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尽心下盡心下

孟子(孟軻の書) 孟子 · 孟軻とその門人 · 紀元前4世紀〜3世紀 · 段落 38 · 漢字 2,575字 · 朗読 10.3分

孟子(孟軻の書) 全一巻 「なぜ必ず利を仰せになるのですか」で始まり、「民が貴く君は軽い」に至る書。論語が静かに説くところで、孟子は王の前で論じ、問い返す。五十歩百歩、浩然の気、井戸に落ちようとする子を見れば誰でもはっとする四端、生を捨てて義を取ること、天が大きな任を下そうとするときはまずその心を苦しめるという言葉がみなここから出た。書架に先に収めた論語と並べて読む対である。

1愛さないものから愛するものにまで及ぶ

孟子曰:「不仁哉,梁惠王也!仁者,以其所愛及其所不愛;不仁者,以其所不愛及其所愛。」 公孫丑問曰:「何謂也?」 「梁惠王以土地之故,糜爛其民而戰之,大敗;將復之,恐不能勝,故驅其所愛子弟以殉之;是之謂以其所不愛及其所愛也。」

孟子が言った。「仁ではないな、梁の恵王は。仁のある者は自分が愛するものから愛さないものにまで及び、仁のない者は自分が愛さないものから愛するものにまで及ぶ。」

公孫丑が尋ねた。「どういうことでしょうか。」

「梁の恵王は土地のために自分の民をすり潰して戦わせ、大敗した。もう一度戦おうとしたが、勝てないかと恐れ、自分が愛する子弟を駆り立てて死なせた。これが、自分が愛さないものから愛するものにまで及ぶということだ。」

2『春秋』に義しい戦争はない

孟子曰:「《春秋》無義戰,彼善於此,則有之矣。征者,上伐下也,敵國不相征也。」

孟子が言った。「『春秋』に義しい戦争はない。あれがこれよりましだということはある。征とは上が下を討つことであり、対等な国どうしは互いに征伐しない。」

3『書』をすべて信じるなら『書』はない方がよい

孟子曰:「盡信《書》,則不如無《書》。吾於《武成》,取二三策而已矣。仁人無敵於天下。以至仁伐至不仁,而何其血之流杵也?」

孟子が言った。「『書』をすべて信じるなら、『書』がない方がましだ。私は『武成』については二、三枚を取るだけである。

仁のある人には天下に敵がない。この上なく仁のある者がこの上なく仁のない者を討ったのに、どうして血が流れて杵が浮き流れたりしようか。」

4「私は陣立てが得意だ」という言葉は大罪である

孟子曰:「有人曰:『我善為陳,我善為戰』,大罪也。國君好仁,天下無敵焉,南面而征北狄怨,東面而征西夷怨,曰:『奚為後我?』武王之伐殷也,革車三百兩,虎賁三千人。王曰:『無畏!寧爾也,非敵百姓也。』若崩厥角稽首。征之為言正也,各欲正己也,焉用戰?」

孟子が言った。「ある者が『私は陣立てが得意だ、私は戦が得意だ』と言えば、大きな罪である。

国の君主が仁を好めば天下に敵はない。南に向かって討てば北の狄が恨み、東に向かって討てば西の夷が恨んで、『どうして我々を後回しにするのか』と言う。

武王が殷を討たれたときは、革の戦車三百台、勇士三千人であった。王が『恐れるな。お前たちを安んじるためであり、民を敵とするのではない』と言われると、崩れるように額を地につけて頭を下げた。

征という言葉は正すという意味である。それぞれが自分を正してもらいたいと願っているのに、どうして戦を用いようか。」

5規矩は与えられても巧みさは与えられない

孟子曰:「梓匠輪輿,能與人規矩,不能使人巧。」

孟子が言った。「大工や車作りは、人にコンパスと曲尺を与えることはできても、人を巧みにすることはできない。」

6もとから持っていたかのように

孟子曰:「舜之飯糗茹草也,若將終身焉。及其為天子也,被袗衣,鼓琴,二女果,若固有之。」

孟子が言った。「舜が乾し飯を食べ草を食べておられたときは、一生そうしておられるかと思われた。天子となられると、刺繍の衣を着て琴を弾き、二人の女が側に仕えるのを、もとから持っておられたかのようであった。」

