天武天皇下
1宴を設ける
春正月丁亥朔癸巳,置酒宴群臣。
春正月の丁亥が朔の癸巳の日、酒を置いて群臣に宴しました。
2位に即く
二月丁巳朔癸未,天皇命有司設壇場,即帝位於飛鳥淨御原宮。立正妃爲皇后。后生,草壁皇子尊。先納,皇后姊大田皇女爲妃。生,大來皇女與大津皇子。次妃,大江皇女。生,長皇子與弓削皇子。次妃,新田部皇女。生,舍人皇子。又夫人,藤原大臣女冰上娘。生,但馬皇女。次夫人,冰上娘弟五百重娘。生,新田部皇子。次夫人,蘇我赤兄大臣女大蕤娘,生一男二女。其一曰,穗積皇子。其二曰,紀皇女。其三曰,田形皇女。天皇初娶鏡王女額田姬王。生,十市皇女。次納,胸形君德善女尼子娘。生,高市皇子命。次,宍人臣大麻呂女榖媛娘,生二男二女。其一曰,忍壁皇子。其二曰,磯城皇子。其三曰,泊瀨部皇女。其四曰,託基皇女。乙酉,有勳功人等,賜爵有差。
二月の丁巳が朔の癸未の日、天皇は有司に命じて壇場を設けさせ、飛鳥淨御原宮で帝の位に即きました。正妃を立てて皇后としました。皇后は草壁皇子尊(くさかべのみこのみこと)を生みました。
先に、皇后の姊の大田皇女(おおたのひめみこ)を納れて妃としました。大來皇女(おおくのひめみこ)と大津皇子を生みました。
次の妃の大江皇女(おおえのひめみこ)は、長皇子(ながのみこ)と弓削皇子(ゆげのみこ)を生みました。次の妃の新田部皇女(にいたべのひめみこ)は、舍人皇子(とねりのみこ)を生みました。
また夫人の藤原大臣の娘の冰上娘(ひかみのいらつめ)は、但馬皇女(たじまのひめみこ)を生みました。次の夫人の冰上娘の妹の五百重娘(いおえのいらつめ)は、新田部皇子(にいたべのみこ)を生みました。
次の夫人の蘇我赤兄大臣の娘の大蕤娘(おおぬのいらつめ)は、一人の男と二人の女を生みました。その一は穗積皇子(ほづみのみこ)、その二は紀皇女(きのひめみこ)、その三は田形皇女(たがたのひめみこ)です。
天皇は初めに鏡王の娘の額田姬王(ぬかたのひめみこ)を娶って、十市皇女(とおちのひめみこ)を生みました。
次に、胸形君德善(むなかたのきみとくぜん)の娘の尼子娘(あまこのいらつめ)を納れて、高市皇子命(たけちのみこのみこと)を生みました。
次に、宍人臣大麻呂(ししひとのおみおおまろ)の娘の榖媛娘(かじひめのいらつめ)は、二人の男と二人の女を生みました。その一は忍壁皇子、その二は磯城皇子(しきのみこ)、その三は泊瀨部皇女(はつせべのひめみこ)、その四は託基皇女(たきのひめみこ)です。
乙酉の日、勳と功のある人たちに、爵を賜り、差がありました。
3一切經を寫す
三月丙戌朔壬寅,備後國司獲白雉於龜石郡而貢。乃當郡課役悉免,仍大赦天下。是月,聚書生,始寫一切經於川原寺。
三月の丙戌が朔の壬寅の日、備後国司が白い雉を龜石郡(かめしのこおり)で獲て貢りました。そこでその郡の課役をことごとく免じ、そのうえ天下に大赦しました。
この月、書生を聚めて、初めて一切經を川原寺で寫しました。
4大來皇女を泊瀨に置く
夏四月丙辰朔己巳,欲遣侍大來皇女于天照大神宮,而令居泊瀨齋宮。是先潔身,稍近神之所也。
夏四月の丙辰が朔の己巳の日、大來皇女を天照大神の宮に侍らせようとして、泊瀨の齋宮(いつきのみや)に居らせました。これはまず身を潔めて、稍く神に近づかせる所です。
5初めて仕える者
五月乙酉朔,詔公卿大夫及諸臣、連并伴造等,曰:「夫初出身者,先令仕大舍人。然後選簡其才能,以充當職。又婦女者,無問有夫、無夫及長幼,欲進仕者聽矣。其考選准官人之例。」癸丑,大錦上坂本財臣卒。由壬申年之勞,贈小紫位。
五月の乙酉が朔の日、公卿大夫および諸の臣、連、あわせて伴造(とものみやつこ)らに詔して言いました。
「およそ初めて身を出す者は、まず大舍人(おおとねり)に仕えさせよ。その後にその才能を選び簡んで、当たる職に充てよ。また婦女は、夫のある無し、年の長幼を問わず、進んで仕えようとする者は聴せ。その考えと選びは官人の例に准える」
癸丑の日、大錦上の坂本財臣(さかもとのたからのおみ)が卒りました。壬申の年の勞によって、小紫位を贈りました。
6沙宅昭明が卒る
閏六月乙酉朔庚寅,大錦下百濟沙宅昭明卒。爲人聰明叡智,時稱秀才。於是,天皇驚之,降恩以贈外小紫位,重賜本國大佐平位。壬辰,耽羅遣王子久麻藝、都羅、宇麻等朝貢。己亥,新羅遣韓阿飡金承元、阿飡金祇山、大舍霜雪等,賀騰極。并遣一吉飡金薩儒、韓奈末金池山等,弔先皇喪。其送使貴干、寶真毛,送承元、薩儒於筑紫。戊申,饗貴干、寶等於筑紫,賜祿各有差。即從筑紫返于國。
閏六月の乙酉が朔の庚寅の日、大錦下の百濟の沙宅昭明が卒りました。人となりが聰明で叡智があり、当時は秀でた才と称えられました。そこで天皇は驚いて、恩を降して外小紫位を贈り、重ねて本国の大佐平の位を賜りました。
壬辰の日、耽羅が王子の久麻藝、都羅、宇麻らを遣わして朝貢しました。
己亥の日、新羅が韓阿飡の金承元、阿飡の金祇山、大舍の霜雪らを遣わして、極に騰ったことを賀し、あわせて一吉飡の金薩儒、韓奈末の金池山らを遣わして、先の皇の喪を弔いました。その送る使の貴干と寶真毛が、承元と薩儒を筑紫まで送りました。
戊申の日、貴干と寶らを筑紫で饗えて、祿を賜り、それぞれ差がありました。そのまま筑紫から国に返りました。
夾注 1
一云,調使。
一説には、調を貢る使といいます。
7高麗と耽羅の使者
秋八月甲申朔壬辰,詔在伊賀國紀臣阿閉麻呂等,壬申年勞勳之狀,而顯寵賞。癸卯,高麗遣上部位頭大兄邯子、前部大兄碩干等朝貢。仍新羅遣韓奈末金利益,送高麗使人于筑紫。戊申,喚賀騰極使金承元等中客以上二十七人於京。因命大宰,詔耽羅使人曰:「天皇新平天下,初之即位。由是唯除賀使以外不召。則汝等親所見。亦時寒波嶮,久淹留之還爲汝愁。故宜疾歸。」仍在國王及使者久麻藝等,肇賜爵位。其爵者大乙上,更以錦繡潤飾之。當其國之佐平位。則自筑紫返之。
秋八月の甲申が朔の壬辰の日、伊賀国にいる紀臣阿閉麻呂らに、壬申の年の勞と勳の狀を詔して、寵と賞を顯しました。
癸卯の日、高麗が上部の位頭大兄の邯子、前部の大兄の碩干らを遣わして朝貢しました。そのうえ新羅が韓奈末の金利益を遣わして、高麗の使人を筑紫まで送りました。
戊申の日、極に騰ったことを賀する使の金承元らのうち、中客以上の二十七人を京に喚びました。
それによって大宰に命じて、耽羅の使人に詔して言いました。「天皇は新たに天下を平らげて、初めて位に即いた。これによって、ただ賀する使を除いては召さない。それはお前たちが親ら見た所である。また時は寒く波は嶮しいので、久しく淹り留まることは、かえってお前たちの愁いとなる。だから疾く歸るがよい」
そのうえ、その国の王と使者の久麻藝らに、初めて爵位を賜りました。その爵は大乙上で、さらに錦と繡で潤り飾りました。その国の佐平の位に当たります。そのまま筑紫から返りました。
8金承元をもてなす
九月癸丑朔庚辰,饗金承元等於難波,奏種種樂。賜物各有差。
九月の癸丑が朔の庚辰の日、金承元らを難波で饗えて、種種の樂を奏しました。物を賜り、それぞれ差がありました。
9使者たちが歸る
冬十一月壬子朔,金承元罷歸之。壬申,饗高麗邯子,新羅薩儒等於筑紫大郡,賜祿各有差。
冬十一月の壬子が朔の日、金承元が罷り歸りました。
壬申の日、高麗の邯子、新羅の薩儒らを筑紫の大郡で饗えて、祿を賜り、それぞれ差がありました。
10高市の大寺
十二月壬午朔丙戌,侍奉大嘗中臣、忌部及神官人等,并播磨、丹波二國郡司,亦以下人夫等,悉賜祿。因以郡司等,各賜爵一級。戊戌,以小紫美濃王、小錦下紀臣訶多麻呂,拜造高市大寺司。時知事福林僧,由老辭知事。然不聽也。戊申,以義成僧爲小僧都。是日,更加佐官二僧。其有四佐官,始起于此時也。是年也,太歲癸酉。
十二月の壬午が朔の丙戌の日、大嘗(おおにえ)に侍り奉った中臣、忌部(いむべ)および神の官人ら、あわせて播磨、丹波の二つの国の郡司、また以下の人夫らに、ことごとく祿を賜りました。それによって郡司らに、それぞれ爵一級を賜りました。
戊戌の日、小紫の美濃王、小錦下の紀臣訶多麻呂(きのおみかたまろ)を、高市の大寺を造る司に拜しました。そのとき知事の福林僧(ふくりんのほうし)が、老いを理由に知事を辭しました。しかし聴されませんでした。
戊申の日、義成僧を小僧都としました。この日、更に佐官の二僧を加えました。四人の佐官があるのは、この時に始まりました。
この年は、太歲が癸酉です。
夾注 1
今大官大寺,是。
今の大官大寺(だいかんだいじ)が、これです。
11百濟王昌成が薨る
春正月辛亥朔庚申,百濟王昌成,薨。贈小紫位。
春正月の辛亥が朔の庚申の日、百濟王の昌成が薨りました。小紫位を贈りました。
12阿閉麻呂が卒る
二月辛巳朔戊申,紀臣阿閉麻呂卒。天皇大悲之,以勞壬申年之役,贈大紫位。
二月の辛巳が朔の戊申の日、紀臣阿閉麻呂が卒りました。天皇は大いに悲しんで、壬申の年の役の勞によって、大紫位を贈りました。
13銀が初めて出る
三月庚戌朔丙辰,對馬國司守忍海造大國言:「銀始出于當國。即貢上。」由是大國授小錦下位。凡銀有倭國,初出于此時。故悉奉諸神祇,亦周賜小錦以上大夫等。
三月の庚戌が朔の丙辰の日、對馬国司の守の忍海造大國(おしぬみのみやつこおおくに)が言いました。「銀が初めてこの国から出ました。すぐに貢り上げます」
これによって大國に小錦下の位を授けました。およそ銀が倭国にあるのは、初めてこの時に出ました。それゆえ、ことごとく諸の神祇に奉り、また小錦以上の大夫らに周く賜りました。
14神寶を返す
秋八月戊寅朔庚辰,遣忍壁皇子於石上神宮,以膏油瑩神寶。即日,敕曰:「元來諸家貯於神府寶物,今皆還其子孫。」
秋八月の戊寅が朔の庚辰の日、忍壁皇子を石上神宮に遣わして、膏油で神寶を瑩かせました。その日に、敕して言いました。「もともと諸の家が神の府に貯えた寶物は、今みなその子孫に還せ」
15大來皇女が伊勢に向かう
冬十月丁丑朔乙酉,大來皇女自泊瀨齋宮向伊勢神宮。
冬十月の丁丑が朔の乙酉の日、大來皇女が泊瀨の齋宮から伊勢神宮に向かいました。
16年始の諸事
春正月丙午朔,大學寮諸學生,陰陽寮、外藥寮及舍衛女、墮羅女、百濟王善光,新羅仕丁等,捧藥及珍異等物進。丁未,皇子以下百寮諸人拜朝。戊申,百寮諸人初位以上,進薪。庚戌,始興占星臺。壬子,賜宴群臣於朝庭。壬戌,公卿大夫及百寮諸人初位以上,射于西門庭。亦是日,大倭國貢瑞雞,東國貢白鷹,近江國貢白鵄。戊辰,祭幣諸社。
春正月の丙午が朔の日、大學寮の諸の學生、陰陽寮、外藥寮および舍衛の女、墮羅の女、百濟王善光、新羅の仕丁らが、藥と珍しく異なった物などを捧げて進めました。
丁未の日、皇子以下、百寮の諸人が朝に拜しました。
戊申の日、百寮の諸人の初位以上が、薪を進めました。
庚戌の日、初めて占星臺を興しました。
壬子の日、群臣に朝庭で宴を賜りました。
壬戌の日、公卿大夫および百寮の諸人の初位以上が、西門の庭で射ました。またこの日、大倭国が瑞しい雞を貢り、東国が白い鷹を貢り、近江国が白い鵄を貢りました。
戊辰の日、諸の社に幣を祭りました。
17部曲を除く
二月乙亥朔癸未,敕大倭、河內、攝津、山背、播磨、淡路、丹波、但馬、近江、若狹、伊勢、美濃、尾張等國曰:「選所部百姓之能歌男女及侏儒、伎人而貢上。」丁亥,十市皇女、阿閉皇女參赴於伊勢神宮。己丑,詔曰:「甲子年,諸氏被給部曲者,自今以後,除之。又親王、諸王及諸臣,并諸寺等所賜山澤、嶋浦、林野、陂池,前後並除焉。」癸巳,詔曰:「群臣、百寮及天下人民,莫作諸惡。若有犯者,隨事罪之。」丁酉,天皇幸於高安城。是月,新羅遣王子忠元、大監級飡金比蘇、大監奈末金天沖、弟監大麻朴武麻、弟監大舍金洛水等進調。其送使奈末金風那、奈末金孝福,送王子忠元於筑紫。
二月の乙亥が朔の癸未の日、大倭、河內、攝津、山背、播磨、淡路、丹波、但馬、近江、若狹、伊勢、美濃、尾張などの国に敕して言いました。「部に属する百姓のうち、歌の能い男女と侏儒(ひきひと)、伎人(てひと)を選んで貢り上げよ」
丁亥の日、十市皇女、阿閉皇女(あへのひめみこ)が伊勢神宮に参り赴きました。
己丑の日、詔して言いました。「甲子の年に、諸の氏に給わった部曲(かきべ)は、今より以後、除く。また親王、諸王および諸臣、あわせて諸寺などに賜った山澤、嶋浦、林野、陂池は、前も後も並びに除く」
癸巳の日、詔して言いました。「群臣、百寮および天下の人民は、諸の惡を作すな。もし犯す者があれば、事に随って罪する」
丁酉の日、天皇は高安城に幸しました。
この月、新羅が王子の忠元、大監の級飡の金比蘇、大監の奈末の金天沖、弟監の大麻の朴武麻、弟監の大舍の金洛水らを遣わして調を進めました。その送る使の奈末の金風那、奈末の金孝福が、王子の忠元を筑紫まで送りました。
18兵政官を置く
三月乙巳朔丙午,土左大神以神刀一口,進于天皇。戊午,饗金風那等於筑紫。即自筑紫歸之。庚申,諸王四位栗隈王爲兵政官長,小錦上大伴連御行爲大輔。是月,高麗遣大兄富干、大兄多武等朝貢。新羅遣級飡朴勤修、大奈末金美賀進調。
三月の乙巳が朔の丙午の日、土左(とさ)の大神が神の刀一口を、天皇に進めました。
戊午の日、金風那らを筑紫で饗えました。そのまま筑紫から歸りました。
庚申の日、諸王四位の栗隈王を兵政官の長とし、小錦上の大伴連御行(おおとものむらじみゆき)を大輔としました。
この月、高麗が大兄の富干、大兄の多武らを遣わして朝貢しました。新羅が級飡の朴勤修、大奈末の金美賀を遣わして調を進めました。
19諸の禁令
夏四月甲戌朔戊寅,請僧尼二千四百餘,而大設齋焉。辛巳,敕:「小錦上當摩公廣麻呂、小錦下久努臣麻呂二人,勿使朝參。」壬午,詔曰:「諸國貸稅,自今以後,明察百姓,先知富貧,簡定三等。仍中戶以下應與貸。」癸未,遣小紫美濃王、小錦下佐伯連廣足,祠風神于龍田立野。遣小錦中間人連大蓋、大山中曾禰連韓犬,祭大忌神於廣瀨河曲。丁亥,小錦下久努臣麻呂坐對捍詔使,官位盡追。庚寅,詔諸國曰:「自今以後,制諸漁獵者,莫造檻穽,及施機槍等之類。亦四月朔以後,九月三十日以前,莫置比滿沙伎理梁。且莫食牛、馬、犬、猿、雞之宍,以外不在禁例。若有犯者,罪之。」辛卯,三位麻續王有罪。流于因播。一子流伊豆嶋,一子流血鹿嶋。丙申,簡諸才藝者,給祿各有差。是月,新羅王子忠元到難波。
夏四月の甲戌が朔の戊寅の日、僧尼二千四百余を請じて、大きく齋を設けました。
辛巳の日、敕しました。「小錦上の當摩公廣麻呂、小錦下の久努臣麻呂(くぬのおみまろ)の二人は、朝に参らせるな」
壬午の日、詔して言いました。「諸国の貸稅は、今より以後、百姓を明らかに察べて、まず富みと貧しさを知り、三等に簡び定めよ。そのうえで中の戶以下に貸し與えるべきである」
癸未の日、小紫の美濃王、小錦下の佐伯連廣足(さえきのむらじひろたり)を遣わして、風の神を龍田の立野(たちの)に祠らせました。小錦中の間人連大蓋(はしひとのむらじおおふた)、大山中の曾禰連韓犬(そねのむらじからいぬ)を遣わして、大忌神(おおいみのかみ)を廣瀨の河曲(かわくま)で祭らせました。
丁亥の日、小錦下の久努臣麻呂が詔の使に對い捍んだ罪に坐して、官位をことごとく追われました。
