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公孟

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 24 · 漢字 2,964字 · 朗読 11.9分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

公孟子謂子墨子曰:「君子共己以待,問焉則言,不問焉則止。譬若鍾然,扣則鳴,不扣則不鳴。」子墨子曰:「是言有三物焉,子乃今知其一耳也,又未知其所謂也。若大人行淫暴於國家,進而諫則謂之不遜,因左右而獻諫則謂之言議,此君子之所疑惑也。若大人爲政,將因於國家之難,譬若機之將發也然,君子之必以諫,然而大人之利。若此者,雖不扣必鳴者也。若大人舉不義之異行,雖得大巧之經,可行於軍旅之事,欲攻伐無罪之國有之也,君得之則必用之矣,以廣辟土地,著稅僞材。出必見辱,所攻者不利,而攻者亦不利,是兩不利也。若此者,雖不扣必鳴者也。且子曰:『君子共己,待問焉則言,不問焉則止。譬若鍾然,扣則鳴,不扣則不鳴。』今未有扣子而言,是子之謂不扣而鳴邪?是子之所謂非君子邪?」

公孟子が墨子先生に言った。「君子は自分の身を恭しくして待ち、問われれば言い、問われなければやめる。たとえれば鐘のようなもので、叩けば鳴り、叩かなければ鳴らない。」

墨子先生が言った。「この言葉には三つのことがあるのに、あなたはいまその一つだけを知っているだけで、またその言うところを知らない。

もし大人が国家でみだれ暴れることを行えば、進み出て諫めれば恭しくないといわれ、側近を通して諫めを差し出せば陰で論じているといわれる。これが君子の疑い惑うところである。

もし大人の政の執り方が、やがて国家の難を招いて、たとえば罠が今にも跳ねようとするようであれば、君子が必ず諫めてこそ大人に利がある。このような場合は、たとえ叩かれなくても必ず鳴らなければならない。

もし大人が不義な異様な行いを起こし、たとえ大いに巧みな筋道を得て軍事に行えるものであっても、罪のない国を攻めようとする心があって、君がこれを得れば必ず用いるだろうから、土地を広げ、税をかけ、財を偽り飾るというなら、出れば必ず恥を見、攻められる側も利がなく、攻める側も利がなく、これはどちらにも利がない。このような場合は、たとえ叩かれなくても必ず鳴らなければならない。

またあなたは『君子は自分の身を恭しくして、問われれば言い、問われなければやめる。たとえれば鐘のようなもので、叩けば鳴り、叩かなければ鳴らない』と言った。いま誰もあなたを叩かなかったのに言ったのだから、これはあなたのいう、叩かれないのに鳴ったことなのか。これはあなたのいう、君子でないということなのか。」

公孟子謂子墨子曰:「實爲善人,孰不知?譬若良玉,處而不出,有餘精。譬若美女,處而不出,人爭求之。行而自衒,人莫之取也。今子徧從人而說之,何其勞也!」子墨子曰:「今夫世亂,求美女者衆,美女雖不出,人多求之。今求善者寡,不强說人,人莫之知也。且有二生於此,善星一,行爲人筮者,與處而不出者,其糈孰多?」公孟子曰:「行爲人筮者其糈多。」子墨子曰:「仁義鈞,行說人者,其功善亦多,何故不行說人也?」

公孟子が墨子先生に言った。「まことに善い人であれば、誰が知らずにいましょうか。たとえれば良い玉があって、そこにあって出て行かなくても余る光があり、たとえれば美しい女がそこにいて出て行かなくても人が争って求めるのと同じです。歩き回って自ら売り込めば、人は取りません。いまあなたがあまねく人を追って説くのは、なんと苦労なことでしょう。」

墨子先生が言った。「いまあの世が乱れて美しい女を求める者が多いので、美しい女はたとえ出て行かなくても人が多く求める。いま善い者を求める者は少ないので、努めて人に説かなければ、人は知らない。

