いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

自然篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 25 · 漢字 3,147字 · 朗読 12.6分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

天地合氣,萬物自生,猶夫婦合氣,子自生矣。萬物之生,含血之類,知飢知寒,見五谷可食,取而食之,見絲麻可衣,取而衣之。或說以為天生五谷以食人,生絲麻以衣人,此謂天為人作農夫桑女之徒也,不合自然,故其義疑,未可從也。試依道家論之。

天と地が気を合わせれば万物はおのずと生まれる。夫婦が気を合わせれば子がおのずと生まれるのと同じである。万物が生まれると、血を含んだ類は飢えを知り寒さを知り、五穀が食べられると見れば取って食べ、絲や麻が着られると見れば取って着る。ある人は、天が五穀を生んで人を食わせ、絲や麻を生んで人に着せるのだと説くが、これは天が人のために農夫や桑を摘む女の類になるというのであって、おのずとそうであることに合わない。だからその義は疑わしく、従うことはできない。試みに道家に拠って論じてみよう。

天者,普施氣萬物之中,谷愈飢而絲麻救寒,故人食谷衣絲麻也。夫天之不故生五谷絲麻以衣食人,由其有災變不欲以譴告人也。物自生而人衣食之,氣自變而人畏懼之。以若說論之,厭於人心矣。如天瑞為故,自然焉在?無為何居?

天は、あまねく気を万物の中に施すので、穀物が飢えを癒し、絲や麻が寒さを救い、だから人は穀物を食べ絲や麻を着る。天がわざわざ五穀や絲や麻を生んで人に着せ食わせるのではないのは、災いや変異があるのが人を責め告げようとするものではないのと同じである。物がおのずと生まれて人がそれを着て食べ、気がおのずと変わって人がそれを畏れ懼れる。この説で論ずれば、人の心に満ち足りる。天の瑞がわざわざのことであるなら、おのずとそうであることはどこにあるのか。為すことがないというのはどこにあるのか。

何以〔知〕天之自然也?以天無口目也。案有為者,口目之類也。口欲食而目欲視,有嗜欲於內,發之於外,口目求之,得以為利欲之為也。今無口目之欲,於物無所求索,夫何為乎!何以知天無口目也?以地知之。地以土為體,土本無口目。無地,夫婦也,地體無口目,亦知天口目也。使天體乎,宜與地同。使天氣乎,氣若雲煙。雲煙之屬,安得口目!

何によって天がおのずとそうであると分かるのか。天に口も目もないことによってである。思うに、為すことがあるものは、口や目がある類である。口は食べようとし、目は見ようとし、嗜(たしな)みや欲が内にあって外に現れ、口や目がそれを求めて得て利とする。それが欲の為すことである。いま口や目の欲がなく、物に求め探すところがないのだから、何を為すだろうか。何によって天に口も目もないと分かるのか。地によって分かる。地は土を体とし、土にはもともと口も目もない。天と地は夫婦である。地の体に口も目もないのだから、天にも口も目もないと分かる。天が体であるなら、地と同じであるはずである。天が気であるなら、気は雲や煙のようなものである。雲や煙の類に、どうして口や目があろうか。

或曰:「凡動行之類,皆本(無)有為。有欲故動,動則有為。今天動行與人相似,安得無為?」曰:天之動行也,施氣也,體動氣乃出,物乃生矣。由人動氣也,體動氣乃出,子亦生也。夫人之施氣也,非欲以生子,氣施而子自生矣。天動不欲以生物,而物自生,此則自然也。施氣不欲為物,而物自為,此則無為也。謂天自然無為者何?氣也。恬淡無欲,無為無事者也,老聃得以壽矣。老聃稟之於天,使天無此氣,老聃安所稟受此性!師無其說而弟子獨言者,未之有也。或復於桓公,公曰:「以告仲父。」左右曰:「一則仲父,二則仲父,為君乃易乎?」桓公曰:「吾未得仲父,故難;已得仲父,何為不易!」

