公孫丑 下公孫丑下
1天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばない
孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。三里之城,七里之郭,環而攻之而不勝;夫環而攻之,必有得天時者矣,然而不勝者,是天時不如地利也。城非不高也,池非不深也,兵革非不堅利也,米粟非不多也,委而去之,是地利不如人和也。故曰:域民不以封疆之界,固國不以山溪之險,威天下不以兵革之利。得道者多助,失道者寡助。寡助之至,親戚畔之;多助之至,天下順之。以天下之所順,攻親戚之所畔,故君子有不戰,戰必勝矣。」
孟子が言った。「天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばない。
三里の城と七里の外城を囲んで攻めても勝てないことがある。そもそも囲んで攻めるなら必ず天の時を得たものがあるはずなのに、それでも勝てないのは、天の時が地の利に及ばないからだ。
城が高くないわけでもなく、堀が深くないわけでもなく、武器と鎧(よろい)が堅く鋭くないわけでもなく、米と穀物が多くないわけでもないのに、捨てて去ってしまうことがある。これは地の利が人の和に及ばないからだ。
だから言うのだ。民を留めるのに国境の境界によらず、国を固めるのに山や谷の険しさによらず、天下に威を示すのに武器と鎧の鋭さによらない。
道を得た者には助ける者が多く、道を失った者には助ける者が少ない。助ける者の少なさが極まれば親戚が背き、助ける者の多さが極まれば天下が従う。天下が従うところで親戚が背くところを攻めるのだから、君子は戦わないことはあっても、戦えば必ず勝つ。」
2召せない臣がいなければならない
孟子將朝王。王使人來曰:「寡人如就見者也,有寒疾,不可以風;朝將視朝,不識可使寡人得見乎?」 對曰:「不幸而有疾,不能造朝。」 明日出弔於東郭氏。公孙丑曰:「昔者辭以病,今日弔,或者不可乎?」 曰:「昔者疾,今日愈,如之何不弔?」 王使人問疾,醫來。孟仲子對曰:「昔者有王命,有采薪之憂,不能造朝。今病小愈,趨造於朝;我不識能至否乎?」使數人要於路曰:「請必無歸而造於朝。」 不得已而之景丑氏宿焉。 景子曰:「內則父子,外則君臣,人之大倫也。父子主恩,君臣主敬。丑見王之敬子也,未見所以敬王也。」 曰:「惡!是何言也!齊人無以仁義與王言者,豈以仁義為不美也?其心曰『是何足與言仁義也』云爾,則不敬莫大乎是。我非堯舜之道不敢以陳於王前,故齊人莫如我敬王也。」 景子曰:「否,非此之謂也。《禮》曰:『父召無諾;君命召,不俟駕。』固將朝也,聞王命而遂不果,宜與夫禮若不相似然。」 曰:「豈謂是與?曾子曰:『晉楚之富,不可及也。彼以其富,我以吾仁;彼以其爵,我以吾義,吾何慊乎哉?』夫豈不義而曾子言之?是或一道也。天下有達尊三:爵一,齒一,德一。朝廷莫如爵,鄉黨莫如齒,輔世長民莫如德。惡得有其一,以慢其二哉?故將大有為之君,必有所不召之臣;欲有謀焉則就之。其尊德樂道,不如是不足以有為也。故湯之於伊尹,學焉而後臣之,故不勞而王;桓公之於管仲,學焉而後臣之,故不勞而霸;今天下地醜德齊,莫能相尚。無他,好臣其所教,而不好臣其所受教。湯之於伊尹,桓公之於管仲,則不敢召;管仲且猶不可召,而況不為管仲者乎?」
孟子が王に朝そうとした。王が人をよこして言った。「わたしが出向いてお会いすべきですが、風邪をひいて風に当たれません。朝に朝廷に出ますが、わたしがお会いできるでしょうか。」
答えた。「不幸にも病になって、朝廷に出られません。」
翌日、東郭氏(とうかくし)のもとへ弔いに出かけた。公孫丑が言った。「昨日は病だと断られ、今日は弔いに行かれるのは、あるいはいけないことではありませんか。」
「昨日は病で、今日は治ったのだ。どうして弔わないでいられよう。」
