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魯問

墨子(墨翟の書) 墨子 · 墨翟とその門人たち · 紀元前4世紀頃 · 段落 21 · 漢字 3,277字 · 朗読 13.1分

墨子(墨翟の書) 戦国時代に儒家と並んで「二つの大きな群れ」に数えられた学派の文章である。一人の著述ではなく、墨翟とその門人たちが代を継いで加えたものなので、同じ主張を上・中・下の三通りに記した篇が多い。門派が分かれ、それぞれに写し取った跡と見られる。 十の主張が骨格である — 賢い者を高くし(尚賢)、上と義を同じくし(尚同)、あまねく愛し(兼愛)、攻めることを否とし(非攻)、用に節度を置き(節用)、葬に節度を置き(節葬)、天の意に従い(天志)、鬼神を明らかにし(明鬼)、音楽を否とし(非楽)、命を否とする(非命)。 「他人の家を見ることを自分の家のようにすれば、誰が盗むだろうか」が兼愛篇に、桃一つを盗めば罰しながら他国を攻めれば称えるという「非攻」の階段が、尺度なしに語れば「回る轆轤の上に日の出と日の入りの位置を立てるようなもの」だという三表が非命篇にある。 終わりの「公輸」の一篇は物語である。楚が雲梯を作って宋を攻めようとすると、墨子が十日十夜を歩いて行き、公輸盤と帯と木片で九度競って勝ち、帰る道で雨に遭い、よりによってその宋の村の門の内で雨を避けられない。

魯君謂子墨子曰:「吾恐齊之攻我也,可救乎?」子墨子曰:「可。昔者三代之聖王禹湯文武,百里之諸侯也,說忠行義,取天下。三代之暴王桀紂幽厲,讐怨行暴,失天下。吾願主君之上者尊天事鬼,下者愛利百姓,厚爲皮幣,卑辭令,亟徧禮四鄰諸侯,敺國而以事齊,患可救也。非願無可爲者。」

魯の君が墨子先生に言った。「私は斉がわが国を攻めることを恐れている。救えるだろうか。」

墨子先生が言った。「できます。昔の三代の聖王である禹と湯と文王と武王は百里の諸侯でしたが、忠を喜び義を行って天下を取り、三代の暴王である桀と紂と幽王と厲王は仇を結び暴を行って天下を失いました。

私は君が、上は天を尊び鬼神に仕え、下は百姓を愛し利し、皮や幣を厚くし言葉を低くして四方の隣国の諸侯に速やかにあまねく礼を尽くし、国を挙げて斉に仕えられることを願います。そうすれば患いを救えます。これ以外にできることはありません。」

夾注 1

說忠行義

底本は說だが、悦(喜ぶ)の誤りと見る。後の行義と対になる。― 訳者

齊將伐魯,子墨子謂項子牛曰:「伐魯,齊之大過也。昔者吳王東伐越,棲諸會稽;西伐楚,葆昭王於隨;北伐齊,取國太子以歸於吳。諸侯報其讐,百姓苦其勞而弗爲用,是以國爲虛戾,身爲刑戮也。昔者智伯伐范氏與中行氏,兼三晉之地。諸侯報其讎,百姓苦其勞而弗爲用,是以國爲虛戾,身爲刑戮,用是也。故大國之攻小國也,是交相賊也,過必反於國。」

斉がやがて魯を伐とうとしたので、墨子先生が項子牛に言った。「魯を伐つのは斉の大きな過ちです。

昔、呉の王が東に越を伐って会稽に追い込み、西に楚を伐って昭王を隨に隠れさせ、北に斉を伐って国の太子を捕らえて呉に帰りました。諸侯はその仇を復し、百姓はその労苦を苦しんで用いられなかったので、これによって国は荒れ地となり、身は刑に殺されました。

昔、智伯が范氏と中行氏を伐って三晋の地を併せました。諸侯はその仇を復し、百姓はその労苦を苦しんで用いられなかったので、これによって国は荒れ地となり、身は刑に殺されたのは、このためです。

