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向徳向德
三国史記(三国時代の正史) 列傳 現存する最も古い韓国の歴史書。新羅・高句麗・百済の本紀と、志・表・列伝から成る。金富軾が随所に「論曰」として自らの評を付けているので、編者が何を疑い何を責めたかがそのまま残っている。
1向徳
向德,熊川州板積鄕人也。父名善,字潘吉,天資溫良,鄕里推其行。母則失其名。向德亦以孝順,為時所稱。天寶十四年乙未,年荒民饑,加之以疫癘,父母飢且病,母又發癰,皆濱於死。向德日夜不解衣,盡誠安慰,而無以為養,乃刲髀肉以食之。又吮母癰,皆致之平安。鄕司報之州,州報於王。王下敎,賜租三百斛、宅一區、口分田若干,命有司立石紀事,以標之。至今,人號其地云孝家里。
向徳は熊川州の板積郷の人である。父の名は善、字は潘吉で、生まれつきの性質が温かく善く、郷里はその行いを推した。母はその名が失われている。向徳もまた孝と順で、当時に称えられた。
天宝十四年乙未、年が不作で民が飢え、それに加えて疫病が流行った。父母は飢えてまた病み、母はさらに癰ができて、みな死ぬばかりになった。向徳は昼夜衣を解かず、誠を尽くして安んじ慰めたが、養うものがなかったので、股の肉を切り取って食べさせた。また母の癰を吸って、みな平安にさせた。
郷の役所がこれを州に報せ、州が王に報せた。王は教を下して租三百斛と宅一区と口分田いくらかを賜り、役所に命じて石を立てて事を記し、これを標とさせた。今に至るまで、人はその地を孝家里と呼んでいる。