ある人は言う。「動き行く類はみな、もともと為すことがある。欲があるから動き、動けば為すことがある。いま天の動き行くことは人と互いに似ているのに、どうして為すことがないといえるのか。」答える。天が動き行くのは、気を施すことである。体が動けば気が出て、物が生まれる。人が気を動かすのと同じで、体が動けば気が出て、子もまた生まれる。人が気を施すのは、子を生もうとしてのことではなく、気が施されて子がおのずと生まれる。天が動くのは物を生もうとしてのことではないが、物がおのずと生まれる。これがつまりおのずとそうであることである。気を施すのは物を為そうとしてのことではないが、物がおのずとそうなる。これがつまり為すことのないということである。天がおのずとそうであって為すことがないというのは何か。気である。恬(やす)らかで淡く欲がなく、為すこともなく事もないものであって、老聃はそれを得て長生きした。老聃はそれを天から受けたのであって、天にこの気がなければ、老聃はどこからこの性を受けられよう。師にその説がないのに弟子が一人でそれを言うなどということは、あったことがない。ある人が桓公に申しあげると、公は言った。「仲父に告げよ。」左右の者が言った。「一にも仲父、二にも仲父。君主というのは楽なものですね。」桓公は言った。「わたしが仲父を得る前は難しかった。もう仲父を得たのだから、どうして楽でないことがあろうか。」

夫桓公得父,任之以事,委之以政,不復與知。皇天以至優之德與王政,〔隨〕而譴告(人)〔之〕,則天德不若桓公,而霸君之操過上帝也。

桓公は仲父を得て、事を任せ政治を委ね、それ以上は関わり知ろうとしなかった。皇天がきわめて優れた徳をもって王に政治を与えておきながら、そのあとを追って責め告げるというのなら、天の徳は桓公に及ばず、覇者である君の身の持ちようが上帝より勝っていることになる。

或曰:「桓公知管仲賢,故委任之;如非管仲,亦將譴告之矣。使天遭堯、舜,必無譴告之變。」

ある人は言う。「桓公は管仲が賢いと知っていたから任せたのであって、管仲でなければ、やはり責め告げただろう。天が堯や舜に出あえば、必ず責め告げる変異はない。」

曰:天能譴告人君,則亦能故命聖君。擇才若堯、舜,受以王命,委以王事,勿復與知。今則不然,生庸庸之君,失道廢德,隨譴告之,何天不憚勞也!曹參為漢相,縱酒歌樂,不聽政治,其子諫之,笞之二百。當時天下無擾亂之變。淮陽鑄偽錢,吏不能禁,汲黯為太守,不坏一爐,不刑一人,高枕安臥,而淮陽政清。夫曹參為相若不為相,汲黯為太守若郡無人。然而漢朝無事,淮陽刑錯者,參德優而黯威重也。計天之威德,孰與曹參、汲黯?而謂天與王政隨而譴告之,是謂天德不若曹參厚,而威不若汲黯重也。蘧伯玉治衛,子貢使人問之:「何以治衛?」對曰:「以不治治之。」夫不治之治,無為之道也。

答える。天が君主を責め告げられるのなら、やはりわざわざ聖なる君主を命ずることもできる。才を選んで堯や舜のようであれば、王の命を与え王の事を委ね、それ以上は関わり知ろうとしないはずである。いまそうではなく、凡庸な君主を生んで、道を失い徳を廃れさせると、そのあとを追って責め告げるのでは、天はなんと労を厭わないことか。曹参は漢の相となり、酒を存分に飲み歌い楽しんで、政治を聴かなかった。その子が諫めると、笞二百を打った。当時、天下に騒ぎ乱れる変異はなかった。淮陽で偽りの銭が鋳られ、吏がそれを禁じられなかったが、汲黯が太守となると、一つの炉も壊さず、一人も刑せず、枕を高くして安らかに寝ていたのに、淮陽の政治は清らかになった。曹参が相であったのは相でないのと同じようであり、汲黯が太守であったのは郡に人がいないのと同じようであった。それでも漢の朝廷に事がなく、淮陽で刑が置いたままになったのは、参の徳が優れ、黯の威が重かったからである。天の威と徳を数えてみれば、曹参や汲黯とどちらが勝るのか。それなのに天が王に政治を与えておいて、そのあとを追って責め告げるというのは、天の徳が曹参ほど厚くなく、威が汲黯ほど重くないというのと同じである。蘧伯玉が衛を治めたとき、子貢が人をつかわしてたずねた。「何によって衛を治めているのか。」答えて言った。「治めないことで治めている。」治めないことの治めとは、為すことのない道である。

