いにしえの文 › 論衡(虚と実を秤にかける書)

自紀篇

論衡(虚と実を秤にかける書) 論衡 · 王充 · 80年頃 · 段落 18 · 漢字 4,740字 · 朗読 19.0分

論衡(虚と実を秤にかける書) 後漢の人・王充が自ら明かしたこの書の意は四字である — 「疾虚妄」、虚しく妄りなものを憎む。天が人の事に応えて災いを下すとか、死ねば鬼神になって仇を返すとか、日を選ばなければ障りがあるとかいう、その時代の言い分を一つ一つ捕らえて論じる。 論じる肌合いが人とは違う。年長者の言葉だからといってそのままにしない — 孔子に問い(問孔)、孟子を刺し(刺孟)、韓非を否とする(非韓)。天が咎めて災いを下すという言い分には、それならば天はなぜ君主一人のために国中に旱を下すのかと問い返す。 「虚」の字が付いた九篇(書虚・変虚・異虚・感虚・福虚・禍虚・龍虚・雷虚・道虚)が一列に並び、古い書に記された不思議な話を順に捕らえる。「増」の字が付いた三篇(語増・儒増・芸増)は、言葉がどのように膨らんでいくのかを扱う。 吉験篇には、夫余の東明が弓をよく射たので王が殺そうとし、南へ逃れて掩淲水に至ったという話がある。今に残る東明の記録のうち最も早い形である。

王充者,會稽上虞人也,字仲任。其先本魏郡元城一姓。孫一幾世嘗從軍有功,封會稽陽亭。一歲倉卒國絕,因家焉。以農桑為業。世祖勇任氣,卒咸不揆於人。歲兇,橫道傷殺,怨仇眾多。會世擾亂,恐為怨仇所擒,祖父泛舉家簷載,就安會稽,留錢唐縣,以賈販為事。生子二人,長曰蒙,少曰誦,誦即充父。祖世任氣,至蒙、誦滋甚。故蒙、誦在錢唐,勇勢凌人。末復與豪家丁伯等結怨,舉家徙處上虞。

王充は会稽の上虞の人で、字は仲任である。その先祖はもともと魏郡元城の一族である。その孫の某の代が、かつて従軍して功があり、会稽の陽亭に封じられた。ある年に急に国が絶えたので、そこに家を定めた。農と桑を業とした。先祖は代々勇ましく気にまかせ、ついにだれにも折り合わなかった。年が凶作のときは道をふさいで人を傷つけ殺し、仇が多かった。ちょうど世が乱れたので、仇に捕らえられるのを恐れて、祖父の泛が一家を荷に載せて、安らかな会稽へ向かい、錢唐県にとどまって、商いを仕事とした。子を二人生んで、長男を蒙、弟を誦といい、誦が王充の父である。先祖は代々気にまかせたが、蒙と誦に至ってはいよいよひどかった。だから蒙と誦は錢唐にいて、勇ましい勢いで人を圧した。最後にはまた豪族の丁伯らと恨みを結び、一家で上虞に移り住んだ。

建武三年,充生。為小兒,與儕倫遨戲,不好狎侮。儕倫好掩雀、捕蟬、戲錢、林熙,充獨不肯。誦奇之。六歲教書,恭願仁順,禮敬具備,矜莊寂寥,有臣人之志。父未嘗笞,母未嘗非,閭里未嘗讓。八歲出於書館,書館小僮百人以上,皆以過失袒謫,或以書醜得鞭。充書日進,又無過失。手書既成,辭師受《論語》、《尚書》,日諷千字。經明德就,謝師而專門,援筆而眾奇。所讀文書,亦日博多。才高而不尚苟作,口辯而不好談對,非其人,終日之言。其論說始若詭於眾,極聽其終,眾乃是之。以筆著文,亦如此焉;操行事上,亦如此焉。在縣位至掾功曹,在都尉府位亦掾功曹,在太守為列掾五官功曹行事,入州為從事。不好徼名於世,不為利害見將。常言人長,希言人短。專薦未達,解已進者過。及所不善,亦弗譽;有過不解,亦弗復陷。能釋人之不大過,亦悲夫人之細非。好自周,不肯自彰,勉以行操為基,恥以材能為名。眾會乎坐,不問不言,賜見君將,不及不對。在鄉里,慕蘧伯玉之節;在朝廷,貪史子魚之行。見污傷,不肯自明;位不進,亦不懷恨。貧無一畝庇身,志佚於王公;賤無鬥石之秩,意若食萬鍾。得官不欣,失位不恨。處逸樂而慾不放,居貧苦而志不倦。淫讀古文,甘聞異言。世書俗說,多所不安,幽處獨居,考論實虛。

建武三年に王充が生まれた。子どものころ、同じ年ごろの者と遊んだが、たわむれて侮ることを好まなかった。同じ年ごろの者は雀を捕り、蝉を捕り、銭を賭け、木登りを好んだが、王充だけはしようとしなかった。誦はそれを並ならぬと思った。六歳で字を教えたところ、恭しく素直で仁があり従順で、礼と敬いがそろい、重々しく静かで、臣として人に仕える志があった。父はかつてむち打たず、母はかつてとがめず、里の人はかつて責めなかった。八歳で書館に出たが、書館には小さな子どもが百人以上いて、どれも過ちで肌を出して責められたり、字が拙くてむちを受けたりした。王充は字が日ごとに進み、しかも過ちがなかった。手で書くことができるようになると、師に別れを告げて『論語』『尚書』を受け、日に千字を唱えた。経が明らかになり徳が成ると、師に辞して専門の道に進み、筆を取ると人々が並ならぬと思った。読む文書も日ごとに広く多くなった。才が高くても、いいかげんに書くことを尊ばず、口は達者でも談論や応答を好まず、その相手でなければ一日中ものを言わなかった。その論説は、はじめは人々と食い違うようでも、その終わりまで聞き通せば、人々はやがてそれを正しいとした。筆で文を著すのもこのとおりであり、節操と行いで上に仕えるのもこのとおりであった。県では位が掾(えん)の功曹に至り、都尉の府では位がやはり掾の功曹、太守のもとでは列掾五官功曹行事となり、州に入って従事となった。世に名を求めることを好まず、利害によって将に取り入ることをしなかった。つねに人の長所を語り、人の短所はまれに語った。ひたすらまだ世に出ていない者を推挙し、すでに進んだ者の過ちは解いてやった。善くないと思う相手でも、やはりほめはしないが、過ちがあって解いてやらないにしても、重ねて落とし入れはしなかった。人の大きくない過ちを解いてやれる一方で、人の細かな誤りも悲しんだ。自分でまわりを立てるのを好み、自分を顕そうとはせず、行いと節操を基とすることに努め、才と能で名を得ることを恥じた。人々が座に集まれば、問われなければ語らず、君や将に召されても、話が自分に及ばなければ答えなかった。郷里にあっては蘧伯玉の節を慕い、朝廷にあっては史子魚の行いを求めた。汚され傷つけられても自分で明かそうとせず、位が進まなくても恨みを抱かなかった。貧しくて身を覆う一畝もなかったが、志は王公より安らかで、賤しくて一斗一石の禄もなかったが、気持ちは万鍾を食むようだった。官を得ても喜ばず、位を失っても恨まなかった。安楽にあっても欲を放たず、貧しい苦しみに暮らしても志が倦まなかった。古い文をたっぷり読み、人と違う言葉を聞くのを甘いと思った。世の書や俗の説に落ち着かないところが多かったので、奥まった所に独りで暮らし、実と虚を調べて論じた。

