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竹竹

三国史記(三国時代の正史) 三國史記 · 金富軾(キム・ブシク)ほか · 1145年(高麗・仁宗23年) · 段落 2 · 漢字 334字 · 朗読 1.3分

三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。

1竹竹が城を守る

竹竹,大耶州人也,父郝勢為撰干。善德王時為舍知,佐大耶城都督金品釋幢下。王十一年壬寅秋八月,百濟將軍允忠領兵,來攻其城。先是,都督品釋,見幕客舍知黔日之妻有色,奪之,黔日恨之。至是為內應,燒其倉庫,故城中兇懼,恐不能固守。品釋之佐阿飡西川,登城謂允忠曰:「若將軍不殺我,願以城降。」允忠曰:「若如是,所不與公同好者,有如白日。」西川勸品釋及諸將士欲出城,竹竹止之曰:「百濟反覆之國,不可信也。而允忠之言甘,必誘我也。若出城,必為賊之所虜。與其竄伏而求生,不若虎鬪而至死。」品釋不聽開門。士卒先出,百濟發伏兵,盡殺之。品釋將出,聞將士死,先殺妻子而自刎。竹竹收殘卒,閉城門自拒,舍知龍石謂竹竹曰:「今兵勢如此,必不得全,不若生降以圖後效。

竹竹は大耶州の人である。父の郝勢は撰干となった。善徳王のとき舎知となり、大耶城都督の金品釈の幢下を補佐した。

王の十一年壬寅、秋八月に百済の将軍の允忠が兵を率いて、その城を攻めに来た。

これより先、都督の品釈は、幕客の舎知の黔日の妻に色があるのを見て奪ったので、黔日はこれを恨んだ。このときになって内から応じ、その倉庫を焼いたので、城の中は怯え恐れて、固く守れないのではないかと心配した。

品釈の補佐の阿飡の西川が城に登って允忠に言った。「もし将軍が私を殺さないなら、城を挙げて降りたいと願う。」

允忠は言った。「もしそうしておいて公と好みを同じくしないなら、あの白日が見ているだろう。」

西川が品釈や諸将士に勧めて城を出ようとすると、竹竹が止めた。「百済は寝返りを繰り返す国で、信じられません。允忠の言葉は甘く、必ず我らを誘っているのです。もし城を出れば、必ず賊に捕らえられます。隠れ伏して生を求めるよりは、虎のように戦って死ぬほうがましです。」

品釈は聞かず門を開いて兵士を先に出したので、百済は伏せた兵を出してみな殺した。品釈は出ようとして、将士が死んだと聞き、先に妻子を殺して自ら首を刺した。

竹竹が残った兵を収め城門を閉じて自ら防ぐと、舎知の龍石が竹竹に言った。「今、兵の勢いはこのようで、必ず全うできません。生きて降り、後の働きを図るほうがましです。」

夾注 1

一云沙飡祗之那。

沙飡の祗之那ともいう。

2折れても屈しない

」答曰:「君言當矣,而吾父名我以竹竹者,使我歲寒不凋,可折而不可屈,豈可畏死而生降乎?」遂力戰,至城陷,與龍石同死。王聞之,哀傷,贈竹竹以級飡,龍石以大奈麻,賞其妻子,遷之王都。

答えた。「君の言葉はもっともだ。だが私の父が私を竹竹と名づけたのは、私を寒い季節にも凋まず、折れても屈しないようにさせるためだった。どうして死を恐れて、生きて降ろうか。」

ついに力の限り戦い、城が陥ちるに至って、龍石とともに死んだ。

王はこれを聞いて哀しみ痛み、竹竹に級飡を、龍石に大奈麻を追贈し、その妻子に賞を与えて王都に移して住まわせた。