紀妖篇
衛靈公將之晉,至濮水之上,夜聞鼓新聲者,說之,使人問之,左右皆報弗聞。召師涓而告之曰:「有鼓新聲者,使人問,左右盡報弗聞,其狀似鬼,子為我聽而寫之。」師涓曰:「諾!」因靜坐撫琴而寫之。明日報曰:「臣得之矣,然而未習,請更宿而習之。」靈公曰:「諾!」因復宿。明日已習,遂去之晉。晉平公觴之施夷之台,酒酣,靈公起曰:「有新聲,願請奏以示公。」公曰:「善!」乃召師涓令坐師曠之旁,援琴鼓之。未終,曠撫而止之,曰:「此亡國之聲,不可遂也。」平公曰:「此何道出?」師曠曰:「此師延所作淫聲,與紂為靡靡之樂也。武王誅紂,懸之白旄,師延東走,至濮水而自投,故聞此聲者必於濮水之上。先聞此聲者其國削,不可遂也。」平公曰:「寡人好者音也,子其使遂之。」師涓鼓究之。平公曰:「此所謂何聲也?」師曠曰:「此所謂清商。」公曰:「清商固最悲乎?」師曠曰:「不如清徵。」公曰:「清徵可得聞乎?」師曠曰:「不可!古之得聽清徵者,皆有德義君也。今吾君德薄,不足以聽之。」公曰:「寡人所好者音也,願試聽之。」師曠不得已,授琴鼓之。一奏,有玄鶴二八從南方來,集於(郭)〔郎〕門之上危;再奏而列,三奏延頸而鳴,舒翼而舞。音中宮商之聲,聲徹於天。平公大悅,坐者皆喜。平公提觴而起,為師曠壽,反坐而問曰:「樂莫悲於清徵乎?」師曠曰:「不如清角。」平公曰:「清角可得聞乎?」師曠曰:「不可!昔者黃帝合鬼神於西大山之上,駕象輿,六玄龍,畢方并轄,蚩尤居前,風伯進掃,雨師灑道,虎狼在前,鬼神在後,蟲蛇伏地,白雲覆上,大合鬼神,乃作為清角。今主君德薄,不足以聽之。聽之,將恐有敗。」平公曰:「寡人老矣,所好者音也,願遂聽之。」師曠不得已而鼓之。一奏之,有雲從西北起,再奏之,風至,大雨隨之,裂帷幕,破俎豆,墮廊瓦,坐者散走。平公恐懼,伏於廊室。晉國大旱,赤地三年。平公之身遂癃病。
衛の霊公が晋へ行こうとして濮水のほとりに至り、夜、新しい調べを奏でる者の音を聞いて喜び、人をやって尋ねさせたが、側近はみな聞こえなかったと報じた。師涓を呼んで告げた。「新しい調べを奏でる者がいて、人をやって尋ねさせたが、側近はみな聞こえなかったと言う。その様子は亡霊のようだ。おまえは私のためにそれを聞き取って写せ。」師涓は「かしこまりました」と言い、静かに座って琴に手を置いて写し取った。翌日、こう報じた。「わたくしは写し取りましたが、まだ慣れておりません。もう一晩泊まって習いたいと存じます。」霊公は「よし」と言い、そこでもう一晩泊まった。翌日にはもう習い終えて、そのまま晋へ向かった。晋の平公が施夷の台で酒宴を開き、酒が進むと、霊公が立って言った。「新しい調べがあります。奏でて公にお聞かせしたい。」公は「よいとも」と言った。そこで師涓を呼んで師曠のかたわらに座らせ、琴を引き寄せて奏でさせた。終わらないうちに師曠が手を置いて止め、こう言った。「これは滅びた国の調べです。奏で終えてはなりません。」平公は言った。「これはどこから出たものか。」師曠は言った。「これは師延が作ったみだりな調べで、紂とともに気の抜けた音楽をなしたものです。武王が紂を誅して白い旗に懸けると、師延は東へ逃げ、濮水に至って身を投げました。だからこの調べを聞く者は、必ず濮水のほとりで聞くのです。先にこの調べを聞いた者は、その国が削られます。奏で終えてはなりません。」平公は言った。「わしの好むものは音だ。おまえは奏で終えさせよ。」師涓は奏でて終えた。平公は言った。「これは何という調べか。」師曠は言った。「これは清商と申します。」公は言った。「清商はもともと最も悲しいものか。」師曠は言った。「清徴には及びません。」公は言った。「清徴を聞けるか。」師曠は言った。「なりません。昔、清徴を聞けた者はみな徳と義のある君主でした。今わが君は徳が薄く、お聞きになるには足りません。」公は言った。「わしの好むものは音だ。ためしに聞いてみたい。」師曠はやむなく琴を取って奏でた。一度奏でると、黒い鶴十六羽が南から来て、郎門の上の棟に集まった。二度奏でると並んで立ち、三度奏でると首を伸ばして鳴き、翼を広げて舞った。音は宮と商の調べに合い、声は天まで届いた。平公は大いに喜び、居並ぶ者もみな喜んだ。平公は杯を取って立ち、師曠のために寿を祝い、席に戻って尋ねた。「音楽に清徴より悲しいものはないか。」師曠は言った。「清角には及びません。」平公は言った。「清角を聞けるか。」師曠は言った。「なりません。昔、黄帝が西の太山の上で鬼神を集めたとき、象の車に乗り、六頭の黒い竜をつなぎ、畢方が轅に並び、蚩尤が前に立ち、風伯が進んで道を掃き、雨師が道に水を打ち、虎と狼が前に、鬼神が後ろに、虫と蛇が地に伏し、白い雲が上を覆い、大いに鬼神を集めて、そこで清角を作りました。今、主君は徳が薄く、お聞きになるには足りません。お聞きになれば、破れが起こるのではと恐れます。」平公は言った。「わしは老いた。好むものは音だ。ぜひ聞かせてほしい。」師曠はやむなく奏でた。一度奏でると雲が西北から起こり、二度奏でると風が来て、大雨がそれに続き、幕を裂き、祭器を壊し、廊の瓦を落としたので、居並ぶ者は散り散りに逃げた。平公は恐れて廊の部屋に伏せた。晋の国は大いに干ばつとなり、地が赤く焼けること三年。平公の身はついに腰の曲がる病にかかった。
何謂也?曰:是非衛靈公國且削,則晉平公且病,若國且旱(亡)〔之〕妖也?師曠曰「先聞此聲者國削」。二國先聞之矣。
これは何を言おうとしているのか。答える。これは衛の霊公の国が削られるのでなければ、晋の平公が病むか、あるいは国が干ばつになるというきざしである。師曠は「先にこの調べを聞いた者は国が削られる」と言った。二つの国が先にこれを聞いたのだ。
何知新聲非師延所鼓也?曰:師延自投濮水,形體腐於水中,精氣消於泥塗,安能復鼓琴?屈原自沉於江。屈原善著文,師延善鼓琴。如師延能鼓琴,則屈原能復書矣。揚子雲吊屈原,屈原何不報?屈原生時,文無不作;不能報子云者,死為泥塗,手既朽,無用書也。屈原手朽無用書,則師延指敗無用鼓琴矣。孔子當泗水而葬,泗水卻流,世謂孔子神而能卻泗水。孔子好教授,猶師延之好鼓琴也。師延能鼓琴於濮水之中,孔子何為不能教授於泗水之側乎?