だから大国が小国を攻めるのは、これは交わって互いに害することであり、過ちは必ず自分の国に返ってきます。」

子墨子見齊大王,曰:「今有刀於此,試之人頭,倅然斷之,可謂利乎?」大王曰:「利。」子墨子曰:「多試之人頭,倅然斷之,可謂利乎?」大王曰:「利。」子墨子曰:「刀則利矣,孰將受其不祥?」大王曰:「刀受其利,試者受其不祥。」子墨子曰:「并國覆軍,賊𢽅百姓,孰將受其不祥?」大王俯仰而思之,曰:「我受其不祥。」

墨子先生が斉の大王に見えて言った。「いまここに刀があって、人の首に試してすっと断てれば、鋭いといえますか。」

大王が言った。「鋭い。」

墨子先生が言った。「人の首に幾度も試してすっと断てれば、鋭いといえますか。」

大王が言った。「鋭い。」

墨子先生が言った。「刀は鋭いとして、誰がその不吉を受けるのですか。」

大王が言った。「刀はその鋭さを受け、試した者がその不吉を受ける。」

墨子先生が言った。「国を併せ軍を覆し、百姓を害し殺せば、誰がその不吉を受けるのですか。」

大王は俯いたり仰いだりして考え、こう言った。「私がその不吉を受ける。」

魯陽文君將攻鄭,子墨子聞而止之,謂陽文君曰:「今使魯四境之內,大都攻其小都,大家伐其小家,殺其人民,取其牛馬狗豕布帛米粟貨財,則何若?」魯陽文君曰:「魯四境之內,皆寡人之臣也。今大都攻其小都,大家伐其小家,奪之貨財,則寡人必將厚罰之。」子墨子曰:「夫天之兼有天下也,亦猶君之有四境之內也。今舉兵將以攻鄭,天誅亓不至乎?」魯陽文君曰:「先生何止我攻鄭也?我攻鄭順於天之志,鄭人三世殺其父,天加誅焉,使三年不全,我將助天誅也。」子墨子曰:「鄭人三世殺其父,而天加誅焉,使三年不全,天誅足矣。今又舉兵將以攻鄭,曰:『吾攻鄭也,順於天之志。』譬有人於此,其子强梁不材,故其父笞之。其鄰家之父舉木而擊之,曰:『吾擊之也,順於其父之志。』則豈不悖哉!」子墨子謂魯陽文君曰:「攻其鄰國,殺其民人,取其牛馬粟米貨財,則書之於竹帛,鏤之於金石,以爲銘於鍾鼎,傳遺後世子孫,曰:『莫若吾多。』今賤人也,亦攻其鄰家,殺其人民,取其狗豕食糧衣裘,亦書之竹帛,以爲銘於席豆,以遺後世子孫,曰:『莫若我多。』亓可乎?」魯陽文君曰:「然,吾以子之言觀之,則天下之所謂可者,未必然也。」

魯陽文君がやがて鄭を攻めようとしたので、墨子先生が聞いてこれを止めようと、魯陽文君に言った。

「いま魯の四境の内で、大きな都がその小さな都を攻め、大きな家がその小さな家を伐って、その人民を殺し、その牛や馬や犬や豚や布や絹や米や穀物や財物を取ったら、どうでしょうか。」

魯陽文君が言った。「魯の四境の内はみな寡人の臣である。いま大きな都がその小さな都を攻め、大きな家がその小さな家を伐ってその財物を奪えば、寡人は必ず厚くこれを罰するだろう。」

墨子先生が言った。「そもそも天が天下をあまねく持つことも、君が四境の内を持つのと同じです。いま兵を挙げてやがて鄭を攻めようとされるのに、天の誅がどうして至らないことがありましょうか。」

魯陽文君が言った。「先生はどうして私が鄭を攻めるのを止めるのか。私が鄭を攻めるのは天の志に従うことだ。鄭の人は三代にわたってその父を殺したので、天が誅を加えて三年のあいだ全うできないようにした。私はやがて天の誅を助けるのだ。」

