仮譎世説新語 假譎第二十七
1盗人はここにいるぞ
魏武少時,嘗與袁紹好為游俠,觀人新婚,因潛入主人園中,夜叫呼云:「有偷兒賊!」青廬中人皆出觀,魏武乃入,抽刃劫新婦與紹還出,失道,墜枳棘中,紹不能得動,復大叫云:「偷兒在此!」紹遑迫自擲出,遂以俱免。
魏の武帝が若いころ、かつて袁紹とともに遊俠を好んで振る舞っていた。
人が新しく婚礼をするのを見て、こっそりとその家の園の中に入り、夜に叫んで言った。「盗人がいるぞ」
青い幕の中の人が皆出て見ているうちに、魏の武帝は中に入り、刃を抜いて新婦を脅し、袁紹とともに戻って出ようとしたが、道を失って枳の茨の中に落ちた。
袁紹が動けなくなると、また大声で叫んだ。「盗人はここにいるぞ」
袁紹はあわてて自ら身を投げ出し、こうしてともに逃れることができた。
夾注 1
曹瞞傳曰:「操小字阿瞞,少好譎詐,遊放無度。」孫盛雜語云:「武王少好俠,放蕩不修行業。嘗私入常侍張讓宅中,讓乃手戟於庭,踰垣而出,有絕人力,故莫之能害也。」
『曹瞞伝』に言う。「曹操は幼名を阿瞞といい、若くして偽りと欺きを好み、遊び放って度がなかった」孫盛の『雑語』に言う。「武王は若くして俠を好み、放蕩して仕事や学業を修めなかった。かつてひそかに常侍の張譲の邸内に入り、張譲が庭で戟を手にすると、垣を越えて出た。人並みはずれた力があったので、彼を害しうる者はいなかった」
2前に大きな梅の林があり実が豊かだから、渇きをいやすことができる
魏武行役,失汲道,軍皆渴,乃令曰:「前有大梅林,饒子,甘酸,可以解渴。」士卒聞之,口皆出水,乘此得及前源。
魏の武帝が軍を率いて進むうち、水を汲む道を失い、軍はみな渇いた。
そこで命じて言った。「前に大きな梅の林があり、実が豊かで、甘く酸く、渇きをいやすことができる」
士卒はこれを聞いて口から皆水が出たので、それに乗じて前の水源まで行き着くことができた。
3この者は死ぬまで気づかず、反逆を企てていた者は気勢を挫かれた
魏武常言:「人欲危己,己輒心動。」因語所親小人曰:「汝懷刃密來我側,我必說『心動』。執汝使行刑;汝但勿言其使,無他,當厚相報。」執者信焉,不以為懼,遂斬之。此人至死不知也。左右以為實,謀逆者挫氣矣。
魏の武帝はいつも言っていた。「人が自分を害そうとすると、自分はすぐに胸がざわつくのだ」
そこで身近に使っている下の者に言った。「お前が刃を懐に入れてこっそり私の側へ来たら、私は必ず『胸がざわつく』と言う。お前を捕らえて刑を行わせるが、お前はただ、そう命じた者の名を言うな。他には何も起こらぬから、きっと厚く報いてやろう」
捕らえられた者はこれを信じて恐れなかったが、ついに斬られてしまった。
この者は死ぬまで気づかず、側の者たちは本当のことと思い、反逆を企てていた者は気勢を挫かれた。
夾注 1
曹瞞傳曰:「操在軍,廩穀不足,私語主者曰:『何如?』主者云:『可以小斛足之。』操曰:『善。』後軍中言操欺眾,操題其主者,背以徇曰:『行小斛,盜軍穀。』遂斬之。仍云:『特當借汝死,以厭眾心。』其變詐皆此類也。」
