変えて、もとに復し塞ぐべきである。臣下のせいなら、その者を罪して、その過ちをもって天に対して解くべきである。君でも臣でもなく、陰陽の気がたまたま時の運に出あったのであれば、鼓を打って社を攻めたところで、何を救いやめさせられようか。」

《春秋》說曰:「人君亢陽致旱,沈溺致水。」

『春秋』の説に言う。「君主が亢陽であれば旱を招き、沈溺であれば水を招く。」

夫如是,旱則為沈溺之行,水則為亢陽之操,何乃攻社?攻社不解,朱絲縈之,亦復未曉。說者以為社陰、朱陽也,水陰也,以陽色縈之,助鼓為救。夫大山失火,灌以(壅)〔〕水,眾知不能救之者,何也?火盛水少,熱不能勝也。今國湛水,猶大山失火也;以若繩之絲,縈社為救,猶以(壅)〔〕水灌大山也。

さてこのようであれば、旱のときは沈溺の行いをし、水のときは亢陽の身の持ちようをすべきであって、どうして社を攻めるのか。社を攻めるということが解けないうえに、朱の糸で巻くというのも、やはりまだわからない。説く者は、社は陰、朱は陽であり、水は陰であるから、陽の色で巻いて、鼓を助けて救うのだとする。大きな山で火が出たとき、甕(かめ)一つの水を注いでも救えないことを、誰もが知っているのはなぜか。火が盛んで水が少なく、熱に勝てないからである。いま国が湛水にあうのは、大きな山で火が出たようなものである。縄ほどの糸で社を巻いて救おうとするのは、甕一つの水を大きな山に注ぐようなものである。

原天心以人意,狀天治以人事。人相攻擊,氣不相兼,兵不相負,不能取勝。今一國水,使真欲攻陽,以絕其氣,悉發國人操刀把杖以擊之,若歲終逐疫,然後為可。楚、漢之際,六國之時,兵革戰攻,力強則勝,弱劣則負。攻社一人擊鼓,無兵革之威,安能救雨?

天の心を人の意ではかり、天の治めかたを人の事になぞらえる。人が互いに攻め撃つとき、気が相手を兼ねられず、兵が相手を負わせられなければ、勝ちを取ることはできない。いま一国が水にあって、ほんとうに陽を攻めてその気を絶とうとするなら、国の人をすべて出して刀を握り杖を取って撃たせ、年の終わりに疫鬼を追うようにしてはじめてできることだろう。楚と漢のころ、六国の時代には、兵と甲とで戦い攻め、力が強ければ勝ち、弱く劣れば負けた。社を攻めるのに一人が鼓を打つだけで、兵や甲の威もないのに、どうして雨を救えようか。

夫一一雨,猶一晝一夜也;其遭若堯、湯之水旱,猶一冬一夏也。如或欲以人事祭祀復塞其變,冬求為夏,夜求為晝也。何以效之?久雨不霽,試使人君高枕安臥,雨猶自止;止久至於太旱,試使人君高枕安臥,旱猶自雨。何則?〔陽〕極反陰,陰極反〔陽〕。故夫天地之有湛也,何以知不如人之有水病也?其有旱也,何以知不如人有癉疾也?禱請求福,終不能愈,變操易行,終不能救;使醫食葯,冀可得愈,命盡期至,醫葯無效。

一度雨が降り一度晴れるのは、一つの昼と一つの夜のようなものである。堯や湯のときのような水と旱に出あうのは、一つの冬と一つの夏のようなものである。もし人の事や祭祀でその変異をもとに復し塞ごうとするのは、冬に夏となることを求め、夜に昼となることを求めるのと同じである。何によってそれを確かめるか。長雨が続いて晴れないとき、試みに君主に枕を高くして安らかに寝かせておいても、雨はやはりおのずとやむ。やんだのが長びいて大旱に至ったとき、試みに君主に枕を高くして安らかに寝かせておいても、旱はやはりおのずと雨になる。なぜか。陽が極まれば陰に返り、陰が極まれば陽に返るからである。だから天と地に湛水があるのは、人に水の病があるのと同じでないと、どうして分かるのか。旱があるのは、人に癉(たん)の病があるのと同じでないと、どうして分かるのか。祈り願って福を求めても、とうとう癒えることはなく、身の持ちようを変え行いを改めても、とうとう救えない。医者に薬を飲ませてもらって癒えることを願っても、命が尽き期限が至れば、医者も薬も効き目がない。

