近仇首王
1近仇首王が即位する
近仇首王,近肖古王之子。先是,高句麗國岡王斯由親來侵,近肖古王遣太子拒之。至半乞壤,將戰。高句麗人斯紀,本百濟人,誤傷國馬蹄,懼罪奔於彼。至是,還來,告太子曰:「彼師雖多,皆備數疑兵而已。其驍勇,唯赤旗,若先破之,其餘不攻自潰。」太子從之,進擊大敗之,追奔逐北,至於水谷城之西北。將軍莫古解諫曰:「嘗聞道家之言:『知足不辱,知止不殆。』今所得多矣,何必求多。」太子善之,止焉。乃積石為表,登其上,顧左右曰:「今日之後,疇克再至於此乎。」其地有巖石,罅若馬蹄者,他人至今,呼爲太子馬迹。近肖古在位三十年薨,卽位。
近仇首王は近肖古王の子である。
これより先、高句麗の国岡王の斯由が自ら侵しに来たので、近肖古王は太子を遣わしてこれを防がせた。半乞壌に至って戦おうとしたとき、高句麗の人の斯紀はもともと百済の人で、誤って国の馬の蹄を傷つけ、罪を恐れて向こうに逃げていた。このときに至って戻って来て、太子に申し上げた。「あちらの軍は多いといっても、みな数を揃えただけの見せかけの兵にすぎません。その中で強く勇ましいのは赤い旗だけですから、もし先にこれを破れば、残りは攻めなくても自ら崩れるでしょう。」
太子はその言葉に従って進み撃ち、大いにこれを破り、逃げる者を追って水谷城の西北に至った。
将軍の莫古解が諫めて言った。「かつて道家の言葉を聞きましたが、『足るを知れば辱められず、止まるを知れば危うくない』とありました。いま得たものは多いのですから、どうして必ず多くを求めるのでしょうか。」
太子はその言葉をよしとして止まった。そこで石を積んで標とし、その上に登って左右を見回して言った。「今日ののち、誰がまたここに至ることができようか。」その地に岩があって、割れ目が馬の蹄のようなものがあり、人々は今に至るまで太子の馬の跡と呼んでいる。
近肖古が位にあって三十年に亡くなると、即位した。
夾注 1
一云諱須。
名は須ともいう。
2二年 — 眞高道に政事を委ねる
二年,以王舅眞高道為內臣佐平,委以政事。冬十一月,高句麗來侵北鄙。
二年に、王の母方の叔父の眞高道を内臣佐平として、政事を委ねた。冬十一月に、高句麗が北の辺りを侵しに来た。
3三年 — 平壌城を侵す
三年,冬十月,王將兵三萬,侵高句麗平壤城。十一月,高句麗來侵。
三年、冬十月に、王が兵三万を率いて高句麗の平壌城を侵した。十一月に、高句麗が侵しに来た。
4五年 — 使者が風に遭って帰る
五年,春三月,遣使朝晉,其使海上遇惡風,不達而還。夏四月,雨土竟日。
五年、春三月に、使者を遣わして晋に朝させたが、その使者は海上で悪い風に遭い、着かずに帰った。夏四月に、土の雨が一日中降った。
5六年 — 地が裂ける
六年,大疫。夏五月,地裂,深五丈,橫廣三丈,三日乃合。
六年に、大きな疫病が流行った。夏五月に、地が裂け、深さ五丈、横の広さ三丈であったが、三日してようやく合わさった。
6八年 — 子を売る者がある
八年,春不雨,至六月,民饑,至有鬻子者,王出官穀,贖之。
八年、春に雨が降らず、六月に至って民が飢え、子を売る者まであったので、王は官の穀物を出してこれを買い戻した。
7十年 — 近仇首王が亡くなる
十年,春二月,日有暈三重。宮中大樹自拔。夏四月,王薨。
十年、春二月に、日に暈が三重にかかった。宮中の大きな木がおのずから抜けた。夏四月に、王が亡くなった。