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萬章 上萬章上

孟子(孟軻の書) 孟子 · 孟軻とその門人 · 紀元前4世紀〜3世紀 · 段落 9 · 漢字 2,995字 · 朗読 12.0分

孟子(孟軻の書) 全一巻 「なぜ必ず利を仰せになるのですか」で始まり、「民が貴く君は軽い」に至る書。論語が静かに説くところで、孟子は王の前で論じ、問い返す。五十歩百歩、浩然の気、井戸に落ちようとする子を見れば誰でもはっとする四端、生を捨てて義を取ること、天が大きな任を下そうとするときはまずその心を苦しめるという言葉がみなここから出た。書架に先に収めた論語と並べて読む対である。

1畑に出て天を呼んで泣く

萬章問曰:「舜往于田,號泣于旻天。何為其號泣也?」 孟子曰:「怨慕也。」 萬章曰:「父母愛之,喜而不忘;父母惡之,勞而不怨。然則舜怨乎?」 曰:「長息問於公明高曰:『舜往于田,則吾既得聞命矣;號泣于旻天、于父母,則吾不知也。』公明高曰:『是非爾所知也。』夫公明高以孝子之心為不若是恝。『我竭力耕田,共為子職而已矣;父母之不我愛,於我何哉?』帝使其子九男二女,百官牛羊倉廩備,以事舜於畎畝之中。天下之士多就之者,帝將胥天下而遷之焉。為不順於父母,如窮人無所歸。天下之士悅之,人之所欲也,而不足以解憂。好色,人之所欲;妻帝之二女,而不足以解憂。富,人之所欲;富有天下,而不足以解憂。貴,人之所欲;貴為天子,而不足以解憂。人悅之、好色、富貴無足以解憂者,惟順於父母,可以解憂。人少則慕父母,知好色則慕少艾,有妻子則慕妻子,仕則慕君,不得於君則熱中。大孝終身慕父母,五十而慕者,予於大舜見之矣。」

万章が尋ねた。「舜が畑に出て天を呼んで泣かれたそうですが、どうして呼んで泣かれたのですか。」

孟子が言った。「恨み、慕われたのだ。」

万章が言った。「『父母が愛してくださればうれしく思って忘れず、父母が憎まれれば苦労しても恨まない』と言いますが、それでは舜は恨まれたのですか。」

「長息(ちょうそく)が公明高(こうめいこう)に『舜が畑に出られたことはわたしも教えを聞きましたが、天を呼び父母を呼んで泣かれたことは分かりません』と尋ねると、公明高は『それはお前の分かることではない』と言った。

そもそも公明高は、孝子の心がそれほど無心ではいられないと考えたのだ。『わたしは力を尽くして畑を耕し、子の務めをともに果たすだけなのに、父母がわたしを愛してくださらないのは、わたしに何の咎があるのか。』

堯はその子九人と娘二人、百官と牛と羊と蔵を備えて、畑の中で舜に仕えさせられたので、天下の士でその人のもとへ行く者が多く、堯はこれから天下を見定めてその人に移そうとされた。ところが父母に順えなかったので、窮した人が帰るところのないようであった。

天下の士が喜ぶことは人の願うところであるのに憂いを解くに足りず、美しい女は人の願うところであるのに堯の二人の娘を妻として憂いを解くに足りず、富は人の願うところであるのに天下を持って憂いを解くに足りず、貴さは人の願うところであるのに天子となって憂いを解くに足りなかった。人が喜ぶことも、美しい女も、富貴も憂いを解くに足りず、ただ父母に順うことだけが憂いを解けた。

人は幼ければ父母を慕い、美しさを知れば若く美しい者を慕い、妻子があれば妻子を慕い、仕えれば君を慕い、君に得られなければ胸を焦がす。大きな孝は死ぬまで父母を慕うことで、五十になってなお慕った人を、わたしは大舜に見た。」