『曹瞞伝』に言う。「曹操が軍にあったとき、倉の穀物が足りなくなり、ひそかに担当の者に『どうしたものか』と言った。担当の者は『小さい斛で量って足せばよろしいでしょう』と言った。曹操は『よい』と言った。のちに軍中で曹操が人々を欺いていると言われると、曹操はその担当の者の罪を書きつけ、背に負わせて引き回しながら『小さい斛を使って軍糧を盗んだ』と言い、ついにこれを斬った。そのうえで『特別にお前の死を借りて、人々の心を満たすのだ』と言った。その変わり身と欺きは、皆この類である」
4これ以後、眠るたびに側の者で近づこうとする者はいなかった
魏武常云:「我眠中不可妄近,近便斫人,亦不自覺,左右宜深慎此!」後陽眠,所幸一人竊以被覆之,因便斫殺。自爾每眠,左右莫敢近者。
魏の武帝はいつも言っていた。「私が眠っているときにむやみに近づいてはならぬ。近づけばすぐに人を斬るが、自分では気づかぬのだから、側の者はこれを深く慎むがよい」
のちに眠るふりをしていると、気に入りの者の一人がこっそり布団を掛けてやったので、そのまま斬り殺した。
これ以後、眠るたびに側の者で近づこうとする者はいなかった。
5剣が来ると、やはり高かった
袁紹年少時,曾遣人夜以劍擲魏武,少下,不著。魏武揆之,其後來必高,因帖臥床上。劍至果高。
袁紹が年若いころ、かつて人を遣って夜に剣を魏の武帝に投げさせたが、少し下へ行って当たらなかった。
魏の武帝はこれを推し量り、次に来るものは必ず高いだろうと思って、寝台の上に身を伏せて寝た。
剣が来ると、やはり高かった。
夾注 1
按袁、曹後由鼎跱,跡始攜貳。自斯以前,不聞讎隙,有何意故而剚之以劍也?
按ずるに、袁氏と曹氏はのちに鼎の足のように対立するようになってから、その跡が初めて分かれて二心となった。それより前には、仇や隙があったとは聞かない。どんな意図や理由があって剣で刺そうとしたりしようか。
6婆さん、どうか隠してくれ
王大將軍既為逆,頓軍姑孰。晉明帝以英武之才,猶相猜憚,乃著戎服,騎巴賨馬,齎一金馬鞭,陰察軍形勢。未至十餘里,有一客姥,居店賣食。帝過愒之,謂姥曰:「王敦舉兵圖逆,猜害忠良,朝廷駭懼,社稷是憂。故劬勞晨夕,用相覘察,恐形迹危露,或致狼狽。追迫之日,姥其匿之。」便與客姥馬鞭而去。行敦營匝而出,軍士覺,曰:「此非常人也!」敦臥心動,曰:「此必黃鬚鮮卑奴來!」命騎追之,已覺多許里,追士因問向姥:「不見一黃鬚人騎馬度此邪?」姥曰:「去已久矣,不可復及。」於是騎人息意而反。
王大将軍がすでに反逆を起こし、軍を姑孰に留めていた。
晋の明帝は英邁で武勇の才がありながらも、なお互いに疑い憚って、軍服を着て巴賨の馬に乗り、金の鞭一本を携えて、ひそかに軍の形勢をうかがった。
十里あまりの手前まで来たところに、旅の老婆がいて、店を出して食べ物を売っていた。
帝は通りかかってそこで休み、老婆に言った。「王敦が兵を挙げて反逆を企て、忠良の者を疑って害するので、朝廷は驚き恐れ、国家のことが心配でならぬ。そこで朝晩に骨を折ってこれをうかがい探っているのだが、跡が危うく露れて、あわてることになりかねぬ。追い迫られる日には、婆さん、どうか隠してくれ」
そう言って旅の老婆に馬の鞭を与えて去った。
王敦の陣営をひと回りして出てくると、軍士が気づいて言った。「これはただの人ではない」
王敦は横になっていたが胸がざわいで言った。「これは必ずあの黄色い髭の鮮卑の奴が来たのだ」
騎兵に命じて追わせたが、すでに何里も離れているのに気づいた。
追う兵はそこでさきの老婆に尋ねた。「黄色い髭の男が馬に乗ってここを通るのを見なかったか」