或曰:「太平之應,,河出圖,洛出書。不畫不就,不為不成。天地出之,有為之驗也。張良游泗水之上,遇黃石公授太公書,蓋天佐漢誅秦,故命令神石為鬼書授人,復為有為之效也。」

ある人は言う。「太平の応として、河から図が出、洛から書が出た。描かなければ出来あがらず、為さなければ成らない。天と地がそれを出したのだから、為すことがあることの徴である。張良が泗水のほとりを歩いていて黄石公に出あい、太公の書を授かった。おそらく天が漢を助けて秦を誅するので、神(くしび)な石に命じて鬼の書となって人に授けさせたのであり、これもまた為すことがあることの効き目である。」

曰:此皆自然也。夫天安得以筆黑而為圖書乎?天道自然,故圖書自成。晉唐叔虞、魯成季友生,文在其手,故叔曰「虞」,季曰「友」。宋仲子生,有文在其手,曰為魯夫人。三者在母之時,文字成矣,而謂天為文字,在母之時,天使神持錐筆墨刻其身乎?自然之化,固疑難知,外若有為,內實自然。是以太史公紀黃石事,疑而不能實也。趙簡子夢上天,見一男子在帝之側,後出,見人當道,則前所夢見在帝側者也。論之以為趙國且昌之狀也。黃石授書,亦漢且興之象也。妖氣為鬼,鬼象人形,自然之道,非或為之也。

答える。これはみなおのずとそうであることである。天がどうして筆や墨で図や書を作れようか。天の道はおのずとそうであるから、図や書がおのずと出来あがる。晋の唐叔虞と魯の成季友は、生まれたとき文(もん)がその手にあったので、叔を「虞」といい、季を「友」といった。宋の仲子は生まれたとき文がその手にあって、魯の夫人となると言っていた。この三人は母の胎にいるときに文字が出来あがっていたのであるが、天が文字を作ったというのなら、母の胎にいるときに、天が神を使って錐や筆や墨を持たせてその身に刻ませたというのか。おのずとそうである化(めぐみ)は、もともと疑わしく知りがたく、外は為すことがあるかのようで、内は実はおのずとそうである。だから太史公は黄石の事を記すのに、疑って実とすることができなかった。趙簡子は夢に天に上って、一人の男子が帝のかたわらにいるのを見たが、のちに出かけて、人が道をふさいでいるのを見ると、それは前に夢で帝のかたわらに見た者であった。それを論じて、趙の国がこれから昌(さかん)になるさまだとした。黄石が書を授けたのも、漢がこれから興る象である。妖(あや)しい気が鬼となり、鬼が人の形をかたどるのは、おのずとそうである道であって、誰かが為したのではない。

草木之生,華葉青蔥,皆有曲折,象類文章,謂天為文字,復為華葉乎?宋人或刻木為楮葉者,三年乃成。(孔)〔列〕子曰:「使〔天〕地三年乃成一葉,則萬物之有葉者寡矣。」

草木が生えるとき、花や葉が青々と茂り、どれも曲がりや折れがあって、模様や文(あや)に似た類をなしている。天が文字を作るというのなら、そのうえ花や葉も作るのか。宋の人で木を刻んで楮(こうぞ)の葉を作った者があり、三年かかってようやく出来あがった。列子は言った。「天と地が三年かかってようやく一枚の葉を作るのなら、万物のうち葉のあるものは少ないだろう。」

如(孔)〔列〕子之言,萬物之葉自為生也。自為生也,故能并成。如天為之,其遲當若宋人刻楮葉矣。觀鳥獸之毛羽,毛羽之采色,通可為乎!

列子の言のとおりなら、万物の葉はおのずと生えるのである。おのずと生えるから、そろって出来あがることができる。天が作るのなら、その遅さは宋の人が楮の葉を刻んだのと同じになるだろう。鳥獣の毛や羽を見てみれば、毛や羽の彩りを、どれもこれも作れるものだろうか。

鳥獸未能盡實。春觀萬物之生,秋觀其成,天地為之乎?物自然也。如謂天地為之,為之宜用手,天地安得萬萬千千手,并為萬萬千千物乎!諸物在天地之間也,猶子在母腹中也。母懷子氣,十月而生,鼻、口、耳、目、髪膚、毛理、血脈、脂腴、骨節、爪齒,自然成腹中乎?母為之也?偶人千萬,不名為人者,何也?鼻口耳目,非性自然也。武帝幸(王)〔李〕夫人,(王)〔李〕夫人死,思見其形。道士以方術作夫人形,形成,出入宮門,武帝大驚,立而迎之,忽不復見。蓋非自然之真,方士巧妄之偽,故一見恍忽,消散滅亡。有為之化,其不可久行,猶(王)〔李〕夫人形不可久見也。道家論自然,不知引物事以驗其言行,故自然之說未見信也。

