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山上王

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 15 · 漢字 1,308字 · 朗読 5.2分

三国史記(三国時代の正史) 高句麗本紀 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1山上王が即位する

山上王,諱延優,故國川王之弟也。《魏書》云:「朱蒙裔孫宮,生而開目能視,是為太祖。今王是太祖曾孫,亦生而視人,似曾祖宮。高句麗呼『相似』為『位』,故名位宮云。」故國川王無子,故延優嗣立。初,故國川王之薨也,王后于氏,秘不發歧喪,夜往王弟發歧宅,曰:「王無後,子宜嗣之。」發歧不知王薨,對曰:「天之曆數有所歸,不可輕議。况婦人而夜行,豈禮云乎?」后慙,便往延優之宅。優起衣冠,迎門入座宴飲。王后曰:「大王薨,無子,發歧年長當嗣,而謂妾有異心,暴慢無禮。是以見叔。」於是,延優加禮,親自操刀割肉,誤傷其指。后解裙帶裹其傷指。將歸,謂延優曰:「夜深恐有不虞,子其送我至宮。」延優從之,王后執手入宮。

山上王は諱を延優といい、故国川王の弟である。『魏書』には「朱蒙の末の孫の宮は、生まれながらに目を開いて見ることができた。これが太祖である。いまの王は太祖の曾孫で、やはり生まれながらに人を見て、曾祖の宮に似ていた。高句麗では『よく似ている』ことを『位』というので、名を位宮といった」とある。

故国川王に子がなかったので、延優が位を継いだ。

はじめ故国川王が亡くなったとき、王后の于氏はそれを秘して喪を発せず、夜に王の弟の発歧の家に行って言った。「王に後がありません。あなたが継ぐのが当然です。」

発歧は王が亡くなったことを知らず、答えて言った。「天の暦数には帰するところがあり、軽々しく議することはできません。まして婦人が夜に出歩くのは、どうして礼といえましょうか。」

王后は恥じて、そのまま延優の家に行った。延優は起きて衣冠を整え、門で迎えて席に入れ、宴を開いて飲んだ。

王后は言った。「大王が亡くなり、子がありません。発歧は年長で継ぐべきなのに、わたしに異心があると言って、荒々しく侮り、礼がありませんでした。それでおじにお目にかかりに来たのです。」

そこで延優は礼を厚くし、自ら刀を取って肉を切っていたが、誤ってその指を傷つけた。王后は裳の帯を解いて、その傷ついた指を包んだ。

帰ろうとするとき、延優に言った。「夜が深く、思わぬことがあるのを恐れます。あなたがわたしを宮まで送ってください。」延優がそれに従うと、王后は手を取って宮に入った。

夾注 1

一名位宮。

一名を位宮という。

2元年 — 発歧が自ら首を刎ねる

至翌日質明,矯先王命,令群臣,立延優為王。發歧聞之大怒,以兵圍王宮,呼曰:「兄死弟及,禮也。汝越次纂奪,大罪也,宜速出。不然則誅及妻孥。」延優閉門三日。國人又無從發歧者。發歧知難,以妻子奔遼東。見太守公孫康,告曰:「某,高句麗王男武之母弟也。男武死,無子,某之弟延優與嫂于氏謀,卽位以廢天倫之義。是用憤恚,來投上國,伏願假兵三萬,令擊之,得以平亂。」公孫康從之。延優遣弟罽須,將兵禦之,漢兵大敗。罽須自爲先鋒追北,發歧告罽須曰:「汝今忍害老兄乎?」罽須不能無情於兄弟,不敢害之,曰:「延優不以國讓,雖非義也,爾以一時之憤,欲滅宗國,是何意耶?身沒之後,何面目以見先人乎?」發歧聞之,不勝慙悔,奔至裴川,自刎死。

翌日の夜明けになると、先王の命と偽って群臣に、延優を立てて王とさせた。

発歧はこれを聞いて大いに怒り、兵で王宮を囲んで叫んだ。「兄が死んで弟が継ぐのが礼である。おまえは次を越えて奪い取った。大きな罪である。早く出てこい。そうしなければ、誅は妻子にまで及ぶぞ。」

延優は三日のあいだ門を閉ざした。国の人々もまた発歧に従う者がなかった。発歧は難しいと知って、妻子とともに遼東に逃げた。太守の公孫康に会って申し上げた。「わたくしは高句麗王男武の同母弟です。男武が死んで子がないのに、わたくしの弟の延優が兄嫁の于氏と謀り、位に即いて天倫の義を廃しました。それで憤り、上国に身を寄せに参りました。伏してお願いします、兵三万をお貸しくださり、これを撃って乱を平らげさせてください。」