新しい調べが師延の奏でたものでないと、どうして分かるのか。答える。師延は自分から濮水に身を投げ、体は水の中で腐り、精気は泥に消えた。どうしてまた琴を奏でられよう。屈原は自分から川に沈んだ。屈原は文を作るのが巧みで、師延は琴を奏でるのが巧みだった。師延が琴を奏でられるなら、屈原もまた文を書けるはずだ。揚子雲が屈原を弔ったのに、屈原はどうして答えなかったのか。屈原が生きていたときは、作らない文はなかった。子雲に答えられなかったのは、死んで泥となり、手がすでに朽ちて、書くてだてがないからだ。屈原の手が朽ちて書くてだてがないなら、師延も指が壊れて琴を奏でるてだてがない。孔子を泗水のそばに葬ったところ、泗水が退いて流れた。世は、孔子が神であって泗水を退けられたのだという。孔子は教えるのが好きだった。師延が琴を奏でるのが好きだったのと同じだ。師延が濮水の中で琴を奏でられるのなら、孔子はなぜ泗水のほとりで教えられないのか。
趙簡子病,五日不知人,大夫皆俱,於是召進扁鵲。扁鵲入視病,出,董安於問扁鵲,扁鵲曰:「血脈治也,而〔何〕怪?昔秦繆公嘗如此矣,七日悟。悟之日,告公孫支與子輿曰:『我之帝所,甚樂。吾所以久者,適有學也。帝告我晉國且大亂,五世不安,其(復)〔後〕將霸,未老而死;霸者之子且令而國男女無別。』公孫支書而藏之於篋。於是晉獻公之亂,文公之霸,襄公敗秦師於崤而歸縱淫。此〔子〕之所(謂)〔聞〕。今主君之病與之同,不出三日,病必間,間必有言也。」
趙簡子が病んで、五日のあいだ人が分からなくなったので、大夫たちはみな恐れ、そこで扁鵲を呼び入れた。扁鵲は入って病を見て出てきた。董安于が扁鵲に尋ねると、扁鵲は言った。「血脈は整っている。何を怪しむのか。昔、秦の繆公がこれと同じようになり、七日して目覚めた。目覚めた日、公孫支と子輿に告げた。『私は上帝のところへ行ったが、たいそう楽しかった。私が長く留まったのは、ちょうど学ぶことがあったからだ。上帝が私に告げて、晋の国はこれから大いに乱れ、五代のあいだ安らかでなく、その後で覇者となるが、老いる前に死ぬだろう、覇者の子は、おまえの国の男女に区別がなくなるようにするだろう、と言われた。』公孫支は書き留めて箱に収めた。そこで晋の献公の乱があり、文公の覇業があり、襄公が崤で秦の軍を破って帰ってみだりな行いにふけった。これはあなたの聞いているところだ。今の主君の病はそれと同じで、三日のうちに必ず少しよくなり、よくなれば必ず話すことがあるだろう。」
居二日半,簡子悟,告大夫曰:「我之帝所,甚樂,與百神游於鈞天,靡樂九奏萬舞,不類三代之樂,其聲動人心。有一熊欲(授)〔援〕我,帝命我射之,中熊,熊死。有羆來,我又射之,中羆,羆死。帝甚喜,賜我(一)〔二〕笥,皆有副。吾見兒在帝側,帝屬我一翟犬,曰:『及而子之長也,以賜之。』帝告我:『晉國且(襄)〔衰〕,(十)〔七〕世而亡;嬴姓將大敗周人於范魁之西,而亦不能有也。今余將思虞舜之勛,適余將以其胄女孟姚配而(十)〔七〕世之孫。』」
二日半たって簡子は目覚め、大夫たちに告げた。「私は上帝のところへ行ったが、たいそう楽しく、もろもろの神とともに鈞天で遊んだ。広やかな音楽が九度奏でられ、さまざまな舞があって、三代の音楽とは似ず、その音は人の心を動かした。一頭の熊が私をつかもうとしたので、上帝が私に命じて射させ、熊に当たると熊は死んだ。羆が来たので私はまた射て、羆に当たると羆は死んだ。上帝はたいそう喜び、私に二つの箱を下されたが、どちらにも添えものがあった。私は子どもが上帝のかたわらにいるのを見た。上帝は私に翟の犬一匹を預けて、『おまえの子が大きくなったら、これを与えよ』と言われた。上帝は私に告げた。『晋の国はこれから衰え、七代で滅びる。嬴姓の者が范魁の西で周の人を大いに破るが、それでも保つことはできない。今、私は虞舜の功をおもい、ちょうどその末裔の娘、孟姚をおまえの七代の孫に配そうとしている。』」
董安於受言而書藏之,以扁鵲言告簡子,簡子賜扁鵲田四萬畝。他日,簡子出,有人當道,辟之不去,從者將拘之,當道者曰:「吾欲有謁於主君。」從者以聞,簡子召之,曰:「嘻!吾有所見子游也。」當道者曰:「屏左右,願有謁。」簡子屏人。當道者曰:「日者主君之病,臣在帝側。」簡子曰:「然,有之。子見我何為?」當道者曰:「帝令主君射熊與羆皆死。」簡子曰:「是何也?」當道者曰:「晉國且有大難,主君首之。帝令主君滅二卿,夫(罷)〔熊〕羆皆其祖也。」簡子曰:「帝賜我二笥皆有副,何也?」當道者曰:「主君之子將克二國於翟,皆子姓也。」簡子曰:「吾見兒在帝側,帝屬我一翟犬,曰『及而子之長以賜之』夫兒何說以賜翟犬?」當道者曰:「兒,主君之子也。翟犬,代之先也。主君之子,且必有代。及主君之後嗣,且有革政而胡服,并二國〔於〕翟。」簡子問其姓而延之以官。當道者曰:「臣野人,致帝命。」遂不見。
