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昭聖王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 3 · 漢字 277字 · 朗読 1.1分

三国史記(三国時代の正史) 新羅本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1昭聖王が即位する

昭聖王立。諱俊邕。元聖王太子仁謙之子也。母,金氏;妃,金氏桂花夫人,大阿飡叔明女也。元聖大王元年,封子仁謙爲太子,至七年卒元聖養其子於宮中。五年,奉使大唐,受位大阿飡。六年,以波珍飡爲宰相;七年爲侍中;八年爲兵部令;十一年爲太子,及元聖薨,繼位。

昭聖王が即位した。諱は俊邕、元聖王の太子である仁謙の子である。母は金氏、妃は金氏の桂花夫人で、大阿飡の叔明の娘である。

元聖大王の元年に子の仁謙を封じて太子としたが、七年に至って卒したので、元聖はその子を宮の中で育てた。五年に唐へ使者として行って大阿飡の位を受け、六年に波珍飡で宰相となり、七年に侍中となり、八年に兵部令となり、十一年に太子となって、元聖が薨じると位を継いだ。

夾注 1

或云昭成。

昭聖は、昭成ともいう。

2元年 — 九尺の人参を献じる

元年,春三月,以菁州居老縣爲學生祿邑。冷井縣令廉哲進白鹿。夏五月,追封考惠忠太子爲惠忠大王。牛頭州都督遣使奏言:「有異獸若牛,身長且高,尾長三尺許,無毛長鼻,自峴城川,向烏食壤去。」秋七月,得人蔘九尺,甚異之,遣使如唐進奉,德宗謂非人蔘,不受。八月,追封母金氏爲聖穆太后。漢山州獻白烏。

元年春三月、菁州の居老県を学生の禄邑とした。冷井県令の廉哲が白い鹿を献じた。

夏五月、父の恵忠太子を恵忠大王と追封した。牛頭州の都督が使者を遣わして申し上げた。「牛のような奇しい獣がいますが、体が長くまた高く、尾の長さは三尺ほどで、毛がなく鼻が長いものでした。峴城川から烏食壌の方へ行きました。」

秋七月、九尺の人参を得て、ひどく奇しいこととして、使者を遣わして唐に行き献じたが、徳宗は人参ではないといって受けなかった。

八月、母の金氏を聖穆太后と追封した。漢山州が白い烏を献じた。

3二年 — 昭聖王が薨じる

二年,春正月,封妃金氏爲王后,以忠芬爲侍中。夏四月,暴風折木蜚瓦,瑞蘭殿簾,飛不知處,臨海、仁化二門壞。六月,封王子爲太子。王薨,諡曰昭聖。

二年春正月、王妃の金氏を封じて王后とし、忠芬を侍中とした。

夏四月、暴風が吹いて木を折り瓦を飛ばし、瑞蘭殿の簾が飛んで行った先が分からず、臨海門と仁化門の二つの門が壊れた。六月、王子を封じて太子とした。王が薨じたので、諡を昭聖といった。