軽詆世説新語 輕詆第二十六
1一日中でたらめを言う名士などおりましょうか
王太尉問眉子:「汝叔名士,何以不相推重?」眉子曰:「何有名士終日妄語?」
王太尉が眉子に尋ねた。「お前の叔父は名士なのに、どうして互いに重んじ合わないのか」
眉子は言った。「一日中でたらめを言う名士などおりましょうか」
夾注 1
眉子已見。叔,王澄也。
眉子はすでに見えている。叔父とは王澄である。
2どうして無塩を彫り描いて、西施を無作法に扱うのか
庾元規語周伯仁:「諸人皆以君方樂。」周曰:「何樂?謂樂毅邪?」庾曰:「不爾。樂令耳!」周曰:「何乃刻畫無鹽,以唐突西子也。」
庾元規が周伯仁に言った。「皆があなたを楽氏になぞらえています」
周は言った。「どの楽氏か。楽毅のことを言うのか」
庾は言った。「そうではありません。楽令のことです」
周は言った。「どうして無塩を彫り描いて、西施を無作法に扱うのか」
夾注 2
史記曰:「樂毅,中山人。賢而為燕昭王將軍,率諸侯伐齊,終於趙。」
『史記』に言う。「楽毅は中山の人である。賢くして燕の昭王の将軍となり、諸侯を率いて斉を討ち、趙で世を終えた」
列女傳曰:「鍾離春者,齊無鹽之女也。其醜無雙,黃頭深目,長壯大節,鼻昂結喉,肥項少髮,折腰出胸,皮膚若漆。行年三十,無所容入,衒嫁不售,乃自詣齊宣王,乞備後宮,因說王以四殆。王拜為正后。」吳越春秋曰:「越王句踐得山中採薪女子,名曰西施,獻之吳王。」
『列女伝』に言う。「鍾離春は斉の無塩の女である。その醜さは並ぶものがなく、髪は黄色く目は深く、背が高く節は太く、鼻は上を向き喉仏は出て、首は太く髪は少なく、腰は折れ胸は突き出て、皮膚は漆のようであった。年三十になるまで受け入れてくれる所がなく、自ら売り込んで嫁ごうとしても買い手がなかった。そこで自ら斉の宣王のもとへ行き、後宮に加えていただきたいと願い、その折に王に四つの危うさを説いた。王は拝して正后とした」『呉越春秋』に言う。「越王句践が山中で薪を採る女を得たが、名は西施といい、これを呉王に献じた」
3胸の中には茨が三斗ほどある
深公云:「人謂庾元規名士,胷中柴棘三斗許。」
深公が言った。「人は庾元規を名士と言うが、胸の中には茨が三斗ほどある」
4元規の塵が人を汚す
庾公權重,足傾王公。庾在石頭,王在冶城坐。大風揚塵,王以扇拂塵曰:「元規塵汙人!」
庾公の権勢は重く、王公を傾けるに足るほどであった。
庾公は石頭にあり、王公は冶城に座っていた。
大風が塵を巻き上げると、王公は扇で塵を払いながら言った。「元規の塵が人を汚す」
夾注 1
按王公雅量通濟,庾亮之在武昌,傳其應下,公以識度裁之,囂言自息。豈或回貳有扇塵之事乎?王隱《晉書戴洋傳》曰:「丹陽太守王導,問洋得病七年。洋曰:『君侯命在申,為土地之主,而於申上冶,火光昭天,此為金火相爍,水火相炒,以故相害。』導呼冶令奕遜,使啟鎮東徙,今東冶是也。」丹陽記曰:「丹陽冶城,去宮三里,吳時鼓鑄之所,吳平猶不廢。」又云:「孫權築冶城,為鼓鑄之所。」既立石頭大塢,不容近立此小城,當是徙縣冶空城而置冶爾。冶城疑是金陵本冶。漢高六年,令天下縣邑,秣陵不應獨無。