またここに二人の人がいて、星占いを同じようによくするのに、一人は歩き回って人に占ってやり、一人はそこにいて出て行かないなら、その報酬はどちらが多いだろうか。」

公孟子が言った。「歩き回って人に占ってやる者の報酬が多いでしょう。」

墨子先生が言った。「仁義が同じなら、歩き回って人に説く者の功と善もまた多い。何のゆえに歩き回って人に説かないことがあろうか。」

公孟子義章甫、搢忽、儒服,而以見子墨子,曰:「君子服然後行乎?其行然後服乎?」子墨子曰:「行不在服。」公孟子曰:「何以知其然也?」子墨子曰:「昔者齊桓公高冠博帶,金劍木盾,以治其國,其國治。昔者晉文公大布之衣,牂羊之裘,韋以帶劍,以治其國,其國治。昔者楚莊王鮮冠組纓,綘衣博袍,以治其國,其國治。昔者越王句踐剪髮文身,以治其國,其國治。此四君者,其服不同,其行猶一也。翟以是知行之不在服也。」公孟子曰:「善。吾聞之曰『宿善者不祥』,請舍忽易章甫,復見夫子,可乎?」子墨子曰:「請因以相見也,若必將舍忽易章甫而後相見,然則行果在服也。」

公孟子が章甫の冠をかぶり、笏を挟み、儒の服を着て墨子先生に見えて言った。「君子は服を整えてから行うのですか、それとも行ってから服を整えるのですか。」

墨子先生が言った。「行いは服にあるのではない。」

公孟子が言った。「何によってそうだと分かるのですか。」

墨子先生が言った。「昔、斉の桓公は高い冠と広い帯に金の剣と木の盾でその国を治め、その国は治まった。昔、晋の文公は太い布の衣と雌羊の皮の衣に革で剣を帯びてその国を治め、その国は治まった。昔、楚の荘王は美しい冠と組紐の纓に赤い衣と広い袍でその国を治め、その国は治まった。昔、越王勾践は髪を切り体に模様を入れてその国を治め、その国は治まった。

この四人の君は、その服は同じでなかったが、その行いはやはり一つであった。私、翟はこれによって行いが服にあるのではないと分かる。」

公孟子が言った。「よろしい。私はこう聞いています、『善を寝かせておく者は不吉だ』と。笏を置き章甫を替えて、もう一度先生に見えてもよろしいですか。」

墨子先生が言った。「そのまま互いに会うことを請う。もし必ず笏を置き章甫を替えてから互いに会うのなら、それなら行いははたして服にあることになる。」

公孟子曰:「君子必古言服,然後仁。」子墨子曰:「昔者商王紂卿士費仲爲天下之暴人,箕子、微子爲天下之聖人,此同言而或仁或不仁也。周公旦爲天下之聖人,關叔爲天下之暴人,此同服或仁或不仁。然則不在古服與古言矣。且子法周,而未法夏也,子之古非古也。」

公孟子が言った。「君子は必ず古の言葉を話し古の服を着て、はじめて仁である。」

墨子先生が言った。「昔、商の王紂の卿士である費仲は天下の暴な人であり、箕子と微子は天下の聖人であった。これは言葉が同じなのに、ある者は仁であり、ある者は仁でなかったのである。周公旦は天下の聖人であり、関叔は天下の暴な人であった。これは服が同じなのに、ある者は仁であり、ある者は仁でなかったのである。それなら、古の服と古の言葉にあるのではない。

またあなたは周を法とし、夏を法としていない。あなたの古は古ではない。」

公孟子謂子墨子曰:「昔者聖王之列也,上聖立爲天子,其次立爲卿大夫。今孔子博於《詩》《書》,察於禮樂,詳於萬物,若使孔子當聖王,則豈不以孔子爲天子哉?」子墨子曰:「夫知者,必尊天事鬼,愛人節用,合焉爲知矣。今子曰孔子博於《詩》《書》,察於禮樂,詳於萬物,而曰可以爲天子,是數人之齒而以爲富。」

