甄萱
1虎が乳を飲ませる
甄萱,尙州加恩縣人也,本姓李,後以甄為氏。父阿慈介,以農自活,後起家為將軍。初,萱生孺褓時,父耕于野,母餉之,以兒置于林下,虎來乳之,鄕黨聞者異焉。及壯,體貌雄竒,志氣倜儻不凡。從軍入王京,赴西南海防戍,枕戈待敵,其勇氣恒為士卒先。以勞為裨將。
甄萱は尚州の加恩県の人である。もとの姓は李氏であったが、後に甄を氏とした。父の阿慈介は農で自ら暮らしていたが、後に家を起こして将軍となった。
初め、萱が生まれて産着にいたとき、父が野で畑を耕し、母が食事を運ぶので子を林の下に置いておくと、虎が来て乳を飲ませた。村で聞いた者は怪しんだ。
成長すると体と姿が雄々しく奇しく、志と気がぬきんでて並でなかった。従軍して王京に入り、西南海の防備に赴いて、戈を枕にして敵を待ち、その勇気はいつも士卒の先であった。その働きで裨将となった。
2完山に都して後百済と称する
唐昭宗景福元年,是新羅真聖王在位六年,嬖竪在側,竊弄政柄,綱紀紊弛,加之以饑饉,百姓流移,羣盜蜂起。於是萱竊有覦心,嘯聚徒侶,行擊京西南州縣,所至響應。旬月之間,衆至五千人。遂襲武珍州自王,猶不敢公然稱王,自署為新羅西面都統指揮兵馬制置、持節、都督全武公等州軍事、行全州刺史、兼御史中丞、上柱國、漢南郡開國公,食邑二千戶。是時,北原賊良吉雄強,弓裔自投為麾下。萱聞之,遙授良吉職為裨將。萱西巡至完山州,州民迎勞。萱喜得人心,謂左右曰:「吾原三國之始,馬韓先起後,赫世勃興,故辰、卞從之而興,於是百濟開國金馬山,六百餘年。捴章中,唐高宗以新羅之請,遣將軍蘇定方以船兵十三萬越海,新羅金庾信卷土,歷黃山至泗泚,與唐兵合攻百濟滅之。今予敢不立都於完山,以雪義慈宿憤乎!」遂自稱後百濟王,設官分職。是唐光化三年,新羅孝恭王四年也。遣使朝吳越,吳越王報聘,仍加檢校太保,餘如故。
唐の昭宗の景福元年は、新羅の真聖王が位にあって六年目である。可愛がられた下僕たちが傍にいて、政の権柄を密かに弄んだので、綱紀は乱れ緩み、そこに飢饉まで加わって、民は流れ移り、多くの盗賊が蜂のように起こった。
そこで萱は密かに窺う心を抱き、仲間を呼び集めて、京の西南の州や県を回って撃ったので、至るところで響くように応じた。十日から一月のうちに、衆は五千人に至った。
ついに武珍州を襲って自ら王となったが、それでも敢えて公然と王と称さず、自ら「新羅西面都統・指揮兵馬制置・持節・都督全武公等州軍事・行全州刺史・兼御史中丞・上柱国・漢南郡開国公・食邑二千戸」と署した。
このとき北原の賊の良吉が雄々しく強く、弓裔が自ら身を投じてその下となった。萱はこれを聞いて、遠くから良吉に裨将の職を授けた。
萱が西を巡って完山州に至ると、州の民が迎えて労った。萱は人の心を得たことを喜んで、左右に言った。「私が三国の初めを考えてみると、馬韓が先に起こった後に赫居世が代々大いに興ったので、辰韓と卞韓がそれに従って興った。そこで百済は金馬山に国を開いて六百余年を過ごした。摠章の年間に、唐の高宗が新羅の請いによって将軍の蘇定方を遣わし、船の兵十三万で海を越えさせ、新羅の金庾信は地を巻いて黄山を経て泗泚に至り、唐の兵と合わせて百済を攻めて滅ぼした。今、私がどうして完山に都を立てて、義慈王の宿った憤りを雪がずにいられようか。」
ついに自ら後百済王と称し、官を設けて職を分けた。このときが唐の光化三年、新羅の孝恭王四年である。
使いを遣わして呉越に朝すると、呉越王は返礼の使いを送り、続いて検校太保を加え、残りは元のままであった。
3大耶城
天復元年,萱攻大耶城,不下。
天復元年、萱は大耶城を攻めたが、落とせなかった。
4錦城を囲む
開平四年,萱怒錦城投于弓裔,以步騎三千圍攻之,經旬不解。
開平四年、萱は錦城が弓裔に付いたのを怒って、歩兵と騎兵三千で囲んで攻め、十日が過ぎても解かなかった。
5徳津浦
乾化二年,萱與弓裔戰于德津浦。
乾化二年、萱は弓裔と徳津浦で戦った。
6太祖の即位を祝う