王が人をよこして病を尋ね、医者が来た。孟仲子(もうちゅうし)が応対した。「昨日は王命がありましたが、ご病気で朝廷に出られませんでした。今日は病が少し治って、急ぎ朝廷に向かわれましたが、着かれたかどうかは分かりません。」そして何人かを使って道で迎えさせ、「どうか家へお帰りにならず、朝廷へお出ください」と言わせた。
やむを得ず景丑氏(けいちゅうし)の家に行って泊まった。
景子が言った。「内では父と子、外では君と臣が、人の大きな倫(みち)です。父と子は恩を主とし、君と臣は敬を主とします。わたしは王が先生を敬われるのは見ましたが、先生が王を敬われるところは見ておりません。」
「ああ、何ということを言うのだ。斉の人のうちに仁義で王に語る者がないのは、どうして仁義を美しくないと思うからであろう。その心に『この人にどうして仁義を語れよう』と思うだけであって、それなら敬わないことでこれより大きなものはない。わたしは堯舜の道でなければあえて王の前に述べないのだから、斉の人のうちにわたしほど王を敬う者はいない。」
景子が言った。「いいえ。それを言っているのではありません。『礼』に『父が呼べば「はい」と答えるだけで済まさずすぐ行き、君が命じて呼べば車に馬をつけるのを待たない』とあります。もともと朝そうとされていたのに、王命を聞いてついに行かれなかったのですから、あの礼とは互いに似ていないようです。」
「どうしてそれを言っているのであろう。曾子は『晋や楚の富には及べない。あちらがその富でするなら、わたしはわが仁でする。あちらがその爵でするなら、わたしはわが義でする。わたしに何が足りないであろうか』と言われた。どうして義でないことを曾子が言われようか。これも一つの道理である。
天下に広く尊ばれるものが三つある。爵が一つ、年が一つ、徳が一つだ。朝廷では爵に及ぶものがなく、村では年に及ぶものがなく、世を助け民を育てるには徳に及ぶものがない。どうしてその一つを持って、その二つを侮れよう。
だから、これから大きなことをしようとする君には必ず召せない臣があって、謀ることがあればその人のもとへ出向く。その人が徳を尊び道を楽しむことがこのようでなければ、ともに大きな事をするには足りない。
だから湯王は伊尹に学んでから臣とされたので、苦労せずに王となられ、桓公は管仲に学んでから臣としたので、苦労せずに覇者となった。
今、天下は土地が似通い徳が同じで、誰も互いに越えられない。ほかに理由はなく、自分の教える者を臣とすることを好み、自分が教えを受ける者を臣とすることを好まないからだ。湯王は伊尹を、桓公は管仲を、あえて召さなかった。管仲すら召せなかったのに、まして管仲になろうとも思わない者はどうであろう。」
3受けたことも受けなかったことも、どちらも正しい
陳臻問曰:「前日於齊,王饋兼金一百而不受;於宋,饋七十鎰而受;於薛,饋五十鎰而受。前日之不受是,則今日之受非也;今日之受是,則前日之不受非也;夫子必居一於此矣。」 孟子曰:「皆是也。當在宋也,予將有遠行;行者必以贐,辭曰『饋贐』,予何為不受?當在薛也,予有戒心,辭曰『聞戒故為兵饋之』,予何為不受?若於齊則未有處也。無處而饋之,是貨之也;焉有君子而可以貨取乎?」
陳臻(ちんしん)が尋ねた。「以前、斉で王が良い金百鎰(いつ)を贈ったのに受けられず、宋で七十鎰を贈られると受けられ、薛で五十鎰を贈られると受けられました。以前受けられなかったのが正しければ今日受けられたのが誤りで、今日受けられたのが正しければ以前受けられなかったのが誤りです。先生は必ずこのどちらかにおられるはずです。」
孟子が言った。「どちらも正しい。宋にいたときは、わたしに遠くへ行く用があった。旅立つ者には必ず路銀を贈るものだが、『路銀を差し上げます』と言うのに、わたしがどうして受けないでいられよう。
薛にいたときは、わたしに警戒する心があった。『警戒しておられると聞きましたので、武器を備えるために差し上げます』と言うのに、わたしがどうして受けないでいられよう。
斉では使うところがなかった。使うところがないのに贈るのは、財で買おうとするものだ。どうして君子を財で買えよう。」
4これはわたしの罪です