充為人清重,遊必擇友,不好苟交。所友位雖微卑,年雖幼稚,行苟離俗,必與之友。好傑友雅徒,不氾結俗材。俗材因其微過,蜚條陷之,然終不自明,亦不非怨其人。或曰:「有良材奇文,無罪見陷,胡不自陳?羊勝之徒,摩口膏舌;鄒陽自明,入獄復出。苟有全完之行,不宜為人所缺;既耐勉自伸,不宜為人所屈。」答曰:不清不見塵,不高不見危,不廣不見削,不盈不見虧。士茲多口,為人所陷,蓋亦其宜。好進故自明,憎退故自陳。吾無好憎,故默無言。羊勝為讒,或使之也;鄒陽得免,或拔之也。孔子稱命,孟子言天,吉凶安危,不在於人。昔人見之,故歸之於命,委之於時,浩然恬忽,無所怨尤。福至不謂己所得,禍到不謂己所為。故時進意不為豐,時退志不為虧。不嫌虧以求盈,不違險以趨平,不鬻智以乾祿,不辭爵以吊名,不貪進以自明,不惡退以怨人。同安危而齊死生,鈞吉凶而一敗成,遭十羊勝,謂之無傷。動歸於天,故不自明。

王充は人柄が清く重く、交わるには必ず友を選び、いいかげんな付き合いを好まなかった。友とした者は、位がたとえ低く、年がたとえ幼くても、行いがほんとうに俗を離れていれば、必ずその人と友になった。優れた友と雅な仲間を好み、俗な才とは広く結ばなかった。俗な才が、その小さな過ちによって告げ口を飛ばして落とし入れたが、それでもついに自分で明かさず、またその人を誤りとして怨むこともしなかった。ある人は言う。「良い才と並ならぬ文があって、罪もなく落とし入れられたのに、どうして自分で申し述べないのか。羊勝の輩は口を研ぎ舌に油を塗った。鄒陽は自分で明かして、獄に入ってまた出た。ほんとうに全きの行いがあるなら、人に欠けを探されるべきでなく、努めて自分を伸ばせるのなら、人に屈するべきでない。」答える。清くなければ塵は見えず、高くなければ危うさは見えず、広くなければ削られるのは見えず、満ちていなければ欠けるのは見えない。士にあれこれ言う口が多く、人に落とし入れられるのも、おそらくそれが当然である。進むことを好むから自分で明かし、退くことを憎むから自分で申し述べる。私には好きも憎いもないので、黙って何も言わない。羊勝が讒言したのも、だれかにさせられたのだろう。鄒陽が免れたのも、だれかが引き上げたのだろう。孔子は命を説き、孟子は天を語った。吉凶や安危は人にあるのではない。昔の人はそれを見ていたので、それを命に帰し、時にゆだねて、広く淡々として、怨みとがめることがなかった。福が来ても自分が得たものだといわず、禍が来ても自分がしたことだといわない。だから時が進んでも志が豊かになったとせず、時が退いても志が欠けたとしない。欠けを嫌って満ちることを求めず、険しさを避けて平らに走らず、知を売って禄を求めず、爵を辞して名を釣らず、進むことを貪って自分を明かさず、退くことを憎んで人を怨まない。安危を同じくし死生を等しくし、吉凶を同じくし敗れと成りを一つにするのだから、十人の羊勝に遭っても、傷はないというのだ。動きを天に帰すので、自分で明かさないのである。

充性恬淡,不貪富貴。為上所知,拔擢越次,不慕高官。不為上所知,貶黜抑屈,不恚下位。比為縣吏,無所擇避。或曰:「心難而行易,好友同志,仕不擇地,濁操傷行,世何效放?」答曰:可效放者,莫過孔子。孔子之仕,無所避矣。為乘田委吏,無於邑之心;為司空相國,無說豫之色。舜耕歷山,若終不免;及受堯禪,若卒自得。憂德之不豐,不患爵之不尊;恥名之不白,不惡位之不遷。垂棘與瓦同櫝,明月與礫同囊,苟有二寶之質,不害為世所同。世能知善,雖賤猶顯;不能別白,雖尊猶辱。處卑與尊齊操,位賤與貴比德,斯可矣。