貞明四年戊寅,鐵圓京衆心忽變,推戴我太祖即位。萱聞之,秋八月,遣一吉飡閔卻稱賀,遂獻孔雀扇及地理山竹箭。又遣使入吳越進馬,吳越王報聘,加授中大夫,餘如故。
貞明四年戊寅、鉄圓の都の人々の心が急に変わって、高麗の太祖を推し戴いて位に即かせた。
萱はこれを聞いて、秋八月に一吉飡の閔卻を遣わして祝い、ついに孔雀の扇と地理山の竹の矢を献じた。また使いを遣わして呉越に入って馬を献じると、呉越王は返礼の使いを送り、中大夫を加えて授け、残りは元のままであった。
7表では和する
六年,萱率步騎一萬,攻陷大耶城,移軍於進禮城。新羅王遣阿飡金律求援於太祖。太祖出師,萱聞之,引退。萱與我太祖陽和而陰剋
六年、萱は歩兵と騎兵一万を率いて大耶城を攻め落とし、軍を進礼城に移した。新羅王は阿飡の金律を遣わして太祖に援けを求めた。太祖が兵を出すと、萱はこれを聞いて退いた。
萱は太祖と表では和したが、内では打ち勝とうとした。
8曹物城
同光二年秋七月,遣子須彌強發大耶、聞韶二城卒攻曹物城。城人為太祖固守,且戰,須彌強失利而歸。八月,遣使獻騘馬於太祖。
同光二年秋七月、子の須彌強を遣わして大耶と聞韶の二つの城の兵を起こし、曹物城を攻めさせた。城の人は太祖のために固く守り、また戦ったので、須彌強は利を失って帰った。
八月、使いを遣わして太祖に騘馬を献じた。
9人質を取り交わす
三年冬十月,萱率三千騎至曹物城,太祖亦以精兵來與之确。時萱兵銳甚,未決勝否。太祖欲權和以老其師,移書乞和,以堂弟王信為質,萱亦以外甥真虎交質。十二月,攻取居昌等二十餘城。遣使入後唐稱藩,唐策授檢校太尉、兼侍中、判百濟軍事,依前持節、都督全武公等州軍事、行全州刺史、海東四面都統、指揮兵馬制置等事、百濟王,食邑二千五百戶。
三年冬十月、萱は三千の騎を率いて曹物城に至り、太祖もまた精兵で来て争った。そのとき萱の兵がたいそう鋭く、勝ち負けが決まらなかった。太祖はしばらく和してその軍を疲れさせようとし、書を送って和を乞い、従弟の王信を人質とすると、萱もまた甥の真虎を人質として取り交わした。
十二月、居昌など二十余城を攻め取った。使いを遣わして後唐に入って藩と称すると、唐は策命で「検校太尉・兼侍中・判百済軍事」を授け、前のとおり「持節・都督全武公等州軍事・行全州刺史・海東四面都統・指揮兵馬制置等事・百済王・食邑二千五百戸」とした。
10人質が死ぬ
四年,真虎暴卒,萱聞之,疑故殺,即囚王信獄中。又使人請還前年所送騘馬,太祖笑還之。
四年、真虎が急に死んだので、萱はこれを聞いて、わざと殺したのだと疑い、すぐ王信を獄に囚えた。また人を遣わして前の年に送った騘馬を返すように請うと、太祖は笑って返した。
11都に入って王を殺す
天成二年秋九月,萱攻取近品城,燒之。進襲新羅高鬱府,逼新羅郊圻。新羅王求救於太祖。冬十月,太祖出師援助。萱猝入新羅王都時,王與夫人嬪御出遊鮑石亭,置酒娛樂。賊至,狼狽不知所為,與夫人歸城南離宮,諸侍從臣寮及宮女、伶官皆陷沒於亂兵。萱縱兵大掠,使人捉王至前,戕之,便入居宮中,強引夫人亂之。以王族弟金傅嗣立,然後虜王弟孝廉、宰相英景,又取國帑、珍寳、兵仗、子女、百工之巧者自隨以歸。太祖以精騎五千要萱於公山下,大戰。太祖將金樂、崇謙死之,諸軍敗北,太祖僅以身免。萱乘勝取大木郡。契丹使裟姑、麻咄等三十五人來聘。萱差將軍崔堅伴送麻咄等航海北行,遇風,至唐登州,悉被戮死。時新羅君臣以衰季,難以復興,謀引我太祖結好為援。
天成二年秋九月、萱は近品城を攻め取って焼いた。進んで新羅の高鬱府を襲い、新羅の都の近くまで迫った。新羅王が太祖に救いを求めたので、冬十月に太祖は兵を出して援けた。
萱は急に新羅の王都に入った。そのとき王は夫人や後宮たちとともに鮑石亭に出て遊び、酒の席を設けて楽しんでいた。賊が至ると慌ててどうすればよいかわからず、夫人とともに城の南の離宮に帰り、諸々の侍従の臣や官、宮女、伶官はみな乱れた兵に殺されたり捕らわれたりした。
萱は兵を放って大いに掠め、人を遣わして王を捕らえて前に至らせ、これを殺した。そのまま宮中に入って住み、無理に夫人を引いて乱した。王族の弟の金傅を立てて後を継がせ、その後で王の弟の孝廉と宰相の英景を捕らえ、また国の蔵の珍宝・武具・子女・諸職人のうち技のある者を取って自ら連れて帰った。