按ずるに、王公は雅量があって物事の筋に通じていた。庾亮が武昌にいたとき、彼が下ってくると伝えられたが、公は見識と度量でこれを裁き、騒がしい噂は自然に止んだ。どうして二心を抱いて塵を扇ぐようなことがあろうか。王隠の『晋書・戴洋伝』に言う。「丹陽太守の王導が、戴洋に病を得て七年になることを尋ねた。戴洋は言った。『君侯の命は申にあり、土地の主となられるお方ですが、その申の上で鋳物をしておりますので、火の光が天に照り、これは金と火が互いに熔かし、水と火が互いに煎り合うもので、そのために互いに害するのです』と。王導は冶令の奕遜を呼び、鎮東に申し上げて東へ移させた。今の東冶がこれである」『丹陽記』に言う。「丹陽の冶城は宮から三里離れており、呉の時代に鍛え鋳た所で、呉が平定されてからも廃されなかった」また言う。「孫権が冶城を築いて鍛え鋳る所とした」すでに石頭の大きな塢を立てたのだから、その近くにこの小城を立てる余地はなく、おそらくは移された県の鋳物場の空き城に鋳物場を置いただけであろう。冶城はおそらく金陵のもとの鋳物場であろう。漢の高帝六年に天下の県邑に命じたのであるから、秣陵だけが独りなかったはずはない。
5お前の家の司空と元規だ、何の難しいことがあろう
王右軍少時甚澀訥,在大將軍許,王、庾二公後來,右軍便起欲去。大將軍留之曰:「爾家司空、元規,復可所難?」
王右軍は若いころ、ひどく口が重くて言葉に詰まった。
大将軍の所にいたとき、王公と庾公の二公が後から来たので、右軍はすぐに立って去ろうとした。
大将軍は彼を引き止めて言った。「お前の家の司空と元規だ、何の難しいことがあろう」
夾注 1
王丞相已見。
王丞相はすでに見えている。
6どこで蔡充の子がいるなどと聞いたことがあろうか
王丞相輕蔡公,曰:「我與安期、千里共遊洛水邊,何處聞有蔡充兒?」
王丞相は蔡公を軽んじて言った。「私が安期や千里とともに洛水のほとりで遊んでいたころ、どこで蔡充の子がいるなどと聞いたことがあろうか」
夾注 1
晉諸公贊曰:「充字子尼,陳留雍丘人。」充別傳曰:「充祖睦,蔡邕孫也。充少好學,有雅尚,體貌尊嚴,莫有媟慢於其前者。高平劉整有雋才,而車服奢麗,謂人曰:『紗縠,人常服耳。嘗遇蔡子尼在坐,終日不自安。』見憚如此。是時,陳留為大郡,多人士,琅邪王澄嘗經郡境,問:『此郡多士,有誰乎?』吏曰:『有江應元、蔡子尼。』時陳留多居大位者,澄問:『何以但稱此二人?』吏曰:『向謂君侯問人,不謂位也。』澄笑而止。充歷成都王東曹掾,故稱東曹。」妒記曰:「丞相曹夫人性甚忌,禁制丞相,不得有侍御,乃至左右小人,亦被檢簡,時有妍妙,皆加誚責。王公不能久堪,乃密營別館,眾妾羅列,兒女成行。後元會日,夫人於青疏臺中,望見兩三兒騎羊,皆端正可念。夫人遙見,甚憐愛之。語婢:『汝出問,是誰家兒?』給使不達旨,乃答云:『是第四王等諸郎。』曹氏聞,驚愕大恚。命車駕,將黃門及婢二十人,人持食刀,自出尋討。王公亦遽命駕,飛轡出門,猶患牛遲。乃以左手攀車蘭,右手捉麈尾,以柄助御者打牛,狼狽奔馳,劣得先至。蔡司徒聞而笑之,乃故詣王公,謂曰:『朝廷欲加公九錫,公知不?』王謂信然,自敘謙志。蔡曰:『不聞餘物,唯聞有短轅犢車,長柄麈尾。』王大愧。後貶蔡曰:『吾昔與安期、千里,共在洛水。』」
『晋諸公賛』に言う。「蔡充は字は子尼、陳留雍丘の人である」『充別伝』に言う。「蔡充の祖父の蔡睦は蔡邕の孫である。蔡充は若くして学を好み、雅やかな心がけがあり、身なりも顔つきも厳かで、その前で無作法に振る舞う者はいなかった。高平の劉整はすぐれた才があり、車も衣服も奢って美しかったが、人に言った。『紗や縠は人の常の着物にすぎない。かつて蔡子尼と同席したことがあるが、一日中落ち着かなかった』と。憚られることがこのようであった。このころ陳留は大郡で人材が多く、琅邪の王澄がかつてこの郡を通り、『この郡には士が多いというが、誰がいるか』と尋ねた。