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真智王眞智王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 5 · 漢字 161字 · 朗読 0.6分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1真智王が即位する

眞智王立。諱舍輪,眞興王次子。母,思道夫人;妃,知道夫人。太子早卒,故眞智立。

真智王が即位した。名は舍輪で、真興王の次男である。母は思道夫人、王妃は知道夫人である。太子が早くに亡くなったので、真智が立った。

夾注 1

|或云金輪。

金輪ともいう。

2元年 — 居柒夫に国政を委ねる

元年,以伊飡居柒夫爲上大等,委以國事。

元年、伊飡の居柒夫を上大等とし、国政を委ねた。

3二年 — 一善の北で百済を撃ち破る

二年,春二月,王親祀神宮,大赦。冬十月,百濟侵西邊州郡,命伊飡世宗出師,擊破之於一善北,斬獲三千七百級。築內利西城。

二年の春二月、王がみずから神宮を祀り、大赦を行った。冬十月、百済が西辺の州郡を侵したので、伊飡の世宗に命じて兵を出させ、一善の北でこれを撃ち破り、三千七百級を斬り捕らえた。内利西城を築いた。

4三年 — 陳に使者を遣わす

三年,秋七月,遣使於陳以獻方物。侵百濟閼也山城。

三年の秋七月、陳に使者を遣わして土地の産物を献じた。百済の閼也山城を侵した。

5四年 — 王が亡くなる

四年,春二月,百濟築熊峴城、松述城,以梗䔉山城、麻知峴城、內利西城之路。秋七月十七日,王薨。諡曰。眞智,葬于永敬寺北。

四年の春二月、百済が熊峴城と松述城を築き、䔉山城・麻知峴城・内利西城へ通じる道を塞いだ。秋七月十七日、王が亡くなった。諡を真智といい、永敬寺の北に葬った。