太祖は精騎五千で公山の下に萱を迎えて大いに戦った。太祖の将の金楽と崇謙が死に、諸軍は敗れて走ったので、太祖はかろうじて身だけを免れた。萱は勝ちに乗じて大木郡を取った。
契丹の使いの裟姑・麻咄ら三十五人が来て聘した。萱は将軍の崔堅を差して麻咄らを伴い送らせ、海を渡って北へ行かせたが、風に遭って唐の登州に至り、みな殺された。
そのとき新羅の君と臣は、衰えて末となり再び興すのは難しいとして、高麗の太祖を引き入れて好を結び援けとすることを謀った。
12甄萱が太祖に送った書
甄萱自有盜國心,恐太祖先之,是故引兵入王都作惡,故十二月日,寄書太祖曰:「昨者國相金雄廉等將召足下入京,有同鼈應黿聲,是欲鷃披隼翼,必使生靈塗炭,宗社丘墟。僕是用先着祖鞭,獨揮韓鉞,誓百寮如皦日,諭六部以義風。不意姦臣遁逃,邦君薨變,遂奉景明王之表弟、獻康王之外孫,勸即尊位,再造危邦。喪君有君,於是乎在。足下勿詳忠告,徒聽流言,百計窺覦,多方侵擾,尙不能見僕馬首,拔僕牛毛。冬初,都頭索湘束手於星山陣下;月內,左將金樂曝骸於美理寺前。殺獲居多,追擒不少。強羸若此,勝敗可知。所期者,掛弓於平壤之樓,飮馬於浿江之水。然以前月七日,吳越國使班尙書至,傳王詔旨,知卿與高麗久通歡好,共契鄰盟,比因質子之兩亡,遂失和親之舊好,互侵疆境,不戢干戈。
甄萱は自ら国を盗む心があって、太祖が先にするのを恐れた。このために兵を率いて王都に入って悪事をしたので、十二月のある日、太祖に書を寄せた。
「先ごろ、国の宰相の金雄廉らが足下を呼んで都に入れようとした。これは鼈が黿の声に応じるようなもので、鷃が隼の翼を広げようとするもので、必ず生きた民を塗炭に落とし、宗廟と社稷を草の丘にするものであった。
そこで私が先に祖の鞭を取り、独り韓の鉞を振るって、百官に明らかな日のように誓い、六部を義の風で諭した。思いがけず姦臣が逃げ隠れ、国の君が世を去ったので、ついに景明王の母方の従弟で、憲康王の外孫を奉じて尊い位に即くよう勧め、危うい国を再び建てた。君を失ってなお君があるというのは、ここにあった。
足下は忠からの告げを詳しく見ず、ただ流れる言葉だけを聞いて、あらゆる計で窺い、いくつもの方面から侵し騒がせたが、まだ私の馬の頭を見ることも、私の牛の毛一本を抜くこともできていない。
初冬には都頭の索湘が星山の陣の下で手を縛られ、その月のうちに左将の金楽が美理寺の前で骸を曝した。殺し獲ったものが多く、追って捕らえたものも少なくない。強弱がこのようであれば、勝ち負けは知れる。期するところは、弓を平壌の楼に掛け、馬に浿江の水を飲ませることである。
しかし先月七日に呉越国の使いの班尚書が至って、王の詔旨を伝えた。『卿が高麗と長く交わって歓び好み、ともに隣の盟を契ったと知っているが、近ごろ人質二人がともに亡くなったことによって、ついに和親の旧い好みを失い、互いに境を侵して干と戈をおさめないという。
夾注 1
祖鞭,韓鉞
祖は晋の祖逖、韓は隋の韓擒虎である。底本には姓一字だけである。 ― 訳者
13甄萱の書 — 後半
今專發使臣,赴卿本道,又移文高麗,宜各相親,比永孚于休。僕義篤尊王,情深事大,及聞詔諭,即欲秪承,但慮足下欲罷不能,困而猶闘。今錄詔書寄呈,請留心詳悉。且㕙獹迭憊,終必貽譏;蚌鷸相持,亦為所笑。宜迷復之為戒,無後悔之自貽。」
今、もっぱら使臣を遣わして卿の本道に赴かせ、また高麗にも文を移すので、それぞれ相い親しんで、長く美しさに信を置くようにせよ。』
私は義が王を尊ぶことに篤く、情が大国に事えることに深いので、詔の諭しを聞いては、すぐ謹んで承けようとしている。ただ足下が、やめようとしてもやめられず、困りながらなお闘うのではないかと心配なだけである。
今、詔書を写して寄せ呈するので、どうか心に留めて詳しく見てほしい。また、兎と猟犬が交互に疲れ果てれば、ついには必ず嘲りを残し、蚌と鷸が互いに持ち合っても、やはり笑い者になる。迷って繰り返すことを戒めとして、後の悔いを自ら残さないようにせよ。」
