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対作篇對作篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 8 · 漢字 2,342字 · 朗読 9.4分

論衡(虚と実を秤にかける書) 對作篇 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

或問曰:「賢聖之空生,必有以用其心。上自孔、墨之黨,下至苟、孟之徒,教訓必作垂文。何也?」

ある人が問う。「賢く聖なる人がむなしく生まれるわけではなく、必ずその心を使うところがある。上は孔子や墨子の仲間から、下は荀子や孟子の輩に至るまで、教えを説くのに必ず文を書き残すのは、どういうわけか。」

對曰:聖人作經,藝者傳記,匡濟薄俗,驅民使之歸實誠也。案六略之書,萬三千篇,增善消惡,割截橫拓,驅役遊慢,期便道善,歸政道焉。孔子作《春秋》,周民弊也。故採求毫毛之善,貶纖介之惡,撥亂世,反諸正,人道浹,王道備,所以檢押靡薄之俗者,悉具密致。夫防決不備,有水溢之害;網解不結,有獸失之患。是故周道不弊,則民不文薄;民不文薄,《春秋》不作。楊、墨之學不亂〔儒〕義,則孟子之傳不造;韓國不小弱,法度不壞廢,則韓非之書不為;高祖不辨得天下,馬上之計未轉,則陸賈之語不奏;眾事不失實,凡論不壞亂,則桓譚之論不起。故夫賢聖之興文也,起事不空為,因因不妄作。作有益於化,化有補於正。故漢立蘭台之官,校審其書,以考其言。董仲舒作道術之書,頗言災異政治所失,書成文具,表在漢室。主父偃嫉之,誣奏其書。天子下仲舒於吏,當謂之下愚。仲舒當死,天子赦之。夫仲舒言災異之事,孝武猶不罪而尊其身,況所論無觸忌之言,核道實之事,收故實之語乎!故夫賢人之在世也,進則盡忠宣化,以明朝廷;退則稱論貶說,以覺失俗。俗也不知還,則立道輕為非;論者不追救,則迷亂不覺悟。

答える。聖人が経を作り、才ある者が伝記を作るのは、薄くなった俗を正し救い、民を駆り立てて実のまことに帰らせるためである。調べてみれば、六略の書一万三千篇は、善を増し悪を消し、横に広がるものを切り断ち、遊び怠る者を駆り使って、道の善に向かうことを期し、政の道に帰させるものである。孔子が『春秋』を作ったのは、周の民が弛んだからだ。だから毛筋ほどの善を探し求め、糸筋ほどの悪を削り、乱れた世を正して正しさに返した。人の道が行きわたり王の道が備わって、崩れて薄くなった俗を取り締まるものがどれもそろって緻密である。そもそも堤が切れるのに備えがなければ水があふれる害があり、網が解けて結ばなければ獣が逃げる患いがある。だから周の道が廃れなければ民は飾って薄くならず、民が飾って薄くならなければ『春秋』は作られなかった。楊や墨の学が儒の義を乱さなければ孟子の伝は作られず、韓の国が小さく弱くならず法度が壊れ廃れなければ韓非の書はなされず、高祖が天下を得たことを見分けず馬上の計がまだ転じていなければ陸賈の言葉は奏されず、多くの事が実を外さず、およその論が壊れ乱れなければ桓譚の論は起こらなかった。だから賢く聖なる人が文を起こすのは、事を起こすのにむなしくせず、拠るところに拠ってみだりに作らないのである。作れば教化に益があり、教化は正しさに補いがある。だから漢は蘭台の官を立てて、その書を校し調べ、その言葉を考えるのだ。董仲舒が道術の書を作って、災いや異変は政治の失するところだとかなり言い、書が成り文がそろって、漢の王室に顕れた。主父偃がそれを憎んで、その書を誣(しい)て奏した。天子は仲舒を役人に下し、下愚だとまで言われた。仲舒は死に当たるはずだったが、天子はこれを赦した。そもそも仲舒が災いや異変の事を言っても、孝武はなお罪せずその身を尊んだのだから、まして論ずるところに忌みに触れる言葉がなく、道の実の事を調べ、古い実の言葉を集めるものならなおさらだ。だから賢い人が世にあって、進めば忠を尽くし教化を広めて朝廷を明らかにし、退けば論を立て説を削って、外れた俗を目覚めさせる。俗が立ち返ることを知らなければ、道を立てても軽々しく誤りになり、論ずる者が追って救わなければ、惑い乱れて悟らない。