庚寅の日、諸国に詔して言いました。「今より以後、諸の漁り獵る者を制して、檻や穽を造り、機や槍などの類を施すな。また四月の朔より後、九月の三十日より前には、比滿沙伎理(ひまさきり)の梁を置くな。また牛、馬、犬、猿、雞の宍を食うな。それ以外は禁の例にない。もし犯す者があれば、罪する」
辛卯の日、三位の麻續王(おみのおおきみ)に罪がありました。因播(いなば)に流しました。一人の子は伊豆嶋に流し、一人の子は血鹿嶋(ちかのしま)に流しました。
丙申の日、諸の才藝のある者を簡んで、祿を給い、それぞれ差がありました。
この月、新羅の王子の忠元が難波に到りました。
20惠尺が薨る
六月癸酉朔乙未,大分君惠尺,病將死。天皇大驚,詔曰:「汝惠尺也,背私向公,不惜身命。以遂雄之心,勞于大役。恒欲慈愛。故爾雖既死,子孫厚賞。」仍騰外小紫位。未及數日,薨于私家。
六月の癸酉が朔の乙未の日、大分君惠尺が病んで死にそうになりました。天皇は大いに驚いて、詔して言いました。「お前、惠尺は、私に背いて公に向かい、身と命を惜しまなかった。雄々しい心を遂げて、大きな役に勞した。常に慈しみ愛したいと思っている。だからお前がすでに死んでも、子孫に厚く賞しよう」
そのうえ外小紫位に騰しました。数日も経たないうちに、私の家で薨りました。
21新羅に使者を遣わす
秋七月癸卯朔己酉,小錦上大伴連國麻呂爲大使,小錦下三宅吉士入石爲副使,遣于新羅。
秋七月の癸卯が朔の己酉の日、小錦上の大伴連國麻呂を大使とし、小錦下の三宅吉士入石(みやけのきしいりし)を副使として、新羅に遣わしました。
22耽羅と二国の使者
八月壬申朔,耽羅調使王子久麻伎,泊筑紫。癸巳,大風飛沙破屋。丙申,忠元禮畢以歸之,自難波發船。己亥,新羅、高麗二國調使饗於筑紫。賜祿有差。
八月の壬申が朔の日、耽羅の調の使の王子久麻伎が、筑紫に泊まりました。
癸巳の日、大風が吹いて沙を飛ばし屋を破りました。
丙申の日、忠元が禮を畢えて歸ろうと、難波から船を発ちました。
己亥の日、新羅と高麗の二国の調の使を筑紫で饗えました。祿を賜り、差がありました。
23耽羅王姑如
九月壬寅朔戊辰,耽羅王姑如到難波。
九月の壬寅が朔の戊辰の日、耽羅王の姑如が難波に到りました。
24唐人三十口を貢る
冬十月辛未朔癸酉,遣使於四方,覓一切經。庚辰,置酒宴群臣。丙戌,自筑紫貢唐人三十口。則遣遠江國而安置。庚寅,詔曰:「諸王以下初位以上,每人備兵。」是日,相模國言:「高倉郡女人,生三男。」
冬十月の辛未が朔の癸酉の日、使を四方に遣わして、一切經を覓めました。
庚辰の日、酒を置いて群臣に宴しました。
丙戌の日、筑紫から唐人三十口を貢りました。そこで遠江国に遣わして安置しました。
庚寅の日、詔して言いました。「諸王以下、初位以上は、人ごとに兵を備えよ」
この日、相模国が言いました。「高倉郡の女人が、三人の男を生みました」
25大きな地震
十一月辛丑朔癸卯,有人登宮東岳,妖言而自刎死之。當是夜直者,悉賜爵一級。是月,大地動。
十一月の辛丑が朔の癸卯の日、ある人が宮の東の岳に登って、妖しい言をして自ら刎ねて死にました。この夜に直を当たっていた者に、ことごとく爵一級を賜りました。
この月、大きく地が動きました。
26国司の任命
春正月庚子朔,群臣、百寮拜朝。癸卯,高市皇子以下,小錦以上大夫等,賜衣、袴、褶、腰帶、腳帶及机、杖。唯小錦三階,不賜机。丙午,小錦以上大夫等,賜祿各有差。甲寅,百寮初位以上,進薪。即日,悉集朝庭賜宴。乙卯,置祿,射于西門庭。中的則給祿,有差。是日,天皇御嶋宮,宴之。甲子,詔曰:「凡任國司者,除畿內及陸奧、長門國,以外皆任大山位以下人。」
春正月の庚子が朔の日、群臣、百寮が朝に拜しました。
癸卯の日、高市皇子以下、小錦以上の大夫らに、衣、袴、褶(ひらおび)、腰帶、腳帶と机、杖を賜りました。ただ小錦の三階には、机を賜りませんでした。
丙午の日、小錦以上の大夫らに、祿を賜り、それぞれ差がありました。
甲寅の日、百寮の初位以上が、薪を進めました。その日に、ことごとく朝庭に集めて宴を賜りました。
乙卯の日、祿を置いて、西門の庭で射ました。的に中れば祿を給い、差がありました。この日、天皇は嶋宮に御して、宴しました。
甲子の日、詔して言いました。「およそ国司に任じる者は、畿内および陸奧、長門国を除いて、それ以外は皆、大山位以下の人を任じよ」
27船を賜る
二月庚午朔癸巳,耽羅客賜船一艘。是月,大伴連國麻呂等至自新羅。
二月の庚午が朔の癸巳の日、耽羅の客に船一艘を賜りました。
この月、大伴連國麻呂らが新羅から至りました。
28封戶と仕官
夏四月戊戌朔辛丑,祭龍田風神、廣瀨大忌神。倭國添下郡鰐積吉事貢瑞雞。其冠似海石榴華。是日,倭國飽波郡言:「雌雞化雄。」辛亥,敕:「諸王、諸臣被給封戶之稅者,除以西國,相易給以東國。又外國人欲進仕者,臣、連、伴造之子及國造子聽之。唯雖以下庶人,其才能長亦聽之。」己未,詔美濃國司曰:「在礪杵郡紀臣阿佐麻呂之子遷東國,即爲其國之百姓。」
夏四月の戊戌が朔の辛丑の日、龍田の風神、廣瀨の大忌神を祭りました。
倭国の添下郡(そうのしものこおり)の鰐積吉事(わにづみのよしこと)が瑞しい雞を貢りました。その冠は海石榴(つばき)の華に似ていました。
この日、倭国の飽波郡(あくなみのこおり)が言いました。「雌の雞が雄に化りました」
辛亥の日、敕しました。「諸王、諸臣に給わった封戶の稅は、以西の国を除いて、相い易えて以東の国で給え。また外の国の人で、進んで仕えようとする者は、臣、連、伴造の子および国造の子を聴せ。ただし以下の庶人であっても、その才能の長れた者はまた聴せ」
己未の日、美濃国司に詔して言いました。「礪杵郡(ときのこおり)にいる紀臣阿佐麻呂(きのおみあさまろ)の子を東国に遷して、そのままその国の百姓とせよ」
29山を禁じる
五月戊辰朔庚午,宣進調過期限國司等之犯狀,云云。甲戌,下野國司奏:「所部百姓遇兇年,飢之欲賣子。」而朝不聽矣。是月,敕:「禁南淵山、細川山,並莫蒭薪。又畿內山野,元所禁之限,莫妄燒折。」
五月の戊辰が朔の庚午の日、調を進めるのに期限を過ぎた国司らの犯した狀を宣べました。云云とあります。
甲戌の日、下野国司が奏しました。「部に属する百姓が兇い年に遇って、飢えて子を賣ろうとしています」しかし朝は聴しませんでした。
この月、敕しました。「南淵山(みなぶちやま)、細川山を禁じて、並びに蒭や薪を取るな。また畿内の山野で、もともと禁じた限りでは、妄りに燒いたり折ったりするな」
30大旱
六月,四位栗隈王得病薨。物部雄君連忽發病而卒。天皇聞之大驚。其壬申年,從車駕入東國,以有大功,降恩贈內大紫位。因賜氏上。是夏,大旱。遣使四方,捧幣帛祈諸神祇。亦請諸僧尼,祈于三寶。然不雨。由是五榖不登,百姓飢之。
六月、四位の栗隈王が病を得て薨りました。物部雄君連(もののべのおきみのむらじ)がたちまち病を発して卒りました。天皇はこれを聞いて大いに驚きました。あの壬申の年に、車駕に従って東国に入り、大きな功があったので、恩を降して內大紫位を贈りました。それによって氏上(うじのかみ)を賜りました。
この夏、大いに旱りました。使を四方に遣わして、幣帛を捧げて諸の神祇に祈りました。また諸の僧尼を請じて、三寶に祈りました。しかし雨は降りませんでした。これによって五榖が登らず、百姓が飢えました。
31星が現れる
秋七月丁卯朔戊辰,卿大夫及百寮諸人等,進爵各有差。甲戌,耽羅客歸國。壬午,祭龍田風神、廣瀨大忌神。是月,村國連雄依卒。以壬申年之功,贈外小紫位。有星出于東,長七、八尺,至九月,竟天。
秋七月の丁卯が朔の戊辰の日、卿大夫および百寮の諸人らに、爵を進め、それぞれ差がありました。
甲戌の日、耽羅の客が国に歸りました。
壬午の日、龍田の風神、廣瀨の大忌神を祭りました。
この月、村國連雄依が卒りました。壬申の年の功によって、外小紫位を贈りました。
星が東に出て、長さが七、八尺ありましたが、九月に至って、天に竟りました。
32大解除
八月丙申朔丁酉。親王以下,小錦以上大夫及皇女、姬王、內命婦等給食封各有差。辛亥,詔曰:「四方爲大解除。用物則國別國造輸。祓柱,馬一匹、布一常,以外郡司,各刀一口、鹿皮一張、钁一口、刀子一口、鎌一口、矢一具、稻一束。且每戶麻一條。」壬子,詔曰:「死刑、沒官、三流並降一等。徒罪以下,已發覺、未發覺,悉赦之。唯既配流,不在赦例。」是日,詔諸國,以放生。是月,大三輪真上田子人君卒。天皇聞之大哀。以壬申年之功,贈內小紫位。仍諡曰大三輪真上田迎君。
八月の丙申が朔の丁酉の日、親王以下、小錦以上の大夫および皇女、姬王、內命婦らに食封を給い、それぞれ差がありました。
辛亥の日、詔して言いました。「四方で大きな解除(おおはらえ)をせよ。用いる物は国ごとに国造が輸せ。祓の柱は、馬一匹、布一常、それ以外に郡司は、それぞれ刀一口、鹿の皮一張、钁(くわ)一口、刀子一口、鎌一口、矢一具、稻一束である。また戶ごとに麻一條である」
壬子の日、詔して言いました。「死刑、沒官、三つの流を並びに一等降す。徒罪以下は、すでに発覺したものも、まだ発覺していないものも、ことごとく赦す。ただしすでに配し流した者は、赦しの例にない」
この日、諸国に詔して、生きものを放させました。
この月、大三輪真上田子人君(おおみわのまかみたのこひとのきみ)が卒りました。天皇はこれを聞いて大いに哀しみました。壬申の年の功によって、內小紫位を贈りました。そのうえ諡して大三輪真上田迎君(おおみわのまかみたのむかえのきみ)といいました。
33新嘗の国郡を卜う
九月丙寅朔,雨不告朔。乙亥,王卿遣京及畿內,校人別兵。丁丑,筑紫大宰三位屋垣王,有罪流于土左。戊寅,百寮人及諸蕃人等賜祿。各有差。丙戌,神官奏曰:「爲新嘗卜國郡也。齋忌,則尾張國山田郡。次,丹波國訶沙郡。並食卜。」是月,坂田公雷,卒。以壬申年功,贈大紫位。
九月の丙寅が朔の日、雨が降って朔を告げませんでした。
乙亥の日、王と卿を京と畿内に遣わして、人ごとの兵を校べさせました。
丁丑の日、筑紫の大宰の三位の屋垣王(やがきのおおきみ)に罪があって、土左に流しました。
戊寅の日、百寮の人および諸の蕃の人らに祿を賜り、それぞれ差がありました。
丙戌の日、神の官が奏して言いました。「新嘗のために国と郡を卜いました。齋忌(ゆき)は尾張国の山田郡、次(すき)は丹波国の訶沙郡(かさのこおり)です。並びに卜に食いました」
この月、坂田公雷(さかたのきみいかずち)が卒りました。壬申の年の功によって、大紫位を贈りました。
夾注 2
齋忌,此云踰既。
齋忌は、踰既(ゆき)と読みます。
次,此云須岐。
次は、須岐(すき)と読みます。
34新羅に大使を遣わす
冬十月乙未朔,置酒宴群臣。丁酉,祭幣帛於相新嘗諸神祇。甲辰,以大乙上物部連麻呂爲大使,大乙中山背直百足爲小使,遣於新羅。
冬十月の乙未が朔の日、酒を置いて群臣に宴しました。
丁酉の日、新嘗に相い伴う諸の神祇に幣帛を祭りました。
甲辰の日、大乙上の物部連麻呂を大使とし、大乙中の山背直百足を小使として、新羅に遣わしました。
35高麗と新羅の使者
十一月乙丑朔,以新嘗事,不告朔。丁卯,新羅遣沙飡金清平請政,并遣汲飡金好儒、弟監大舍金欽吉等進調。其送使奈末被珍那、副使奈末好福,送清平等於筑紫。是月,肅慎七人從清平等至之。癸未,詔近京諸國,而放生。甲申,遣使於四方國,說金光明經、仁王經。丁亥,高麗遣大使後部主博阿于、副使前部大兄德富朝貢。仍新羅遣大奈末金楊原,送高麗使人於筑紫。是年,將都新城。而限內田薗者,不問公私,皆不耕悉荒。然遂不都也。
十一月の乙丑が朔の日、新嘗の事のために、朔を告げませんでした。
丁卯の日、新羅が沙飡の金清平を遣わして政を請い、あわせて汲飡の金好儒、弟監の大舍の金欽吉らを遣わして調を進めました。その送る使の奈末の被珍那、副使の奈末の好福が、清平らを筑紫まで送りました。
この月、肅慎(みしはせ)の七人が清平らに従って至りました。
癸未の日、京に近い諸国に詔して、生きものを放させました。
甲申の日、使を四方の国に遣わして、金光明經、仁王經を說かせました。
丁亥の日、高麗が大使の後部の主博の阿于、副使の前部の大兄の德富を遣わして朝貢しました。そのうえ新羅が大奈末の金楊原を遣わして、高麗の使人を筑紫まで送りました。
この年、新しい城に都しようとしました。しかしその限りの内の田や薗は、公も私も問わず、皆耕さずことごとく荒れました。しかしついに都しませんでした。
36南門で射る
春正月甲子朔庚辰,射于南門。
春正月の甲子が朔の庚辰の日、南門で射ました。
37多禰嶋の人
二月癸巳朔,物部連麻呂至自新羅。是月,饗多禰嶋人等於飛鳥寺西槻下。
二月の癸巳が朔の日、物部連麻呂が新羅から至りました。
この月、多禰嶋(たねのしま)の人らを飛鳥寺の西の槻の下で饗えました。
38新羅の使人を召す
三月癸亥朔辛巳,召新羅使人清平及以下客十三人於京。
三月の癸亥が朔の辛巳の日、新羅の使人の清平とその以下の客十三人を京に召しました。
39使者を送る
夏四月壬辰朔壬寅,杙田使名倉坐指斥乘輿,以流于伊豆嶋。乙巳,送使珍那等饗于筑紫。即從筑紫歸之。
夏四月の壬辰が朔の壬寅の日、杙田使名倉(くいたのつかいなくら)が乘輿を指し斥った罪に坐して、伊豆嶋に流しました。
乙巳の日、送る使の珍那らを筑紫で饗えました。そのまま筑紫から歸りました。
40百濟人率母に位を授ける
五月壬戌朔,不告朔。甲子,敕大博士百濟人率母,授大山下位。因以封三十戶。是日,倭畫師音檮授小山下位。乃封二十戶。戊辰,新羅人阿飡朴刺破、從人三口、僧三人,漂著於血鹿嶋。己丑,敕:「天社地社神稅者三分之,一爲擬供神,二分給神主。」是月,旱之。於京畿內雩之。
五月の壬戌が朔の日、朔を告げませんでした。
甲子の日、大博士の百濟人の率母に敕して、大山下位を授けました。それによって三十戶を封じました。
この日、倭の畫師の音檮(おとかし)に小山下位を授けました。そこで二十戶を封じました。
戊辰の日、新羅人の阿飡の朴刺破と従う人三口、僧三人が、血鹿嶋に漂い著きました。
己丑の日、敕しました。「天の社、地の社の神稅は三つに分けて、一つは神に供える擬えとし、二つの分は神主に給え」
この月、旱りました。京と畿内で雩(あまごい)をしました。
41東漢直を責める
六月壬辰朔乙巳,大震動。是月,詔東漢直等曰:「汝等黨族之,自本犯七不可也。是以從小墾田御世,至于近江朝,常以謀汝等爲事。今當朕世,將責汝等不可之狀,以隨犯應罪。然頓不欲絕漢直之氏,故降大恩以原之。從今以後,若有犯者,必入不赦之例。」
六月の壬辰が朔の乙巳の日、大いに震え動きました。
この月、東漢直(やまとのあやのあたい)らに詔して言いました。
「お前たちの黨と族は、もとより七つの不可を犯した。そのため小墾田の御世から近江朝に至るまで、常にお前たちを謀ることを事としてきた。今、朕の世に当たって、お前たちの不可の狀を責めて、犯したままに罪に應てようとした。しかし、たちまちに漢直の氏を絕やしたくはない。だから大きな恩を降して原す。今より以後、もし犯す者があれば、必ず赦さない例に入る」
42二つの神を祭る
秋七月辛酉朔癸亥,祭龍田風神、廣瀨大忌神。
秋七月の辛酉が朔の癸亥の日、龍田の風神、廣瀨の大忌神を祭りました。
43飛鳥寺の齋