墨子先生が言った。「鄭の人が三代にわたってその父を殺したので、天が誅を加えて三年のあいだ全うできないようにしたのなら、天の誅は十分です。いまさらに兵を挙げてやがて鄭を攻めようとして、『私が鄭を攻めるのは天の志に従うことだ』と言われます。

たとえればここにある人がいて、その子が強情で役に立たないので、その父が鞭打ちます。その隣家の父が棒を取ってその子を打ち、『私がこれを打つのは、その父の志に従うことだ』と言えば、どうして道理に背かずにいましょうか。」

墨子先生が魯陽文君に言った。「その隣国を攻めてその人民を殺し、その牛や馬や穀物や米や財物を取れば、これを竹や絹に書き、金や石に刻み、鐘や鼎に銘として、後の世の子孫に伝え遺して、『誰も私ほど多くはない』と言います。

いま賤しい人もまた、その隣家を攻めてその人を殺し、その犬や豚や食糧や衣や毛皮を取り、やはりこれを竹や絹に書き、敷物や器に銘として、後の世の子孫に遺して、『誰も私ほど多くはない』と言ったら、それでよいのでしょうか。」

魯陽文君が言った。「そうだ。私があなたの言葉で見れば、天下がいうところの『よい』ということが、必ずしもそうではないのだな。」

子墨子謂魯陽文君曰:「世俗之君子,皆知小物而不知大物。今有人於此,竊一犬一彘則謂之不仁,竊一國一都則以爲義。譬猶小視白謂之白,大視白則謂之黑。是故世俗之君子知小物而不知大物者,此若言之謂也。」

墨子先生が魯陽文君に言った。「世俗の君子はみな小さな物は知って大きな物は知りません。いまここにある人がいて、犬一匹と豚一匹を盗めば不仁だといい、国一つと都一つを盗めば義だとします。たとえれば、小さく白いものを見れば白いといい、大きく白いものを見れば黒いというのと同じです。だから世俗の君子が小さな物は知って大きな物は知らないというのは、この言葉を言うのです。」

魯陽文君語子墨子曰:「楚之南有啖人之國者焉,其國之長子生,則解而食之,謂之宜弟。美,則以遺其君,君喜則賞其父。豈不惡俗哉?」子墨子曰:「雖中國之俗,亦猶是也。殺其父而賞其子,何以異食其子而賞其父者哉?苟不用仁義,何以非夷人食其子也?」

魯陽文君が墨子先生に語った。「楚の南に人を食う国があって、その国の長子が生まれると解体して食べ、これを弟に宜しいことだといい、味が良ければその君に送り、君が喜べばその父に賞するという。どうして悪い俗でないことがあろうか。」

墨子先生が言った。「中原の俗もまたこれと同じです。その父を殺してその子に賞するのが、その子を食べてその父に賞するのと何が違いましょうか。まことに仁義を用いないなら、何によって夷の人がその子を食べるのを非とできましょうか。」

魯君之嬖人死,魯君爲之誄,魯人因說而用之。子墨子聞之,曰:「誄者,道死人之志也。今因說而用之,是猶以來首從服也。」魯陽文君謂子墨子曰:「有語我以忠臣者,令之俯則俯,令之仰則仰,處則靜,呼則應,可謂忠臣乎?」子墨子曰:「令之俯則俯,令之仰則仰,是似景也。處則靜,呼則應,是似響也。君將何得於景與響哉?若以翟之所謂忠臣者,上有過則微之以諫,己有善則訪之上,而無敢以告外,匡其邪而入其善,尚同而無下比,是以美善在上而怨讐在下,安樂在上而憂慼在臣。此翟之所謂忠臣者也。」

魯の君の寵愛する者が死んだので、魯の君はその者のために誄を作った。魯の人はそれを喜んでその者を用いた。墨子先生がこれを聞いて言った。「誄とは、死んだ人の志を述べるものである。いま喜ばれたからといってその者を用いるのは、棺の先頭に従って喪服を着るのと同じである。」