公孟子が墨子先生に言った。「昔の聖王が序列を立てたとき、もっとも聖い者を立てて天子とし、その次を立てて卿や大夫としました。いま孔子は『詩』や『書』に広く、礼楽に明らかで、万物に詳しいのだから、もし孔子に聖王に出会わせたなら、どうして孔子を天子としなかったでしょうか。」

墨子先生が言った。「そもそも賢い者は、必ず天を尊び鬼神に仕え、人を愛し用いることに節を立てる。これが合わさってはじめて賢いという。いまあなたは、孔子が『詩』や『書』に広く、礼楽に明らかで、万物に詳しいといって天子になれるという。これは人の歯を数えておいて富んでいるとすることである。」

公孟子曰:「貧富壽夭,齰然在天,不可損益。」又曰:「君子必學。」子墨子曰:「教人學而執有命,是猶命人葆而去亓冠也。」

公孟子が言った。「貧しさと富、長命と若死には、はっきりと天にあって、減らしたり増やしたりできません。」また言った。「君子は必ず学ばなければなりません。」

墨子先生が言った。「人に学ぶことを教えながら命があると執る。これは人に衣を包めと命じながら、その冠を取り去るのと同じである。」

公孟子謂子墨子曰:「有義不義,無祥不祥。」子墨子曰:「古者聖王皆以鬼神爲神明,而爲禍福,執有祥不祥,是以政治而國安也。自桀紂以下,皆以鬼神爲不神明,不能爲禍福,執無祥不祥,是以政亂而國危也。故先王之書《子亦》有之曰:『亓傲也,出於子,不祥。』此言爲不善之有罰,爲善之有賞。」

公孟子が墨子先生に言った。「義と不義はあっても、吉と不吉はありません。」

墨子先生が言った。「昔の聖王はみな鬼神を神妙で明らかとし、災いと福をなすとして、吉と不吉があると執ったので、これによって政は治まり国は安らかであった。

桀と紂より下はみな鬼神を神妙でも明らかでもないとし、災いと福をなすことはできないとして、吉と不吉はないと執ったので、これによって政は乱れ国は危うかった。

だから先王の書『子亦』にそれがあって、こういう。『その驕りがあなたから出れば不吉である。』これは、善くないことを行えば罰があり、善を行えば賞があることを言うのである。」

子墨子謂公孟子曰:「喪禮,君與父母、妻、後子死,三年喪服。伯父、叔父、兄弟期,族人五月,姑姊、舅甥皆有數月之喪。或以不喪之閒誦詩三百,弦詩三百,歌詩三百,舞詩三百。若用子之言,則君子何日以聽治?庶人何日以從事?」

墨子先生が公孟子に言った。「喪の礼では、君と父母と妻と嫡子が死ねば三年の喪服を着、伯父や叔父や兄弟は一年、一族の人は五か月、おばや姉や母の兄弟や甥にもみな数か月の喪がある。

そのうえ、喪に服さない合間に『詩』三百を誦し、『詩』三百を弦に奏し、『詩』三百を歌い、『詩』三百を舞う。もしあなたの言葉を用いれば、君子はどの日に政を聴いて治め、庶民はどの日に事に当たるのか。」

公孟子曰:「國亂則治之,國治則爲禮樂。國貧則從事,國富則爲禮樂。」子墨子曰:「國之治也,治之,故治也。治之廢,則國之治亦廢。國之富也,從事,故富也。從事廢,則國之富亦廢。故雖治國,勸之無饜,然後可也。今子曰『國治則爲禮樂,亂則治之』,是譬猶噎而穿井也,死而求醫也。古者三代暴王桀紂幽厲,薾爲聲樂,不顧其民,是以身爲刑僇、國爲虛戾者,皆從此道也。」

公孟子が言った。「国が乱れれば治め、国が治まれば礼楽を行い、国が貧しければ事に当たり、国が富めば礼楽を行います。」

墨子先生が言った。「国が治まるのは、治めたから治まったのである。治めることをやめれば、国の治まりもまたやむ。国が富むのは、事に当たったから富んだのである。事に当たることをやめれば、国の富もまたやむ。だから、たとえ治まった国でも、努めることを飽きることなく続けてはじめてよいのである。