堯遭洪水,春秋之大水也,聖君知之,不禱於神,不改乎政,使禹治之,百川東流。夫堯之使禹治水,猶病水者之使醫也。然則堯之洪水,天地之水病也;禹之治水,洪水之良醫也。說者何以易之?攻社之義,於事不得。雨不霽,祭女媧,於禮何見?伏羲、女媧,俱聖者也。舍伏羲而祭女媧,《春秋》不言。董仲舒之議,其故何哉?夫《春秋經》但言鼓,豈言攻哉?說者見有鼓文,則言攻矣。夫鼓未必為攻,說者用意異也。

堯は洪水に遭った。春秋の大水である。聖なる君主はそれを知って、神に祈らず、政治を改めず、禹に治めさせて、あらゆる川を東に流した。堯が禹に水を治めさせたのは、水の病にかかった者が医者を使うようなものである。とすれば、堯の洪水は天と地の水の病であり、禹の治水は洪水のよい医者である。説く者はこれをどう言いかえるのか。社を攻める義は、事において成り立たない。雨が晴れないときに女媧を祭るのは、礼のどこに見えるのか。伏羲と女媧は、どちらも聖人である。伏羲を差しおいて女媧を祭ることは、『春秋』には言っていない。董仲舒の議は、その理由が何なのか。『春秋経』はただ鼓と言っただけで、どこに攻めると言っているのか。説く者は鼓という文があるのを見て、すぐに攻めると言ったのである。鼓は必ずしも攻めることではなく、説く者が意を取りちがえたのである。

季氏富於周公,而求也為之聚斂而附益之。孔子曰:「非吾徒也,小子鳴鼓攻之,可也。」

季氏は周公よりも富んでいたのに、求(きゅう)はそのために取り立てて集め、さらに増やした。孔子は言った。「わが徒ではない。おまえたち、鼓を鳴らしてこれを攻めてよい。」

攻者,責也,責讓之也。六國兵革相攻,不得難此,此又非也。以卑而責尊,為逆矣。或據天責之也?王者母事地,母有過,子可據父以責之乎?下之於上,宜言諫。若事,臣子之禮也;責故警戒下也。必以伐鼓為攻此社,此則鍾聲鼓鳴攻擊上也。

攻めるとは責めることであり、責めとがめることである。六国が兵と甲で互いに攻めたことで、これを難ずることはできない。それもまた誤りである。卑しい者が尊い者を責めるのは、逆らうことである。あるいは天に拠って責めるというのか。王者は地を母として事える。母に過ちがあるとき、子が父に拠ってそれを責めることができようか。下の者が上の者に対しては、諫めると言うべきである。事えるようにするのが臣子の礼であり、責めるのはもともと下の者を戒めるためである。どうしても鼓を打つことをこの社を攻めることだというのなら、それは鐘の声や鼓の響きが上の者を攻め撃つということになる。

大水用鼓,或時再告社,陰之太盛,雨湛不霽。陰盛陽微,非道之宜,口祝不副,以鼓自助,與日食鼓用牲於社,同一義也。俱為告急,彰陰盛也。事大而急者用鍾鼓,小而緩者用鈴〔〕,彰事告急,助口氣也。大道難知,大水久湛,假令政治所致,猶先告急,乃斯政行。盜賊之發,與此同操。盜賊亦政所致,比求闕失,猶先發告。鼓用牲於社,發覺之也。社者,眾陰之長,故伐鼓使社知之。說鼓者以為攻之,故攻母逆義之難,緣此而至。今言告以陰盛陽微,攻尊之難,奚從來哉?且告宜於用牲,用牲不宜於攻。告事用牲,禮也;攻之用牲,於禮何見?朱絲如繩,示在也。氣實微,故用物微也。投一寸之針,布一丸之艾於血脈之蹊,篤病有瘳。朱絲如一寸之針、一丸之艾也?吳攻破楚,昭王亡走,申包胥間步赴秦,哭泣求救,卒得助兵,卻吳而存楚。擊鼓之人,(伐)〔誠〕如何耳;使誠若申包胥,一人擊得。假令一人擊鼓,將耐令社與秦王同感,以土勝水之威,卻止雲雨。雲雨氣得與吳同,恐消散入山,百姓被害者得蒙霽晏,有楚國之安矣。迅雷風烈,君子必變,雖夜必興,衣冠而坐,懼威變異也。