2申し上げずに妻を迎えた理由 ― 子産と魚

萬章問曰:「《詩》云:『娶妻如之何?必告父母。』信斯言也,宜莫如舜。舜之不告而娶,何也?」 孟子曰:「告則不得娶。男女居室,人之大倫也。如告則廢人之大倫以懟父母,是以不告也。」 萬章曰:「舜之不告而娶,則吾既得聞命矣。帝之妻舜而不告,何也?」 曰:「帝亦知告焉則不得妻也。」 萬章曰:「父母使舜完廩,捐階,瞽瞍焚廩。使浚井,出,從而掩之。象曰:『謨蓋都君咸我績。牛羊父母,倉廩父母,干戈朕,琴朕,弤朕,二嫂使治朕棲。』象往入舜宮,舜在床琴。象曰:『郁陶思君爾。』忸怩。舜曰:『唯茲臣庶,汝其于予治。』不識舜不知象之將殺己與?」 曰:「奚而不知也?象憂亦憂,象喜亦喜。」 曰:「然則舜偽喜者與?」 曰:「否。昔者有饋生魚於鄭子產,子產使校人畜之池。校人烹之,反命曰:『始舍之圉圉焉,少則洋洋焉,攸然而逝。』子產曰:『得其所哉!得其所哉!』校人出,曰:『孰謂子產智?予既烹而食之,曰:「得其所哉!得其所哉!」』故君子可欺以其方,難罔以非其道。彼以愛兄之道來,故誠信而喜之。奚偽焉?」

万章が尋ねた。「『詩』に『妻を迎えるにはどうするか。必ず父母に申し上げる』とあります。この言葉を信じるなら、舜ほどの人はないはずですのに、舜が申し上げずに妻を迎えられたのは、どうしてですか。」

孟子が言った。「申し上げれば妻を迎えられなかった。男女が一つの家に住むのは人の大きな倫である。もし申し上げれば人の大きな倫を廃して父母を恨むことになるので、申し上げられなかったのだ。」

万章が言った。「舜が申し上げずに妻を迎えられたことは、わたしはもう教えを聞きました。堯が舜に娘を嫁がせながら申し上げられなかったのは、どうしてですか。」

「堯も、申し上げれば嫁がせられないと分かっておられた。」

万章が言った。「父母が舜に蔵を直させておいて梯子(はしご)を外し、瞽瞍が蔵を焼き、井戸を浚(さら)わせておいて、出てくると後から埋めてしまいました。象(しょう)は『都君(とくん)を埋めて殺したのは、みなわたしの功だ。牛と羊は父母に、蔵は父母に、矛と盾はわたしのもの、琴もわたしのもの、弓もわたしのもの、二人の兄嫁はわたしの寝床を世話させよう』と言いました。

象が舜の家に入ると、舜は床で琴を弾いていました。象は『もやもやと兄上を慕っておりました』と言って恥じ入りました。舜は『この家臣たちを、お前がわたしのために治めてくれ』と言われました。舜は、象がこれから自分を殺そうとしたことを知らなかったのですか。」

「どうして知られなかったであろう。象が憂えればともに憂え、象が喜べばともに喜ばれたのだ。」

「それでは舜は偽って喜ばれたのですか。」

「いや。昔、ある者が鄭の子産に生きた魚を贈った。子産が池の番人に池で飼わせたところ、番人はそれを煮て食べて、帰って『はじめに放すとよろよろしていましたが、しばらくすると元気になり、ゆらゆらと去って行きました』と申し上げた。子産は『居場所を得たのだな。居場所を得たのだな』と言った。番人は出て来て『誰が子産を知があると言うのか。わたしがもう煮て食べたのに「居場所を得たのだな」と言っている』と言った。

だから君子は理にかなうことでは欺けても、道でないことで騙すのは難しい。あの者は兄を愛する道で来たのだから、まことに信じて喜ばれたのだ。どうして偽りであろう。」

夾注 1

都君は舜を指します。― 訳者

3象を有庳に封じる

萬章問曰:「象日以殺舜為事,立為天子,則放之,何也?」 孟子曰:「封之也。或曰放焉。」 萬章曰:「舜流共工于幽州,放驩兜于崇山,殺三苗于三危,殛鯀于羽山,四罪而天下咸服。誅不仁也。象至不仁,封之有庳。有庳之人奚罪焉?仁人固如是乎?在他人則誅之,在弟則封之。」 曰:「仁人之於弟也,不藏怒焉,不宿怨焉,親愛之而已矣。親之,欲其貴也;愛之,欲其富也。封之有庳,富貴之也。身為天子,弟為匹夫,可謂親愛之乎?」 「敢問『或曰放』者何謂也?」 曰:「象不得有為於其國,天子使吏治其國,而納其貢稅焉,故謂之放。豈得暴彼民哉?雖然,欲常常而見之,故源源而來。『不及貢,以政接于有庳』,此之謂也。」