いまあなたは『国が治まれば礼楽を行い、乱れれば治める』という。これはたとえれば、喉が詰まってから井戸を掘り、死んでから医者を求めるのと同じである。

昔の三代の暴王である桀と紂と幽王と厲王が声と楽を盛んにしてその民を顧みなかったので、これによって身が刑に処され国が荒れ地となったのは、どれもこの道に従ったからである。」

公孟子曰:「無鬼神。」又曰:「君子必學祭礼。」子墨子曰:「執無鬼而學祭禮,是猶無客而學客禮也,是猶無魚而爲魚𦊟也。」

公孟子が言った。「鬼神はいません。」また言った。「君子は必ず祭りの礼を学ばなければなりません。」

墨子先生が言った。「鬼神がないと執りながら祭りの礼を学ぶ。これは客がいないのに客をもてなす礼を学ぶのと同じであり、魚がいないのに魚の網を作るのと同じである。」

公孟子謂子墨子曰:「子以三年之喪爲非,子之三日之喪亦非也。」子墨子曰:「子以三年之喪非三日之喪,是猶倮謂撅者不恭也。」

公孟子が墨子先生に言った。「あなたは三年の喪を誤りとするが、あなたの三日の喪もまた誤りです。」

墨子先生が言った。「あなたが三年の喪で三日の喪を誤りとする。これは、裸の者が裾をまくった者に恭しくないというのと同じである。」

公孟子謂子墨子曰:「知有賢於人,則可謂知乎?」子墨子曰:「愚之知有以賢於人,而愚豈可謂知矣哉?」

公孟子が墨子先生に言った。「知が人よりまさるところがあれば、賢いといえますか。」

墨子先生が言った。「愚かな者の知にも人よりまさるところはあるが、愚かな者をどうして賢いといえようか。」

公孟子曰:「三年之喪,學吾之慕父母。」子墨子曰:「夫嬰兒子之知,獨慕父母而已。父母不可得也,然號而不止,此亓故何也?即愚之至也。然則儒者之知,豈有以賢於嬰兒子哉?」

公孟子が言った。「三年の喪は、私が父母を慕うことを学ぶのです。」

墨子先生が言った。「そもそも赤子の知は、ただ父母を慕うだけである。父母を得られなければ泣いてやまない。これは何のゆえか。つまり愚かさの極みである。それなら儒者の知が、どうして赤子よりまさるところがあろうか。」

子墨子問於儒者曰:「何故爲樂?」曰:「樂以爲樂也。」子墨子曰:「子未我應也。今我問曰『何故爲室』,曰『冬避寒焉,夏避暑焉,室以爲男女之別也』,則子告我爲室之故矣。今我問曰『何故爲樂』,曰『樂以爲樂也』,是猶曰『何故爲室』,曰『室以爲室也』。」

墨子先生が儒者に問うた。「何のゆえに音楽をするのか。」

言った。「音楽は楽しみとするためです。」

墨子先生が言った。「あなたはまだ私に答えていない。いま私が『何のゆえに家を建てるのか』と問えば、『冬は寒さを避け、夏は暑さを避け、家で男女の分けをする』という。これはあなたが私に家を建てる理由を告げたのである。

いま私が『何のゆえに音楽をするのか』と問うと『音楽は楽しみとするためだ』という。これは『何のゆえに家を建てるのか』と問うと『家は家とするためだ』というのと同じである。」

