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知実篇知實篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 25 · 漢字 4,009字 · 朗読 16.0分

論衡(虚と実を秤にかける書) 知實篇 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

凡論事者,違實不引效驗,則雖甘義繁說,眾不見信。論聖人不能神而先知,先知之間,不能獨見,非徒空說虛言,直以才智準況之工也。事有證驗,以效實然。何以明之?

およそ事を論ずる者が、実を外して証しを引かなければ、たとえ意味が甘く説が盛んでも、人々は信じない。聖人が神妙で先に知ることはできず、先に知るところで独りで見抜くことはできないと論じるのは、ただの空しい説や虚ろな言葉ではなく、まさに才と知でなぞらえはかる巧みさである。事に証と証しがあって、それで実際そうであることを明らかにする。どうしてそう言えるか。

孔子問公叔文子於公明賈曰:「信乎,夫子不言、不笑、不取,有諸?」對曰:「以告者過也。夫子時然後言,人不厭其言;樂然後笑,人不厭其笑;義然後取,人不厭其取。」孔子曰:「豈其然乎?豈其然乎?」天下之人,有如伯夷之廉,不取一芥於人,未有不言、不笑者也。孔子既不能如心揣度,以決然否,心怪不信,又不能達視遙見,以審其實,問公明賈乃知其情。孔子不能先知,一也。

孔子が公叔文子のことを公明賈に問うた。「まことか。あの方は語らず、笑わず、受け取らないという。そんなことがあるのか。」答えた。「お伝えした者が行きすぎたのです。あの方は時を得てから語るので、人はその言葉を厭がりません。楽しくなってから笑うので、人はその笑いを厭がりません。義にかなってから受け取るので、人はその受け取りを厭がりません。」孔子は言った。「どうしてそんなことがあろう。どうしてそんなことがあろう。」天下の人に、伯夷の清廉さのように人から芥子一粒も受け取らない者はあっても、語らず笑わない者はいなかった。孔子はすでに心ではかって、そうかそうでないかを決められず、心に怪しんで信じなかった。また通し見、遠く見てその実を見きわめることもできず、公明賈に問うてはじめてその実情を知った。孔子が先に知ることができない証し、その一つめである。

陳子禽問子貢曰:「夫子至於是邦也,必聞其政。求之與?抑與之與?」子貢曰:「夫子溫良恭儉讓以得之。」溫良恭儉讓,尊行也。有尊行於人,人親附之。人親附之,則人告語之矣。然則孔子聞政以人言,不神而自知之也。齊景公問子貢曰:「夫子賢乎?」子貢對曰:「夫子乃聖,豈徒賢哉!」景公不知孔子聖,子貢正其名。子禽亦不知孔子所以聞政,子貢定其實。對景公雲「夫子聖,豈徒賢哉」,則其對子禽,亦當雲「神而自知之,不聞人言」。以子貢對子禽言之,聖人不能先知,二也。

陳子禽が子貢に問うた。「あの方はどの国に至ってもその国の政を必ず聞かれる。求めてのことか、それとも向こうが伝えるのか。」子貢は言った。「あの方は温かく、良く、恭しく、つつましく、譲ることでそれを得られるのだ。」温かく良く恭しくつつましく譲ることは、尊いふるまいである。尊いふるまいが人にあれば、人は親しみ寄る。人が親しみ寄れば、人がそれを告げ語る。であれば孔子が政を聞いたのは人の言葉によるのであって、神妙で自ずと知ったのではない。斉の景公が子貢に問うた。「あの方は賢いのか。」子貢は答えた。「あの方は聖です。どうしてただ賢いだけでしょう。」景公が孔子が聖であることを知らなかったので、子貢はその名を正した。子禽もまた孔子が政を聞ける理由を知らなかったので、子貢はその実を定めた。景公に答えて「あの方は聖です。どうしてただ賢いだけでしょう」と言ったのなら、子禽に答えるときも「神妙で自ずと知り、人の言葉は聞かない」と言うべきだった。子貢が子禽に答えたことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その二つめである。

顏淵炊飯,塵落甑中,欲置之則不清,投地則棄飯,掇而食之。孔子望見以為竊食。聖人不能先知,三也。

顔淵が飯を炊いているとき、塵が甑(こしき)の中に落ちた。そのままにすれば清くないし、地に捨てれば飯を捨てることになるので、つまんで食べた。孔子は遠くから見て、こっそり食べているのだと思った。聖人が先に知ることができない、その三つめである。

塗有狂夫,投刃而候;澤有猛虎,厲牙而望。知見之者,不敢前進。如不知見,則遭狂夫之刃,犯猛虎之牙矣。匡人之圍孔子,孔子如審先知,當早易道,以違其害。不知而觸之,故遇其患。以孔子圍言之,聖人不能先知,四也。