八月辛卯朔乙巳,大設齋飛鳥寺,以讀一切經。便天皇御寺南門而禮三寶。是時,詔親王、諸王及群卿,每人賜出家一人。其出家者不問男女長幼,皆隨願度之。因以會于大齋。丁巳,金清平歸國。即漂著朴刺破等付清平等,返于本土。戊午,耽羅遣王子都羅朝貢。
八月の辛卯が朔の乙巳の日、飛鳥寺で大きく齋を設けて、一切經を讀みました。そして天皇は寺の南門に御して三寶を禮みました。
このとき、親王、諸王および群卿に詔して、人ごとに一人を出家させました。その出家する者は男女、長幼を問わず、皆願いに随って度しました。それによって大きな齋に會まりました。
丁巳の日、金清平が国に歸りました。そのまま漂い著いた朴刺破らを清平らに付けて、本の土に返しました。
戊午の日、耽羅が王子の都羅を遣わして朝貢しました。
44浮浪の人
九月庚申朔己丑,詔曰:「凡浮浪人其送本土者,猶復還到,則彼此並科課役。」
九月の庚申が朔の己丑の日、詔して言いました。「およそ浮かれ浪う人を本の土に送ったのに、なお復た還り到れば、彼にも此にも並びに課役を科せ」
45官を任じる
冬十月庚寅朔癸卯,內小錦上河邊臣百枝爲民部卿,內大錦下丹比公麻呂爲攝津職大夫。
冬十月の庚寅が朔の癸卯の日、內小錦上の河邊臣百枝(かわべのおみももえ)を民部卿とし、內大錦下の丹比公麻呂(たじひのきみまろ)を攝津職の大夫としました。
46赤い烏
十一月己未朔,雨不告朔。筑紫大宰獻赤烏。則大宰府諸司人賜祿各有差。且專捕赤烏者,賜爵五級,乃當郡郡司等,加增爵位。因給復郡內百姓,以一年之。是日,大赦天下。己卯,新嘗。辛巳,百寮諸有位人等賜食。乙酉,侍奉新嘗神官及國司等賜祿。
十一月の己未が朔の日、雨が降って朔を告げませんでした。
筑紫の大宰が赤い烏を獻りました。そこで大宰府の諸司の人に祿を賜り、それぞれ差がありました。また專ら赤い烏を捕らえた者に爵五級を賜り、そしてその郡の郡司らに爵位を加え增しました。それによって郡の内の百姓に、一年の復を給いました。
この日、天下に大赦しました。
己卯の日、新嘗をしました。辛巳の日、百寮の諸の位ある人らに食を賜りました。乙酉の日、新嘗に侍り奉った神の官および国司らに祿を賜りました。
47雪が降る
十二月己丑朔,雪不告朔。
十二月の己丑が朔の日、雪が降って朔を告げませんでした。
48齋宮を豎てる
春正月戊午朔甲戌,射于南門。己卯,耽羅人向京。是春,將祠天神地祇,而天下悉祓禊之。豎齋宮於倉梯河上。
春正月の戊午が朔の甲戌の日、南門で射ました。
己卯の日、耽羅の人が京に向かいました。
この春、天神地祇を祠ろうとして、天下がことごとく祓い禊ぎました。齋宮を倉梯河(くらはしがわ)の上に豎てました。
49十市皇女が卒る
夏四月丁亥朔,欲幸齋宮,卜之。癸巳,食卜。仍取平旦時,警蹕既動,百寮成列,乘輿命蓋,以未及出行,十市皇女卒然病發,薨於宮中。由此鹵簿既停,不得幸行。遂不祭神祇矣。己亥,霹靂新宮西廳柱。庚子,葬十市皇女於赤穗。天皇臨之降恩以發哀。
夏四月の丁亥が朔の日、齋宮に幸しようとして、卜いました。癸巳の日、卜に食いました。
そこで平旦の時を取って、警蹕(けいひつ)がすでに動き、百寮が列を成し、乘輿に蓋を命じました。ところがまだ出て行かないうちに、十市皇女が卒然に病を発して、宮の中で薨りました。これによって鹵簿(ろぼ)はすでに停まって、幸し行くことができませんでした。ついに神祇を祭りませんでした。
己亥の日、新しい宮の西の廳の柱に霹靂が落ちました。
庚子の日、十市皇女を赤穗(あかほ)に葬りました。天皇は臨んで恩を降し、哀を発しました。
50瑞しい稻
秋九月,忍海造能麻呂獻瑞稻五莖,每莖有枝。由是徒罪以下,悉赦之。三位稚狹王薨之。
秋九月、忍海造能麻呂(おしぬみのみやつこよしまろ)が瑞しい稻五莖を獻りましたが、莖ごとに枝がありました。これによって徒罪以下を、ことごとく赦しました。
三位の稚狹王が薨りました。
51甘露が降る
冬十月甲申朔,有物如綿,零於難波。長五、六尺,廣七、八寸,則隨風以飄于松林及葦原。時人曰:「甘露也。」己酉,詔曰:「凡內外文武官,每年史以上其屬官人等,公平而恪懃者,議其優劣,則定應進階。正月上旬以前,具記送法官。則法官校定,申送大辨官。然緣公事以出使之日,其非真病及重服,輕緣小故而辭者,不在進階之例。」
冬十月の甲申が朔の日、綿のような物があって、難波に零りました。長さが五、六尺、広さが七、八寸で、風に随って松林と葦原に飄りました。そのときの人は言いました。「甘露である」
己酉の日、詔して言いました。
「およそ內外の文武の官は、每年、史以上がその属する官人らが公平で恪しく懃めているかを議って、その優劣を定め、進めるべき階を定めよ。正月の上旬より前に、具えに記して法官に送れ。そこで法官が校べ定めて、大辨官に申し送れ。しかし公の事によって使に出た日に、真の病と重い服でもなく、軽い小さな故によって辭する者は、階を進める例にない」
52筑紫の大地震
十二月癸丑朔己卯,臘子鳥弊天,自西南飛東北。是月,筑紫國大地動之。地裂廣二丈,長三千餘丈,百姓舍屋,每村多仆壞。是時,百姓一家有岡上。當于地動夕,以岡崩處遷。然家既全,而無破壞。家人不知岡崩家避。但會明後知,以大驚焉。
十二月の癸丑が朔の己卯の日、臘子鳥(あとり)が天を弊って、西南から東北へ飛びました。
この月、筑紫国で大きく地が動きました。地が裂けて広さが二丈、長さが三千余丈でした。百姓の舍や屋が、村ごとに多く仆れ壞れました。
このとき、百姓の一家が岡の上にありました。地が動いた夕べに、岡の崩れた所に遷りました。しかし家はすでに全くて、破れ壞れることがありませんでした。家の人は岡が崩れて家が避れたことを知りませんでした。ただ明け方の後に知って、大いに驚きました。
53消勿らが海で散る
是年,新羅送使奈末加良井山、奈末金紅世,到于筑紫曰:「新羅王遣汲飡金消勿、大奈末金世世等,貢上當年之調。仍遣臣井山送消勿等。俱逢暴風於海中。以消勿等皆散之,不知所如。唯井山僅得著岸。」然消勿等,遂不來焉。
この年、新羅の送る使の奈末の加良井山、奈末の金紅世が、筑紫に到って言いました。
「新羅王が汲飡の金消勿、大奈末の金世世らを遣わして、その年の調を貢り上げさせました。そのうえ臣の井山を遣わして消勿らを送らせました。ともに海の中で暴い風に逢いました。消勿らは皆散って、行った所が分かりません。ただ井山だけが僅かに岸に著くことができました」
しかし消勿らは、ついに来ませんでした。
54拜む禮を定める
春正月壬午朔丙戌,新羅送使加良井山、金紅世等向京。戊子,詔曰:「凡當正月之節,諸王、諸臣及百寮者,除兄姊以上親、己氏長,以外莫拜焉。其諸王者雖母,非王姓者莫拜。凡諸臣亦莫拜卑母。雖非正月節,復准此。若有犯者,隨事罪之。」己亥,射于南門。
春正月の壬午が朔の丙戌の日、新羅の送る使の加良井山、金紅世らが京に向かいました。
戊子の日、詔して言いました。「およそ正月の節に当たって、諸王、諸臣および百寮は、兄姊以上の親と己の氏の長を除いて、それ以外は拜むな。諸王は母であっても、王の姓でない者は拜むな。およそ諸臣もまた卑しい母を拜むな。正月の節でなくても、またこれに准える。もし犯す者があれば、事に随って罪する」
己亥の日、南門で射ました。
55高麗の使者
二月壬子朔,高麗遣上部大相桓父、下部大相師需婁等朝貢。因以,新羅遣奈末甘勿那,送桓父等於筑紫。甲寅,紀臣堅麻呂卒。以壬申年之功,贈大錦上位。乙卯,詔曰:「及于辛巳年,檢校親王、諸臣及百寮人之兵及馬。故豫貯焉。」是月,降大恩恤貧乏,以給其飢寒。
二月の壬子が朔の日、高麗が上部の大相の桓父、下部の大相の師需婁らを遣わして朝貢しました。それによって、新羅が奈末の甘勿那を遣わして、桓父らを筑紫まで送りました。
甲寅の日、紀臣堅麻呂(きのおみかたまろ)が卒りました。壬申の年の功によって、大錦上位を贈りました。
乙卯の日、詔して言いました。「辛巳の年に及んで、親王、諸臣および百寮の人の兵と馬を檢べ校べる。だからあらかじめ貯えておけ」
この月、大きな恩を降して貧しく乏しい者を恤れみ、その飢えと寒さを給いました。
56瀨田の先鋒が死ぬ
三月辛巳朔丙戌,兵衛大分君稚見死。當壬申大役,爲先鋒之破瀨田營。由是功,贈外小錦上位。丁亥,天皇幸於越智,拜後岡本天皇陵。己丑,吉備大宰石川王病之薨於吉備。天皇聞之大哀,則降大恩,云云。贈諸王二位。壬寅,貧乏僧尼,施絁、綿、布。
三月の辛巳が朔の丙戌の日、兵衛の大分君稚見(おおきだのきみわかみ)が死にました。壬申の大きな役に当たって、先鋒として瀨田の營を破りました。この功によって、外小錦上位を贈りました。
丁亥の日、天皇は越智(おち)に幸して、後岡本天皇の陵を拜みました。
己丑の日、吉備の大宰の石川王が病んで吉備で薨りました。天皇はこれを聞いて大いに哀しみ、そこで大きな恩を降しました。云云とあります。諸王二位を贈りました。
壬寅の日、貧しく乏しい僧尼に、絁、綿、布を施しました。
57寺の名を定める
夏四月辛亥朔乙卯,詔曰:「商量諸有食封寺所由,而可加加之,可除除之。」是日,定諸寺名也。己未,祭廣瀨、龍田神。
夏四月の辛亥が朔の乙卯の日、詔して言いました。「食封のある諸の寺の由るところを商い量って、加えるべきは加え、除くべきは除け」
この日、諸の寺の名を定めました。
己未の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
58吉野の盟い
五月庚辰朔甲申,幸于吉野宮。乙酉,天皇詔皇后及草壁皇子尊、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子曰:「朕今日與汝等俱盟于庭,而千歲之後,欲無事。奈之何?」皇子等共對曰:「理實灼然。」則草壁皇子尊先進盟曰:「天神地祇及天皇証也。吾兄弟長幼并十餘王,各出于異腹。然不別同異,俱隨天皇敕,而相扶無忤。若自今以後,不如此盟者,身命亡之,子孫絕之。非忘,非失矣。」五皇子以次相盟,如先。然後天皇曰:「朕男等各異腹而生,然今如一母同產慈之。」則披襟抱其六皇子。因以盟曰:「若違茲盟,忽亡朕身。」皇后之盟,且如天皇。丙戌,車駕還宮。己丑,六皇子共拜天皇於大殿前。
五月の庚辰が朔の甲申の日、吉野宮に幸しました。
乙酉の日、天皇は皇后および草壁皇子尊、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子(かわしまのみこ)、忍壁皇子、芝基皇子(しきのみこ)に詔して言いました。「朕は今日、お前たちと共に庭で盟い、千歲の後にも事のないようにしたいと思う。どうであろうか」
皇子らは共に對えて言いました。「理は実に灼らかです」
そこで草壁皇子尊がまず進んで盟って言いました。「天神地祇と天皇が証です。我が兄弟の長幼、あわせて十余の王は、それぞれ異なる腹から出ました。しかし同じ異なるを別けず、ともに天皇の敕に随って、相い扶けて忤うことはありません。もし今より以後、この盟いのようでなければ、身と命は亡び、子孫は絕えましょう。忘れることなく、失うことはありません」
五人の皇子は次をもって相い盟い、先のようにしました。
その後、天皇は言いました。「朕の男たちはそれぞれ異なる腹から生まれた。しかし今は一人の母から同じく產まれたように慈しむ」
そこで襟を披いてその六人の皇子を抱きました。それによって盟って言いました。「もしこの盟いに違えば、たちまち朕の身は亡びよう」
皇后の盟いも、また天皇のようでした。
丙戌の日、車駕は宮に還りました。己丑の日、六人の皇子は共に大殿の前で天皇を拜みました。
59雹が降る
六月庚戌朔,冰零。大如桃子。壬申,雩。乙亥,大錦上大伴社屋連,卒。
六月の庚戌が朔の日、冰が零りましたが、大きさが桃の子ほどでした。壬申の日、雩をしました。乙亥の日、大錦上の大伴社屋連(おおとものこそやのむらじ)が卒りました。
60雨乞い
秋七月己卯朔甲申,雩。壬辰,祭廣瀨、龍田神。乙未,四位葛城王,卒。
秋七月の己卯が朔の甲申の日、雩をしました。壬辰の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。乙未の日、四位の葛城王(かずらきのおおきみ)が卒りました。
61細馬を見る
八月己酉朔,詔曰:「諸氏貢女人。」己未,幸泊瀨,以宴迹驚淵上。先是,詔王卿曰:「乘馬之外,更設細馬,隨召出之。」即自泊瀨還宮之日,看群卿儲細馬於迹見驛家道頭,皆令馳走。庚午,縵造忍勝獻嘉禾。異畝同穎。癸酉,大宅王,卒。
八月の己酉が朔の日、詔して言いました。「諸の氏は女人を貢れ」
己未の日、泊瀨に幸して、迹驚淵(とどろきのふち)の上で宴しました。
これより先、王と卿に詔して言いました。「乘る馬の外に、更に細馬(よきうま)を設けて、召しに随って出せ」
そこで泊瀨から宮に還る日に、群卿が細馬を迹見(とみ)の驛家の道の頭に儲けているのを看て、皆を馳せ走らせました。
庚午の日、縵造忍勝(かずらのみやつこおしかつ)が嘉い禾を獻りました。畝を異にして穎を同じくしていました。
癸酉の日、大宅王(おおやけのおおきみ)が卒りました。
62使者たちが拜む
九月戊寅朔癸巳,遣新羅使人等,返之拜朝。庚子,遣高麗使人、遣耽羅使人等,返之共拜朝庭。
九月の戊寅が朔の癸巳の日、新羅に遣わした使人らが、返って朝に拜しました。
庚子の日、高麗に遣わした使人、耽羅に遣わした使人らが、返って共に朝庭に拜しました。
63暴惡を治める
冬十月戊申朔己酉,詔曰:「朕聞之:『近日暴惡者,多在巷里。』是則王卿等之過也。或聞暴惡者也,煩之忍而不治。或見惡人也,倦之匿以不正。其隨見聞以糺彈者,豈有暴惡乎?是以自今以後,無煩倦,而上責下過,下諫上暴,乃國家治焉。」戊午,地震。庚申,敕制僧尼等威儀及法服之色,并馬、從者往來巷閭之狀。甲子,新羅遣阿飡金項那、沙飡薩虆生朝貢也。調物,金、銀、鐵、鼎、錦、絹、布、皮、馬、狗、騾、駱駝之類十餘種,亦別獻物。天皇、皇后、太子,貢金、銀、刀、旗之類,各有數。是月,敕曰:「凡諸僧尼者,常住寺內,以護三寶。然或及老,或患病,其永臥狹房,久苦老疾者,進止不便,淨地亦穢。是以自今以後,各就親族及篤信者,而立一、二舍屋于間處,老者養身,病者服藥。」
冬十月の戊申が朔の己酉の日、詔して言いました。
「朕が聞くところでは、『近日、暴く惡い者が、巷や里に多くいる』という。これは王と卿らの過ちである。ある者は暴く惡い者のことを聞いても、煩わしくて忍んで治めない。ある者は惡い人を見ても、倦んで匿して正さない。見聞きしたままに糺し彈けば、どうして暴く惡いことがあろうか。そのため今より以後は、煩わしがり倦むことなく、上が下の過ちを責め、下が上の暴さを諫めれば、国家は治まる」
戊午の日、地が震えました。
庚申の日、敕して僧尼らの威儀と法服の色、あわせて馬と従者が巷や閭を往き来する狀を制しました。
甲子の日、新羅が阿飡の金項那、沙飡の薩虆生を遣わして朝貢しました。調の物は、金、銀、鐵、鼎、錦、絹、布、皮、馬、狗、騾、駱駝などの類の十余種で、また別に獻る物がありました。天皇、皇后、太子に、金、銀、刀、旗などの類を貢りましたが、それぞれ数がありました。