子墨子謂程子曰:「儒之道足以喪天下者,四政焉。儒以天爲不明,以鬼爲不神,天鬼不說,此足以喪天下。又厚葬久喪,重爲棺椁,多爲衣衾,送死若徙,三年哭泣,扶後起,杖後行,耳無聞,目無見,此足以喪天下。又弦歌鼓舞,習爲聲樂,此足以喪天下。又以命爲有,貧富壽夭、治亂安危有極矣,不可損益也。爲上者行之,必不聽治矣;爲下者行之,必不從事矣,此足以喪天下。」程子曰:「甚矣,先生之毀儒也。」子墨子曰:「儒固無此若四政者,而我言之,則是毀也。今儒固有此四政者,而我言之,則非毀也,告聞也。」程子無辭而出,子墨子曰:「逆之。」反,復坐。進復曰:「鄉者先生之言,有可聞者焉。若先生之言,則是不譽禹,不毀桀紂也。」子墨子曰:「不然,夫應孰辭稱議而爲之,敏也。厚攻則厚吾,薄攻則薄吾。應孰辭而稱議,是猶荷轅而擊蛾也。」

墨子先生が程子に言った。「儒の道に、天下を失わせるに足るものが四つの政である。

儒は天を明らかでないとし、鬼神を神妙でないとして、天と鬼神が喜ばない。これが天下を失わせるに足る。

また葬りを厚くし喪を長くして、棺を重ね、衣と布団を多くし、死者を送ることを引っ越しのようにし、三年哭き泣いて、支えられてはじめて起き、杖をついてはじめて歩き、耳に聞こえるものがなく、目に見えるものがない。これが天下を失わせるに足る。

また琴と歌と鼓と舞で声と楽を習う。これが天下を失わせるに足る。

また命があるとして、貧しさと富、長命と若死に、治まりと乱れ、安らかさと危うさに極みがあって、減らしたり増やしたりできないという。上となる者がこれを行えば必ず政を聴いて治めず、下となる者がこれを行えば必ず事に当たらない。これが天下を失わせるに足る。」

程子が言った。「ひどいことです、先生が儒を謗るのは。」

墨子先生が言った。「儒にもともとこの四つの政がないのに私がこれを言えば、これは謗りである。いま儒にもともとこの四つの政があって私がこれを言うのなら、これは謗りではなく、聞いたことを告げるのである。」

程子は言うことがなくて出て行った。墨子先生が「彼を迎えよ」と言った。戻ってまた座った。

進み出てまた言った。「さきほどの先生のお言葉には、聞くべきものがありました。しかし先生のお言葉のようであれば、これは禹を誉めず、桀や紂を謗らないことになります。」

墨子先生が言った。「そうではない。そもそも手慣れた言葉で答え、論に見合うようにするのが、すばやさである。厚く攻められれば厚くし、薄く攻められれば薄くする。手慣れた言葉で答えて論に見合うようにするのは、車の轅をかついで蛾を打つのと同じである。」

子墨子與程子辯,稱於孔子。程子曰:「非儒,何故稱於孔子也?」子墨子曰:「是亦當而不可易者也。今鳥聞熱旱之憂則高,魚聞熱旱之憂則下,當此,雖禹湯爲之謀,必不能易矣。鳥魚可謂愚矣,禹湯猶云因焉。今翟曾無稱於孔子乎?」

墨子先生が程子と弁じるときに、孔子を称えた。程子が言った。「儒を非としながら、何のゆえに孔子を称えるのですか。」

墨子先生が言った。「これもまた当たっていて変えられないものである。いま鳥が熱い旱の患いを知れば高く上がり、魚が熱い旱の患いを知れば下に降りる。これについては、たとえ禹や湯が謀っても必ず変えられない。鳥や魚は愚かだといえるのに、禹や湯もやはりそれによるという。いま私がどうして孔子を称えないことがあろうか。」

有游於子墨子之門者,謂子墨子曰:「先生以鬼神爲明知,能爲禍福,爲善者富之,爲暴者禍之。今吾事先生久矣,而福不至。意者,先生之言有不善乎?鬼神不明乎?我何故不得福也?」子墨子曰:「雖子不得福,吾言何遽不善?而鬼神何遽不明?子亦聞乎匿徒之刑之有刑乎?」對曰:「未得之聞也。」子墨子曰:「今有人於此,什子,子能什譽之,而一自譽乎?」對曰:「不能。」「有人於此,百子,子能終身譽亓善,而子無一乎?」對曰:「不能。」子墨子曰:「匿一人者猶有罪,今子所匿者若此亓多,將有厚罪者也,何福之求?」

