興徳王興德王
1興徳王が即位する
興德王立。諱秀宗,後改爲景徽,憲德王同母弟也。冬十二月,妃章和夫人卒,追封爲定穆王后。王思不能忘,悵然不樂。羣臣表請再納妃。王曰:「隻鳥有喪匹之悲,况失良匹,何忍無情遽再娶乎!」遂不從,亦不親近女侍。左右使令,唯宦竪而己。
興徳王が即位した。諱は秀宗、のちに景徽と改めた。憲徳王の同母弟である。
冬十二月、王妃の章和夫人が卒したので、定穆王后と追封した。王は思って忘れることができず、悲しんで楽しまなかった。群臣が表を上して改めて王妃を迎えることを請うと、王は言った。「片方だけの鳥にも連れを失う悲しみがある。まして良い連れを失って、どうして忍びなく情もなく急いで再び娶ろうか。」ついに従わず、また女の侍者を近づけなかった。左右に使う者はただ内侍だけであった。
夾注 1
章和,姓金氏,昭聖王之女也。
章和は、姓が金氏で、昭聖王の娘である。
2二年 — 丘徳が仏経を持って来る
二年,春正月,親祀神宮。唐文宗聞王薨,廢朝,命太子左諭德兼御史中丞源寂,持節吊祭。仍冊立嗣王爲開府儀同三司檢校太尉使持節大都督鷄林州諸軍事兼持節充寧海軍使新羅王。母朴氏爲大妃;妻朴氏爲妃。三月,高句麗僧丘德入唐,齎經至。王集諸寺僧徒,出迎之。夏五月,降霜。秋八月,太白晝見。京都大旱。侍中永恭退。
二年春正月、みずから神宮を祭った。唐の文宗は王が薨じたと聞いて朝を止め、太子左諭徳兼御史中丞の源寂に命じて、節を持って弔い祭らせた。続いて位を継いだ王を冊立して開府儀同三司・検校太尉・使持節大都督・鶏林州諸軍事兼持節充寧海軍使・新羅王とし、母の朴氏を大妃、妻の朴氏を妃とした。
三月、高句麗の僧の丘徳が唐に入って仏経を持って至ったので、王は諸々の寺の僧の徒を集め、出て迎えさせた。
夏五月、霜が降りた。秋八月、太白が昼に見えた。都が大いに旱となった。侍中の永恭が退いた。
3三年 — 張保皐が清海鎮を守り、茶の種を植える
三年,春正月,大阿飡金祐徴爲侍中。二月,遣使入唐朝貢。三月,雪深三尺。夏四月,淸海大使弓福,姓張氏入唐徐州爲軍中小將。後歸國謁王,以卒萬人鎭淸海。漢山州瓢川縣妖人,自言有速富之術,衆人頗惑之。王聞之,曰:「執左道以惑衆者,刑之,先王之法也,投棄其人遠島。」冬十二月,遣使入唐朝貢。文宗召對于麟德殿,宴賜有差。入唐廻使大廉,持茶種子來,王使植地理山。茶自善德王時有之,至於此盛焉。
三年春正月、大阿飡の金祐徴を侍中とした。二月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。三月、雪が三尺の深さに積もった。
夏四月、清海大使の弓福は姓が張氏で、唐の徐州に入って軍中の小将となった。のちに国に帰って王に拝し、兵一万で清海を守った。
漢山州の瓢川県の妖しい人が、みずから早く富になる術があるといったので、多くの人がかなり惑わされた。王はこれを聞いて言った。「邪な道を執って衆を惑わす者を罰するのは、先の王の法である。」その人を遠い島に投げ捨てた。
冬十二月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。文宗は麟徳殿に召して対し、宴を賜って差を設けて賜った。唐に入って帰って来た使者の大廉が茶の種を持って来たので、王は智異山に植えさせた。茶は善徳王の時からあったが、このときに至って盛んになった。
夾注 2
一名保皐
姓は張氏で、一名を保皐という。
淸海,今之莞島。
清海は、いまの莞島である。
4四年 — 唐城鎮を置く
四年,春二月,以唐恩郡爲唐城鎭,以沙飡極正往守之。
四年春二月、唐恩郡を唐城鎮とし、沙飡の極正を遣わして守らせた。
5五年 — 百五十人が僧となることを許す
五年,夏四月,王不豫祈禱,仍許度僧一百五十人。冬十二月,遣使入唐朝貢。
五年夏四月、王が不豫であったので祈り、続いて百五十人が僧となることを許した。冬十二月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。
6六年 — 金能儒が海に溺れて死ぬ
六年,春正月,地震。侍中祐徴免,伊飡允芬爲侍中。二月,遣王子金能儒并僧九人朝唐。秋七月,入唐進奉使能儒等一行人,廻次溺海死。冬十一月,遣使入唐朝貢。
六年春正月、地震があった。侍中の祐徴が免じられたので、伊飡の允芬を侍中とした。二月、王子の金能儒とあわせて僧九人を遣わして唐に朝させた。
秋七月、唐に入って奉っていた使者の能儒ら一行が帰る途中で海に溺れて死んだ。冬十一月、使者を遣わして唐に入り朝貢させた。
7七年 — 旱で盗賊が遍く起こる
七年,春夏旱,赤地。王避正殿,減常膳,赦内外獄囚。秋七月,乃雨。八月,飢荒,盜賊遍起。冬十月,王命使安撫之。
七年春と夏に旱となり、草一本もなく地が裸になった。王は正殿を避け、常の膳を減らし、内外の獄に囚われた罪人を赦した。秋七月になってようやく雨が降った。
八月、飢えと凶作で、盗賊が遍く起こった。冬十月、王は使者に命じて安撫させた。
8八年 — 疫で多く死ぬ
八年,春,國内大飢。夏四月,王謁始祖廟。冬十月,桃李再華,民多疫死。十一月,侍中允芬退。
八年春、国内が大いに飢えた。夏四月、王は始祖の廟に拝した。冬十月、桃と李が再び花を咲かせ、民が疫で多く死んだ。十一月、侍中の允芬が退いた。
9九年 — 南の州郡を巡る
九年,春正月,祐徴復爲侍中。秋九月,王幸西兄山下大閲,御武平門觀射。冬十月,巡幸國南州郡,存問耆老及鰥寡孤獨,賜穀布有差。
九年春正月、祐徴が再び侍中となった。秋九月、王は西兄山の下に行幸して大いに閲し、武平門に出て射るのを観た。冬十月、国の南の州郡を巡って、高年の者と鰥・寡・孤・独の者を慰問し、穀と布を差を設けて賜った。
10十年 — 均貞を上大等とする
十年,春二月,拜阿飡金均貞爲上大等。侍中祐徴以父均貞入相,表乞解職。大阿飡金明爲侍中。
十年春二月、阿飡の金均貞を上大等とした。侍中の祐徴は父の均貞が相に入ったとして、表を上して職を解くことを乞うた。大阿飡の金明を侍中とした。
11十一年 — 興徳王が薨じる
十一年,春正月辛丑朔,日有食之。遣王子金義琮如唐,謝恩兼宿衛。夏六月,星孛于東。秋七月,太白犯月。冬十二月,王薨。諡曰興德,朝廷以遺言,合葬章和王妃之陵。
十一年春正月の朔の辛丑に日食があった。王子の金義琮を唐に遣わして恩を謝させ、あわせて宿衛させた。
夏六月、東に彗星が現れた。秋七月、太白が月を犯した。
冬十二月、王が薨じた。諡を興徳といった。朝廷は遺命によって章和王妃の陵に合葬した。