吏は『江応元と蔡子尼がおります』と答えた。当時、陳留には高位にある者が多かったので、王澄は『どうしてこの二人だけを挙げるのか』と問うた。吏は『さきほどは君侯が人をお尋ねになったものと思い、位をお尋ねになったとは思いませんでした』と答えた。王澄は笑ってやめた。蔡充は成都王の東曹掾を歴任したので、東曹と呼ばれる」『妬記』に言う。「丞相の妻の曹夫人は性質がひどく妬み深く、丞相を禁じ抑えて側仕えの者を置かせず、身近な下の者にまで調べ分けの目を向け、少しでも美しく優れた者がいれば皆を責めた。王公は長く堪えられず、そこでひそかに別の館を構え、多くの妾を並べ置いたので、男子も女子も列をなした。のち正月の集いの日、夫人は青い格子の台から二、三人の子が羊に乗っているのを望み見たが、皆端正で愛らしかった。夫人は遠くから見て、たいそういとおしみ、婢に言った。『お前が出て、どこの家の子かと尋ねておいで』と。使いの者は意を解さず、『四番目の王さまがたの若君たちです』と答えた。曹氏は聞いて驚き、ひどく怒った。車を命じ、黄門と婢二十人を連れ、一人ずつ庖丁を持たせて、自ら出て探し討とうとした。王公もまた急いで車を命じ、手綱を飛ばして門を出たが、それでも牛が遅いのを心配した。そこで左手で車の欄につかまり、右手で麈尾を取り、その柄で御者を助けて牛を打ち、あわてて走りに走って、やっと先に着くことができた。蔡司徒は聞いてこれを笑い、わざと王公を訪ねて言った。『朝廷が公に九錫を加えようとしておりますが、公はご存じですか』と。王氏は本当のことと思い、自ら謙遜の志を述べた。蔡氏が『ほかの品は聞きませんが、ただ轅の短い犢車と柄の長い麈尾があるとだけ聞きました』と言うと、王氏は大いに恥じた。のちに蔡氏をおとしめて『私は昔、安期や千里とともに洛水にいた』と言った」
7そこで四方の席は驚いて散り、あわてない者はなかった
褚太傅初渡江,嘗入東,至金昌亭。吳中豪右,燕集亭中。褚公雖素有重名,于時造次不相識別。敕左右多與茗汁,少箸粽,汁盡輒益,使終不得食。褚公飲訖,徐舉手共語云:「褚季野!」於是四座驚散,無不狼狽。
褚太傅が初めて江を渡り、かつて東へ入ろうとして金昌亭に至った。
呉の地の勢いある家の者たちが亭の中で宴を開いて集まっていた。
褚公はもとより重い名があったが、このときは急なことで互いに見分けがつかなかった。
彼らは側の者に命じて茶の汁を多く与え、粽を少なく置き、汁が尽きればすぐに足して、ついに食べられないようにした。
褚公は飲み終えると、ゆっくりと手を挙げて皆に言った。「褚季野です」
そこで四方の席は驚いて散り、あわてない者はなかった。
夾注 1
謝歆《金昌亭詩敘》曰:「余尋師,來入經吳,行達昌門,忽睹斯亭,傍川帶河,其榜題曰『金昌』。訪之耆老,曰:『昔朱買臣仕漢,還為會稽內史,逢其迎吏,遊旅北舍,與買臣爭席。買臣出其印綬,群吏慚服自裁。因事建亭,號曰「金傷」,失其字義耳。』」
謝歆の「金昌亭詩序」に言う。「私は師を尋ねて呉を経て入り、昌門に行き着いたが、ふとこの亭を見ると、川を傍らにし水を帯びており、その掲げられた名は「金昌」とあった。老人に尋ねると言った。『昔、朱買臣が漢に仕え、会稽内史となって帰るとき、その迎えの吏に出会ったが、その吏は旅の途中で北の舎に遊んでおり、買臣と席を争った。買臣がその印綬を出して見せると、吏たちは恥じ入って自ら命を断った。そのことによって亭を建て「金傷」と呼んだのだが、その字の意味が失われてしまっただけだ』と」