老婆は言った。「行ってからもう久しい。もう追いつけるものではないよ」
そこで騎兵たちは思いをやめて帰った。
夾注 1
異苑曰:「帝躬往姑孰,敦時晝寢,卓然驚悟曰:『營中有黃頭鮮卑奴來,何不縛取?』帝所生母荀氏,燕國人,故貌類焉。」
『異苑』に言う。「帝が自ら姑孰へ行ったとき、王敦はちょうど昼寝をしていたが、はっと驚いて目を覚まし『陣中に黄色い頭の鮮卑の奴が来たぞ。なぜ縛って捕らえぬのか』と言った。帝を産んだ母の荀氏は燕国の人なので、顔かたちがそれに似ていたのである」
7そこで吐いて頭も顔も布団も敷物も汚し、ぐっすり眠っているふりをした
王右軍年裁十歲時,大將軍甚愛之,恆置帳中眠。大將軍嘗先出,右軍猶未起;須臾,錢鳳入,屏人論事,都忘右軍在帳中,便言逆節之謀。右軍覺,既聞所論,知無活理,乃剔吐汙頭面被褥,詐熟眠。敦論事造半,方意右軍未起,相與大驚曰:「不得不除之!」及開帳,乃見吐唾從橫,信其實熟眠,於是得全。于時稱其有智。
王右軍が年わずか十歳のころ、大将軍はひどく彼をかわいがり、いつも自分の帳の中に寝かせていた。
大将軍がある日先に出て行ったが、右軍はまだ起きていなかった。
しばらくして銭鳳が入ってきて、人を払って事を論じ、右軍が帳の中にいることをまったく忘れて、反逆の企てを口にした。
右軍は目を覚ましてその議論を聞いてしまい、生き延びる道がないと知って、そこで喉を突いて吐き、頭も顔も布団も敷物も汚して、ぐっすり眠っているふりをした。
王敦は事を論じて半ばに至ったところで、はじめて右軍がまだ起きていないことに気づき、互いに大いに驚いて言った。「除かぬわけにはいかぬ」
帳を開けると、吐いた唾が縦横に散らばっているのを見て、本当にぐっすり眠っていたのだと信じたので、こうして無事でいられた。
当時の人はその知恵のあることをほめた。
夾注 2
晉陽秋曰:「鳳字世儀,吳嘉興尉子也。姦慝好利。為敦鎧曹參軍,知敦有不臣心,因進說。後敦敗,見誅。」
『晋陽秋』に言う。「銭鳳は字は世儀、呉の嘉興尉の子である。邪悪で利を好んだ。王敦の鎧曹参軍となり、王敦に臣たらぬ心があることを知って、進んで勧めた。のちに王敦が敗れると誅された」
按諸書皆云王允之事,而此言羲之,疑謬。
按ずるに、諸書はみな王允之の事だと言うのに、ここでは王羲之と言っているので、誤りであろう。
8庾元規がどういうわけで陶士衡を拝するのか
陶公自上流來,赴蘇峻之難,令誅庾公。謂必戮庾,可以謝峻。庾欲奔竄,則不可;欲會,恐見執,進退無計。溫公勸庾詣陶,曰:「卿但遙拜,必無它。我為卿保之。」庾從溫言詣陶。至,便拜。陶自起止之,曰:「庾元規何緣拜陶士衡?」畢,又降就下坐。陶又自要起同坐。坐定,庾乃引咎責躬,深相遜謝。陶不覺釋然。
陶公が川の上流から来て蘇峻の難に臨み、庾公を斬れと命じた。
必ず庾亮を殺してこそ蘇峻に謝ることができると考えたのである。
庾亮は逃げ隠れようとしてもできず、会おうとすれば捕らえられるのを恐れて、進むも退くも策がなかった。
温公は庾亮に陶氏を訪ねるよう勧めて言った。「あなたはただ遠くから拝するだけでよい。必ず何事もない。私があなたのために保証しよう」
庾亮は温氏の言葉に従って陶氏を訪ね、着くとすぐに拝した。
