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持統天皇

日本書紀(日本の編年史) 日本書紀 · 舎人親王ほか · 720年(養老4年) · 段落 135 · 漢字 9,423字 · 朗読 37.7分

日本書紀(日本の編年史) 人代 日本で最も古い正史。神々の時代から持統天皇までの三十巻。神代上・下は同じ神話の異なる伝えを「一書に曰く」として並べて載せ、食い違う話を隠していない。百済・新羅・高句麗・任那の記事が1,379箇所に現れ、韓国の史書と突き合わせる箇所が最も多い書でもある。

1持統天皇

高天原廣野姬天皇,少名鸕野讚良皇女,天命開別天皇第二女也。母曰遠智娘。天皇深沉有大度。

高天原廣野姬天皇(たかまのはらひろのひめのてんのう)は、幼い頃の名を鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)といい、天命開別天皇(あめみことひらかすわけのてんのう)の第二の娘です。母は遠智娘(おちのいらつめ)といいます。天皇は深く落ち着いていて、大きな度量がありました。

夾注 1

更名,美濃津子娘。

別の名は美濃津子娘(みのつこのいらつめ)です。

2妃となる

天豐財重日足姬天皇三年,適天渟中原瀛真人天皇為妃。雖帝王女,而好禮節儉,有母儀德。

天豐財重日足姬天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのてんのう)の三年、天渟中原瀛真人天皇(あめのぬなはらおきのまひとのてんのう)に嫁いで妃となりました。帝王の娘でありながら、礼を好み質素で、母としての徳がありました。

3草壁皇子を生む

天命開別天皇元年,生草壁皇子尊於大津宮。

天命開別天皇の元年、草壁皇子尊(くさかべのみこのみこと)を大津宮でお生みになりました。

4吉野と東国

十年,十月,從沙門天渟中原瀛真人天皇,入於吉野,避朝猜忌。語在天命開別天皇紀。天渟中原瀛真人天皇元年,夏六月,從天渟中原瀛真人天皇,避難東國,鞠旅會眾,遂與定謀。迺分命敢死者數萬,置諸要害之地。

十年十月、沙門となった天渟中原瀛真人天皇に従って吉野に入り、朝廷の猜忌を避けました。この話は天命開別天皇の紀にあります。

天渟中原瀛真人天皇の元年の夏六月、天渟中原瀛真人天皇に従って東国に難を避け、軍旅を整え衆を会して、ついにともに謀を定めました。そこで死を覚悟した者数万を分けて命じ、要害の地々に置きました。

5大友皇子を誅する

秋七月,美濃軍將等與大倭桀豪,共誅大友皇子,傳首詣不破宮。

秋七月、美濃の軍の将たちと大倭の豪傑とがともに大友皇子を誅し、その首を伝えて不破宮に参りました。

6皇后となる

二年,立為皇后。皇后從始迄今,佐天皇定天下。每於侍執之際,輙言及政事,多所毘補。

二年、立てられて皇后となりました。皇后は初めから今に至るまで、天皇を助けて天下を定めました。お側に仕える折ごとに、話は政事に及び、助け補うところが多くありました。

7朝廷に臨む

九月戊戌朔丙午,天渟中原瀛真人天皇崩。皇后臨朝稱制。

九月戊戌の朔の丙午の日、天渟中原瀛真人天皇が崩れました。皇后は朝廷に臨んで政を執られました。

8大津皇子の謀反

冬十月戊辰朔己巳,皇子大津謀反發覺。逮捕皇子大津,并捕為皇子大津所詿誤直廣肆八口朝臣音橿、小山下壹伎連博德,與大舍人中臣朝臣臣麻呂、巨勢朝臣多益須、新羅沙門行心及帳內礪杵道作等,三十餘人。庚午,賜死皇子大津於譯語田舍。時年二十四。妃皇女山邊被髮徒跣,奔赴殉焉。見者皆歔欷。皇子大津,天渟中原瀛真人天皇第三子也。容止墻岸,音辭俊朗,為天命開別天皇所愛。及長,辨有才學,尤愛文筆。詩賦之興,自大津始也。丙申,詔曰:「皇子大津謀反。詿誤吏民、帳內不得已。今皇子大津已滅,從者當坐皇子大津者,皆赦之。但礪杵道作流伊豆。」又詔曰:「新羅沙門行心與皇子大津謀反,朕不忍加法。徙飛驒國伽藍。」

冬十月戊辰の朔の己巳の日、皇子大津の謀反が発覚しました。皇子大津を逮捕し、あわせて皇子大津に誤り導かれた直広肆の八口朝臣音橿(やくちのあそみおとかし)と、小山下の壹伎連博德(いきのむらじはかとこ)、大舍人の中臣朝臣臣麻呂(なかとみのあそみおみまろ)、巨勢朝臣多益須(こせのあそみおやす)、新羅の沙門行心、帳内の礪杵道作(ときのみちつくり)たち三十余人を捕らえました。

庚午の日、皇子大津に譯語田(おさだ)の家で死を賜わりました。その時の年は二十四でした。妃の山邊皇女(やまのべのひめみこ)は髪を解き裸足で駆けつけ、殉じました。見る者は皆むせび泣きました。

皇子大津は天渟中原瀛真人天皇の第三の子です。身のこなしは垣のように際立ち、言葉の響きは秀でて明るく、天命開別天皇に愛されました。成長すると弁が立ち、才と学があって、ことに文筆を愛しました。詩や賦の興りは大津から始まりました。

丙申の日、詔してこう言われました。「皇子大津が謀反しました。吏民や帳内を誤り導いたのですから、やむを得なかったのです。いま皇子大津はすでに滅びましたから、従った者で皇子大津に連座すべき者は、皆これを赦します。ただし礪杵道作は伊豆に流します。」

また詔してこう言われました。「新羅の沙門行心は皇子大津とともに謀反しましたが、朕は忍びないので法を加えません。飛驒国の伽藍に移します。」

9大來皇女が帰る

十一月丁酉朔壬子,奉伊勢神祠皇女大來,還至京師。癸丑,地震。

十一月丁酉の朔の壬子の日、伊勢の神祠に仕えていた皇女大來(おおくのひめみこ)が京に帰り着きました。癸丑の日、地震がありました。

10五つの寺の大法会

十二月丁卯朔乙酉,奉為天渟中原瀛真人天皇,設無遮大會於五寺─大官、飛鳥、川原、小墾田豐浦、坂田。壬辰,賜京師孤獨、高年,布、帛各有差。

十二月丁卯の朔の乙酉の日、天渟中原瀛真人天皇のために、無遮大会(むしゃだいえ)を五つの寺、すなわち大官・飛鳥・川原・小墾田豐浦・坂田に設けました。

壬辰の日、京の孤独な者と年高い者に布と帛を賜わり、それぞれに差がありました。

11三つの国の百姓を献じる

閏十二月,筑紫大宰獻三國─高麗、百濟、新羅百姓男女并僧尼六十二人。是歲,蛇犬相交,俄而俱死。

閏十二月、筑紫の大宰が三つの国、すなわち高麗・百済・新羅の百姓の男女と僧尼あわせて六十二人を献じました。

この年、蛇と犬が交わり、しばらくしてともに死にました。

12殯宮の哭

春正月丙寅朔,皇太子率公卿、百寮人等,適殯宮而慟哭焉。納言布勢朝臣御主人誄之。禮也。誄畢,眾庶發哀。次,梵眾發哀。於是,奉膳紀朝臣真人等奉奠。奠畢,膳部、采女等發哀。樂官奏樂。庚午,皇太子率公卿、百寮人等,適殯宮而慟哭焉。梵眾隨而發哀。庚辰,賜京師年自八十以上及篤癃,貧不能自存者,絁、綿各有差。甲申,使直廣肆田中朝臣法麻呂與追大貳守君苅田等,使於新羅,赴天皇喪。

春正月丙寅の朔、皇太子が公卿や百寮の人たちを率いて殯宮に行き、声をあげて哭きました。納言の布勢朝臣御主人(ふせのあそみみぬし)が誄(しのびごと)を奏しました。礼です。誄が終わると、衆庶が哀を発しました。次に梵衆が哀を発しました。そこで奉膳の紀朝臣真人(きのあそみまひと)たちが奠を奉りました。奠が終わると、膳部や采女たちが哀を発しました。楽官が楽を奏しました。

庚午の日、皇太子が公卿や百寮の人たちを率いて殯宮に行き、声をあげて哭きました。梵衆が従って哀を発しました。

庚辰の日、京で年が八十以上の者と、篤い病の者、貧しくて自ら生きられない者に、絁(ふとぎぬ)と綿を賜わり、それぞれに差がありました。

甲申の日、直広肆の田中朝臣法麻呂(たなかのあそみほうまろ)と追大貳の守君苅田(もりのきみかりた)たちを新羅に使わし、天皇の喪を告げました。

13高麗の人を常陸に置く

三月乙丑朔己卯,以投化高麗五十六人,居于常陸國,賦田受稟,使安生業。甲申,以華縵,進于殯宮。此曰御蔭。是日,丹比真人麻呂誄之。禮也。丙戌,以投化新羅十四人,居于下毛野國。賦田受稟,使安生業。

三月乙丑の朔の己卯の日、帰化した高麗の人五十六人を常陸国に住まわせ、田を分け与え稟(くらもの)を給して、生業を安らかにさせました。

甲申の日、華縵(はなかずら)を殯宮に進めました。これを御蔭(みかげ)といいます。この日、丹比真人麻呂(たじひのまひとまろ)が誄を奏しました。礼です。

丙戌の日、帰化した新羅の人十四人を下毛野国に住まわせ、田を分け与え稟を給して、生業を安らかにさせました。

14新羅の人を武蔵に置く

夏四月甲午朔癸卯,筑紫大宰獻投化新羅僧尼及百姓男女二十二人。居于武藏國,賦田受稟,使安生業。

夏四月甲午の朔の癸卯の日、筑紫の大宰が帰化した新羅の僧尼と百姓の男女二十二人を献じました。武蔵国に住まわせ、田を分け与え稟を給して、生業を安らかにさせました。

15隼人が誄を奏する

五月甲子朔乙酉,皇太子率公卿、百寮人等,適殯宮而慟哭焉。於是隼人大隅、阿多魁帥,各領己眾,互進誄焉。

五月甲子の朔の乙酉の日、皇太子が公卿や百寮の人たちを率いて殯宮に行き、声をあげて哭きました。そこで隼人の大隅と阿多の魁帥(ひとごのかみ)が、それぞれ自分の衆を率いて、互いに進んで誄を奏しました。

16罪人を赦す

六月癸巳朔庚申,赦罪人。

六月癸巳の朔の庚申の日、罪人を赦しました。

17負債の利

秋七月癸亥朔甲子,詔曰:「凡負債者,自乙酉年以前物,莫收利也。若既役身者,不得役利。」辛未,賞賜隼人大隅、阿多魁帥等三百三十七人。各有差。

秋七月癸亥の朔の甲子の日、詔してこう言われました。「およそ負債のある者は、乙酉の年より前の物については利を取ってはなりません。もしすでに身をもって役に就いている者は、利として役に就かせてはなりません。」

辛未の日、隼人の大隅と阿多の魁帥たち三百三十七人に賞を賜わり、それぞれに差がありました。

18袈裟を施す

八月壬辰朔丙申,嘗于殯宮。此曰御青飯也。丁酉,京城耆老、男女,皆臨慟哭於橋西。己未,天皇使直大肆藤原朝臣大嶋、直大肆黃書連大伴,請集三百龍象大德等於飛鳥寺,奉施袈裟。人別一領。曰:「此以天渟中原瀛真人天皇御服所縫作也。」詔詞酸割,不可具陳。

八月壬辰の朔の丙申の日、殯宮で嘗(にえ)の祭りをしました。これを御青飯(みあおいい)といいます。

丁酉の日、京城の老人や男女が皆、橋の西に臨んで声をあげて哭きました。

己未の日、天皇は直大肆の藤原朝臣大嶋(ふじわらのあそみおおしま)と直大肆の黃書連大伴(きぶみのむらじおおとも)を遣わして、三百人の龍象の大德たちを飛鳥寺に請じ集め、袈裟を施されました。一人ごとに一領です。そして言われました。「これは天渟中原瀛真人天皇の御服で縫い作ったものです。」詔の言葉は哀しく胸を割くようで、ことごとくは述べられません。