8虎㹠と虎犢は、その行き着くところへ帰ってゆくのだな
王右軍在南,丞相與書,每嘆子姪不令。云:「虎㹠、虎犢,還其所如。」
王右軍が南にいたとき、丞相が手紙を送り、子や甥が出来のよくないことをいつも嘆いて言った。「虎㹠と虎犢は、その行き着くところへ帰ってゆくのだな」
夾注 1
虎㹠,王彭之小字也。王氏譜曰:「彭之字安壽,琅邪人。祖正,尚書郎。父彬,衛將軍。彭之仕至黃門郎。虎犢,彪之小字也。彪之字叔虎,彭之第三弟。年二十而頭鬚皓白,時人謂之王白鬚。少有局榦之稱。累遷至左光祿大夫。」
虎㹠は王彭之の幼名である。『王氏譜』に言う。「王彭之は字は安寿、琅邪の人である。祖父の王正は尚書郎、父の王彬は衛将軍である。王彭之は官は黄門郎に至った。虎犢は王彪之の幼名である。王彪之は字は叔虎、王彭之の三番目の弟である。年二十で頭髪と髭が真っ白になったので、当時の人は王白鬚と呼んだ。若くして器量と才幹の評があった。官を重ねて左光禄大夫に至った」
9当時の人は皆、その才はあっても性質の卑しいことを笑った
褚太傅南下,孫長樂於船中視之。言次,及劉真長死,孫流涕,因諷詠曰:「人之云亡,邦國殄瘁。」褚大怒曰:「真長平生,何嘗相比數,而卿今日作此面向人!」孫回泣向褚曰:「卿當念我!」時咸笑其才而性鄙。
褚太傅が南へ下ると、孫長楽が船の中で彼に会った。
話が進んで劉真長の死に及ぶと、孫氏は涙を流し、それにつけて詠んで言った。「人が亡くなれば、国は尽き病む」
褚氏は大いに怒って言った。「真長が生涯のうちに、いつあなたを数のうちに入れたことがあろう。それなのにあなたは今日、こんな顔をして人に向かうのか」
孫氏は涙をおさめて褚氏に向かって言った。「あなたこそ私を思ってくださるべきだ」
当時の人は皆、その才はあっても性質の卑しいことを笑った。
夾注 2
長樂,孫綽。
長楽は孫綽である。
大雅詩毛公注曰:「殄,盡。瘁,病也。」
「大雅」の詩で、毛公の注に言う。「殄は尽きること、瘁は病むことである」
10いつも使君が身を低くするのは行き過ぎだと言っておられたのに、またその人のために駆け回られるのか
謝鎮西書與殷揚州,為真長求會稽。殷答曰:「真長標同伐異,俠之大者。常謂使君降階為甚,乃復為之驅馳邪?」
謝鎮西が殷揚州に手紙を送り、真長のために会稽の職を求めた。
殷氏は答えた。「真長は同じ者を立てて異なる者を討つ、俠のうちの大物です。あなたはいつも使君が身を低くするのは行き過ぎだと言っておられたのに、それなのにまた彼のために駆け回られるのですか」
11魏の武帝が荊州に入り、これを煮て士卒に振る舞った
桓公入洛,過淮、泗,踐北境,與諸僚屬登平乘樓,眺矚中原,慨然曰:「遂使神州陸沈,百年丘墟,王夷甫諸人,不得不任其責!」袁虎率爾對曰:「運自有廢興,豈必諸人之過?」桓公懍然作色,顧謂四坐曰:「諸君頗聞劉景升不?有大牛重千斤,噉芻豆十倍於常牛,負重致遠,曾不若一羸牸。魏武入荊州,烹以饗士卒,于時莫不稱快。」意以況袁。四坐既駭,袁亦失色。
桓公が洛陽に入り、淮水と泗水を過ぎて北の境を踏んだ。
多くの属官とともに平乗楼に登り、中原を眺め渡して、感慨して言った。「ついに神州を陸ごと沈ませ、百年のあいだ荒れた丘とさせたのだ。王夷甫たちの人々は、その責めを負わぬわけにはいかぬ」
袁虎は思うままに答えた。「時の運にはもともと衰えと興りがあります。どうして必ずあの人々の過ちだと言えましょうか」