魯陽文君が墨子先生に言った。「私に忠臣のことを語った者がいて、屈めと命じれば屈み、仰げと命じれば仰ぎ、置いておけば静かで、呼べば応える、これを忠臣といえるか、という。」

墨子先生が言った。「屈めと命じれば屈み、仰げと命じれば仰ぐのは、影と同じです。置いておけば静かで、呼べば応えるのは、やまびこと同じです。君はやがて影とやまびこから何を得られるのでしょうか。

私のいう忠臣とは、上に過ちがあればひそかに諫め、自分に善があれば上に申し上げて、あえて外に告げず、その邪を正しその善を入れ、上と同じくしながら下で党を組みません。これによって美しく善いことは上にあり、怨みや仇は下にあり、安らかさと楽しみは上にあり、憂いと悲しみは臣にあります。これが私のいう忠臣です。」

魯君謂子墨子曰:「我有二子,一人者好學,一人者好分人財,孰以爲太子而可?」子墨子曰:「未可知也,或所爲賞與爲是也。魡者之恭,非爲魚賜也;餌鼠以蟲,非愛之也。吾願主君之合其志功而觀焉。」

魯の君が墨子先生に言った。「私に二人の子がいて、一人は学ぶことを好み、一人は人に財を分けることを好む。どちらを太子とするのがよいだろうか。」

墨子先生が言った。「まだ分かりません。もしや賞されるためにそうしているのかもしれません。釣りをする者の恭しさは魚に与えるためではなく、鼠に虫を餌にやるのは鼠を愛するからではありません。私は君がその志と功を合わせて見られることを願います。」

魯人有因子墨子而學其子者,其子戰而死,其父讓子墨子。子墨子曰:「子欲學子之子,今學成矣,戰而死,而子慍,是猶欲糶糴,讎則慍也,豈不費哉!」

魯の人で墨子先生を通してその子を学ばせた者がいたが、その子が戦って死んだので、その父が墨子先生を責めた。

墨子先生が言った。「あなたはあなたの子を学ばせようとして、いま学が成ったのに、戦って死んだからといってあなたが怒る。これは売り買いを望みながら売れると怒るのと同じで、どうして道理に背かずにいようか。」

魯之南鄙人有吳慮者,冬陶夏耕,自比於舜。子墨子聞而見之,吳慮謂子墨子曰:「義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「子之所謂義者,亦有力以勞人,有財以分人乎?」吳慮曰:「有。」子墨子曰:「翟嘗計之矣。翟慮耕而食天下之人矣,盛,然後當一農之耕,分諸天下,不能人得一升粟。籍而以爲得一升粟,其不能飽天下之飢者,既可睹矣。翟慮織而衣天下之人矣,盛,然後當一婦人之織,分諸天下,不能人得尺布。籍而以爲得尺布,其不能煖天下之寒者,既可睹矣。翟慮被堅執銳救諸侯之患,盛,然後當一夫之戰。一夫之戰,其不御三軍,既可睹矣。翟以爲不若誦先王之道而求其說,通聖人之言而察其辭,上說王公大人,次說匹夫徒步之士。王公大人用吾言,國必治;匹夫徒步之士用吾言,行必脩。故翟以爲雖不耕而食飢,不織而衣寒,功賢於耕而食之、織而衣之者也。故翟以爲雖不耕織乎,而功賢於耕織也。」

魯の南の田舎の人に吳慮という者がいて、冬は陶器を焼き夏は耕して、自ら舜になぞらえていた。墨子先生が聞いて彼に会った。

吳慮が墨子先生に言った。「義だけです、義だけです。どうして言葉を用いましょうか。」

墨子先生が言った。「あなたのいう義とは、やはり力があって人のために労し、財があって人に分けることなのか。」

吳慮が言った。「そうです。」

墨子先生が言った。「私はかつてこれを数え上げてみた。私が耕して天下の人を食わせようと考えてみると、盛んにやっても一人の農夫の耕しに当たるだけで、天下に分ければ一人あたり一升の穀物も得られない。かりに一升の穀物を得たとしても、それが天下の飢えを満たせないことは、すでに見て取れる。