董安于は言葉を受けて書き留めて収め、扁鵲の言葉を簡子に伝えると、簡子は扁鵲に田四万畝を与えた。別の日、簡子が外出すると、ある人が道をふさぎ、追い払っても去らない。従者が捕らえようとすると、道をふさいだ者が言った。「私は主君に申し上げたいことがある。」従者が取り次ぐと、簡子は呼んで言った。「ああ、見覚えがある。あなたこそ、あのとき私が見た人だ。」道をふさいだ者は言った。「左右をお退けください。申し上げたいことがあります。」簡子は人を退けた。道をふさいだ者は言った。「先日、主君が病んでおられたとき、わたくしは上帝のかたわらにいました。」簡子は言った。「そうだ、そうであった。あなたが私を見たのは何のためか。」道をふさいだ者は言った。「上帝が主君に熊と羆を射させ、どちらも死にました。」簡子は言った。「それは何のことか。」道をふさいだ者は言った。「晋の国にこれから大きな難があり、主君が先頭に立たれます。上帝が主君に二人の卿を滅ぼさせるのですが、あの熊と羆はどちらもその祖先です。」簡子は言った。「上帝が私に二つの箱を下され、どちらにも添えものがあったのは何のことか。」道をふさいだ者は言った。「主君のお子が、これから翟で二つの国を取られます。どちらも子姓です。」簡子は言った。「私は子どもが上帝のかたわらにいるのを見たが、上帝は私に翟の犬一匹を預けて『おまえの子が大きくなったら与えよ』と言われた。あの子どもに、どういうわけで翟の犬を与えるのか。」道をふさいだ者は言った。「子どもは主君のお子です。翟の犬は代の祖先です。主君のお子は、必ず代を得られます。主君の後継ぎの代になって、政治を改めて胡服を着け、翟で二つの国を併せるでしょう。」簡子はその姓を尋ね、官に迎えようとした。道をふさいだ者は言った。「わたくしは野の人です。上帝の命をお伝えしただけです。」そして見えなくなった。
是何謂也?曰:是皆妖也。其占皆如當道言,所見於帝前之事。所見當道之人,妖人也。其後晉二卿范氏、中行氏作亂,簡子攻之,中行昭子、范文子敗,出奔齊。
これは何を言おうとしているのか。答える。これはみな怪しいきざしである。その占いはどれも道をふさいだ者の言葉どおりで、上帝の前で見た事柄のとおりになった。道をふさいだ者を見たのは、怪しいきざしが人の形をとったものである。その後、晋の二卿、范氏と中行氏が乱を起こし、簡子がこれを討って、中行昭子と范文子は敗れ、斉へ逃げた。
始,簡子使姑布子卿相諸子,莫吉;至翟婦之子無恤,以為貴。簡子與語,賢之。簡子募(一本作乃告。)諸子曰:「吾藏寶符於常山之上,先得者賞。」諸子皆上山,無所得。無恤還曰:「已得符矣。」簡子問之,無恤曰:「從常山上臨代,代可取也。」簡子以為賢,乃廢太子而立之。簡子死,無恤代,是為襄子。襄子既立,誘殺代王而并其地。
はじめ、簡子が姑布子卿に息子たちの人相を見させたが、吉と出る者がいなかった。翟の婦人の子、無恤に至って、貴いとした。簡子は話をしてみて、賢いと思った。簡子は息子たちに告げた。「私は宝の符を常山の上に隠した。先に見つけた者には賞を与える。」息子たちはみな山に登ったが、何も見つからなかった。無恤は帰ってきて言った。「もう符を見つけました。」簡子が問うと、無恤は言った。「常山の上から代を見下ろしますと、代は取れます。」簡子は賢いと思い、太子を廃してこれを立てた。簡子が死んで無恤が代わった。これが襄子である。襄子は立つと、代王を誘い出して殺し、その土地を併せた。
又并知氏之地。後取空同戎。自簡子後,(十)〔七〕世至武靈王,吳(慶)〔廣〕入其(母姓)〔女娃〕(羸)〔嬴〕(子)孟姚。其後,武靈王遂取中山,并胡地。武靈王之十九年,更為胡服,國人化之。皆如其言,無不然者。蓋妖祥見於兆,審矣,皆非實事。〔曰〕:吉凶之漸,若天告之。何以知天不實告之也?以當道之人在帝側也。夫在天帝之側,皆貴神也。致帝之命,是天使者也。人君之使,車騎備具,天帝之使,單身當道,非其狀也。天官百二十,與地之王者以異也。地之王者,官屬備具,法象天官,稟取制度。
さらに知氏の土地を併せた。後には空同の戎を取った。簡子から七代して武霊王に至り、呉広がその娘の娃嬴孟姚を入れた。その後、武霊王はついに中山を取り、胡の土地を併せた。武霊王の十九年に胡服に改め、国の人もそれにならった。すべてその言葉どおりで、そうならなかったものはない。おそらく怪しいきざしや吉祥がきざしに現れることは確かであって、どれも実際の出来事ではない。答える。吉凶のきざしは、天が告げるもののようだ。天がほんとうに告げたのではないと、どうして分かるのか。道をふさいだ人が上帝のかたわらにいたということから分かる。そもそも天の上帝のかたわらにいるのなら、みな貴い神である。上帝の命を伝えるのだから、天の使者である。人の君の使者には車と騎馬がそろっているのに、天の上帝の使者がただ一人で道をふさぐなど、その姿にふさわしくない。天の官は百二十あって、地の王者とは違う。地の王者は官属がそろっており、天の官にならって制度を受け取っている。
天地之官同,則其使者亦宜鈞。官同人異者,未可然也。
天と地の官が同じなら、その使者もまた同じようであるべきだ。官は同じなのに人が違うというのは、そうだとは認められない。