王充は性が淡々として富貴を貪らなかった。上に知られて順を越えて引き上げられても、高い官を慕わなかった。上に知られず、落とされ退けられ抑えられ屈しても、低い位を怒らなかった。続けて県の役人となったが、選んだり避けたりすることがなかった。ある人は言う。「心は難しく行いはやさしく、友は志を同じくする者を好みながら、仕えるのに土地を選ばない。濁った節操が行いを損なうのに、世はどうしてそれをならうのか。」答える。ならうに足る者は孔子に過ぎる者がない。孔子の仕え方には避けたところがなかった。乗田や委吏となってもふさぎこむ心がなく、司空や相国となっても喜ぶ色がなかった。舜が歴山で耕していたときは、ついにそこから抜け出せないようであり、堯の譲りを受けるに及んでは、ついにおのずと得たようであった。徳が豊かでないことを憂えて、爵が尊くないことを憂えず、名が白くないことを恥じて、位が移らないことを憎まない。垂棘の玉と瓦が同じ箱にあり、明月の珠と小石が同じ袋にあっても、ほんとうにその二つの宝の質があるのなら、世が同じに扱っても害はない。世が善を知れるなら、賤しくてもやはり顕れ、白黒を見分けられないなら、尊くてもやはり辱められる。低い所にいて高い者と節操を等しくし、位が賤しくても貴い者と徳を並べられれば、それでよいのだ。

俗性貪進忽退,收成棄敗。充升擢在位之時,眾人蟻附;廢退窮居,舊故叛去。志俗人之寡恩,故閒居作《譏俗》、《節義》十二篇。冀俗人觀書而自覺,故直露其文,集以俗言。或譴謂之淺。答曰:以聖典而示小雅,以雅言而說丘野,不得所曉,無不逆者。故蘇秦精說於趙,而李兌不說;商鞅以王說秦,而孝公不用。夫不得心意所欲,雖盡堯、舜之言,猶飲牛以酒,啖馬以脯也。故鴻麗深懿之言,關於大而不通於小。不得已而強聽,入胸者少。孔子失馬於野,野人閉不與,子貢妙稱而怒,馬圄諧說而懿。俗曉〔形〕露之言,勉以深鴻之文,猶和神仙之藥以治鼽咳,制貂狐之裘以取薪菜也。且禮有所不待,事有所不須。斷決知辜,不必皋陶;調和葵韭,不俟狄牙;閭巷之樂,不用《韶》、《武》;裡母之祀,不待太牢。既有不須,而又不宜。牛刀割雞,舒戟採葵,鈇鉞裁箸,盆盎酌卮,大小失宜,善之者希。何以為辯?喻深以淺。何以為智?喻難以易。賢聖銓材之所宜,故文能為深淺之差。

俗な性は進むことを貪り退くことをおろそかにし、成ったものを収め敗れたものを捨てる。王充が引き上げられて位にあったときは人々が蟻のように寄り、廃されて退き窮して暮らすと古い友は背いて去った。俗人の恩の薄さに思うところがあったので、閑居して『譏俗』『節義』十二篇を作った。俗人が書を見て自ら目覚めることを願ったので、その文をあからさまに露わにし、俗の言葉で集めた。ある人がとがめて浅いといった。答える。聖なる経典で小雅な者に示し、雅な言葉で田舎に説けば、分かるところが得られず、背かない者がない。だから蘇秦が趙で精しく説いたのに李兌は喜ばず、商鞅が王道で秦に説いたのに孝公は用いなかった。そもそも心と意が望むところを得られなければ、堯や舜の言葉を尽くしても、牛に酒を飲ませ、馬に干し肉を食わせるようなものだ。だから大きく麗しく深く美しい言葉は、大きなものには関わるが小さなものには通じない。やむを得ず無理に聞いても、胸に入るものは少ない。孔子が野で馬を失い、野の人が囲い込んで返さなかったとき、子貢が巧みに言っても怒ったが、馬飼いがくだけた物言いで説くと喜んだ。俗人があからさまな言葉なら分かるのに、深く大きな文で努めさせるのは、仙人の薬を調えて鼻づまりと咳を治し、貂や狐の皮衣を仕立てて薪や菜を取りに行くようなものだ。また礼には待つ必要のないものがあり、事には求める必要のないものがある。罪を断じて見分けるのに必ず皋陶でなくてもよく、葵と韮を調えるのに狄牙を待たず、路地の音楽に『韶』や『武』を使わず、里の母の祀りに太牢を待たない。すでに求める必要のないものがあり、そのうえふさわしくないものもある。牛を割く刀で鶏を切り、戟を広げて葵を採り、鈇や鉞で箸を削り、盆や盎で盃に注げば、大小がふさわしさを外して、よしとする者はまれだ。何を弁論とするか。深いことを浅いことで喩える。何を知とするか。難しいことをやさしいことで喩える。賢く聖なる者は才にふさわしいところをはかるので、文に深さと浅さの段をつけられるのである。

充既疾俗情,作《譏俗》之書;又閔人君之政,徒欲治人,不得其宜,不曉其務,愁精苦思,不睹所趨,故作《政務》之書。又傷偽書俗文多不實誠,故為《論衡》之書。夫賢聖歿而大義分,蹉跎殊趨,各自開門。通人觀覽,不能釘銓。遙聞傳授,筆寫耳取,在百歲之前。曆日彌久,以為昔古之事,所言近是,信之入骨,不可自解,故作《實論》。其文盛,其辯爭,浮華虛偽之語,莫不澄定。沒華虛之文,存敦龐之樸,撥流失之風,反宓戲之俗。

王充はすでに俗の情を憎んで『譏俗』の書を作り、また君主の政が、ただ人を治めようとしてそのふさわしさを得られず、その務めを分からず、精神を愁わせ思いを苦しめても向かう先が見えないことを憐れんだので、『政務』の書を作った。また偽りの書や俗の文がしばしば実にまことでないことを痛んだので、『論衡』の書をなした。そもそも賢く聖なる人が死んで大きな義が分かれ、食い違って別々に走り、それぞれが自分の門を開いた。物事に通じた人が見わたしても、それを突き合わせてはかることができない。遠くから伝え授けられるのを聞き、筆で写し耳で取ったものが、百年の前にある。日を重ねていよいよ久しくなると、昔の事だと思って、言っていることが正しさに近いとして、信じることが骨に入り、自分では解けなくなる。だから『実論』を作った。その文は盛んで、その弁は争い、浮ついて華やかで虚ろで偽りの言葉が、澄んで定まらないものがない。華やかで虚ろな文を沈め、厚く大きな素朴さを残し、流れて失われた風を正して、伏羲の俗に返すのである。