道に狂った男がいて刃を振りかざして待ち構え、沢に荒い虎がいて牙を研いで見張っている。それを知り見た者は、あえて前へ進まない。知らず見なければ、狂った男の刃に遭い、荒い虎の牙に触れる。匡の人が孔子を囲んだとき、孔子がほんとうに先に知っていたなら、早くに道を変えてその害を避けるべきだった。知らずにそこに踏み込んだので、その患いに遭ったのだ。孔子が囲まれたことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その四つめである。

子畏於匡,顏淵後,孔子曰:「吾以汝為死矣。」如孔子先知,當知顏淵必不觸害,匡人必不加悖。見顏淵之來,乃知不死;未來之時,謂以為死。聖人不能先知,五也。

先生が匡で危うかったとき、顔淵が遅れたので、孔子は言った。「私はおまえが死んだと思った。」孔子が先に知っていたなら、顔淵が必ず害に遭わず、匡の人が必ず逆らいを加えないと知るはずだった。顔淵が来るのを見てはじめて死んでいないと知り、来る前は死んだと思っていた。聖人が先に知ることができない、その五つめである。

陽貨欲見孔子,孔子不見,饋孔子豚。孔子時其亡也,而往拜之,遇諸塗。孔子不欲見,既往,候時其亡,是勢必不欲見也。反,遇於路。以孔子遇陽虎言之,聖人不能先知,六也。

陽貨が孔子に会おうとしたが孔子が会わなかったので、孔子に豚を贈った。孔子は彼が留守のときを見はからって出向いて礼を言おうとしたが、道で彼に出会ってしまった。孔子は会いたくなかったので、出向くにしても彼の留守の時を待った。これは事の勢いとして必ず会いたくなかったということだ。ところが帰る道で出会った。孔子が陽虎に出会ったことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その六つめである。

長沮、桀溺偶而耕。孔子過之,使子路問津焉。如孔子知津,不當更問。論者曰:「欲觀隱者之操」。則孔子先知,當自知之,無為觀也。如不知而問之,是不能先知,七也。

長沮と桀溺が二人連れで耕していた。孔子はそこを通り、子路に渡し場を尋ねさせた。孔子が渡し場を知っていたなら、わざわざ尋ねるべきでない。論ずる者は「隠れた者の節操を見ようとしたのだ」という。それなら孔子が先に知っていたなら自分で分かるはずで、見る必要はない。知らずに尋ねたのなら、これは先に知ることができないということだ。その七つめである。

孔子母死,不知其父墓,殯於五甫之衢。人見之者,以為葬也。蓋以無所合葬,殯之謹,故人以為葬也。鄰人鄒曼甫之母告之,然後得合葬於防。有塋自在防,殯於衢路,聖人不能先知,八也。

孔子の母が死んだとき、その父の墓が分からず、五甫の辻に殯(かりもがり)した。それを見た人は、葬っているのだと思った。おそらく合わせて葬る所がなく、殯を慎んで行ったので、人が葬りだと思ったのだ。隣の人、鄒曼甫の母が教えてくれて、はじめて防に合わせて葬ることができた。墓はちゃんと防にあるのに、辻に殯したのだから、聖人が先に知ることはできない。その八つめである。

既得合葬,孔子反,門人後,雨甚至。孔子問曰:「何遲也?」曰:「防墓崩。」孔子不應。孔子泫然流涕曰:「吾聞之,古不修墓。」如孔子先知,當先知防墓崩,比門人至,宜流涕以俟之。〔門〕人至乃知之,聖人不能先知,九也。

合わせて葬ることができて孔子が帰るとき、門人が遅れ、雨がひどく降った。孔子が問うた。「どうして遅れたのか。」答えた。「防の墓が崩れたのです。」孔子は返事をしなかった。孔子は涙を流してこう言った。「私はこう聞いている。昔は墓を修めなかった。」孔子が先に知っていたなら、防の墓が崩れることを先に知って、門人が着くまでに涙を流して待っているべきだった。門人が着いてはじめて知ったのだから、聖人が先に知ることはできない。その九つめである。

子入太廟,每事問。不知故問,為人法也。孔子未嘗入廟,廟中禮器,眾多非一。孔子雖聖,何能知之?□□□:「以嘗見,實已知,而復問,為人法。」孔子曰:「疑思問。」疑乃當問也?實已知,當複問,為人法。孔子知《五經》,門人從之學,當複行問,以為人法,何故專口授弟子乎?不以已知《五經》,復問為人法,獨以已知太廟復問為人法,聖人用心,何其不一也?以孔子入太廟言之,聖人不能先知,十也。