是故《論衡》之造也,起眾書並失實,虛妄之言勝真美也。故虛妄之語不黜,則華文不見息;華文放流,則實事不見用。故《論衡》者,所以銓輕重之言,立真偽之平,非苟調文飾辭,為奇偉之觀也。其本皆起人間有非,故盡思極心,以〔譏〕世俗。世俗之性,好奇怪之語,說虛妄之文。何則?實事不能快意,而華虛驚耳動心也。是故才能之士,好談論者,增益實事,為美盛之語;用筆墨者,造生空文,為虛妄之傳。聽者以為真然,說而不捨;覽者以為實事,傳而不絕。不絕,則文載竹帛之上;不捨,則誤入賢者之耳。至或南面稱師,賦姦偽之說;典城佩紫,讀虛妄之書。明辨然否,疾心傷之,安能不論?孟子傷楊、墨之議大奪儒家之論,引平直之說,褒是抑非,世人以為好辯。孟子曰:「予豈好辯哉?予不得已!」今吾不得已也!虛妄顯於真,實誠亂於偽,世人不悟,是非不定,紫失雜廁,瓦玉集糅,以情言之,豈吾心所能忍哉!衛驂乘者越職而呼車,惻怛發心,恐〔上〕之危也。夫論說者閔世憂俗,與衛驂乘者同一心矣。愁精神而幽魂魄。動胸中之靜氣,賊年損壽,無益於性,禍重於顏回,違負黃、老之教,非人所貪,不得已,故為《論衡》。文露而旨直,辭姦而情實。其《政務》言治民之道。《論衡》諸篇,實俗間之凡人所能見,與彼作者無以異也。若夫九《虛》、三《增》、《論死》、《訂鬼》,世俗所久惑,人所不能覺也。人君遭弊,改教於上;人臣愚惑,作論於下。〔下〕實得,則上教從矣。冀悟迷惑之心,使知虛實之分。實虛之分定,而華偽之文滅。華偽之文滅,則純誠之化日以孽矣。

だから『論衡』が作られたのは、多くの書がそろって実を外し、空疎ででたらめな言葉が真で美しいものに勝っていることから起こった。だから空疎ででたらめな言葉が退けられなければ華やかな文は止まらず、華やかな文が放たれて流れれば、実の事は用いられない。だから『論衡』は軽い言葉と重い言葉をはかり、真と偽の秤を立てるものであって、いいかげんに文を整え辞を飾って、並ならぬ偉大な見せ物にするためではない。その本はどれも人の世に誤りがあることから起こったので、思いを尽くし心を極めて、世俗をとがめるのである。世俗の性は、並ならぬ怪しい言葉を好み、空疎ででたらめな文を喜ぶ。なぜか。実の事は気を晴らさないが、華やかで虚ろなものは耳を驚かせ心を動かすからだ。だから才と能のある士で談論を好む者は、実の事に付け足して美しく盛んな言葉をなし、筆と墨を使う者は、空の文をこしらえて空疎ででたらめな伝えをなす。聞く者はほんとうにそうだと思って喜んで捨てず、見る者は実の事だと思って伝えて絶やさない。絶やさなければ文が竹や絹の上に載り、捨てなければ誤って賢い者の耳に入る。ひどい場合は、南に向かって師と称して邪で偽りの説を広め、城をつかさどり紫の帯をつけて空疎ででたらめな書を読むに至る。そうかそうでないかをはっきり見分ける者は、心を痛め傷つけるのだから、どうして論じずにいられよう。孟子は楊や墨の議論が儒家の論を大きく奪っているのを痛んで、平らでまっすぐな説を引き、正しいことをほめ誤りを抑えたので、世の人は弁論を好むのだと思った。孟子は言った。「私がどうして弁論を好もう。私はやむを得ないのだ。」いま私もやむを得ないのだ。空疎ででたらめなものが真よりも顕れ、実のまことが偽りに乱され、世の人は悟らず、是非は定まらず、紫と朱が入りまじり、瓦と玉が混ざり合っている。情から言えば、どうして私の心が堪えられよう。衛の添乗の者が職を越えて車に呼びかけたのは、痛ましい心が起こって、主が危うくなるのを恐れたからだ。そもそも論じ説く者が世を憐れみ俗を憂えるのは、衛の添乗の者と同じ一つの心である。精神を愁わせ魂魄を暗くし、胸の中の静かな気を動かして、年を損ね寿命を減らし、性に益がなく、禍は顔回より重く、黄帝や老子の教えに背いて、人が望むようなことではないが、やむを得ないので『論衡』を作った。文は露わで旨はまっすぐ、辞は邪に見えて情は実である。その『政務』は民を治める道を語る。『論衡』のいくつもの篇は、実のところ俗のあいだの並の人が見られるもので、あの作る者たちと変わりがない。あの九つの「虚」、三つの「増」、『論死』『訂鬼』は、世俗が長く惑っているところで、人が悟りえないところである。君主が弊害に遭えば上で教えを改め、臣下が愚かで惑えば下で論を作る。下がほんとうに得れば上の教えも従う。惑った心を目覚めさせ、虚と実の分かれ目を知らせたい。実と虚の分かれ目が定まれば、華やかで偽りの文は消える。華やかで偽りの文が消えれば、純でまことの教化が日ごとに増えていく。