万章が尋ねた。「象は日ごとに舜を殺すことを仕事にしていたのに、天子となられると追い払われたのは、どうしてですか。」

孟子が言った。「封じられたのだ。ある者は追い払ったと言う。」

万章が言った。「舜は共工(きょうこう)を幽州に流し、驩兜(かんとう)を崇山に追い、三苗(さんびょう)を三危で殺し、鯀(こん)を羽山で殺され、四人の罪人を罰されると天下がみな服しました。仁でない者を罰されたのです。象は極めて仁でないのに有庳(ゆうひ)に封じられたのですから、有庳の人々に何の罪がありましょう。仁の人がもともとこのようなのですか。人には罰を下し、弟には封じるのですか。」

「仁の人は弟に対して怒りを隠さず恨みを溜めず、ただ親しみ愛するだけだ。親しめばその者が貴くなることを願い、愛すればその者が富むことを願う。有庳に封じられたのは、その者を富み貴くされたのだ。身は天子でありながら弟が匹夫なら、親しみ愛するといえようか。」

「あえてお尋ねしますが、『ある者は追い払ったと言う』とは、どういうことですか。」

「象がその国で勝手にできず、天子が役人をよこしてその国を治め、その貢ぎと税を納めさせられたので、追い払ったと言うのだ。どうしてあの民を乱暴に扱えたであろう。

それでも常に会おうと思われたので、絶えず来させられた。『貢ぎの時でなくても政事で有庳に接した』というのは、これを言ったのだ。」

4字で言葉を害するな

咸丘蒙問曰:「語云:『盛德之士,君不得而臣,父不得而子。』舜南面而立,堯帥諸侯北面而朝之,瞽瞍亦北面而朝之。舜見瞽瞍,其容有蹙。孔子曰:『於斯時也,天下殆哉,岌岌乎!』不識此語,誠然乎哉?」 孟子曰:「否,此非君子之言,齊東野人之語也。堯老而舜攝也,《堯典》曰:『二十有八載,放勛乃徂落,百姓如喪考妣。三年,四海遏密八音。』孔子曰:『天無二日,民無二王。』舜既為天子矣,又帥天下諸侯以為堯三年喪,是二天子矣。」 咸丘蒙曰:「舜之不臣堯,則吾既得聞命矣。《詩》云:『普天之下,莫非王土;率土之濱,莫非王臣。』而舜既為天子矣,敢問瞽瞍之非臣,如何?」 曰:「是詩也,非是之謂也,勞於王事而不得養父母也。曰:『此莫非王事,我獨賢勞也。』故說詩者,不以文害辭,不以辭害志;以意逆志,是為得之。如以辭而已矣。《雲漢》之詩曰:『周餘黎民,靡有孑遺。』信斯言也,是周無遺民也。孝子之至,莫大乎尊親;尊親之至,莫大乎以天下養。為天子父,尊之至也;以天下養,養之至也。《詩》曰:『永言孝思,孝思惟則』,此之謂也。《書》曰:『祗載見瞽瞍,夔夔齋栗,瞽瞍亦允若』,是為父不得而子也?」

咸丘蒙(かんきゅうもう)が尋ねた。「古い言葉に『徳の盛んな士は君もその人を臣とできず、父もその人を子とできない』とあります。舜が南に向いて立たれると堯が諸侯を率いて北に向いて朝し、瞽瞍も北に向いて朝しました。舜が瞽瞍を見られると、その顔に落ち着かない色があり、孔子は『このとき天下は危うかった、危ういことであった』と言われました。この言葉はまことにそうなのですか。」

孟子が言った。「いや。これは君子の言葉ではなく、斉の東の田舎者の言葉だ。堯が老いられたので舜が摂政されたのだ。

『堯典』に『二十八年たって放勛がついに亡くなられると、民は父母を失ったようであった。三年のあいだ、四海で八種の音楽をやめた』とある。孔子は『天に二つの日はなく、民に二人の王はない』と言われた。舜がすでに天子であられたのに、さらに天下の諸侯を率いて堯のために三年の喪を行われたなら、それは天子が二人いることになる。」