この月、敕して言いました。「およそ諸の僧尼は、常に寺の内に住んで、三寶を護る。しかしある者は老いに及び、ある者は病を患って、狹い房に永く臥し、久しく老いと疾に苦しむ者は、進み止まるのに便ではなく、淨らかな地もまた穢れる。そのため今より以後は、それぞれ親族と篤く信じる者のもとに就いて、一つ二つの舍屋を間かな処に立てて、老いた者は身を養い、病んだ者は藥を服せ」
64難波に城を築く
十一月丁丑朔庚寅,地震。已亥,大乙下倭馬飼部造連爲大使,小乙下上寸主光父爲小使,遣多禰嶋。仍賜爵一級。是月,初置關於龍田山、大坂山。仍難波築羅城。
十一月の丁丑が朔の庚寅の日、地が震えました。
己亥の日、大乙下の倭馬飼部造連(やまとのうまかいべのみやつこむらじ)を大使とし、小乙下の上寸主光父(かみつうしぬしのみつちか)を小使として、多禰嶋に遣わしました。そのうえ爵一級を賜りました。
この月、初めて關を龍田山、大坂山に置きました。そのうえ難波に羅城を築きました。
65嘉禾によって祿を賜る
十二月丁未朔戊申,由嘉禾,以親王、諸王、諸臣及百官人等給祿各有差。大辟罪以下悉赦之。
十二月の丁未が朔の戊申の日、嘉い禾によって、親王、諸王、諸臣および百官の人らに祿を給い、それぞれ差がありました。大辟の罪以下をことごとく赦しました。
66芝草と瑞しい稻
是年,紀伊國伊刀郡貢芝草。其狀似菌,莖長一尺,其蓋二圍。亦因播國貢瑞稻。每莖有枝。
この年、紀伊国の伊刀郡が芝草を貢りました。その狀は菌に似て、莖の長さが一尺、その蓋が二圍でした。また因播国が瑞しい稻を貢りました。莖ごとに枝がありました。
67忌部に連を賜る
春正月丁丑朔甲申,天皇御于向小殿,而宴王卿於大殿之庭。是日,忌部首首賜姓曰連。則與弟色弗,共悅拜。癸巳,親王以下至于小建,射南門。丙申,攝津國言:「活田村桃李實也。」
春正月の丁丑が朔の甲申の日、天皇は向小殿(むかいのおどの)に御して、王と卿に大殿の庭で宴しました。
この日、忌部首首(いむべのおびとおびと)に姓を賜って連といいました。そこで弟の色弗(しこぶち)と共に悅んで拜みました。
癸巳の日、親王以下、小建に至るまで、南門で射ました。
丙申の日、攝津国が言いました。「活田村(いくたのむら)で桃と李が実りました」
68新羅の仕丁が歸る
二月丙午朔癸亥,如鼓音聞于東方。辛未,有人云:「得鹿角於葛城山。其角本二枝而末合有宍。宍上有毛,毛長一寸。則異以獻之。」蓋驎角歟。壬申,新羅仕丁八人,返于本土。仍垂恩以賜祿有差。
二月の丙午が朔の癸亥の日、鼓の音のようなものが東の方に聞こえました。
辛未の日、ある人が言いました。「鹿の角を葛城山で得ました。その角は本が二枝で末が合して宍があります。宍の上に毛があり、毛の長さが一寸です。そこで異しんで獻ります」おそらく驎の角でしょうか。
壬申の日、新羅の仕丁の八人が、本の土に返りました。そのうえ恩を垂れて祿を賜り、差がありました。
69白い巫鳥を貢る
三月丙子朔乙酉,攝津國貢白巫鳥。戊戌,幸于菟田吾城。
三月の丙子が朔の乙酉の日、攝津国が白い巫鳥を貢りました。戊戌の日、菟田の吾城に幸しました。
夾注 1
巫鳥,此云芝苔苔。
巫鳥は、芝苔苔(しとと)と読みます。
70寺を官が治めること
夏四月乙巳朔甲寅,祭廣瀨、龍田神。乙卯,橘寺尼房失火,以焚十房。己巳,饗新羅使人項那等於筑紫。賜祿各有差。是月,敕:「凡諸寺者,自今以後,除爲國大寺二三,以外官司莫治。唯其有食封者,先後限三十年。若數年滿三十則除之。且以爲,飛鳥寺不可關于司治。然元爲大寺而官恒治。復嘗有功。是以猶入官治之例。」
夏四月の乙巳が朔の甲寅の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
乙卯の日、橘寺の尼の房に失火して、十の房を焚きました。
己巳の日、新羅の使人の項那らを筑紫で饗えました。祿を賜り、それぞれ差がありました。
この月、敕して言いました。
「およそ諸の寺は、今より以後、国のための大寺の二つ三つを除いて、それ以外は官司が治めるな。ただし食封のある所は、先も後も三十年を限りとする。もし数えた年が三十に満ちれば除く。また思うに、飛鳥寺は司の治めるところに関わるべきではない。しかしもともと大寺であって官が常に治め、また嘗て功があった。そのため、なお官が治める例に入れる」
71金光明經を說く
五月乙亥朔,敕:「絁、綿、絲、布以施于京內二十四寺。各有差。」是日,始說金光明經于宮中及諸寺。丁亥,高麗遣南部大使卯問、西部大兄俊德等朝貢。仍新羅遣大奈末考那,送高麗使人卯問等於筑紫。乙未,小錦下秦造綱手卒。由壬申年之功,贈大錦上位。辛丑,小錦中星川臣麻呂卒。以壬申年之功,贈大紫位。
五月の乙亥が朔の日、敕しました。「絁、綿、絲、布を京の内の二十四の寺に施し、それぞれ差があるようにせよ」
この日、初めて金光明經を宮の中と諸の寺で說きました。
丁亥の日、高麗が南部の大使の卯問、西部の大兄の俊德らを遣わして朝貢しました。そのうえ新羅が大奈末の考那を遣わして、高麗の使人の卯問らを筑紫まで送りました。
乙未の日、小錦下の秦造綱手(はたのみやつこつなて)が卒りました。壬申の年の功によって、大錦上位を贈りました。
辛丑の日、小錦中の星川臣麻呂(ほしかわのおみまろ)が卒りました。壬申の年の功によって、大紫位を贈りました。
72雷と電
六月甲辰朔戊申,新羅客項那等歸國。辛亥,灰零。丁巳,雷電之甚也。
六月の甲辰が朔の戊申の日、新羅の客の項那らが国に歸りました。辛亥の日、灰が零りました。丁巳の日、雷と電が甚しくありました。
73相次ぐ死
秋七月甲戌朔,飛鳥寺西槻枝,自折而落之。戊寅,天皇幸犬養連大伴家,以臨病。即降大恩,云云。是日,雩之。辛巳,祭廣瀨、龍田神。癸未,朱雀有南門。庚寅,朴井連子麻呂授小錦下位。癸巳,飛鳥寺弘聰僧終。遣大津皇子、高市皇子而弔之。丙申,小錦下三宅連石床卒。由壬申年功,贈大錦下位。戊戌,納言兼宮內卿五位舍人王,病之臨死。則遣高市皇子而訊之。明日,卒。天皇大驚,乃遣高市皇子、川嶋皇子,因以臨殯哭之。百寮者從而發哀。
秋七月の甲戌が朔の日、飛鳥寺の西の槻の枝が、自ら折れて落ちました。
戊寅の日、天皇は犬養連大伴の家に幸して、病を臨み見ました。そこで大きな恩を降しました。云云とあります。この日、雩をしました。
辛巳の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。癸未の日、朱い雀が南門にいました。
庚寅の日、朴井連子麻呂(えのいのむらじこまろ)に小錦下位を授けました。
癸巳の日、飛鳥寺の弘聰僧(こうそうのほうし)が終りました。大津皇子、高市皇子を遣わして弔いました。
丙申の日、小錦下の三宅連石床が卒りました。壬申の年の功によって、大錦下位を贈りました。
戊戌の日、納言兼宮內卿の五位の舍人王(とねりのおおきみ)が病んで死に臨みました。そこで高市皇子を遣わして訊ねさせました。明くる日、卒りました。天皇は大いに驚いて、そこで高市皇子、川嶋皇子を遣わし、それによって殯に臨んで哭きました。百寮は従って哀を発しました。
74大水と大風
八月癸卯朔丁未,法官人貢嘉禾。是日始之三日,雨大水。丙辰,大風折木破屋。
八月の癸卯が朔の丁未の日、法官の人が嘉い禾を貢りました。この日から三日、雨が降って大水になりました。丙辰の日、大風が木を折り屋を破りました。
75朝嬬に幸する
九月癸酉朔辛巳,幸于朝嬬。因以看大山位以下之馬於長柄社。乃俾馬的射之。乙未,地震。己亥,桑內王卒於私家。
九月の癸酉が朔の辛巳の日、朝嬬(あさづま)に幸しました。それによって大山位以下の馬を長柄社(ながらのもり)で看ました。そこで馬の上から的を射させました。
乙未の日、地が震えました。己亥の日、桑內王(くわのうちのおおきみ)が私の家で卒りました。
76貧しい者を恤れむ
冬十月壬寅朔乙巳,恤京內諸寺貧乏僧尼及百姓,而賑給之。一每僧尼,各絁四匹、綿四屯、布六端、沙彌及白衣,各絁二匹、綿二屯、布四端。
冬十月の壬寅が朔の乙巳の日、京の内の諸の寺の貧しく乏しい僧尼と百姓を恤れんで、賑わし給いました。一人の僧尼ごとに、それぞれ絁四匹、綿四屯、布六端、沙彌および白衣には、それぞれ絁二匹、綿二屯、布四端でした。
77藥師寺を興す
十一月壬申朔,日蝕之。甲戌,自戌至子,東方明焉。乙亥,高麗人十九人,返于本土。是當後岡本天皇之喪,而弔使留之,未還者也。戊寅,詔百官曰:「若有利國家、寬百姓之術者,詣闕親申。則詞合於理,立爲法則。」辛巳,雷於西方。癸未,皇后體不豫。則爲皇后誓願之,初興藥師寺。仍度一百僧。由是得安平。是日,赦罪。丁亥,月蝕。遣草壁皇子,訊惠妙僧之病。明日,惠妙僧終。乃遣三皇子而弔之。乙未,新羅遣沙飡金若弼、大奈末金原升進調。則習言者三人從若弼至。丁酉,天皇病之。因以度一百僧,俄而愈之。辛丑,臘子鳥蔽天,自東南飛,以度西北。
十一月の壬申が朔の日、日が蝕けました。
甲戌の日、戌から子まで、東の方が明るくありました。
乙亥の日、高麗人の十九人が、本の土に返りました。これは後岡本天皇の喪に当たって、弔う使として留まり、まだ還らなかった者たちです。
戊寅の日、百官に詔して言いました。「もし国家を利し、百姓を寬くする術のある者は、闕に詣って親ら申せ。その詞が理に合えば、立てて法則とする」
辛巳の日、西の方で雷が鳴りました。
癸未の日、皇后の體が豫からずありました。そこで皇后のために誓願して、初めて藥師寺を興しました。そのうえ一百の僧を度しました。これによって安く平らかになりました。この日、罪を赦しました。
丁亥の日、月が蝕けました。草壁皇子を遣わして、惠妙僧(えみょうのほうし)の病を訊ねさせました。明くる日、惠妙僧が終りました。そこで三人の皇子を遣わして弔いました。
乙未の日、新羅が沙飡の金若弼、大奈末の金原升を遣わして調を進めました。そこで言を習う者三人が若弼に従って至りました。
丁酉の日、天皇が病みました。それによって一百の僧を度すと、やがて愈えました。
辛丑の日、臘子鳥が天を蔽って、東南から飛んで、西北へ度りました。
78神宮を修理する
春正月辛未朔壬申,頒幣帛於諸神祇。癸酉,百寮諸人拜朝庭。丁丑,天皇御向小殿而宴之。是日,親王、諸王引入內安殿,諸臣皆侍于外安殿,共置酒以賜樂。則大山上草香部吉志大形授小錦位,仍賜姓曰難波連。辛巳,敕境部連石積,封六十戶,因以給絁三十疋、綿百五十斤、布百五十端、钁一百口。丁亥,親王以下小建以上,射于朝庭。己丑,詔畿內及諸國,修理天社地社神宮。
春正月の辛未が朔の壬申の日、幣帛を諸の神祇に頒けました。
癸酉の日、百寮の諸人が朝庭に拜しました。
丁丑の日、天皇は向小殿に御して宴しました。この日、親王、諸王を內の安殿(やすみどの)に引き入れ、諸臣は皆外の安殿に侍らせて、共に酒を置いて樂を賜りました。そこで大山上の草香部吉志大形(くさかべのきしおおかた)に小錦位を授け、そのうえ姓を賜って難波連(なにわのむらじ)といいました。
辛巳の日、境部連石積(さかいべのむらじいわつみ)に敕して、六十戶を封じ、それによって絁三十疋、綿百五十斤、布百五十端、钁一百口を給いました。
丁亥の日、親王以下、小建以上が、朝庭で射ました。
己丑の日、畿内および諸国に詔して、天の社、地の社の神宮を修め理めさせました。
79律令を定めようとする
二月庚子朔甲子,天皇、皇后共居于大極殿,以喚親王、諸王及諸臣,詔之曰:「朕今更欲定律令,改法式。故俱修是事。然頓就是務,公事有闕。分人應行。」是日,立草壁皇子尊爲皇太子。因以令攝萬機。戊辰,阿倍夫人薨。己巳,小紫位當麻公豐濱薨。
二月の庚子が朔の甲子の日、天皇と皇后が共に大極殿に居て、親王、諸王および諸臣を喚んで、詔して言いました。「朕は今、更に律令を定め、法式を改めようと思う。だから共にこの事を修めよ。しかしたちまちこの務めにばかり就けば、公の事に闕けるところがある。人を分けて行うべきである」
この日、草壁皇子尊を立てて皇太子としました。それによって萬機を攝らせました。
戊辰の日、阿倍夫人(あへのおおとじ)が薨りました。己巳の日、小紫位の當麻公豐濱(たぎまのきみとよはま)が薨りました。
80帝紀と上古の事を記す
三月庚午朔癸酉,葬阿倍夫人。丙戌,天皇御于大極殿,以詔川嶋皇子、忍壁皇子、廣瀨王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連首、小錦下阿曇連稻敷、難波連大形、大山上中臣連大嶋、大山下平群臣子首,令記定帝紀及上古諸事。大嶋、子首,親執筆以錄焉。庚寅,地震。甲午,天皇居新宮井上,而試發鼓、吹之聲。仍令調習。
三月の庚午が朔の癸酉の日、阿倍夫人を葬りました。
丙戌の日、天皇は大極殿に御して、川嶋皇子、忍壁皇子、廣瀨王、竹田王、桑田王、三野王、大錦下の上毛野君三千(かみつけののきみみちぢ)、小錦中の忌部連首、小錦下の阿曇連稻敷、難波連大形、大山上の中臣連大嶋(なかとみのむらじおおしま)、大山下の平群臣子首(へぐりのおみこおびと)に詔して、帝紀および上古の諸の事を記し定めさせました。大嶋、子首が、親ら筆を執って錄しました。
庚寅の日、地が震えました。
甲午の日、天皇は新しい宮の井の上に居て、試みに鼓と吹の声を発させました。そのうえ調え習わせました。
81禁式九十二條
夏四月己亥朔庚子,祭廣瀨、龍田神。辛丑,立禁式九十二條。因以詔之曰:「親王以下,至于庶民,諸所服用金、銀、珠玉、紫、錦、繡、綾及氈褥、冠、帶并種種雜色之類,服用各有差。」辭具有詔書。庚戌,錦織造小分、田井直吉麻呂,次田倉人椹足。、石勝,川內直縣,忍海造鏡、荒田、能麻呂,大狛造百枝、足坏,倭直龍麻呂、門部直大嶋、宍人造老、山背狛烏賊麻呂,并十四人賜姓曰連。乙卯,饗高麗客卯問等於筑紫。賜祿有差。
夏四月の己亥が朔の庚子の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
辛丑の日、禁式九十二條を立てました。それによって詔して言いました。「親王以下、庶民に至るまで、諸の服い用いる金、銀、珠玉、紫、錦、繡、綾および氈褥(けむしろ)、冠、帶、あわせて種種の雜しい色の類は、服い用いるのにそれぞれ差がある」辭は具えに詔書にあります。
庚戌の日、錦織造小分(にしごりのみやつこおわけ)、田井直吉麻呂(たいのあたいよしまろ)、次田倉人椹足(すきたのくらひとむくたり)、石勝(いわかつ)、川內直縣(かわちのあたいあがた)、忍海造鏡(おしぬみのみやつこかがみ)、荒田(あらた)、能麻呂(よしまろ)、大狛造百枝(おおこまのみやつこももえだ)、足坏(あしつき)、倭直龍麻呂(やまとのあたいたつまろ)、門部直大嶋(かどべのあたいおおしま)、宍人造老(ししひとのみやつこおゆ)、山背狛烏賊麻呂(やましろのこまのいかまろ)、あわせて十四人に姓を賜って連といいました。
乙卯の日、高麗の客の卯問らを筑紫で饗えました。祿を賜り、差がありました。
夾注 1
椹,此云武矩。
椹は、武矩(むく)と読みます。
82宮人を過ぎて敬うを禁じる
五月己巳朔己卯,祭皇祖御魂。是日,詔曰:「凡百寮諸人,恭敬宮人過之甚也。或詣其門謁己之訟,或捧幣以媚於其家。自今以後,若有如此者,隨事共罪之。」甲午,高麗卯問歸之。
五月の己巳が朔の己卯の日、皇祖の御魂を祭りました。