19新羅の王子金霜林

九月壬戌朔庚午,設國忌齋於京師諸寺。辛未,設齋於殯宮。甲申,新羅遣王子金霜林、級飡金薩慕及級飡金仁述、大舍蘇陽信等,奏請國政,且獻調賦。學問僧智隆附而至焉。筑紫大宰便告天皇崩於霜林等。即日,霜林等皆著喪服,東向三拜三發哭焉。

九月壬戌の朔の庚午の日、国忌の斎を京の諸寺に設けました。辛未の日、斎を殯宮に設けました。

甲申の日、新羅が王子の金霜林、級飡の金薩慕、級飡の金仁述、大舍の蘇陽信たちを遣わして、国の政を奏して請い、また調賦を献じました。学問僧の智隆が付き従って参りました。

筑紫の大宰はすぐに天皇が崩れたことを霜林たちに告げました。その日のうちに、霜林たちは皆喪服を着て、東に向かって三度拝し、三度哭を発しました。

20大內陵を築きはじめる

冬十月辛卯朔壬子,皇太子率公卿、百寮人等并諸國司、國造及百姓男女,始築大內陵。

冬十月辛卯の朔の壬子の日、皇太子が公卿や百寮の人たち、あわせて諸国の司や国造、百姓の男女を率いて、初めて大內陵を築きました。

21新羅の客を饗す

十二月辛卯朔庚子,以直廣參路真人迹見,為饗新羅敕使。是年也,太歲丁亥。

十二月辛卯の朔の庚子の日、直広参の路真人迹見(みちのまひととみ)を、新羅の敕使を饗す役としました。この年は太歳丁亥です。

22霜林に喪を告げる

春正月庚申朔,皇太子率公卿、百寮人等,適殯宮而慟哭焉。辛酉,梵眾發哀於殯宮。丁卯,設無遮大會於藥師寺。壬午,以天皇崩,奉宣新羅金霜林等。金霜林等乃三發哭。

春正月庚申の朔、皇太子が公卿や百寮の人たちを率いて殯宮に行き、声をあげて哭きました。

辛酉の日、梵衆が殯宮で哀を発しました。

丁卯の日、無遮大会を藥師寺に設けました。

壬午の日、天皇が崩れたことを新羅の金霜林たちに奉って告げました。金霜林たちはそこで三度哭を発しました。

23新羅の調賦

二月庚寅朔辛卯,大宰獻新羅調賦,金、銀、絹、布、皮、銅、鐵之類十餘物,并別所獻佛像,種種彩絹,鳥、馬之類十餘種,及霜林所獻金、銀、彩色,種種珍異之物,并八十餘物。己亥,饗霜林等於筑紫館。賜物各有差。乙巳,詔曰:「自今以後,每取國忌日,要須齋也。」戊午,霜林等罷歸。

二月庚寅の朔の辛卯の日、大宰が新羅の調賦を献じました。金・銀・絹・布・皮・銅・鉄の類が十余品、あわせて別に献じたものは仏像やさまざまな彩絹、鳥や馬の類が十余種、また霜林が献じた金・銀・彩色やさまざまな珍しい物が、あわせて八十余品でした。

己亥の日、霜林たちを筑紫館で饗し、物を賜わってそれぞれに差がありました。

乙巳の日、詔してこう言われました。「今より後は、国忌の日を迎えるたびに、必ず斎を行いなさい。」

戊午の日、霜林たちは終えて帰りました。

24華縵を進める

三月己未朔己卯,以華縵進于殯宮。藤原朝臣大嶋誄焉。

三月己未の朔の己卯の日、華縵を殯宮に進めました。藤原朝臣大嶋が誄を奏しました。

25百済の人を甲斐に移す

五月戊午朔乙丑,以百濟敬須德那利,移甲斐國。

五月戊午の朔の乙丑の日、百済の敬須德那利を甲斐国に移しました。

26罪を減らす

六月戊子朔戊戌,詔:「令天下,繫囚極刑減本罪一等。輕繫皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」

六月戊子の朔の戊戌の日、詔してこう言われました。「天下に命じて、繋がれた囚人で極刑の者は本の罪を一等減じ、軽く繋がれた者は皆赦して除きなさい。また天下に、今年の調賦は皆半分だけ納めさせなさい。」

27道藏が雨を請う

秋七月丁巳朔丁卯,大雩。旱也。丙子,命百濟沙門道藏請雨。不崇朝,遍雨天下。

秋七月丁巳の朔の丁卯の日、大いに雩(うまつり)を行いました。旱だったからです。

丙子の日、百済の沙門道藏に命じて雨を請わせました。朝が終わらないうちに、天下にあまねく雨が降りました。

28耽羅の佐平

八月丁亥朔丙申,嘗于殯宮而慟哭焉。於是大伴宿禰安麻呂誄焉。丁酉,命淨大肆伊勢王,奉宣葬儀。辛亥,耽羅王遣佐平加羅,來獻方物。

八月丁亥の朔の丙申の日、殯宮で嘗の祭りをして、声をあげて哭きました。そこで大伴宿禰安麻呂(おおとものすくねやすまろ)が誄を奏しました。

丁酉の日、浄大肆の伊勢王に命じて、葬儀を奉り宣べさせました。

辛亥の日、耽羅の王が佐平の加羅を遣わし、来て方物を献じました。

29耽羅の佐平を饗す

九月丙辰朔戊寅,饗耽羅佐平加羅等於筑紫館。賜物各有差。

九月丙辰の朔の戊寅の日、耽羅の佐平加羅たちを筑紫館で饗し、物を賜わってそれぞれに差がありました。

30大內陵に葬る

冬十一月乙卯朔戊午,皇太子率公卿、百寮人等與諸蕃賓客,適殯宮而慟哭焉。於是奉奠,奏楯節儛。諸臣各舉己先祖等所仕狀,遞進誄焉。己未,蝦夷百九十餘人,負荷調賦而誄焉。乙丑,布勢朝臣御主人、大伴宿禰御行,遞進而誄。直廣肆當麻真人智德,奉誄皇祖等之騰極次第。禮也。古云日嗣也。畢葬于大內陵。

冬十一月乙卯の朔の戊午の日、皇太子が公卿や百寮の人たち、諸蕃の賓客とともに殯宮に行き、声をあげて哭きました。そこで奠を奉り、楯節儛(たてふしまい)を奏しました。諸臣はそれぞれ自分の先祖たちが仕えた有様を挙げて、代わる代わる進んで誄を奏しました。

己未の日、蝦夷百九十余人が調賦を負い担って誄を奏しました。

乙丑の日、布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行(おおとものすくねみゆき)が代わる代わる進んで誄を奏しました。直広肆の當麻真人智德(たぎまのまひとちとこ)が、皇祖たちが位に登った次第を奉って誄しました。礼です。古い言葉で日嗣(ひつぎ)といいます。

終えて大內陵に葬りました。

31蝦夷を饗す

十二月乙酉朔丙申,饗蝦夷男女二百一十三人於飛鳥寺西槻下。仍授冠位,賜物各有差。

十二月乙酉の朔の丙申の日、蝦夷の男女二百十三人を飛鳥寺の西の槻の下で饗しました。そして冠位を授け、物を賜わってそれぞれに差がありました。

32年の初めのさまざま

春正月甲寅朔,天皇朝萬國于前殿。乙卯,大學寮獻杖八十枚。丙辰,務大肆陸奧國優嗜曇郡城養蝦夷脂利古男,麻呂與鐵折,請剔鬢髮為沙門。詔曰:「麻呂等少而閑雅寡欲。遂至於此,蔬食持戒。可隨所請出家修道。」庚申,宴公卿,賜袍袴。辛酉,新羅使人田中朝臣法麻呂等,還自新羅。壬戌,詔出雲國司,上送遭值風浪蕃人。是日,賜越蝦夷沙門道信,佛像一軀,灌頂幡、鍾、鉢各一口,五色綵各五尺,綿五屯,布一十端,鍬一十枚,鞍一具。筑紫大宰粟田真人朝臣等,獻隼人一百七十四人,并布五十常,牛皮六枚,鹿皮五十枚。戊辰,文武官人進薪。己巳,賜百官人等食。辛未,天皇幸吉野宮。甲戌,天皇至自吉野宮。

春正月甲寅の朔、天皇は万国の朝を前殿で受けられました。

乙卯の日、大学寮が杖八十枚を献じました。

丙辰の日、務大肆の陸奧国優嗜曇郡の城を守る蝦夷の脂利古(しりこ)の男、麻呂と鐵折(てつおり)が、鬢と髪を剃って沙門になることを請いました。詔してこう言われました。「麻呂たちは若くして閑雅で欲が少なく、ついにここに至って蔬を食べ戒を持っています。請うところに従って出家し道を修めるのを許します。」

庚申の日、公卿に宴を賜わり、袍と袴を賜わりました。

辛酉の日、新羅への使いの田中朝臣法麻呂たちが新羅から帰りました。

壬戌の日、出雲の国司に詔して、風浪に遭った蕃人を送り上げさせました。

この日、越の蝦夷の沙門道信に、仏像一軀、灌頂の幡・鍾・鉢を各一口、五色の綵を各五尺、綿五屯、布十端、鍬十枚、鞍一具を賜わりました。

筑紫の大宰粟田真人朝臣(あわたのまひとのあそみ)たちが、隼人百七十四人、あわせて布五十常、牛の皮六枚、鹿の皮五十枚を献じました。

戊辰の日、文武の官人が薪を進めました。己巳の日、百官の人たちに食を賜わりました。

辛未の日、天皇は吉野宮に行かれました。甲戌の日、天皇は吉野宮から戻られました。

33判事を置く

二月甲申朔丙申,詔:「筑紫防人,滿年限者替。」己酉,以淨廣肆竹田王、直廣肆土師宿禰根麻呂、大宅朝臣麻呂、藤原朝臣史、務大肆當麻真人櫻井、穗積朝臣山守、中臣朝臣臣麻呂、巨勢朝臣多益須、大三輪朝臣安麻呂,為判事。

二月甲申の朔の丙申の日、詔してこう言われました。「筑紫の防人は、年の限りが満ちた者は交替させなさい。」

己酉の日、浄広肆の竹田王、直広肆の土師宿禰根麻呂(はじのすくねねまろ)、大宅朝臣麻呂(おおやけのあそみまろ)、藤原朝臣史(ふじわらのあそみふひと)、務大肆の當麻真人櫻井(たぎまのまひとさくらい)、穗積朝臣山守(ほづみのあそみやまもり)、中臣朝臣臣麻呂、巨勢朝臣多益須、大三輪朝臣安麻呂(おおみわのあそみやすまろ)を判事としました。

34大いに赦す

三月癸丑朔丙子,大赦天下。唯常赦所不免,不在赦例。

三月癸丑の朔の丙子の日、天下に大赦しました。ただし常の赦で免れないものは、赦の例に入りません。

35草壁皇子が薨る

夏四月癸未朔庚寅,以投化新羅人,居于下毛野。乙未,皇太子草壁皇子尊薨。壬寅,新羅遣級飡金道那等,奉弔瀛真人天皇喪,并上送學問僧明聰、觀智等。別獻金銅阿彌陀像、金銅觀世音菩薩像、大勢至菩薩像各一軀,綵帛、錦、綾。甲辰,春日王薨。己酉,詔:「諸司仕丁,一月放假四日。」

夏四月癸未の朔の庚寅の日、帰化した新羅の人を下毛野に住まわせました。

乙未の日、皇太子草壁皇子尊が薨りました。

壬寅の日、新羅が級飡の金道那たちを遣わして瀛真人天皇の喪を弔い、あわせて学問僧の明聰や觀智たちを送り上げました。別に金銅の阿彌陀像、金銅の觀世音菩薩像、大勢至菩薩像を各一軀、綵帛・錦・綾を献じました。