咸丘蒙が言った。「舜が堯を臣とされなかったことは、わたしはもう教えを聞きました。『詩』に『広い天の下に王の土地でないところはなく、地の果てまで王の臣でない者はない』とありますが、舜がすでに天子であられたのですから、あえてお尋ねしますが、瞽瞍が臣でないのはどうしたことですか。」

「この詩はそれを言うのではない。王の事に苦労して父母を養えないことを言ったのだ。『これは王の事でないものはないのに、わたしだけが独り苦労している』と言ったのだ。

だから詩を説く者は、字で言葉を害さず、言葉で志を害さず、自分の意で作者の志を迎えてはじめて得られる。もし言葉だけでするなら、『雲漢(うんかん)』の詩に『周の残った民は一人も残っていない』とあるが、この言葉を信じるなら、周に残る民がいないことになる。

孝子の極みは親を尊ぶことより大きいものがなく、親を尊ぶ極みは天下で養うことより大きいものがない。天子の父となることは尊ぶ極みであり、天下で養うことは養う極みである。

『詩』に『長く孝を思うなら、孝の思いこそ法である』とあるのは、これを言ったのだ。『書』に『慎んで事を執り瞽瞍にお会いになり、おそれつつ斎(つつし)み戦(おの)かれたので、瞽瞍もついに順うようになった』とあるが、これが父もその人を子とできないということであろうか。」

夾注 1

放勛は堯のことです。― 訳者

5天が与えたのだ ― 天は民の目で見る

萬章曰:「堯以天下與舜,有諸?」 孟子曰:「否,天子不能以天下與人。」 「然則舜有天下也,孰與之?」 曰:「天與之。」 「天與之者,諄諄然命之乎?」 曰:「否,天不言,以行與事示之而已矣。」 曰:「以行與事示之者,如之何?」 曰:「天子能薦人於天,不能使天與之天下;諸侯能薦人於天子,不能使天子與之諸侯;大夫能薦人於諸侯,不能使諸侯與之大夫。昔者堯薦舜於天而天受之,暴之於民而民受之。故曰:天不言,以行與事示之而已矣。」 曰:「敢問薦之於天而天受之,暴之於民而民受之,如何?」 曰:「使之主祭而百神享之,是天受之。使之主事而事治,百姓安之,是民受之也。天與之,人與之,故曰:天子不能以天下與人。舜相堯,二十有八載,非人之所能為也,天也。堯崩,三年之喪畢,舜避堯之子於南河之南。天下諸侯朝覲者,不之堯之子而之舜;訟獄者,不之堯之子而之舜;謳歌者,不謳歌堯之子而謳歌舜;故曰『天』也。夫然後之中國,踐天子位焉。而居堯之宮,逼堯之子,是『篡』也,非『天與』也。《泰誓》曰:『天視自我民視,天聽自我民聽』,此之謂也。」

万章が言った。「堯が天下を舜に与えられたそうですが、そのようなことがありましたか。」

孟子が言った。「いや。天子が天下を人に与えることはできない。」

「それでは舜が天下を持たれたのは、誰が与えたのですか。」

「天が与えたのだ。」

「天が与えたというのは、こまごまと命じられたのですか。」

「いや。天は語らず、行いと事で示されるだけだ。」

「行いと事で示されるとは、どういうことですか。」

「天子は人を天に薦めることはできても、天にその人へ天下を与えさせることはできない。諸侯は人を天子に薦めることはできても、天子にその人へ諸侯の位を与えさせることはできない。大夫は人を諸侯に薦めることはできても、諸侯にその人へ大夫の位を与えさせることはできない。

昔、堯が舜を天に薦められると天が受けられ、民に現されると民が受けた。だから『天は語らず、行いと事で示されるだけだ』と言うのだ。」

「あえてお尋ねしますが、天に薦めて天が受けられ、民に現して民が受けたとは、どういうことですか。」

「その人に祭りを主らせると多くの神が受けられたので、これが天が受けられたことであり、その人に事を主らせると事が治まり民が安らかになったので、これが民が受けたことである。天が与え、人が与えたのだ。だから『天子が天下を人に与えることはできない』と言うのだ。