先生が太廟に入って、事ごとに尋ねた。知らないから尋ねたのであって、人の手本となるためである。孔子はそれまで廟に入ったことがなく、廟の中の礼の器は多くて一つではない。孔子が聖であっても、どうしてそれを知りえよう。ある人は言う。「以前に見て実はすでに知っていながら、改めて尋ねたのは、人の手本となるためだ。」孔子は言った。「疑わしければ問うことを思え。」疑わしくてはじめて問うべきなのか。実はすでに知っていながら、改めて問うて人の手本となるのだとすれば、孔子は『五経』を知っていて門人がそれに従って学んだのだから、やはり改めて問うて人の手本とすべきで、どういうわけで口伝えで弟子に授けるばかりだったのか。すでに知っている『五経』については改めて問うて人の手本としないのに、すでに知っている太廟についてだけ改めて問うて人の手本とするのは、聖人の心の使い方として、なんとも一貫しない。孔子が太廟に入ったことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その十番めである。

主人請賓飲食,賓頓若捨。賓如聞其家有輕子〔泊〕孫,必教親徹饌退膳,不得飲食;閉館關舍,不得頓〔賓〕。賓之執計,則必不往。何則?知請呼無喜,空行勞辱也。如往無喜,勞辱復還,不知其家,不曉其實。人實難知,吉凶難圖。如孔子先知,宜知諸侯惑於讒臣,必不能用,空勞辱己,聘召之到,宜寢不往。君子不為無益之事,不履辱身之行。無為周流應聘,以取削蹟之辱;空說非主,以犯絕糧之厄。由此言之,近不能知。論者曰:「孔子自知不用,聖思閔道不行,民在塗炭之中,庶幾欲佐諸侯,行道濟民,故應聘周流,不避患恥。為道不為己,故逢患而不惡。為民不為名,故蒙謗而不避。」曰:此非實也。孔子曰:「吾自衛反魯,然後樂正,雅頌各得其所。」是謂孔子自知時也。何以自知?魯、衛,天下最賢之國也。魯、衛不能用己,則天下莫能用己也,故退作《春秋》,刪定《詩》、《書》。以自衛反魯言之,知行應聘時,未自知也。何則?無兆象效驗,聖人無以定也。魯、衛不能用,自知極也;魯人獲麟,自知絕也。道極命絕,兆象著明,心懷望沮,退而幽思。夫周流不休,猶病未死,禱卜使痊也;死兆未見,冀得活也。然則應聘,未見絕證,冀得用也。死兆見舍,卜還醫絕,攬筆定書。以應聘周流言之,聖人不能先知,十一也。

主人が客に飲み食いを勧めれば、客はしばらくいて切り上げる。もし客が、その家に軽はずみな子や薄情な孫がいて、必ず親に言って食事を下げさせ膳を引かせて飲み食いさせず、客間を閉ざし家を鎖して客を泊まらせないと聞いていたなら、客は考えをめぐらせて必ず行かないだろう。なぜか。招かれても喜びがなく、むなしく出かけて骨折り損の恥をかくと分かっているからだ。行って喜びがなく、骨折って恥をかいて帰ってくるのは、その家を知らず、その実情を分かっていないからだ。人はまことに知りがたく、吉凶ははかりがたい。孔子が先に知っていたなら、諸侯が讒言する臣に惑わされて必ず自分を用いられず、むなしく自分を骨折らせ恥をかかせるだけだと知って、招きや召しが来てもやめて行かないべきだった。君子は益のない事をせず、身を辱める行いを踏まない。あちこち巡って招きに応じて跡を削られる恥を受け、君でない者にむなしく説いて糧が絶える厄に遭うことはない。これによって言えば、近いことも知ることができない。論ずる者は言う。「孔子は自分が用いられないと分かっていたが、聖なる思いとして道が行われず民が泥と炭の中にいることを哀れみ、できるなら諸侯を助けて道を行い民を救いたかったので、招きに応じてあちこち巡り、患いや恥を避けなかった。道のためで自分のためではなかったので、患いに遭っても厭わなかった。民のためで名のためではなかったので、そしりを受けても避けなかった。」答える。これは実ではない。孔子は言った。「私が衛から魯に帰って、はじめて楽が正され、雅と頌がそれぞれその所を得た。」これは孔子が自分で時を知ったことをいう。何によって自分で知ったのか。魯と衛は天下で最も賢い国である。魯と衛が自分を用いられないなら、天下に自分を用いられる者はない。だから退いて『春秋』を作り、『詩』『書』を削って定めたのだ。衛から魯に帰ったことで言えば、巡って招きに応じていたときには、まだ自分で分かっていなかったと分かる。なぜか。きざしやかたちや証しがなければ、聖人も定めようがないからだ。魯と衛が用いられなかったので、自分で極まったと知り、魯の人が麟を得たので、自分で絶えると知った。道が極まり命が絶え、きざしとかたちがはっきり明らかになったので、心に望みが折れ、退いて深く思いにしずんだ。そもそもあちこち巡って休まないのは、病んでまだ死んでいないので、祈り占って治そうとするのと同じだ。死のきざしがまだ見えないので、生きられることを願うのである。であれば招きに応じたのは、まだ絶える証しを見ていなくて、用いられることを願ったのである。死のきざしが見えれば捨て、占いをやめ医者を断ち、筆を取って書を定める。招きに応じてあちこち巡ったことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その十一めである。