鳥獣では言いつくせない。春に万物の生まれるのを見、秋にその出来あがるのを見るが、天と地がそれを為したのか。物がおのずとそうなのである。天と地がそれを為すというのなら、為すには手を用いるべきである。天と地がどうして万万千千の手を得て、そろって万万千千の物を作れようか。あらゆる物が天と地の間にあるのは、子が母の腹の中にあるのと同じである。母が子の気を懐(やど)して、十月で生む。鼻・口・耳・目、髪と膚、毛の肌理(きめ)、血脈、脂(あぶら)、骨の節、爪と歯は、おのずと腹の中で出来あがるのか、母がそれを作るのか。木の人形が千万あっても、人と名づけないのはなぜか。鼻や口や耳や目が、性としておのずとそうであるのではないからである。武帝が李夫人を愛し、李夫人が死ぬと、その姿を見たいと思った。道士が方術で夫人の姿を作り、姿が出来あがって宮の門を出入りしたので、武帝は大いに驚き、立ちあがってそれを迎えたが、ふっと二度と見えなくなった。おそらくおのずとそうである真(まこと)ではなく、方士の巧みでみだりな偽りであったから、一度見えたかと思うとぼんやりして、消え散って亡くなったのである。為すことがある化が長く行われえないのは、李夫人の姿が長く見ええないのと同じである。道家はおのずとそうであることを論じながら、物や事を引いてその言と行いを確かめることを知らないので、おのずとそうであるという説がまだ信じられていないのである。

然雖自然,亦須有為輔助。耒耜耕耘,因春播種者,人為之也;及谷入地,日夜長(夫)〔大〕,人不能為也。或為之者,敗之道也。宋人有閔其苗之不長者,就而揠之,明日枯死。夫欲為自然者,宋人之徒也。

しかし、おのずとそうであるとはいっても、やはり為すことによる助けを待たねばならない。耒(すき)や耜(すきさき)で耕し草を取り、春に合わせて種を播くのは人が為すことである。穀物が地に入って、昼も夜も伸びて大きくなることは、人には為せない。それを為そうとする者があれば、それは敗(やぶ)る道である。宋の人にその苗が伸びないのを気にする者があって、近づいて引っぱり上げたところ、翌日に枯れ死んだ。おのずとそうであることを為そうとする者は、宋の人の仲間である。

問曰:「人生於天地,天地無為。人稟天性者,亦當無為,而有為,何也?」

問う。「人は天と地から生まれるが、天と地には為すことがない。人は天の性を受けているのだから、やはり為すことがないはずなのに、為すことがあるのはなぜか。」

曰:至德純渥之人,稟天氣多,故能則天,自然無為。稟氣薄少,不遵道德,不似天地,故曰不肖。不肖者,不似也。不似天地,不類聖賢,故有為也。天地為爐,造化為工,稟氣不一,安能皆賢!賢之純者,黃、老是也。黃者,黃帝也;老者,老子也。黃、老之操,身中恬淡,其治無為。正身共己,而陰陽自和,無心於為,而物自化,無意於生,而物自成。

答える。至った徳が純(すなお)で厚い人は、天の気を受けたのが多いから、天に則(のっと)って、おのずとそうであり為すことがないようにできる。気を受けたのが薄く少なければ、道と徳に従わず、天と地に似ていない。だから不肖という。不肖とは、似ていないことである。天と地に似ず、聖賢と同じ類でないから、為すことがあるのである。天と地が炉となり、造化が工(たくみ)となる。気を受けたのが一つでないのに、どうしてみな賢くなれようか。賢の純なる者は、黄と老がそれである。黄は黄帝であり、老は老子である。黄や老の身の持ちようは、身の内が恬らかで淡く、その治めは為すことがなかった。身を正しくし自分を慎めば、陰陽がおのずと和らぎ、為すことに心がなくても物がおのずと化し、生むことに意(こころ)がなくても物がおのずと出来あがった。