7人の親を殺すことの重さ

孟子曰:「吾今而後知殺人親之重也:殺人之父,人亦殺其父;殺人之兄,人亦殺其兄。然則非自殺之也,一間耳。」

孟子が言った。「私は今になって、人の親を殺すことの重さを知った。人の父を殺せば人もその父を殺し、人の兄を殺せば人もその兄を殺す。とすれば自分で殺したのではないというだけで、ひと間の隔たりしかない。」

8昔の関所と今の関所

孟子曰:「古之為關也,將以御暴;今之為關也,將以為暴。」

孟子が言った。「昔、関所を設けたのは暴を防ぐためであった。今、関所を設けるのは暴をふるうためである。」

9自分が道を行わなければ

孟子曰:「身不行道,不行於妻子;使人不以道,不能行於妻子。」

孟子が言った。「自分が道を行わなければ妻子にも行われず、人を使うのに道によらなければ妻子にも行うことができない。」

10利を十分に備えた者は凶年も殺せない

孟子曰:「周于利者,兇年不能殺;周於德者,邪世不能亂。」

孟子が言った。「財を十分に備えた者は凶年も殺すことができず、徳を十分に備えた者は邪な世も乱すことができない。」

11名を好む人

孟子曰:「好名之人能讓千乘之國。茍非其人,簞食、豆羹見於色。」

孟子が言った。「名を好む人は千乗の国さえ譲ることができる。しかし本当にそういう人でなければ、竹器一杯の飯、椀一つの汁にも顔色に出る。」

12仁ある賢者を信じなければ国は空になる

孟子曰:「不信仁賢,則國空虛;無禮義,則上下亂;無政事,則財用不足。」

孟子が言った。「仁ある賢者を信じなければ国は空っぽになり、礼儀がなければ上下が乱れ、政事がなければ財用が足りなくなる。」

13仁でなくて天下を得た者はいない

孟子曰:「不仁而得國者,有之矣;不仁而得天下者,未之有也。」

孟子が言った。「仁でなくて国を得た者はいるが、仁でなくて天下を得た者はまだいない。」

14民が貴く君は軽い

孟子曰:「民為貴,社稷次之,君為輕。是故得乎丘民而為天子;得乎天子為諸侯;得乎諸侯為大夫。諸侯危社稷,則變置;犧牲既成,粢盛既潔,祭祀以時,然而旱乾水溢,則變置社稷。」

孟子が言った。「民が貴く、社稷がその次であり、君は軽い。

だから丘の民の心を得れば天子となり、天子の心を得れば諸侯となり、諸侯の心を得れば大夫となる。

諸侯が社稷を危うくすれば取り替えて立てる。犠牲がすでに整い、供える穀物がすでに清らかで、祭祀を時に従って行ったのに、旱で乾き水が溢れるなら、社稷を取り替えて立てる。」

15聖人は百世の師である

孟子曰:「聖人,百世之師也,伯夷、柳下惠是也。故聞伯夷之風者,頑夫廉,懦夫有立志。聞柳下惠之風者,薄夫敦,鄙夫寬。奮乎百世之上,百世之下聞者莫不興起也。非聖人而能若是乎?而況於親炙之者乎?」

孟子が言った。「聖人は百世の師である。伯夷と柳下恵がそれだ。

だから伯夷の風を聞いた者は、頑な男が清廉になり、弱い男が志を立てる。柳下恵の風を聞いた者は、薄情な男が篤くなり、狭い男が寛やかになる。

百世の上で奮い立ち、百世の下で聞く者は興り立たない者がない。聖人でなければこうであり得ようか。まして身近に親しく学んだ者ならなおさらだ。」

16仁とは人である

孟子曰:「仁也者,人也;合而言之,道也。」

孟子が言った。「仁とは人である。合わせて言えば道である。」

17父母の国を去るときの道

孟子曰:「孔子之去魯,曰:『遲遲吾行也』,去父母國之道也。去齊,接淅而行,去他國之道也。」

孟子が言った。「孔子が魯を去られるとき『遅いな、私の歩みは』と言われたのは、父母の国を去るときの道である。斉を去られるときは研いでいた米を掬い上げて出られたが、これは他国を去るときの道である。」