14太祖の返書
三年正月,太祖答曰:「伏奉吳越國通和使班尙書所傳詔書一道,兼蒙足下辱示長書叙事者。伏以華軺膚使,爰致制書;尺素好音,兼承教誨。捧芝檢而雖增感激,開華牋而難遣衽疑。今託廻軒,輒敷危衽。僕仰承天假,俯迫人推,過叨將帥之權,獲赴經綸之會。頃以三韓厄會,九土凶荒,黔黎多屬於黃巾,田野無非於赤土,庶幾弭風塵之警,有以救邦國之灾。爰自善隣,於焉結好,果見數千里農桑樂業,七八年士卒閑眠。及至酉年,維時陽月,忽焉生事,至於交兵。足下始輕敵以直前,若螳蜋之拒轍;終知難而勇退,如蚊子之負山。拱手陳辭,指天作誓,今日之後,永世歡和,苟或渝盟,神其殛矣。僕亦尙止戈之武,期不殺之仁,遂解重圍,以休疲卒。不辭質子,但欲安民。
三年正月、太祖が答えた。
「伏して呉越国の通和使の班尚書が伝えた詔書一通を承り、あわせて足下がかたじけなくも示した長い書で事を述べたものを受け取った。伏して思うに、華やかな軺の優れた使いがここに制書を至らせ、一尺の白絹の良い音信があわせて教えを伝えてくれた。芝の紋の封を捧げて感激は増したが、華やかな牋を開いて襟の疑いは遣りがたかった。今、帰る車に託して、謹んで胸のうちを述べる。
私は仰いで天の貸しを承け、俯して人の推すに迫られて、過ぎて将帥の権を忝なくし、国を治める機会を得た。先ごろ三韓が厄に遭い、九つの土が凶荒で、黒い髪の民の多くは黄巾に属し、田野は赤い土でないところがなかった。願うところは風塵の警めを止めて国の災いを救うことで、そこで隣とよくして、ここに好みを結んだ。果たして数千里が農と桑の業を楽しみ、七、八年、士卒が閑かに眠るのを見た。
酉の年に至って、その時は十月であったが、たちまち事が生じて兵を交えるに至った。足下は初め敵を軽んじてまっすぐ前に出て、螳螂が轍を拒むようであり、ついに難しいと知って勇ましく退いて、蚊が山を負うようであった。手を拱いて言葉を述べ、天を指して誓い、今日の後は永く歓び和し、もし盟に背けば神が罰するであろうと言った。私もまた戈を止める武を尚び、殺さない仁を期して、ついに重なる囲みを解き、疲れた兵を休ませた。人質も辞さなかったのは、ただ民を安んじようとしたからである。
15太祖の返書 — つづき
此則我有大德於南人也。豈謂歃血未乾,凶威復作。蜂蠆之毒,侵害於生民;狼虎之狂,為梗於畿甸。金城窘忽,黃屋震驚。仗義尊周,誰似桓、文之覇?乘間謀漢,唯看莽、卓之姦。致使王之至尊,枉稱子於足下。尊卑失序,上下同憂。以為非有元輔之忠純,豈得再安於社稷?以僕心無匿惡,志切尊王,將援置於朝廷,使扶危於邦國。足下見毫釐之小利,忘天地之厚恩,斬戮君王,焚燒宮闕,葅醢卿士,虔劉士民。姬姜則取以同車,珍寳則奪之稛載。元惡浮於桀、紂,不仁甚於獍梟。僕怨極崩天,誠深却日,誓効鷹鸇之逐,以申犬馬之勤。再舉干戈,兩更槐柳。陸擊則雷馳電擊,水攻則虎搏龍騰,動必成功,舉無虛發。逐尹邠於海岸,積甲如山;擒鄒造於城邉,伏尸蔽野。
これはつまり、私が南の人に大きな徳があるということである。どうして、血を吸った唇が乾かないうちに、凶悪な威を再び振るうとは思っただろうか。
蜂と蠆の毒は民を侵し害し、狼と虎の狂いは都の周りを塞いだ。金城は窮まり急ぎ、王の黄色い屋の車は震え驚いた。義を仗って周を尊ぶのに、誰が桓公と文公の覇に似ようか。隙に乗じて漢を謀るのに、ただ王莽と董卓の姦しか見えない。王の至って尊い身を、曲げて足下に子と称させた。尊と卑は序を失い、上と下はともに憂えた。
元輔の忠純がなくては、どうして社稷を再び安んじられようかと思った。私は心に匿す悪がなく、志は王を尊ぶことに切であったから、助けて朝廷に置き、国の危うきを扶けさせようとした。
足下は毫釐ほどの小さな利を見て、天地のような厚い恩を忘れ、君王を斬り殺し、宮闕を焼き、卿士を塩辛にし、士民を殺した。美しい女は取って車に同乗させ、珍宝は奪って積み載せた。元悪は桀と紂に浮き、不仁は獍や梟より甚しい。
