離婁 下離婁下
1舜は東夷の人、文王は西夷の人
孟子曰:「舜生於諸馮,遷於負夏,卒於鳴條,東夷之人也。文王生於岐周,卒於畢郢,西夷之人也。地之相去也,千有餘里;世之相後也,千有餘歲。得志行乎中國,若合符節。先聖後聖,其揆一也。」
孟子が言った。「舜は諸馮(しょほう)に生まれ、負夏(ふか)に移り、鳴条(めいじょう)で亡くなられたので、東夷の人である。文王は岐周(きしゅう)に生まれ、畢郢(ひつえい)で亡くなられたので、西夷の人である。
土地が互いに離れていることは千余里、世代が互いに隔たっていることは千余年なのに、志を得て中国で行われたことは割り符を合わせたようだ。先の聖人と後の聖人は、その量(はか)るところが一つである。」
2恵み深いが政治を知らない
子產聽鄭國之政,以其乘輿濟人於溱、洧。孟子曰:「惠而不知為政,歲十一月徒杠成,十二月輿梁成,民未病涉也。君子平其政,行辟人可也;焉得人人而濟之?故為政者,每人而悅之,日亦不足矣。」
子産(しさん)が鄭(てい)の国の政治に当たっていたとき、自分の車で溱(しん)と洧(い)の川で人々を渡してやった。
孟子が言った。「恵み深いが政治を知らない。十一月に歩いて渡る橋ができ、十二月に車の通る橋ができれば、民は渡るのに苦しまない。君子がその政治を平らかにすれば、道を行くとき人を払わせてもよいのに、どうして人ごとに渡してやろう。だから政治をする者が人ごとに喜ばせようとすれば、毎日やっても足りない。」
3君が臣を土や藁くずと見れば
孟子告齊宣王曰:「君之視臣如手足,則臣視君如腹心;君之視臣如犬馬,則臣視君如國人;君之視臣如土芥,則臣視君如寇讎。」 王曰:「禮,為舊君有服。何如斯可為服矣?」 曰:「諫行言聽,膏澤下於民;有故而去,則君使人導之出疆,又先於其所往;去三年不反,然後收其田里。此之謂三有禮焉。如此則為之服矣。今也為臣,諫則不行,言則不聽,膏澤不下於民;有故而去,則君搏執之,又極之於其所往;去之日,遂收其田里。此之謂寇讎。寇讎何服之有?」
孟子が斉の宣王に申し上げた。「君が臣を見ることが手足のようであれば、臣は君を見ることが腹や心臓のようになり、君が臣を見ることが犬や馬のようであれば、臣は君を見ることが道行く人のようになり、君が臣を見ることが土や藁(わら)くずのようであれば、臣は君を見ることが盗賊や仇のようになります。」
王が言った。「礼に、昔の君のために喪服を着るとありますが、どうすれば喪服を着ることになるのですか。」
「諫めれば行われ、言えば聞き入れられて恵みが民に下り、事情があって去れば君が人をよこして国境の外まで導き、またその行く先に先に知らせ、去って三年たっても帰らないでからはじめてその田と家を取り上げます。これを三つの礼があるといいます。このようであれば、その君のために喪服を着ます。
今は臣となって、諫めても行われず、言っても聞き入れられず、恵みが民に下らず、事情があって去れば君が捕らえて閉じ込め、またその行く先で追い詰め、去る日にすぐその田と家を取り上げます。これを盗賊や仇といいます。盗賊や仇に何の喪服がありましょうか。」
4罪なく士を殺せば
孟子曰:「無罪而殺士,則大夫可以去;無罪而戮民,則士可以徙。」
孟子が言った。「罪なく士を殺すなら大夫が去ってよく、罪なく民を殺すなら士が移ってよい。」
5君が仁であれば仁でない者がない
孟子曰:「君仁莫不仁,君義莫不義。」
孟子が言った。「君が仁であれば仁でない者がなく、君が義であれば義でない者がない。」
6礼でない礼、義でない義
孟子曰:「非禮之禮,非義之義,大人弗為。」
孟子が言った。「礼でない礼と義でない義を、大人はしない。」
7中を得た者が中を得ない者を育てる
孟子曰:「中也養不中,才也養不才,故人樂有賢父兄也。如中也棄不中,才也棄不才,則賢不肖之相去,其間不能以寸。」