孟子之平陸,謂其大夫曰:「子之持戟之士,一日而三失伍,則去之否乎?」 曰:「不待三。」 「然則子之失伍也亦多矣。兇年饑歲,子之民老羸轉於溝壑,壯者散而之四方者幾千人矣。」 曰:「此非距心之所得為也。」 曰:「今有受人之牛羊而為之牧之者,則必為之求牧與芻矣。求牧與芻而不得,則反諸其人乎?抑亦立而視其死與?」 曰:「此則距心之罪也。」 他日,見於王曰:「王之為都者,臣知五人焉。知其罪者,惟孔距心。為王誦之。」 王曰:「此則寡人之罪也。」
孟子が平陸(へいりく)に行き、その大夫に言った。「あなたの戟(ほこ)を持つ兵が一日に三度隊列を乱したら、退けますか、退けませんか。」
「三度を待ちません。」
「それならあなたが隊列を乱したことも多い。不作と飢えの年に、あなたの民のうち老いて痩せた者が溝や谷に転がり落ち、若い者が散って四方へ行った者が数千人います。」
「これはわたし距心(きょしん)のできることではありません。」
「今、人の牛や羊を預かって代わりに飼う者があれば、必ずそのために牧場と秣(まぐさ)を求めるでしょう。牧場と秣を求めても得られなければ、その持ち主に返しますか、それとも立ってそれらが死ぬのを見ていますか。」
「これはまさに距心の罪です。」
後日、王に会って言った。「王の町を治める者のうち、わたしは五人を知っております。自分の罪を知る者は、ただ孔距心(こうきょしん)だけです。」そして王にその話を繰り返して申し上げた。
王が言った。「これはまさにわたしの罪です。」
5役目がなければ進退はゆるやかだ
孟子謂蚔蛙曰:「子之辭靈丘而請士師,似也,為其可以言也。今既數月矣,未可以言與?」 蚔蛙諫於王而不用,致為臣而去。 齊人曰:「所以為蚔蛙,則善矣;所以自為,則吾不知也。」 公都子以告。 曰:「吾聞之也:有官守者,不得其職則去;有言責者,不得其言則去。我無官守,我無言責也,則吾進退豈不綽綽然有餘裕哉?」
孟子が蚔蛙(ちあ)に言った。「あなたが霊丘(れいきゅう)の地を辞して士師(しし)の職を願われたのはもっともです。物が言えるからです。それがもう数か月になりますが、まだ物が言えませんか。」
蚔蛙は王に諫めたが用いられず、臣の職を返して去った。
斉の人が言った。「蚔蛙のためにしたことはよかったが、自分のためにするところは、われらには分からない。」
公都子(こうとし)がこれを伝えた。
「わたしの聞くところでは、役目のある者はその職分を得られなければ去り、物を言う責めのある者はその言葉が受け入れられなければ去るという。わたしには役目もなく物を言う責めもないのだから、わたしの進退がどうしてゆるやかに余裕のないことがあろう。」
6すでに誰かが当たっているのに、わたしが何を言おう
孟子為卿於齊,出弔於滕,王使蓋大夫王驩為輔行。王驩朝暮見,反齊、滕之路,未嘗與之言行事也。 公孫丑曰:「齊卿之位,不為小矣;齊、滕之路,不為近矣。反之而未嘗與言行事,何也?」 曰:「夫既或治之,予何言哉?」
孟子が斉の卿(けい)となって滕へ弔いに行ったが、王は蓋(こう)の大夫、王驩(おうかん)を副使として付けた。王驩が朝夕に会ったが、斉と滕を行き来する道で、その者と使いの務めを語ることはなかった。
公孫丑が言った。「斉の卿の位は小さくなく、斉と滕の道は近くもないのに、行き来しながらその者と務めを語られなかったのは、どうしてですか。」
「そもそもすでに誰かがそれに当たっているのに、わたしが何を言おう。」
7天下のために親に惜しまない
孟子自齊葬於魯。反於齊,止於嬴。充虞請曰:「前日不知虞之不肖,使虞敦匠事;嚴,虞不敢請。今愿竊有請也:木若以美然。」 曰:「古者棺槨無度,中古棺七寸,槨稱之,自天子達於庶人。非直為觀美也,然後盡於人心。不得,不可以為悅;無財,不可以為悅。得之為有財。古之人皆用之,吾何為獨不然?且比化者,無使土親膚,於人心獨無恔乎?吾聞之君子:不以天下儉其親。」