私は天が崩れるほど怨みが極まり、日を退けるほど誠が深く、鷹や鸇が逐うのに倣うことを誓って、犬馬の勤めを申べようとする。再び干と戈を挙げて、槐と柳が二度改まった。陸で撃てば雷が馳せ電が撃つようであり、水で攻めれば虎が搏ち竜が騰るようで、動けば必ず功を成し、挙げれば虚しく発することがなかった。尹邠を海岸に逐えば、捨てられた甲が山のようであり、鄒造を城の辺で擒えれば、伏した屍が野を覆った。
16太祖の返書 — 終わり
燕山郡畔,斬吉奐於軍前;馬利城邉,戮隨䎸於纛。下拔任存之日,邢積等數百人捐軀;破清州之時,直心等四五輩授首。桐藪望旗而潰散,京山銜璧以投降。康州則自南而來歸,羅府則自西移屬。侵攻若此,收復寧遙必期。泜水營中,雪張耳千般之恨;烏江岸上,成漢王一捷之功。竟息風波,永清寰海。天之所助,命欲何歸?況承吳越王殿下德洽包荒,仁深字小,特出綸於丹禁,諭戢難於青丘。既奉訓謀,敢不尊奉!若足下祗承睿旨,悉戢凶機,不惟副上國之仁恩,抑可紹海東之絶緖。若不過而能改,其如悔不可追。」
燕山郡の畔では吉奐を軍の前で斬り、馬利城の辺では隨䎸を大きな纛の下で殺した。任存を抜いた日には邢積ら数百人が身を捨て、清州を破ったときには直心ら四、五の輩が首を授けた。桐藪は旗を望んで潰え散り、京山は璧を銜えて降った。康州は南から帰り付き、羅府は西から移って属した。侵し攻めることがこのようであれば、回復もどうして遠いだろうか。
必ず期するところは、泜水の営中で張耳の千般の恨みを雪ぎ、烏江の岸の上で漢王の一勝の功を成し、ついに風と波を息めて、永く寰海を清めることである。天が助けるのだから、命はどこへ帰ろうとしているのか。
まして呉越王殿下の徳は荒れたものを包むに洽く、仁は小さなものを字むに深く、特に丹の禁から綸を出して、青丘に難を戢めよと諭された。すでに訓えと謀を奉じたのだから、敢えて尊んで奉じないことがあろうか。
もし足下が謹んで睿旨を承けて、凶悪な機をすべて戢めるなら、上国の仁恩に副うだけでなく、海東の絶えた緒を紹ぐこともできよう。もし過って改められないなら、悔いても追えないのをどうしよう。」
17康州と缶谷城
夏五月,萱潜師襲康州,殺三百餘人,將軍有文生降。秋八月,萱命將軍官昕領衆築陽山。太祖命命旨城將軍王忠擊之,退保大耶城。冬十一月,萱選勁卒攻拔缶谷城,殺守卒一千餘人,將軍楊志、明式等生降。
夏五月、萱は密かに兵を出して康州を襲い、三百余人を殺したので、将軍の有文が生きたまま降った。
秋八月、萱は将軍の官昕に命じて衆を率いて陽山に城を築かせた。太祖は命旨城の将軍の王忠に命じて撃たせたので、退いて大耶城を守った。
冬十一月、萱は強い兵を選んで缶谷城を攻め取り、守る兵一千余人を殺したので、将軍の楊志・明式らが生きたまま降った。
18古昌の瓶山の戦い
四年秋七月,萱以甲兵五千人攻義城府,城主將軍洪術戰死。太祖哭之慟,曰:「吾失左右手矣!」萱大舉兵,次古昌郡瓶山之下,與太祖戰,不克,死者八千餘人。翌日,萱聚殘兵襲破順州城,將軍元逢不能禦,棄城夜遁。萱虜百姓,移入全州。太祖以元逢前有功,宥之。改順州號下枝縣。
四年秋七月、萱は甲を着た兵五千人で義城府を攻めたので、城主の将軍の洪術が戦って死んだ。太祖は哭して痛み、言った。「私は左右の手を失った。」
萱は大いに兵を挙げて古昌郡の瓶山の下に次し、太祖と戦ったが勝てず、死んだ者が八千余人であった。
翌日、萱は残った兵を集めて順州城を襲い破ったので、将軍の元逢は防げず、城を捨てて夜に逃げた。萱は民を捕らえて全州に移し入れた。太祖は元逢に以前の功があったので赦し、順州の名を改めて下枝県とした。
19礼成江を攻める
長興三年,甄萱臣龔直,勇而有智略,來降太祖。萱收龔直二子一女,烙斷股筋。秋九月,萱遣一吉飡相貴以船兵入高麗禮成江,留三日,取鹽、白、貞三州船一百艘焚之,捉猪山島牧馬三百匹而歸。
長興三年、甄萱の臣の龔直は勇ましく智略があったが、来て太祖に降った。萱は龔直の二人の子と一人の娘を取って、股の筋を焼き切った。