孔子曰:「遊者可為綸。走這可為矰。至於龍,吾不知,其乘雲風上升。今日見老子,其猶龍邪!」聖人知物知事。老子與龍,人、物也,所從上下,事也,何故不知?如老子神,龍亦神,聖人亦神。神者同道,精氣交連,何故不知?以孔子不知龍與老子言之,聖人不能先知,十二也。

孔子は言った。「泳ぐものは釣り糸でとらえられる。走るものは矰(いぐるみ)でとらえられる。竜になると私には分からない。雲と風に乗って昇っていく。きょう老子に会ったが、まるで竜のようだ。」聖人は物を知り事を知る。老子と竜は人と物であり、それに従って上り下りするのは事である。どういうわけで分からないのか。老子が神妙なら竜も神妙で、聖人も神妙である。神妙な者は道を同じくし、精気が互いに通じるのに、どういうわけで分からないのか。孔子が竜と老子を分からなかったことで言えば、聖人が先に知ることはできない。その十二めである。

孔子曰:「孝哉,閔子騫!人不間於其父母昆弟之言。」虞舜大聖,隱藏骨肉之過,宜愈子騫。瞽叟與象,使舜治稟、浚井,意欲殺舜。當見殺己之情,早諫豫止。既無如何,宜避不行,若病不為。何故使父與弟得成殺己之惡,使人聞非父弟,萬世不滅?以虞舜不豫見,聖人不能先知,十三也。

孔子は言った。「孝であることよ、閔子騫は。人はその父母や兄弟の言葉に異を立てられない。」虞舜は大いなる聖人だから、骨肉の過ちを隠すことは子騫より上であるはずだ。瞽叟と象は、舜に蔵を修めさせ井戸をさらわせて、舜を殺そうとした。自分を殺そうとする気持ちを見て、早く諫めてあらかじめやめさせるべきだった。すでにどうにもならないのなら、避けて行かず、病気のふりでもしてやらないべきだった。どういうわけで父と弟に自分を殺そうとする悪を成させ、人に父と弟をそしる声を聞かせて、万代ののちまで消えないようにしたのか。虞舜があらかじめ見抜けなかったことから、聖人が先に知ることはできない。その十三めである。

武王不豫,周公請命,壇墠既設,筴祝已畢,不知天之許己與不,乃卜三龜,三龜皆吉。如聖人先知,周公當知天已許之,無為頓復卜三龜。知聖人不以獨見立法,則更請命,秘藏不見,天意難知,故卜而合兆,兆決心定,乃以從事。聖人不能先知,十四也。

武王が心地よくなかったとき、周公が命を願い、壇と地ならしがすでに設けられ、札での祈りがもう終わったのに、天が自分に許すかどうかが分からず、そこで三つの亀で占い、三つの亀がみな吉と出た。聖人が先に知るなら、周公は天がすでに許したと知るはずで、改めて三つの亀で占う必要はない。聖人が自分独りの見立てで法を立てないことを思えば、改めて命を願ったのも、秘めて隠して見せないのであり、天の意は知りがたいので、占ってきざしに合わせ、きざしが決まって心が定まってはじめて事に取りかかるのだ。聖人が先に知ることはできない。その十四めである。

晏子聘於魯,堂上不趨,晏子趨;授玉不跪。晏子跪。門人怪而問於孔子。孔子不知,問於晏子。晏子解之,孔子乃曉。聖人不能先知,十五也。

晏子が魯に訪問したとき、堂の上では小走りしないものなのに晏子は小走りし、玉を授けるときはひざまずかないものなのに晏子はひざまずいた。門人が怪しんで孔子に問うた。孔子は分からず、晏子に問うた。晏子が説き明かすと、孔子はやっと分かった。聖人が先に知ることはできない。その十五めである。

陳賈問於孟子曰:「周公何人也?」曰:「聖人。」「使管叔監殷,管叔畔也。二者有諸?」曰:「然。」「周公知其畔而使,不知而使之與?」曰:「不知也。」「然則聖人且有過與?」曰:「周公,弟也,管叔,兄也。周公之過也,不亦宜乎!」孟子,實事之人也,言周公之聖,處其下,不能知管叔之畔。聖人不能先知,十六也。