18陳と蔡の間での苦しみ

孟子曰:「君子之戹於陳、蔡之間,無上下之交也。」

孟子が言った。「君子が陳と蔡の間で苦しまれたのは、上にも下にも交わりがなかったからである。」

19多くの口を憂えようか

貉稽曰:「稽大不理於口。」 孟子曰:「無傷也。士憎茲多口。《詩》云:『憂心悄悄,慍于群小』,孔子也。『肆不殄厥慍,亦不隕厥問』,文王也。」

貉稽が言った。「この稽は人の口にひどく苦しめられています。」

孟子が言った。「気にすることはない。士であればこそ、こうした口が多くなるものだ。『詩』に『憂う心は痛み、多くの小人に憎まれる』とあるのは孔子である。『ついにその憤りを絶つことはできなかったが、その名声を落とすこともなかった』とあるのは文王である。」

夾注 1

底本は「士憎茲多口」の憎(にくむ)だが、古くから增(ます)と見て「士であればこそ、こうした口が多くなる」と読んできた。後に孔子と文王も憎まれたという例が続くので、その読みに従った。 ― 訳者

20自分の明るさで人を明るくする

孟子曰:「賢者以其昭昭,使人昭昭;今以其昏昏,使人昭昭。」

孟子が言った。「賢い者は自分の明るさで人を明るくするが、今は自分の暗さで人を明るくしようとしている。」

21山道も通わなければ茅が塞ぐ

孟子謂高子曰:「山徑之蹊間,介然用之而成路;為間不用,則茅塞之矣。今茅塞子之心矣。」

孟子が高子に言った。「山道の細い隙間も、絶えず通えば道になり、しばらく通わなければ茅が塞いでしまう。今、茅が君の心を塞いでいる。」

22城門の車の轍

高子曰:「禹之聲,尚文王之聲。」 孟子曰:「何以言之?」 曰:「以追蠡。」 曰:「是奚足哉?城門之軌,兩馬之力與?」

高子が言った。「禹の音楽は文王の音楽よりすぐれています。」

孟子が言った。「何をもってそう言うのか。」

「鐘を吊る紐が擦り切れているからです。」

「それで足りようか。城門の轍は、二頭の馬の力でできたものだろうか。」

23馮婦になること

齊饑。陳臻曰:「國人皆以夫子將復為發棠,殆不可復。」 孟子曰:「是為馮婦也。晉人有馮婦者,善搏虎,卒為善士;則之野,有眾逐虎,虎負嵎,莫之敢攖;望見馮婦,趨而迎之;馮婦攘臂下車,眾皆悅之,其為士者笑之。」

斉に飢饉があった。陳臻が言った。「国の人は皆、先生がまた棠の穀物を出させてくださると思っていますが、おそらくもう一度はできないでしょう。」

孟子が言った。「それは馮婦になることだ。

晋の人に馮婦という者がいて、虎を捕るのが上手だったが、ついに善い士となった。野に出たところ、多くの者が虎を追っていたが、虎が山の隅を背にしていて誰も敢えて手を出せなかった。遠くに馮婦を見て走って迎えると、馮婦は腕まくりをして車から降りた。人々は皆喜んだが、士となった者たちは彼を笑った。」

24性とは言わず命とは言わない

孟子曰:「口之於味也,目之於色也,耳之於聲也,鼻之於臭也,四肢之於安佚也;性也,有命焉,君子不謂性也。仁之於父子也,義之於君臣也,禮之於賓主也,知之於賢者也,聖人之於天道也;命也,有性焉,君子不謂命也。」

孟子が言った。「口が味に対し、目が色に対し、耳が声に対し、鼻が匂いに対し、四肢が安らかさに対してそうであるのは性であるが、そこに命があるので、君子はそれを性とは言わない。

仁が父と子に対し、義が君と臣に対し、礼が客と主に対し、知が賢者に対し、聖人が天の道に対してそうであるのは命であるが、そこに性があるので、君子はそれを命とは言わない。」

25善・信・美・大・聖・神

浩生不害問曰:「樂正子,何人也?」 孟子曰:「善人也,信人也。」 「何謂善?何謂信?」 曰:「可欲之謂善。有諸己之謂信。充實之謂美。充實而有光輝之謂大。大而化之之謂聖。聖而不可知之之謂神。樂正子,二之中、四之下也。」

浩生不害が尋ねた。「楽正子はどのような人でしょうか。」

孟子が言った。「善い人であり、信のある人である。」

「何を善と言い、何を信と言うのでしょうか。」

「望ましいものを善と言い、自分に備わっているものを信と言い、満ち足りたものを美と言い、満ち足りて輝きのあるものを大と言い、大きくて人を化するものを聖と言い、聖であって測り知れないものを神と言う。