或曰:「聖人作,賢者述。以賢而作者,非也。《論衡》、《政務》,可謂作者。」曰:〔非〕作也,亦非述也,論也。論者,述之次也。《五經》之興,可謂作矣。太史公《書》、劉子政《序》、班叔皮《傳》,可謂述矣。桓君山《新論》、鄒伯奇《檢論》,可謂論矣。今觀《論衡》、《政務》,桓、鄒之二論也,非所謂作也。造端更為,前始未有,若倉頡作書,奚仲作車是也。《易》言伏羲作八卦,前是未有八卦,伏羲造之,故曰作也。文王圖八,自演為六十四,故曰衍。謂《論衡》之成,猶六十四卦,而又非也。六十四卦以狀衍增益,其卦溢,其數多。今《論衡》就世俗之書,訂其真偽,辯其實虛,非造始更為,無本於前也。儒生就先師之說,詰而難之;文吏就獄之事,覆而考之,謂《論衡》為作,儒生、文吏謂作乎?

ある人は言う。「聖人が作り、賢者が述べる。賢者でありながら作る者は誤りである。『論衡』と『政務』は作った者といってよい。」答える。作ではなく、また述でもなく、論である。論は述の次である。『五経』の起こりは作といってよい。太史公の『書』、劉子政の『序』、班叔皮の『伝』は述といってよい。桓君山の『新論』、鄒伯奇の『検論』は論といってよい。いま『論衡』と『政務』を見れば、桓と鄒の二つの論であって、いわゆる作ではない。糸口をこしらえて新しくなし、以前にはじめからなかったものは、倉頡が字を作り、奚仲が車を作ったのがそれである。『易』に伏羲が八卦を作ったというのは、以前に八卦がなくて伏羲がこしらえたからで、だから作というのだ。文王は八つを図にして、自分で広げて六十四にしたので、衍(えん)という。『論衡』の成りが六十四卦と同じだというなら、それもまた誤りである。六十四卦はかたちによって広げ加えたので、その卦が増え、その数が多い。いま『論衡』は世俗の書に即してその真と偽を正し、その実と虚を分けるのであって、はじめをこしらえて新しくなしたのではなく、前に拠るものがないわけでもない。儒生は先師の説に即して問いただしてなじり、文書の役人は訴えの事に即して引き返して調べる。『論衡』を作とするなら、儒生や文書の役人も作とするのか。

上書奏記,陳列便宜,皆欲輔政。今作書者,猶〔上〕書奏記,說發胸臆,文成手中,其實一也。夫上書謂之奏記,轉易其名謂之書。建初孟年,中州頗歉,潁川、汝南民流四散,聖主憂懷,詔書數至。《論衡》之人,奏記郡守,宜禁奢侈,以備睏乏。言不納用,退題記草,名曰《備乏》。酒縻五穀,生起盜賊,沉湎飲酒,盜賊不絕,奏記郡守,禁民酒。退題記草,名曰《禁酒》。由此言之,夫作書者,上書奏記之文也。記謂之造作上書,上書奏記是作也?