甲辰の日、春日王が薨りました。

己酉の日、詔してこう言われました。「諸司の仕丁は、一月に四日の休みを与えます。」

36金道那を責める

五月癸丑朔甲戌,命土師宿禰根麻呂,詔新羅弔使級飡金道那等曰:「太政官卿等奉敕奉宣。二年,遣田中朝臣法麻呂等,相告大行天皇喪。時新羅言:『新羅奉敕人者元來用蘇判位。今將復爾。』由是法麻呂等不得奉宣赴告之詔。若言前事者,在昔難波宮治天下天皇崩時,遣巨勢稻持等,告喪之日,翳飡金春秋奉敕。而言用蘇判奉敕,即違前事也。又於近江宮治天下天皇崩時,遣一吉飡金薩儒等奉弔。而今以級飡奉弔,亦違前事。又新羅元來奏云:『我國自日本遠皇祖代,並舳不乾檝奉仕之國。』而今一艘,亦乖故典也。又奏云:『自日本遠皇祖代,以清白心仕奉。』而不惟竭忠宣揚本職。而傷清白,詐求幸媚。是故調賦與別獻,並封以還之。然自我國家遠皇祖代,廣慈汝等之德,不可絕之。故彌勤彌謹,戰戰兢兢,修其職任,奉遵法度者,天朝復廣慈耳。汝道那等奉斯所敕,奉宣汝王。」

五月癸丑の朔の甲戌の日、土師宿禰根麻呂に命じて、新羅の弔いの使い級飡金道那たちに詔を告げさせました。

「太政官の卿たちが敕を奉って宣べます。

二年に田中朝臣法麻呂たちを遣わして、大行天皇の喪を告げました。その時、新羅は『新羅で敕を奉る者は、元来蘇判の位を用いてきました。今もまたそうしようと思います』と言いました。そのため法麻呂たちは、赴いて告げる詔を奉り宣べることができませんでした。

もし前の例を言うなら、昔、難波宮で天下を治めた天皇が崩れた時、巨勢稻持(こせのいなもち)たちを遣わして喪を告げた日には、翳飡の金春秋が敕を奉りました。それなのに蘇判が敕を奉ると言うのは、前の例に違います。

また近江宮で天下を治めた天皇が崩れた時には、一吉飡の金薩儒たちを遣わして弔いました。それなのに今、級飡で弔うのも、また前の例に違います。

また新羅は元来『我が国は日本の遠い皇祖の代から、舳を乾かさず檝を置かずに仕えてきた国です』と奏しました。それなのに今は一艘だけであるのも、また古い典に背きます。

また『日本の遠い皇祖の代から、清く白い心で仕えてきました』と奏しました。それなのに忠を尽くして本の職を宣べ揚げることを思わず、清く白いものを傷つけ、偽って幸いと媚びを求めています。

それゆえ調賦と別に献じた物とを、あわせて封じて返します。しかし我が国家が遠い皇祖の代からお前たちを広く慈しんできた徳は、絶つことができません。ですからますます勤め、ますます謹み、戦戦兢兢としてその職任を修め、法度を奉り遵うなら、天朝はまた広く慈しむだけです。

お前たち道那たちは、この敕されたところを奉って、お前たちの王に宣べなさい。」

37撰善言司と令を班つ

六月壬午朔,賜衣裳筑紫大宰等。癸未,以皇子施基、直廣肆佐味朝臣宿那麻呂、羽田朝臣齊、勤廣肆伊余部連馬飼、調忌寸老人、務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等,拜撰善言司。庚子,賜大唐續守言、薩弘恪等稻。各有差。辛丑,詔筑紫大宰粟田真人朝臣等,賜學問僧明聰、觀智等,為送新羅師友綿,各一百四十斤。乙巳,於筑紫小郡設新羅弔使金道那等。賜物各有差。庚戌,班賜諸司,令一部二十二卷。

六月壬午の朔、筑紫の大宰たちに衣裳を賜わりました。

癸未の日、皇子施基(しき)、直広肆の佐味朝臣宿那麻呂(さみのあそみすくなまろ)、羽田朝臣齊(はたのあそみむごへ)、勤広肆の伊余部連馬飼(いよべのむらじうまかい)、調忌寸老人(つきのいみきおきな)、務大参の大伴宿禰手拍(おおとものすくねてうち)と巨勢朝臣多益須たちを、撰善言司に任じました。

庚子の日、大唐の續守言や薩弘恪たちに稲を賜わり、それぞれに差がありました。

辛丑の日、筑紫の大宰粟田真人朝臣たちに詔して、学問僧の明聰や觀智たちに、新羅の師や友へ送る綿を各百四十斤ずつ賜わらせました。

乙巳の日、筑紫の小郡で新羅の弔いの使い金道那たちに設け、物を賜わってそれぞれに差がありました。

庚戌の日、諸司に令一部二十二巻を班ち賜わりました。

夾注 1

齊,此云牟吾閉。

齊は、牟吾閉(むごへ)と読みます。

38金道那が帰る

秋七月壬子朔,付賜陸奧蝦夷沙門自得所請金銅藥師佛像、觀世音菩薩像各一軀,鍾、娑羅、寶帳、香爐、幡等物。是日,新羅弔使金道那等罷歸。丙寅,詔左右京職及諸國司,築習射所。辛未,流偽兵衛河內國澀川郡人柏原廣山于土佐國。以追廣參,授捉偽兵衛廣山兵衛生部連虎。甲戌,賜越蝦夷八釣魚等。各有差。

秋七月壬子の朔、陸奧の蝦夷の沙門自得(じとく)が請うた金銅の藥師佛像と觀世音菩薩像を各一軀、鍾・娑羅・寶帳・香爐・幡などの物を付けて賜わりました。

この日、新羅の弔いの使い金道那たちが終えて帰りました。

丙寅の日、左右の京職と諸国の司に詔して、射を習う所を築かせました。

辛未の日、偽の兵衛である河內国澀川郡の人、柏原廣山(かしわばらのひろやま)を土佐国に流しました。追広参を、偽の兵衛廣山を捕らえた兵衛の生部連虎(いくべのむらじとら)に授けました。

甲戌の日、越の蝦夷の八釣魚(やつりのな)たちに賜わり、それぞれに差がありました。

夾注 1

魚,此云儺。

魚は、儺(な)と読みます。

39漁と猟を禁じる

秋八月辛巳朔壬午,百官會集於神祇官,而奉宣天神地祇之事。甲申,天皇幸吉野宮。丙申,禁斷漁獵於攝津國武庫海一千步內,紀伊國阿提郡那耆野二萬頃,伊賀國伊賀郡身野二萬頃,置守護人,准河內國大鳥郡高腳海。丁酉,賞賜公卿。各有差。辛丑,詔伊豫總領田中朝臣法麻呂等曰:「讚吉國御城郡所獲白鷰,宜放養焉。」癸卯,觀射。

秋八月辛巳の朔の壬午の日、百官が神祇官に会い集まって、天神地祇の事を奉り宣べました。

甲申の日、天皇は吉野宮に行かれました。

丙申の日、攝津国の武庫の海の千歩の内、紀伊国阿提郡の那耆野二万頃、伊賀国伊賀郡の身野二万頃で漁と猟を禁じ、守護する人を置いて、河內国大鳥郡の高腳の海に準じさせました。

丁酉の日、公卿に賞を賜わり、それぞれに差がありました。

辛丑の日、伊豫の総領田中朝臣法麻呂たちに詔してこう言われました。「讚吉国御城郡で獲れた白い鷰は、放して養うのがよいでしょう。」

癸卯の日、射を観られました。

40戸籍を造らせる

閏八月辛亥朔庚申,詔諸國司曰:「今冬,戶籍可造。宜限九月,糺捉浮浪。其兵士者,每於一國四分而點其一,令習武事。」丁丑,以淨廣肆河內王,為筑紫大宰帥。授兵杖及賜物。以直廣壹,授直廣貳丹比真人嶋。增封一百戶通前。

閏八月辛亥の朔の庚申の日、諸国の司に詔してこう言われました。「今年の冬、戸籍を造るのがよいでしょう。九月を限りとして、浮浪の者を糺し捕らえなさい。兵士は、一国ごとに四つに分けてその一つを点じ、武の事を習わせなさい。」

丁丑の日、浄広肆の河內王を筑紫の大宰帥としました。兵杖を授け、物を賜わりました。直広壹を、直広貳の丹比真人嶋(たじひのまひとしま)に授けました。封戸百戸を増して前の分と通算しました。

41筑紫に使いを遣わす

九月庚辰朔己丑,遣直廣參石上朝臣麻呂、直廣肆石川朝臣虫名等於筑紫,給送位記。且監新城。

九月庚辰の朔の己丑の日、直広参の石上朝臣麻呂(いそのかみのあそみまろ)、直広肆の石川朝臣虫名(いしかわのあそみむしな)たちを筑紫に遣わして、位記を送り給し、また新しい城を監させました。

42奴婢を免す

冬十月庚戌朔庚申,天皇幸高安城。辛未,直廣肆下毛野朝臣子麻呂,奏欲免奴婢陸佰口。奏可。

冬十月庚戌の朔の庚申の日、天皇は高安城に行かれました。

辛未の日、直広肆の下毛野朝臣子麻呂(しもつけののあそみこまろ)が、奴婢六百口を免したいと奏しました。奏したとおりに許されました。

43三つの兵の術

十一月己卯朔丙戌,於中市,褒美追廣貳高田首石成之閑於三兵,賜物。

十一月己卯の朔の丙戌の日、中市で、追広貳の高田首石成(たかたのおびといわなり)が三つの兵の術に習熟していることを褒め、物を賜わりました。

44雙六を禁じる

十二月己酉朔丙辰,禁斷雙六。五、持統帝即位與新政

十二月己酉の朔の丙辰の日、雙六を禁じました。

45天皇の位に即く

春正月戊寅朔,物部麻呂朝臣,樹大盾。神祇伯中臣大嶋朝臣,讀天神壽詞。畢,忌部宿禰色夫知,奉上神璽劍、鏡於皇后。皇后即天皇位。公卿、百寮羅列匝拜而拍手焉。己卯,公卿、百寮拜朝,如元會儀。丹比嶋真人與布勢御主人朝臣,奉賀騰極。庚辰,宴公卿於內裏。仍賜衣裳。壬辰,百寮進薪。甲午,大赦天下。唯常赦所不免,不在赦例。賜有位人爵一級。鰥寡、孤獨、篤癃,貧不能自存者,賜稻,蠲服調役。丁酉,以解部一百人,拜刑部省。庚子,班幣於畿內天神地祇,及增神戶、田地。

春正月戊寅の朔、物部麻呂朝臣(もののべのまろのあそみ)が大きな盾を樹てました。神祇伯の中臣大嶋朝臣が天神の壽詞(よごと)を読みました。終わると、忌部宿禰色夫知(いむべのすくねしこぶち)が神璽の剣と鏡を皇后に奉り上げました。皇后は天皇の位に即かれました。公卿や百寮は羅列してあまねく拝し、手を拍ちました。

己卯の日、公卿や百寮が朝を拝すること、元会の儀のとおりでした。丹比嶋真人と布勢御主人朝臣が、位に登られたことを賀し奉りました。

庚辰の日、公卿に内裏で宴を賜わりました。そして衣裳を賜わりました。

壬辰の日、百寮が薪を進めました。

甲午の日、天下に大赦しました。ただし常の赦で免れないものは、赦の例に入りません。位ある人に爵一級を賜わりました。鰥や寡、孤独な者、篤い病の者、貧しくて自ら生きられない者に稲を賜わり、服や調役を免じました。

丁酉の日、解部(ときべ)百人を刑部省に任じました。

庚子の日、畿内の天神地祇に幣を班ち、また神戸と田地を増しました。

46新羅の沙門五十人が帰化する

二月戊申朔壬子,天皇幸于腋上陂,觀公卿大夫之馬。戊午,新羅沙門詮吉、級飡北助知等五十人歸化。甲子,天皇幸吉野宮。丙寅,設齋於內裏。壬申,以歸化新羅韓奈末許滿等十二人,居于武藏國。