何以知簡子所見帝非實帝也?以夢占(知)之,〔知〕樓台山陵,官位之象也。人夢上樓台,升山陵,輒得官位。實樓台山陵非官位也,則知簡子所夢見帝者非天帝也。人臣夢出人君,人君必不見,又必不賜。以人臣夢占之,知帝賜二笥、翟犬者,非天帝也。非天帝,則其言與百鬼游於鈞天,非天也。魯叔孫穆子夢天壓己者,審然是天下至地也。至地則有樓台之抗,不得及己,及己則樓台宜坏。樓台不坏,是天不至地。不至地則不得壓己。不得壓己則壓己者非天也,則天之象也。叔孫穆子所夢壓己之天非天,則知趙簡子所游之天非天也。
簡子が見た上帝が本当の上帝でないと、どうして分かるのか。夢の占いによって分かる。楼台や山陵は官位のきざしである。人が夢に楼台に登り山陵に登れば、そのまま官位を得る。実際には楼台や山陵は官位ではない。だから簡子が夢に見た上帝が天の上帝でないことが分かる。臣下が夢に君主と会っても、君主のほうは必ず会っていないし、また必ず何も与えていない。臣下の夢として占えば、上帝が二つの箱と翟の犬を下したというのは天の上帝でないことが分かる。天の上帝でないなら、もろもろの亡霊とともに鈞天で遊んだというその天も、天ではない。魯の叔孫穆子が夢に天が自分を圧すのを見たが、確かにそうなら、これは天が地まで下りてきたことになる。地まで至るなら楼台にさえぎられて自分には届かないし、自分に届くなら楼台は壊れるはずだ。楼台が壊れていないのだから、天は地まで至っていない。地まで至っていないなら自分を圧せない。自分を圧せないのなら、自分を圧したものは天ではなく、天のかたちをしたきざしである。叔孫穆子が夢に自分を圧した天が天でないのなら、趙簡子が遊んだ天も天でないことが分かる。
或曰:人亦有直夢。見甲,明日則見甲矣;夢見君,明日則見君矣。曰:然。人有直夢,直夢皆象也,其象直耳。何以明之?直夢者夢見甲,夢見君,明日見甲與君,此直也。如問甲與君,甲與君則不見也。甲與君不見,所夢見甲與君者,象類之也。乃甲與君象類之,則知簡子所見帝者象類帝也。且人之夢也,占者謂之魂行。夢見帝,是魂之上天也。上天猶上山也。夢上山,足登山,手引木,然後能升。升天無所緣,何能得上?天之去人以萬里數。人之行,日百里。魂與體形俱,尚不能疾,況魂獨行安能速乎?使魂行與形體等,則簡子之上下天,宜數歲乃悟,七日輒覺,期何疾也!
ある人はこう言う。人には正夢もある。甲を夢に見れば翌日は甲に会い、君主を夢に見れば翌日は君主に会う。答える。そうだ。人には正夢がある。しかし正夢もみなきざしであって、そのきざしがまっすぐ当たるだけだ。どうしてそう言えるか。正夢とは、夢に甲を見、夢に君主を見て、翌日に甲と君主に会うもので、これが正夢だ。だが甲と君主に尋ねてみれば、甲と君主のほうは会っていない。甲と君主が会っていないのだから、夢に見た甲と君主は、似た姿のものである。甲と君主が似た姿のものなら、簡子が見た上帝も上帝に似た姿のものだと分かる。また人の夢について、占う者は魂が歩くのだという。夢に上帝を見るのは、魂が天に昇ったことになる。天に昇るのは山に登るのと同じだ。夢に山に登るときは、足で山を登り手で木を引いて、はじめて登れる。天に昇るには取りつくところがないのに、どうして昇れよう。天が人から離れている距離は万里で数える。人の歩みは一日に百里だ。魂は体と一緒にいてもなお速く進めないのに、まして魂が一人で歩いて、どうして速く行けよう。魂の歩みが体と同じなら、簡子が天を昇り降りするには何年もかかって目覚めるはずなのに、七日でさっと目覚めた。その期間はなんとも速いことだ。
夫魂者精氣也,精氣之行與雲煙等。案雲煙之行不能疾,使魂行若蜚鳥乎,行不能疾。人或夢蜚者用魂蜚也,其蜚不能疾於鳥。天地之氣尤疾速者,飄風也,飄風之發,不能終一日。使魂行若飄風乎,則其速不過一日之行,亦不能至天。人夢上天,一臥之頃也,其覺,或尚在天上,未終下也。若人夢行至雒陽,覺,因從雒陽悟矣。魂神蜚馳何疾也!疾則必非其狀。必非其狀,則其上天非實事也。非實事則為妖祥矣。夫當道之人,簡子病見於帝側,後見當道象人而言,與相見帝側之時無以異也。由此言之,臥夢為陰候,覺為陽占,審矣。
そもそも魂は精気であり、精気の動きは雲や煙と同じだ。見てみれば雲や煙の動きは速くなれないから、魂の動きが飛ぶ鳥のようだとしても、速くは進めない。人が夢に飛ぶのは魂を使って飛ぶのだが、その飛び方は鳥より速くはない。天地の気でとりわけ速いのはつむじ風だが、つむじ風の起こりは一日ももたない。魂の動きがつむじ風のようだとしても、その速さは一日の道のりを越えず、やはり天には届かない。人が夢に天へ昇るのは、ひと眠りのあいだのことだ。目が覚めたとき、まだ天の上にいて降りきっていないことになるはずだ。人が夢に歩いて洛陽に着いたのなら、目が覚めれば洛陽で目覚めることになる。魂神の飛び走ることは、なんとも速いことだ。速いなら、必ずその本来の姿ではない。本来の姿でないなら、天に昇ったのは実際の出来事ではない。実際の出来事でないなら、怪しいきざしや吉祥のしわざである。そもそも道をふさいだ人は、簡子が病んだときに上帝のかたわらで見たもので、後に道をふさぐのを見たときは人の姿をまねて語ったのだから、上帝のかたわらで会ったときと変わりがない。これによって言えば、横になって夢を見るのは陰のきざしであり、目覚めているときは陽の占いであることが確かだ。