書を上(たてまつ)り記を奏するのは、便宜を並べてどれも政を助けようとするものだ。いま書を作る者も、書を上り記を奏するのと同じで、説が胸の内から出て文が手の中で成る。その実は一つである。そもそも書を上るのを奏記といい、その名を取り替えて書という。建初の初めの年、中州がかなり不作で、潁川や汝南の民が四方に流れ散ったので、聖なる主は心を痛め、詔書が何度も届いた。『論衡』の人は郡守に記を奏して、奢りを禁じて困窮に備えるべきだと言った。言葉が受け入れられなかったので、退いて記の草稿に題をつけ、『備乏』と名づけた。酒が五穀を費やして盗賊を起こし、酒に溺れて飲むので盗賊が絶えないと、郡守に記を奏して民の酒を禁じるよう言った。退いて記の草稿に題をつけ、『禁酒』と名づけた。これによって言えば、そもそも書を作る者は、書を上り記を奏する文なのだ。記を作とするなら、書を上り記を奏するのが作なのか。

晉之乘,而楚之檮杌,魯之春秋,人事各不同也。《易》之乾坤,《春秋》之「元」,楊氏之「玄」,卜氣號不均也。由此言之,唐林之奏,谷永之章,《論衡》、《政務》,同一趨也。漢家極筆墨之林,書論之造,漢家尤多。陽成子張作「樂」,揚子雲造「玄」,二經發於臺下,讀於闕掖,卓絕驚耳,不述而作,材疑聖人,而漢朝不譏。況《論衡》細說微論,解釋世俗之疑,辯照是非之理,使後進曉見然否之分,恐其廢失,著之簡牘,祖經章句之說,先師奇說之類也。其言伸繩,彈割俗傳。俗傳蔽惑,偽書放流,賢通之人,疾之無已。孔子曰:「詩人疾之不能默,丘疾之不能伏。」是以論也。玉亂於石,人不能別。或若楚之王尹以玉為石,卒使卞和受刖足之誅。是反為非,虛轉為實,安能不言?俗傳既過,俗書之偽。若夫鄒衍謂今天下為一州,四海之外有若天下者九州。《淮南書》言共工與顓頊爭為天子,不勝,怒而觸不周之山,使天柱折,地維絕。堯時十日並出,堯上射九日;魯陽戰而日暮,援戈麾日,日為卻還。世間書傳,多若等類,浮妄虛偽,沒奪正是。心漬湧,筆手擾,安能不論?論則考之以心,效之以事,浮虛之事,輒立證驗。若太史公之書,據許由不隱,燕太子丹不使日再中。讀見之者,莫不稱善。

晋の『乗』、楚の『檮杌』、魯の『春秋』は、人の事がそれぞれ同じでない。『易』の乾坤、『春秋』の「元」、揚氏の「玄」は、気を占う呼び名が一様でない。これによって言えば、唐林の奏、谷永の章、『論衡』『政務』は、同じ一つの趣である。漢の家は筆と墨の林を尽くして、書と論の作が漢の家にはとりわけ多い。陽成子張が「楽」を作り、揚子雲が「玄」を作って、二つの経が台の下から出て闕のかたわらで読まれ、ぬきんでて耳を驚かせ、述べずに作って、才が聖人かと疑われたが、漢の朝廷はとがめなかった。まして『論衡』の細かな説と小さな論は、世俗の疑いを解き、是非の理を分けて照らし、後から進む者にそうかそうでないかの分かれ目を分からせるものだ。それが廃れて失われるのを恐れて竹や札に書いたのは、経の章句の説を祖とし、先師の並ならぬ説と同じたぐいである。その言葉は墨縄を張って、俗の伝えを弾き切る。俗の伝えが覆い惑わせ、偽りの書が放たれて流れるので、賢く物事に通じた人が憎んでやまない。孔子は言った。「詩人が憎んで黙っていられず、丘(きゅう)も憎んで伏していられない。」だから論ずるのだ。玉が石にまぎれると、人は見分けられない。楚の王と尹が玉を石だとして、ついに卞和が足を切られる罰を受けさせたようなものだ。正しさがかえって誤りとなり、虚ろなものが実に変わるのだから、どうして言わずにいられよう。俗の伝えはすでに行きすぎ、俗の書は偽りである。あの鄒衍が、いまの天下を一つの州とし、四海の外に天下のようなものが九州あるというようなものだ。『淮南書』には、共工が顓頊と天子になることを争って勝てず、怒って不周の山に突き当たり、天の柱を折り地の綱を絶たせたという。堯の時に十の日がそろって出て、堯が九つの日を射たといい、魯陽が戦っていて日が暮れると、戈を取って日を払ったので日が引き返したという。世間の書や伝えには、こうしたたぐいのものが多く、浮ついてでたらめで虚ろで偽りで、正しく是しいものを沈めて奪ってしまう。心が浸り湧き立ち、筆と手が騒ぐのだから、どうして論じずにいられよう。論ずるには、心で調べ、事で照らして、浮ついて虚ろな事にはそのたびに証しを立てる。太史公の書のように、許由が隠れなかったこと、燕の太子丹が日を再び中天に戻せなかったことに拠るものは、読み見る者がみな善しと称える。