孟子が言った。「中を得た者が中を得ない者を育て、才のある者が才のない者を育てる。だから人は賢い父や兄があることを喜ぶ。
もし中を得た者が中を得ない者を捨て、才のある者が才のない者を捨てるなら、賢い者と愚かな者の隔たりは一寸にもならない。」
8しないことがあってはじめてすることがある
孟子曰:「人有不為也,而後可以有為。」
孟子が言った。「人はしないことがあってはじめて、することがあり得る。」
9人の善くないことを言えば、後の心配をどうする
孟子曰:「言人之不善,當如後患何?」
孟子が言った。「人の善くないことを言って、後の心配をどうするつもりか。」
10仲尼は度を越したことをされなかった
孟子曰:「仲尼不為已甚者。」
孟子が言った。「仲尼は度を越したことをされなかった。」
11大人はただ義のあるところに従う
孟子曰:「大人者,言不必信,行不必果,惟義所在。」
孟子が言った。「大人は言葉に必ず信を期さず、行いに必ず結果を期さず、ただ義のあるところに従う。」
12大人は赤子の心を失わない
孟子曰:「大人者,不失其赤子之心者也。」
孟子が言った。「大人とは、その赤子(あかご)の心を失わない者である。」
13死んだ者を送ることこそ大きな事といえる
孟子曰:「養生者,不足以當大事,惟送死可以當大事。」
孟子が言った。「生きている者を養うことは大きな事というに足りず、ただ死んだ者を送ることこそ大きな事といえる。」
14自ら得させようとするのだ
孟子曰:「君子深造之以道,欲其自得之也。自得之則居之安,居之安則資之深,資之深則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也。」
孟子が言った。「君子が道によって深く進むのは、自ら得ようとするからだ。自ら得れば留まるところが安らかであり、留まるところが安らかであれば拠(よ)るところが深くなり、拠るところが深くなれば左右から取ってもその源に出会う。だから君子は自ら得ようとするのだ。」
15広く学んで細かく説くのは要約に帰るため
孟子曰:「博學而詳說之,將以反說約也。」
孟子が言った。「広く学んで細かく説くのは、これから振り返って要(かなめ)を説くためである。」
16善で人を育ててはじめて天下を服させる
孟子曰:「以善服人者,未有能服人者也。以善養人,然後能服天下。天下不心服而王者,未之有也。」
孟子が言った。「善で人を服させようとした者のうちに、人を服させられた者はこれまでない。善で人を育ててはじめて天下を服させられる。天下が心から服さないのに王となった者は、これまでない。」
17賢い者を覆う者がその罰を受ける
孟子曰:「言無實,不詳。不詳之實,蔽賢者當之。」
孟子が言った。「言葉に実がないことは、めでたくない。めでたくないことの実は、賢い者を覆う者がそれを受ける。」
18源のある泉は昼も夜も止まらない
徐子曰:「仲尼亟稱於水曰:『水哉!水哉!』何取於水也?」 孟子曰:「源泉混混,不舍晝夜,盈科而後進,放乎四海;有本者如是,是之取爾。茍為無本,七、八月之間雨集,溝澮皆盈;其涸也,可立而待也。故聲聞過情,君子恥之。」
徐子が言った。「仲尼はたびたび水を挙げて『水よ、水よ』と言われましたが、水から何を取られたのですか。」
孟子が言った。「源のある泉がこんこんと湧いて昼も夜も止まらず、窪(くぼ)みを満たしてから進み、四海に至る。本のあるものがこのようであるから、これを取られたのだ。
まことに本がなければ、七、八月のあいだに雨が集まって溝が満ちても、それが枯れるのは立って待てるほどだ。だから評判が実より過ぎていることを、君子は恥じる。」
19人が獣と違うところは、わずかである
孟子曰:「人之所以異於禽獸者幾希,庶民去之,君子存之。舜明於庶物,察於人倫;由仁義行,非行仁義也。」
孟子が言った。「人が鳥や獣と違うところはわずかで、民はそれを捨て、君子はそれを保つ。