趙襄子既立。知伯益驕,請地韓、魏,韓、魏予之;請地於趙,趙不予。知伯益怒,遂率韓、魏攻趙襄子。襄子懼,用奔保晉陽。原過從,後,至於托平驛,見三人,自帶以上可見,自帶以下不可見,予原過竹二節,莫通,曰:「為我以是遺趙無恤。」
趙襄子が立った。知伯はいよいよおごり、韓と魏に土地を求め、韓と魏はこれを与えた。趙に土地を求めると、趙は与えなかった。知伯はいよいよ怒り、ついに韓と魏を率いて趙襄子を攻めた。襄子は恐れて逃げ、晋陽を守った。原過が従っていたが遅れ、托平駅に至って三人を見た。帯から上は見えるが、帯から下は見えない。原過に竹を二節渡したが、中は通っていない。そして言った。「私のために、これを趙無恤に渡してくれ。」
既至,以告襄子。襄子齊三日,親自割竹,有赤書曰:「趙無恤,余霍大山〔山〕陽侯天(子)〔使也〕。三月丙戌,余將使汝滅知氏,汝亦祀我百邑,余將賜汝林胡之地。」襄子再拜受神之命。
着いてから襄子に伝えた。襄子は三日身を清め、自分で竹を割ると、赤い文字があってこう記されていた。「趙無恤よ、私は霍太山の山陽侯、天の使いである。三月丙戌に、私はおまえに知氏を滅ぼさせる。おまえもまた私を百の邑で祀れ。私はおまえに林胡の地を与えよう。」襄子は二度拝して神の命を受けた。
是何謂也?曰:是蓋襄子且勝之祥也。三國攻晉陽歲餘,引汾水灌其城,城不浸者三板。襄子懼,使相張孟談私於韓、魏,韓、魏與合謀,竟以三月丙戌之日,(大)〔反〕滅知氏,共分其地。蓋妖祥之氣象人之形,稱霍大山之神,猶夏庭之妖象龍,稱褒之二君;趙簡子之祥象人,稱帝之使也。何以知非霍大山之神也?曰:大山,地之體,猶人有骨節,骨節安得神?如大山有神,宜象大山之形。何則?人謂鬼者死人之精,其象如生之形。今大山廣長不與人同,而其精神不異於人。不異於人則鬼之類人。鬼之類人則妖祥之氣也。
これは何を言おうとしているのか。答える。これはおそらく襄子が勝つという吉祥のきざしである。三国が晋陽を攻めて一年あまり、汾水を引いてその城に水を注ぎ、城が浸らずに残ったのは板三枚の高さだった。襄子は恐れ、宰相の張孟談にひそかに韓と魏に働きかけさせ、韓と魏はともに謀を合わせ、ついに三月丙戌の日に、かえって知氏を滅ぼし、ともにその土地を分けた。おそらく怪しいきざしや吉祥の気が人の形をまねて、霍太山の神と称したのである。夏の宮庭の怪しいきざしが竜の姿をまねて褒の二人の君と称したのと同じであり、趙簡子の吉祥が人の姿をまねて上帝の使者と称したのと同じだ。霍太山の神でないと、どうして分かるのか。答える。太山は地の体であって、人に骨や節があるのと同じだ。骨や節がどうして神を持てよう。太山に神があるのなら、太山の形をまねるべきだ。なぜか。人は、亡霊とは死んだ人の精で、その姿は生きていたときの形のようだという。ところが太山は広く長く人と同じではないのに、その精神は人と変わらない。人と変わらないなら、亡霊が人に似ているということだ。亡霊が人に似ているなら、それは怪しいきざしや吉祥の気である。
秦始皇帝三十六年,熒感守心,有星墜下,至地為石,〔民〕刻其石曰:「始皇死而地分。」始皇聞之,令御史逐問莫服,盡取石旁家人誅之,因燔其石。(妖)〔秋〕,使者從關東夜過華陰平(野)〔舒〕,或有人持璧遮使者,曰:「為我遺鎬池君。」因言曰:「今年祖龍死。」使者問之,因忽不見,置其璧去。使者奉璧具以言聞,始皇帝默然良久,曰:「山鬼不過知一歲事,乃言曰『祖龍』者人之先也。」使御府視璧,乃二十八年行渡江所沉璧也。明三十七年,夢與海神戰如人狀。
秦の始皇帝の三十六年、火星が心宿に留まり、星が落ちて地に着いて石となった。民がその石に刻んで「始皇が死んで地が分かれる」と記した。始皇はこれを聞き、御史に追い詰めて問わせたが白状する者がなく、石のかたわらの家の者をみな捕らえて誅し、そのうえでその石を焼いた。秋、使者が関東から夜に華陰の平舒を通りかかると、ある人が璧を持って使者をさえぎり、こう言った。「私のために鎬池君に渡してくれ。」そしてこう言った。「今年、祖龍が死ぬ。」使者が問い返すと、たちまち見えなくなり、その璧を置いて去った。使者が璧を捧げて事情をくわしく申し上げると、始皇帝は長く黙りこんだのち、こう言った。「山の亡霊は一年の事を知るにすぎない。ところで『祖龍』と言うのは人の祖先ということだ。」御府に璧を見させると、それは二十八年に旅をして川を渡ったとき沈めた璧だった。翌年の三十七年、夢に海の神と戦い、その姿は人のようだった。
是何謂也?曰:皆始皇且死之妖也。始皇夢與海神戰,恚怒入海,候神,射大魚,自琅邪至勞、成山不見。至之罘山,還見巨魚,射殺一魚,遂旁海西至平原津而病,至沙丘而崩。當星墜之時,熒感為妖,故石旁家人刻書其石,若或為之,文曰「始皇死」,或教之也。猶世間童謠,非童所為,氣導之也。凡妖之發,或象人為鬼,或為人象鬼而使,其實一也。