この日、詔して言いました。「およそ百寮の諸人が、宮人を恭み敬うことが過ぎて甚しい。ある者はその門に詣って己の訟えを謁い、ある者は幣を捧げてその家に媚びる。今より以後、もしこのような者があれば、事に随って共に罪する」
甲午の日、高麗の卯問が歸りました。
83新羅の客若弼をもてなす
六月己亥朔癸卯,饗新羅客若弼於筑紫。賜祿各有差。乙卯,雩之。壬戌,地震。
六月の己亥が朔の癸卯の日、新羅の客の若弼を筑紫で饗えました。祿を賜り、それぞれ差がありました。乙卯の日、雩をしました。壬戌の日、地が震えました。
84新羅と高麗に使者を遣わす
秋七月戊辰朔,朱雀見之。辛未,小錦下采女臣竹羅爲大使,當摩公楯爲小使,遣新羅國。是日,小錦下佐伯連廣足爲大使,小墾田臣麻呂爲小使,遣高麗國。丁丑,祭廣瀨、龍田神。丁酉,令天下,悉大解除。當此時,國造等各出祓柱奴婢一口而解除。
秋七月の戊辰が朔の日、朱い雀が見えました。
辛未の日、小錦下の采女臣竹羅(うねめのおみつくら)を大使とし、當摩公楯(たぎまのきみたて)を小使として、新羅国に遣わしました。この日、小錦下の佐伯連廣足を大使とし、小墾田臣麻呂(おはりだのおみまろ)を小使として、高麗国に遣わしました。
丁丑の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
丁酉の日、天下に令して、ことごとく大きな解除をさせました。このときに当たって、国造らはそれぞれ祓の柱として奴婢一口を出して解除しました。
85皇后の大齋
閏七月戊戌朔壬子,皇后誓願之大齋,以說經於京內諸寺。
閏七月の戊戌が朔の壬子の日、皇后が誓願した大きな齋のために、京の内の諸の寺で經を說きました。
86三韓の人の課役を免じる
八月丁卯朔丁丑,大錦下上毛野君三千卒。丙子,詔三韓諸人曰:「先日復十年調、稅既訖。且加以,歸化初年,俱來之子孫並課役悉免焉。」壬午,伊勢國貢白茅鴟。丙戌,遣多禰嶋使人等,貢多禰國圖。其國去京五千餘里,居筑紫南海中。切髮草裳,粳稻常豐,一殖兩收。土毛,支子、莞子及種種海物等多。是日,若弼歸國。
八月の丁卯が朔の丁丑の日、大錦下の上毛野君三千が卒りました。
丙子の日、三韓の諸の人に詔して言いました。「先の日に十年の調と稅を復したことはすでに終わった。またそれに加えて、歸化した初めの年に、ともに来た子孫は並びに課役をことごとく免じる」
壬午の日、伊勢国が白い茅鴟(つちすどり)を貢りました。
丙戌の日、多禰嶋に遣わした使人らが、多禰国の圖を貢りました。その国は京を去って五千余里、筑紫の南の海の中にあります。髮を切って草の裳を著け、粳の稻が常に豐かで、一たび殖えて二たび收めます。土の毛(産物)は、支子(くちなし)、莞子(かんすい)および種種の海の物などが多くあります。
この日、若弼が国に歸りました。
87氏上を定める
九月丁酉朔己亥,遣高麗、新羅使人等,共至之拜朝。辛丑,周芳國貢赤龜。乃放嶋宮池。甲辰,詔曰:「凡諸氏有氏上未定者,各定氏上而申送于理官。」庚戌,饗多禰嶋人等于飛鳥寺西河邊,奏種種樂。壬子,彗星見。癸丑,熒惑入月。
九月の丁酉が朔の己亥の日、高麗、新羅に遣わした使人らが、共に至って朝に拜しました。
辛丑の日、周芳国(すおうのくに)が赤い龜を貢りました。そこで嶋宮の池に放ちました。
甲辰の日、詔して言いました。「およそ諸の氏で氏上のまだ定まっていない所は、それぞれ氏上を定めて理官(おさむるつかさ)に申し送れ」
庚戌の日、多禰嶋の人らを飛鳥寺の西の河邊で饗えて、種種の樂を奏しました。
壬子の日、彗星が見えました。癸丑の日、熒惑(けいこく)が月に入りました。
88新羅王が薨る
冬十月丙寅朔,日蝕之。癸未,地震。乙酉,新羅遣沙㖨一吉飡金忠平、大奈末金壹世貢調。金、銀、銅、鐵、錦、絹、鹿皮、細布之類,各有數。別獻天皇、皇后、太子,金、銀、霞錦、幡、皮之類,各有數。庚寅,詔曰:「大山位以下小建以上人等,各述意見。」是月,天皇將蒐於廣瀨野,而行宮構訖,裝束既備。然車駕遂不幸矣。唯親王以下及群卿皆居于輕市,而檢校裝束鞍馬。小錦以上大夫皆列坐於樹下,大山位以下者皆親乘之,共隨大路自南行北。新羅使者至而告曰:「國王薨。」
冬十月の丙寅が朔の日、日が蝕けました。癸未の日、地が震えました。
乙酉の日、新羅が沙㖨の一吉飡の金忠平、大奈末の金壹世を遣わして調を貢りました。金、銀、銅、鐵、錦、絹、鹿の皮、細い布などの類は、それぞれ数がありました。別に天皇、皇后、太子に、金、銀、霞錦、幡、皮などの類を獻りましたが、それぞれ数がありました。
庚寅の日、詔して言いました。「大山位以下、小建以上の人らは、それぞれ意見を述べよ」
この月、天皇は廣瀨野で蒐りをしようとして、行宮が構え終わり、裝束もすでに備わりました。しかし車駕はついに幸しませんでした。ただ親王以下と群卿は皆輕(かる)の市に居て、裝束と鞍馬を檢べ校べました。小錦以上の大夫は皆樹の下に列び坐り、大山位以下の者は皆親ら乘って、共に大路に随って南から北へ行きました。
新羅の使者が至って告げて言いました。「国王が薨りました」
89地が震える
十一月丙申朔丁酉,地震。
十一月の丙申が朔の丁酉の日、地が震えました。
90位を授ける
十二月乙丑朔甲戌,小錦下河邊臣子首遣筑紫,饗新羅客忠平。癸巳,田中臣鍛師、柿本臣猨、田部連國忍、高向臣麻呂、粟田臣真人、物部連麻呂、中臣連大嶋、曾禰連韓犬、書直智德并壹拾人,授小錦下位。是日,舍人造糠虫、書直智德,賜姓曰連。
十二月の乙丑が朔の甲戌の日、小錦下の河邊臣子首を筑紫に遣わして、新羅の客の忠平を饗えさせました。
癸巳の日、田中臣鍛師(たなかのおみかぬち)、柿本臣猨(かきのもとのおみさる)、田部連國忍(たべのむらじくにおし)、高向臣麻呂(たかむくのおみまろ)、粟田臣真人(あわたのおみまひと)、物部連麻呂、中臣連大嶋、曾禰連韓犬、書直智德、あわせて壹拾人に、小錦下位を授けました。
この日、舍人造糠虫(とねりのみやつこあらむし)、書直智德に、姓を賜って連といいました。
91冰上夫人が薨る
春正月乙未朔癸卯,大山上舍人連糠虫授小錦下位。乙巳,饗金忠平於筑紫。壬子,冰上夫人薨于宮中。癸丑,地動。辛酉,葬冰上夫人於赤穗。
春正月の乙未が朔の癸卯の日、大山上の舍人連糠虫に小錦下位を授けました。
乙巳の日、金忠平を筑紫で饗えました。
壬子の日、冰上夫人が宮の中で薨りました。癸丑の日、地が動きました。辛酉の日、冰上夫人を赤穗に葬りました。
92糠虫が卒る
二月甲子朔乙亥,金忠平歸國。是月,小錦下舍人連糠虫卒。以壬申年之功,贈大錦上位。
二月の甲子が朔の乙亥の日、金忠平が国に歸りました。
この月、小錦下の舍人連糠虫が卒りました。壬申の年の功によって、大錦上位を贈りました。
93食封を返させる
三月甲午朔,命小紫三野王及宮內官大夫等,遣于新城,令見其地形。仍將都矣。乙未,陸奧國蝦夷二十二人,賜爵位。庚子,地震。丙午,命境部連石積等,更肇俾造新字一部四十四卷。己酉,幸于新城。辛酉,詔曰:「親王以下,百寮諸人,自今已後,位冠及襅、褶、脛裳莫著。亦膳夫、采女等之手繦、肩巾,並莫服。」是日,詔曰:「親王以下至于諸臣,被給食封皆止之,更返於公。」是月,土師連真敷卒。以壬申年功,贈大錦上位。
三月の甲午が朔の日、小紫の三野王および宮內官の大夫らに命じて、新しい城に遣わして、その地の形を見させました。そのうえ都そうとしてのことです。
乙未の日、陸奧国の蝦夷二十二人に、爵位を賜りました。庚子の日、地が震えました。
丙午の日、境部連石積らに命じて、更に初めて新しい字一部四十四卷を造らせました。
己酉の日、新しい城に幸しました。
辛酉の日、詔して言いました。「親王以下、百寮の諸人は、今より已後、位の冠および襅(ひれ)、褶、脛裳(はばき)を著けるな。また膳夫(かしわで)、采女らの手繦(たすき)、肩巾も、並びに服けるな」
この日、詔して言いました。「親王以下、諸臣に至るまで、給わった食封は皆止める。更に公に返す」
この月、土師連真敷(はじのむらじましき)が卒りました。壬申の年の功によって、大錦上位を贈りました。
夾注 1
肩巾,此云比例。
肩巾は、比例(ひれ)と読みます。
94髮を結ばせる
夏四月癸亥朔辛未,祭廣瀨、龍田神。癸末,筑紫大宰丹比真人嶋等貢大鐘。甲申,越蝦夷伊高岐那等,請俘人七十戶爲一郡。乃聽之。乙酉,詔曰:「自今以後,男女悉結髮。十二月三十日以前結訖之。唯結髮之日,亦待敕旨。」婦女乘馬如男夫,其起于是日也。
夏四月の癸亥が朔の辛未の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
癸末の日、筑紫の大宰の丹比真人嶋(たじひのまひとしま)らが大きな鐘を貢りました。
甲申の日、越の蝦夷の伊高岐那(いたきな)らが、俘の人七十戶で一つの郡とすることを請いました。そこで聴しました。
乙酉の日、詔して言いました。「今より以後、男女はことごとく髮を結べ。十二月の三十日より前に結び終えよ。ただし髮を結ぶ日は、また敕旨を待て」
婦女が男夫のように馬に乘ることは、この日に起こりました。
95倭漢に連を賜る
五月癸巳朔甲辰,倭漢直等,賜姓曰連。戊申,遣高麗大使佐伯連廣足、小使小墾田臣麻呂等,奏使旨於御所。己未,倭漢直等男女悉參赴之,悅賜姓而拜朝。
五月の癸巳が朔の甲辰の日、倭漢直らに、姓を賜って連といいました。
戊申の日、高麗に遣わす大使の佐伯連廣足、小使の小墾田臣麻呂らが、使の旨を御所で奏しました。
己未の日、倭漢直らの男女がことごとく参り赴いて、姓を賜ったことを悅んで朝に拜しました。
96男夫が髮を結う
六月壬戌朔,高麗王遣下部助有掛婁毛切、大古昂加,貢方物。則新羅遣大那末金釋起,送高麗使人於筑紫。丁卯,男夫始之結髮。仍著漆紗冠。癸酉,五位殖栗王卒。
六月の壬戌が朔の日、高麗王が下部の助有掛婁毛切、大古昂加を遣わして、方物を貢りました。そこで新羅が大那末の金釋起を遣わして、高麗の使人を筑紫まで送りました。
丁卯の日、男夫が初めて髮を結いました。そのうえ漆を塗った紗の冠を著けました。
癸酉の日、五位の殖栗王(えぐりのおおきみ)が卒りました。
97隼人が相撲を取る
秋七月壬辰朔甲午,隼人多來貢方物。是日,大隅隼人與阿多準人,相撲於朝庭。大隅隼人勝之。庚子,小錦中膳臣摩漏病。遣草壁皇子尊、高市皇子,而訊病。壬寅,祭廣瀨、龍田神。戊申,地震。己酉,膳臣摩漏卒。天皇驚之大哀。壬子,摩漏臣,以壬申年之功,贈大紫位及祿。更皇后賜物亦准官賜。丙辰,多禰人、掖玖人、阿麻彌人賜祿。各有差。戊午,饗隼人等於飛鳥寺之西,發種種樂。仍賜祿各有差。道俗悉見之。是日,信濃國、吉備國並言:「霜降,亦大風。五榖不登。」
秋七月の壬辰が朔の甲午の日、隼人(はやと)が多く来て方物を貢りました。この日、大隅の隼人と阿多の隼人が、朝庭で相撲を取りました。大隅の隼人が勝ちました。
庚子の日、小錦中の膳臣摩漏(かしわでのおみまろ)が病みました。草壁皇子尊、高市皇子を遣わして、病を訊ねさせました。
壬寅の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。戊申の日、地が震えました。
己酉の日、膳臣摩漏が卒りました。天皇は驚いて大いに哀しみました。
壬子の日、摩漏臣に、壬申の年の功によって、大紫位と祿を贈りました。更に皇后が賜った物も、また官の賜りものに准えました。
丙辰の日、多禰の人、掖玖(やく)の人、阿麻彌(あまみ)の人に祿を賜り、それぞれ差がありました。
戊午の日、隼人らを飛鳥寺の西で饗えて、種種の樂を発しました。そのうえ祿を賜り、それぞれ差がありました。道の者も俗の者もことごとく見ました。
この日、信濃国、吉備国が並びに言いました。「霜が降り、また大風が吹いて、五榖が登りませんでした」
98天の變
八月壬戌朔,令親王以下及諸臣,各俾申法式應用之事。甲子,饗高麗客於筑紫。是夕昏時,大星自東度西。丙寅,造法令殿內有大虹。壬申,有物,形如灌頂幡,而火色。浮空流北,每國皆見。或曰:「入越海。」是日,白氣起於東山。其大四圍。癸酉,大地動。戊寅,亦地震動。是日平旦,有虹,當于天中央,以向日。甲戌,筑紫大宰言:「有三足雀。」癸未,詔禮儀、言語之狀。且詔曰:「凡諸應考選者,能檢其族姓及景迹,方後考之。若雖景迹、行能灼然,其族姓不定者,不在考選之色。」己丑,敕:「爲日高皇女之病,大辟罪以下男女并一百九十八人,皆赦之。」庚寅,百四十餘人出家於大官大寺。
八月の壬戌が朔の日、親王以下および諸臣に、それぞれ法式に用いるべき事を申させました。
甲子の日、高麗の客を筑紫で饗えました。この夕べの昏れ時、大きな星が東から西へ度りました。
丙寅の日、法令を造る殿の内に大きな虹がありました。
壬申の日、ある物があって、形が灌頂の幡のようで、火の色でした。空に浮かんで北へ流れ、国ごとに皆が見ました。ある人が言いました。「越の海に入った」
この日、白い氣が東の山から起こりました。その大きさは四圍でした。
癸酉の日、大きく地が動きました。戊寅の日、また地が震え動きました。この日の平旦、虹があって、天の中央に当たって、日に向かいました。
甲戌の日、筑紫の大宰が言いました。「三つ足の雀がいます」
癸未の日、禮儀と言語の狀を詔しました。また詔して言いました。「およそ諸の考え選ばれるべき者は、よくその族の姓と景迹(ありさま)を檢べて、その後に考えよ。もし景迹と行いと能が灼らかであっても、その族の姓が定まっていない者は、考え選ぶ色(たぐい)にない」
己丑の日、敕しました。「日高皇女(ひだかのひめみこ)の病のために、大辟の罪以下、男女あわせて一百九十八人を、皆赦す」
庚寅の日、百四十余人が大官大寺で出家しました。
夾注 1
日高皇女,更名新家皇女。
日高皇女は、別の名が新家皇女(にいのみのひめみこ)です。
99立つ禮
九月辛丑朔壬辰,敕:「自今以後,跪禮、匍匐禮,並止之。更用難波朝庭之立禮。」庚子,日中,數百鸖當大宮,以高翔於空。四剋而皆散。
九月の辛丑が朔の壬辰の日、敕しました。「今より以後、跪く禮、匍匐う禮は、並びに止める。更に難波の朝庭の立つ禮を用いよ」
庚子の日、日中、数百の鸖(つる)が大宮に当たって、空高く翔びました。四剋の後に皆散りました。
100大酺
冬十月辛酉朔戊辰,大酺。
冬十月の辛酉が朔の戊辰の日、大きな酺(さかもり)をしました。
101法を犯した者を糺す
十一月庚寅朔乙巳,詔曰:「親王、諸王及諸臣,至于庶民,悉可聽之。凡糾彈犯法者,或禁省之中,或朝庭之中,其於過失發處,即隨見隨聞無匿弊而糺彈。其有犯重者,應請則請,當捕則捉。若對捍以不見捕者,起當處兵而捕之。當杖色,乃杖一百以下,節級決之。亦犯狀灼然,欺言無罪,則不伏辨以爭訴者,累加其本罪。」
十一月の庚寅が朔の乙巳の日、詔して言いました。
「親王、諸王および諸臣、庶民に至るまで、ことごとく聴くがよい。およそ法を犯した者を糾し彈くことは、禁省の中であれ、朝庭の中であれ、その過失が発れた処で、すぐに見るに随い聞くに随って、匿し弊うことなく糺し彈け。その中で重い罪を犯した者は、請うべきは請い、捕らえるべきは捉えよ。もし對い捍んで捕らえられない者は、その処の兵を起こして捕らえよ。杖の色に当たるものは、杖一百以下で、節と級に分けて決めよ。また犯した狀が灼らかなのに、罪がないと欺き言い、辨えに伏さずに爭い訴える者は、その本の罪に累ね加えよ」