充書形露易觀。或曰:「口辯者其言深,筆敏者其文沉。案經藝之文,賢聖之言,鴻重優雅,難卒曉睹。世讀之者,訓古乃下。蓋賢聖之材鴻,故其文語與俗不通。玉隱石間,珠匿魚腹,非玉工珠師,莫能採得。寶物以隱閉不見,實語亦宜深沉難測。《譏俗》之書,欲悟俗人,故形露其指,為分別之文。《論衡》之書,何為複然?豈材有淺極,不能為〔深〕覆?何文之察,與彼經藝殊軌轍也?」

王充の書は形があらわで読みやすい。ある人は言う。「口が達者な者はその言葉が深く、筆が達者な者はその文が沈んでいる。調べてみれば、経や芸の文、賢く聖なる人の言葉は、大きく重く豊かで雅で、急には分かりにくい。世でそれを読む者は、古い言葉を訓み解いてはじめて下っていく。思うに賢く聖なる人の才が大きいので、その文や言葉が俗と通じないのだ。玉は石のあいだに隠れ、珠は魚の腹に隠れるので、玉の工人や珠の師でなければ、採り出すことができない。宝の品は隠れ閉ざされて見えないのだから、実の言葉もまた深く沈んではかりがたいものであるべきだ。『譏俗』の書は俗人を目覚めさせようとしたので、その指すところを露わにして、分け明かす文にした。『論衡』の書は、なぜまたそうなのか。才に浅さの限りがあって、深く覆えないからか。どうして文が明らかで、あの経や芸と軌道が違うのか。」

答曰:玉隱石間,珠匿魚腹,故為深覆。及玉色剖於石心,珠光出於魚腹,其〔猶〕隱乎?吾文未集於簡札之上,藏於胸臆之中,猶玉隱珠匿也;及出露,猶玉剖珠出乎,爛若天文之照,順若地理之曉,嫌疑隱微,盡可名處。且名白,事自定也。

答える。玉が石のあいだに隠れ、珠が魚の腹に隠れるからこそ、深く覆われている。玉の色が石の中から割り出され、珠の光が魚の腹から出てくれば、それはまだ隠れているのか。私の文がまだ竹や札の上に集められず、胸の内に蔵されているのは、玉が隠れ珠が隠れているのと同じだ。それが出て露わになれば、玉が割り出され珠が出てきたのと同じで、きらめくことは天の文の照るようであり、すなおなことは地の筋目が明らかなようで、疑わしく隠れた微かなところまで、すべて名づけてさばける。しかも名が白くなれば、事はおのずと定まるのだ。

《論衡》者,論之平也。口則務在明言,筆則務在露文。高士之文雅,言無不可曉,指無不可睹。觀讀之者,曉然若盲之開目,聆然若聾之通耳。三年盲子,卒見父母,不察察相識,安肯說喜?道畔巨樹,塹邊長溝,所居昭察,人莫不知。使樹不巨而隱,溝不長而匿,以斯示人,堯、舜猶惑。人面色部七十有餘,頰肌明潔,五色分別,隱微憂喜,皆可得察,佔射之者,十不失一。使面黝而黑醜,垢重襲而覆部,佔射之者,十而失九。

『論衡』とは、論の秤である。口は言葉を明らかにすることに努め、筆は文を露わにすることに努める。高い士の文雅は、言葉に分かりえないものがなく、指すところに見えないものがない。見て読む者は、はっきりすることが盲(めしい)が目を開くようであり、明らかなことが聾(つんぼ)の耳が通るようである。三年目を見なかった子がついに父母を見ても、はっきりと見分けられなければ、どうして喜べよう。道のかたわらの大きな木、堀のそばの長い溝は、ある所がはっきり見えるので、人が知らないことがない。木を大きくせず隠し、溝を長くせず隠して、それを人に示せば、堯や舜でも惑う。人の顔色の部位は七十余りあるが、頬の肌が明るく清らかで五つの色が分かれていれば、隠れた憂いや喜びもすべて察せられて、占って言い当てる者は十のうち一つも外さない。顔が黒ずんで醜く、垢が重なって部位を覆っていれば、占って言い当てる者は十のうち九つを外す。

夫文由語也,或淺露分別,或深迂優雅,孰為辯者?故口言以明志,言恐滅遺,故著之文字。文字與言同趨,何為猶當隱閉指意?獄當嫌辜,卿決疑事,渾沌難曉,與彼分明可知,孰為良吏?夫口論以分明為公,筆辯以荴露為通,吏文以昭察為良。深覆典雅,指意難睹,唯賦頌耳!經傳之文,賢聖之語,古今言殊,四方談異也。當言事時,非務難知,使指閉隱也。後人不曉,世相離遠,此名曰語異,不名曰材鴻。淺文讀之難曉,名曰不巧,不名曰知明。秦始皇讀韓非之書,歎曰:「猶獨不得此人同時。」其文可曉,故其事可思。如深鴻優雅,須師乃學,投之於地,何嘆之有?夫筆著者,欲其易曉而難為,不貴難知而易造;口論務解分而可聽,不務深迂而難睹。孟子相賢,以眸子明了者,察文,以義可曉。

そもそも文は言葉から出るのだから、浅く露わで分け明かすものと、深く遠まわりで豊かで雅なものと、どちらが弁の立つものか。だから口で語って志を明らかにするが、言葉が消えて失われるのを恐れるので、文字に書き記す。文字と言葉は趣を同じくするのに、どうしてなお指す意を隠し閉ざすべきなのか。訴えで疑わしい罪を扱い、卿が疑わしい事を決するときに、混沌として分かりにくいのと、あのはっきり分かるのと、どちらが良い役人か。そもそも口で論ずるのは分明であることを公正とし、筆で弁ずるのは開き露わであることを通じているとし、役人の文は明らかに見えることを良しとする。深く覆って雅で、指す意が見えにくいのは、ただ賦や頌だけである。経伝の文、賢く聖なる人の言葉は、古今で言葉が違い、四方で話し方が異なるのだ。事を語ったときに、わざわざ分かりにくくして指すところを閉じ隠そうとしたのではない。後の人が分からないのは、世が互いに離れて遠いからで、これは言葉が違うというのであって、才が大きいというのではない。浅い文を読んで分かりにくければ、巧みでないというのであって、知が明らかだというのではない。秦の始皇は韓非の書を読んで嘆いた。「それでもひとり、この人と同じ時にいられないのか。」その文が分かったから、その事を思いめぐらせたのだ。深く大きく豊かで雅で、師を待たなければ学べないようなものなら、地に投げ捨てるだけで、何の嘆きがあろう。そもそも筆で著す者は、それが分かりやすくて作りにくいものであることを望み、分かりにくくて作りやすいものを貴ばない。口で論ずるのは、解きほぐして聞くに足ることに努め、深く遠まわりで見えにくいことに努めない。孟子が賢さを見るのに瞳が明るくはっきりしていることによったのは、文を見るのに意味が分かりうることによるのと同じである。

