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階伯
三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。
1階伯が黄山で死ぬ
階伯,百濟人,仕為達率。唐顯慶五年庚申,高宗以蘇定方為神丘道大摠管,率師濟海,與新羅伐百濟。階伯為將軍,簡死士五千人拒之,曰:「以一國之人,當唐、羅之大兵,國之存亡,未可知也。恐吾妻孥,沒為奴婢,與其生辱,不如死快。」遂盡殺之。至黃山之野,設三營,遇新羅兵將戰,誓衆曰:「昔句踐以五千人,破吳七十萬衆,今之日,宜各奮勵決勝,以報國恩。」遂鏖戰,無不以一當千,羅兵乃却。如是進退,至四合,力屈以死。
階伯は百済の人で、仕えて達率となった。
唐の顕慶五年庚申、高宗は蘇定方を神丘道大摠管として、軍を率いて海を渡らせ、新羅とともに百済を討たせた。
階伯は将軍となり、死を覚悟した兵五千人を選んでこれを防ぎ、言った。「一国の人で唐と羅の大軍に当たるのだから、国の存亡はわからない。私の妻子が捕らわれて奴婢になるのが恐ろしい。生きて辱められるよりは、死んで心地よいほうがましだ。」そしてみな殺した。
黄山の野に至って三つの陣営を設け、新羅の兵に出会って戦おうとするとき、衆に誓って言った。「昔、句踐は五千人で呉の七十万の衆を破った。今日はそれぞれ奮い立ち、決して勝って、国の恩に報いよ。」
ついに死ぬまで戦い、一人で千に当たらない者はなく、羅の兵はそこで退いた。このように進んだり退いたりして、四度交わるに至り、力が尽きて死んだ。