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七患

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 5 · 漢字 960字 · 朗読 3.8分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

子墨子曰:國有七患。七患者何?城郭溝池不可守,而治宮室,一患也。邊國至境,四鄰莫救,二患也。先盡民力無用之功,賞賜無能之人,民力盡於無用,財寶虛於待客,三患也。仕者持祿,游者憂交,君脩法討臣,臣懾而不敢拂,四患也。君自以爲聖智而不問事,自以爲安彊而無守備,四鄰謀之不知戒,五患也。所信不忠,所忠不信,六患也。畜種菽粟不足以食之,大臣不足以事之,賞賜不能喜,誅罰不能威,七患也。以七患居國,必無社稷;以七患守城,敵至國傾。七患之所當,國必有殃。

墨子先生が言った。「国には七つの患いがある。七つの患いとは何か。

城郭や堀や池を守れないのに宮室を造り整えるのが、第一の患いである。

隣国の軍が国境に至っても、四方の隣国のどこも救ってくれないのが、第二の患いである。

まず民の力を役に立たない仕事で使い果たし、能のない人に褒美を与え、民の力が無用なことで尽き、財宝が客のもてなしで空になるのが、第三の患いである。

官にある者は禄を守るだけ、遊説する者は交わりを気にするだけで、君が法を整えて臣を責めるので、臣は怯えて逆らおうとしないのが、第四の患いである。

君が自分を聖く賢いと思って事を問わず、自分を安らかで強いと思って守りの備えがなく、四方の隣国が自分を謀っているのに警戒することを知らないのが、第五の患いである。

信じている者が忠でなく、忠な者を信じないのが、第六の患いである。

蓄え育てた豆や穀物が人を食わせるに足らず、大臣が事を任せるに足らず、褒美を与えても喜ばせられず、誅し罰しても威が立たないのが、第七の患いである。

七つの患いを抱えて国にあれば、必ず社稷を失い、七つの患いを抱えて城を守れば、敵が至って国は傾く。七つの患いのあるところには、国に必ず災いがある。」

凡五穀者,民之所仰也,君之所以爲養也。故民無仰則君無養,民無食則不可事。故食不可不務也,地不可不力也,用不可不節也。五穀盡收則五味盡御於主,不盡收則不盡御。一穀不收謂之饉,二穀不收謂之旱,三穀不收謂之凶,四穀不收謂之餽,五穀不收謂之饑。歲饉,則仕者大夫以下皆損祿五分之一。旱,則損五分之二。凶,則損五分之三。餽,則損五分之四。饑,則盡無祿,稟食而已矣。故凶饑存乎國,人君徹鼎食五分之三,大夫徹縣,士不入學,君朝之衣不革制,諸侯之客,四鄰之使,雍食而不盛,徹驂騑,塗不芸,馬不食粟,婢妾不衣帛,此告不足之至也。

およそ五穀は民が頼るところであり、君が養われるところである。だから民に頼るところがなければ君は養われず、民に食べる物がなければ使うことができない。だから食に努めないわけにはいかず、土地に力を尽くさないわけにはいかず、費いを節さないわけにはいかない。

五穀をすべて収めれば五味がすべて君に供えられ、すべて収められなければすべて供えられない。一穀が収まらないのを饉といい、二穀が収まらないのを旱といい、三穀が収まらないのを凶といい、四穀が収まらないのを餽といい、五穀が収まらないのを饑という。

饉の年には、官にある者は大夫以下みな禄を五分の一減らす。旱なら五分の二を減らし、凶なら五分の三を減らし、餽なら五分の四を減らし、饑なら禄をすべてなくして穀物の支給を受けるだけにする。

だから凶年と飢えが国にあれば、君は鼎に盛る食事の五分の三を下げ、大夫は吊るした楽器を下げ、士は学校に入らず、君の朝服を新しく仕立てず、諸侯の客や四方の隣国の使者に食事を出しても盛大にはせず、添え馬を外し、道の草を取らず、馬に穀物を食わせず、婢や妾に絹を着せない。これは足りないことを知らせる極みである。

今有負其子而汲者,隊其子於井中,其母必從而道之。今歲凶、民飢、道饉,此疚重於隊其子,其可無察邪?故時年歲善,則民仁且良;時年歲凶,則民吝且惡。夫民何常此之有?爲者寡,食者衆,則歲無豐。故曰:「財不足則反之時,食不足則反之用。」故先民以時生財,固本而用財,則財足。故雖上世之聖王,豈能使五穀常收,而旱水不至哉!然而無凍餓之民者,何也?其力時急,而自養儉也。故《夏書》曰「禹七年水」,《殷書》曰「湯五年旱」,此其離凶饑甚矣。然而民不凍餓者,何也?其生財密,其用之節也。