孟子が斉から魯へ行って葬りをした。斉へ帰る途中、嬴(えい)の地に留まった。充虞(じゅうぐ)が願い出た。「以前、わたしが不才であることをご存じなく、わたしに棺(ひとぎ)を作る仕事をお任せになりましたが、事が急でわたしはあえてお尋ねできませんでした。今、ひそかにお尋ねしたいのです。木が過ぎて立派だったようです。」
「昔は棺と槨(そとひつぎ)に定まった寸法がなかった。中ごろには棺を七寸にし、槨をそれに合わせたが、天子から庶人までそうであった。ただ見て美しくしようとするのではなく、そうしてはじめて人の心を尽くすからだ。
定めに合わなければ喜べず、財がなければ喜べない。定めに合い財があれば、昔の人はみなそれを用いたのに、わたしがどうして独りそうしないでいられよう。
また死んで移ってゆく者のために、土が肌に触れないようにすることが、人の心にどうして満ち足りないことがあろう。わたしの聞くところでは、君子は天下のためにその親に惜しまないという。」
8燕で燕を討つのに、何をすすめたであろう
沈同以其私問曰:「燕可伐與?」 孟子曰:「可。子噲不得與人燕,子之不得受燕於子噲。有仕於此,而子悅之,不告於王,而私與之吾子之祿爵;夫士也,亦無王命而私受之於子,則可乎?何以異於是?」 齊人伐燕。或問曰:「勸齊伐燕,有諸?」 曰:「未也。沈同問:『燕可伐與?』吾應之曰:『可。』彼然而伐之也。彼如曰:『孰可以伐之?』則將應之曰:『為天吏則可以伐之。』今有殺人者,或問之曰:『人可殺與?』則將應之曰:『可。』彼如曰:『孰可以殺之?』則將應之曰:『為士師則可以殺之。』今以燕伐燕,何為勸之哉?」
沈同(しんどう)が私(わたくし)に尋ねた。「燕を討ってもよいでしょうか。」
孟子が言った。「よいでしょう。子噲(しかい)は人に燕を与えることはできず、子之(しし)は子噲から燕を受けることはできません。ここに仕える者があって、あなたがその者を気に入り、王に申し上げずに私にあなたの禄と爵を与え、その士もまた王命なしに私にあなたから受けるなら、それでよいでしょうか。これと何が違いましょう。」
斉の人が燕を討った。ある者が尋ねた。「斉に燕を討てとすすめられたというが、そのようなことがありましたか。」
「いや。沈同が『燕を討ってもよいでしょうか』と尋ねたので、わたしが『よいでしょう』と答えたところ、あの者たちがそう思って討ったのだ。あの者がもし『誰が討てますか』と尋ねたなら、わたしは『天の官であれば討てます』と答えたであろう。
今、人を殺した者があって、ある者が『この人を殺してもよいか』と尋ねたら『よい』と答えるであろう。あの者がもし『誰が殺せるのか』と尋ねたなら『獄を司る者であれば殺せる』と答えたであろう。
今は燕で燕を討つような有様なのに、わたしが何のためにすすめたであろう。」
9昔の君子は過ちを改めた
燕人畔,王曰:「吾甚慚於孟子。」 陳賈曰:「王無患焉,王自以為與周公,孰仁且智?」 王曰:「惡!是何言也!」 曰:「周公使管叔監殷,管叔以殷畔。知而使之,是不仁也;不知而使之,是不智也。仁智,周公未之盡也,而況於王乎?賈請見而解之。」 見孟子問曰:「周公何人也?」 曰:「古聖人也。」 曰:「使管叔監殷,管叔以殷畔也,有諸?」 曰:「然。」 曰:「周公知其將畔而使之與?」 曰:「不知也。」 「然則聖人且有過與?」 曰:「周公,弟也;管叔,兄也。周公之過,不亦宜乎?且古之君子,過則改之;今之君子,過則順之。古之君子,其過也如日月之食,民皆見之;及其更也,民皆仰之。今之君子,豈徒順之?又從為之辭。」
燕の人が背くと、王が言った。「わたしは孟子にたいそう恥ずかしい。」
陳賈(ちんか)が言った。「王はご心配なさいますな。王はご自身を周公と較べて、どちらがより仁で知だと思われますか。」
王が言った。「ああ、何ということを言うのだ。」
「周公は管叔(かんしゅく)に殷を監(み)させたのに、管叔は殷とともに背きました。知っていてそうさせたのなら仁ではなく、知らずにそうさせたのなら知ではありません。仁と知を周公すら尽くされなかったのに、まして王ではありませんか。わたしがお会いして解いてまいりましょう。」