二月戊申の朔の壬子の日、天皇は腋上の陂(わきがみのさか)に行かれ、公卿大夫の馬を観られました。

戊午の日、新羅の沙門詮吉、級飡の北助知たち五十人が帰化しました。

甲子の日、天皇は吉野宮に行かれました。丙寅の日、内裏で斎を設けました。

壬申の日、帰化した新羅の韓奈末許滿たち十二人を武蔵国に住まわせました。

47年高い者に稲を賜わる

三月丁丑朔丙申,賜京與畿內人,年八十以上者,嶋宮稻,人二十束。其有位者,加賜布二端。

三月丁丑の朔の丙申の日、京と畿内の人で年八十以上の者に、嶋宮の稲を一人二十束ずつ賜わりました。そのうち位ある者には、布二端を加えて賜わりました。

48朝服の色

夏四月丁未朔己酉,遣使祭廣瀨大忌神與龍田風神。癸丑,賜京與畿內耆老、耆女五千三十一人稻,人二十束。庚申,詔曰:「百官人及畿內人,有位者限六年,無位者限七年。以其上日,選定九等。四等以上者,依考仕令,以其善、最、功、能、氏、姓大小,量授冠位。其朝服者,淨大壹已下,廣貳已上黑紫。淨大參已下,廣肆已上赤紫。正八級赤紫。直八級緋。勤八級深綠。務八級淺綠。追八級深縹。進八級淺縹。別淨廣貳已上,一畐一部之綾羅等,種種聽用。淨大參已下,直廣肆已上,一畐二部之綾羅等,種種聽用。上下通用綺帶、白袴,其餘者如常。」戊辰,始祈雨於所所。旱也。

夏四月丁未の朔の己酉の日、使いを遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祭りました。

癸丑の日、京と畿内の耆老と耆女五千三十一人に稲を一人二十束ずつ賜わりました。

庚申の日、詔してこう言われました。

「百官の人と畿内の人で、位ある者は六年を限り、位のない者は七年を限ります。その上日(じょうじつ)によって九等を選び定めます。四等以上の者は、考仕令によって、その善・最・功・能と氏姓の大小を量って冠位を授けます。

朝服は、浄大壹以下で広貳以上は黒紫、浄大参以下で広肆以上は赤紫、正の八級は赤紫、直の八級は緋、勤の八級は深緑、務の八級は浅緑、追の八級は深縹、進の八級は浅縹とします。

別に浄広貳以上は、一幅一重の綾羅などをさまざまに用いることを許します。浄大参以下で直広肆以上は、一幅二重の綾羅などをさまざまに用いることを許します。上下は通じて綺の帯と白い袴を用い、その他は常のとおりとします。」

戊辰の日、初めて所々で雨を祈りました。旱だったからです。

49百済の人が帰化する

五月丙子朔戊寅,天皇幸吉野宮。乙酉,百濟男女二十一人歸化。庚寅,於內裏始安居講說。

五月丙子の朔の戊寅の日、天皇は吉野宮に行かれました。

乙酉の日、百済の男女二十一人が帰化しました。

庚寅の日、内裏で初めて安居して講説しました。

50位の次第を唱える

六月丙午朔辛亥,天皇幸泊瀨。庚午,盡召有位者,唱知位次與年齒。

六月丙午の朔の辛亥の日、天皇は泊瀨に行かれました。

庚午の日、位ある者をことごとく召して、位の次第と年齢を唱えて知らせました。

51高市皇子を太政大臣とする

秋七月丙子朔,公卿、百寮人等,始著新朝服。戊寅,班幣於天神地祇。庚辰,以皇子高市,為太政大臣。以正廣參,授丹比嶋真人,為右大臣。并八省、百寮,皆遷任焉。辛巳,大宰、國司皆遷任焉。壬午,詔:「令公卿、百寮,凡有位者,自今以後,於家內著朝服,而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而著朝服乎。甲申,詔曰:「凡朝堂座上,見親王者如常。大臣與王起立堂前。二王以上下座而跪。」己丑,詔曰:「朝堂座上,見大臣,動坐而跪。」是日,以絁、絲、綿、布,奉施七寺安居沙門三千三百六十三。別為皇太子,奉施於三寺安居沙門三百二十九。癸巳,遣使者,祭廣瀨大忌神與龍田風神。

秋七月丙子の朔、公卿や百寮の人たちが初めて新しい朝服を着ました。

戊寅の日、天神地祇に幣を班ちました。

庚辰の日、皇子高市(たけち)を太政大臣としました。正広参を丹比嶋真人に授けて右大臣としました。あわせて八省と百寮を皆遷し任じました。

辛巳の日、大宰と国司を皆遷し任じました。

壬午の日、詔してこう言われました。「公卿や百寮でおよそ位ある者は、今より後は家の内で朝服を着て、門が開く前に参上しなさい。」思うに昔は宮門に着いてから朝服を着たのでしょうか。

甲申の日、詔してこう言われました。「およそ朝堂の座上で親王を見たときは常のとおりとします。大臣と王は堂の前に起ち立ちます。二王以上は座を下りて跪きます。」

己丑の日、詔してこう言われました。「朝堂の座上で大臣を見たときは、座を動いて跪きなさい。」

この日、絁・絲・綿・布を、七つの寺で安居する沙門三千三百六十三人に施し奉りました。別に皇太子のために、三つの寺で安居する沙門三百二十九人に施し奉りました。

癸巳の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祭りました。

52帰化した新羅の人

八月乙巳朔戊申,天皇幸吉野宮。乙卯,以歸化新羅人等,居于下毛野國。

八月乙巳の朔の戊申の日、天皇は吉野宮に行かれました。

乙卯の日、帰化した新羅の人たちを下毛野国に住まわせました。

53大伴部博麻が帰る

九月乙亥朔,詔諸國司等曰:「凡造戶籍者,依戶令也。」乙酉,詔曰:「朕將巡行紀伊之。故勿收今年京師田租口賦。」丁亥,天皇幸紀伊。丁酉,大唐學問僧智宗、義德、淨願,軍丁筑紫國上陽咩郡大伴部博麻,從新羅送使大奈末金高訓等,還至筑紫。戊戌,天皇至自紀伊。

九月乙亥の朔、諸国の司たちに詔してこう言われました。「およそ戸籍を造るのは、戸令によりなさい。」

乙酉の日、詔してこう言われました。「朕は紀伊を巡り行こうと思います。ですから今年の京の田租と口賦は収めてはなりません。」

丁亥の日、天皇は紀伊に行かれました。

丁酉の日、大唐で学んでいた僧の智宗・義德・淨願と、軍丁の筑紫国上陽咩郡の大伴部博麻(おおともべのはかま)が、新羅の送りの使い大奈末金高訓たちに従って、筑紫に帰り着きました。

戊戌の日、天皇は紀伊から戻られました。

54身を売って忠を顕す

冬十月甲辰朔戊申,天皇幸吉野宮。癸丑,大唐學問僧智宗等,至于京師。戊午,遣使者,詔筑紫大宰河內王等曰:「饗新羅送使大奈末金高訓等,准上送學生土師宿禰甥等送使之例。其慰勞賜物,一依詔書。」乙丑,詔軍丁筑後國上陽咩郡人大伴部博麻曰:「於天豐財重日足姬天皇七年,救百濟之役,汝為唐軍見虜。洎天命開別天皇三年,土師連富杼、冰連老、筑紫君薩夜麻、弓削連元寶兒四人,思欲奏聞唐人所計,緣無衣糧,憂不能達。於是博麻謂土師富杼等曰:『我欲共汝,還向本朝,緣無衣糧,俱不能去。願賣我身,以充衣食。』富杼等,依博麻計,得通天朝。汝獨淹滯他界,於今三十年矣。朕嘉厥尊朝愛國,賣己顯忠。故賜務大肆,并絁五匹、綿十一屯、布三十端、稻一千束、水田四町。其水田及至曾孫也。免三族課役,以顯其功。」壬申,高市皇子觀藤原宮地。公卿、百寮從焉。

冬十月甲辰の朔の戊申の日、天皇は吉野宮に行かれました。

癸丑の日、大唐で学んでいた僧の智宗たちが京に着きました。

戊午の日、使者を遣わして筑紫の大宰河內王たちに詔してこう言われました。「新羅の送りの使い大奈末金高訓たちを饗すには、さきに学生の土師宿禰甥(はじのすくねおい)たちを送り上げた使いの例に準じなさい。その慰労と賜物は、ひとえに詔書によりなさい。」

乙丑の日、軍丁の筑後国上陽咩郡の人、大伴部博麻に詔してこう言われました。

「天豐財重日足姬天皇の七年、百済を救う役で、お前は唐の軍に虜にされました。天命開別天皇の三年に至って、土師連富杼(はじのむらじほど)、冰連老(ひのむらじおゆ)、筑紫君薩夜麻(つくしのきみさちやま)、弓削連元寶兒(ゆげのむらじがんほこ)の四人が、唐人の企てを奏して聞かせようと思いましたが、衣も糧もないので、たどり着けないことを憂えました。

そこで博麻は土師富杼たちにこう言いました。『私はあなたたちとともに本朝へ帰りたい。けれども衣も糧もないので、ともに行くことができません。どうか私の身を売って、衣と食に充ててください。』

富杼たちは博麻の計に従って、天朝に通じることができました。お前は独り他界に淹り留まって、今に三十年になります。

朕は、お前が朝を尊び国を愛し、己を売って忠を顕したことを嘉します。それゆえ務大肆を賜わり、あわせて絁五匹、綿十一屯、布三十端、稲一千束、水田四町を賜わります。その水田は曾孫まで及びます。三族の課役を免じて、その功を顕します。」

壬申の日、高市皇子が藤原宮の地を観ました。公卿や百寮が従いました。

55新しい暦を行う

十一月甲戌朔庚辰,賞賜送使金高訓等,各有差。甲申,奉敕始行元嘉曆與儀鳳曆。

十一月甲戌の朔の庚辰の日、送りの使い金高訓たちに賞を賜わり、それぞれに差がありました。

甲申の日、敕を奉じて初めて元嘉暦と儀鳳暦を行いました。

56藤原の地を観る

十二月癸卯朔乙巳,送使金高訓等罷歸。甲寅,天皇幸吉野宮。丙辰,天皇至自吉野宮。辛酉,天皇幸藤原,觀宮地。公卿、百寮皆從焉。乙丑,賞賜公卿以下,各有差。

十二月癸卯の朔の乙巳の日、送りの使い金高訓たちが終えて帰りました。

甲寅の日、天皇は吉野宮に行かれました。丙辰の日、天皇は吉野宮から戻られました。

辛酉の日、天皇は藤原に行かれ、宮の地を観られました。公卿や百寮が皆従いました。

乙丑の日、公卿以下に賞を賜わり、それぞれに差がありました。

57百済王に封戸を増す

春正月癸酉朔,賜親王、諸臣、內親王、女王、內命婦等位。己卯,賜公卿飲食、衣裳。優賜正廣肆百濟王余禪廣、直大肆遠寶、良虞與南典,各有差。乙酉,增封,皇子高市二千戶,通前三千戶。淨廣貳皇子穗積五百戶。淨大參皇子川嶋百戶,通前五百戶。正廣參右大臣丹比嶋真人三百戶,通前五百戶。正廣肆百濟王禪廣百戶,通前二百戶。直大壹布勢御主人朝臣與大伴御行宿禰八十戶,通前三百戶。其餘增封各有差。丙戌,詔曰:「直廣肆筑紫史益,拜筑紫大宰府典以來,於今二十九年矣。以清白忠誠,不敢怠惰。是故賜食封五十戶、絁十五匹、綿二十五屯、布五十端、稻五千束。」戊子,天皇幸吉野宮。乙未,天皇至自吉野宮。

春正月癸酉の朔、親王、諸臣、内親王、女王、内命婦たちに位を賜わりました。

己卯の日、公卿に飲食と衣裳を賜わりました。正広肆の百済王余禪廣、直大肆の遠寶、良虞、南典に優く賜わり、それぞれに差がありました。

乙酉の日、封戸を増しました。皇子高市に二千戸で前の分と通じて三千戸、浄広貳の皇子穗積(ほづみ)に五百戸、浄大参の皇子川嶋(かわしま)に百戸で前の分と通じて五百戸、正広参の右大臣丹比嶋真人に三百戸で前の分と通じて五百戸、正広肆の百済王禪廣に百戸で前の分と通じて二百戸、直大壹の布勢御主人朝臣と大伴御行宿禰に八十戸で前の分と通じて三百戸でした。その他の増した封戸もそれぞれに差がありました。

丙戌の日、詔してこう言われました。「直広肆の筑紫史益(つくしのふひとます)は、筑紫大宰府の典に任じられてから、今に二十九年になります。清く白く忠誠で、あえて怠ることがありませんでした。それゆえ食封五十戸、絁十五匹、綿二十五屯、布五十端、稲五千束を賜わります。」