これは何を言おうとしているのか。答える。みな始皇が死ぬという怪しいきざしである。始皇は夢に海の神と戦い、怒って海に入り、神をうかがって大きな魚を射たが、琅邪から勞山・成山に至るまで見つからなかった。之罘山に至って帰る途中、大きな魚を見つけ、一匹を射殺し、そのまま海に沿って西へ進み、平原津に至って病み、沙丘に至って崩じた。星が落ちたとき、火星が怪しいきざしをなしたので、石のかたわらの家の者がその石に文字を刻んだのだ。だれかにやらされたかのようで、文に「始皇が死ぬ」とあったのは、何かがそう教えたのである。世間の童歌が子どもの作ったものではなく、気がそう導いたのと同じだ。およそ怪しいきざしの起こりは、人の姿をまねて亡霊となる場合もあり、人が亡霊の姿をとって使われる場合もあるが、その実は一つである。
晉公子重耳失國,乏食於道,從耕者乞飯,耕者奉塊土以賜公子。公子怒,咎犯曰:「此吉祥,天賜土地也。」其後公子得國復土,如咎犯之言。齊田單保即墨之城,欲詐燕軍,云天神下助我。有一人前曰:「我可以為神乎?」田單卻走,再拜事之,竟以神下之言聞於燕軍。燕軍信其有神,又見牛若五采之文,遂信畏懼,軍破兵北。田單卒勝,復獲侵地。此人象鬼之妖也。
晋の公子重耳は国を失い、道中で食に事欠いて、畑を耕す者に飯を乞うたところ、耕す者は土のかたまりを捧げて公子に差し出した。公子は怒ったが、咎犯が言った。「これは吉祥です。天が土地を与えるのです。」その後、公子が国を得て土地を取り戻したのは、咎犯の言葉のとおりだった。斉の田単は即墨の城を守って燕の軍を欺こうとし、天の神が下って自分を助けるのだと言った。一人の男が前に出て言った。「私が神になってもよいですか。」田単は退いて走り、二度拝して仕え、ついに神が下ったという話を燕の軍に聞かせた。燕の軍は神がいると信じ、さらに牛が五色の模様のようなのを見て、すっかり信じて恐れ、軍は破れ兵は逃げた。田単はついに勝ち、侵された土地を取り戻した。これは人が亡霊の姿をとった怪しいきざしである。
使者過華陰,人持璧遮道,委璧而去。妖鬼象人之形也。夫沉璧於江,欲求福也。今還璧示不受物,福不可得也。璧者象前所沉之璧,其實非也。何以明之?以鬼象人而見,非實人也。人見鬼象生存之人,定問生存之人,不與己相見。妖氣象類人也。妖氣象人之形,則其所齎持之物,非真物矣。祖龍死,謂始皇也。祖,人之本;龍,人君之象也。人物類,則其言禍亦放矣。
使者が華陰を通ると、人が璧を持って道をさえぎり、璧を置いて去った。怪しい亡霊が人の形をまねたのである。そもそも璧を川に沈めるのは福を求めるためだ。いま璧を返したのは、供えを受けないことを示すのであって、福は得られないということだ。璧は先に沈めた璧をまねたもので、実物ではない。どうしてそう言えるか。亡霊が人の姿をまねて現れるのは、本物の人ではないからだ。人が亡霊を見るとき、それは生きている人の姿をまねているが、その生きている人に確かめて尋ねれば、その人は会っていない。怪しい気が人に似ているのである。怪しい気が人の形をまねるなら、その持ってきた品も本物の品ではない。祖龍が死ぬというのは始皇のことをいう。祖は人のもとであり、竜は君主のかたどりである。人と物が同じ類であるなら、その語る禍もまねたものである。
漢高皇帝以秦始皇崩之歲為泗上亭長,送徒至驪山,徒多道亡,因縱所將徒,遂行不還。被酒,夜經澤中,令一人居前,前者還報曰:「前有大蛇當道,願還。」
漢の高皇帝は、秦の始皇が崩じた年に泗上の亭長となり、囚人を驪山へ送ったが、囚人が道中で多く逃げたので、連れていた囚人を放ち、そのまま行って帰らなかった。酒を帯びて夜に沢の中を通るとき、一人を先に行かせたところ、先の者が戻って報じた。「前に大きな蛇が道をふさいでいます。引き返しましょう。」
高祖醉,曰:「壯士行何畏!」乃前,拔劍擊斬蛇,蛇遂分兩。徑開,行數里,醉因臥。高祖後人至蛇所,有一老嫗夜哭之,人曰:「嫗何為哭?」嫗曰:「人殺吾子。」人曰:「嫗子為何見殺?」嫗曰:「吾子白帝子,化為蛇當徑。今者赤帝子斬之,故哭。」
高祖は酔って言った。「壮士が行くのに何を恐れるか。」そして前に出て剣を抜いて斬りつけ、蛇をとうとう二つに分けた。道が開けて数里行ったが、酔ってそのまま横になった。高祖の後ろから来た者が蛇のいた所に着くと、一人の老婆が夜に泣いていた。その者が言った。「おばあさんはなぜ泣くのか。」老婆は言った。「人がわたしの子を殺した。」その者が言った。「おばあさんの子はなぜ殺されたのか。」老婆は言った。「わたしの子は白帝の子で、蛇になって道をふさいでいた。いま赤帝の子がこれを斬ったので、泣いているのだ。」
人以嫗為妖言,因欲笞之,嫗因忽不見。何謂也?曰:是高祖初起威勝之祥也。何以明之?以嫗忽然不見也。不見非人,非人則鬼妖矣。