《政務》為郡國守相、縣邑令長陳通政事所當尚務,欲令全民立化,奉稱國恩。《論衡》九《虛》三《增》,所以使浴務實誠也;《論死》、《訂鬼》,所以使浴薄喪葬也。孔子徑庭麗級,被棺斂者不省。劉子政上薄葬,奉送藏者不約。光武皇帝草車茅馬,為明器者不姦。何世書俗言不載?信死之語汶濁之也。今著《論死》及《死偽》之篇,明死無知,不能為鬼,冀觀覽者將一曉解約葬,更為節儉。斯蓋《論衡》有益之驗也。言苟有益,雖作何害?倉頡之書,世以紀事;奚仲之車,世以自載;伯餘之衣,以辟寒暑;桀之瓦屋,以辟風雨。夫不論其利害,而徒譏其造作,是則倉頡之徒有非,《世本》十五家皆受責也。故夫有益也,雖作無害也。雖無害,何補?

『政務』は郡や国の守や相、県や邑の令や長のために、政治で尊び努めるべきことを述べ通わせて、民をすべて教化に立たせ、国の恩を奉じ称えさせようとするものだ。『論衡』の九つの「虚」と三つの「増」は、俗を実のまことに努めさせるためであり、『論死』『訂鬼』は、俗に喪や葬りを薄くさせるためである。孔子は庭を横切り階段を踏んだが、納棺する者は気づかなかった。劉子政は薄い葬りを上奏したが、送って納める者は減らさなかった。光武皇帝は草の車と茅の馬にしたが、明器を作る者はあらためなかった。どの世の書や俗の言葉がそれを載せなかったか。死を信じる言葉が濁らせたのである。いま『論死』と『死偽』の篇を著して、死んで知がなく亡霊になれないことを明らかにする。見て読む者が一度悟って、葬りを減らし、改めて節約し質素にするようになることを願う。これがおそらく『論衡』に益があることの証しである。言葉にまことに益があるのなら、作ったとして何の害があろう。倉頡の字は世が事を記すのに使い、奚仲の車は世が自分を運ぶのに使い、伯余の衣は寒さと暑さを避け、桀の瓦屋根は風と雨を避ける。そもそもその利害を論じずに、ただそれを作ったことをとがめるなら、それでは倉頡の輩に誤りがあり、『世本』の十五家がみなとがめを受けることになる。だから益があるなら、作っても害はない。害がないとしても、何の補いがあるのか。

夾注 1

被棺斂者不省

底本に玉の字がない。注に従って玉で遺体を包むことを言ったものと見るが、本文には入れなかった。― 訳者

古有命使採爵,欲觀風俗知下情也。《詩》作民間,聖王可雲「汝民也,何發作」,囚罪其身,歿滅其詩乎?今已不然,故《詩》傳〔至〕今。《論衡》、《政務》,其猶《詩》也,冀望見採,而雲有過。斯蓋《論衡》之書所以興也。且凡造作之過,意其言妄而謗誹也。《論衡》實事疾妄,《齊世》、《宣漢》、《恢國》、《驗符》、《盛褒》、《須頌》之言,無誹謗之辭。造作如此,可以免於罪矣。

昔、命じて使者に詩を採らせたのは、俗を見て下の実情を知ろうとしたからである。『詩』は民間で作られたのに、聖王が「おまえは民なのに、どうして作るのか」と言って、その身を囚えて罪し、その詩を滅ぼしたであろうか。いまそうでなかったので、『詩』は今まで伝わっている。『論衡』と『政務』はその『詩』と同じで、採られることを願っているのに、過ちがあると言われる。これがおそらく『論衡』の書が起こった理由である。また、およそ作ることの過ちとは、その言葉がでたらめで謗っているとみなされることだ。『論衡』は事を実のものとしでたらめを憎むのであって、『斉世』『宣漢』『恢国』『験符』『盛褒』『須頌』の言葉に謗る言葉はない。作ることがこのようであれば、罪を免れることができる。