陶氏は自ら立ち上がってこれを止め、言った。「庾元規がどういうわけで陶士衡を拝するのか」
終わると庾亮はまた降りて下座に着いたが、陶氏はまた自ら請うて立たせ、ともに座らせた。
座が定まると、庾亮は自ら咎を引き受けて己を責め、深く謙って謝った。
陶氏は気づかぬうちに気持ちが解けていった。
夾注 1
晉陽秋曰:「是時成帝在襁褓,太后臨朝,中書令庾亮以元舅輔政,欲以風軌格政,繩御四海。而峻擁兵近甸,為逋逃藪。亮圖召峻,王導、卞壺並不欲。亮曰:『蘇峻豺狼,終為禍亂,晁錯所謂削亦反,不削亦反。』遂下優詔,以大司農徵之。峻怒曰:『庾亮欲誘殺我也。』遂克京邑。平南溫嶠聞亂,號泣登舟,遣參軍王愆期推征西陶侃為盟主,俱赴京師。時亮敗績奔嶠,人皆尤而少之。嶠愈相崇重,分兵以配給之。」
『晋陽秋』に言う。「このとき成帝はまだ襁褓の中にあり、太后が朝政に臨み、中書令の庾亮が大舅として政を輔けていたが、風儀と規範によって政を正し、四海を縄で御そうとした。ところが蘇峻は兵を抱えて都の近郊にあり、逃亡者の巣となっていた。庾亮が蘇峻を召そうと図ると、王導と卞壺はともに賛成しなかった。庾亮は『蘇峻は豺狼だ。いずれ禍乱となる。晁錯のいわゆる、削っても背き、削らなくても背く、というやつだ』と言った。ついに優詔を下し、大司農として召し寄せた。蘇峻は怒って『庾亮は私を誘い出して殺そうとしているのだ』と言い、ついに都を陥れた。平南の温嶠は乱を聞いて泣き叫びながら舟に乗り、参軍の王愆期を遣って征西の陶侃を推して盟主とし、ともに都へ赴いた。そのとき庾亮は敗れて温嶠のもとへ逃げ、人々は皆これを咎めて軽んじた。温嶠はいっそう彼を尊び重んじ、兵を分けて彼に配した」
9私はもともとあの老いた奴ではないかと疑っていたが、やはり占ったとおりだった
溫公喪婦,從姑劉氏,家值亂離散,唯有一女,甚有姿慧,姑以屬公覓婚。公密有自婚意,答云:「佳壻難得,但如嶠比云何?」姑云:「喪敗之餘,乞粗存活,便足慰吾餘年,何敢希汝比?」卻後少日,公報姑云:「已覓得婚處,門地粗可,壻身名宦,盡不減嶠。」因下玉鏡臺一枚。姑大喜。既婚,交禮,女以手披紗扇,撫掌大笑曰:「我固疑是老奴,果如所卜!」玉鏡臺,是公為劉越石長史,北征劉聰所得。
温公が妻を失った。
従姉の叔母である劉氏は、家が乱に遭って散り散りになり、ただ娘が一人あるばかりだったが、たいそう姿も才気もあった。
叔母はこの娘を温公に託して婚家を探してもらおうとした。
温公はひそかに自ら妻にしたい気持ちがあって、答えた。「よい婿は得がたいものです。ただ、この嶠くらいの者ではいかがですか」
叔母は言った。「家が崩れた残りだから、どうにか食べていければそれで私の残る年を慰めるのに十分です。どうしてお前くらいの者を望めましょう」
その後数日して、温公は叔母に知らせた。「もう婚家を見つけました。家柄も地位もまずまずで、婿自身の名声も官位も、まったく嶠に劣りません」
そう言って玉の鏡台を一つ贈った。叔母は大いに喜んだ。
やがて婚礼となり、礼を交わすとき、娘は手で紗の扇を押し開け、手を打って大笑いして言った。「私はもともとあの老いた奴ではないかと疑っていたが、やはり占ったとおりだった」
玉の鏡台は、温公が劉越石の長史となり、北へ劉聡を討ったときに得たものである。
夾注 2