舜は多くの物に明らかで人の倫を見分けられたが、仁義によって行われたのであって、仁義を行われたのではない。」
20禹は旨(うま)い酒を憎まれた
孟子曰:「禹惡旨酒而好善言。湯執中,立賢無方。文王視民如傷,望道而未之見。武王不泄邇,不忘遠。周公思兼三王,以施四事。其有不合者,仰而思之,夜以繼日;幸而得之,坐以待旦。」
孟子が言った。「禹は旨い酒を憎み、善い言葉を好まれた。湯王は中を執り、賢い者を立てるのに類を選ばれなかった。文王は民を見ることが傷ついた者を見るようであり、道を望みながらまだ見ていないようにされた。武王は近い者をおろそかにせず、遠い者を忘れられなかった。
周公は三人の王を兼ねて四つの事を施すことを思われたが、合わないことがあれば仰いで考えられ、夜を昼に継がれ、幸いに得られれば座って朝を待たれた。」
21『詩』がなくなってから『春秋』が作られた
孟子曰:「王者之跡熄而《詩》亡,《詩》亡然後《春秋》作。晉之《乘》、楚之《梼杌》、魯之《春秋》,一也。其事則齊桓、晉文,其文則史。孔子曰:『其義則丘竊取之矣。』」
孟子が言った。「王者の跡が消えて『詩』がなくなり、『詩』がなくなってから『春秋』が作られた。
晋の『乗(じょう)』と楚の『檮杌(とうごつ)』と魯の『春秋』は一つである。その事は斉の桓公と晋の文公であり、その文は史官の文であるが、孔子は『その義はわたしがひそかに取った』と言われた。」
22わたしは人を通じて私淑した
孟子曰:「君子之澤,五世而斬;小人之澤,五世而斬。予未得為孔子徒也,予私淑諸人也。」
孟子が言った。「君子の恵みも五代で絶え、小人の恵みも五代で絶える。わたしは孔子の門人になれなかったが、わたしは人を通じて私淑(ししゅく)した。」
23取ってもよく取らなくてもよいとき
孟子曰:「可以取,可以無取,取傷廉。可以與,可以無與,與傷惠。可以死,可以無死,死傷勇。」
孟子が言った。「取ってもよく取らなくてもよいときに取れば清廉を損ない、与えてもよく与えなくてもよいときに与えれば恵みを損ない、死んでもよく死ななくてもよいときに死ねば勇を損なう。」
24逢蒙が羿を殺す ― 矢の根を外して射る
逢蒙學射於羿,盡羿之道,思天下惟羿為愈己,於是殺羿。孟子曰:「是亦羿有罪焉。」 公明儀曰:「宜若無罪焉?」 曰:「薄乎云爾,惡得無罪?鄭人使子濯孺子侵衛,衛使庾公之斯追之。子濯孺子曰:『今日我疾作,不可以執弓,吾死矣夫!』問其僕曰:『追我者誰也?』其僕曰:『庾公之斯也。』曰:『吾生矣。』其僕曰:『庾公之斯,衛之善射者也,夫子曰「吾生」,何謂也?』曰:『庾公之斯學射於尹公之他,尹公之他學射於我。夫尹公之他,端人也,其取友必端矣。』庾公之斯至,曰:『夫子何為不執弓?』曰:『今日我疾作,不可以執弓。』曰:『小人學射於尹公之他,尹公之他學射於夫子。我不忍以夫子之道,反害夫子。雖然,今日之事,君事也,我不敢廢。』抽矢叩輪,去其金、發乘矢而後反。」
逢蒙(ほうもう)は羿(げい)に弓を学んで羿の道をすべて身につけ、天下でただ羿だけが自分よりまさっていると思い、ついに羿を殺した。
孟子が言った。「これも羿に罪がある。」
公明儀が言った。「罪はないようですが。」
「少ないというだけで、どうして罪がないであろう。
鄭が子濯孺子(したくじゅし)に衛を侵させたので、衛は庾公之斯(ゆこうのし)に追わせた。子濯孺子は『今日はわたしの病が起こって弓を持てない。わたしは死ぬのだな』と言い、その馭者に『わたしを追う者は誰か』と尋ねた。馭者が『庾公之斯です』と言うと、『わたしは生きた』と言った。
馭者が『庾公之斯は衛の弓の上手ですのに、先生が「わたしは生きた」と言われるのは、どういうことですか』と言うと、『庾公之斯は尹公之他(いんこうのた)に弓を学び、尹公之他はわたしに弓を学んだ。そもそも尹公之他は端(ただ)しい人だから、その者が友を選んだのも必ず端しかったであろう』と言った。