戊子の日、天皇は吉野宮に行かれました。乙未の日、天皇は吉野宮から戻られました。

58心を勤めて仏法を奉れ

二月壬寅朔,天皇詔公卿等曰:「卿等於天皇世,作佛殿、經藏,行月六齋。天皇時時遣大舍人問訊。朕世亦如之。故當勤心奉佛法也。」是日,授宮人位記。

二月壬寅の朔、天皇は公卿たちに詔してこう言われました。「卿たちは天皇の世に仏殿と経蔵を作り、月に六度の斎を行いました。天皇は時々大舍人を遣わして問訊されました。朕の世もまたそのようにします。ですから心を勤めて仏法を奉るべきです。」

この日、宮人に位記を授けました。

59売られた者を良に従わせる

三月壬申朔甲戌,宴公卿於西廳。丙子,天皇觀公私馬於御苑。癸巳,詔曰:「若有百姓弟為兄見賣者,從良。若子為父母見賣者,從賤。若准貸倍沒賤者,從良。其子雖配奴婢所生,亦皆從良。」

三月壬申の朔の甲戌の日、公卿に西の廳で宴を賜わりました。

丙子の日、天皇は公私の馬を御苑で観られました。

癸巳の日、詔してこう言われました。「もし百姓のうち、弟が兄に売られた者があれば、良に従わせなさい。もし子が父母に売られたのであれば、賤に従わせなさい。もし貸しを倍にして返すために賤となった者は、良に従わせなさい。その子は奴婢に配されて生まれた者であっても、また皆良に従わせなさい。」

60大学博士上村主百済

夏四月辛丑朔,詔曰:「若氏祖時所免奴婢既除籍者,其眷族等,不得更訟,言我奴婢。」賜大學博士上村主百濟,大稅一千束。以勸其學業也。辛亥,遣使者,祭廣瀨大忌神與龍田風神。丙辰,天皇幸吉野宮。壬戌,天皇至自吉野宮。

夏四月辛丑の朔、詔してこう言われました。「もし氏の祖の時に免された奴婢で、すでに籍から除かれた者は、その眷族たちが改めて訟えて『我が奴婢だ』と言うことはできません。」

大学博士の上村主百済(かみつすぐりくだら)に大税一千束を賜わりました。その学業を勧めるためです。

辛亥の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祭りました。

丙辰の日、天皇は吉野宮に行かれました。壬戌の日、天皇は吉野宮から戻られました。

61百済の淳武微子の功

五月辛未朔辛卯,褒美百濟淳武微子壬申年功,賜直大參。仍賜絁、布。

五月辛未の朔の辛卯の日、百済の淳武微子の壬申の年の功を褒めて、直大参を賜わりました。そして絁と布を賜わりました。

62長雨

六月,京師及郡國四十雨水。戊子,詔曰:「此夏陰雨過節,懼必傷稼。夕惕迄朝憂懼,思念厥愆。其令公卿、百寮人等,禁斷酒、宍,攝心悔過。京及畿內諸寺梵眾,亦當五日誦經。庶有補焉。」自四月雨,至于是月。己未,大赦天下。但盜賊不在赦例。

六月、京と四十の郡国に雨水がありました。

戊子の日、詔してこう言われました。「この夏は陰雨が節を過ぎていて、必ず稼を傷めるのではないかと懼れます。夕べから朝に至るまで憂え懼れ、その愆を思っています。公卿や百寮の人たちに、酒と宍を禁じ断ち、心を摂めて過ちを悔いさせなさい。京と畿内の諸寺の梵衆も、また五日の間経を誦むべきです。補うところがあればと願います。」

四月からの雨が、この月まで続きました。

己未の日、天下に大赦しました。ただし盗賊は赦の例に入りません。

63銀を献じる

秋七月庚午朔壬申,天皇幸吉野宮。是日,伊豫國司田中朝臣法麻呂等獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩、𨥥一籠。丙子,宴公卿。仍賜朝服。辛巳,天皇至自吉野。甲申,遣使者,祭廣瀨大忌神與龍田風神。

秋七月庚午の朔の壬申の日、天皇は吉野宮に行かれました。

この日、伊豫の国司田中朝臣法麻呂たちが、宇和郡の御馬山の白銀三斤八両と鉱石一籠を献じました。

丙子の日、公卿に宴を賜わり、そして朝服を賜わりました。辛巳の日、天皇は吉野から戻られました。甲申の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祭りました。

64十八氏の墓記

八月己亥朔辛亥,詔十八氏,上進其祖等墓記。辛酉,遣使者,祭龍田風神,信濃須波、水內等神。

八月己亥の朔の辛亥の日、十八の氏に詔して、その祖たちの墓記を上り進めさせました。

辛酉の日、使者を遣わして龍田の風神と、信濃の須波・水內などの神を祭りました。

夾注 1

大三輪、雀部、石上、藤原、石川、巨勢、膳部、春日、上毛野、大伴、紀伊、平群、羽田、阿倍、佐伯、采女、穗積、阿曇。

大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穗積・阿曇です。

65書博士百済の末士善信

九月己巳朔壬申,賜音博士大唐續守言、薩弘恪,書博士百濟末士善信,銀人二十兩。丁丑,淨大參皇子川嶋薨。辛卯,以直大貳,贈佐伯宿禰大目,并賜賻物。

九月己巳の朔の壬申の日、音博士の大唐の續守言と薩弘恪、書博士の百済の末士善信に、銀を一人二十両ずつ賜わりました。

丁丑の日、浄大参の皇子川嶋が薨りました。

辛卯の日、直大貳を佐伯宿禰大目(さえきのすくねおおめ)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。

66陵戸

冬十月戊戌朔,日有蝕之。乙巳,詔曰:「凡先皇陵戶者,置五戶以上。自餘王等有功者,置三戶。若陵戶不足,以百姓充,免其徭役,三年一替。」庚戌,畿內及諸國,置長生地各一千步。是日,天皇幸吉野宮。丁巳,天皇至自吉野。甲子,遣使者,鎮祭新益京。

冬十月戊戌の朔、日蝕がありました。

乙巳の日、詔してこう言われました。「およそ先の皇の陵戸は五戸以上を置きます。その他の王たちで功ある者には三戸を置きます。もし陵戸が足りなければ百姓で充て、その徭役を免じ、三年に一度交替させなさい。」

庚戌の日、畿内と諸国に長生の地を各千歩置きました。この日、天皇は吉野宮に行かれました。丁巳の日、天皇は吉野から戻られました。

甲子の日、使者を遣わして、新益京を鎮める祭りをしました。

67大嘗

十一月戊辰朔,大嘗。神祇伯中臣朝臣大嶋,讀天神壽詞。壬辰,賜公卿衾。乙未,饗公卿以下至主典。并賜絹等各有差。丁酉,饗神祇官長上以下至神部等,及供奉播磨、因幡國郡司以下至百姓男女,并賜絹等各有差。

十一月戊辰の朔、大嘗を行いました。神祇伯の中臣朝臣大嶋が天神の壽詞を読みました。

壬辰の日、公卿に衾を賜わりました。

乙未の日、公卿以下主典に至るまでを饗し、あわせて絹などを賜わってそれぞれに差がありました。

丁酉の日、神祇官の長上以下神部たちに至るまで、また供奉した播磨・因幡の国の郡司以下百姓の男女に至るまでを饗し、あわせて絹などを賜わってそれぞれに差がありました。

68医博士と呪禁博士

十二月戊戌朔己亥,賜醫博士務大參德自珍、呪禁博士木素丁武、沙宅萬首,銀人二十兩。乙巳,詔曰:「賜右大臣宅地四町。直廣貳以上二町。大參以下一町。勤以下至無位,隨其戶口。其上戶一町,中戶半町,下戶四分之一。王等亦准此。」

十二月戊戌の朔の己亥の日、医博士の務大参德自珍と、呪禁博士の木素丁武、沙宅萬首に、銀を一人二十両ずつ賜わりました。

乙巳の日、詔してこう言われました。「右大臣に宅地四町を賜わります。直広貳以上は二町、大参以下は一町です。勤以下、無位に至るまでは、その戸口に従います。上戸は一町、中戸は半町、下戸はその四分の一です。王たちもまたこれに準じます。」

69新益京の路を観る

春正月丁卯朔庚午,增封皇子高市二千戶,通前五千戶。癸酉,饗公卿等,仍賜衣裳。戊寅,天皇觀新益京路。壬午,饗公卿以下至初位以上。癸巳,天皇幸高宮。甲午,天皇至自高宮。

春正月丁卯の朔の庚午の日、皇子高市に封戸二千戸を増して、前の分と通じて五千戸になりました。

癸酉の日、公卿たちを饗し、そして衣裳を賜わりました。

戊寅の日、天皇は新益京の路を観られました。

壬午の日、公卿以下初位以上に至るまでを饗しました。

癸巳の日、天皇は高宮に行かれました。甲午の日、天皇は高宮から戻られました。

70伊勢行幸を諫める

二月丁酉朔丁未,詔諸官曰:「當以三月三日,將幸伊勢。宜知此意,備諸衣物。」賜陰陽博士沙門法藏、道基銀二十兩。乙卯,詔刑部省,赦輕繫。是日,中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂上表敢直言,諫爭天皇欲幸伊勢,妨於農時。

二月丁酉の朔の丁未の日、諸官に詔してこう言われました。「三月三日に伊勢へ行こうと思います。この意を知って、諸々の衣や物を備えなさい。」

陰陽博士の沙門法藏と道基に銀二十両を賜わりました。

乙卯の日、刑部省に詔して、軽く繋がれた者を赦しました。

この日、中納言直大貳の三輪朝臣高市麻呂(みわのあそみたけちまろ)が表を上って敢えて直言し、天皇が伊勢に行こうとされるのは農の時を妨げると諫め争いました。

71伊勢に行く

三月丙寅朔戊辰,以淨廣肆廣瀨王、直廣參當麻真人智德、直廣肆紀朝臣弓張等,為留守官。於是中納言大三輪朝臣高市麻呂,脫其冠位,擎上於朝,重諫曰:「農作之節,車駕未可以動!」辛未,天皇不從諫,遂幸伊勢。壬午,賜所過神郡及伊賀、伊勢、志摩國造等冠位,并免今年調役,復免供奉騎士、諸司荷丁、造行宮丁今年調役,大赦天下。但盜賊不在赦例。甲申,賜所過志摩百姓男女年八十以上,稻人五十束。乙酉,車駕還宮。每到行,輙會郡縣吏民,務勞賜作樂。甲午,詔免近江、美濃、尾張、參河、遠江等國供奉騎士戶及諸國荷丁、造行宮丁今年調役。詔令天下百姓困乏窮者稻。男三束,女二束。

三月丙寅の朔の戊辰の日、浄広肆の廣瀨王、直広参の當麻真人智德、直広肆の紀朝臣弓張(きのあそみゆみはり)たちを留守官としました。

そこで中納言大三輪朝臣高市麻呂が、その冠位を脱いで朝に擎げ上り、重ねて諫めてこう言いました。「農作の節です。車駕はまだ動かしてはなりません。」

辛未の日、天皇は諫めに従わず、ついに伊勢に行かれました。

壬午の日、通り過ぎた神郡と伊賀・伊勢・志摩の国造たちに冠位を賜わり、あわせて今年の調役を免じました。また供奉した騎士、諸司の荷丁、行宮を造った丁の今年の調役を免じ、天下に大赦しました。ただし盗賊は赦の例に入りません。

甲申の日、通り過ぎた志摩の百姓の男女で年八十以上の者に、稲を一人五十束ずつ賜わりました。

乙酉の日、車駕は宮に還られました。行く先々で到るたびに、郡や県の吏民を会めて、努めて労い楽を賜わりました。

甲午の日、詔して、近江・美濃・尾張・參河・遠江などの国の供奉した騎士の戸、また諸国の荷丁、行宮を造った丁の今年の調役を免じました。詔して、天下の百姓で困り乏しく窮した者に稲を賜わらせました。男は三束、女は二束です。

72繋がれた囚人を放つ

夏四月丙申朔丁酉,贈大伴宿禰友國直大貳,并賜賻物。庚子,除四畿內百姓為荷丁者今年調役。甲寅,遣使者,祭廣瀨大忌神與龍田風神。丙辰,賜有位親王以下至進廣肆,難波大藏鍫各有差。庚申,詔曰:「凡繫囚、見徒,一皆原散。」