私が織って天下の人を着せようと考えてみると、盛んにやっても一人の婦人の織りに当たるだけで、天下に分ければ一人あたり一尺の布も得られない。かりに一尺の布を得たとしても、それが天下の寒さを暖められないことは、すでに見て取れる。

私が堅い鎧を着て鋭い武器を執って諸侯の患いを救おうと考えてみると、盛んにやっても一人の男の戦いに当たるだけである。一人の男の戦いで三軍を防げないことは、すでに見て取れる。

私は、先王の道を誦してその説を求め、聖人の言葉に通じてその辞を察し、上は王公や大人に説き、次は匹夫や歩く士に説くのに及ばないと思う。王公や大人が私の言葉を用いれば国は必ず治まり、匹夫や歩く士が私の言葉を用いれば行いは必ず修まる。

だから私は、たとえ耕さずに飢えた者を食わせ、織らずに寒い者を着せても、功は耕して食わせ織って着せる者よりまさると思う。だから私は、たとえ耕さず織らなくても、功は耕し織ることよりまさると思う。」

吳慮謂子墨子曰:「義耳義耳,焉用言之哉?」子墨子曰:「籍設而天下不知耕,教人耕,與不教人耕而獨耕者,其功孰多?」吳慮曰:「教人耕者其功多。」子墨子曰:「籍設而攻不義之國,鼓而使衆進戰,與不鼓而使衆進戰而獨進戰者,其功孰多?」吳慮曰:「鼓而進衆者其功多。」子墨子曰:「天下匹夫徒步之士少知義,而教天下以義者功亦多,何故弗言也?若得鼓而進於義,則吾義豈不益進哉?」

吳慮が墨子先生に言った。「義だけです、義だけです。どうして言葉を用いましょうか。」

墨子先生が言った。「かりに天下が耕すことを知らないとして、人に耕すことを教える者と、人に教えずに独りで耕す者では、その功はどちらが多いか。」

吳慮が言った。「人に耕すことを教える者の功が多いでしょう。」

墨子先生が言った。「かりに不義の国を攻めるとして、鼓を打って人々を進ませ戦わせる者と、鼓を打たずに独りで進んで戦う者では、その功はどちらが多いか。」

吳慮が言った。「鼓を打って人々を進ませる者の功が多いでしょう。」

墨子先生が言った。「天下の匹夫や歩く士で義を知る者は少ないのだから、天下を義で教える者の功もまた多い。何のゆえに言わないことがあろうか。もし鼓を打って義に進ませられるなら、私の義がどうしていっそう進まないことがあろうか。」

子墨子游公尚過於越,公尚過說越王,越王大說,謂公尚過曰:「先生苟能使子墨子至於越而教寡人,請裂故吳之地方五百里以封子墨子。」公尚過許諾,遂爲公尚過束車五十乘,以迎子墨子於魯,曰:「吾以夫子之道說越王,越王大說,謂過曰:苟能使子墨子至於越而教寡人,請裂故吳之地方五百里以封子。」子墨子謂公尚過曰:「子觀越王之志何若?意越王將聽吾言,用我道,則翟將往,量腹而食,度身而衣,自比於羣臣,奚能以封爲哉?抑越王不聽吾言,不用吾道,而我往焉,則是我以義䊮也。鈞之䊮,亦於中國耳,何必於越哉?」

墨子先生が公尚過を越に遣わして游ばせた。公尚過が越王に説いたところ、越王は大いに喜んで公尚過に言った。「先生がまことに墨子先生を越に来させて寡人を教えさせられるなら、もとの呉の地四方五百里を割いて墨子先生に封じることを請う。」

公尚過は承知して、ついに公尚過のために車五十乗を支度し、魯に墨子先生を迎えに行ってこう言った。「私が先生の道で越王に説いたところ、越王は大いに喜んで私にこう言いました。『まことに墨子先生を越に来させて寡人を教えさせられるなら、もとの呉の地四方五百里を割いてあなたに封じることを請う』と。」