庾公之斯が至って言った。『先生はどうして弓を持たれないのですか。』『今日はわたしの病が起こって弓を持てないのだ。』『わたしは尹公之他に弓を学び、尹公之他は先生に弓を学びました。わたしは先生の道で、かえって先生を害するに堪えません。しかし今日の事は君の事ですから、わたしはあえてやめられません。』そして矢を抜いて車輪に打ちつけ、その鉄の根を外して四本射てから帰った。」
25西施でも汚れたものをかぶれば
孟子曰:「西子蒙不潔,則人皆掩鼻而過之。雖有惡人,齋戒沐浴,則可以祀上帝。」
孟子が言った。「西施(せいし)でも汚れたものをかぶっていれば、人はみな鼻を覆って通り過ぎる。たとえ醜い人でも、身を清め沐浴すれば上帝に祭ることができる。」
26性を説くのは、すでにそうなった跡にすぎない
孟子曰:「天下之言性也,則故而已矣。故者,以利為本。所惡於智者,為其鑿也。如智者,若禹之行水也,則無惡於智矣。禹之行水也,行其所無事也。如智者亦行其所無事,則智亦大矣。天之高也,星辰之遠也,茍求其故,千歲之日至,可坐而致也。」
孟子が言った。「天下で性(さが)を説くのは、すでにそうなった跡(故)にすぎない。その跡は、理にかなうことを本とする。
知のある者について憎まれるのは、その者が無理に穿(ほ)るからだ。もし知のある者が、禹が水を流されたようにするなら、知を憎むところはない。禹が水を流されたのは、事のないところを行われたのだ。もし知のある者も事のないところを行うなら、その知もまた大きい。
天が高く星が遠くても、まことにその跡を求めれば、千年後の冬至の日も座ったままで導き出せる。」
27朝廷では位を飛び越えて語らない
公行子有子之喪,右師往弔。入門,有進而與右師言者,有就右師之位而與右師言者。孟子不與右師言,右師不悅曰:「諸君子皆與驩言,孟子獨不與驩言,是簡驩也。」孟子聞之,曰:「禮:朝庭不歷位而相與言,不逾階而相揖也。我欲行禮,子敖以我為簡,不亦異乎?」
公行子(こうこうし)に子の喪があり、右師(ゆうし)が弔いに行った。門に入ると、進み出て右師と語る者があり、右師の席へ行って右師と語る者があった。
孟子が右師と語らないので、右師は不快そうに言った。「君子たちがみなわたし驩(かん)と語るのに、孟子だけがわたしと語らないのは、わたしをおろそかにするものだ。」
孟子はこれを聞いて言った。「礼に『朝廷では位を飛び越えて互いに語らず、階(きざはし)を越えて互いに礼をしない』とある。わたしは礼を行おうとしたのに、子敖はわたしをおろそかだと思うのだから、おかしなことではないか。」
28君子には一生の憂いがある
孟子曰:「君子所以異於人者,以其存心也。君子以仁存心,以禮存心。仁者愛人,有禮者敬人。愛人者,人恒愛之;敬人者,人恒敬之。有人於此,其待我以橫逆,則君子必自反也:『我必不仁也,必無禮也,此物奚宜至哉?』其自反而仁矣,自反而有禮矣。其橫逆由是也,君子必自反也:『我必不忠。』自反而忠矣。其橫逆由是也,君子曰:『此亦妄人也已矣。如此則與禽獸奚擇哉?於禽獸又何難焉!』是故君子有終身之憂,無一朝之患也。乃若所憂則有之。舜人也,我亦人也;舜為法於天下,可傳於後世,我由未免為鄉人也,是則可憂也。憂之如何?如舜而已矣。若夫君子所患則亡矣。非仁無為也,非禮無行也。如有一朝之患,則君子不患矣。」
孟子が言った。「君子が人と違う理由は、その心を保つところにある。君子は仁で心を保ち、礼で心を保つ。
仁の人は人を愛し、礼のある人は人を敬う。人を愛する者は人が常にその人を愛し、人を敬う者は人が常にその人を敬う。