102氏上を申し送らせる
十二月庚申朔壬戌,詔曰:「諸氏人等,各定可氏上者而申送。亦其眷族多在者,則分各定氏上,並申送於官司。然後斟酌其狀,而處分之。因承官判。唯因小故,而非己族者,輙莫附。」九、整備僧綱制等
十二月の庚申が朔の壬戌の日、詔して言いました。「諸の氏の人らは、それぞれ氏上とすべき者を定めて申し送れ。またその眷族が多くある所は、分けてそれぞれ氏上を定めて、並びに官司に申し送れ。その後にその狀を斟み酌んで、處分する。それによって官の判を承けよ。ただし小さな故によって、己の族でない者を、たやすく附けるな」
103三国の樂を奏する
春正月己丑朔庚寅,百寮拜朝庭。筑紫大宰丹比真人嶋等,貢三足雀。乙未,親王以下及群卿,喚于大極殿前而宴之。仍以三足雀,示于群臣。丙午,詔曰:「明神御大八洲倭根子天皇敕命者,諸國司、國造、郡司及百姓等,諸可聽矣。朕初登鴻祚以來,天瑞非一二,多至之。傳聞:『其天瑞者,行政之理,協于天道,則應之。』是今當于朕世,每年重至。一則以懼,一則以嘉。是以親王、諸王及群卿、百寮并天下黎民,共相歡也。乃小建以上,給祿各有差。因以大辟罪以下,皆赦之。亦百姓課役並免焉。」是日,奏小墾田儛及高麗、百濟、新羅,三國樂於庭中。
春正月の己丑が朔の庚寅の日、百寮が朝庭に拜しました。筑紫の大宰の丹比真人嶋らが、三つ足の雀を貢りました。
乙未の日、親王以下および群卿を、大極殿の前に喚んで宴しました。そのうえ三つ足の雀を、群臣に示しました。
丙午の日、詔して言いました。
「明らかな神として大八洲を御する倭根子天皇(やまとねこのてんのう)の敕命である。諸国の司、国造、郡司および百姓らは、ことごとく聴くがよい。朕が初めて鴻い祚に登って以来、天の瑞は一つ二つではなく、多く至った。傳え聞くところでは、『その天の瑞とは、政を行う理が天の道に協えば、応えるものである』という。それが今、朕の世に当たって、每年重ねて至る。一つには懼れ、一つには嘉ぶ。そのため親王、諸王および群卿、百寮、あわせて天下の黎民は、共に相い歡べ」
そこで小建以上に、祿を給い、それぞれ差がありました。それによって大辟の罪以下を、皆赦しました。また百姓の課役も並びに免じました。
この日、小墾田の儛と、高麗、百濟、新羅の三つの国の樂を庭の中で奏しました。
104大津皇子が朝政を聽く
二月己未朔,大津皇子始聽朝政。
二月の己未が朔の日、大津皇子が初めて朝の政を聽きました。
105僧綱を置く
三月戊子朔己丑,任僧正、僧都、律師。因以敕曰:「統領僧尼如法。」云云。丙午,遣多禰使人等返之。
三月の戊子が朔の己丑の日、僧正、僧都、律師を任じました。それによって敕して言いました。「僧尼を統べ領めることは法のようにせよ」云云とあります。
丙午の日、多禰に遣わした使人らが返りました。
106銅錢を用いさせる
夏四月戊午朔壬申,詔曰:「自今以後,必用銅錢,莫用銀錢。」乙亥,詔曰:「用銀莫止。」戊寅,祭廣瀨、龍田神。
夏四月の戊午が朔の壬申の日、詔して言いました。「今より以後、必ず銅の錢を用い、銀の錢を用いるな」
乙亥の日、詔して言いました。「銀を用いることは止めるな」
戊寅の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
107大伴連望多が薨る
六月丁巳朔己未,大伴連望多薨。天皇大驚之,則遣泊瀨王而弔之,仍舉壬申年勳績及先祖等每時有功,以顯寵賞。乃贈大紫位,發鼓吹葬之。壬戌,三位高坂王薨。
六月の丁巳が朔の己未の日、大伴連望多(おおとものむらじもちた)が薨りました。天皇は大いに驚いて、そこで泊瀨王(はつせのおおきみ)を遣わして弔い、そのうえ壬申の年の勳と績、および先の祖らが時ごとに功のあったことを挙げて、寵と賞を顯しました。そこで大紫位を贈り、鼓と吹を発して葬りました。
壬戌の日、三位の高坂王が薨りました。
108百濟の僧が雨を祈る
秋七月丙戌朔己丑,天皇幸鏡姬王之家,訊病。庚寅,鏡姬王薨。是夏,始請僧尼,安居于宮中。因簡淨行者三十人出家。庚子,雩之。癸卯,天皇巡行于京師。乙巳,祭廣瀨、龍田神。是月始至八月,旱之。百濟僧道藏雩之,得雨。
秋七月の丙戌が朔の己丑の日、天皇は鏡姬王(かがみのひめみこ)の家に幸して、病を訊ねました。庚寅の日、鏡姬王が薨りました。
この夏、初めて僧尼を請じて、宮の中で安居させました。それによって淨らかな行いの者三十人を簡んで出家させました。
庚子の日、雩をしました。癸卯の日、天皇は京師を巡り行きました。乙巳の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
この月から八月に至るまで、旱りました。百濟の僧の道藏が雩をして、雨を得ました。
109吹負が卒る
八月丙辰朔庚申,大赦天下。大伴連男吹負卒。以壬申年之功,贈大錦中位。
八月の丙辰が朔の庚申の日、天下に大赦しました。
大伴連男吹負が卒りました。壬申の年の功によって、大錦中位を贈りました。
110三十八氏に連を賜る
九月乙酉朔丙戌,大風。丁未,倭直、栗隈首、水取造、矢田部造、藤原部造、刑部造、福草部造、凡川內直、川內漢直、物部首、山背直、葛城直、殿服部造、門部直、錦織造、縵造、鳥取造、來目舍人造、檜隈舍人造、大狛造、秦造、川瀨舍人造、倭馬飼造、川內馬飼造、黃文造、蓆集造、勾筥作造、石上部造、財日奉造、埿部造、穴穗部造、白髮部造、忍海造、羽束造、文首、小泊瀨造、百濟造、語造,凡三十八氏,賜姓曰連。
九月の乙酉が朔の丙戌の日、大風が吹きました。
丁未の日、倭直、栗隈首、水取造、矢田部造、藤原部造、刑部造、福草部造、凡川內直、川內漢直、物部首、山背直、葛城直、殿服部造、門部直、錦織造、縵造、鳥取造、來目舍人造、檜隈舍人造、大狛造、秦造、川瀨舍人造、倭馬飼造、川內馬飼造、黃文造、蓆集造、勾筥作造、石上部造、財日奉造、埿部造、穴穗部造、白髮部造、忍海造、羽束造、文首、小泊瀨造、百濟造、語造、およそ三十八の氏に、姓を賜って連といいました。
111十四氏に連を賜る
冬十月乙卯朔己未,三宅吉士、草壁吉士、伯耆造、船史、壹伎史、娑羅羅馬飼造、菟野馬飼造、吉野首、紀酒人直、采女造、阿直使、高市縣主、磯城縣主、鏡作造,并十四氏,賜姓曰連。丁卯,天皇狩于倉梯。
冬十月の乙卯が朔の己未の日、三宅吉士、草壁吉士、伯耆造、船史、壹伎史、娑羅羅馬飼造、菟野馬飼造、吉野首、紀酒人直、采女造、阿直使、高市縣主、磯城縣主、鏡作造、あわせて十四の氏に、姓を賜って連といいました。
丁卯の日、天皇は倉梯で狩りました。
112陣法を習わせる
十一月甲申朔丁亥,詔諸國,習陣法。丙申,新羅遣沙飡金主山、大那末金長志進調。
十一月の甲申が朔の丁亥の日、諸国に詔して、陣法を習わせました。
丙申の日、新羅が沙飡の金主山、大那末の金長志を遣わして調を進めました。
113国の境を分ける
十二月甲寅朔丙寅,遣諸王五位伊勢王、大錦下羽田公八國、小錦下多臣品治、小錦下中臣連大嶋,并判官、錄史、工匠者等,巡行天下,而限分諸國之境堺。然是年,不堪限分。庚午,詔曰:「諸文武官人及畿內有位人等,四孟月,必朝參。若有死病,不得集者,當司具記申送法官。」又詔曰:「凡都城、宮室非一處,必造兩參。故先欲都難波。是以百寮者各往之請家地。」十、軍事進止與威儀高揚,制定八色姓
十二月の甲寅が朔の丙寅の日、諸王五位の伊勢王(いせのおおきみ)、大錦下の羽田公八國(はたのきみやくに)、小錦下の多臣品治、小錦下の中臣連大嶋、あわせて判官、錄史、工匠らを遣わして、天下を巡り行かせ、諸国の境堺を限り分けさせました。しかしこの年は、限り分けることに堪えられませんでした。
庚午の日、詔して言いました。「諸の文武の官人および畿内の位ある人らは、四つの孟の月に、必ず朝に参れ。もし死ぬような病があって、集まれない者は、当たる司が具えに記して法官に申し送れ」
また詔して言いました。「およそ都城、宮室は一つの処ではなく、必ず両つ三つ造るべきである。だからまず難波に都そうと思う。そのため百寮はそれぞれ往って家の地を請え」
114射の能い人
春正月甲申朔庚子,三野縣主、內藏衣縫造二氏賜姓曰連。丙午,天皇御于東庭,群卿侍之。時召能射人及侏儒、左右舍人等射之。
春正月の甲申が朔の庚子の日、三野縣主、內藏衣縫造の二つの氏に姓を賜って連といいました。
丙午の日、天皇は東の庭に御して、群卿が侍りました。そのとき射の能い人と侏儒、左右の舍人らを召して射させました。
115都すべき地を見せる
二月癸丑朔丙子,饗金主山於筑紫。庚辰,遣淨廣肆廣瀨王、小錦中大伴連安麻呂及判官、錄事、陰陽師、工匠等於畿內,令視占應都之地。是日,遣三野王、小錦下采女臣筑羅等於信濃,令看地形。將都是地歟。
二月の癸丑が朔の丙子の日、金主山を筑紫で饗えました。
庚辰の日、淨廣肆の廣瀨王、小錦中の大伴連安麻呂および判官、錄事、陰陽師、工匠らを畿内に遣わして、都とすべき地を視て占わせました。
この日、三野王、小錦下の采女臣筑羅らを信濃に遣わして、地の形を看させました。この地に都そうとしてのことでしょうか。
116宮室の地を定める
三月癸未朔庚寅,吉野人宇閉直弓貢白海石榴。辛卯,天皇巡行於京師,而定宮室之地。乙巳,金主山歸國。
三月の癸未が朔の庚寅の日、吉野の人の宇閉直弓(うへのあたいゆみ)が白い海石榴を貢りました。
辛卯の日、天皇は京師を巡り行って、宮室の地を定めました。
乙巳の日、金主山が国に歸りました。
117高向臣麻呂を新羅に遣わす
夏四月壬子朔丙辰,徒罪以下,皆免之。甲子,祭廣瀨大忌神、龍田風神。辛未,小錦下高向臣麻呂爲大使,小山下都努臣牛甘爲小使,遣新羅。
夏四月の壬子が朔の丙辰の日、徒罪以下を、皆免じました。
甲子の日、廣瀨の大忌神、龍田の風神を祭りました。
辛未の日、小錦下の高向臣麻呂を大使とし、小山下の都努臣牛甘(つぬのおみうしかい)を小使として、新羅に遣わしました。
118政の要は軍事
閏四月壬午朔丙戌,詔曰:「來年九月,必閱之。因以教百寮之進止、威儀。」又詔曰:「凡政要者,軍事也。是以文武官諸人,務習用兵,及乘馬。則馬、兵,并當身裝束之物,務具儲足。其有馬者爲騎士,無馬者爲步卒。並當試練,以勿障於聚會。若忤詔旨,有不便馬、兵,亦裝束有闕者,親王以下,逮于諸臣,並罰之。大山位以下者,可罰罰之,可杖杖之。其務習以能得業者,若雖死罪,則減二等。唯恃己才以故犯者,不在赦例。」又詔曰:「男女,並衣服者有襴無襴及結紐、長紐,任意服之。其會集之日,著襴衣而著長紐。唯男子者有圭冠冠,而著括緒褌。女年四十以上,髮之結不結,及乘馬縱橫,並任意也。別巫、祝之類,不在結髮之例。」壬辰,三野王等進信濃國之圖。丁酉,設齋于宮中。因以赦有罪舍人等。乙巳,坐飛鳥寺僧福揚以下獄。庚戌,僧福揚自刺頸而死。
閏四月の壬午が朔の丙戌の日、詔して言いました。「来る年の九月に、必ず閱べる。それによって百寮の進み止まりと威儀を教えよ」
また詔して言いました。
「およそ政の要は、軍の事である。そのため文武の官の諸人は、兵を用いることと馬に乘ることを務めて習え。そして馬、兵、あわせて自分の身に裝束する物を、務めて具え儲え足らせよ。馬のある者は騎士となり、馬のない者は步卒となる。並びに試み練って、聚い會うことに障りのないようにせよ。もし詔の旨に忤って、馬や兵が便でなく、また裝束に闕けるところのある者は、親王以下、諸臣に至るまで、並びに罰する。大山位以下の者は、罰すべきは罰し、杖つべきは杖つ。務めて習って能く業を得た者は、たとえ死罪であっても、二等を減ずる。ただし己の才を恃んで故意に犯す者は、赦しの例にない」
また詔して言いました。「男女は、並びに衣服は襴のあるもの、ないもの、および結ぶ紐、長い紐を、意に任せて服せ。會い集まる日には、襴のある衣を著て長い紐を著けよ。ただし男子は圭の冠を冠って、緒を括った褌を著けよ。女で年が四十以上の者は、髮を結ぶも結ばぬも、馬に縱に乘るも橫に乘るも、並びに意に任せる。別に巫、祝の類は、髮を結ぶ例にない」
壬辰の日、三野王らが信濃国の圖を進めました。
丁酉の日、宮の中で齋を設けました。それによって罪のある舍人らを赦しました。
乙巳の日、飛鳥寺の僧の福揚(ふくよう)以下を獄に坐しました。庚戌の日、僧の福揚は自ら頸を刺して死にました。
119百濟の僧俗を武藏に置く
五月辛亥朔甲子,化來百濟僧尼及俗人男女并二十三人,皆安置于武藏國。戊寅,三輪引田君難波麻呂爲大使,桑原連人足爲小使,遣高麗。
五月の辛亥が朔の甲子の日、化り来た百濟の僧尼および俗人の男女、あわせて二十三人を、皆武藏国に安置しました。
戊寅の日、三輪引田君難波麻呂(みわのひきたのきみなにわまろ)を大使とし、桑原連人足(くわばらのむらじひとたり)を小使として、高麗に遣わしました。
120雩をする
六月辛巳朔甲申,雩之。
六月の辛巳が朔の甲申の日、雩をしました。
121彗星が出る
秋七月庚戌朔癸丑,幸于廣瀨。戊午,祭廣瀨、龍田神。壬申,彗星出于西北,長丈餘。
秋七月の庚戌が朔の癸丑の日、廣瀨に幸しました。戊午の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
壬申の日、彗星が西北に出ましたが、長さが丈余りありました。
122八色の姓と大地震
冬十月己卯朔,詔曰:「更改諸氏之族姓,作八色之姓,以混天下萬姓。一曰,真人。二曰,朝臣。三曰,宿禰。四曰,忌寸。五曰,道師。六曰,臣。七曰,連。八曰,稻置。」是日,守山公、路公、高橋公、三國公、當麻公、茨城公、丹比公、豬名公、坂田公、羽田公、息長公、酒人公、山道公十三氏,賜姓曰真人。辛巳,遣伊勢王等,定諸國堺。是日,縣犬養連手繦爲大使,川原連加尼爲小使,遣眈羅。壬辰,逮于人定,大地震。舉國男女叫唱,不知東西,則山崩河涌。諸國郡官舍及百姓倉屋、寺塔、神社,破壞之類,不可勝數。由是人民及六畜多死傷之。時伊豫湯泉沒而不出。土左國田苑五十餘萬頃,沒爲海。古老曰:「若是地動,未曾有也!」是夕,有鳴聲,如鼓聞于東方。有人曰:「伊豆嶋西北二面,自然增益三百餘丈,更爲一嶋。則如鼓音者,神造是嶋響也。」甲午,諸王卿等賜祿。
冬十月の己卯が朔の日、詔して言いました。「更に諸の氏の族と姓を改めて、八色の姓を作って、天下の萬の姓を混える。一は真人(まひと)、二は朝臣(あそみ)、三は宿禰(すくね)、四は忌寸(いみき)、五は道師(みちのし)、六は臣(おみ)、七は連(むらじ)、八は稻置(いなぎ)である」
この日、守山公、路公、高橋公、三國公、當麻公、茨城公、丹比公、豬名公、坂田公、羽田公、息長公、酒人公、山道公の十三の氏に、姓を賜って真人といいました。
辛巳の日、伊勢王らを遣わして、諸国の堺を定めさせました。この日、縣犬養連手繦(あがたのいぬかいのむらじたすき)を大使とし、川原連加尼(かわらのむらじかに)を小使として、眈羅に遣わしました。
壬辰の日、人の定まるころに逮んで、大きく地が震えました。国を挙げて男女が叫び唱えて、東も西も分からず、山が崩れ河が涌きました。諸国と郡の官舍および百姓の倉や屋、寺や塔、神社で、破れ壞れた類は、數え切ることができませんでした。
これによって人民と六畜が多く死に傷つきました。そのとき伊豫の湯泉が沒して出なくなりました。土左国の田と苑の五十余萬頃が、沒して海になりました。