楽正子は前の二つのうちにあり、後の四つには及ばない。」

26逃げた豚を囲いに入れてさらに足を縛るのか

孟子曰:「逃墨必歸於楊,逃楊必歸於儒。歸,斯受之而已矣。今之與楊、墨辯者,如追放豚,既入其苙,又從而招之。」

孟子が言った。「墨家から逃げる者は必ず楊子に行き、楊子から逃げる者は必ず儒に帰る。帰ってくれば受け入れるだけである。

今、楊子や墨子と論じる者は、逃げた豚を追うようで、すでにその囲いに入れたのに、さらに追って足を縛る。」

27三つの徴収 — 一つだけ用いて二つは緩める

孟子曰:「有布縷之征,粟米之征,力役之征。君子用其一,緩其二。用其二而民有殍;用其三而父子離。」

孟子が言った。「布と糸の徴収があり、穀物の徴収があり、力役の徴収がある。君子はそのうち一つを用いて二つは緩める。二つを用いれば民に飢え死ぬ者が出て、三つを用いれば父と子が離れる。」

28諸侯の宝は三つ

孟子曰:「諸侯之寶三:土地、人民、政事。寶珠玉者,殃必及身。」

孟子が言った。「諸侯の宝は三つ、土地と人民と政事である。珠玉を宝とする者には、災いが必ず身に及ぶ。」

29盆成括が死ぬ

盆成括仕於齊。 孟子曰:「死矣盆成括!」 盆成括見殺,門人問曰:「夫子何以知其將見殺?」 曰:「其為人也,小有才,未聞君子之大道也,則足以殺其軀而已矣。」

盆成括が斉で仕えた。

孟子が言った。「死んだな、盆成括は。」

盆成括が殺されると、門人が尋ねた。「先生はどうして彼が殺されると分かったのですか。」

「その人となりは、少しは才があるが君子の大きな道を聞いていない。それでは自分の身を殺すに足るだけだ。」

30来る者を拒まない

孟子之滕,館於上宮。有業屨於牖上,館人求之弗得。 或問之曰:「若是乎從者之廋也。」 曰:「子以是為竊屨來與?」 曰:「殆非也。夫子之設科也,往者不追,來者不拒。茍以是心至,斯受之而已矣。」

孟子が滕に行き、上宮に泊まられた。窓の上に作りかけの靴があったが、宿の人が探しても見つからなかった。

ある者が尋ねた。「こんなふうだと、お供の者が隠したのでしょうね。」

「君は彼らが靴を盗みに来たと思うのか。」

「おそらく違うでしょう。先生が科目を開かれるにあたり、去る者を追わず、来る者を拒まれないのですから、本当にこの心で来るなら受け入れられるだけでしょう。」

31忍びない心を広げて仁に至る

孟子曰:「人皆有所不忍,達之於其所忍,仁也;人皆有所不為,達之於其所為,義也。人能充『無欲害人』之心,而仁不可勝用也。人能充『無穿窬』之心,而義不可勝用也。人能充無受爾汝之實,無所往而不為義也。士未可以言而言,是以言餂之也;可以言而不言,是以不言餂之也。是皆穿逾之類也。」

孟子が言った。「人には皆忍びないところがある。それを忍んで行うところにまで広げれば仁である。人には皆しないところがある。それをするところにまで広げれば義である。

人が『人を害そうとしない』心を満たすことができれば、仁は用い尽くせない。人が『垣を穿たない』心を満たすことができれば、義は用い尽くせない。人が『おい、お前』と呼ばれない実を満たすことができれば、行くところどこでも義でないことはない。

士が言ってはならないときに言うのは、言葉で釣るのである。言ってよいときに言わないのは、言わないことで釣るのである。これは皆、垣を穿つのと同じ類である。」

32言葉が近くて意味が遠いのが善い言葉

孟子曰:「言近而指遠者,善言也;守約而施博者,善道也。君子之言也,不下帶而道存焉。君子之守,修其身而天下平。人病舍其田而芸人之田,所求於人者重,而所以自任者輕。」