ここにある人があって、わたしを横暴に逆らって扱うなら、君子は必ず自ら振り返る。『わたしが必ず仁でなかったのだ、必ず礼がなかったのだ。この事がどうして当然に至ろうか。』自ら振り返って仁であり、自ら振り返って礼があったのに、その横暴な逆らいが変わらないなら、君子は必ず自ら振り返る。『わたしが必ず忠でなかったのだ。』自ら振り返って忠であったのに、その横暴な逆らいが変わらないなら、君子は『これもまた妄(みだ)りな人にすぎない。このようであれば鳥や獣と何を選ぼう。鳥や獣に、また何を責めよう』と言う。
だから君子には一生の憂いはあっても、一朝の心配はない。憂えるところについて言えば、ある。舜も人であり、わたしも人であるのに、舜は天下に法となって後の世に伝えるに足るのに、わたしはまだ里の人であることを免れていない。これは憂えるに足る。憂えたらどうするか。舜のようにするだけだ。
あの君子が心配するところについて言えば、ない。仁でなければせず、礼でなければ行わない。もし一朝の心配があっても、君子は心配しない。」
29禹・稷と顔回は同じ道だ
禹、稷當平世,三過其門而不入,孔子賢之。顏子當亂世,居於陋巷,一簞食,一瓢飲,人不堪其憂,顏子不改其樂,孔子賢之。孟子曰:「禹、稷、顏回同道。禹思天下有溺者,由己溺之也;稷思天下有饑者,由己饑之也。是以如是其急也。禹、稷、顏子易地則皆然。今有同室之人鬭者,救之,雖被髪纓冠而救之,可也。鄉鄰有鬭者,被髪纓冠而往救之,則惑也,雖閉戶可也。」
禹と后稷(こうしょく)は平らかな世に当たって、三度自分の家の門の前を通りながら入られなかったので、孔子は賢いとされた。顔子は乱れた世に当たって狭い路地に住み、竹の器一杯の飯と瓢(ひさご)一杯の水で過ごし、人はその憂いに堪えられなかったのに、顔子はその楽しみを変えなかったので、孔子は賢いとされた。
孟子が言った。「禹と后稷と顔回は同じ道だ。禹は天下に溺れる者があれば自分が溺らせたように思われ、后稷は天下に飢える者があれば自分が飢えさせたように思われた。だからこれほど急がれたのだ。禹と后稷と顔子が立場を取り替えれば、みなそうであったろう。
今、同じ家の者が争えば救うが、髪を解いたまま冠の紐だけ結んで駆けつけて救ってもよい。しかし里の隣が争うのに、髪を解いたまま冠の紐だけ結んで行って救うなら、これは惑ったことで、たとえ戸を閉じていてもよい。」
30匡章を不孝という理由
公都子曰:「匡章,通國皆稱不孝焉。夫子與之游,又從而禮貌之,敢問何也?」 孟子曰:「世俗所謂不孝者五:惰其四支,不顧父母之養,一不孝也;博弈、好飲酒,不顧父母之養,二不孝也;好貨財、私妻子,不顧父母之養,三不孝也;從耳目之欲,以為父母戮,四不孝也;好勇鬭狠,以危父母,五不孝也。章子有一於是乎?夫章子,子父責善而不相遇也。責善,朋友之道也。父子責善,賊恩之大者。夫章子豈不欲有夫妻子母之屬哉?為得罪於父,不得近;出妻屏子,終身不養焉。其設心以為不若是,是則罪之大者。是則章子已矣。」
公都子が言った。「匡章は国全体がみな不孝だと言うのに、先生はその人と交わられ、その上礼をもって扱われます。あえてお尋ねしますが、どうしてですか。」
孟子が言った。「世間でいう不孝は五つある。自分の手足を怠けて父母の養いを顧みないのが一つめの不孝、博打(ばくち)や囲碁をし酒を好んで父母の養いを顧みないのが二つめの不孝、財を好み妻子だけを可愛がって父母の養いを顧みないのが三つめの不孝、耳と目の欲に従って父母を辱めるのが四つめの不孝、勇を好み荒く争って父母を危うくするのが五つめの不孝だ。
章子にこのうち一つでもあるか。そもそも章子は、子と父が善を求め合って互いに合わなかったのだ。善を求めるのは友の道であり、父と子が善を求めるのは恩を害することの大きいものだ。
そもそも章子も、どうして夫婦や母子の情を持ちたくなかったであろう。父に罪を得て近づけなくなったので、妻を出し子を退けて、死ぬまで養われなかった。その心に、こうしなければこそ罪が大きいと思ったのだ。それが章子というだけのことだ。」