桓公はぞっとするほど顔色を変え、座中を見回して言った。「諸君は劉景升のことを聞いたことがあるか。千斤もある大きな牛がいて、飼葉と豆を常の牛の十倍も食ったが、重い物を負って遠くへ行くことは、痩せた雌牛一頭にも及ばなかった。魏の武帝が荊州に入ってこれを煮て士卒に振る舞ったところ、そのとき痛快だと言わぬ者はなかった」
その意は袁氏になぞらえたのである。座中はすでに驚き、袁氏もまた顔色を失った。
夾注 2
八王故事曰:「夷甫雖居台司,不以事物自嬰,當世化之,羞言名教。自臺郎以下,皆雅崇拱默,以遺事為高。四海尚寧,而識者知其將亂。」晉陽秋曰:「夷甫將為石勒所殺,謂人曰:『吾等若不祖尚浮虛,不至於此!』」
『八王故事』に言う。「夷甫は台司の職にありながら、事物に自ら心をとらわれなかったので、当世はこれに染まり、名教を口にすることを恥じるようになった。台郎より下の者は皆、雅やかに腕を組んで黙しているのを尊び、事を捨て去ることを高いこととした。四海はまだ安らかであったが、見識ある者はその乱れようとしているのを知っていた」『晋陽秋』に言う。「夷甫が石勒に殺されようとするとき、人に言った。『我々がもし浮いた虚しさを尊び祖としなかったなら、ここまでは至らなかったであろう』と」
劉鎮南銘曰:「表字景升,山陽高平人。黃中通理,博識多聞。仕至鎮南將軍、荊州刺史。」
「劉鎮南銘」に言う。「劉表は字は景升、山陽高平の人である。内に秘めた徳が理に通じ、広く知り多くを聞いていた。官は鎮南将軍・荊州刺史に至った」
12伏滔と肩を並べるとは、これほどの恥辱がほかにあろうか
袁虎、伏滔同在桓公府。桓公每遊燕,輒命袁、伏,袁甚恥之,恆嘆曰:「公之厚意,未足以榮國士!與伏滔比肩,亦何辱如之?」
袁虎と伏滔がともに桓公の府にいた。
桓公は遊びや宴のたびに袁氏と伏氏を呼んだので、袁氏はひどくこれを恥じ、いつも嘆いて言った。「公の厚い心づかいは、国士を栄えさせるには足りない。伏滔と肩を並べるとは、これほどの恥辱がほかにあろうか」
13私も実のところ、あの人に与えられるものなど何もない
高柔在東,甚為謝仁祖所重。既出,不為王、劉所知。仁祖曰:「近見高柔,大自敷奏,然未有所得。」真長云:「故不可在偏地居,輕在角䚥中,為人作議論。」高柔聞之,云:「我就伊無所求。」人有向真長學此言者,真長曰:「我寔亦無可與伊者。」然遊燕猶與諸人書:「可要安固?」安固者,高柔也。
高柔は東にいて、ひどく謝仁祖に重んじられていた。
やがて都に出たが、王氏と劉氏には認められなかった。
仁祖は言った。「近ごろ高柔に会ったが、大いに自分を述べ立てるものの、得るところがない」
真長は言った。「まことに偏った土地に住み、軽々しく片隅にいながら、人のために議論を立てるのはよくない」
高柔はこれを聞いて言った。「私はあの人に何も求めてはいない」
ある人が真長にこの言葉を伝えると、真長は言った。「私も実のところ、あの人に与えられるものなど何もない」
それでも遊びや宴のときには、やはり人々に手紙を送った。「安固を招いてはどうか」
安固とは高柔である。
夾注 2
奴角反。
「奴角」の反切である。
孫統為柔集敘曰:「柔字世遠,樂安人。才理清鮮,安行仁義。婚泰山胡毋氏女,年二十,既有倍年之覺,而姿色清惠,近是上流婦人。柔家道隆崇,既罷司空參軍、安固令,營宅於伏川。馳動之情既薄,又愛翫賢妻,便有終焉之志。尚書令何充取為冠軍參軍,僶俛應命,眷戀綢繆,不能相舍。相贈詩書,清婉辛切。」