按溫氏譜:「嶠初取高平李暅女,中取琅琊王詡女,後取廬江何邃女。都不聞取劉氏,便為虛謬。」谷口云:「劉氏,政謂其姑爾,非指其女姓劉也。孝標之注,亦未為得。」
按ずるに『温氏譜』に「温嶠は初めに高平の李暅の娘を娶り、次に琅邪の王詡の娘を娶り、後に廬江の何邃の娘を娶った」とあり、劉氏を娶ったとはまったく聞かないので、これは誤りである。谷口が言う。「劉氏とは、まさにその叔母のことを言うのであって、その娘の姓が劉だと指したのではない。孝標の注も、当を得たものとは言えない」
王隱晉書曰:「建興二年,嶠為劉琨假守左司馬,都督上前鋒諸軍事,討劉聰。」晉陽秋曰:「聰一名載,字玄明,屠各人。父淵,因亂起兵死。聰嗣業。」
王隠の『晋書』に言う。「建興二年、温嶠は劉琨のために左司馬を仮に務め、前鋒の諸軍事を都督して劉聡を討った」『晋陽秋』に言う。「劉聡は別名を載、字は玄明、屠各の人である。父の劉淵が乱に乗じて兵を起こして死に、劉聡がその業を継いだ」
10江郎を呼んで起こしてやりなさい
諸葛令女,庾氏婦,既寡,誓云:「不復重出!」此女性甚正彊,無有登車理。恢既許江思玄婚,乃移家近之。初,誑女云:「宜徙。」於是家人一時去,獨留女在後。比其覺,已不復得出。江郎莫來,女哭詈彌甚,積日漸歇。江虨暝入宿,恆在對床上。後觀其意轉帖,虨乃詐厭,良久不悟,聲氣轉急。女乃呼婢云:「喚江郎覺!」江於是躍來就之曰:「我自是天下男子,厭,何預卿事而見喚邪?既爾相關,不得不與人語。」女默然而慙,情義遂篤。
諸葛令の娘は庾氏の妻であったが、寡婦となってから誓って言った。「もう二度と嫁に出ることはしない」
この娘は性質がひどく正しく強く、婚礼の車に乗る見込みはなかった。
諸葛恢はすでに江思玄との婚姻を許していたので、家を移して彼の近くへ寄せた。
はじめ娘を騙して言った。「移らなければならない」
そこで家の者は一度に出て行き、娘だけを後に残した。
娘が気づいたころには、もう出て行くことはできなかった。
江郎が夕暮れに来ると、娘は泣き罵ることがいっそう激しかったが、日が重なるにつれて次第に静まっていった。
江虨は暗くなってから入って泊まったが、いつも向かいの床の上にいた。
のちに娘の気持ちが和らいできたのを見て、江虨はそこで悪夢にうなされたふりをし、長いあいだ目を覚まさず、声と息はいよいよ切迫していった。
娘はそこで婢を呼んで言った。「江郎を呼んで起こしてやりなさい」
江氏はそこで跳ね起きて娘のそばへ寄って言った。「私はもともと天下の男子だ。うなされたからといって、あなたに何の関わりがあって呼ばせたのか。そこまで関わったのだから、人と言葉を交わさぬわけにはいくまい」
娘は黙って恥じ入り、情も義もついに深くなった。
夾注 2
即庾亮子會妻。父虨,已見上。
すなわち庾亮の子の庾会の妻である。父の江虨はすでに上に見えている。
葛令之清英,江君之茂識,必不背聖人之正典,習蠻夷之穢行。康王之言,所輕多矣。
諸葛令の清らかな英才と江君の豊かな見識であれば、必ず聖人の正しい典を捨てて蛮夷の汚れた行いを習うようなことはあるまい。康王の言葉には、軽々しいものが多い。
11無義などどうして立てられるものか
愍度道人始欲過江,與一傖道人為侶,謀曰:「用舊義往江東,恐不辦得食。」便共立「心無義」。既而此道人不成渡,愍度果講義積年。後有傖人來,先道人寄語云:「為我致意愍度,無義那可立?治此計,權救饑爾!無為遂負如來也。」