公孫康はそれに従った。延優は弟の罽須を遣わし、兵を率いて防がせたので、漢の兵は大敗した。

罽須は自ら先鋒となって敗走する者を追った。すると発歧が罽須に言った。「おまえはいま、よくも老いた兄を害せるのか。」

罽須は兄弟に情がないわけにいかず、あえて害することができずに言った。「延優が国を譲らなかったのは、たしかに義ではありません。しかしあなたは一時の憤りで宗国を滅ぼそうとしている。これはどういうお心ですか。身が死んだのちに、どの面目で先人にお会いになるのですか。」

発歧はそれを聞いて、恥と悔いに堪えられず、裴川まで逃げて自ら首を刎ねて死んだ。

3元年 — 罽須が率直に申し上げる

罽須哀哭,收其屍,草葬訖而還。王悲喜,引罽須內中宴,見以家人之禮,且曰:「發歧請兵異國,以侵國家,罪莫大焉。今子克之,縱而不殺,足矣,及其自死,哭甚哀,反謂寡人無道乎?」罽須愀然然銜淚而對曰:「臣今請一言而死。」王曰:「何也?」罽須曰:「王后雖以先王遺命立大王,大王不以禮讓之,曾無兄弟友恭之義。臣欲成大王之美,故收屍殯之,豈圖緣此,逢大王之怒乎?大王若以仁忘惡,以兄喪禮葬之,孰謂大王不義乎?臣旣以言之,雖死猶生。請出受誅有司。」王聞其言,前席而坐,溫顔慰諭曰:「寡人不肖,不能無惑,今聞子之言,誠知過矣。願子無責。」王子拜之,王亦拜之,盡歡而罷。秋九月,命有司,奉迎發歧之喪,以王禮葬於裴嶺。王本因于氏得位,不復更娶,立于氏為后。

罽須は悲しんで哭し、その屍を収めて草に埋めて葬り、終えて帰った。

王は悲しくもあり喜びもあって、罽須を内に引き入れて宴を開き、家人の礼で接し、さらに言った。「発歧は異国に兵を請うて国家を侵した。罪はこれより大きいものはない。いまそなたが勝ったのに、放って殺さなかったのでも十分であるのに、彼が自ら死ぬと哭することはなはだ悲しげであった。かえって寡人を道のない者と言うのか。」

罽須は悲しげな顔で涙をこらえて答えた。「臣はいま一言を申し上げて死ぬことをお願いします。」

王は言った。「何か。」

罽須は言った。「王后が先王の遺命といって大王を立てたとはいえ、大王が礼をもって譲られなかったのですから、兄弟の友愛と恭しさの義はもとよりありませんでした。臣は大王の美をなそうと思い、屍を収めて殯したにすぎません。どうしてこれによって大王の怒りに遇うと思ったでしょうか。大王がもし仁をもって悪を忘れ、兄の喪の礼で葬られるなら、誰が大王を不義と言いましょうか。臣はすでに申し上げましたので、死んでも生きているのと同じです。どうか出て役所で誅を受けさせてください。」

王はその言葉を聞いて、席の前に進んで座り、穏やかな顔で慰め諭して言った。「寡人は不肖で、惑いがないわけにはいかなかった。いまそなたの言葉を聞いて、まことに過ちを知った。どうかそなたは責めないでほしい。」王子が拝すると、王もまた拝し、喜びを尽くして宴を終えた。

秋九月、役所に命じて発歧の喪を奉じ迎え、王の礼で裴嶺に葬った。

王はもともと于氏によって位を得たので、あらためて娶らず、于氏を立てて后とした。

4二年 — 丸都城を築く

二年,春二月,築丸都城。夏四月,赦國內二罪已下。

二年春二月、丸都城を築いた。夏四月、国内の二罪以下を赦した。

5三年 — 質陽で狩りをする

三年,秋九月,王畋于質陽。

三年秋九月、王は質陽で狩りをした。

6七年 — 天が子を授けると告げる

七年,春三月,王以無子,禱於山川,是月十五夜夢,天謂曰:「吾令汝少后生男,勿憂。」王覺語群臣曰:「夢天語我,諄諄如此,而無少后,奈何?」巴素對曰:「天命不可測,王其待之。」秋八月,國相乙巴素卒,國人哭之慟。王以高優婁為國相。

七年春三月、王は子がなかったので山川に祈った。この月の十五日の夜の夢に、天が告げて言った。「わたしがおまえの少后に男子を生ませよう。憂えるな。」

王は目覚めて群臣に言った。「夢で天がわたしにこれほど懇ろに告げたのに、少后がいない。どうしたものか。」

巴素は答えて言った。「天命は測ることができません。王はお待ちください。」

秋八月、国相の乙巴素が死んだ。国の人々は哭して嘆き悲しんだ。王は高優婁を国相とした。

7十二年 — 酒桶村の女に逢う

十二年冬十月,郊豕逸。掌者追之,至酒桶村,躑躅不能獲。有一女子,年二十許,色美而艶,笑而前執之,然後追者得之。王聞而異之,欲見其女,微行夜至女家。使侍人說之,其家知王來不敢拒。王入室,召其女,欲御之。女告曰:「大王之命,不敢避,若幸而有子,願不見遺。」王諾之。至丙夜,王起還宮。