孫統が高柔の文集に序を書いて言う。「高柔は字は世遠、楽安の人である。才も理も清らかに鮮やかで、仁義を安らかに行った。泰山の胡毋氏の娘を妻としたが、年二十で、すでに年が倍ほどに見える落ち着きがあり、しかも姿も色も清らかで賢く、ほとんど上流の婦人であった。高柔の家は暮らしが豊かで高く、やがて司空参軍と安固令を辞し、伏川に家を営んだ。駆け回る心がもともと薄かったうえに、賢い妻を愛し楽しんで、そのままそこで終わる志を持った。尚書令の何充が召して冠軍参軍としたので、しかたなく命に応じたが、名残を惜しんで思いは絡み合い、互いに離れられなかった。互いに詩と手紙を贈り合い、清らかに美しく、辛く切なるものであった」
14これは怒りなのか ただ物言いの声が醜く目つきが拙いだけだ
劉尹、江虨、王叔虎、孫興公同坐,江、王有相輕色。虨以手歙叔虎云:「酷吏!」詞色甚彊。劉尹顧謂:「此是瞋邪?非特是醜言聲,拙視瞻。」
劉尹と江虨と王叔虎と孫興公がともに座っていたが、江氏と王氏には互いに軽んじる色があった。
江虨は手で叔虎を押しのけて言った。「むごい役人よ」
言葉も顔つきもひどく強かった。
劉尹は見回して言った。「これは怒りなのか。ただ物言いの声が醜く、目つきが拙いだけのことだ」
夾注 1
言江此言,非是醜拙,似有忿於王也。
江氏のこの言葉は、醜く拙いのではなく、王氏に対する怒りがあるようだ、という意味である。
15近ごろ孫家の子が文を作るのを見たが、何であろうの、本当の豚の、と言っていたな
孫綽作列仙商丘子贊曰:「所牧何物?殆非真豬。儻遇風雲,為我龍攄。」時人多以為能。王藍田語人云:「近見孫家兒作文,道何物、真豬也。」
孫綽が「列仙商丘子賛」を作って言った。「牧しているものは何であろう。おそらく本当の豚ではあるまい。もし風雲に出会えば、我がために龍となって翔けるであろう」
当時の人は多くこれをよくできていると言った。
王藍田は人に言った。「近ごろ孫家の子が文を作るのを見たが、何であろうの、本当の豚の、と言っていたな」
夾注 1
列仙傳曰:「商丘子晉者,商邑人。好吹竽牧豕,年七十,不娶妻而不老。問其須要,言『但食老朮、昌蒲根、飲水,如此便不饑不老耳』。貴戚富室,聞而服之,不能終歲輒止,謂將有匿術。孫綽為贊曰:『商丘卓犖,執策吹竽。渴飲寒泉,飢食菖蒲。所牧何物?殆非真豬。儻逢風雲,為我龍攄。』」
『列仙伝』に言う。「商丘子晋は商邑の人である。竽を吹いて豚を飼うのを好み、年七十になっても妻を迎えずして老いなかった。その必要とするものを尋ねると、『ただ古い朮と菖蒲の根を食べ、水を飲むだけだ。そうすれば飢えもせず老いもしないだけのことだ』と言った。貴い縁者や富める家の者が聞いてこれを試したが、年を越さずにすぐやめ、何か隠した術があるのだろうと言った。孫綽が賛を作って言った。『商丘子は抜きんでて、策を執り竽を吹く。渇けば寒泉を飲み、飢えれば菖蒲を食う。牧しているものは何であろう。おそらく本当の豚ではあるまい。もし風雲に出会えば、我がために龍となって翔けるであろう』と」
16あなたはどうして「遂初賦」の境地を尋ねずに、無理に人の家の国事に口を出すのか
桓公欲遷都,以張拓定之業。孫長樂上表,諫此議甚有理。桓見表心服,而忿其為異,令人致意孫云:「君何不尋遂初賦,而彊知人家國事?」
桓公は都を移し、切り開いて定めた事業を広げようとした。
孫長楽が上表してこの議を諫めたが、たいそう理にかなっていた。