充書違詭於俗。或難曰:「文貴夫順合眾心,不違人意,百人讀之莫譴,千人聞之莫怪。故管子曰:『言室滿室,言堂滿堂。』今殆說不與世同,故文刺於俗,不合於眾。」

王充の書は俗と食い違う。ある人がなじって言う。「文はそもそも多くの人の心にすなおに合い、人の意に背かず、百人が読んでもとがめず、千人が聞いても怪しまないことを貴ぶ。だから管子は『室で語れば室に満ち、堂で語れば堂に満ちる』と言った。いまほとんど説が世と同じでないので、文が俗を刺して、人々に合わない。」

答曰:論貴是而不務華,事尚然而不高合。論說辯然否,安得不譎常心、逆俗耳?眾心非而不從,故喪黜其偽,而存定其真。如當從順人心者,循舊守雅,諷習而已,何辯之有?孔子侍坐於魯哀公,公賜桃與黍,孔子先食黍而後啖桃,可謂得食序矣,然左右皆掩口而笑,貫俗之日久也。今吾實猶孔子之序食也,俗人違之,猶左右之掩口也。善雅歌,於鄭為人悲;禮舞,於趙為不好。堯、舜之典,伍伯不肯觀;孔、墨之籍,季、孟不肯讀。寧危之計,黜於閭巷;撥世之言,訾於品俗。有美味於斯,俗人不嗜,狄牙甘食。有寶玉於是,俗人投之,卞和佩服。孰是孰非,可信者誰?禮俗相背,何世不然?魯文逆祀,畔者三人。蓋獨是之語,高士不捨,俗夫不好;惑眾之書,賢者欣頌,愚者逃頓。

答える。論は正しさを貴んで華やかさに努めず、事はそうであることを尊んで合うことを高しとしない。論説がそうかそうでないかを分けるのに、どうしてつねの心を裏返し、俗の耳に逆らわずにいられよう。多くの人の心が誤りであれば従わないので、その偽りを捨て退け、その真を残して定めるのだ。もし人の心にすなおに従うべきなら、古いものに沿い雅を守って、唱えて習うだけで、何の弁論があろう。孔子が魯の哀公に侍って座っていたとき、公が桃と黍を賜ったが、孔子は先に黍を食べて後に桃をかじった。食べる順を得ていたと言ってよいのに、左右の者はみな口を覆って笑った。俗に慣れた日が長いからだ。いま私はまさに孔子の食べる順と同じであって、俗人がそれに背くのは、左右の者が口を覆ったのと同じだ。雅な歌が巧みなことは、鄭では人に悲しみとされ、礼の舞は趙では良くないこととされる。堯や舜の典を五覇は見ようとせず、孔子や墨子の書を季氏や孟氏は読もうとしない。危うさを安らかにする計は路地で退けられ、世を正す言葉は多くの俗にそしられる。ここに美味があっても俗人は好まないが、狄牙は甘く食べる。ここに宝の玉があっても俗人は投げ捨てるが、卞和は帯びて身につける。どちらが正しくどちらが誤りで、信じられるのはだれなのか。礼と俗が互いに背くのは、どの世でもそうでないことがない。魯の文公が祀りの順を逆にしたとき、背いた者が三人だった。思うに、ひとり正しい言葉は、高い士が捨てず俗な男が好まず、多くの人を惑わす書は、賢い者が喜んで称え、愚かな者が逃げてつまずく。

充書不能純美。或曰:「口無擇言,筆無擇文。文必麗以好,言必辯以巧。言了於耳,則事味於心;文察於目,則篇留於手。故辯言無不聽,麗文無不寫。今新書既在論譬,說俗為戾,又不美好,於觀不快。蓋師曠調音,曲無不悲;狄牙和膳,餚無淡味。然則通人造書,文無暇穢。《呂氏》、《淮南》懸於市門,觀讀之者無訾一言。今無二書之美,文雖眾盛,猶多譴毀。」答曰:夫養實者不育華,調行者不飾辭。豐草多華英,茂林多枯枝。為文欲顯白其為,安能令文而無譴毀?救火拯溺,義不得好;辯論是非,言不得巧。入澤隨龜,不暇調足;深淵捕蛟,不暇定手。言姦辭簡,指趨妙遠;語甘文峭,務意淺小。稻穀千鍾,糠皮太半;閱錢滿億,穿決出萬。大羹必有淡味,至寶必有瑕穢,大簡必有大好,良工必有不巧。然則辯言必有所屈,通文猶有所黜。言金由貴家起,文糞自賤室出,《淮南》、《呂氏》之無累害,所由出者,家富官貴也。夫貴,故得懸於市,富,故有千金副。觀讀之者,惶恐畏忌,雖見乖不合,焉敢譴一字?