墨子先生が公尚過に言った。「あなたが越王の志を見るところ、どうであったか。もし越王がやがて私の言葉を聴き、私の道を用いるなら、私は行って、腹を量って食べ身を測って着て、自ら群臣になぞらえるだろう。どうして封地を用いようか。

しかし越王が私の言葉を聴かず、私の道を用いないのに私が行けば、これは私が義を売ることである。同じく売るのなら、中原でするだけのことで、どうして必ず越でしようか。」

子墨子游,魏越曰:「既得見四方之君,子則將先語?」子墨子曰:「凡入國,必擇務而從事焉。國家昏亂,則語之尚賢尚同;國家貧,則語之節用節葬;國家憙音湛湎,則語之非樂非命;國家淫僻無禮,則語之尊天事鬼;國家務奪侵凌,即語之兼愛非攻。故曰:擇務而從事焉。」

墨子先生が游んだとき、魏越が言った。「四方の君に見えることになれば、先生はまず何を語られますか。」

墨子先生が言った。「およそ国に入れば、必ず務めるべきことを択んで事に当たる。

国家が暗く乱れていれば、賢者を尊び上を同じくせよと語り、国家が貧しければ、用いることに節を立て葬りに節を立てよと語り、国家が音を好んで酒に沈んでいれば、音楽を非とし命を非とせよと語り、国家がみだれ偏って礼がなければ、天を尊び鬼神に仕えよと語り、国家が奪い侵し踏みつけることに努めていれば、あまねく愛し攻めることを非とせよと語る。だからいう、務めるべきことを択んで事に当たる、と。」

子墨子曰出曹公子而於宋,三年而反,睹子墨子曰:「始吾游於子之門,短褐之衣,藜藿之羹,朝得之則夕弗得,弗得祭祀鬼神。今而以夫子之故,家厚於始也,有家厚謹祭祀鬼神。然而人徒多死,六畜不蕃,身湛於病,吾未知夫子之道之可用也。」子墨子曰:「不然,夫鬼神之所欲於人者多,欲人之處高爵祿則以讓賢也,多財則以分貧也,夫鬼神豈唯擢季拑肺之爲欲哉?今子處高爵祿而不以讓賢,一不祥也;多財而不以分貧,二不祥也。今子事鬼神,唯祭而已矣,而曰:『病何自至哉?』是猶百門而閉一門焉,曰:『盜何從入?』若是而求福,於有?怪之鬼,豈可哉?」

墨子先生が曹公子を宋に出したが、三年して帰り、墨子先生に見えて言った。「はじめ私が先生の門に游んだときは、短い粗衣を着、あかざや豆の葉の羹を食べて、朝に得れば夕に得られず、鬼神を祭ることができませんでした。いま先生のゆえに、家がはじめより厚くなり、家が厚いので謹んで鬼神を祭っています。それなのに人が多く死に、六畜が増えず、身が病に沈んでいます。私はまだ先生の道が用いるに足るのか分かりません。」

墨子先生が言った。「そうではない。そもそも鬼神が人に望むものは多い。人が高い爵や禄にあれば賢者に譲り、財が多ければ貧しい者に分けることを望む。そもそも鬼神がどうして、ただ抜き取って噛むことだけを望もうか。

いまあなたは高い爵や禄にありながら賢者に譲らない。これが一つの不吉である。財が多いのに貧しい者に分けない。これが二つめの不吉である。いまあなたが鬼神に仕えるのはただ祭るだけでありながら、『病はどこから至ったのか』という。これは百の門のうち一つの門を閉じて『盗人がどこから入ろうか』というのと同じである。このようにして福を求めるのだから、怪しげな鬼神に求めてどうしてかなうことがあろうか。」

魯祝以一豚祭,而求百福於鬼神。子墨子聞之,曰:「是不可。今施人薄而望人厚,則人唯恐其有賜於己也。今以一豚祭而求百福於鬼神,鬼神唯恐其以牛羊祀也。古者聖王事鬼神,祭而已矣。今以豚祭而求百福,則其富不如其貧也。」