《易》曰:「黃帝、堯、舜垂衣裳而天下治。」垂衣裳者,垂拱無為也。孔子曰:「大哉,堯之為君也!惟天為大,惟堯則之。」又曰:「巍巍乎舜、禹之有天下也!而不與焉。」周公曰:「上帝引佚。」

『易』に「黄帝・堯・舜は衣と裳を垂れて天下が治まった」とある。衣と裳を垂れるとは、腕を組んで為すことがないことである。孔子は言った。「大きいことだ、堯の君としてのありようは。ただ天が大きいが、ただ堯がそれに則った。」また言った。「巍々(ぎぎ)として高いことだ、舜と禹が天下を保ったことは。しかもそれに関わらなかった。」周公は言った。「上帝は安らぎへと導いた。」

上帝謂〔虞〕舜(禹)也。〔虞〕舜(禹)承安繼治,任賢使能,恭己無為而天下治。〔虞〕舜(禹)承堯之安,堯則天而行,不作功邀名,無為之化自成,故曰「蕩蕩乎民無能名焉」。

上帝とは虞舜のことをいう。虞舜は安らぎを承(う)け治めを継いで、賢い者に任せ能ある者を使い、自分を慎んで為すことがなかったので天下が治まった。虞舜は堯の安らぎを承けたのであり、堯は天に則って行い、功を立てて名を求めることをしなかったので、為すことのない化がおのずと出来あがった。だから「蕩々(とうとう)として広く、民はそれを名づけることができない」と言うのである。

年五十者擊壤於塗,不能知堯之德,蓋自然之化也。《易》曰:「大人與天地合其德。」

年五十の者が道ばたで壌(つちくれ)を打ちながら、堯の徳を知ることができなかったが、それはおそらくおのずとそうである化である。『易』に「大人は天と地とその徳を合わせる」とある。

黃帝、堯、舜大人也,其德與天地合,故知無為也。天道無為,故春不為生,而夏不為長,秋不為成,冬不為藏。陽氣自出,物自生長,陰氣自起,物自成藏。汲井決陂,灌溉園田,物亦生長,霈然而雨,物之莖葉根(垓)〔〕,莫不洽濡。程量澍澤,孰與汲井決陂哉!故無為之為大矣。本不求功,故其功立;本不求名,故其名成。沛然之雨,功名大矣,而天地不為也,氣和而雨自集。

黄帝・堯・舜は大人であり、その徳は天と地に合っているから、為すことがないと分かる。天の道は為すことがないので、春に生もうとはせず、夏に伸ばそうとはせず、秋に実らせようとはせず、冬に蔵(おさ)めようとはしない。陽の気がおのずと出て、物がおのずと生まれ伸び、陰の気がおのずと起こって、物がおのずと実り蔵まる。井戸を汲み池を切り開いて園や田に水をやれば、物もまた生まれ伸び、たっぷりと雨が降れば、物の茎も葉も根も、潤わないものはない。雨の潤いを量ってみれば、井戸を汲み池を切り開くのとどちらが勝るのか。だから為すことのない為しかたは大きいのである。もともと功を求めないから、その功が立ち、もともと名を求めないから、その名が成る。たっぷりと降る雨は功も名も大きいが、天と地がそれを為すのではなく、気が和らいで雨がおのずと集まるのである。

儒家說夫婦之道取法於天地,知夫婦法天地,不知推夫婦之道以論天地之性,可謂惑矣。夫天覆於上,地偃於下,下氣上,上氣降下,萬物自生其中間矣。當其生也,天不須復與也,由子在母懷中,父不能知也。物自生,子自成,天地父母,何與知哉!及其生也,人道有教訓之義。天道無為,聽恣其性,故放魚於川,縱獸於山,從其性命之欲也。不驅魚令上陵,不逐獸令入淵者,何哉?拂詭其性,失其所宜也。夫百姓,魚獸之類也。上德治之若烹小鮮,與天地同操也。商鞅變秦法,欲為殊異之功,不聽趙良之議,以取車裂之患,德薄多欲,君臣相憎怨也。道家德厚,下當其上,上安其下,純蒙無為,何復譴告?故曰:政之適也,君臣相忘於治,魚相忘於水,獸相忘於林,人相忘於世。故曰天也。孔子謂顏淵曰:「吾服汝,忘也;汝之服於我,亦忘也。」