愍度道人が初めて江を渡ろうとしたとき、一人の田舎の道人と連れになって相談した。「古い義のままで江東へ行っては、食を得ることもできまいと思う」
そこでともに「心無義」を立てた。
やがてこの道人は渡ることができず、愍度は果たして長年その義を講じた。
のちに田舎の人が来たので、さきの道人が言葉を託した。「私のために愍度に伝えてくれ。無義などどうして立てられるものか。あの策を講じたのは、しばらく飢えをしのぐためだけのことだった。そのまま如来を裏切ってはならぬ、と」
夾注 2
名德沙門題目曰:「支愍度才鑒清出。」孫綽愍度贊曰:「支度彬彬,好是拔新。俱稟昭見,而能越人。世重秀異,咸競爾珍。孤桐嶧陽,浮磬泗濱。」
「名徳沙門題目」に言う。「支愍度は才と鑑識が清らかに抜きんでている」孫綽の「愍度賛」に言う。「支度は文彩ゆたかで、新しさを抜き出すのを好む。ともに明らかな見識を授かりながら、人を越えることができる。世は秀でて異なるものを重んじ、皆がその珍しさを競う。嶧陽の孤りの桐であり、泗水のほとりの浮かぶ磬である」
舊義者曰:「種智有是,而能圓照。然則萬累斯盡,謂之空無;常住不變,謂之妙有。」而無義者曰:「種智之體,豁如太虛,虛而能知,無而能應。居宗至極,其唯無乎?」
古い義を説く者は言う。「種智には有があり、それによって円かに照らすことができる。そうであれば万の累はここに尽きるので、これを空無と言い、常に住して変わらないので、これを妙有と言う」ところが無義を説く者は言う。「種智の体は、からりと開けて大虚のようである。虚でありながら知ることができ、無でありながら応じることができる。宗に居して至極に至るもの、それはただ無だけではないか」
12はじめて孫興公の欺きを知る
王文度弟阿智,惡乃不翅,當年長而無人與婚。孫興公有一女,亦僻錯,又無嫁娶理。因詣文度,求見阿智。既見,便陽言:「此定可,殊不如人所傳,那得至今未有婚處?我有一女,乃不惡,但吾寒士,不宜與卿計,欲令阿智娶之。」文度欣然而啟藍田云:「興公向來,忽言欲與阿智婚。」藍田驚喜。既成婚,女之頑嚚,欲過阿智。方知興公之詐。
王文度の弟の阿智は、その出来の悪さは並ではなく、その年になっても嫁に来る者がなかった。
孫興公には娘が一人あったが、やはり偏屈でねじけていて、これも嫁ぐ見込みがなかった。
そこで孫興公は文度を訪ね、阿智に会わせてくれと求めた。
会ってしまうとすぐに嘘を言った。「これならまったく大丈夫で、人の伝えるのとはまるで違う。それがどうして今まで婚家がなかったのか。私に娘が一人あって、これも悪くはないのだが、ただ私は貧しい士なので、あなたと釣り合いを比べるのはふさわしくない。阿智にこれを娶らせたいのだ」
文度は喜んで藍田に申し上げた。「興公がさきほど来て、急に阿智と縁組をしたいと申しました」
藍田は驚き喜んだ。
やがて婚礼が済むと、娘の頑なさと愚かさは阿智を越えるほどだったので、はじめて興公の欺きを知った。
夾注 1
阿智,王虔之小字。虔之字文將,辟州別駕,不就。娶太原孫綽女,字阿恒。
阿智は王虔之の幼名である。王虔之は字は文将で、州の別駕に召されたが赴かなかった。太原の孫綽の娘を娶ったが、その字は阿恒である。
13さきほどまでの期待は、一時にすっかり消えてしまった