魯の祝が豚一頭で祭って、鬼神に百の福を求めた。墨子先生がこれを聞いて言った。「これはいけない。いま人に施すことが薄くて人に厚いことを望めば、人はただ自分に与えるものがあることを恐れる。いま豚一頭で祭って鬼神に百の福を求めれば、鬼神はただ牛や羊で祀られることを恐れる。

昔の聖王が鬼神に仕えるのは、祭るだけであった。いま豚で祭って百の福を求めれば、その富はその貧しさにも及ばない。」

彭輕生子曰:「往者可知,來者不可知。」子墨子曰:「籍設而親在百里之外,則遇難焉,期以一日也,及之則生,不及則死。今有固車良馬於此,又有奴馬四隅之輪於此,使子擇焉,子將可乘?」對曰:「乘良馬固車,可以速至。」子墨子曰:「焉在矣來。」

彭輕生子が言った。「過ぎたことは知れても、来ることは知れません。」

墨子先生が言った。「かりに親が百里の外にいて難に遭い、一日を期限として間に合えば生き、間に合わなければ死ぬとしよう。いまここに堅い車と良い馬があり、またここに鈍い馬と四角い車輪があって、あなたに択ばせたなら、あなたはどちらに乗るか。」

答えた。「良い馬と堅い車に乗れば、速く着けます。」

墨子先生が言った。「どうして来ることが知れないといえようか。」

孟山譽王子閭曰:「昔白公之禍,執王子閭,斧鉞鉤要,直兵當心,謂之曰:『爲王則生,不爲王則死。』王子閭曰:『何其侮我也。殺我親,而喜我以楚國。我得天下而不義,不爲也,又況於楚國乎?』遂而不爲。王子閭豈不仁哉?」子墨子曰:「難則難矣,然而未仁也。若以王爲無道,則何故不受而治也?若以白公爲不義,何故不受王,誅白公然而反王?故曰:難則難矣,然而未仁也。」

孟山が王子閭を誉めて言った。「昔、白公の禍のとき、王子閭を捕らえ、斧鉞で腰に掛け、まっすぐな武器を胸に当てて、こう言いました。『王となれば生き、王とならなければ死ぬ。』

王子閭は『どうしてそれほど私を侮るのか。私の親族を殺して、私を楚国で喜ばせようというのか。私が天下を得ても義でなければしないのに、まして楚国であろうか』と言って、ついにしませんでした。王子閭がどうして仁でないことがありましょうか。」

墨子先生が言った。「難しいことは難しいが、しかしまだ仁ではない。もし王に道がないと思ったなら、何のゆえに受けて治めなかったのか。もし白公が義でないと思ったなら、何のゆえに王を受けて白公を誅したうえで王に返さなかったのか。だからいう、難しいことは難しいが、しかしまだ仁ではない、と。」

子墨子使勝綽事項子牛,項子牛三侵魯地,而勝綽三從。子墨子聞之,使高孫子請而退之,曰:「我使綽也,將以濟驕而正嬖也。今綽也,祿厚而譎夫子,夫子三侵魯,而綽三從,是鼓鞭於馬靳也。翟聞之,言義而弗行,是犯明也。綽非弗之知也,祿勝義也。」

墨子先生が勝綽を項子牛に仕えさせた。項子牛が三度魯の地を侵したのに、勝綽は三度それに従った。

墨子先生がこれを聞いて、高孫子に請わせて彼を退かせ、こう言った。「私が綽を遣わしたのは、やがて驕りを救い、寵愛される者を正させようとしてであった。いま綽は禄が厚いのにその主を偽っている。主が三度魯を侵したのに綽が三度従ったのは、これは馬の胸がけに鞭を打つことである。