陳賈が孟子に問うた。「周公はどういう人ですか。」答えた。「聖人である。」「管叔に殷を監させて、管叔が背きました。この二つはどちらもあったのですか。」答えた。「そうだ。」「周公はその背くことを知って任せたのですか、知らずに任せたのですか。」答えた。「知らなかったのだ。」「それでは聖人にも過ちがあるのですか。」答えた。「周公は弟であり、管叔は兄である。周公の過ちも、もっともなことではないか。」孟子は実の事をわきまえた人で、周公は聖でありながらその下の立場にいて、管叔の背きを知ることができなかったと言ったのだ。聖人が先に知ることはできない。その十六めである。

孔子曰:「賜不受命,而貨殖焉,億則屢中。」罪子貢善居積,意貴賤之期,數得其時,故貨殖多,富比陶硃。然則聖人先知也,子貢億數中之類也。聖人據象兆,原物類,意而得之。其見變名物,博學而識之。巧商而善意,廣見而多記,由微見較,若揆之今睹千載,所謂智如淵海。孔子見竅睹微,思慮洞達,材智兼倍,強力不倦,超逾倫等耳!目非有達視之明,知人所不知之狀也。使聖人達視遠見,洞聽潛聞,與天地談,與鬼神言,知天上地下之事,乃可謂神而先知,與人卓異。今耳目聞見,與人無別,遭事睹物,與人無異,差賢一等爾,何以謂神而卓絕?

孔子は言った。「賜(し)は命を受けずに財を増やし、見込みを立てればしばしば当たる。」これは子貢が蓄えるのが巧みで、値の高下の時期を読み、しばしばその時を当てたので、財が多く増え、富が陶朱に並んだことをとがめたのである。であれば聖人が先に知るというのは、子貢が見込みを立てて当てるのと同じたぐいだ。聖人はかたちやきざしに拠り、物のたぐいをたどって、考えてそれを得る。変わったものを見て物を言い当てるのは、広く学んで覚えているからだ。巧みにはかってよく考え、広く見て多く覚え、小さなものから明らかなものを見るので、いまをはかって千年先を見るようであり、いわゆる「知が淵や海のよう」なのである。孔子は穴を見、小さなものを見て、思いが行きわたり、才と知が人の倍あり、努めて怠らず、仲間をはるかに越えていただけだ。目に通し見る明るさがあって、人の知らないありさまを知ったのではない。聖人が通し見遠く見、通し聞き隠れたものを聞き、天地と語り鬼神と話して、天の上と地の下の事を知るというのなら、たしかに神妙で先に知り、人とまるで違うと言ってよい。ところが耳と目で聞き見ることは人と変わりなく、事に出合い物を見ることも人と変わりなく、賢い者と一段の差があるだけなのに、どうして神妙でぬきんでているというのか。

夫聖猶賢也,人之殊者謂之聖,則聖賢差小大之稱,非絕殊之名也。何以明之?齊桓公與管仲謀伐莒,謀未發而聞於國,桓公怪之,問管仲曰:「與仲甫謀伐莒,未發,聞於國,其故何也?」管仲曰:「國必有聖人也。」少頃,當東郭牙至。管仲曰:「此必是已。」乃令賓延而上之,分級而立。管〔仲〕曰:「子邪,言伐莒?」對曰:「然。」管仲曰:「我不伐莒,子何故言伐莒?」對曰:「臣聞君子善謀,小人善意。臣竊意之。」管仲曰:「我不言伐莒,子何以意之?」對曰:「臣聞君子有三色:驩然喜樂者,鐘鼓之色;愁然清淨者,衰絰之色;怫然充滿手足者,兵革之色。君口垂不〔吟〕,所言莒也;君舉臂而指,所當又莒也。臣竊虞國小諸侯不服者,其唯莒乎!臣故言之。」夫管仲,上智之人也,其別物審事矣。雲「國必有聖人」者,至誠謂國必有也。東郭牙至,雲「此必是已」,謂東郭牙聖也。如賢與聖絕輩,管仲知時無十二聖之黨,當雲「國必有賢者」,無為言聖也。謀未發而聞於國,管仲謂「國必有聖人」,是謂聖人先知也。及見東郭牙,雲「此必是已」,謂賢者聖也。東郭牙知之審,是與聖人同也。