范玄平為人,好用智數,而有時以多數失會。嘗失官居東陽,桓大司馬在南州,故往投之。桓時方欲招起屈滯,以傾朝廷;且玄平在京,素亦有譽,桓謂遠來投己,喜躍非常。比入至庭,傾身引望,語笑歡甚。顧謂袁虎曰:「范公且可作太常卿。」范裁坐,桓便謝其遠來意。范雖實投桓,而恐以趨時損名,乃曰:「雖懷朝宗,會有亡兒瘞在此,故來省視。」桓悵然失望,向之虛佇,一時都盡。
范玄平は人柄として知恵と計略を用いるのを好んだが、ときには計略が多すぎてせっかくの機会を失った。
かつて官を失って東陽に住んでいたとき、桓大司馬が南州にいたので、そこへ行って身を寄せようとした。
桓氏はそのころ、ちょうど屈し滞っている人材を招き起こして朝廷を傾けようとしていたし、そのうえ玄平は都にいたころからもとより評判があった。
桓氏は彼が遠くから自分を頼って来たと思って、喜び飛び上がることは並ではなかった。
庭に入ってくるころには、身を傾けて首を伸ばして眺め、話し笑って大いに喜んだ。
袁虎を振り向いて言った。「范公はまあ太常卿にでもなれるだろう」
范氏が座るやいなや、桓氏はすぐに遠路来てくれた心づかいに礼を述べた。
范氏は実のところ桓氏に身を寄せに来たのだが、時勢に迎合したと言われて名を損なうのを恐れて、こう言った。「朝廷を仰ぐ心は抱いておりますが、たまたま亡くした子をここに埋めておりますので、それを見に来たのです」
桓氏は気落ちして望みを失い、さきほどまでの期待は、一時にすっかり消えてしまった。
夾注 1
中興書曰:「初,桓溫請范汪為征西長史,復表為江州,並不就。還都,因求為東陽太守,溫甚恨之。汪後為徐州,溫北伐,令汪出梁國,失期,溫挾憾奏汪為庶人。汪居吳,後至姑孰見溫,溫語其下曰:『玄平乃來見,當以護軍起之。』汪數日辭歸,溫曰:『卿適來,何以便去?』汪曰:『數歲小兒喪,往年經亂,權瘞此境,故來迎之,事竟去耳。』溫愈怒之,竟不屑意。」
『中興書』に言う。「はじめ桓温は范汪に征西長史となるよう請い、さらに上表して江州に任じようとしたが、いずれも赴かなかった。都に帰ってから、自分で東陽太守になることを求めたので、桓温はひどくこれを恨んだ。范汪はのちに徐州となったが、桓温が北伐のとき范汪に梁国へ出るよう命じたのに期日に遅れたので、桓温は恨みを抱いて范汪を庶人とするよう奏上した。范汪は呉に住み、のちに姑孰に来て桓温に会ったが、桓温はその配下に言った。『玄平がわざわざ会いに来たのだから、護軍で起用してやろう』と。范汪が数日して別れを告げて帰ろうとすると、桓温は『あなたは来たばかりなのに、どうしてすぐ帰るのか』と言った。范汪は『数歳の小さい子を亡くしましたが、先年の乱でしばらくこの地に埋めておりましたので、これを迎えに来たのです。事が済んだので帰るだけです』と言った。桓温はますます彼に怒り、ついに意に介さなくなった」
14だまして賭けの物にし、手に入れるとすぐに焼いてしまう
謝遏年少時,好著紫羅香囊,垂覆手。太傅患之,而不欲傷其意,乃譎與賭,得即燒之。
謝遏が年若いころ、紫の羅の香袋を身に着け、手覆いを垂らすのを好んだ。
太傅はこれを気にしていたが、その気持ちを傷つけたくなかったので、だまして賭けの物にし、手に入れるとすぐに焼いてしまった。
夾注 1
遏,謝玄小字。
遏は謝玄の幼名である。