十二年冬十月、郊の祭に用いる豕が逃げた。係の者が追って酒桶村まで来たが、ためらって捕らえられなかった。二十歳ほどの女がいて、色が美しく艶やかであった。笑いながら前に出て捕らえ、そのあとで追ってきた者が手にすることができた。

王はこれを聞いて不思議に思い、その女を見ようとして、ひそかに夜に女の家に行き、侍人に話をさせた。その家は王が来たと知って、あえて拒まなかった。王は室に入り、その女を呼んで近づこうとした。すると女は申し上げた。「大王の命をあえて避けはいたしません。もし幸いに子ができましたら、どうか見捨てられませんように。」王はそれを承知した。丙夜になって、王は起って宮に帰った。

8十三年 — 郊彘が生まれ丸都に都を移す

十三年,春三月,王后知王幸酒桶村女,妬之,陰遣兵士殺之。其女聞知,衣男服逃走。追及欲害之,其女問曰:「爾等今來殺我,王命乎,王后命乎?今妾腹有子,實王之遺體也。殺妾身可也,亦殺王子乎?」兵士不敢害,來以女所言告之。王后怒,必欲殺之,而未果。王聞之,乃復幸女家,問曰:「汝今有娠,是誰之子?」對曰:「妾平生不與兄弟同席,況敢近異姓男子乎。今在腹之子,實大王之遺體也。」王慰籍贈與,甚厚。乃還告王后,竟不敢害。秋九月,酒桶女生男。王喜曰:「此天賚予嗣胤也。」始自郊豕之事,得以幸其母,乃名其子曰郊彘,立其母為小后。初,小后母孕未産,巫卜之曰:「必生王后。」母喜,及生,名曰后女。冬十月,王移都於丸都。

十三年春三月、王后は王が酒桶村の女を近づけたことを知って妬み、ひそかに兵士を遣わして殺させようとした。その女は聞き知って、男の服を着て逃げた。追いついて害そうとすると、その女は問うた。「おまえたちがいま来てわたしを殺すのは、王の命か、王后の命か。いまわたしの腹には子がいる。まことに王の遺された体である。わたしの身を殺すのはよい。王子まで殺すのか。」

兵士はあえて害することができず、帰って女の言ったところを申し上げた。王后は怒り、必ず殺そうとしたが、果たせなかった。

王はこれを聞いて、そこでまた女の家に行き、問うた。「おまえはいま身ごもっているが、それは誰の子か。」

答えて言った。「わたしは生涯、兄弟とさえ席を同じくしませんでした。まして、どうしてあえて異姓の男子に近づきましょうか。いま腹にある子は、まことに大王の遺された体です。」

王は慰め、贈るものをはなはだ厚くした。そして帰って王后に告げると、王后はついにあえて害さなかった。

秋九月、酒桶村の女が男子を生んだ。王は喜んで言った。「これは天がわたしに継ぐ子を賜わったのだ。」はじめ郊の豕の事によってその母に近づくことができたので、その子を名づけて郊彘といい、その母を立てて小后とした。

はじめ小后の母が身ごもってまだ生まないとき、巫が占って言った。「必ず王后を生むだろう。」母は喜び、生まれると名を后女といった。

冬十月、王は丸都に都を移した。

9十七年 — 郊彘を王太子とする

十七年,春正月,立郊彘王太子。

十七年春正月、郊彘を立てて王太子とした。

10二十一年 — 夏瑤が民を連れて身を寄せる

二十一年,秋八月,漢平州人夏瑤,以百姓一千餘家來投,王納之,安置柵城。冬十月,雷,地震。星孛于東北。

二十一年秋八月、漢の平州の人夏瑤が、民一千余家を連れて来て身を寄せたので、王はこれを受け入れ、柵城に安らかに置いた。冬十月、雷が鳴り、地震があった。彗星が東北に現れた。

11二十三年 — 日食がある

二十三年,春二月,壬子晦,日有食之。

二十三年春二月、壬子の晦に日食があった。

12二十四年 — 珍しい鳥が集まる

二十四年,夏四月,異鳥集于王庭。

二十四年夏四月、珍しい鳥が王の庭に集まった。

13二十八年 — 王孫の然弗が生まれる

二十八年,王孫然弗生。

二十八年、王孫の然弗が生まれた。

14三十一年 — 山上王が亡くなる

三十一年,夏五月,王薨。葬於山上陵。號爲山上王。

三十一年夏五月、王が亡くなった。山上陵に葬り、山上王と号した。

15三国史記 巻第十六

三國史記卷第十六

三国史記 巻第十六。