私はこう聞いている、義を語って行わないのは、明らかなことを犯すことだと。綽はこれを知らなかったのではなく、禄が義に勝ったのである。」

昔者楚人與越人舟戰於江,楚人順流而進,迎流而退,見利而進,見不利則其退難。越人迎流而進,順流而退,見利而進,見不利則其退速。越人因此若埶,亟敗楚人。公輸子自魯南游楚,焉始爲舟戰之器,作爲鉤强之備,退者鉤之,進者强之,量其鉤强之長,而制爲之兵。楚之兵節,越之兵不節,楚人因此若埶,亟敗越人。公輸子善其巧,以語子墨子曰:「我舟戰有鉤强,不知子之義亦有鉤强乎?」子墨子曰:「我義之鉤强,賢於子舟戰之鉤强。我鉤强,我鉤之以愛,揣之以恭。弗鉤以愛則不親,弗揣以恭則速狎,狎而不親,則速離。故交相愛,交相恭,猶若相利也。今子鉤而止人,人亦鉤而止子,子强而距人,人亦强而距子。交相鉤,交相强,猶若相害也。故我義之鉤强,賢子舟戰之鉤强。」

昔、楚の人と越の人が江で舟戦をした。楚の人は流れに従って進み、流れに逆らって退くので、利を見れば進めるが、利がないと見れば退くのが難しかった。越の人は流れに逆らって進み、流れに従って退くので、利を見れば進み、利がないと見れば退くのが速かった。越の人はこの勢いによって、しばしば楚の人を破った。

公輸子が魯から南へ楚に游んで、そこではじめて舟戦の器を作り、鉤と強(押し棒)の備えを造った。退く者は鉤で引っかけ、進む者は強で押し、その鉤と強の長さを量って武器を仕立てた。楚の武器は寸法が合い、越の武器は合わなかったので、楚の人はこの勢いによって、しばしば越の人を破った。

公輸子はその巧みさを善しとして、墨子先生に言った。「私の舟戦には鉤と強がある。分からないが、あなたの義にもまた鉤と強があるのか。」

墨子先生が言った。「私の義の鉤と強は、あなたの舟戦の鉤と強よりまさる。私の鉤と強は、私が愛で引っかけ、恭しさで押す。愛で引っかけなければ親しまず、恭しさで押さなければ早くなれなれしくなり、なれなれしくて親しまなければ早く離れる。だから交わって互いに愛し、交わって互いに恭しくすれば、それはやはり互いに利するのと同じである。

いまあなたが引っかけて人を止めれば、人もまた引っかけてあなたを止め、あなたが押して人を拒めば、人もまた押してあなたを拒む。交わって互いに引っかけ、交わって互いに押すのは、やはり互いに害するのと同じである。だから私の義の鉤と強は、あなたの舟戦の鉤と強よりまさる。」

公輸子削竹木以爲䧿,成而飛之,三日不下,公輸子自以爲至巧。子墨子謂公輸子曰:「子之爲䧿也,不如翟之爲車轄,須臾斵三寸之木,而任五十石之重。故所爲巧,利於人謂之巧,不利於人謂之拙。」

公輸子が竹と木を削って鵲を作った。出来上がって飛ばすと、三日たっても降りてこなかった。公輸子は自らきわめて巧みだと思った。

墨子先生が公輸子に言った。「あなたが鵲を作ったのは、私が車の轄を作るのに及ばない。わずかの間に三寸の木を削って、五十石の重さを担う。だから巧みというものは、人に利があればこれを巧みといい、人に利がなければこれを拙いという。」

公輸子謂子墨子曰:「吾未得見之時,我欲得宋,自我得見之後,予我宋而不義,我不爲。」子墨子曰:「翟之未得見之時也,子欲得宋,自翟得見子之後,予子宋而不義,子弗爲,是我予子宋也。子務爲義,翟又將與子天下。」

公輸子が墨子先生に言った。「私がまだあなたに会わなかったときは、私は宋を得たいと思っていたが、私があなたに会ってからは、私に宋を与えられても義でなければ私はしない。」

墨子先生が言った。「私がまだあなたに会わなかったときは、あなたは宋を得たいと思っていたが、私があなたに会ってからは、あなたに宋を与えられても義でなければあなたはしないという。これは私があなたに宋を与えたのである。あなたが義を行うことに努めれば、私はまたやがてあなたに天下を与えよう。」