桓氏は表を見て心では服したが、自分と違う立場に立ったことを怒り、人を遣って孫氏に意を伝えさせた。「あなたはどうして「遂初賦」の境地を尋ねずに、無理に人の家の国事に口を出すのか」
夾注 1
孫綽表諫曰:「中宗龍飛,實賴萬里長江,畫而守之耳。不然,胡馬久已踐建康之地,江東為豺狼之場矣。」綽賦遂初,陳止足之道。
孫綽が表で諫めて言った。「中宗が龍のように立たれたのは、まことに万里の長江に頼り、線を引いてこれを守ったからにすぎません。そうでなければ、胡の馬はすでに久しく建康の地を踏み、江東は豺狼の原となっていたでしょう」孫綽は「遂初」を作り、足るを知ってとどまる道を述べた。
17亡き兄の家には、このような客はおりませんでした
孫長樂兄弟就謝公宿,言至款雜。劉夫人在壁後聽之,具聞其語。謝公明日還,問:「昨客何似?」劉對曰:「亡兄門,未有如此賓客!」謝深有愧色。
孫長楽の兄弟が謝公のもとに行って泊まったが、話はきわめて打ち解けて雑なものであった。
劉夫人は壁の後ろでこれを聞き、その話をすべて聞いた。
謝公が翌日帰ってから尋ねた。「昨日の客はどうであったか」
劉氏は答えた。「亡き兄の家には、このような客はおりませんでした」
謝公は深く恥じた顔つきになった。
夾注 1
夫人,劉惔之妹。
夫人は劉惔の妹である。
18玄度もまさかここまでではなかろうと思っていたのに
簡文與許玄度共語,許云:「舉君、親以為難。」簡文便不復答。許去後而言曰:「玄度故可不至於此!」
簡文帝が許玄度と語り合っていたとき、許氏が言った。「君と親とを挙げるのは難しいことです」
簡文帝はそれきり答えなかった。
許氏が去った後に言った。「玄度もまさかここまでではなかろうと思っていたのに」
夾注 1
按邴原別傳:「魏五官中郎將,嘗與群賢共論曰:『今有一丸藥,得濟一人疾,而君、父俱病,與君邪?與父邪?』諸人紛葩,或父、或君。原勃然曰:『父子,一本也。亦不復難。』」君、親相校,自古如此。未解簡文誚許意。
按ずるに『邴原別伝』に言う。「魏の五官中郎将が、かつて多くの賢者とともに論じて言った。『いま一粒の薬があり、一人の病を救うことができるとして、君と父とがともに病んでいたら、君に与えるか、父に与えるか』と。人々は入り乱れて、ある者は父、ある者は君と言った。邴原はにわかに色を変えて言った。『父と子は一つの本である。これもまた難しいことではない』と」君と親とを引き比べることは、昔からこのようであった。簡文帝が許氏をとがめた意はわからない。
19これは禹王や湯王の戒めだ
謝萬壽春敗後,還,書與王右軍云:「慙負宿顧。」右軍推書曰:「此禹、湯之戒。」
謝万が寿春で敗れた後に帰り、王右軍に手紙を送って言った。「かねてのお心にかけてくださったことを、恥ずかしながら裏切りました」
右軍は手紙を押しのけて言った。「これは禹王や湯王の戒めだ」
夾注 1
春秋傳曰:「禹、湯罪己,其興也勃焉。」言禹、湯以聖德自罪,所以能興。今萬失律致敗,雖復自咎,其可濟焉。故王嘉萬也。
『春秋伝』に言う。「禹王と湯王は自らを罪としたので、その興りはめきめきと勢いがあった」禹王と湯王は聖なる徳をもって自らを罪としたから興ることができたのだ、という意味である。いま謝万は軍律を失って敗れるに至ったのだから、たとえ自らを咎めたとしても、それで救われようか。だから王氏は謝万をあてこすったのである。
20三祖の命のような楽器を孫家の子が叩き折ったのだ
蔡伯喈睹睞笛椽,孫興公聽妓,振且擺折。王右軍聞,大嗔曰:「三祖壽樂器,虺瓦弔,孫家兒打折。」