そもそも聖は賢と同じで、人のなかでとくに優れた者を聖というのだから、聖と賢は大小の差の呼び名であって、まるで別だという名ではない。どうしてそう言えるか。斉の桓公が管仲と莒を討つことを謀り、謀がまだ発せられていないのに国に知れ渡ったので、桓公は怪しんで管仲に問うた。「仲甫と莒を討つことを謀り、まだ発していないのに国に知れた。その理由は何か。」管仲は言った。「国に必ず聖人がおります。」しばらくして、ちょうど東郭牙が来た。管仲は言った。「これが必ずその人でしょう。」そこで客として迎えて上がらせ、段を分けて立った。管仲は言った。「あなたか、莒を討つと言ったのは。」答えた。「そうです。」管仲は言った。「私は莒を討つと言っていない。あなたはどういうわけで莒を討つと言ったのか。」答えた。「わたくしの聞くところ、君子は謀るのが巧みで、小人は察するのが巧みだといいます。わたくしがひそかに察したのです。」管仲は言った。「私は莒を討つと言っていないのに、あなたは何によって察したのか。」答えた。「わたくしの聞くところ、君子に三つの色があります。うれしく楽しげなのは鐘や鼓の色、憂えて静かなのは喪服の色、いきり立って手足にあふれるのは兵と甲の色です。君の口は垂れて閉じきらず、口にしたのは莒でした。君が腕を挙げて指し、向いたのもまた莒でした。わたくしがひそかにはかりますに、小さな諸侯で服していない国は、ただ莒だけです。それでわたくしは言ったのです。」そもそも管仲は上の知の人であって、物を分け事を見きわめることが確かだった。「国に必ず聖人がいる」と言ったのは、まことに国に必ずいると言ったのである。東郭牙が来たとき「これが必ずその人だ」と言ったのは、東郭牙が聖人だと言ったのである。賢と聖が別の仲間だというなら、管仲はその時に十二人の聖人の仲間などいないことを知っているのだから、「国に必ず賢者がいる」と言うべきで、聖人を言う必要はない。謀がまだ発していないのに国に知れたので、管仲が「国に必ず聖人がいる」と言ったのは、聖人が先に知るということだ。東郭牙を見て「これが必ずその人だ」と言ったのは、賢者が聖人だということだ。東郭牙が知ったことは確かで、これは聖人と同じである。

客有見淳于髡於梁惠王者,再見之,終無言也。惠王怪之,以讓客曰:「子之稱淳於生,言管、晏不及。及見寡人,寡人未有得也。寡人未足為言邪?」客謂髡。〔髡〕曰:「固也!吾前見王志在遠,後見王志在音,吾是以默然。」客具報,王大駭曰:「嗟乎!淳於生誠聖人也?前淳於生之來,人有獻龍馬者,寡人未及視,會生至。後來,人有獻謳者,為及試,亦會生至。寡人雖屏左右,私心在彼。」夫髡之見惠王在遠與音也,雖湯、禹之察,不能過也。志在胸臆之中,藏匿不見,髡能知之。以髡等為聖,則髡聖人也。如以髡等非聖,則聖人之知,何以過髡之知惠王也?觀色以窺心,皆有因緣以準的之。

客として淳于髠を梁の恵王に会わせた者がいて、二度会わせたが、ついに髠は何も言わなかった。恵王は怪しんで客をとがめて言った。「あなたは淳于先生をほめて、管仲や晏子も及ばないと言った。だが寡人に会っても、寡人は得るものがなかった。寡人は語るに足りないのか。」客が髠にそれを伝えると、髠は言った。「もとよりだ。私が先に王に会ったときは、その志が遠くにあり、後に王に会ったときは、その志が音楽にあった。それで私は黙っていたのだ。」客がくわしく申し上げると、王は大いに驚いて言った。「ああ、淳于先生はまことに聖人だ。先に淳于先生が来たとき、竜馬を献じた者があって、寡人はまだそれを見ていなくて、ちょうど先生が来た。後に来たときは、歌う者を献じた者があって、まだ試していなくて、やはりちょうど先生が来た。寡人は左右を退けていたが、内心はそちらにあった。」そもそも髠が恵王の心が遠くと音楽にあることを見抜いたのは、湯や禹の察しでも越えられない。志は胸の内にあって、隠れて見えないのに、髠はそれを知れた。髠のような者を聖人とするなら、髠は聖人である。髠のような者を聖人でないとするなら、聖人の知は、どうして髠が恵王を知ったことを越えるのか。顔色を見て心をうかがうのは、どれも手がかりがあって、それで狙いを定めるのだ。

楚靈王會諸侯,鄭子產曰:「魯、邾、宋、衛不來。」及諸侯會,四國果不至。趙堯為符璽御史,趙人方與公謂御史大夫周昌曰:「君之史趙堯且代君位。」其後堯果為御史大夫。然則四國不至,子產原其理也;趙堯之為御史大夫,方與公睹其狀也。原理睹狀,處著方來,有以審之也。魯人公孫臣,孝文皇帝時,上書言漢土德,其符黃龍當見。後黃龍見成紀。然則公孫臣知黃龍將出,案律曆以處之也。