夏四月丙申の朔の丁酉の日、大伴宿禰友國(おおとものすくねともくに)に直大貳を贈り、あわせて賻物を賜わりました。

庚子の日、四畿内の百姓で荷丁となった者の今年の調役を除きました。

甲寅の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祭りました。

丙辰の日、位ある親王以下進広肆に至るまでに、難波の大蔵の鍬をそれぞれ差をつけて賜わりました。

庚申の日、詔してこう言われました。「およそ繋がれた囚人や徒に見える者は、ひとえに皆原し散らしなさい。」

73藤原宮の地を鎮める

五月乙丑朔庚午,御阿胡行宮時,進贄者紀伊國牟婁郡人阿古志海部河瀨麻呂等兄弟三戶服十年調役、雜徭。復免挾杪八人今年調役。辛未,相模國司獻赤烏雛二隻,言:「獲於御浦郡。」丙子,幸吉野宮。庚辰,車駕還宮。辛巳,遣大夫、謁者,祠名山岳瀆,請雨。甲申,贈文忌寸智德直大壹,并賜賻物。丁亥,遣淨廣肆難波王等,鎮祭藤原宮地。庚寅,遣使者,奉幣于四所─伊勢、大倭、住吉、紀伊,告以新宮。

五月乙丑の朔の庚午の日、阿胡の行宮におられた時に贄を進めた紀伊国牟婁郡の人、阿古志海部河瀨麻呂(あこしのあまべのかわせまろ)たち兄弟三戸の十年の調役と雑徭を免じました。また挾杪(かじとり)八人の今年の調役を免じました。

辛未の日、相模の国司が赤い烏の雛二羽を献じて、「御浦郡で獲りました」と言いました。

丙子の日、吉野宮に行かれました。庚辰の日、車駕は宮に還られました。

辛巳の日、大夫と謁者を遣わして、名のある山や大きな川に祠って雨を請いました。

甲申の日、文忌寸智德(ふみのいみきちとこ)に直大壹を贈り、あわせて賻物を賜わりました。

丁亥の日、浄広肆の難波王たちを遣わして、藤原宮の地を鎮める祭りをしました。

庚寅の日、使者を遣わして四所、すなわち伊勢・大倭・住吉・紀伊に幣を奉り、新しい宮のことを告げました。

74郭務悰が造った阿彌陀像

閏五月乙未朔丁酉,大水。遣使,循行郡國,稟貸災害不能自存者,令得漁採山林池澤。詔令京師及四畿內,講說金光明經。戊戌,賜沙門觀成絁十五匹、綿三十屯、布五十端,美其所造鉛粉。丁未,伊勢大神奏天皇曰:「免伊勢國今年調役。然應輸其二神郡赤引絲參拾伍斤,於來年當折其代。」己酉,詔筑紫大宰率河內王等曰:「宜遣沙門於大隅與阿多,可傳佛教。復上送大唐大使郭務悰為御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。」

閏五月乙未の朔の丁酉の日、大水がありました。使いを遣わして郡国を循り行かせ、災害で自ら生きられない者に稟し貸し、山林や池沢で漁り採ることを許しました。詔して、京と四畿内で金光明経を講説させました。

戊戌の日、沙門觀成(かんじょう)に絁十五匹、綿三十屯、布五十端を賜わりました。その造った鉛粉を褒めたのです。

丁未の日、伊勢の大神が天皇に奏してこう申しました。「伊勢国の今年の調役を免じてください。ただしその二つの神郡の赤引の絲三十五斤は納めるべきですから、来年にその代を折りましょう。」

己酉の日、筑紫の大宰率河內王たちに詔してこう言われました。「沙門を大隅と阿多に遣わして、仏教を伝えさせるのがよいでしょう。また大唐の大使郭務悰が、近江の大津宮で天下を治めた天皇のために造った阿彌陀像を送り上げなさい。」

75雨を祈る

六月甲子朔壬申,敕郡國長吏,各禱名山岳瀆。甲戌,遣大夫、謁者,詣四畿內,請雨。甲申,賜直丁八人官位,美其造大內陵時,勤而不懈。癸巳,天皇觀藤原宮地。

六月甲子の朔の壬申の日、郡国の長吏に敕して、それぞれ名のある山や大きな川に禱らせました。

甲戌の日、大夫と謁者を遣わして四畿内に行かせ、雨を請いました。

甲申の日、直丁八人に官位を賜わりました。大內陵を造る時に勤めて懈らなかったことを褒めたのです。

癸巳の日、天皇は藤原宮の地を観られました。

76熒惑と歳星

秋七月甲午朔乙未,大赦天下。但十惡、盜賊,不在赦例。賜相模國司布勢朝臣色布智等、御浦郡少領,與獲赤烏者鹿嶋臣櫲樟,位及祿,服御浦郡二年調役。庚子,宴公卿。壬寅,幸吉野宮。甲辰,遣使者,祀廣瀨與龍田。辛酉,車駕還宮。是夜,熒惑與歲星,於一步內,乍光乍沒,相近相避四遍。

秋七月甲午の朔の乙未の日、天下に大赦しました。ただし十惡と盗賊は赦の例に入りません。

相模の国司布勢朝臣色布智(ふせのあそみしこぶち)たちと御浦郡の少領、また赤い烏を獲った鹿嶋臣櫲樟(かしまのおみよくそ)に位と祿を賜わり、御浦郡の二年の調役を免じました。

庚子の日、公卿に宴を賜わりました。壬寅の日、吉野宮に行かれました。甲辰の日、使者を遣わして廣瀨と龍田を祀りました。辛酉の日、車駕は宮に還られました。

この夜、熒惑と歳星が一歩の内で、たちまち光りたちまち没し、互いに近づき互いに避けることを四度しました。

夾注 1

闕姓名。

姓と名が欠けています。

77飛鳥皇女の田莊

八月癸亥朔乙丑,赦罪。己卯,幸飛鳥皇女田莊。即日,還宮。

八月癸亥の朔の乙丑の日、罪を赦しました。

己卯の日、飛鳥皇女の田莊に行かれました。その日のうちに宮に還られました。

78白い蛾

九月癸巳朔辛丑,遣班田大夫等於四畿內。丙午,神祇官奏上神寶書四卷、鑰九箇、木印一箇。癸丑,伊勢國司獻嘉禾二本。越前國司獻白蛾。戊午,詔曰:「獲白蛾於角鹿郡浦上之濱。故增封笥飯神二十戶,通前。」

九月癸巳の朔の辛丑の日、班田大夫たちを四畿内に遣わしました。

丙午の日、神祇官が神寶の書四巻、鑰九箇、木印一箇を奏し上げました。

癸丑の日、伊勢の国司が嘉禾二本を献じました。越前の国司が白い蛾を献じました。

戊午の日、詔してこう言われました。「白い蛾を角鹿郡の浦上の濱で獲ました。それゆえ笥飯神に封戸二十戸を増して、前の分と通じさせなさい。」

79新羅で学んだ者

冬十月壬戌朔壬申,授山田史御形,務廣肆。前為沙門,學問新羅。癸酉,幸吉野宮。庚辰,車駕還宮。

冬十月壬戌の朔の壬申の日、山田史御形(やまだのふひとみかた)に務広肆を授けました。以前に沙門となって新羅で学問したからです。

癸酉の日、吉野宮に行かれました。庚辰の日、車駕は宮に還られました。

80新羅が調を進める

十一月辛卯朔戊戌,新羅遣級飡朴憶德、金深薩等進調。賜擬遣新羅使直廣肆息長真人老、務大貳川內忌寸連等祿,各有差。辛丑,饗祿新羅朴憶德於難波館。

十一月辛卯の朔の戊戌の日、新羅が級飡の朴憶德、金深薩たちを遣わして調を進めました。新羅へ遣わす予定だった使い、直広肆の息長真人老(おきながのまひとおゆ)、務大貳の川內忌寸連(かわちのいみきむらじ)たちに祿を賜わり、それぞれに差がありました。

辛丑の日、新羅の朴憶德を難波館で饗し、祿を賜わりました。

81新羅の調を神に奉る

十二月辛酉朔甲戌,賜音博士續守言、薩弘恪,水田人四町。甲申,遣大夫等,奉新羅調於五社─伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足。八、頻幸吉野,新宮整地,軍事整備

十二月辛酉の朔の甲戌の日、音博士の續守言と薩弘恪に水田を一人四町ずつ賜わりました。

甲申の日、大夫たちを遣わして、新羅の調を五つの社、すなわち伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足に奉りました。

82百済王善光が薨る

春正月辛卯朔壬辰,以淨廣壹授皇子高市,淨廣貳授皇子長與皇子弓削。是日,詔令天下百姓服黃色衣,奴皁衣。丁酉,饗公卿大夫等。癸卯,賜京師及畿內有位年八十以上人衾一領、絁二匹、綿二屯、布四端。乙巳,以正廣參贈百濟王善光,并賜賻物。丙午,賜京師男女年八十以上及困貧窮者,布各有差。賜船瀨沙門法鏡,水田三町。是日,漢人等奏踏歌。

春正月辛卯の朔の壬辰の日、浄広壹を皇子高市に授け、浄広貳を皇子長(なが)と皇子弓削(ゆげ)に授けました。この日、詔して天下の百姓は黄色の衣を着、奴は皁い衣を着させました。

丁酉の日、公卿や大夫たちを饗しました。

癸卯の日、京と畿内で位ある者のうち年八十以上の人に、衾一領、絁二匹、綿二屯、布四端を賜わりました。

乙巳の日、正広参を百済王善光に贈り、あわせて賻物を賜わりました。

丙午の日、京の男女で年八十以上の者と、困り貧しく窮した者に、布をそれぞれ差をつけて賜わりました。船瀨の沙門法鏡(ほうきょう)に水田三町を賜わりました。

この日、漢人たちが踏歌を奏しました。

83新羅が王の喪を告げる

二月庚申朔壬戌,新羅遣沙飡金江南、韓奈麻金陽元等,來赴王喪。己巳,詔造京司衣縫王等,收所掘尸。己丑,以流來新羅人牟自毛禮等三十七人,付賜憶德等。

二月庚申の朔の壬戌の日、新羅が沙飡の金江南、韓奈麻の金陽元たちを遣わして、王の喪に赴き来ました。

己巳の日、造京司の衣縫王(きぬぬいのおおきみ)たちに詔して、掘り出された尸を収めさせました。

己丑の日、流れ来た新羅の人、牟自毛禮たち三十七人を憶德たちに付けて賜わりました。

84大学博士に食封を賜わる

三月庚寅朔,日有蝕之。甲午,賜大學博士勤廣貳上村主百濟,食封三十戶。以優儒道。乙未,幸吉野宮。庚子,賜直大貳葛原朝臣大嶋賻物。壬寅,天皇至自吉野宮。乙巳,賜擬遣新羅使直廣肆息長真人老、勤大貳大伴宿禰子君等及學問僧辨通、神叡等,絁、綿、布各有差。又賜新羅王賻物。丙午,詔:「令天下,勸殖桑、紵、梨、栗、蕪菁等草木。以助五穀。」

三月庚寅の朔、日蝕がありました。

甲午の日、大学博士の勤広貳上村主百済に食封三十戸を賜わりました。儒の道を優くするためです。

乙未の日、吉野宮に行かれました。庚子の日、直大貳の葛原朝臣大嶋(かずらはらのあそみおおしま)に賻物を賜わりました。壬寅の日、天皇は吉野宮から戻られました。

乙巳の日、新羅へ遣わす予定だった使い、直広肆の息長真人老、勤大貳の大伴宿禰子君(おおとものすくねこきみ)たちと、学問僧の辨通、神叡たちに、絁・綿・布をそれぞれ差をつけて賜わりました。また新羅王に賻物を賜わりました。

丙午の日、詔してこう言われました。「天下に、桑・紵・梨・栗・蕪菁などの草木を殖えることを勧めなさい。五穀を助けるためです。」

85贓に坐する

夏四月庚申朔丙子,遣大夫、謁者,詣諸社祈雨。又遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。辛巳,詔:「內藏寮允大伴男人坐贓。降位二階,解見任官。典鑰置始多久與菟野大伴,亦坐贓。降位一階,解見任官。監物巨勢邑治雖物不入於己,知情令盜之。故降位二階,解見任官。然置始多久有勤勞於壬申年役之,故赦之,但贓者依律徵納。」