古老が言いました。「このような地の動きは、未だ曾てない」
この夕べ、鳴る声があって、鼓のようなものが東の方に聞こえました。ある人が言いました。「伊豆嶋の西北の二つの面が、自然に三百余丈增し益して、更に一つの嶋になった。つまり鼓の音のようなものは、神がこの嶋を造る響きである」
甲午の日、諸の王と卿らに祿を賜りました。
123五十二氏に朝臣を賜る
十一月戊申朔,大三輪君、大春日臣、阿倍臣、巨勢臣、膳臣、紀臣、波多臣、物部連、平群臣、雀部臣、中臣連、大宅臣、粟田臣、石川臣、櫻井臣、采女臣、田中臣、小墾田臣、穗積臣、山背臣、鴨君、小野臣、川邊臣、櫟井臣、柿本臣、輕部臣、若櫻部臣、岸田臣、高向臣、宍人臣、來目臣、犬上君、上毛野君、角臣、星川臣、多臣、胸方君、車持君、綾君、下道臣、伊賀臣、阿閉臣、林臣、波彌臣、下毛野君、佐味君、道守臣、大野君、坂本臣、池田君、玉手臣、笠臣凡五十二氏,賜姓曰朝臣。庚戌,土左國司言:「大潮高騰,海水飄蕩。由是運調船多放失焉。」戊辰,昏時,七星俱流東北則隕之。庚午,日沒時,星隕東方。大如瓫。逮于戌,天文悉亂,以星隕如雨。是月,有星,孛于中央。與昴星雙而行之。及月盡,失焉。
十一月の戊申が朔の日、大三輪君、大春日臣、阿倍臣、巨勢臣、膳臣、紀臣、波多臣、物部連、平群臣、雀部臣、中臣連、大宅臣、粟田臣、石川臣、櫻井臣、采女臣、田中臣、小墾田臣、穗積臣、山背臣、鴨君、小野臣、川邊臣、櫟井臣、柿本臣、輕部臣、若櫻部臣、岸田臣、高向臣、宍人臣、來目臣、犬上君、上毛野君、角臣、星川臣、多臣、胸方君、車持君、綾君、下道臣、伊賀臣、阿閉臣、林臣、波彌臣、下毛野君、佐味君、道守臣、大野君、坂本臣、池田君、玉手臣、笠臣、およそ五十二の氏に、姓を賜って朝臣といいました。
庚戌の日、土左国司が言いました。「大きな潮が高く騰って、海の水が飄い蕩いました。これによって調を運ぶ船が多く放れ失われました」
戊辰の日、昏れ時に、七つの星がともに東北へ流れて隕ちました。
庚午の日、日の沒む時、星が東の方に隕ちましたが、大きさが瓫ほどでした。戌に逮んで、天文がことごとく乱れて、星が雨のように隕ちました。
この月、星があって、中央に孛(はいぼし)となりました。昴星と雙んで行きましたが、月の尽きるころに及んで、失せました。
124五十氏に宿禰を賜る
十二月戊寅朔己卯,大伴連、佐伯連、阿曇連、忌部連、尾張連、倉連、中臣酒人連、土師連、掃部連、境部連、櫻井田部連、伊福部連、巫部連、忍壁連、草壁連、三宅連、兒部連、手繦丹比連、靫丹比連、漆部連、大湯人連、若湯人連、弓削連、神服部連、額田部連、津守連、縣犬養連、稚犬養連、玉祖連、新田部連、倭文連、冰連、凡海連、山部連、矢集連、狹井連、爪工連、阿刀連、茨田連、田目連、小子部連、菟道連、小治田連、豬使連、海犬養連、間人連、舂米連、美濃矢集連、諸會臣、布留連五十氏,賜姓曰宿禰。癸未,大唐學生土師宿禰甥、白豬史寶然,及百濟役時沒大唐者豬使連子首、筑紫三宅連得許,傳新羅至。則新羅遣大奈末金物儒,送甥等於筑紫。庚寅,除死刑以下罪人,皆咸赦焉。
十二月の戊寅が朔の己卯の日、大伴連、佐伯連、阿曇連、忌部連、尾張連、倉連、中臣酒人連、土師連、掃部連、境部連、櫻井田部連、伊福部連、巫部連、忍壁連、草壁連、三宅連、兒部連、手繦丹比連、靫丹比連、漆部連、大湯人連、若湯人連、弓削連、神服部連、額田部連、津守連、縣犬養連、稚犬養連、玉祖連、新田部連、倭文連、冰連、凡海連、山部連、矢集連、狹井連、爪工連、阿刀連、茨田連、田目連、小子部連、菟道連、小治田連、豬使連、海犬養連、間人連、舂米連、美濃矢集連、諸會臣、布留連の五十の氏に、姓を賜って宿禰といいました。
癸未の日、大唐の學生の土師宿禰甥(はじのすくねおい)、白豬史寶然(しらいのふびとほうねん)、および百濟の役の時に大唐に沒した豬使連子首(いのつかいのむらじこおびと)、筑紫三宅連得許(つくしのみやけのむらじとくこ)が、新羅を傳って至りました。そこで新羅が大奈末の金物儒を遣わして、甥らを筑紫まで送りました。
庚寅の日、死刑を除いてそれ以下の罪人を、皆ことごとく赦しました。
夾注 1
倭文,此云之頭於利。
倭文は、之頭於利(しずおり)と読みます。
125調と役
是年,詔:「伊賀、伊勢、美濃、尾張四國,自今以後,調年免役,役年免調。」倭葛城下郡言:「有四足雞。」亦丹波國冰上郡言:「有十二角犢。」
この年、詔しました。「伊賀、伊勢、美濃、尾張の四つの国は、今より以後、調の年は役を免じ、役の年は調を免じる」
倭の葛城下郡が言いました。「四つ足の雞がいます」また丹波国の冰上郡が言いました。「十二の角のある犢がいます」
126爵位の號を改める
春正月丁未朔戊申,百寮拜朝庭。丁卯,更改爵位之號。仍增加階級。明位二階,淨位四階,每階有大、廣,并十二階。以前諸王已上之位。正位四階,直位四階,勤位四階,務位四階,追位四階,進位四階,每階有大、廣,并四十八階。以前諸臣之位。是日,草壁皇子尊授淨廣壹位,大津皇子授淨大貳位,高市皇子授淨廣貳位,川嶋皇子、忍壁皇子授淨大參位。自此以下諸王、諸臣等增加爵位各有差。
春正月の丁未が朔の戊申の日、百寮が朝庭に拜しました。
丁卯の日、更に爵位の號を改めました。そのうえ階級を增し加えました。明位の二階、淨位の四階で、階ごとに大と廣があって、あわせて十二階です。以上が諸王已上の位です。正位の四階、直位の四階、勤位の四階、務位の四階、追位の四階、進位の四階で、階ごとに大と廣があって、あわせて四十八階です。以上が諸臣の位です。
この日、草壁皇子尊に淨廣壹位を授け、大津皇子に淨大貳位を授け、高市皇子に淨廣貳位を授け、川嶋皇子、忍壁皇子に淨大參位を授けました。これより以下、諸王、諸臣らに爵位を增し加え、それぞれ差がありました。
127三国の人に爵位を賜る
二月丁丑朔庚辰,大唐人、百濟人、高麗人并百四十七人賜爵位。
二月の丁丑が朔の庚辰の日、大唐の人、百濟の人、高麗の人、あわせて百四十七人に爵位を賜りました。
128家ごとに佛舍を作らせる
三月丙午朔己未,饗金物儒於筑紫。即從筑紫歸之。仍流著新羅人七口,附物儒還之。辛酉,京職大夫直大參許勢朝臣辛檀努卒。壬申,詔:「諸國每家,作佛舍,乃置佛像及經,以禮拜供養。」是月,灰零於信濃國,草木皆枯焉。
三月の丙午が朔の己未の日、金物儒を筑紫で饗えました。そのまま筑紫から歸りました。そのうえ流れ著いた新羅人七口を、物儒に附けて還しました。
辛酉の日、京職大夫の直大參の許勢朝臣辛檀努(こせのあそみからたぬ)が卒りました。
壬申の日、詔しました。「諸国は家ごとに、佛舍を作り、そこに佛像と經を置いて、禮み拜んで供え養え」
この月、灰が信濃国に零って、草木が皆枯れました。
129湯泉が沒する
夏四月丙子朔己卯,紀伊國司言:「牟婁湯泉沒而不出也。」丁亥,祭廣瀨、龍田神。壬辰,新羅人金主山歸之。庚寅,始請僧尼,安居于宮中。
夏四月の丙子が朔の己卯の日、紀伊国司が言いました。「牟婁(むろ)の湯泉が沒して出ません」
丁亥の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
壬辰の日、新羅人の金主山が歸りました。
庚寅の日、初めて僧尼を請じて、宮の中で安居させました。
130新羅から至る
五月丙午朔庚戌,射於南門。天皇幸于飛鳥寺,以珍寶奉於佛而禮敬。甲子,直大肆粟田朝臣真人讓位于父。然敕不聽矣。是日,直大參當麻真人廣麻呂卒。以壬申年之功,贈直大壹位。辛未,高向朝臣麻呂、都努朝臣牛飼等至自新羅。乃學問僧觀常、靈觀從至之。新羅王獻物,馬二匹、犬三頭、鸚鵡二隻、鵲二隻及種種物。
五月の丙午が朔の庚戌の日、南門で射ました。天皇は飛鳥寺に幸して、珍しい寶を佛に奉って禮み敬いました。
甲子の日、直大肆の粟田朝臣真人が位を父に讓りました。しかし敕して聴されませんでした。
この日、直大參の當麻真人廣麻呂が卒りました。壬申の年の功によって、直大壹位を贈りました。
辛未の日、高向朝臣麻呂、都努朝臣牛飼らが新羅から至りました。そこで學問の僧の觀常(かんじょう)、靈觀(りょうかん)が従って至りました。新羅王が獻った物は、馬二匹、犬三頭、鸚鵡二隻、鵲二隻と種種の物でした。
131十一氏に忌寸を賜る
六月乙亥朔甲午,大倭連、葛城連、凡川內連、山背連、難波連、紀酒人連、倭漢連、河內漢連、秦連、大隅直、書連并十一氏,賜姓曰忌寸。
六月の乙亥が朔の甲午の日、大倭連、葛城連、凡川內連、山背連、難波連、紀酒人連、倭漢連、河內漢連、秦連、大隅直、書連、あわせて十一の氏に、姓を賜って忌寸といいました。
132朝服の色を定める
秋七月乙巳朔乙丑,祭廣瀨、龍田神。庚午,敕定明位已下進位已上之朝服色。淨位已上並著朱華。正位深紫,直位淺紫,勤位深綠,務位淺綠,追位深蒲萄,進位淺蒲萄。辛未,詔曰:「東山道美濃以東,東海道伊勢以東諸國有位人等,並免課役。」
秋七月の乙巳が朔の乙丑の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
庚午の日、敕して明位已下、進位已上の朝服の色を定めました。淨位已上は並びに朱華(はねず)を著け、正位は深い紫、直位は淺い紫、勤位は深い綠、務位は淺い綠、追位は深い蒲萄、進位は淺い蒲萄です。
辛未の日、詔して言いました。「東山道は美濃より以東、東海道は伊勢より以東の諸国の位ある人らは、並びに課役を免じる」
夾注 1
朱華,此云波泥孺。
朱華は、波泥孺(はねず)と読みます。
133寺に幸する
八月甲戌朔乙酉,天皇幸于淨土寺。丙戌,幸于川原寺。施稻於眾僧。癸巳,遣眈羅使人等還之。
八月の甲戌が朔の乙酉の日、天皇は淨土寺に幸しました。丙戌の日、川原寺に幸しました。眾僧に稻を施しました。
癸巳の日、眈羅に遣わした使人らが還りました。
134諸道に使者を遣わす
九月甲辰朔壬子,天皇宴于舊宮安殿之庭。是日,皇太子以下至于忍壁皇子,賜布各有差。甲寅,遣宮處王、廣瀨王、難波王、竹田王、彌努王於京及畿內,各令校人夫之兵。戊午,直廣肆都努朝臣牛飼爲東海使者,直廣肆石川朝臣虫名爲東山使者,直廣肆佐味朝臣少麻呂爲山陽使者,直廣肆巨勢朝臣粟持爲山陰使者,直廣參路真人迹見爲南海使者,直廣肆佐伯宿禰廣足爲筑紫使者。各判官一人、史一人,巡察國司、郡司及百姓之消息。是日,詔曰:「凡諸歌男、歌女、笛吹者,即傳己子孫,令習歌笛。」辛酉,天皇御大安殿,喚王卿等於殿前,以令博戲。是日,宮處王、難波王、竹田王、三國真人友足、縣犬養宿禰大侶、大伴宿禰御行、境部宿禰石積、多朝臣品治、采女朝臣竹羅、藤原朝臣大嶋凡十人,賜御衣袴。壬戌,皇太子以下及諸王卿并四十八人,賜羆皮、山羊皮。各有差。癸亥,遣高麗國使人等還之。丁卯,爲天皇體不豫之,三日,誦經於大官大寺、川原寺、飛鳥寺。因以稻納三寺。各有差。庚午,化來高麗人等,賜祿各有差。
九月の甲辰が朔の壬子の日、天皇は舊い宮の安殿の庭で宴しました。この日、皇太子以下、忍壁皇子に至るまで、布を賜り、それぞれ差がありました。
甲寅の日、宮處王(みやころのおおきみ)、廣瀨王、難波王、竹田王、彌努王(みぬのおおきみ)を京と畿内に遣わして、それぞれ人夫の兵を校べさせました。
戊午の日、直廣肆の都努朝臣牛飼を東海の使者とし、直廣肆の石川朝臣虫名(いしかわのあそみむしな)を東山の使者とし、直廣肆の佐味朝臣少麻呂を山陽の使者とし、直廣肆の巨勢朝臣粟持(こせのあそみあわもち)を山陰の使者とし、直廣參の路真人迹見(みちのまひととみ)を南海の使者とし、直廣肆の佐伯宿禰廣足を筑紫の使者としました。それぞれ判官一人、史一人を置いて、国司、郡司および百姓の消息を巡り察べさせました。
この日、詔して言いました。「およそ諸の歌男、歌女、笛吹く者は、己の子孫に傳えて、歌と笛を習わせよ」
辛酉の日、天皇は大安殿に御して、王と卿らを殿の前に喚んで、博戲をさせました。この日、宮處王、難波王、竹田王、三國真人友足(みくにのまひとともたり)、縣犬養宿禰大侶、大伴宿禰御行、境部宿禰石積、多朝臣品治、采女朝臣竹羅、藤原朝臣大嶋、およそ十人に、御衣と袴を賜りました。
壬戌の日、皇太子以下および諸の王と卿、あわせて四十八人に、羆の皮、山羊の皮を賜り、それぞれ差がありました。
癸亥の日、高麗国に遣わした使人らが還りました。
丁卯の日、天皇の體が豫からなかったので、三日、大官大寺、川原寺、飛鳥寺で經を誦みました。それによって稻を三つの寺に納め、それぞれ差がありました。
庚午の日、化り来た高麗人らに、祿を賜り、それぞれ差がありました。
135百濟の僧に白朮を煎じさせる
冬十月癸酉朔丙子,百濟僧常輝封三十戶。是僧壽百歲。庚辰,遣百濟僧法藏、優婆塞益田直金鍾於美濃,令煎白朮。因以賜絁、綿、布。壬午,遣輕部朝臣足瀨、高田首新家、荒田尾連麻呂於信濃,令造行宮。蓋擬幸束間溫湯歟。甲申,以淨大肆泊瀨王、直廣肆巨勢朝臣馬飼、判官以下并二十人,任於畿內之役。己丑,伊勢王等亦向于東國。因以賜衣袴。是月,說金剛般若經於宮中。
冬十月の癸酉が朔の丙子の日、百濟の僧の常輝に三十戶を封じました。この僧は壽が百歲です。
庚辰の日、百濟の僧の法藏、優婆塞の益田直金鍾(ますだのあたいこんしゅ)を美濃に遣わして、白朮(おけら)を煎じさせました。それによって絁、綿、布を賜りました。
壬午の日、輕部朝臣足瀨(かるべのあそみあせ)、高田首新家、荒田尾連麻呂(あらたおのむらじまろ)を信濃に遣わして、行宮を造らせました。おそらく束間(つかま)の溫湯に幸しようとしてのことでしょうか。
甲申の日、淨大肆の泊瀨王、直廣肆の巨勢朝臣馬飼、判官以下、あわせて二十人を、畿内の役に任じました。
己丑の日、伊勢王らもまた東国に向かいました。それによって衣と袴を賜りました。
この月、金剛般若經を宮の中で說きました。
136兵器を郡家に收める
十一月癸卯朔甲辰,儲用鐵一萬斤,送於周芳總令所。是日,筑紫大宰請儲用物,絁一百匹、絲一百斤、布三百端、庸布四百常、鐵一萬斤、箭竹二千連。送下於筑紫。丙午,詔四方國曰:「大角、小角、鼓、吹、幡旗及弩、拋之類,不應存私家。咸收于郡家。」戊申,幸白錦後苑。丙寅,法藏法師、金鍾獻白朮煎。是日,爲天皇招魂之。己巳,新羅遣波珍飡金智祥、大阿飡金健勳請政。仍進調。
十一月の癸卯が朔の甲辰の日、儲え用いる鐵一萬斤を、周芳の總令所に送りました。
この日、筑紫の大宰が儲え用いる物を請うたので、絁一百匹、絲一百斤、布三百端、庸布四百常、鐵一萬斤、箭竹二千連を、筑紫に送り下しました。
丙午の日、四方の国に詔して言いました。「大角(おおつのぶえ)、小角、鼓、吹、幡旗および弩、拋の類は、私の家に存くべきではない。ことごとく郡家に收めよ」
戊申の日、白錦後苑(しらにしきのみその)に幸しました。
丙寅の日、法藏法師、金鍾が白朮を煎じたものを獻りました。この日、天皇のために招魂(みたまふり)をしました。
己巳の日、新羅が波珍飡の金智祥、大阿飡の金健勳を遣わして政を請いました。そのうえ調を進めました。
137防人の衣
十二月壬申朔乙亥,遣筑紫防人等,飄蕩海中,皆失衣裳。則爲防人衣服,以布四百五十端給下於筑紫。辛巳,自西發之地震。丁亥,絁、綿、布以施大官大寺僧等。庚寅,皇后命以,王卿等五十五人,賜朝服各一具。