楚の霊王が諸侯を集めたとき、鄭の子産は言った。「魯・邾・宋・衛は来ないだろう。」諸侯が集まったとき、四つの国はたしかに来なかった。趙堯が符璽御史となったとき、趙の人の方与公が御史大夫の周昌に言った。「あなたの属吏の趙堯が、やがてあなたの位に代わるでしょう。」その後、堯はたしかに御史大夫となった。であれば四つの国が来なかったことは、子産がその理をたどったのであり、趙堯が御史大夫になったことは、方与公がそのありさまを見たのである。理をたどりありさまを見て、これから来ることをさばいて言い当てるのは、見きわめる手がかりがあるからだ。魯の人の公孫臣は、孝文皇帝の時に上書して、漢は土の徳であり、そのしるしとして黄竜が現れるはずだと言った。後に黄竜が成紀に現れた。であれば公孫臣が黄竜がこれから出ると知ったのは、律と暦を調べてさばいたのである。

賢聖之知,事宜驗矣。賢聖之才,皆能先知;其先知也,任術用數,或善商而巧意,非聖人空知。神怪與聖賢,殊道異路也。聖賢知不逾,故用思相出入;遭事無神怪,故名號相貿易。故夫賢聖者,道德智能之號;神者,眇茫恍惚無形之實。實異,質不得同;實鈞,效不得殊。聖神號不等,故謂聖者不神,神者不聖。東郭牙善意,以知國情,子貢善意,以得貨利。聖人之先知,子貢、東郭牙之徒也。與子貢、東郭同,則子貢、東郭之徒亦聖也。夫如是,聖賢之實同而名號殊,未必才相懸絕,智相兼倍也。

賢い者や聖人の知は、事に照らして証しがあるはずだ。賢い者や聖人の才は、どれも先に知ることができる。その先に知ることは、術に任せ数を用いるか、あるいは巧みにはかって巧みに考えるのであって、聖人が何もなしに知るのではない。神妙で怪しいものと賢聖とは、道も路も違う。賢聖の知は越えたものではないので、思いの使い方が行き合い、事に出合っても神妙で怪しいことがないので、その名や号が互いに入れ替わる。だから賢聖とは道徳と知と能の号であり、神とは、はるかにぼんやりとして形のない実である。実が違えば質は同じではありえず、実が同じなら働きは違いえない。聖と神の号は等しくないので、聖なる者は神妙でなく、神妙な者は聖でないという。東郭牙は察するのが巧みで国の実情を知り、子貢は察するのが巧みで財と利を得た。聖人が先に知るというのは、子貢や東郭牙のたぐいである。子貢や東郭と同じなら、子貢や東郭のたぐいもまた聖人である。こうであるから、賢聖の実は同じで名や号が違うだけで、必ずしも才がかけ離れ、知が倍あるというわけではない。

太宰問於子貢曰:「夫子聖者歟?何其多能也!」子貢曰:「故天縱之將聖,又多能也。」將者,且也。不言已聖,言且聖者,以為孔子聖未就也。夫聖若為賢矣,治行厲操,操行未立,則謂且賢。今言且聖,聖可為之故也。孔子曰:「吾十有五而志於學,三十而立,四十而不惑,五十而知天命,六十而耳順。」從知天命至耳順,學就知明,成聖之驗也。未五十、六十之時,未能知天命、至耳順也,則謂之「且」矣。當子貢答太宰時,殆三十、四十之時也。

太宰が子貢に問うた。「あの方は聖人なのか。どうしてあれほど多能なのか。」子貢は言った。「もとより天が許してやがて聖となられるのであり、また多能なのだ。」「将」とは「やがて」である。すでに聖だと言わず、やがて聖だと言ったのは、孔子の聖がまだ成っていないと考えたからだ。そもそも聖が賢と同じであるなら、行いを修め節操を磨いて、節操と行いがまだ立っていなければ、やがて賢だという。いまやがて聖だと言ったのは、聖になれるからである。孔子は言った。「私は十五で学に志し、三十で立ち、四十で惑わず、五十で天命を知り、六十で耳が順(すなお)になった。」天命を知ることから耳が順になることに至るのは、学が成り知が明らかになって、聖を成した証しである。まだ五十、六十の時でなければ、まだ天命を知り耳が順になるには至っていないので、「やがて」というのだ。子貢が太宰に答えたときは、おそらく三十、四十のころである。

魏昭王問於田詘曰:「寡人在東宮之時,聞先生之議曰『為聖易』有之乎?」田詘對曰:「臣之所學也。」昭王曰:「然則先生聖乎?」田詘曰:「未有功而知其聖者,堯之知舜也。待其有功而後知聖者,市人之知舜也。今詘未有功,而王問詘曰:「若聖乎?敢問王亦其堯乎?」夫聖可學為,故田詘謂之易。如卓與人殊,稟天性而自然,焉可學?而為之安能成?田詘之言「為聖易」,未必能成,田詘之言為易,未必能是;言「臣之所學」,蓋其實也。