舜が堯を助けられたのは二十八年で、これは人のできることではなく、天である。堯が亡くなられて三年の喪を終えると、舜は堯の子を避けて南河(なんか)の南へ行かれた。ところが天下の諸侯で朝する者は堯の子へ行かずに舜へ行き、訴える者は堯の子へ行かずに舜へ行き、歌う者は堯の子を歌わずに舜を歌った。だから『天』と言うのだ。

そのうえではじめて国の中へ行き、天子の位に就かれた。もし堯の宮に住んで堯の子を迫ったなら、それは奪ったのであって、天が与えたのではない。

『泰誓(たいせい)』に『天が見るのはわが民が見るところからであり、天が聞くのはわが民が聞くところからである』とあるのは、これを言ったのだ。」

6禹に至って徳が衰えたという言葉

萬章問曰:「人有言『至於禹而德衰,不傳於賢而傳於子』,有諸?」 孟子曰:「否然也。天與賢則與賢,天與子則與子。昔者舜薦禹於天,十有七年;舜崩,三年之喪畢,禹避舜之子於陽城;天下之民從之,若堯崩之後不從堯之子而從舜也。禹薦益於天,七年,禹崩,三年之喪畢,益避禹子於箕山之陰;朝覲訟獄者,不之益而之啟,曰:『吾君之子也。』謳歌者不謳歌益而謳歌啟,曰:『吾君之子也。』丹朱之不肖,舜之子亦不肖;舜之相堯、禹之相舜也,歷年多,施澤於民久。啟賢,能敬承繼禹之道;益之相禹也,歷年少,施澤於民未久。舜、禹、益相去久遠,其子之賢不肖皆天也,非人之所能為也。莫之為而為者,天也;莫之致而至者,命也。匹夫而有天下者,德必若舜禹,而又有天子薦之者;故仲尼不有天下。繼世而有天下,天之所廢,必若桀紂者也;故益、伊尹、周公不有天下。伊尹相湯以王於天下,湯崩,太丁未立,外丙二年,仲壬四年。太甲顛覆湯之典刑,伊尹放之於桐三年;太甲悔過,自怨自艾,於桐處仁遷義,三年以聽伊尹之訓己也,復歸于亳。周公之不有天下,猶益之於夏、伊尹之於殷也。孔子曰:『唐虞禪,夏後、殷、周繼,其義一也。』」

万章が尋ねた。「人々が『禹に至って徳が衰え、賢い者に伝えずに子に伝えた』と言いますが、そのようなことがありましたか。」

孟子が言った。「いや、そうではない。天が賢い者に与えれば賢い者に与え、天が子に与えれば子に与える。

昔、舜が禹を天に薦められて十七年、舜が亡くなられて三年の喪を終えると、禹は舜の子を避けて陽城(ようじょう)へ行かれたが、天下の民がその人に従った。堯が亡くなられた後に堯の子に従わずに舜に従ったのと同じであった。

禹が益を天に薦められて七年、禹が亡くなられて三年の喪を終えると、益は禹の子を避けて箕山(きざん)の北へ行った。ところが朝し訴える者が益へ行かずに啓(けい)へ行き『わが君の子だ』と言い、歌う者が益を歌わずに啓を歌い『わが君の子だ』と言った。

丹朱(たんしゅ)は愚かで舜の子も愚かであり、舜が堯を助け禹が舜を助けたことは年数が多く、民に恵みを施して久しかった。啓は賢く禹の道を敬って受け継ぐことができたが、益が禹を助けたことは年数が少なく、民に恵みを施して久しくなかった。

舜と禹と益の隔たった年数の長短も、その子の賢さや愚かさも、みな天であって人のできることではない。誰もしないのになるのが天であり、誰も至らせないのに至るのが命(めい)である。

匹夫で天下を持つには、徳が必ず舜や禹のようでなければならず、その上で天子がその人を薦めてくれなければならない。だから仲尼は天下を持たれなかった。

代を継いで天下を持った者のうち、天が廃するのは必ず桀や紂のような者だ。だから益と伊尹と周公は天下を持たなかった。

伊尹が湯王を助けて天下に王とされたが、湯王が亡くなられて太丁(たいてい)は立たず、外丙(がいへい)が二年、仲壬(ちゅうじん)が四年であった。太甲が湯王の法と刑を覆したので、伊尹はその者を桐(とう)の地に三年追いやった。太甲は過ちを悔いて自ら恨み自ら改め、桐の地で仁に住み義に移り、三年のあいだ伊尹が自分を教えたことに従って、亳(はく)へ帰った。