秋九月、萱は一吉飡の相貴を遣わして、船の兵で高麗の礼成江に入り、三日留まって、塩州・白州・貞州の三州の船百艘を取って焼き、猪山島の牧の馬三百匹を捕らえて帰った。
20運州で敗れる
清泰元年春正月,萱聞太祖屯運州,遂簡甲士五千至。將軍黔弼及其未陣,以勁騎數千突擊之,斬獲三千餘級,熊津以北三十餘城聞風自降。萱麾下術士宗訓、醫者訓謙、勇將尙達、崔弼等降於太祖。
清泰元年春正月、萱は太祖が運州に屯していると聞いて、ついに甲士五千を選んで至った。将軍の黔弼は、その陣が成る前に強い騎数千で突き撃って、三千余を斬ったり獲ったりし、熊津より北の三十余城は風を聞いて自ら降った。萱の下にいた術士の宗訓、医者の訓謙、勇ましい将の尚達・崔弼らが太祖に降った。
21子に閉じ込められる
甄萱多娶妻,有子十餘人。第四子金剛,身長而多智,萱特愛之,意欲傳其位。其兄神劒、良劒、龍劒等知之憂悶。時良劒為康州都督,龍劒為武州都督,獨神劒在側。伊飡能奐使人往康、武二州,與良劒等陰謀。至清泰二年春三月,與波珍飡新德、英順等勸神劒幽萱於金山佛宇,遣人殺金剛。神劒自稱大王,大赦境內。其教書曰:「如意特蒙寵愛,惠帝得以為君;建成濫處元良,太宗作而即位。天命不易,神器有歸。恭惟大王神武超倫,英謀冠古。生丁衰季,自任經綸,徇地三韓,復邦百濟。廓清塗炭而黎元安集,鼓舞風雷而邇遐駿奔。功業幾於重興,智慮忽其一失。幼子鍾愛,姦臣弄權,導大君於晉惠之昏,陷慈父於獻公之惑,擬以大寳授之頑童。所幸者,上帝降衷,君子改過,命我元子,尹茲一邦。
甄萱は妻を多く娶って、子が十余人いた。第四子の金剛は背が高く智が多かったので、萱は特に愛して、その位を伝えようと思った。その兄の神剣・良剣・竜剣らはこれを知って憂え悶えた。そのとき良剣は康州都督、竜剣は武州都督となり、神剣だけが傍にいた。
伊飡の能奐が人を遣わして康州と武州の二州に行かせ、良剣らと密かに謀った。清泰二年春三月に至って、波珍飡の新徳・英順らとともに神剣に勧めて萱を金山の仏宇に幽し、人を遣わして金剛を殺した。
神剣は自ら大王と称し、境内に大赦した。その教書はこうである。
「如意は特に寵愛を蒙ったが、恵帝が君となることができた。建成は濫りに元良の座にいたが、太宗が起こって位に即いた。天命は易わらず、神器は帰するところがある。
謹んで思うに、大王は神武が倫に超え、英謀が古に冠たるお方である。衰えた末の世に生まれて、自ら経綸を任じ、三韓を巡って百済を復された。塗炭を廓清して民は安んじて集まり、風雷を鼓舞して遠近の者が駿く奔った。功業はほとんど重興に至ったが、智慮がたちまち一度失われた。幼い子を鍾愛し、姦臣が権を弄んで、大君を晋の恵帝の昏さに導き、慈父を献公の惑いに陥れて、大宝を頑な童に授けようとした。幸いなのは、上帝が衷を降し、君子が過ちを改めて、我が元子に命じてこの一邦を尹めさせたことである。
22尚父とする
顧非震長之才,豈有臨君之智?兢兢慄慄,若蹈冰淵,宜推不次之恩,以示惟新之政。可大赦境內,限清泰二年十月十七日昧爽以前,已發覺、未發覺、已結正、未結正大辟已下罪,咸赦除之,主者施行。」萱在金山三朔,六月,與季男能乂、女子衰福、嬖妾姑比等逃奔錦城,遣人請見於太祖。太祖喜,遣將軍黔弼、萬𡻷等,由水路勞來之。及至,待以厚禮。以萱十年之長,尊為尙父,授館以南宮,位在百官之上。賜楊州為食邑,兼賜金帛、蕃縟、奴婢各四十口、內廐馬十匹。甄萱壻將軍英規密語其妻曰:「大王勤勞四十餘年,功業垂成,一旦以家人之禍失地,投於高麗。夫貞女不事二夫,忠臣不事二主。若捨己君以事逆子,則何顔以見天下之義士乎?況聞高麗王公,仁厚勤儉,以得民心,殆天啓也,必為三韓之主。
顧みれば長子の才ではない。どうして君に臨む智があろうか。兢々と慄々として、氷の上や淵を踏むようであるから、次に拠らない恩を推して、新たになる政を示そう。境内に大赦して、清泰二年十月十七日の明け方以前に、すでに発覚した罪も未だ発覚しない罪も、すでに判決した罪も未だ判決しない罪も、大辟以下をみな赦し除くので、主る者は施行せよ。」