孟子に会って尋ねた。「周公はどのような方ですか。」
「昔の聖人である。」
「管叔に殷を監させたのに、管叔が殷とともに背いたというが、そのようなことがありましたか。」
「そうだ。」
「周公はその者がこれから背くと知っていてそうさせたのですか。」
「知らなかった。」
「それでは聖人にも過ちがあるのですか。」
「周公は弟であり、管叔は兄である。周公の過ちも、また当然ではないか。
また昔の君子は過ちがあれば改めたのに、今の君子は過ちがあればそのまま押し通す。昔の君子はその過ちが日や月が食われることのようで、民がみな見たし、それを改めるに至っては民がみな仰いだ。今の君子はどうして押し通すだけであろう。その上、後から言い訳までする。」
10市の丘を占めた男
孟子致為臣而歸。 王就見孟子曰:「前日愿見而不可得,得侍同朝甚喜。今又棄寡人而歸,不識可以繼此而得見乎?」 對曰:「不敢請耳,固所愿也。」 他日王謂時子曰:「我欲中國而授孟子室,養弟子以萬鐘,使諸大夫國人皆有所矜式。子盍為我言之?」 時子因陳子而以告孟子,陳子以時子之言告孟子。 孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?如使予欲富,辭十萬而受萬,是為欲富乎?季孫曰:『異哉子叔疑!使己為政,不用,則亦已矣,又使其子弟為卿。人亦孰不欲富貴?而獨於富貴之中有私龍斷焉。』古之為市也,以其所有易其所無者,有司者治之耳。有賤丈夫焉,必求龍斷而登之,以左右望而罔市利。人皆以為賤,故從而征之。征商自此賤丈夫始矣。」
孟子が臣の職を返して帰ろうとした。
王が孟子のもとへ出向いて会い、言った。「以前はお会いしたいと思っても叶わず、同じ朝廷でお仕えいただけてたいそう嬉しく思いました。今また、わたしを捨てて帰られるのですから、この後またお会いできるかどうか分かりません。」
答えた。「あえてお願いしないだけで、もとより願うところです。」
後日、王が時子(じし)に言った。「わたしは国の真ん中に孟子の家を与え、万鍾(ばんしょう)で弟子たちを養わせ、大夫たちや国の人々がみな手本とするところを持つようにしたい。あなたがわたしのために言ってくれないか。」
時子が陳子(ちんし)を通じて孟子に伝えさせたので、陳子が時子の言葉を孟子に伝えた。
孟子が言った。「そうか。そもそも時子にどうしてそれがいけないことだと分かろう。もしわたしが富みたいと思っていたのなら、十万を辞して万を受けるのが、富みたいということであろうか。
季孫(きそん)は『おかしなことだ、子叔疑(ししゅくぎ)よ。自分が政治をして用いられなければやめればよいのに、その上その子弟を卿にさせている。人は誰でも富貴を願わないであろうか。それなのに独り富貴の中で私(わたくし)に丘を占めている』と言った。
昔、市を開いたときは、自分の持つもので自分にないものを換え、役人は取り締まるだけであった。ところが卑しい男があって、必ず丘を求めて登り、左右を見回して市の利を網で取った。人々がみな卑しいと思ったので、それに従って税をかけた。商人に税をかけることは、この卑しい男からはじまったのだ。」
11年長者があなたを絶ったのか
孟子去齊,宿於晝。有欲為王留行者,坐而言。不應,隱几而臥。 客不悅曰:「弟子齊宿而後敢言;夫子臥而不聽;請勿復敢見矣。」 曰:「坐。我明語子:昔者魯繆公無人乎子思之側,則不能安子思;泄柳、申詳無人乎繆公之側,則不能安其身。子為長者慮,而不及子思。子絕長者乎?長者絕子乎?」
孟子が斉を去り、晝(ちゅう)の地に泊まった。王のために足を留めさせようとする者があって、座って話した。応じないで、肘(ひじ)かけに寄りかかって横になった。
客が不快そうに言った。「弟子は一晩身を清めてからあえて申し上げたのに、先生は横になって聞かれません。もう二度とあえてお会いいたしません。」