周公が天下を持たなかったことは、益が夏で、伊尹が殷でそうであったことと同じだ。

孔子は『唐虞(とうぐ)は譲り、夏后・殷・周は継いだが、その義は一つである』と言われた。」

夾注 1

唐虞は堯と舜のことです。― 訳者

7伊尹が料理で湯王に求めたという言葉

萬章問曰:「人有言『伊尹以割烹要湯』,有諸?」 孟子曰:「否,不然。伊尹耕於有莘之野,而樂堯舜之道焉。非其義也,非其道也,祿之以天下弗顧也,繫馬千駟弗視也。非其義也,非其道也,一介不以與人,一介不以取諸人。湯使人以幣聘之。囂囂然曰:『我何以湯之聘幣為哉?我豈若處畎畝之中,由是以樂堯舜之道哉?』湯三使往聘之。既而幡然改曰:『與我處畎畝之中,由是以樂堯舜之道,吾豈若使是君為堯舜之君哉?吾豈若使是民為堯舜之民哉?吾豈若於吾身親見之哉?天之生此民也,使先知覺後知,使先覺覺後覺也。予,天民之先覺者也。予將以斯道覺斯民也,非予覺之而誰也?』思天下之民匹夫匹婦有不被堯舜之澤者,若己推而內之溝中。其自任以天下之重如此,故就湯而說之以伐夏救民。吾未聞枉己而正人者也,況辱己以正天下者乎?聖人之行不同也,或遠或近,或去或不去,歸潔其身而已矣。吾聞其以堯舜之道要湯,未聞以割烹也。《伊訓》曰:『天誅造攻自牧宮,朕載自亳。』」

万章が尋ねた。「人々が『伊尹は肉を切り煮ることで湯王に求めた』と言いますが、そのようなことがありましたか。」

孟子が言った。「いや、そうではない。伊尹は有莘(ゆうしん)の野で耕しながら堯舜の道を楽しんだ。その義でなくその道でなければ、天下を禄として与えられても顧みず、馬四千頭を繋いで与えられても見なかった。その義でなくその道でなければ、藁(わら)一本も人に与えず、藁一本も人から取らなかった。

湯王が人をよこして贈り物で招くと、淡々として『わたしが湯王の贈り物を何に使おう。わたしがどうして畑の中に住んで、これによって堯舜の道を楽しむことにまさろう』と言った。

湯王が三度人をよこして招くと、ついに心を改めて言った。『わたしが畑の中に住んで、これによって堯舜の道を楽しむことが、どうしてこの君を堯舜のような君にすることにまさろう。どうしてこの民を堯舜の民にすることにまさろう。どうしてわたしの身で自らそれを見ることにまさろう。

天がこの民を生むとき、先に知る者に後から知る者を覚(さと)らせ、先に覚った者に後から覚る者を覚らせられた。わたしは天の民のうち先に覚った者だ。わたしはこれからこの道でこの民を覚らせよう。わたしが覚らせないなら、誰がするのか。』

天下の民のうち一人の男、一人の女でも堯舜の恵みを受けない者があれば、自分が押して溝に入れたように思った。天下の重さを自分の負いめとすることがこのようであったので、湯王のもとへ行って夏を討ち民を救うよう説いたのだ。

わたしは自分の身を曲げて人を正した者をまだ聞かない。まして自分の身を辱めて天下を正す者はどうであろう。聖人の行いは同じでなく、ある者は遠ざかりある者は近づき、ある者は去りある者は去らないが、結局は自分の身を清くすることに帰るだけだ。

わたしはその人が堯舜の道で湯王に求めたと聞いたが、肉を切り煮ることでしたとは聞いていない。『伊訓(いくん)』に『天の罰は牧宮(ぼくきゅう)から攻めはじめたが、わたしは亳からはじめた』とある。」