萱が金山にいて三月たった六月、末子の能乂、娘の哀福、愛する妾の姑比らとともに錦城に逃げ、人を遣わして太祖に会うことを請うた。
太祖は喜んで、将軍の黔弼・萬歳らを遣わし、水路で労って来させた。至ると厚い礼で待遇した。萱が十歳の年長なので、尊んで尚父とし、南宮に館を授け、位を百官の上に置いた。楊州を賜って食邑とし、あわせて金と帛、屏と褥、奴婢各四十口、内廐の馬十匹を賜った。
甄萱の婿の将軍の英規が、密かにその妻に言った。「大王は四十余年勤め労して、功業がほとんど成ったのに、一朝、家の者の禍で地を失い、高麗に身を投じられた。およそ貞しい女は二人の夫に事えず、忠の臣は二人の主に事えない。もし自分の君を捨てて逆らった子に事えたら、どんな顔で天下の義士に会えようか。まして聞くところでは高麗の王公は仁厚で勤め倹しく、民の心を得たという。おそらく天が啓いたのであって、必ず三韓の主となるだろう。
夾注 1
女子衰福
底本は「衰福」とあるが、「哀福」の誤りと見る。 ― 訳者
23一利川の戦い
盍致書以安慰我王,兼殷勤於王公,以圖將來之福乎?」其妻曰:「子之言是吾意也。」於是天福元年二月,遣人致意,遂告太祖曰:「若舉義旗,請為內應,以迎王師。」太祖喜,厚賜其使者而遣之,兼謝英規曰:「若蒙恩一合,無道路之梗,則先致謁於將軍,然後升堂拜夫人,兄事而姉尊之,必終有以厚報之。天地鬼神,皆聞此言。」夏六月,萱告曰:「老臣所以投身於殿下者,願仗殿下威稜,以誅逆子耳。伏望大王借以神兵,殲其賊亂,則臣雖死無憾。」太祖從之。先遣太子武、將軍述希領步騎一萬趣天安府。秋九月,太祖率三軍至天安合兵,進次一善。神劒以兵逆之。甲午,隔一利川,相對布陣。太祖與尙父萱觀兵,以大相堅權、述希、金山、將軍龍吉、竒彦等,領步騎三萬,為左翼;大相金鐵、洪儒、守鄕、將軍王順、俊良等,領步騎三萬,為右翼;大匡順式、大相兢俊、王謙、王乂、黔弼、將軍貞順、宗熙等,以鐵騎二萬、步卒三千,及黑水鐵利諸道勁騎九千五百,為中軍;大將軍公萱、將軍王含允,以兵一萬五千,為先鋒:鼓行而進。
どうして書を送って我が王を慰め、あわせて王公に懇ろにして、将来の福を図らないことがあろうか。」
その妻は言った。「あなたの言葉が、そのまま私の意です。」
そこで天福元年二月、人を遣わして意を伝え、ついに太祖に告げた。「もし義の旗を挙げられるなら、どうか内から応じて王の軍を迎えましょう。」
太祖は喜んで、その使者に厚く賜って遣わし、あわせて英規に謝した。「もし恩を蒙って一つに合い、道に塞ぎがなくなれば、先に将軍に謁し、その後で堂に上って夫人に拝し、兄として事え姉として尊んで、必ずついには厚く報いるようにしよう。天地の鬼神が、みなこの言葉を聞いている。」
夏六月、萱が申し上げた。「老いた臣が殿下に身を投じたのは、殿下の威稜を仗りて逆らった子を誅したいだけです。伏して望みます、大王が神の兵を貸してその賊乱を殲ぼしてくださるなら、臣は死んでも恨みはありません。」
太祖はこれに従った。先に太子の武と将軍の述希を遣わして、歩兵と騎兵一万を率いて天安府に赴かせた。秋九月、太祖は三軍を率いて天安に至って兵を合わせ、進んで一善に次した。神剣は兵でこれを迎えた。
甲午の日、一利川を隔てて相対して陣を布いた。太祖は尚父の萱とともに兵を観た。大相の堅権・述希・金山、将軍の竜吉・奇彦らが歩騎三万を率いて左翼とし、大相の金鉄・洪儒・守鄕、将軍の王順・俊良らが歩騎三万を率いて右翼とした。大匡の順式、大相の兢俊・王謙・王乂・黔弼、将軍の貞順・宗熙らが鉄騎二万と歩卒三千、および黒水・鉄利の諸道の強い騎九千五百で中軍とし、大将軍の公萱、将軍の王含允が兵一万五千で先鋒として、鼓を打ちながら進んだ。
24後百済が崩れる