王充の書は純粋に美しくはありえない。ある人は言う。「口には選んで言わないことがなく、筆には選んで書かないことがない。文は必ず麗しく良くあり、言葉は必ず弁が立って巧みであるべきだ。言葉が耳にはっきりすれば事が心に味わわれ、文が目に見やすければ篇が手に残る。だから弁の立つ言葉は聞かれないことがなく、麗しい文は写されないことがない。いまこの新しい書は、論じ譬えるばかりで、俗を説くのに食い違い、そのうえ美しく良くなくて、見て気持ちよくない。思うに師曠が音を調えれば曲に悲しくないものがなく、狄牙が膳を調えれば肴に淡い味がない。であれば物事に通じた人が書を作れば、文に隙も汚れもない。『呂氏』『淮南』が市の門に懸けられたとき、見て読む者は一言もそしらなかった。いま二つの書の美しさがなく、文がどれほど多く盛んであっても、やはりとがめとそしりが多い。」答える。そもそも実を育てる者は花を育てず、行いを調える者は辞を飾らない。豊かな草には花が多く、茂った林には枯れ枝が多い。文をなすのに、そのなすところを白く顕そうとするのだから、どうして文にとがめとそしりがないようにできよう。火を消し溺れた者を救うのに、やり方が美しくはいられず、是非を弁論するのに、言葉が巧みではいられない。沢に入って亀を追うのに足もとを整えるいとまはなく、深い淵で蛟を捕らえるのに手を定めるいとまはない。言葉が険しく辞が簡ければ指す趣は妙で遠く、言葉が甘く文が尖っていれば意は浅く小さいことに向かう。稲や穀物が千鍾あれば糠と皮が大半であり、銭を数えて億に満ちれば緒が切れて万がこぼれる。大羹には必ず淡い味があり、至れる宝には必ず瑕と汚れがあり、大きな竹簡には必ず大いに良いところがあり、良い職人にも必ず巧みでないところがある。であれば弁の立つ言葉にも必ず屈するところがあり、通じた文にもなお退けるところがある。言葉が金だと言われるのは貴い家から起こり、文が糞だと言われるのは賤しい家から出る。『淮南』『呂氏』にわざわいも害もなかったのは、出どころが家が富み官が貴かったからだ。そもそも貴いから市に懸けられ、富んでいるから千金の賞が添えられた。見て読む者は恐れ憚って、食い違って合わないのを見ても、どうして一字をとがめられよう。

充書既成,或稽合於古,不類前人。或曰:「謂之飾歲偶辭,或徑或迂,或屈或舒。謂之論道,實事委瑣,文給甘酸,諧於經不驗,集於傳不合,稽之子長不當,內之子雲不入。文不與前相似,安得名佳好,稱工巧?」答曰:飾貌以強類者失形,調辭以務似者失情。百夫之子,不同父母,殊類而生,不必相似,各以所稟,自為佳好。文必有與合然後稱善,是則代匠斫不傷手,然後稱工巧也。文士之務,各有所從,或調辭以巧文,或辯偽以實事。必謀慮有合,文辭相襲,是則五帝不異事,三王不殊業也。美色不同面,皆佳於目;悲音不共聲,皆快於耳。酒醴異氣,飲之皆醉;百穀殊味,食之皆飽。謂文當與前合,是謂舜眉當複八採,禹目當複重瞳。

王充の書ができあがったが、古いものに照らし合わせれば、前の人と似ていない。ある人は言う。「これを、年を飾り辞を並べたものといい、まっすぐだったり遠まわりだったり、屈んだり伸びたりしている。これを道を論じたものといいながら、実の事は細々として、文は甘さと酸っぱさばかりだ。経に合わせれば当たらず、伝に集めれば合わず、子長に照らせば当たらず、子雲に入れれば入らない。文が前のものと似ていないのに、どうして佳く良いと名づけ、巧みだと称されよう。」答える。姿を飾って無理に似せる者は形を失い、辞を調えて似せることに努める者は情を失う。百人の男の子が父母を同じくせず、別の類として生まれて必ず似ているわけではなく、それぞれ受けたものによって、おのずと佳く良いのである。文が必ず何かに合ってはじめて善いと称されるというなら、それは職人の代わりに削って手を傷つけなくてはじめて巧みと称される、というようなものだ。文士の務めには、それぞれ従うところがあって、辞を調えて文を巧みにする者もあり、偽りを分けて事を実のものにする者もある。必ず思いめぐらすところが合い、文辞が互いに引き継ぐべきだというなら、それは五帝が事を異にせず、三王が業を異にしないということだ。美しい色は顔が同じでなくても、どれも目に佳く、悲しい音は声を同じくしなくても、どれも耳に心地よい。酒と醴は気が違っても、飲めばどれも酔い、百穀は味が違っても、食べればどれも満ちる。文が前のものと合うべきだというのは、舜の眉がまた八彩であるべきで、禹の目がまた重ねた瞳であるべきだというようなものだ。

充書文重。或曰:「文貴約而指通,言尚省而趨明。辯士之言要而達,文人之辭寡而章。今所作新書,出萬言,繁不省,則讀者不能盡;篇非一,則傳者不能領。被躁人之名,以多為不善。語約易言,文重難得。玉少石多,多者不為珍;龍少魚眾,少者固為神。」答曰:有是言也。蓋〔要〕言無多,而華文無寡。為世用者,百篇無害;不為用者,一章無補。如皆為用,則多者為上,少者為下。累積千金,比於一百,孰為富者?蓋文多勝寡,財寡愈貧。世無一卷,吾有百篇;人無一字,吾有萬言,孰者為賢?今不曰所言非,而云泰多,不曰世不好善,而云不能領,斯蓋吾書所以不得省也。夫宅舍多,土地不得小;戶口眾,簿籍不得少。今失實之事多,華虛之語眾,指實定宜,辯爭之言,安得約徑?韓非之書,一條無異,篇以十第,文以萬數。夫形大,衣不得褊;事眾,文不得褊。事眾文饒,水大魚多。帝都谷多,王市肩磨。書雖文重,所論百種。按古太公望,近董仲舒,傳作書篇百有餘,吾書亦才出百,而云泰多,蓋謂所以出者微,觀讀之者不能不譴呵也。河水沛沛,比夫眾川,孰者為大?蟲繭重厚,稱其出絲,孰為多者?