墨子先生の門に游ぶ者がいて、墨子先生に言った。「先生は鬼神を明らかで賢いとされ、よく災いと福をなして、善を行う者を富ませ、暴を行う者に災いを与えるといわれます。いま私が先生に仕えて久しいのに、福が至りません。思うに、先生のお言葉に善くないところがあるのですか、それとも鬼神が明らかでないのですか。私は何のゆえに福を得られないのですか。」

墨子先生が言った。「たとえあなたが福を得られなくても、私の言葉がどうしてすぐに善くないといえ、鬼神がどうしてすぐに明らかでないといえようか。あなたはまた、隠した者を罰する刑があることを聞いたか。」

答えた。「まだ聞いておりません。」

墨子先生が言った。「いまここにある人がいて、あなたの十倍であれば、あなたは十倍にその人を誉め、一度だけ自分を誉めるだろうか。」

答えた。「そうはできません。」

「ここにある人がいて、あなたの百倍であれば、あなたは終身その善を誉め、あなたは一度もしないだろうか。」

答えた。「そうはできません。」

墨子先生が言った。「一人を隠した者でさえ罪があるのに、いまあなたが隠したものはこのように多いので、やがて重い罪があるだろう。何の福を求めるのか。」

子墨子有疾,跌鼻進而問曰:「先生以鬼神爲明,能爲禍福,爲善者賞之,爲不善者罰之。今先生聖人也,何故有疾?意者,先生之言有不善乎?鬼神不明知乎?」子墨子曰:「雖使我有病,何遽不明?人之所得於病者多方,有得之寒暑,有得之勞苦,百門而閉一門焉,則盜何遽無從入哉?」

墨子先生が病んだとき、跌鼻が進み出て問うた。「先生は鬼神を明らかとされ、よく災いと福をなして、善を行う者に賞し、善くないことを行う者を罰するといわれます。いま先生は聖人なのに、何のゆえに病があるのですか。思うに、先生のお言葉に善くないところがあるのですか、それとも鬼神が明らかで賢くないのですか。」

墨子先生が言った。「たとえ私に病があっても、どうしてすぐに明らかでないといえようか。人が病を得るには幾通りもあって、寒さや暑さから得るものもあり、労苦から得るものもある。百の門のうち一つの門を閉じたからといって、盗人がどうしてすぐに入る所がなくなろうか。」

有游於子墨子之門者,身體强良,思慮徇通,欲使隨而學。子墨子曰:「姑學乎,吾將仕子。」勸於善言而學。其年,而責仕於子墨子。子墨子曰:「不仕子。子亦聞夫魯語乎?魯有昆弟五人者,亓父死,亓長子嗜酒而不葬,亓四弟曰:『子與我葬,當爲子沽酒。』勸於善言而葬。已葬而責酒於其四弟,四弟曰:『吾末予子酒矣。子葬子父,我葬吾父,豈獨吾父哉?子不葬,則人將笑子,故勸子葬也。』今子爲義,我亦爲義,豈獨我義也哉?子不學,則人將笑子,故勸子於學。」

墨子先生の門に游ぶ者がいて、体が強く良く、思慮がよく通じていたので、彼に従って学ばせようとした。墨子先生が言った。「しばらく学びなさい。私はやがてあなたを仕官させよう。」善い言葉で勧めて学ばせた。

その年になって、墨子先生に仕官のことを責めて問うた。墨子先生が言った。「あなたを仕官させない。あなたはまた、あの魯の話を聞いたか。

魯に兄弟五人がいて、その父が死んだのに、その長子は酒を好んで葬らなかった。その四人の弟が『あなたが我らと葬れば、あなたに酒を買ってやろう』と言った。善い言葉で勧めて葬らせた。