儒家は、夫婦の道は天と地から法を取ると説く。夫婦が天と地に法(のっと)ることは知りながら、夫婦の道を推して天と地の性を論ずることを知らないのだから、惑っているといえる。天は上を覆い、地は下に横たわり、下の気が上り、上の気が下れば、万物がおのずとその間に生まれる。それが生まれるとき、天はもう関わる必要がない。子が母の懐の中にあるとき、父が知ることができないのと同じである。物がおのずと生まれ、子がおのずと出来あがるのに、天と地や父と母がどうして関わり知ろうか。生まれてしまえば、人の道には教え訓(さと)す義がある。天の道は為すことがなく、その性のままに任せる。だから魚を川に放ち、獣を山に放って、その性と命の欲するままにさせる。魚を追って丘に上らせず、獣を追って淵に入らせないのはなぜか。その性に逆らい背いて、その宜しさを失わせることになるからである。民は魚や獣と同じ類である。上(すぐ)れた徳がそれを治めるのは小さな魚を煮るようにするのであって、天と地と身の持ちようが同じである。商鞅は秦の法を変えて、人と違った功を立てようとし、趙良の議を聴かず、車裂きの患いを招いた。徳が薄く欲が多くて、君と臣が互いに憎み怨んだのである。道家は徳が厚く、下は上にふさわしく、上は下に安んじ、ひたすらに素朴で為すことがない。それでどうしてさらに責め告げることがあろうか。だから言う。政治の程よさとは、君と臣が治めの中で互いを忘れ、魚が水の中で互いを忘れ、獣が林の中で互いを忘れ、人が世の中で互いを忘れることである。だからそれを天というのである。孔子は顔淵に言った。「わたしがおまえを思うのは忘れることであり、おまえがわたしを思うのも忘れることだ。」

以孔子為君,顏淵為臣,尚不能譴告,況以老子為君,文子為臣乎!老子、文子,似天地者也。淳酒味甘,飲之者醉不相知。薄酒酸苦,賓主顰蹙。夫相譴告,道薄之驗也。謂天譴告,曾謂天德不若淳酒乎!

孔子が君となり顔淵が臣となっても、やはり責め告げることはできないのに、まして老子が君となり文子が臣となればなおさらである。老子や文子は天と地に似た者である。濃い酒は味が甘く、飲む者は酔って互いのことが分からなくなる。薄い酒は酸(す)くて苦く、客も主人も顔をしかめる。互いに責め告げあうのは、道が薄いことの徴である。天が責め告げるというのなら、まさか天の徳が濃い酒に及ばないというのか。

禮者,忠信之薄,亂之首也。相譏以禮,故相譴告。三皇之時,坐者于于,行者居居,乍自以為馬,乍自以為牛,純德行而民瞳,曉惠之心未形生也。當時亦無災異,如有災異,不名曰譴告。何則?時人愚蠢,不知相繩責也。末世衰微,上下相非,災異時至,則造譴告之言矣。夫今之天,古之天也,非古之天厚而今之天薄也,譴告之言生於今者,人以心准況之也。誥誓不及五帝,要盟不及三王,交質子不及五伯。德彌薄者信彌衰。心險而行,則犯約而負教;教約不行,則相譴告;譴告不改,舉兵相滅。由此言之,譴告之言,衰亂之語也,而謂之上天為之,斯蓋所以疑也。

礼は忠と信が薄れたもので、乱れの始まりである。礼によって互いに譏(そし)るから、互いに責め告げる。三皇の時には、坐る者はのんびりし、行く者はゆったりして、ふと自分を馬だと思い、ふと自分を牛だと思い、純な徳が行われて民はぼんやりしており、聡(さと)く賢い心はまだ生まれていなかった。当時もまた災異はなく、災異があっても責め告げとは名づけなかった。なぜか。当時の人は愚かで素朴で、互いに縄(ただ)し責めることを知らなかったからである。末の世が衰え弱って、上と下が互いを非(わる)しとし、災異が時に至ると、責め告げという言葉を作ったのである。いまの天は昔の天であって、昔の天が厚く今の天が薄いのではない。責め告げという言葉が今になって生まれたのは、人が自分の心でおしはかったからである。誥(つげ)や誓(ちかい)は五帝には及ばず、要(かため)や盟(ちかい)は三王には及ばず、質(ひとじち)の子を交わすことは五覇には及ばない。徳が薄くなるほど信は衰える。心が険しくてそのままに行えば、約を犯し教えに背く。教えや約が行われなければ互いに責め告げ、責め告げても改めなければ、兵を挙げて互いに滅ぼしあう。これによって言えば、責め告げという言葉は衰え乱れた世の言葉であるのに、それを上の天が為すというのだから、これがおそらく疑わしく思う理由である。