百濟將軍孝奉、德述、明吉等望兵勢大而整,棄甲降於陣前。太祖勞慰之,問百濟將帥所在。孝奉等曰:「元帥神劒在中軍。」太祖命將軍公萱直擣中軍一軍,齊進挾擊。百濟軍潰北,神劒與二弟及將軍富達、小達、能奐等四十餘人生降。太祖受降,除能奐,餘皆慰勞之,許令與妻孥上京。問能奐曰:「始與良劒等密謀囚大王,立其子者,汝之謀也。為臣之義,當如是乎?」能奐俛首不能言,遂命誅之。以神劒僣位,為人所脅,非其本心,又且歸命乞罪,特原其死。甄萱憂懣,發疽數日,卒於黃山佛舍。太祖軍令嚴明,士卒不犯秋毫,故州縣案堵,老幼皆呼萬歲。於是存問將士,量材任用,小民各安其所業。謂神劒之罪如前所言,乃賜官位。
百済の将軍の孝奉・徳述・明吉らは、兵の勢いが大きく整っているのを望み見て、甲を捨てて陣の前に降った。太祖は労い慰めて、百済の将帥のいる所を問うた。孝奉らは言った。「元帥の神剣は中軍にいます。」
太祖は将軍の公萱に命じてまっすぐ中軍を撃たせ、全軍が揃って進んで挟み撃った。百済の軍は潰えて走り、神剣は二人の弟と将軍の富達・小達・能奐ら四十余人とともに生きたまま降った。
太祖は降りを受け、能奐を除いて、残りはみな慰労して、妻子とともに都に上ることを許した。
能奐に問うた。「初めに良剣らと密かに謀って大王を囚え、その子を立てたのは、お前の謀だ。臣たる義が、こうであってよいのか。」能奐は頭を垂れて言えなかったので、ついに命じて誅した。
神剣が位を僣ったのは人に脅されたからで、その本心ではなく、また命を帰して罪を乞ったので、特にその死を赦した。
甄萱は憂え悶えて疽が出て、数日して黄山の仏舎で亡くなった。
太祖の軍令は厳しく明らかで、士卒は秋の毛一本も犯さなかったので、州と県は安んじて居を定め、老いた者も幼い者もみな万歳を呼んだ。そこで将士を存問し、才を量って任用したので、小さな民はそれぞれその業に安んじた。神剣の罪は先に言ったとおりだとして、官位を賜った。
夾注 1
一云三兄弟皆伏誅。
三兄弟はみな誅されたともいう。
25甄萱が滅びる
其二弟與能奐罪同,遂流於真州,尋殺之。謂英規「前王失國後,其臣子無一人慰藉者,獨卿夫妻千里嗣音,以致誠意,兼歸美於寡人,其義不可忘」。仍許職左丞,賜田一千頃,許借驛馬二十五匹,以迎家人賜,其二子以官。甄萱起唐景福元年,至晉天福元年,共四十五年而滅。
その二人の弟は能奐と罪が同じなので、ついに真州に流し、やがて殺した。
英規に言った。「前の王が国を失った後、その臣や子で一人も慰める者がなかったのに、ただ卿の夫妻だけが千里に音信を継いで誠の意を至らせ、あわせて寡人に美しさを帰した。その義は忘れられない。」そして左丞の職を許し、田一千頃を賜り、駅馬二十五匹を借りて家の者を迎えさせ、その二人の子に官を与えた。
甄萱は唐の景福元年に起こり、後晋の天福元年に至った。合わせて四十五年で滅びた。
26史論 — 弓裔と甄萱
論曰:新羅數窮道喪,天無所助,民無所歸。於是羣盜投隙而作,若猬毛然,其劇者弓裔、甄萱二人而已。弓裔本新羅王子而反以宗國為讐,圖夷滅之,至斬先祖之畵像,其為不仁甚矣。甄萱起自新羅之民,食新羅之祿,而包藏禍心,幸國之危,侵軼都邑,虔劉君臣,若禽獼而草薙之,實天下之元惡大憝。故弓裔見棄於其臣,甄萱産禍於其子,皆自取之也,又誰咎也!雖項羽、李密之雄才,不能敵漢、唐之興,而況裔、萱之凶人,豈可與我太祖相抗歟!但為之歐民者也。
論じて言う。
新羅は数が窮まり道が失われて、天が助けるところがなく、民が帰るところがなかった。そこで多くの盗賊が隙に乗じて起こり、ハリネズミの毛のようであったが、その甚しい者は弓裔と甄萱の二人だけであった。
弓裔はもともと新羅の王子であったのに、かえって自分の国を仇として滅ぼすことを図り、先祖の画像を斬るに至った。その不仁は甚しい。
甄萱は新羅の民から起こって新羅の禄を食みながら、禍の心を包み蔵し、国の危うさを幸いとして都邑を侵し、君と臣を殺すことが、鳥や獣を狩り草を薙ぐようであった。まことに天下の元悪、大いなる憎まれ者である。
だから弓裔はその臣に捨てられ、甄萱はその子から禍が生じた。みな自ら取ったことであって、また誰を咎めようか。
項羽や李密の雄々しい才でも、漢と唐の興りには敵わなかった。まして裔や萱のような凶な人が、どうして我が太祖と相い抗せられようか。ただ民を駆り寄せてやった者にすぎない。