夏四月庚申の朔の丙子の日、大夫と謁者を遣わして諸社に行かせ、雨を祈りました。また使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

辛巳の日、詔してこう言われました。「内藏寮の允の大伴男人(おおとものおひと)が贓に坐しました。位を二階降し、見任の官を解きなさい。典鑰の置始多久(おきそめのたく)と菟野大伴(うののおおとも)も、また贓に坐しました。位を一階降し、見任の官を解きなさい。監物の巨勢邑治(こせのおうじ)は、物が自分に入ったわけではありませんが、事情を知りながら盗ませました。それゆえ位を二階降し、見任の官を解きなさい。ただし置始多久は壬申の年の役に勤労がありますから、これを赦します。ただし贓は律によって徴め納めさせなさい。」

86無遮大会

五月己丑朔,幸吉野宮。乙未,天皇至自吉野宮。癸卯,設無遮大會於內裏。

五月己丑の朔、吉野宮に行かれました。乙未の日、天皇は吉野宮から戻られました。

癸卯の日、無遮大会を内裏に設けました。

87高麗の沙門福嘉

六月己未朔,詔高麗沙門福嘉還俗。壬戌,以直廣肆授引田朝臣廣目、守君苅田、巨勢朝臣麻呂、葛原朝臣臣麻呂、巨勢朝臣多益須、丹比真人池守、紀朝臣麻呂,七人。

六月己未の朔、高麗の沙門福嘉に詔して還俗させました。

壬戌の日、直広肆を引田朝臣廣目(ひきたのあそみひろめ)、守君苅田、巨勢朝臣麻呂、葛原朝臣臣麻呂、巨勢朝臣多益須、丹比真人池守(たじひのまひといけもり)、紀朝臣麻呂の七人に授けました。

88雨を請う

秋七月戊子朔甲午,幸吉野宮。己亥,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。辛丑,遣大夫、謁者,詣諸社請雨。是日,天皇至自吉野。

秋七月戊子の朔の甲午の日、吉野宮に行かれました。

己亥の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

辛丑の日、大夫と謁者を遣わして諸社に行かせ、雨を請いました。この日、天皇は吉野から戻られました。

89藤原宮の地

八月戊午朔,幸藤原宮地。甲戌,幸吉野宮。戊寅,車駕還宮。

八月戊午の朔、藤原宮の地に行かれました。甲戌の日、吉野宮に行かれました。戊寅の日、車駕は宮に還られました。

90無遮大会

九月丁亥朔,日有蝕之。辛卯,幸多武嶺。壬辰,車駕還宮。丙申,為清御原天皇,設無遮大會於內裏。繫囚悉原遣。壬寅,以直廣參,贈蚊屋忌寸木間,并賜賻物。以褒壬申年之役功。

九月丁亥の朔、日蝕がありました。

辛卯の日、多武嶺に行かれました。壬辰の日、車駕は宮に還られました。

丙申の日、清御原天皇のために、無遮大会を内裏に設けました。繋がれた囚人をことごとく原し遣わしました。

壬寅の日、直広参を蚊屋忌寸木間(かやのいみきこま)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。壬申の年の役の功を褒めたのです。

91兵を備えさせる

冬十月丁巳朔戊午,詔:「自今年,始於親王,下至進位,觀所儲兵。淨冠至直冠,人甲一領、大刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚、鞍馬。勤冠至進冠,人大刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚。如此預備。」己卯,始講仁王經於百國。四日而畢。

冬十月丁巳の朔の戊午の日、詔してこう言われました。「今年から、親王に始まり下は進位に至るまで、儲えた兵を観ます。浄冠から直冠までは、一人につき甲一領、大刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚、鞍馬です。勤冠から進冠までは、一人につき大刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚です。このように予め備えなさい。」

己卯の日、初めて仁王経を百の国で講じました。四日で終わりました。

92耽羅の王子

十一月丙戌朔庚寅,幸吉野宮。壬辰,賜耽羅王子、佐平等各有差。乙未,車駕還宮。己亥,遣沙門法員、善往、真義等,試飲近江國益須郡醴泉。戊申,以直大肆,授直廣肆引田朝臣少麻呂。仍賜食封五十戶。

十一月丙戌の朔の庚寅の日、吉野宮に行かれました。

壬辰の日、耽羅の王子や佐平たちに、それぞれ差をつけて賜わりました。

乙未の日、車駕は宮に還られました。

己亥の日、沙門の法員(ほういん)、善往(ぜんおう)、真義(しんぎ)たちを遣わして、近江国益須郡の醴泉を試しに飲ませました。

戊申の日、直大肆を直広肆の引田朝臣少麻呂(ひきたのあそみすくなまろ)に授けました。そして食封五十戸を賜わりました。

93陣法博士

十二月丙辰朔丙子,遣陣法博士等,教習諸國。

十二月丙辰の朔の丙子の日、陣法博士たちを遣わして、諸国で教え習わせました。

94唐人が踏歌を奏する

春正月乙酉朔丙戌,以正廣肆,授直大壹布勢朝臣御主人與大伴宿禰御行。增封人二百戶,通前五百戶。並為氏上。辛卯,饗公卿等。己亥,進御薪。庚子,饗百官人等。辛丑,漢人奏踏歌。五位以上射。壬寅,六位以下射。四日而畢。癸卯,唐人奏踏歌。乙巳,幸藤原宮。即日,還宮。丁未,以務廣肆等位,授大唐七人與肅慎二人。戊申,幸吉野宮。

春正月乙酉の朔の丙戌の日、正広肆を直大壹の布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行に授けました。封戸を一人二百戸ずつ増して、前の分と通じて五百戸になりました。あわせて氏上としました。

辛卯の日、公卿たちを饗しました。己亥の日、御薪を進めました。庚子の日、百官の人たちを饗しました。

辛丑の日、漢人が踏歌を奏しました。五位以上が射ました。壬寅の日、六位以下が射ました。四日で終わりました。

癸卯の日、唐人が踏歌を奏しました。

乙巳の日、藤原宮に行かれました。その日のうちに宮に還られました。

丁未の日、務広肆などの位を、大唐の七人と肅慎の二人に授けました。

戊申の日、吉野宮に行かれました。

95醴泉

三月甲申朔,日有蝕之。乙酉,以直廣肆大宅朝臣麻呂、勤大貳臺忌寸八嶋、黃書連本實等拜鑄錢司。甲午,詔曰:「凡以無位人任郡司者,以進廣貳授大領,以進大參授小領。」己亥,詔曰:「粵以七年歲次癸巳,醴泉涌於近江國益須郡都賀山。諸疾病人停宿益須寺,而療差者眾。故入水田四町、布六十端,原除益須郡今年調役、雜徭,國司頭至目,進位一階。賜其初驗醴泉者葛野羽衝、百濟土羅羅女,人絁二匹、布十端、鍬十口。」乙巳,奉幣於諸社。丙午,賜神祇官頭至祝部等一百六十四人,絁、布各有差。

三月甲申の朔、日蝕がありました。

乙酉の日、直広肆の大宅朝臣麻呂、勤大貳の臺忌寸八嶋(うてなのいみきやしま)、黃書連本實(きぶみのむらじもとみ)たちを鑄錢司に任じました。

甲午の日、詔してこう言われました。「およそ無位の人を郡司に任じるには、進広貳を大領に授け、進大参を小領に授けなさい。」

己亥の日、詔してこう言われました。

「さて七年の歳次癸巳に、醴泉が近江国益須郡の都賀山に涌きました。諸々の病の人が益須寺に停り宿って、療して癒えた者が多くあります。それゆえ水田四町と布六十端を入れ、益須郡の今年の調役と雑徭を原し除き、国司の頭から目に至るまで位を一階進めます。初めて醴泉を験した葛野羽衝(かどののはずき)と百済の土羅羅女に、一人につき絁二匹、布十端、鍬十口を賜わります。」

乙巳の日、諸社に幣を奉りました。丙午の日、神祇官の頭から祝部たちに至るまで百六十四人に、絁と布をそれぞれ差をつけて賜わりました。

96河內王が薨る

夏四月甲寅朔戊午,以淨大肆,贈筑紫大宰率河內王,并賜賻物。庚申,幸吉野宮。丙寅,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。丁亥,天皇至自吉野宮。庚午,贈律師道光賻物。

夏四月甲寅の朔の戊午の日、浄大肆を筑紫の大宰率河內王に贈り、あわせて賻物を賜わりました。

庚申の日、吉野宮に行かれました。丙寅の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。丁亥の日、天皇は吉野宮から戻られました。庚午の日、律師道光に賻物を贈りました。

97金光明経を諸国に置く

五月癸未朔戊子,饗公卿大夫於內裏。癸巳,以金光明經一百部,送置諸國。必取每年正月上玄讀之。其布施以當國官物充之。

五月癸未の朔の戊子の日、公卿や大夫を内裏で饗しました。

癸巳の日、金光明経百部を諸国に送り置きました。必ず毎年正月の上玄を取ってこれを読ませました。その布施はその国の官物で充てさせました。

98刑部造韓國

六月癸丑朔庚申,河內國更荒郡獻白山雞。賜更荒郡大領、小領,位人一級,并賜物。以進廣貳,賜獲者刑部造韓國,并賜物。

六月癸丑の朔の庚申の日、河內国更荒郡が白い山鶏を献じました。更荒郡の大領と小領に位を一人一級ずつ賜わり、あわせて物を賜わりました。進広貳を、獲った者の刑部造韓國(おさかべのみやつこからくに)に賜わり、あわせて物を賜わりました。

99巡察使

秋七月癸未朔丙戌,遣巡察使於諸國。丁酉,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。

秋七月癸未の朔の丙戌の日、巡察使を諸国に遣わしました。

丁酉の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

100飛鳥皇女のために

八月壬子朔戊辰,為皇女飛鳥,度沙門一百四口。

八月壬子の朔の戊辰の日、皇女飛鳥のために、沙門百四口を度しました。

101三野王を大宰率とする

九月壬午朔,日有蝕之。乙酉,幸吉野宮。癸卯,以淨廣肆三野王,拜筑紫大宰率。

九月壬午の朔、日蝕がありました。

乙酉の日、吉野宮に行かれました。

癸卯の日、浄広肆の三野王を筑紫の大宰率に任じました。

102白い蝙蝠

冬十月辛亥朔庚午,以進大肆,賜獲白蝙蝠者飛驒國荒城郡弟國部弟日,并賜絁四匹、綿四匹、布十端。其戶課役限身悉免。

冬十月辛亥の朔の庚午の日、進大肆を、白い蝙蝠を獲った飛驒国荒城郡の弟國部弟日(おとくにべのおとひ)に賜わり、あわせて絁四匹、綿四匹、布十端を賜わりました。その戸の課役は身の限りことごとく免じました。

103赦す

十一月辛巳朔丙午,赦殊死以下。

十一月辛巳の朔の丙午の日、殊死以下を赦しました。

104藤原宮に遷る

十二月庚戌朔乙卯,遷居藤原宮。戊午,百官拜朝。己未,賜親王以下至郡司等,絁、綿、布各有差。辛酉,宴公卿大夫。

十二月庚戌の朔の乙卯の日、藤原宮に遷り居られました。

戊午の日、百官が朝を拝しました。

己未の日、親王以下郡司たちに至るまで、絁・綿・布をそれぞれ差をつけて賜わりました。

辛酉の日、公卿や大夫に宴を賜わりました。

105舍人皇子

春正月庚辰朔甲申,以淨廣貳授皇子舍人。丙戌,饗公卿大夫於內裏。甲午,進御薪。乙未,饗百官人等。丙申,射。四日而畢。

春正月庚辰の朔の甲申の日、浄広貳を皇子舍人(とねり)に授けました。

丙戌の日、公卿や大夫を内裏で饗しました。

甲午の日、御薪を進めました。乙未の日、百官の人たちを饗しました。丙申の日、射ました。四日で終わりました。

106吉野に行く

閏二月己卯朔丙戌,幸吉野宮。癸巳,車駕還宮。

閏二月己卯の朔の丙戌の日、吉野宮に行かれました。癸巳の日、車駕は宮に還られました。

107新羅の王子金良琳

三月戊申朔己酉,新羅遣王子金良琳、補命薩飡朴強國等及韓奈麻金周漢、金忠仙等,奏請國政。且進調獻物。己未,幸吉野宮。壬戌,天皇至自吉野。庚午,遣務廣貳文忌寸博勢、進廣參下譯語諸田等於多禰,求蠻所居。