且凡言譴告者,以人道驗之也。人道,君譴告臣,上天譴告君也,謂災異為譴告。夫人道,臣亦有諫君,以災異為譴告,而王者亦當時有諫上天之義,其效何在?苟謂天德優,人不能諫,優德亦宜玄默,不當譴告。萬石君子有過,不言,對案不食,至優之驗也。夫人之優者,猶能不言,皇天德大,而乃謂之譴告乎!夫天無為,故不言災變,時至,氣自為之。夫天地不能為,亦不能知也。腹中有寒,腹中疾痛,人不使也,氣自為之。夫天地之間,猶人背腹之中也。謂天為災變,凡諸怪異之類,無小大薄厚,皆天所為乎?牛生馬,桃生李,如論者之言,天神入牛腹中為馬,把李實提桃間乎?牢曰:「子云:『吾不試,故藝。』」又曰:「吾少也賤,故多能鄙事。」

また責め告げを言う者は、人の道でそれを確かめているのである。人の道では君が臣を責め告げるので、上の天が君を責め告げるとして、災異を責め告げだというのである。人の道では臣もまた君を諫めることがあるのだから、災異を責め告げだというのなら、王者もまた時には上の天を諫める義があるべきなのに、その効き目はどこにあるのか。もし天の徳が優れていて人が諫められないというのなら、優れた徳のほうもまた静かに黙っているべきで、責め告げるべきではない。万石君は子に過ちがあると、何も言わず、膳に向かって食べなかった。きわめて優れていることの徴である。人の優れた者でも黙っていられるのに、皇天の徳は大きいのに、それが責め告げるというのか。天は為すことがないから物を言わず、災変は時が至れば気がおのずとそうするのである。天と地は為すこともできず、知ることもできない。腹の中に寒さがあって腹の中が痛むのは、人がそうさせたのではなく、気がおのずとそうするのである。天と地の間は、人の背や腹の中と同じである。天が災変を為すというのなら、あらゆる怪しく異なった類は、小さいも大きいも薄いも厚いもなく、どれも天が為すのか。牛が馬を生み、桃が李を生むのに、論ずる者の言のとおりなら、天の神が牛の腹の中に入って馬となり、李の実を持って桃の枝の間に差し入れたというのか。牢は言った。「先生は『わたしは用いられなかったから、芸(わざ)がある』と言われた。」また言った。「わたしは若いころ賤しかったから、いやしい事に多く能(たく)みである。」

人之賤不用於大者,類多伎能。天尊貴高大,安能撰為災變以譴告人,且吉凶蜚色見於面,人不能為,色自發也。天地猶人身,氣變猶蜚色。人不能為蜚色,天地安能為氣變!然則氣變之見,殆自然也。變自見,色自發,占候之家,因以言也。

人で賤しくて大きなことに用いられなかった者は、たいてい技や能が多い。天は尊く貴く高く大きい。どうして災変を作り立てて人を責め告げようか。また吉凶の飛ぶ色が顔に現れるのは、人が為せることではなく、色がおのずと出るのである。天と地は人の身と同じで、気の変わるのは飛ぶ色と同じである。人が飛ぶ色を為せないのだから、天と地がどうして気の変わるのを為せようか。とすれば、気の変わるのが現れるのは、おそらくおのずとそうであることである。変異がおのずと現れ、色がおのずと出るのを、占いや兆しを見る家が、それによって言うだけのことである。

夫寒溫、譴告、變動、招致,四疑皆已論矣。譴告於天道尤詭,故重論之。論之,所以難別也。說合於人事,不入於道意,從道不隨事,雖違儒家之說,合黃、老之義也。

寒温・譴告・変動・招致の四つの疑いは、どれももう論じた。譴告は天の道にとりわけそぐわないので、重ねてこれを論じた。論じたのは、見分けがたいからである。説が人の事に合って道の意に入らなければ、道に従って事には従わないことにする。たとい儒家の説に違っても、黄や老の義には合うのである。