31曾子と子思は同じ道だ
曾子居武城,有越寇。或曰:「寇至,盍去諸?」曰:「無寓人於我室,毀傷其薪木。」寇退,則曰:「修我墻屋,我將反。」寇退,曾子反。左右曰:「待先生如此其忠且敬也,寇至則先去以為民望,寇退則反,殆於不可。」沈猶行曰:「是非汝所知也。昔沈猶有負芻之禍,從先生者七十人,未有與焉。」 子思居於衛,有齊寇。或曰:「寇至,盍去諸?」子思曰:「如汲去,君誰與守?」 孟子曰:「曾子、子思同道。曾子師也,父兄也;子思臣也,微也。曾子、子思易地則皆然。」
曾子が武城(ぶじょう)におられたとき、越の賊が来た。ある者が「賊が来るのに、どうして去られないのですか」と言うと、「わたしの家に人を入れるな。薪(たきぎ)や木を傷めるであろう」と言われた。賊が退くと「わたしの垣と家を直せ。わたしはこれから帰る」と言われた。賊が退いて、曾子は帰られた。
左右の者が言った。「先生をこれほど忠実に恭しくお仕えしたのに、賊が来ると先に去って民にそれを見せ、賊が退くと帰られるのは、おそらくいけないことでしょう。」
沈猶行(しんゆうこう)が言った。「これはお前たちの分かることではない。昔、沈猶氏に負芻(ふすう)の難があったとき、先生に従う者が七十人いたが、誰もそれに加わらなかった。」
子思が衛におられたとき、斉の賊が来た。ある者が「賊が来るのに、どうして去られないのですか」と言うと、子思は「わたし汲(きゅう)が去れば、君は誰とともに守るのか」と言われた。
孟子が言った。「曾子と子思は同じ道だ。曾子は師であり、父や兄に当たる人であった。子思は臣であり、低い位であった。曾子と子思が立場を取り替えれば、みなそうであったろう。」
32堯舜も人と同じだけだ
儲子曰:「王使人瞷夫子,果有以異於人乎?」 孟子曰:「何以異於人哉?堯、舜與人同耳。」
儲子(ちょし)が言った。「王が人をよこして先生をうかがわせていますが、ほんとうに人と違うところがあるのですか。」
孟子が言った。「何が人と違おう。堯も舜も人と同じだけであった。」
33斉の人の妻と妾 ― 墓のあいだで乞う
齊人有一妻一妾而處室者,其良人出,則必饜酒肉而後反。其妻問其所與飲食者,則盡富貴也。其妻告其妾曰:「良人出,則必饜酒肉而後反;問其與飲食者,盡富貴也。而未嘗有顯者來。吾將瞷良人之所之也。」早起,施從良人之所之。遍國中,無與立談者。卒之東郭墦間,之祭者,乞其餘;不足,又顧而之他──此其為饜足之道也。其妻歸,告其妾曰:「良人者,所仰望而終身也。今若此!」與其妾訕其良人,而相泣於中庭。而良人未之知也,施施從外來,驕其妻妾。由君子觀之,則人之所以求富貴利達者,其妻妾不羞也而不相泣者,幾希矣! 上一篇回目录下一篇
斉の人に、妻一人と妾一人を置いて暮らす者があった。その夫が出かけると、必ず酒と肉を飽きるほど食べてから帰った。その妻がともに飲み食いした者を尋ねると、みな富み貴い人たちであった。
その妻が妾に言った。「夫が出かけると、必ず酒と肉を飽きるほど食べてから帰るのに、ともに飲み食いした者を尋ねると、みな富み貴い人だと言う。それなのに、これまで名のある人が来たことがない。わたしはこれから夫の行く先をうかがってみよう。」
早く起きて、夫の行く先をこっそりと追った。町中を歩き回るのに、ともに立って話す者がなかった。ついに東の郭(かく)の外の墓のあいだへ行き、祭っている者にその残りを乞い、足りなければまた見回して別のところへ行った。これがその者の飽きるほど食べる方法であった。
その妻は帰って妾に言った。「夫とは仰ぎ見て一生をともにする人なのに、今このありさまとは。」そして妾とともに夫をそしり、庭の中で互いに泣いた。
ところが夫はそれを知らず、得意そうに外から入って来て、妻と妾に誇った。
君子が見れば、人が富貴や栄達を求める方法のうち、その妻と妾が恥じて互いに泣かずにいられるものが、どれほどあろうか。