その者が老婆を怪しいことを言うやつだと思い、むち打とうとすると、老婆はたちまち見えなくなった。これは何を言おうとしているのか。答える。これは高祖が初めて立って威勢で勝つという吉祥のきざしである。どうしてそう言えるか。老婆がたちまち見えなくなったからだ。見えなくなったのなら人ではなく、人でないなら亡霊の怪しいきざしである。
夫以嫗非人,則知所斬之蛇非蛇也。云白帝子,何故為蛇夜而當道?謂蛇白帝子,高祖赤帝子;白帝子為蛇,赤帝子為人。五帝皆天之神也,子或為蛇,或為人。人與蛇異物,而其為帝同神,非天道也。且蛇為白帝子,則嫗為白帝後乎!帝者之後,前後宜備,帝者之子,官屬宜盛。今一蛇死於徑,一嫗哭於道。云白帝子,非實明矣。夫非實則象,象則妖也,妖則所見之物皆非物也,非物則氣也。高祖所殺之蛇,非蛇也。則夫鄭厲公將入鄭之時,邑中之蛇與邑外之蛇斗者,非蛇也,厲公將入鄭,妖氣象蛇而斗也。鄭國斗蛇非蛇,則知夏庭二龍為龍象。為龍象,則知鄭子產之時龍戰非龍也。天道難知,使非,妖也;使是,亦妖也。
そもそも老婆が人でないのなら、斬った蛇も蛇でないことが分かる。白帝の子だというが、どういうわけで蛇になって夜に道をふさぐのか。蛇は白帝の子で、高祖は赤帝の子だというなら、白帝の子は蛇になり、赤帝の子は人になったことになる。五帝はみな天の神なのに、その子が蛇になったり人になったりする。人と蛇は別の物なのに、その帝の子であることは同じ神だというのは、天の道ではない。また蛇が白帝の子なら、老婆は白帝の后なのか。帝の后なら前後の供はそろっているはずで、帝の子なら官属は盛んであるはずだ。ところが一匹の蛇が道で死に、一人の老婆が道で泣いた。白帝の子だというのが実でないことは明らかだ。そもそも実でないならかたどりであり、かたどりなら怪しいきざしであり、怪しいきざしなら見えた物はどれも物ではなく、物でないなら気である。高祖が殺した蛇は蛇ではない。そうであれば、鄭の厲公が鄭に入ろうとしたとき、邑の内の蛇と邑の外の蛇が戦ったというのも蛇ではなく、厲公が鄭に入ろうとしたので、怪しい気が蛇の姿をまねて戦ったのである。鄭の国で戦った蛇が蛇でないなら、夏の宮庭の二匹の竜も竜のかたどりだと分かる。竜のかたどりなら、鄭の子産の時の竜の戦いも竜でないと分かる。天の道は知りがたい。違うとしても怪しいきざしであり、そうだとしてもやはり怪しいきざしである。
留侯張良椎秦始皇,誤中副車,始皇大怒,索求張良。張良變姓名,亡匿下邳,常閑從容步游下邳(泗)〔汜〕上,有一老父衣褐至良所,直墮其履(泗)〔汜〕下,顧謂張良:「孺子下取履。」良愕然,欲毆之,以其老,為強忍下取履,因跪進履。父以足受履,笑去。良大驚。父去里所復還,曰:「孺子可教矣。後五日平明,與我期此。」良怪之,因跪曰:「諾!」五日平明,良往,父已先在,怒曰:「與老人期,後,何也?去。後五日早會。」五日雞鳴復往,父又已先在,復怒曰:「後?何也?去,後五日復早來。」五日,良夜未半往,有頃,父來,喜曰:「當如是矣。」出一篇書,曰:「讀是則為帝者師。後十三年,子見我濟北,谷成山下黃石即我也。」遂去,無他言,弗復見。旦日視其書,乃《太公兵法》也。良因異之,習讀之。
留侯張良が秦の始皇を鉄槌で狙い、誤って供の車に当てたので、始皇は大いに怒り、張良を探させた。張良は姓名を変えて下邳に逃げ隠れ、いつも気ままにゆっくりと下邳の橋の上を歩いていた。あるとき一人の老父が粗末な衣を着て張良のいる所に来て、わざと履(くつ)を橋の下に落とし、振り向いて張良に言った。「若いの、下りて履を取ってこい。」張良は驚いて打とうとしたが、相手が老いているので、むりに我慢して下りて履を取り、ひざまずいて履を差し出した。老父は足で履を受け、笑って去った。張良はたいへん驚いた。老父は一里ほど行って引き返し、こう言った。「若いのは教えるに足る。五日後の夜明けに、ここで私と会おう。」張良は不思議に思ったが、ひざまずいて「かしこまりました」と言った。五日後の夜明けに張良が行くと、老父はすでに先に来ていて、怒って言った。「老人と約束しておいて遅れるとは、どういうことだ。帰れ。五日後に早く会おう。」五日後、鶏が鳴くころにまた行くと、老父はまたすでに先に来ていて、また怒って言った。「遅れたのか。どういうことだ。帰れ。五日後にもっと早く来い。」五日後、張良は夜半にならぬうちに行った。しばらくして老父が来て、喜んで言った。「こうあるべきだ。」そして一巻の書を出して言った。「これを読めば帝王の師となる。十三年の後、あなたは私を済北で見るだろう。谷成山の下の黄色い石が、すなわち私だ。」そのまま去り、ほかに何も言わず、二度と現れなかった。朝になってその書を見ると、『太公兵法』であった。張良はそれを不思議に思い、繰り返し読んで身につけた。
是何謂也?曰:是高祖將起,張良為輔之祥也。良居下邳任俠,十年陳涉等起,沛公略地下邳,良從,遂為師將,封為留侯。後十三年,(後)〔從〕高祖過濟北界,得谷成山下黃石,取而葆祠之。及留侯死,并葬黃石。蓋吉凶之象神矣,天地之化巧矣,使老父象黃石,黃石象老父,何其神邪?