「お座りなさい。わたしがあなたにはっきり言いましょう。昔、魯の繆公(ぼくこう)は子思(しし)のそばに人を置かなければ子思を安んじられず、泄柳(せつりゅう)と申詳(しんしょう)は繆公のそばに人を置かなければ自分の身を安んじられませんでした。あなたは年長者のために考えると言いながら、子思には及びません。あなたが年長者を絶ったのですか、年長者があなたを絶ったのですか。」
12君が改めることを日々願っていた
孟子去齊,尹士語人曰:「不識王之不可以為湯、武,則是不明也;識其不可然且至,則是干澤也。千里而見王,不遇故去;三宿而後出晝,是何濡滯也!士則茲不悅。」 高子以告。 曰:「夫尹士惡知予哉?千里而見王,是予所欲也。不遇故去,豈予所欲哉?予不得已也。予三宿而出晝,於予心猶以為速。王庶幾改之!王如改諸,則必反予。夫出晝而王不予追也,予然後浩然有歸志。予雖然,豈舍王哉?王由足用為善;王如用予,則豈徒齊民安?天下之民舉安。王庶幾改之!予日望之!予豈若是小丈夫然哉!諫於其君而不受,則怒,悻悻然見於其面,去則窮日之力而後宿哉?」 尹士聞之,曰:「士誠小人也。」
孟子が斉を去ると、尹士(いんし)が人々に言った。「王が湯王や武王になれないことを知らなかったのなら、それは明らかでないのだ。それを知りながら来たのなら、それは恵みを求めたのだ。千里を来て王に会い、意が合わずに去るのに、三晩泊まってから晝の地を出たのだから、なんと遅く鈍いことか。わたしはこれが不快だ。」
高子(こうし)がこれを伝えた。
「そもそも尹士にどうしてわたしが分かろう。千里を来て王に会ったのは、わたしの願ったことだ。意が合わずに去るのが、どうしてわたしの願ったことであろう。わたしはやむを得なかったのだ。
わたしが三晩泊まって晝の地を出たのも、わたしの心には早いと思えた。王がどうか改められるように。王がもし改められたなら、必ずわたしを帰らせるであろう。そもそも晝の地を出てもなお王がわたしを追われなかったので、わたしはそれからさっぱりと帰る心を持ったのだ。
わたしはそうであっても、どうして王を捨てよう。王はそれでも善を行うに足る方だ。王がもしわたしを用いられたなら、どうして斉の民だけが安らかであろう。天下の民がみな安らかになるであろう。王がどうか改められるように。わたしは日々それを願っている。
わたしがどうしてあの小さな男のようであろう。自分の君に諫めて受け入れられなければ怒り、むっとした色が顔に出て、去れば一日の力を使い果たしてから泊まる、そのような者であろうか。」
尹士はこれを聞いて言った。「わたしはまことに小人である。」
13わたしでなければ誰であろう
孟子去齊,充虞路問曰:「夫子若有不豫色然。前日虞聞諸夫子曰:『君子不怨天,不尤人。』」 曰:「彼一時,此一時也。五百年必有王者興,其間必有名世者。由周而來,七百有餘歲矣;以其數則過矣,以其時考之則可矣。夫天,未欲平治天下也,如欲平治天下,當今之世,舍我其誰也?吾何為不豫哉?」
孟子が斉を去るとき、充虞が道で尋ねた。「先生に嬉しくない顔色がおありのようです。以前、わたしは先生から『君子は天を恨まず、人を咎めない』と言われたのを聞きました。」
「あのときはあのとき、今は今だ。五百年あれば必ず王者が起こり、そのあいだには必ず世に名の出る者がある。周から今まで七百余年だから、その年数では過ぎており、その時で量れば至っている。
そもそも天がまだ天下を平らかに治めようとされないのだ。もし天下を平らかに治めようとされるなら、今の世でわたしを除いて誰であろう。わたしがどうして嬉しくないことがあろう。」
14禄を受けなかった理由
孟子去齊,居休。公孫丑問曰:「仕而不受祿,古之道乎?」 曰:「非也。於崇,吾得見王;退而有去志,不欲變,故不受也。繼而有師命,不可以請。久於齊,非我志也。」
孟子が斉を去り、休(きゅう)の地に留まった。公孫丑が尋ねた。「仕えながら禄を受けないのは、昔の道ですか。」
「いや。崇(そう)の地でわたしが王に会い、退いて去る心を持ったのだが、その心を変えたくなかったので受けなかったのだ。続いて軍を出せという命があって、去ることを願い出られなかった。斉に長くいることは、わたしの志ではなかった。」