いま自分の子を背負って水を汲む者が、その子を井戸に落としたなら、その母は必ず後を追って引き上げる。いま年が凶で民が飢え、道に飢え死ぬ者が出る。この痛みは自分の子を落としたことより重いのに、察しないでいられようか。

だからその年が良ければ民は仁であり善良であり、その年が凶であれば民は物惜しみし凶暴である。およそ民に何の定まった性があろうか。

働く者が少なく食う者が多ければ、その年に豊かさはない。だからいう、「財が足りなければ時に立ち返り、食が足りなければ費いに立ち返れ」と。だから昔の人は時にかなって財を生み、根本を固めて財を使ったので、財が足りた。

だから、たとえ昔の世の聖王でも、どうして五穀を常に収めさせ、旱や水害が来ないようにできただろうか。それでも凍え飢える民がいなかったのはなぜか。その力の用い方が時に急であり、自分を養うのが倹しかったからである。

だから『夏書』に「禹の七年の水」といい、『殷書』に「湯の五年の旱」という。これは凶年と飢えに遭うことがひどかったのである。それでも民が凍え飢えなかったのはなぜか。その財を生むことが細やかで、その使い方に節があったからである。

故倉無備粟,不可以待凶饑;庫無備兵,雖有義,不能征無義;城郭不備完,不可以自守;心無備慮,不可以應卒。是若慶忌無去之心,不能輕出。夫桀無待湯之備,故放;紂無待武王之備,故殺。桀紂貴爲天子,富有天下,然而皆滅亡於百里之君者,何也?有富貴而不爲備也。故備者,國之重也。

だから、倉に備えの穀物がなければ凶年と飢えを待ち受けられず、庫に備えの武器がなければ、たとえ義があっても不義を討つことができず、城郭が完全に備わっていなければ自ら守ることができず、心に備えの思慮がなければ急な事に応ずることができない。これは、慶忌に去る心がなければ軽々しく出られないのと同じである。

そもそも桀は湯を待ち受ける備えがなかったので追われ、紂は武王を待ち受ける備えがなかったので殺された。桀と紂は貴きこと天子であり、富むこと天下を持っていたのに、どちらも百里の君に滅ぼされたのはなぜか。富み貴くありながら備えをしなかったからである。だから備えとは、国の重い事である。

夾注 1

是若慶忌無去之心,不能輕出

底本が整っておらず、この一句だけが前後の「備えがなければ…できない」という調子と異なる。慶忌を人の名と見て訳した。― 訳者

食者,國之寶也;兵者,國之爪也,城者所以自守也。此三者,國之具也。故曰:以其極賞,脩其城郭,則民勞而不傷;以其常正,收其租稅,則民費而不病。民所苦者,非此也。苦於厚作斂於百姓,賞以賜無功,虛其府庫,以備車馬衣裘奇怪。苦其役徒,以治宮室觀樂,死又厚爲棺椁,多爲衣裘。生時治臺榭,死又脩墳墓。故民苦於外,府庫單於內。上不厭其樂,下不堪其苦。故國離寇敵則傷,民見凶饑則亡,此皆備不具之罪也。且夫食者,聖人之所寶也。故《周書》曰:「國無三年之食者,國非其國也;家無三年之食者,子非其子也。」此之謂國備。

食は国の宝であり、武器は国の爪であり、城は自ら守るためのものである。この三つは国の備えである。

だからいう、極みまで厚い褒美をもってその城郭を修めれば、民は苦労しても損なわれず、常の法によってその租税を収めれば、民は費いを出しても病まない、と。民が苦しむのはこれではない。

民に厚く取り立てて功のない者に褒美として与え、その府庫を空にして車馬や衣服や毛皮や珍奇な物を備えることに使うのを苦しむ。使役の者を苦しめて宮室や見物の場を造り整え、死んでからはまた棺を厚く作り衣服や毛皮を多く納め、生きているうちは台や楼を造り、死んでからはまた墳墓を修める。

だから民は外で苦しみ、府庫は内で尽きる。上はその楽しみに飽きず、下はその苦しみに堪えない。だから国が外敵に遭えば損なわれ、民が凶年と飢えに遭えば滅びる。これはみな備えが整っていない罪である。

またそもそも食は聖人が宝とするところである。だから『周書』にいう、「国に三年の食がなければ、国はその国ではなく、家に三年の食がなければ、子はその子ではない」と。これを国の備えという。