王充の書は文が重い。ある人は言う。「文は簡約で指すところが通じていることを貴び、言葉は省いて趣が明らかであることを尊ぶ。弁の立つ士の言葉は要を得て通じ、文人の辞は少なくて顕れている。いま作った新しい書は一万語を越えて、くだくだしくて省かれていないので、読む者は読みきれず、篇が一つでないので、伝える者が取りまとめられない。せっかちな人という名を受けて、多いことが善くないとされる。言葉が簡約なら語りやすく、文が重ければ得にくい。玉は少なく石は多いので、多いものは珍重されず、竜は少なく魚は多いので、少ないものがもとより神妙だ。」答える。そういう言い方はある。思うに要を得た言葉には多いということがなく、華やかな文には少ないということがない。世に用いられるものは百篇でも害がなく、用いられないものは一章でも補いがない。もしどれも用いられるなら、多いものが上となり、少ないものが下となる。千金を積んだのを一百に比べれば、どちらが富んでいるのか。思うに文は多いほうが少ないほうに勝ち、財は少ないほどいよいよ貧しい。世に一巻もないのに私には百篇あり、人に一字もないのに私には一万語ある。どちらが賢いのか。いま、言っていることが誤りだとは言わずに多すぎると言い、世が善を好まないとは言わずに取りまとめられないと言う。これがおそらく私の書が省けない理由である。そもそも家が多ければ土地が小さくはいられず、戸口が多ければ帳簿が少なくはいられない。いま実を外した事が多く、華やかで虚ろな言葉が多いのに、実を指しふさわしさを定めて弁じ争う言葉が、どうして簡約で近道でいられよう。韓非の書は一つの条目に違いはないが、篇は十で順をつけ、文は万で数える。そもそも体が大きければ衣は狭くはいられず、事が多ければ文は狭くはいられない。事が多く文が豊かなのは、水が大きければ魚が多いのと同じだ。帝の都には穀物が多く、王の市では肩がすれ合う。書は文が重くても、論ずるところは百種ある。調べてみれば、昔の太公望、近くは董仲舒が伝や書を作ったのは篇が百余りで、私の書もやっと百を越えただけなのに多すぎるという。思うに出どころが微かなので、見て読む者がとがめ叱らずにいられないということだ。黄河が満々と流れるのをあの多くの川に比べれば、どちらが大きいのか。虫の繭が重く厚いのを、その出す糸と比べて言えば、どちらが多いのか。

充仕數不耦,而徒著書自紀。或〔戲〕曰:「所貴鴻材者,仕宦耦合,身容說納,事得功立,故為高也。今吾子涉世落魄,仕數黜斥,材未練於事,力未盡於職,故徒幽思屬文,著記美言,何補於身?眾多欲以何移乎?」答曰:材鴻莫過孔子。孔子才不容,斥逐,伐樹,接〔淅〕,見圍,削跡,困餓陳、蔡,門徒菜色。今吾材不逮孔子,不偶之厄,未與之等,偏可輕乎?且達者未必知,窮者未必愚。遇者則得,不遇失之。故夫命厚祿善,庸人尊顯;命薄祿惡,奇俊落魄。比以偶合稱材量德,則夫專城食土者,材賢孔、墨。身貴而名賤,則居潔而行墨。食千鍾之祿,無一長之德,乃可戲也。若夫德高而名白,官卑而祿泊,非才能之過,未足以為累也。士願與憲共廬,不慕與賜同衡;樂與夷俱旅,不貪與蹠比跡。高士所貴,不與俗均,故其名稱不與世同。身與草木俱朽,聲與日月並彰,行與孔子比窮,文與楊雄為雙,吾榮之。身通而知困,官大而德細,於彼為榮,於我為累。偶合容說,身尊體佚,百載之後,與物俱歿,名不流於一嗣,文不遺於一札,官雖傾倉,文德不豐,非吾所臧。德汪而淵懿,知滂沛而盈溢,筆瀧漉而雨集,言溶㵠而泉出,富材羨知,貴行尊志,體列於一世,名傳於千載,乃吾所謂異也。

王充は仕えてしばしばめぐり合わせが合わず、ただ書を著して自ら記す。ある人がたわむれて言う。「大きな才を貴ぶのは、仕官でめぐり合わせが合い、身が受け入れられ説が納れられて、事が成って功が立つから高いとされるのだ。いまあなたは世を渡るのに落ちぶれて、官でしばしば退けられ、才はまだ事に鍛えられず、力はまだ職に尽くされていないので、ただ奥まって思いめぐらせ文をつなぎ、記を著して言葉を美しくしている。身に何の補いがあるのか。多くて何を動かそうというのか。」答える。才が大きいことで孔子に過ぎる者はない。孔子は才が受け入れられず、退けられ追われ、木を切られ、米を洗っている最中に出立し、囲まれ、跡を削られ、陳と蔡で困り飢えて、門弟は菜の色をしていた。いま私の才は孔子に及ばず、めぐり合わせが合わなかった厄もまだ孔子と同じではないのに、かたよって軽んじられるものか。また通じている者が必ず知があるわけではなく、窮している者が必ず愚かなわけではない。めぐり合った者は得て、めぐり合わなければ失う。だから命が厚く禄が良ければ並の人が尊く顕れ、命が薄く禄が悪ければ並ならぬ俊才が落ちぶれる。めぐり合わせが合うことで才を称え徳をはかるなら、城を預かり土地を食む者が、才において孔子や墨子より賢いことになる。身が貴くて名が賤しければ、住まいは清くても行いは黒い。千鍾の禄を食みながら一つの長所の徳もないのなら、たわむれて言われてよい。だが徳が高くて名が白く、官が低くて禄が薄いのは、才や能の過ちではなく、わざわいとするに足りない。士は原憲と庵をともにすることを願い、子貢と車を同じくすることを慕わず、伯夷とともに旅することを楽しみ、盗跖と跡を並べることを貪らない。高い士が貴ぶところは俗と同じでないので、その名や評判も世と同じでない。身が草や木とともに朽ちても、評判が日や月とともに輝き、行いが孔子と窮しさを並べ、文が揚雄と対になることを、私は誉れとする。身が通じて知が窮し、官が大きくて徳が細いのは、あちらでは誉れだが、私にはわざわいである。めぐり合わせが合い受け入れられ、身が尊く体が安らかであっても、百年の後に物とともに消えて、名が一人の後継ぎにも伝わらず、文が一枚の札にも残らないのなら、官がどれほど蔵を傾けても、文と徳は豊かでなく、私が善しとするところではない。徳が広く深く美しく、知があふれて満ち、筆がさらさらと流れて雨のように集まり、言葉が湧いて泉のように出て、才を豊かにし知を余し、行いを貴び志を尊んで、身が一つの世に並べられ、名が千年に伝わる。これが私のいう並ならぬことである。