三月戊申の朔の己酉の日、新羅が王子の金良琳、補命薩飡の朴強國たち、また韓奈麻の金周漢、金忠仙たちを遣わして、国の政を奏して請いました。また調を進め、物を献じました。

己未の日、吉野宮に行かれました。壬戌の日、天皇は吉野から戻られました。

庚午の日、務広貳の文忌寸博勢(ふみのいみきはせ)、進広参の下譯語諸田(しもつおさもろた)たちを多禰に遣わして、蠻の居る所を求めさせました。

108二つの神を祀る

夏四月戊寅朔丙戌,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。甲午,以直廣參,贈賀茂朝臣蝦夷,并賜賻物。以直大肆,贈文忌寸赤麻呂,并賜賻物。

夏四月戊寅の朔の丙戌の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

甲午の日、直広参を賀茂朝臣蝦夷(かものあそみえみし)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。直大肆を文忌寸赤麻呂(ふみのいみきあかまろ)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。

夾注 2

本位,勤大壹。

本の位は勤大壹です。

本位,大山中。

本の位は大山中です。

109隼人の相撲

五月丁未朔己未,饗隼人大隅。丁卯,觀隼人相撲於西槻下。

五月丁未の朔の己未の日、隼人の大隅を饗しました。

丁卯の日、隼人の相撲を西の槻の下で観られました。

110雨を請う

六月丁丑朔己卯,遣大夫、謁者,詣京師及四畿內諸社,請雨。壬辰,賞賜諸臣年八十以上及痼疾各有差。甲午,幸吉野宮。壬寅,至自吉野。

六月丁丑の朔の己卯の日、大夫と謁者を遣わして、京と四畿内の諸社に行かせ、雨を請いました。

壬辰の日、諸臣で年八十以上の者と痼疾の者に、それぞれ差をつけて賞を賜わりました。

甲午の日、吉野宮に行かれました。壬寅の日、吉野から戻られました。

111新羅に使いを遣わす

秋七月丙午朔戊辰,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。辛未,賜擬遣新羅使直廣肆小野朝臣毛野、務大貳伊吉連博德等物各有差。

秋七月丙午の朔の戊辰の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

辛未の日、新羅へ遣わす使い、直広肆の小野朝臣毛野(おののあそみけの)、務大貳の伊吉連博德(いきのむらじはかとこ)たちに、物をそれぞれ差をつけて賜わりました。

112吉野

八月丙子朔己亥,幸吉野。乙巳,至自吉野。

八月丙子の朔の己亥の日、吉野に行かれました。乙巳の日、吉野から戻られました。

113毛野が新羅に向かう

九月乙巳朔戊申,原放行獄徒繫。庚戌,小野朝臣毛野等發向新羅。

九月乙巳の朔の戊申の日、獄に繋がれた徒を原し放ちました。

庚戌の日、小野朝臣毛野たちが新羅に向かって発ちました。

114菟田に行く

十月乙亥朔乙酉,幸菟田吉隱。丙戌,至自吉隱。

十月乙亥の朔の乙酉の日、菟田の吉隱(よなばり)に行かれました。丙戌の日、吉隱から戻られました。

115吉野

十二月甲戌朔戊寅,幸吉野宮。丙戌,至自吉野。賜淨大肆泊瀨王賻物。

十二月甲戌の朔の戊寅の日、吉野宮に行かれました。丙戌の日、吉野から戻られました。浄大肆の泊瀨王に賻物を賜わりました。

116百済王南典

春正月甲辰朔庚戌,饗公卿大夫。甲寅,以直大肆,授百濟王南典。戊午,進御薪。己未,饗公卿、百寮人等。辛酉,公卿、百寮射於南門。

春正月甲辰の朔の庚戌の日、公卿や大夫を饗しました。

甲寅の日、直大肆を百済王南典に授けました。

戊午の日、御薪を進めました。己未の日、公卿や百寮の人たちを饗しました。辛酉の日、公卿や百寮が南門で射ました。

117吉野

二月癸酉朔乙亥,幸吉野宮。乙酉,至自吉野。

二月癸酉の朔の乙亥の日、吉野宮に行かれました。乙酉の日、吉野から戻られました。

118蝦夷と肅慎

三月癸卯朔乙巳,幸二槻宮。甲寅,賜越度嶋蝦夷伊奈理武志與肅慎志良守叡草,錦袍袴、緋紺絁、斧等。

三月癸卯の朔の乙巳の日、二槻宮に行かれました。

甲寅の日、越から渡って来た嶋の蝦夷の伊奈理武志(いなりむし)と、肅慎の志良守叡草(しらすえそう)に、錦の袍と袴、緋や紺の絁、斧などを賜わりました。

119唐の地で久しく苦しんだ者

夏四月壬申朔辛巳,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。戊戌,以追大貳,授伊豫國風速郡物部藥與肥後國皮石郡壬生諸石,并賜人絁四匹、絲十絇、布二十端、鍬二十口、稻一千束、水田四町,復戶調役。以慰久苦唐地。己亥,幸吉野宮。

夏四月壬申の朔の辛巳の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

戊戌の日、追大貳を伊豫国風速郡の物部藥(もののべのくすり)と肥後国皮石郡の壬生諸石(みぶのもろし)に授け、あわせて一人につき絁四匹、絲十絇、布二十端、鍬二十口、稲一千束、水田四町を賜わり、戸の調役を復しました。唐の地で久しく苦しんだことを慰めたのです。

己亥の日、吉野宮に行かれました。

120秦造に忌寸を賜わる

五月壬寅朔甲辰,詔大錦上秦造綱手,賜姓為忌寸。乙巳,至自吉野。己酉,以直廣肆,授尾張宿禰大隅,并賜水田四十町。甲寅,以直廣肆,贈大狛連百枝,并賜賻物。

五月壬寅の朔の甲辰の日、大錦上の秦造綱手(はたのみやつこつなて)に詔して、姓を忌寸と賜わりました。

乙巳の日、吉野から戻られました。

己酉の日、直広肆を尾張宿禰大隅(おわりのすくねおおすみ)に授け、あわせて水田四十町を賜わりました。

甲寅の日、直広肆を大狛連百枝(おおこまのむらじももえだ)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。

121吉野

六月辛未朔戊子,幸吉野宮。丙申,至自吉野。

六月辛未の朔の戊子の日、吉野宮に行かれました。丙申の日、吉野から戻られました。

122高市皇子が薨る

秋七月辛丑朔,日有蝕之。壬寅,赦罪人。戊申,遣使者,祀廣瀨大忌神與龍田風神。庚戌,後皇子尊薨。

秋七月辛丑の朔、日蝕がありました。壬寅の日、罪人を赦しました。

戊申の日、使者を遣わして廣瀨の大忌神と龍田の風神を祀りました。

庚戌の日、後皇子尊(のちのみこのみこと)が薨りました。

123多臣品治

八月庚午朔甲午,以直廣壹,授多臣品治,并賜物。褒美元從之功與堅守關事。

八月庚午の朔の甲午の日、直広壹を多臣品治(おおのおみほんじ)に授け、あわせて物を賜わりました。初めから従った功と、関を堅く守った事を褒めたのです。

124若櫻部朝臣

九月庚子朔甲寅,以直大壹,贈若櫻部朝臣五百瀨,并賜賻物。以顯元從之功。

九月庚子の朔の甲寅の日、直大壹を若櫻部朝臣五百瀨(わかさくらべのあそみいおせ)に贈り、あわせて賻物を賜わりました。初めから従った功を顕すためです。

125右大臣に輿と杖を賜わる

冬十月己巳朔乙酉,賜右大臣丹比真人輿、杖。以哀致事。庚寅,假賜正廣參位右大臣丹比真人資人一百二十人,正廣肆大納言阿倍朝臣御主人、大伴宿禰御行並八十人,直廣壹石上朝臣麻呂、直廣貳藤原朝臣不比等並五十人。

冬十月己巳の朔の乙酉の日、右大臣の丹比真人に輿と杖を賜わりました。致事(官を退くこと)を哀れまれたのです。

庚寅の日、正広参位の右大臣丹比真人に資人百二十人を仮に賜わり、正広肆の大納言阿倍朝臣御主人と大伴宿禰御行にはあわせて八十人ずつ、直広壹の石上朝臣麻呂と直広貳の藤原朝臣不比等(ふじわらのあそみふひと)にはあわせて五十人ずつを賜わりました。

126辨通に食封を賜わる

十一月己亥朔戊申,賜大官大寺沙門辨通,食封四十戶。

十一月己亥の朔の戊申の日、大官大寺の沙門辨通に食封四十戸を賜わりました。

127毎年十一人を度す

十二月己巳朔,敕旨,緣讀金光明經,每年十二月晦日,度淨行者十一人。

十二月己巳の朔、敕旨を下されました。金光明経を読む縁で、毎年十二月の晦日に、浄い行いの者十一人を度させました。

128貧しい者に稲を賜わる

春正月戊戌朔甲辰,饗公卿大夫等。戊申,賜天下鰥寡、孤獨、篤癃,貧不能自存者,稻各有差。癸丑,饗公卿、百寮。

春正月戊戌の朔の甲辰の日、公卿や大夫たちを饗しました。

戊申の日、天下の鰥や寡、孤独な者、篤い病の者、貧しくて自ら生きられない者に、稲をそれぞれ差をつけて賜わりました。

癸丑の日、公卿や百寮を饗しました。

129東宮の官を置く

二月丁卯朔甲午,以直廣壹當麻真人國見為東宮大傅,直廣參路真人跡見為春宮大夫,直大肆巨勢朝臣粟持為亮。

二月丁卯の朔の甲午の日、直広壹の當麻真人國見(たぎまのまひとくにみ)を東宮大傅とし、直広参の路真人跡見を春宮大夫とし、直大肆の巨勢朝臣粟持(こせのあそみあわもち)を亮としました。

130春宮の大法会

三月丁酉朔甲辰,設無遮大會於春宮。

三月丁酉の朔の甲辰の日、無遮大会を春宮に設けました。

131位を授ける

夏四月丙寅朔己巳,授滿選者淨位至直位各有差。壬申,幸吉野宮。己卯,遣使者,祀廣瀨與龍田。是日,至自吉野。

夏四月丙寅の朔の己巳の日、選に満ちた者に浄位から直位までを、それぞれ差をつけて授けました。

壬申の日、吉野宮に行かれました。己卯の日、使者を遣わして廣瀨と龍田を祀りました。この日、吉野から戻られました。

132雨を請う

五月丙申朔癸卯,遣大夫、謁者,詣神社,請雨。

五月丙申の朔の癸卯の日、大夫と謁者を遣わして神社に行かせ、雨を請いました。

133天皇の病のための仏像

六月丙寅朔丁卯,赦罪人。辛未,詔讀經於京畿諸寺。辛巳,遣五位以上,掃灑京寺。甲申,班幣於神祇。辛卯,公卿、百寮始造為天皇病所願佛像。癸卯,遣大夫、謁者,詣神社,請雨。

六月丙寅の朔の丁卯の日、罪人を赦しました。

辛未の日、詔して京と畿内の諸寺で経を読ませました。

辛巳の日、五位以上を遣わして、京の寺を掃き灑がせました。

甲申の日、神祇に幣を班ちました。

辛卯の日、公卿や百寮が初めて、天皇の病のために願った仏像を造りました。

癸卯の日、大夫と謁者を遣わして神社に行かせ、雨を請いました。

134仏の眼を開く会

秋七月乙未朔辛丑,夜半,赦常𨰃盜賊一百九人。仍賜布人四常。但外國者,稻人二十束。丙午,遣使者,祀廣瀨與龍田。癸亥,公卿、百寮,設開佛眼會於藥師寺。

秋七月乙未の朔の辛丑の日の夜半、常に獄に繋がれていた盗賊百九人を赦しました。そして布を一人四常ずつ賜わりました。ただし外の国の者には、稲を一人二十束ずつ賜わりました。

丙午の日、使者を遣わして廣瀨と龍田を祀りました。

癸亥の日、公卿や百寮が、仏の眼を開く会を藥師寺に設けました。

135位を禅る

八月乙丑朔,天皇定策禁中,禪天皇位於皇太子。

八月乙丑の朔、天皇は禁中で策を定め、天皇の位を皇太子に禅られました。