十二月の壬申が朔の乙亥の日、筑紫に遣わした防人(さきもり)らが、海の中で飄い蕩って、皆衣裳を失いました。そこで防人の衣服のために、布四百五十端を筑紫に給い下しました。
辛巳の日、西から発こった地震がありました。
丁亥の日、絁、綿、布を大官大寺の僧らに施しました。
庚寅の日、皇后の命によって、王と卿ら五十五人に、朝服をそれぞれ一具賜りました。
138難波の大藏省が焚ける
春正月壬寅朔癸卯,御大極殿,而賜宴於諸王卿。是日,詔曰:「朕問王卿,以無端事。仍對言得實,必有賜。」於是,高市皇子被問以實對。賜蓁揩御衣三具、錦袴二具、并絁二十匹、絲五十斤、綿百斤、布一百端。伊勢王亦得實。即賜皁御衣三具、紫袴二具、絁七匹、絲二十斤、綿四十斤、布四十端。是日,攝津國人百濟新興,獻白馬瑙。庚戌,請三綱律師及大官大寺知事、佐官并九僧,以俗供養養之。仍施絁、綿、布,各有差。辛亥,諸王卿各賜袍袴一具。甲寅,召諸才人、博士、陰陽師、醫師者并二十餘人,賜食及祿。乙卯,酉時,難波大藏省失火,宮室悉焚。或曰:「阿斗連藥家失火之引,及宮室。唯兵庫職不焚焉。」丁巳,天皇御於大安殿,喚諸王卿賜宴。因以賜絁、綿、布,各有差。是日,天皇問群臣,以無端事。則當時得實,重給絁、綿。戊午,宴後宮。己未,朝庭大酺。是日,御御窟殿前,而倡優等賜祿有差。亦歌人等賜袍袴。庚申,地震。是月,爲饗新羅金智祥,遣淨廣肆川內王、直廣參大伴宿禰安麻呂、直大肆藤原朝臣大嶋、直廣肆境部宿禰鯯魚、直廣肆穗積朝臣虫麻呂等于筑紫。
春正月の壬寅が朔の癸卯の日、大極殿に御して、諸の王と卿に宴を賜りました。この日、詔して言いました。「朕は王と卿に、端のない事を問う。それに對えて実を得た言には、必ず賜りがある」
そこで高市皇子が問いを受けて実で對えました。蓁揩(はりずり)の御衣三具、錦の袴二具、あわせて絁二十匹、絲五十斤、綿百斤、布一百端を賜りました。
伊勢王もまた実を得ました。そこで皁(くろ)の御衣三具、紫の袴二具、絁七匹、絲二十斤、綿四十斤、布四十端を賜りました。
この日、攝津国の人の百濟新興が白い馬瑙(めのう)を獻りました。
庚戌の日、三綱の律師および大官大寺の知事、佐官、あわせて九人の僧を請じて、俗の供養でもてなしました。そのうえ絁、綿、布を施し、それぞれ差がありました。
辛亥の日、諸の王と卿にそれぞれ袍と袴を一具賜りました。
甲寅の日、諸の才人、博士、陰陽師、醫師を、あわせて二十余人召して、食と祿を賜りました。
乙卯の日の酉の時、難波の大藏省に失火して、宮室がことごとく焚けました。ある人が言いました。「阿斗連藥(あとのむらじくすり)の家の失火が引いて、宮室に及んだ。ただ兵庫職だけは焚けなかった」
丁巳の日、天皇は大安殿に御して、諸の王と卿を喚んで宴を賜りました。それによって絁、綿、布を賜り、それぞれ差がありました。
この日、天皇は群臣に、端のない事を問いました。そしてその時に実を得た者に、重ねて絁と綿を給いました。
戊午の日、後宮で宴しました。己未の日、朝庭で大きな酺をしました。この日、御窟殿(みむろどの)の前に御して、倡優(わざひと)らに祿を賜り、差がありました。また歌人らに袍と袴を賜りました。
庚申の日、地が震えました。
この月、新羅の金智祥を饗えるために、淨廣肆の川內王(かわちのおおきみ)、直廣參の大伴宿禰安麻呂、直大肆の藤原朝臣大嶋、直廣肆の境部宿禰鯯魚(さかいべのすくねこのしろ)、直廣肆の穗積朝臣虫麻呂らを筑紫に遣わしました。
139勤位を授ける
二月辛未朔甲戌,御大安殿。侍臣六人授勤位。乙亥,敕:「選諸國司有功者九人,授勤位。」
二月の辛未が朔の甲戌の日、大安殿に御しました。侍る臣六人に勤位を授けました。
乙亥の日、敕しました。「諸国司のうち功のある者九人を選んで、勤位を授けよ」
140八國が卒る
三月辛丑朔丙午,大辨官直大參羽田真人八國病。爲之度僧三人。庚戌,雪之。乙丑,羽田真人八國卒。以壬申年之功,贈直大壹位。
三月の辛丑が朔の丙午の日、大辨官の直大參の羽田真人八國が病みました。そのために僧三人を度しました。
庚戌の日、雪が降りました。
乙丑の日、羽田真人八國が卒りました。壬申の年の功によって、直大壹位を贈りました。
141新羅が調を進める
夏四月庚午朔丁丑,侍醫桑原村主訶都授直廣肆。因以賜姓曰連。壬午,爲饗新羅客等,運川原寺伎樂於筑紫。仍以皇后宮之私稻五千束,納于川原寺。戊子,新羅進調從筑紫貢上。細馬一匹、騾一頭、犬二狗、鏤金器及金、銀、霞錦、綾羅、虎豹皮及藥物之類,并百餘種。亦智祥、健勳等別獻物,金、銀、霞錦、綾羅、金器、屏風、鞍皮、絹布、藥物之類,各六十餘種。別獻皇后、皇太子及諸親王等之物,各有數。丙申,遣多紀皇女、山背姬王、石川夫人於伊勢神宮。
夏四月の庚午が朔の丁丑の日、侍醫の桑原村主訶都(くわばらのすぐりかつ)に直廣肆を授けました。それによって姓を賜って連といいました。
壬午の日、新羅の客らを饗えるために、川原寺の伎樂を筑紫に運びました。そのうえ皇后の宮の私の稻五千束を、川原寺に納めました。
戊子の日、新羅が進めた調が筑紫から貢り上げられました。細馬一匹、騾一頭、犬二狗、鏤めた金の器および金、銀、霞錦、綾羅、虎と豹の皮、藥物の類、あわせて百余種でした。また智祥、健勳らが別に獻った物は、金、銀、霞錦、綾羅、金の器、屏風、鞍の皮、絹と布、藥物の類、それぞれ六十余種でした。別に皇后、皇太子および諸の親王らに獻った物も、それぞれ数がありました。
丙申の日、多紀皇女、山背姬王、石川夫人を伊勢神宮に遣わしました。
142天皇の體が豫からず
五月庚子朔戊申,多紀皇女等至自伊勢。是日,侍醫者百濟人億仁病之臨死。則授勤大壹位,仍封一百戶。癸丑,敕之:「大官大寺封七百戶,乃納稅三十萬束。」丙辰,宮人等增加爵位。癸亥,天皇始體不安。因以於川原寺說藥師經,安居于宮中。戊辰,饗金智祥等於筑紫,賜祿各有差。即從筑紫退之。是月,敕,遣左右大舍人等,掃清諸寺堂塔。則大赦天下,囚獄已空。
五月の庚子が朔の戊申の日、多紀皇女らが伊勢から至りました。
この日、侍醫の百濟人の億仁が病んで死に臨みました。そこで勤大壹位を授け、そのうえ一百戶を封じました。
癸丑の日、敕しました。「大官大寺に七百戶を封じ、そこで稅として納める稻三十萬束を納める」
丙辰の日、宮人らに爵位を增し加えました。
癸亥の日、天皇は初めて體が安からずありました。それによって川原寺で藥師經を說き、宮の中で安居しました。
戊辰の日、金智祥らを筑紫で饗えて、祿を賜り、それぞれ差がありました。そのまま筑紫から退きました。
この月、敕して、左右の大舍人らを遣わして、諸の寺の堂と塔を掃き清めさせました。そして天下に大赦したので、囚の獄はすでに空になりました。
143草薙劍の祟り
六月己巳朔,槻本村主勝麻呂賜姓曰連。仍加勤大壹位,封二十戶。庚午,工匠、陰陽師、侍醫、大唐學生及一二宮人并三十四人,授爵位。乙亥,選諸司人等有功二十八人,增加爵位。戊寅,卜天皇病,祟草薙劍。即日,送置于尾張國熱田社。庚辰,雩之。甲申,遣伊勢王及官人等於飛鳥寺,敕眾僧曰:「近者朕身不和。願,賴三寶之威,以身體欲得安和。是以僧正、僧都及眾僧應誓願。」則奉珍寶於三寶。是日,三綱律師及四寺和上、知事,并現有師位僧等,施御衣、御被各一具。丁亥,敕之:「遣百官人等於川原寺,爲燃燈供養。」仍大齋之悔過也。丙申,法忍僧、義照僧,爲養老,各封三十戶。庚寅,名張廚司災之。
六月の己巳が朔の日、槻本村主勝麻呂(つきもとのすぐりかつまろ)に姓を賜って連といいました。そのうえ勤大壹位を加え、二十戶を封じました。
庚午の日、工匠、陰陽師、侍醫、大唐の學生および一二の宮人、あわせて三十四人に、爵位を授けました。
乙亥の日、諸司の人らのうち功のある二十八人を選んで、爵位を增し加えました。
戊寅の日、天皇の病を卜うと、草薙劍の祟りでした。その日に、尾張国の熱田社に送り置きました。
庚辰の日、雩をしました。
甲申の日、伊勢王および官人らを飛鳥寺に遣わして、眾僧に敕して言いました。「近ごろ朕の身が和まない。願わくは、三寶の威に賴って、身體が安く和らぐことを得たい。そのため僧正、僧都および眾僧は誓願するがよい」
そして珍しい寶を三寶に奉りました。この日、三綱の律師および四つの寺の和上、知事、あわせて今師の位にある僧らに、御衣、御被をそれぞれ一具施しました。
丁亥の日、敕しました。「百官の人らを川原寺に遣わして、燈を燃して供養させよ」そのうえ大きな齋をして悔過しました。
丙申の日、法忍僧、義照僧に、老いを養うために、それぞれ三十戶を封じました。
庚寅の日、名張の廚司に災がありました。
144朱鳥に改元する
秋七月己亥朔庚子,敕:「更男夫著脛裳,婦女垂髮于背,猶如故。」是日,僧正、僧都等參赴宮中,而悔過矣。辛丑,召諸國大解除。壬寅,半減天下之調。仍悉免徭役。癸卯,奉幣於居紀伊國國懸神、飛鳥四社、住吉大神。丙午,請一百僧,讀金光明經於宮中。戊申,雷光南方而一大鳴。則天災於民部省藏庸舍屋。或曰:「忍壁皇子宮失火延,燒民部省。」癸丑,敕曰:「天下之事,不問大小,悉啟于皇后及皇太子。」是日,大赦之。甲寅,祭廣瀨、龍田神。丁巳,詔曰:「天下百姓由貧乏而貸稻及資財者,乙酉年十二月三十日以前,不問公私,皆免原。」戊午,改元曰朱鳥元年。仍名宮曰飛鳥淨御原宮。丙寅,選淨行者七十人以出家。乃設齋於宮中御窟院。是月,諸王臣等爲天皇造觀世音像,則說觀世音經於大官大寺。
秋七月の己亥が朔の庚子の日、敕しました。「更に男夫は脛裳を著け、婦女は髮を背に垂れることを、なお故のようにせよ」
この日、僧正、僧都らが宮の中に参り赴いて、悔過しました。
辛丑の日、諸国を召して大きな解除をしました。
壬寅の日、天下の調を半ばに減じました。そのうえ徭役をことごとく免じました。
癸卯の日、紀伊国に居る國懸神(くにかかすのかみ)、飛鳥の四つの社、住吉の大神に幣を奉りました。
丙午の日、一百の僧を請じて、金光明經を宮の中で讀みました。
戊申の日、南の方で雷が光って、大きく一たび鳴りました。そして民部省の庸を藏めた舍屋に天の災がありました。ある人が言いました。「忍壁皇子の宮に失火して延びて、民部省を燒いた」
癸丑の日、敕して言いました。「天下の事は、大小を問わず、ことごとく皇后および皇太子に啟せ」この日、大赦しました。
甲寅の日、廣瀨、龍田の神を祭りました。
丁巳の日、詔して言いました。「天下の百姓で貧しく乏しいことによって稻や資財を貸し借りた者は、乙酉の年の十二月三十日より前の分は、公も私も問わず、皆免じ原す」
戊午の日、元を改めて朱鳥(あかみとり)元年といいました。そのうえ宮を名づけて飛鳥淨御原宮といいました。
丙寅の日、淨らかな行いの者七十人を選んで出家させました。そこで宮の中の御窟院で齋を設けました。
この月、諸の王と臣らが天皇のために觀世音の像を造り、そして觀世音經を大官大寺で說きました。
夾注 1
朱鳥,此云阿訶美苔利。
朱鳥は、阿訶美苔利(あかみとり)と読みます。
145天皇のために祈る
八月己巳朔,爲天皇度八十僧。庚午,度僧尼并一百。因以坐百菩薩於宮中,讀觀世音經二百卷。丁丑,爲天皇體不豫,祈于神祇。辛巳,遣秦忌寸石勝,奉幣於土左大神。是日,皇太子、大津皇子、高市皇子各加封四百戶。川嶋皇子、忍壁皇子各加百戶。癸未,芝基皇子、磯城皇子各加二百戶。己丑,檜隈寺、輕寺、大漥寺各封百戶。限三十年。辛卯,巨勢寺封二百戶。
八月の己巳が朔の日、天皇のために八十人の僧を度しました。
庚午の日、僧尼あわせて一百を度しました。それによって百の菩薩を宮の中に坐せて、觀世音經二百卷を讀みました。
丁丑の日、天皇の體が豫からなかったので、神祇に祈りました。
辛巳の日、秦忌寸石勝(はたのいみきいわかつ)を遣わして、土左の大神に幣を奉りました。
この日、皇太子、大津皇子、高市皇子にそれぞれ四百戶を加え封じました。川嶋皇子、忍壁皇子にそれぞれ百戶を加えました。
癸未の日、芝基皇子、磯城皇子にそれぞれ二百戶を加えました。
己丑の日、檜隈寺、輕寺、大漥寺にそれぞれ百戶を封じ、三十年を限りとしました。
辛卯の日、巨勢寺に二百戶を封じました。
146天皇が崩る
九月戊戌朔辛丑,親王以下逮于諸臣,悉集川原寺,爲天皇病誓願,云云。丙午,天皇病遂不差,崩于正宮。戊申,始發哭。則起殯宮於南庭。辛酉,殯于南庭,及發哀。當是時,大津皇子謀反於皇太子。甲子,平旦,諸僧尼發哭於殯庭,乃退之。是日,肇進奠,即誄之。第一,大海宿禰蒭蒲誄壬生事。次,淨大肆伊勢王誄諸王事。次,直大參縣犬養宿禰大伴總誄宮內事。次,淨廣肆河內王誄左右大舍人事。次,直大參當摩真人國見誄左右兵衛事。次,直大肆采女朝臣竺羅誄內命婦事。次,直廣肆紀朝臣真人誄膳職事。乙丑,諸僧尼亦哭於殯庭。是日,直大參布勢朝臣御主人誄大政官事。次,直廣參石上朝臣麻呂誄法官事。次,直大肆大三輪朝臣高市麻呂誄理官事。次,直廣參大伴宿禰安麻呂誄大藏事。次,直大肆藤原朝臣大嶋誄兵政官事。丙寅,僧尼亦發哀。是日,直廣肆阿倍久努朝臣麻呂誄刑官事。次,直廣肆紀朝臣弓張誄民官事。次,直廣肆穗積朝臣虫麻呂誄諸國司事。次,大隅、阿多隼人及倭、河內馬飼部造,各誄之。丁卯,僧尼發哀之。是日,百濟王良虞代百濟王善光而誄之。次,國國造等隨參赴,各誄之。仍奏種種歌儛。
九月の戊戌が朔の辛丑の日、親王以下、諸臣に逮るまで、ことごとく川原寺に集まって、天皇の病のために誓願しました。云云とあります。
丙午の日、天皇の病はついに差えず、正宮で崩りました。
戊申の日、初めて哭を発しました。そして殯宮を南の庭に起こしました。
辛酉の日、南の庭に殯めて、哀を発しました。このときに当たって、大津皇子が皇太子に反くことを謀りました。
甲子の日の平旦、諸の僧尼が殯の庭で哭を発して、そこで退きました。この日、初めて奠を進めて、誄(しのびごと)をしました。第一に、大海宿禰蒭蒲(おおあまのすくねしこぶ)が壬生(みぶ)の事を誄しました。次に、淨大肆の伊勢王が諸王の事を誄しました。次に、直大參の縣犬養宿禰大伴が宮內の事を總べて誄しました。次に、淨廣肆の河內王が左右の大舍人の事を誄しました。次に、直大參の當摩真人國見(たぎまのまひとくにみ)が左右の兵衛の事を誄しました。次に、直大肆の采女朝臣竺羅が內命婦の事を誄しました。次に、直廣肆の紀朝臣真人が膳職の事を誄しました。
乙丑の日、諸の僧尼がまた殯の庭で哭きました。この日、直大參の布勢朝臣御主人(ふせのあそみみぬし)が大政官の事を誄しました。次に、直廣參の石上朝臣麻呂が法官の事を誄しました。次に、直大肆の大三輪朝臣高市麻呂が理官の事を誄しました。次に、直廣參の大伴宿禰安麻呂が大藏の事を誄しました。次に、直大肆の藤原朝臣大嶋が兵政官の事を誄しました。
丙寅の日、僧尼がまた哀を発しました。この日、直廣肆の阿倍久努朝臣麻呂(あへのくぬのあそみまろ)が刑官の事を誄しました。次に、直廣肆の紀朝臣弓張(きのあそみゆみはり)が民官の事を誄しました。次に、直廣肆の穗積朝臣虫麻呂が諸国司の事を誄しました。次に、大隅、阿多の隼人および倭、河內の馬飼部造が、それぞれ誄しました。
丁卯の日、僧尼が哀を発しました。この日、百濟王良虞が百濟王善光に代わって誄しました。次に、国々の国造らが参り赴くに随って、それぞれ誄しました。そのうえ種種の歌と儛を奏しました。