孟子が言った。「言葉が近くて意味が遠いのが善い言葉であり、守りが約やかで施しが広いのが善い道である。

君子の言葉は帯の下に下らずして道がそこにあり、君子の守りは自分の身を修めて天下が平らかになる。

人の病は自分の田を放っておいて人の田の草を取ることである。人に求めるものは重く、自分が引き受けるものは軽いからだ。」

33君子は法を行って命を待つだけ

孟子曰:「堯、舜,性者也;湯、武,反之也。動容周旋中禮者,盛德之至也。哭死而哀,非為生者也。經德不回,非以干祿也。言語必信,非以正行也。君子行法,以俟命而已矣。」

孟子が言った。「堯と舜は性のままの方であり、湯王と武王は立ち返られた方である。

振る舞いや立ち居が礼に合うのは、盛んな徳の極みである。死者を哭して哀しむのは生きている者のためではなく、徳を守って曲げないのは禄を求めるためではなく、言葉を必ず信あるものにするのは行いを正しく見せるためではない。

君子は法を行って命を待つだけである。」

34大人に説くときは相手を小さく見よ

孟子曰:「說大人,則藐之,勿視其巍巍然。堂高數仞,榱題數尺,我得志弗為也。食前方丈,侍妾數百人,我得志弗為也。般樂飲酒,驅騁田獵,後車千乘,我得志弗為也。在彼者,皆我所不為也;在我者,皆古之制也,吾何畏彼哉?」

孟子が言った。「大人に説くときは相手を小さく見て、その堂々たる様を見るな。

家の高さが数仞、垂木の端が数尺あること、私は志を得てもしない。食膳の前が一丈、仕える妾が数百人いること、私は志を得てもしない。楽しく遊んで酒を飲み、馬を駆って狩りをし、後に従う車が千台あること、私は志を得てもしない。

あちらにあるものは皆私がしないことであり、こちらにあるものは皆古の制である。私がどうしてあちらを恐れようか。」

35心を養うのに欲を少なくするよりよいものはない

孟子曰:「養心莫善於寡欲。其為人也寡欲,雖有不存焉者,寡矣。其為人也多欲,雖有存焉者,寡矣。」

孟子が言った。「心を養うのに、欲を少なくすることよりよいものはない。

その人となりが欲が少なければ、保てないものがあっても少なく、その人となりが欲が多ければ、保つものがあっても少ない。」

36曾子が羊棗を食べられなかった理由

曾晳嗜羊棗,而曾子不忍食羊棗。公孫丑問曰:「膾炙與羊棗孰美?」 孟子曰:「膾炙哉!」 公孫丑曰:「然則曾子何為食膾炙而不食羊棗?」 曰:「膾炙所同也,羊棗所獨也。諱名不諱姓,姓所同也,名所獨也。」

曾晳が羊棗を好んだので、曾子は羊棗を食べるに忍びなかった。

公孫丑が尋ねた。「膾と炙り肉と羊棗では、どちらがうまいのですか。」

孟子が言った。「膾と炙り肉だ。」

公孫丑が言った。「ではなぜ曾子は膾と炙り肉を食べて羊棗を食べられなかったのですか。」

「膾と炙り肉は皆が同じく好むものであり、羊棗は一人で好まれたものだからだ。名は避けても姓は避けない。姓は皆が同じく用いるものであり、名は一人で用いるものだからだ。」

37狂者と狷者、そして郷原 — 徳の賊

萬章問曰:「孔子在陳,曰:『盍歸乎來!吾黨之士狂簡,進取不忘其初。』孔子在陳,何思魯之狂士?」 孟子曰:「孔子『不得中道而與之,必也狂狷乎!狂者進取;狷者有所不為也。』孔子豈不欲中道哉?不可必得,故思其次也。」 「敢問何如斯可謂狂矣?」 曰:「如琴張、曾晳、牧皮者,孔子之所謂狂矣。」 「何以謂之狂也?」 曰:「其志嘐嘐然,曰:『古之人,古之人』,夷考其行而不掩焉者也。狂者又不可得;欲得不屑不潔之士而與之,是獧也。是又其次也。孔子曰:『過我門而不入我室,我不憾焉者,其惟鄉原乎!鄉原,德之賊也。』」 曰:何如斯可謂之鄉原矣?」 「曰:『何以是嘐嘐也?言不顧行,行不顧言,則曰:古之人古之人。行何為踽踽涼涼?生斯世也,為斯世也,善斯可矣。』閹然媚於世也者,是鄉原也。」 萬章曰:「一鄉皆稱原人焉,無所往而不為原人;孔子以為德之賊,何哉?」 曰:「非之無舉也,剌之無剌也;同乎流俗,合乎污世;居之似忠信,行之似廉潔;眾皆悅之;自以為是,而不可與入堯舜之道,故曰『德之賊也』。孔子曰:『惡似而非者:惡莠,恐其亂苗也;惡佞,恐其亂義也;惡利口,恐其亂信也;惡鄭聲,恐其亂樂也;惡紫,恐其亂朱也;惡鄉原,恐其亂德也。』君子反經而已矣。經正,則庶民興;庶民興,斯無邪慝矣。」