8孔子が癰疽の家に泊まったという言葉

萬章問曰:「或謂『孔子於衛主癰疽,於齊主侍人瘠環』,有諸乎?」 孟子曰:「否,不然也,好事者為之也。於衛,主顏讎由。彌子之妻與子路之妻,兄弟也。彌子謂子路曰:『孔子主我,衛卿可得也。』子路以告,孔子曰:『有命。』孔子進以禮,退以義,得之不得曰:『有命』。而主癰疽與侍人瘠環,是無義無命也。孔子不悅於魯衛,遭宋桓司馬,將要而殺之,微服而過宋。是時孔子當厄,主司城貞子,為陳侯周臣。吾聞觀近臣,以其所為主;觀遠臣,以其所主。若孔子主癰疽與侍人瘠環,何以為孔子?」

万章が尋ねた。「ある者が『孔子は衛では癰疽(ようしょ)の家に泊まり、斉では侍人(じじん)の瘠環(せきかん)の家に泊まった』と言いますが、そのようなことがありましたか。」

孟子が言った。「いや、そうではない。事を作るのが好きな者が言い出したのだ。

衛では顔讎由(がんしゅうゆう)の家に泊まられた。弥子(びし)の妻と子路の妻は姉妹であった。弥子が子路に『孔子がわたしの家に泊まられれば、衛の卿の位が得られる』と言った。子路がこれを申し上げると、孔子は『命(めい)がある』と言われた。

孔子は礼で進み義で退かれ、得るも得ないも『命がある』と言われた。それなのに癰疽や侍人の瘠環の家に泊まられたなら、それは義もなく命もないことだ。

孔子は魯と衛で喜ばれず、宋の桓司馬(かんしば)が待ち受けて殺そうとしたので、目立たない服装で宋を通られた。このとき孔子は難に当たられ、司城貞子(しじょうていし)の家に泊まられたが、その人は陳侯周(しゅう)の臣であった。

わたしの聞くところでは、近くの臣を見るにはその者が誰を泊めるかで見、遠くから来た臣を見るにはその者が誰の家に泊まるかで見るという。もし孔子が癰疽や侍人の瘠環の家に泊まられたなら、どうして孔子といえよう。」

9百里奚が自分の身を売ったという言葉

萬章問曰:「或曰:『百里奚自鬻於秦養牲者,五羊之皮。食牛,以要秦繆公。』信乎?」 孟子曰:「否然,好事者為之也。百里奚,虞人也。晉人以垂棘之璧與屈產之乘,假道於虞以伐虢。宮之奇諫,百里奚不諫,知虞公之不可諫而去。之秦,年已七十矣,曾不知以食牛干秦繆公之為污也,可謂智乎?不可諫而不諫,可謂不智乎?知虞公之將亡而先去之,不可謂不智也。時舉於秦,知繆公之可與有行也而相之,可謂不智乎?相秦而顯其君於天下,可傳於後世,不賢而能之乎?自鬻以成其君,鄉黨自好者不為,而謂賢者為之乎?」 上一篇回目录下一篇

万章が尋ねた。「ある者が『百里奚(ひゃくりけい)は秦で家畜を飼う者に自分の身を羊の皮五枚で売り、牛を飼いながら秦の繆公(ぼくこう)に求めた』と言いますが、ほんとうですか。」

孟子が言った。「いや、そうではない。事を作るのが好きな者が言い出したのだ。

百里奚は虞(ぐ)の人である。晋の人が垂棘(すいきょく)の玉と屈(くつ)の地で産した馬で虞に道を借り、虢(かく)を討とうとした。宮之奇(きゅうのき)は諫めたが百里奚は諫めなかった。虞公には諫められないと知って去ったのだ。

秦へ行ったとき、年はもう七十であった。牛を飼うことで秦の繆公に求めるのが汚いことだと知らなかったのなら、知があるといえようか。諫められないから諫めなかったのだから、知がないといえようか。虞公がこれから亡びると知って先に去ったのだから、知がないとはいえない。

ちょうどその時に秦で用いられ、繆公がともに事をなせる人だと知って助けたのだから、知がないといえようか。秦を助けてその君を天下に現し、後の世に伝えるに足るようにしたのだから、賢くなくてそれができようか。

自分の身を売ってその君を成すことは、自分の身を大事にする里の人でもしないのに、賢い者がそんなことをしたといえようか。」