これは何を言おうとしているのか。答える。これは高祖が立とうとするときに、張良が補佐となるという吉祥のきざしである。張良は下邳に住んで任俠のふるまいをしていたが、十年して陳涉たちが立ち、沛公が下邳の地を取ると、張良は従い、ついに師であり将となって、留侯に封じられた。十三年の後、高祖に従って済北の境を通り、谷成山の下で黄色い石を見つけ、持ち帰って宝として祀った。留侯が死ぬと、黄色い石もともに葬った。思うに吉凶のかたちは霊妙であり、天地のはたらきは巧みで、老父に黄色い石をまねさせ、黄色い石に老父をまねさせる。なんとも霊妙なことだ、というのである。
問曰:黃石審老父,老父審黃石耶?曰:石不能為老父,老父不能為黃石。妖祥之氣見,故驗也。何以明之?
問う。黄色い石が本当に老父で、老父が本当に黄色い石なのか。答える。石は老父になれず、老父は黄色い石になれない。怪しいきざしや吉祥の気が現れたので、そう当たっただけだ。どうしてそう言えるか。
晉平公之時,石言魏榆。平公問於師曠曰:「石何故言?」對曰:「石不能言,或憑依也。不然,民聽偏也。」
晋の平公の時、石が魏榆で口をきいた。平公が師曠に問うた。「石はどういうわけで口をきくのか。」答えた。「石は口をきけません。何かが憑いたのでしょう。そうでなければ、民の聞き方が偏ったのです。」
夫石不能人言,則亦不能人形矣。石言與始皇時石墜(車)〔東〕郡,民刻之,無異也。刻為文,言為辭。辭之與文,一實也。民刻文,氣發言。民之與氣,一性也。夫石不能自刻,則亦不能言。不能言,則亦不能為人矣。《太公兵法》,氣象之也。何以知非實也?以老父非人,知書亦非太公之書也。氣象生人之形,則亦能象太公之書。
そもそも石が人の言葉を話せないのなら、人の形にもなれない。石が口をきいたというのは、始皇の時に石が東郡に落ちて民がそれに刻んだのと変わりがない。刻めば文となり、話せば言葉となる。言葉と文とは同じ一つのことだ。民が文を刻み、気が言葉を出す。民と気とは同じ性のものだ。そもそも石が自分で刻めないのなら、話すこともできない。話せないのなら、人になることもできない。『太公兵法』は、気がそれをまねたものだ。実物でないと、どうして分かるのか。老父が人でないことから、その書も太公の書でないことが分かる。気が生きた人の形をまねるのなら、太公の書をまねることもできる。
問曰:氣無刀筆,何以為文?曰:魯惠公夫人仲子,生而有文在其掌,曰「為魯夫人」。晉唐叔虞文在其手曰「虞」。魯成季友文在其手曰「友」。三文之書,性自然;老父之書,氣自成也。性自然,氣自成,與夫童謠口自言無以異也。當童之謠也,不知所受,口自言之。口自言,文自成,或為之也。推此以省太公釣得巨魚,刳魚得書,云「呂尚封齊」,及武王得白魚,喉下文曰「以予發」,蓋不虛矣。因此復原《河圖》、《洛書》言光衰存亡,帝王際會,審有其文矣,皆妖祥之氣,吉凶之瑞也。
問う。気には刀も筆もないのに、何によって文を作るのか。答える。魯の恵公の夫人仲子は、生まれつきその手のひらに文があって「魯の夫人となる」とあった。晋の唐叔虞は文がその手にあって「虞」とあった。魯の成季友は文がその手にあって「友」とあった。この三つの文の字は、生まれつき自ずとそうなったものである。老父の書は、気が自ずと成したものである。生まれつき自ずとそうなり、気が自ずと成すのは、童歌が口から自ずと出てくるのと変わりがない。子どもが歌うとき、どこから受けたかも知らず、口から自ずと出てくる。口から自ずと出て、文が自ずと成るのだから、何かがそうさせているのだ。これを推して、太公が釣りをして大きな魚を得、魚を割いて書を得たところ「呂尚は斉に封じられる」とあったこと、また武王が白い魚を得たところ、のどの下の文に「発に与える」とあったことを考えてみれば、おそらく空ごとではない。これによってさらに『河図』『洛書』が栄えと衰え、存続と滅亡、帝王のめぐりあいを語ることを推せば、確かにその文はあるのであって、どれも怪しいきざしや吉祥の気であり、吉凶のしるしである。