万章が尋ねた。「孔子が陳におられたとき『どうして帰らないのか。我が郷の士は志が大きいが粗く、進んで取るが初めを忘れない』と言われました。孔子は陳におられて、なぜ魯の志大きな士を思われたのでしょうか。」

孟子が言った。「孔子は『中道を得て共にできないなら、必ず狂者か狷者と共にするだろう。狂者は進んで取り、狷者はしないところがある』と言われた。孔子がどうして中道を望まれなかったことがあろうか。必ず得られるとは限らないので、その次を思われたのだ。」

「あえてお尋ねしますが、どのようであれば狂と言えるのでしょうか。」

「琴張・曾晳・牧皮のような者が、孔子の言われた狂である。」

「どうして彼らを狂と言うのですか。」

「その志が大きく『古の人よ、古の人よ』と言うが、その行いを調べてみれば覆い切れない者たちだ。

狂者もまた得られなければ、潔くないものを快しとしない士を得て共にしようとする。これが獧である。これがまたその次だ。

孔子は『私の門の前を通って私の家に入らなくても、私が心残りに思わない者は、ただ郷原だけだろう。郷原は徳の賊である』と言われた。」

「どのようであれば郷原と言えるのでしょうか。」

「『どうしてそんなに大言するのか。言葉は行いを顧みず、行いは言葉を顧みないのに「古の人よ、古の人よ」と言う。行いはどうしてそんなに孤独で寒々しいのか。この世に生まれたのだから、この世のために生きて善ければそれでよい』と言い、こそこそと世に媚びる者が郷原である。」

万章が言った。「一郷の者が皆彼を誠実な人と称え、行くところどこでも誠実な人とならないことがないのに、孔子が徳の賊とされたのはどういうことですか。」

「非難しようにも挙げるものがなく、責めようにも責めるものがない。流れる俗と同じくし、汚れた世に合わせ、居ることは忠信のようで、行うことは廉潔のようであり、人々は皆喜ぶ。自分では正しいと思っているが、彼と共に堯舜の道に入ることはできない。だから『徳の賊である』と言われたのだ。

孔子は『似ていて違うものを憎む。莠を憎むのは苗を乱すことを恐れるからであり、佞を憎むのは義を乱すことを恐れるからであり、口達者を憎むのは信を乱すことを恐れるからであり、鄭の音を憎むのは楽を乱すことを恐れるからであり、紫を憎むのは朱を乱すことを恐れるからであり、郷原を憎むのは徳を乱すことを恐れるからである』と言われた。

君子は経に返るだけである。経が正しければ庶民が興り、庶民が興れば邪なものや邪悪なものはなくなる。」

38見て知った者と聞いて知った者 — 今はそういう者がいない

孟子曰:「由堯、舜至於湯,五百有餘歲,若禹、皋陶,則見而知之;若湯,則聞而知之。由湯至於文王,五百有餘歲,若伊尹、萊朱則見而知之;若文王,則聞而知之。由文王至於孔子,五百有餘歲,若大公望、散宜生,則見而知之;若孔子,則聞而知之。由孔子而來至於今,百有餘歲,去聖人之世,若此其未遠也;近聖人之居,若此其甚也,然而無有乎爾,則亦無有乎爾!」

孟子が言った。「堯と舜から湯王まで五百年余りで、禹や皋陶のような者は見て知り、湯王のような者は聞いて知った。

湯王から文王まで五百年余りで、伊尹や萊朱のような者は見て知り、文王のような者は聞いて知った。

文王から孔子まで五百年余りで、太公望や散宜生のような者は見て知り、孔子のような者は聞いて知った。

孔子から今まで百年余りである。聖人の世から離れたのがこのように遠くなく、聖人の住まわれた所に近いのがこのように近いのに、それでもそういう者がいない。ならばまた、そういう者もいないのだ。」