すでに葬ってから、その四人の弟に酒を責めて問うと、四人の弟は『我らはあなたに酒を与えない。あなたがあなたの父を葬り、我らが我らの父を葬ったのだ。どうして我らの父だけであろうか。あなたが葬らなければ人があなたを笑うだろうから、あなたに葬ることを勧めたのだ』と言った。

いまあなたが義を行い、私もまた義を行うのだから、どうして私の義だけであろうか。あなたが学ばなければ人があなたを笑うだろうから、あなたに学ぶことを勧めたのだ。」

有游於子墨子之門者,子墨子曰:「盍學乎?」對曰:「吾族人無學者。」子墨子曰:「不然,夫好美者,豈曰吾族人莫之好,故不好哉?夫欲富貴者,豈曰我族人莫之欲,故不欲哉?好美欲富貴者,不視人猶強爲之。夫義,天下之大器也,何以視人?必強爲之。」

墨子先生の門に游ぶ者がいて、墨子先生が言った。「どうして学ばないのか。」

答えた。「わが一族に学ぶ者がおりません。」

墨子先生が言った。「そうではない。そもそも美しいものを好む者が、どうして『わが一族の誰も好まないから好まない』というだろうか。そもそも富み貴くなることを望む者が、どうして『わが一族の誰も望まないから望まない』というだろうか。

美しいものを好み富み貴くなることを望む者は、人を見ずともやはり努めてそれを行う。そもそも義は天下の大きな器なのに、何のために人を見るのか。必ず努めてそれを行うべきである。」

二三子有復於子墨子學射者。子墨子曰:「不可,夫知者必量亓力所能至,而從事焉。國士戰且扶人,猶不可及也。今子非國士也,豈能成學又成射哉?」

二、三人の弟子のうちに、墨子先生に弓を学びたいと申し出た者がいた。

墨子先生が言った。「いけない。そもそも賢い者は、必ず自分の力が至りうるところを量って事に当たる。国の士が戦いながら人を支えることさえ、やはり及ばない。いまあなたは国の士ではないのに、どうして学を成しまた弓を成せようか。」

二三子復於子墨子曰:「告子曰言義而行甚惡,請棄之。」子墨子曰:「不可,稱我言以毀我行,愈於亡。有人於此,翟甚不仁,尊天、事鬼、愛人甚不仁,猶愈於亡也。今告子言談甚辯,言仁義而不吾毀,告子毀,猶愈亡也!」

二、三人の弟子が墨子先生に申し上げた。「告子は義を語りながら行いがはなはだ悪いので、彼を捨てることを請います。」

墨子先生が言った。「いけない。私の言葉を称えながら私の行いを謗るのは、ないよりはまさる。ここにある人がいて『翟ははなはだ仁でなく、天を尊び鬼神に仕え人を愛することがはなはだ仁でない』と言ったとしても、やはりないよりはまさる。

いま告子は論じ弁ずることがはなはだ明らかで、仁義を語りながら私を謗らないのだから、告子の謗りも、やはりないよりはまさる。」

二三子復於子墨子曰:「告子勝爲仁。」子墨子曰:「未必然也,告子爲仁,譬猶跂以爲長,隱以爲廣,不可久也。」

二、三人の弟子が墨子先生に申し上げた。「告子は仁を行うのにまさっています。」

墨子先生が言った。「必ずしもそうではない。告子が仁を行うのは、たとえればつま先で立って背丈とし、身を縮めて幅とするのと同じで、長くは続かない。」

告子謂子墨子曰:「我治國爲政。」子墨子曰:「政者,口言之,身必行之。今子口言之而身不行,是子之身亂也。子不能治子之身,惡能治國政?子姑亡,子之身亂之矣。」

告子が墨子先生に言った。「私は国を治め政を執ります。」

墨子先生が言った。「政とは、口で言えば身が必ず行うものである。いまあなたは口で言いながら身が行わない。これはあなたの身が乱れているのである。あなたがあなたの身を治められないのに、どうして国の政を治められようか。あなたはしばらくやめなさい。あなたの身がすでに乱れている。」