魏の昭王が田詘に問うた。「寡人が東宮にいたとき、先生の議論に『聖となるのはやさしい』とあったと聞いたが、そんなことがあったか。」田詘は答えた。「わたくしが学んだところです。」昭王は言った。「それでは先生は聖なのか。」田詘は言った。「まだ功がないのにその聖であることを知ったのは、堯が舜を知ったことです。その功があるのを待ってはじめて聖だと知るのは、市の人が舜を知ったことです。いま詘にはまだ功がないのに、王が詘に『そなたは聖か』とお問いになる。あえて伺いますが、王もまた堯なのですか。」そもそも聖は学んで成れるので、田詘はやさしいと言ったのだ。ぬきんでて人と違い、天の性を受けて自然にそうなのだとしたら、どうして学べよう。やってみたところで、どうして成れよう。田詘の「聖となるのはやさしい」という言葉は、必ず成し遂げられるものではなく、田詘がやさしいと言ったことも必ず正しいわけではないが、「わたくしが学んだところです」と言ったのは、おそらくその実である。

〔聖〕可學,為勞佚殊,故賢聖之號,仁智共之。子貢問於孔子:「夫子聖矣乎?」孔子曰:「聖則吾不能。我學不饜,而教不倦。」子貢曰:「學不饜者,智也;教不倦者,仁也。仁且智,夫子既聖矣。」由此言之,仁智之人,可謂聖矣。孟子曰:「子夏、子遊、子張得聖人之一體,冉牛、閔子騫、顏淵具體而微。」六子在其世,皆有聖人之才,或頗有而不具,或備有而不明,然皆稱聖人,聖人可勉成也。孟子又曰:「非其君不事,非其民不使,治則進,亂則退,伯夷也。何事非君,何使非民,治亦進,亂亦進,伊尹也。可以仕則仕,可以已則已,可以久則久,可以速則速,孔子也。皆古之聖人也。」又曰:「聖人,百世之師也,伯夷、柳下惠是也。故聞伯夷之風者,頑夫廉,懦夫有立志;聞柳下惠之風者,薄夫敦,鄙夫寬。奮乎百世之上,百世之下聞之者,莫不興起,非聖而若是乎?而況親炙之乎?」夫伊尹、伯夷、柳下惠不及孔子,而孟子皆曰「聖人」者,賢聖同類,可以共一稱也。宰予曰:「以予觀夫子,賢於堯、舜遠矣。」孔子聖,宜言聖於堯、舜,而言賢者,聖賢相出入,故其名稱相貿易也。

聖は学べるが、労と楽は違うので、賢聖の号は仁と知のある者がともにする。子貢が孔子に問うた。「あの方は聖ですか。」孔子は言った。「聖なら私はできない。私は学んで厭きず、教えて倦まないだけだ。」子貢は言った。「学んで厭きないのは知です。教えて倦まないのは仁です。仁であって知であるなら、先生はすでに聖です。」これによって言えば、仁と知のある人は聖といってよい。孟子は言った。「子夏・子游・子張は聖人の一部を得、冉牛・閔子騫・顔淵は全体を備えているが小さい。」この六人はその世にあって、どれも聖人の才があり、かなり備えていても完全でない者、備えていても明らかでない者があったが、それでもみな聖人と称された。聖人は努めて成れるのである。孟子はまた言った。「その君でなければ仕えず、その民でなければ使わず、治まれば進み、乱れれば退くのが伯夷である。どれに仕えても君でないことはなく、どれを使っても民でないことはないとして、治まっても進み、乱れても進むのが伊尹である。仕えるべきなら仕え、やめるべきならやめ、長くすべきなら長くし、速くすべきなら速くするのが孔子である。どれも古の聖人である。」また言った。「聖人は百代の師である。伯夷と柳下恵がそれだ。だから伯夷の風を聞く者は、頑なな男も清廉になり、弱い男も志を立てる。柳下恵の風を聞く者は、薄情な男も情が厚くなり、卑しい男も寛くなる。百代の上で奮い立ち、百代の下でそれを聞く者が立ち上がらないことがない。聖でなければ、こんなことがあろうか。まして身近にその感化を受けるならなおさらだ。」そもそも伊尹・伯夷・柳下恵は孔子に及ばないのに、孟子がみな「聖人」といったのは、賢と聖が同じたぐいで、一つの呼び名をともにできるからである。宰予は言った。「私が先生を見たところ、堯や舜よりはるかに賢い。」孔子は聖なのだから、堯や舜より聖だと言うべきなのに、賢だと言ったのは、聖と賢が互いに行き合うので、その名や呼び名が互いに入れ替わるからである。