大水に鼓を用いるのは、あるいは社に重ねて告げるのであって、陰があまりに盛んで、雨で水びたしになって晴れないからである。陰が盛んで陽が微かなのは道の宜しさではなく、口で祝(のりと)を上げても届かないので、鼓で自分を助けるのである。日食に鼓を打ち牲を社に用いるのと、同じ一つの義である。どちらも急を告げて、陰の盛んなことを明らかにするのである。事が大きく急なものには鐘と鼓を用い、小さく緩いものには鈴や鐸(たく)を用いる。事を明らかにし急を告げて、口の気を助けるのである。大きな道は知りがたい。大水が長く続くのが、かりに政治の招いたものであっても、やはりまず急を告げて、そのうえでこの政治が行われる。盗賊が起こるのも、これと同じやりかたである。盗賊もまた政治の招くものであるが、欠けや失いを探すのに合わせて、やはりまず告げを出す。鼓を打ち牲を社に用いるのは、明らかにして気づかせるためである。社は多くの陰の長であるから、鼓を打って社に知らせるのである。鼓を説く者はそれを攻めることと考えたので、母を攻めて義に逆らうという難が、これによって出てきた。いま、陰が盛んで陽が微かであることを告げるのだと言えば、尊い者を攻めるという難は、どこから出てこようか。また、告げるのは牲を用いるのにふさわしく、牲を用いることは攻めるのにふさわしくない。事を告げるのに牲を用いるのは礼である。攻めるのに牲を用いるのは、礼のどこに見えるのか。朱の糸が縄のように細いのは、そこに在ることを示すだけである。気が実際に微かであるから、用いる物も微かなのである。一寸の針を打ち、一丸の艾(もぐさ)を血脈の通り道に置けば、重い病も癒えることがある。朱の糸は一寸の針や一丸の艾のようなものか。呉が楚を攻め破り、昭王は逃げ出した。申包胥は間道を歩いて秦に赴き、哭(な)き泣いて救いを求め、ついに助けの兵を得て、呉を退けて楚を存(たも)った。鼓を打つ人は、まことに誠がどうであるかだけのことで、誠が申包胥のようであれば、一人が打っても得られる。かりに一人が鼓を打って、社を秦王と同じように感じさせられるなら、土が水に勝つ威によって、雲と雨を退けてやめさせるだろう。雲と雨の気が呉と同じ目にあえば、おそらく消え散って山に入り、害を受けた民も晴れ上がった空を得て、楚の国のような安らぎがあるだろう。激しい雷と烈しい風には、君子は必ず顔色を変え、夜であっても必ず起きて、衣を着け冠をつけて座る。威と変異を恐れるのである。

夫水旱猶雷風也,雖運氣無妄,欲令人君高枕幄臥,以俟其時,無惻怛憂民之心。堯不用牲,或時上世質也。倉頡作書,奚仲作車,可以前代之時,無書車之事,非後世為之乎?時同作殊,事乃可難;異世易俗,相非如何!俗圖畫女媧之象為婦人之形,又其號曰「女」。仲舒之意,殆謂女媧古婦人帝王者也。男陽而女陰,陰氣為害,故祭女媧求福佑也。傳又言:共工與顓頊爭為天子,不勝,怒而觸不周之山,使天柱折,地維絕。女媧消煉五色石以補蒼天,斷鰲之足以立四極。仲舒之祭女媧,殆見此傳也。本有補蒼天、立四極之神,天氣不和,陽道不勝,儻女媧以精神助聖王止雨湛乎!

水と旱は雷や風と同じである。たとい運気が無妄のものであっても、君主に枕を高くして幄(とばり)の中に寝て、その時を待たせ、いたみ憂え民を思う心をなくさせようというのか。堯が牲を用いなかったのは、あるいは上の世が質素だったからである。倉頡が書を作り、奚仲が車を作った。前の時代に書や車の事がなかったからといって、後の世がそれをするのを誤りとできようか。時が同じで作るものが違うのなら、その事を難ずることもできる。世が異なり俗が変わっているのに、互いに誤りとするのはどういうことか。世間では女媧の像を描くのに婦人の姿にし、またその号を「女」という。仲舒の考えは、おそらく女媧が古の婦人の帝王だというのである。男は陽、女は陰であり、陰の気が害をなすから、女媧を祭って福と助けを求めたのである。伝にはまた言う。共工が顓頊と天子の位を争って勝てず、怒って不周の山に突き当たり、天の柱を折り、地の綱を断った。女媧は五色の石を溶かして蒼い天を補い、鰲(おおがめ)の足を切って四極を立てた、と。仲舒が女媧を祭ったのは、おそらくこの伝を見たからである。もともと蒼い天を補い四極を立てた神があるのだから、天の気が和まず陽の道が勝てないときには、ひょっとして女媧が精神によって聖なる王を助け、雨の水びたしをやめさせてくれるかと思ったのである。