充細族孤門。或啁之曰:「宗祖無淑懿之基,文墨無篇籍之遺,雖著鴻麗之論,無所稟階,終不為高。夫氣無漸而卒至曰變,物無類而妄生曰異,不常有而忽見曰妖,詭於眾而突出曰怪。吾子何祖?其先不載。況未嘗履墨塗,出儒門,吐論數千萬言,宜為妖變,安得寶斯文而多賢?」答曰:鳥無世鳳皇,獸無種麒麟,人無祖聖賢,物無常嘉珍。才高見屈,遭時而然。士貴,故孤興;物貴,故獨產。文孰常在有以放賢,是則〔醴〕泉有故源,而嘉禾有舊根也。屈奇之士見,倜儻之辭生,度不與俗協,庸角不能程。是故罕發之跡,記於牒籍;希出之物,勒於鼎銘。五帝不一世而起,伊、望不同家而出。千里殊跡,百載異發。士貴雅材而慎興,不因高據以顯達。母驪犢騂,無害犧牲;祖濁裔清,不榜奇人。鯀惡禹聖,叟頑舜神。伯牛寢疾,仲弓潔全;顏路庸固,回傑超倫;孔、墨祖愚,丘、翟聖賢;揚家不通,卓有子雲;桓氏稽可,譎出君山。更稟於元,故能著文。

王充は細い一族の孤立した家の出である。ある人がそしって言う。「祖先に清く美しい土台がなく、文や墨に書物の遺しがないので、大きく麗しい論を著しても、受けて登る足がかりがなく、ついに高いとはされない。そもそも気が段取りなく急に至るのを変といい、物が類なくみだりに生まれるのを異といい、ふだんはなくて突然現れるのを妖といい、人々と食い違って突き出るのを怪という。あなたは何を祖先とするのか。その先祖は記録に載っていない。そのうえ墨の道を踏み儒の門から出たこともないのに、論を吐くことが数千万語である。当然これは妖や変であって、どうしてこの文を宝とし賢さが多いといえよう。」答える。鳥に代々続く鳳皇はなく、獣に種として続く麒麟はなく、人に祖先としての聖賢はなく、物につねに美しく珍しいものはない。才が高くても屈するのは、時に出合ってそうなるのだ。士は貴いからこそ孤りで起こり、物は貴いからこそ独りで生まれる。文がどうしていつも賢い者をならうことにあろう。それでは醴泉に古い源があり、嘉禾に古い根があるというようなものだ。曲がって並ならぬ士が現れれば、ぬきんでた辞が生まれる。そのはかりが俗と合わないので、並の角ではそれをはかれない。だからまれに現れた跡が牒や籍に記され、まれに出る物が鼎の銘に刻まれる。五帝は一つの世に起こらず、伊尹と太公望は同じ家から出なかった。千里で跡が違い、百年で現れ方が違う。士は雅な才を貴んで慎んで起こり、高い拠りどころによって顕れ通じるのではない。母が黒くて子牛が赤くても牲に差し支えなく、祖先が濁っていて末裔が清くても、並ならぬ人をそしることはない。鯀は悪く禹は聖であり、瞽叟は頑なで舜は神妙だった。伯牛は病に伏し、仲弓は清く全かった。顔路は並で固かったが、回はぬきんでて仲間を越えた。孔子と墨子の祖先は愚かだったが、丘と翟は聖賢だった。揚の家は通じていなかったが、ぬきんでて子雲があり、桓氏は調べるにとどまる程度だったが、裏返して君山が出た。改めて元から受けるので、文を著すことができるのだ。

充以徙家闢詣揚州部丹陽、九江、廬江。後入為治中,材小任大,職在刺割,筆札之思,歷年寢廢。,罷州家居。年漸七十,時可懸輿。仕路隔絕,志窮無如。事有否然,身有利害。發白齒落,日月逾邁,儔倫彌索,鮮所恃賴。貧無供養,志不娛快。歷數冉冉,庚辛域際,雖懼終徂,愚猶沛沛,乃作《養性》之書,凡十六篇。養氣自守,適時則酒,閉明塞聰,愛精自保,適輔服藥引導,庶冀性命可延,斯須不老。既晚無還,垂書示後。惟人性命,長短有期,人亦蟲物,生死一時。年曆但記,孰使留之?猶入黃泉,消為土灰。上自黃、唐,下臻秦、漢而來,折衷以聖道,□理於通材,如衡之平,如鑑之開,幼老生死古今,罔不詳該。命以不延,籲嘆悲哉!

王充は家を移したことで揚州部の丹陽・九江・廬江に召されて赴いた。後に入って治中となり、才は小さく任は大きく、職が調べ裁いて処することにあったので、筆と札の思いは年を越えて眠り廃れた。州を辞して家に暮らした。年がようやく七十で、官を退いてよい時だった。仕える道は塞がれ絶え、志は窮してどうしようもなかった。事に否と然があり、身に利と害がある。髪は白く歯は抜け、日と月はいよいよ過ぎ、仲間はいよいよ寂しく、頼れるものがまれになった。貧しくて養うものがなく、志は楽しく晴れなかった。年を数える歩みはじりじりと進んで庚と辛のきわに至り、ついに死ぬことを恐れながらも、愚かな気持ちはなお湧き立って、『養性』の書を作った。全部で十六篇である。気を養って自ら守り、時に合わせて酒を飲み、目を閉じ耳を塞いで、精を愛しんで自ら保ち、折にふれて薬を服み導引を助けにして、どうか性と命が延び、しばらくでも老いないようにと願う。もう遅くて引き返せないので、書を遺して後に示す。ただ人の性と命は、長短に期があり、人も虫や物と同じで、死と生はひとときのことだ。年が記されるだけで、だれがそれを留められよう。やはり黄泉に入って、消えて土と灰になる。上は黄帝や唐堯から、下は秦や漢以来に至るまで、聖人の道で折り合いをつけ、通じた才で理を調べ、秤の平らかさのように、鏡の開けているように、幼さと老い、生と死、古と今を、くわしく備えないものがない。命は延びないのだから、ああ、嘆かわしく悲しいことだ。