蔡伯喈が目をつけた笛の材の椽を、孫興公が妓女の遊びを聞きながら振り揺って叩き折った。
王右軍は聞いて大いに怒って言った。「三祖の命のような楽器、蝮の瓦のかけらのようなものを、孫家の子が叩き折ったのだ」
夾注 3
伏滔長笛賦敘曰:「余同寮桓子野有故長笛,傳之耆老云:『蔡邕伯喈之所製也。』初,邕避難江南,宿於柯亭之館,以竹為椽,邕仰眄之,曰:『良竹也。』取以為笛,音聲獨絕。歷代傳之至於今。」
伏滔の「長笛賦序」に言う。「私の同僚の桓子野に古い長笛があり、老人から伝え聞いて『蔡邕伯喈が作ったものだ』と言う。はじめ蔡邕が難を避けて江南へ行き、柯亭の館に宿ったが、竹を椽に使っていたので、蔡邕は仰いで横目に見て『よい竹だ』と言った。それを取って笛を作ると、その音は並ぶものなくすぐれていた。代々伝えられて今に至っている」
一作臺。
「寿」は、ある本では「台」となっている。
一作尫凡。
「虺瓦」は、ある本では「尫凡」となっている。
21これは何という塵と垢の袋かと問うのだ
王中郎與林公絕不相得。王謂林公詭辯,林公道王云:「箸膩顏帢,布單衣,挾左傳,逐鄭康成車後,問是何物塵垢囊!」
王中郎と林公はまったく互いに気が合わなかった。
王氏は林公を詭弁だと言い、林公は王氏のことを言った。「脂じみた頭巾をかぶり、布の単衣を着て『左伝』を抱え、鄭康成の車の後を追いかけながら、これは何という塵と垢の袋かと問うのだ」
夾注 1
中郎,坦之。帢,帽也。裴子曰:「林公云:『文度箸膩顏,挾左傳,逐鄭康成,自為高足弟子。篤而論之,不離塵垢囊也。』」
中郎は王坦之である。帢は帽子である。『裴子』に言う。「林公が言った。『文度は脂じみた頭巾をかぶり、「左伝」を抱えて鄭康成を追い、自ら高弟になったつもりでいる。つきつめて論ずれば、塵と垢の袋を離れていない』と」
22亡き祖父が、どうしてこんな人と付き合ったりしようか
孫長樂作王長史誄云:「余與夫子,交非勢利,心猶澄水,同此玄味。」王孝伯見曰:「才士不遜,亡祖何至與此人周旋!」
孫長楽が「王長史誄」を作って言った。「私と夫子との交わりは勢力や利によるものではなく、心は澄んだ水のようで、この深く奥ゆかしい味わいをともにした」
王孝伯はこれを見て言った。「才ある士が謙らぬものだ。亡き祖父が、どうしてこんな人と付き合ったりしようか」
夾注 1
禮記曰:「君子之交淡若水,小人之交甘若醴。」
『礼記』に言う。「君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人の交わりは甘きこと甘酒のごとし」
23中郎は胸の内がまだ空になっていないのに、どうしてひとり占めることができましょうか
謝太傅謂子姪曰:「中郎始是獨有千載!」車騎曰:「中郎衿抱未虛,復那得獨有?」
謝太傅が子や甥に言った。「中郎こそはじめて、ひとり千年を占める者だ」
車騎は言った。「中郎は胸の内がまだ空になっておりません。それでどうしてひとり占めることができましょうか」
夾注 1
中郎,謝萬。
中郎は謝万である。
24あなたはまた裴氏の学を学んでおられるな
庾道季詫謝公曰:「裴郎云:『謝安謂裴郎乃可不惡,何得為復飲酒?』裴郎又云:『謝安目支道林,如九方臯之相馬,略其玄黃,取其儁逸。』」謝公云:「都無此二語,裴自為此辭耳!」庾意甚不以為好,因陳東亭經酒壚下賦。讀畢,都不下賞裁,直云:「君乃復作裴氏學!」於此語林遂廢。今時有者,皆是先寫,無復謝語。
庾道季が謝公に向かって得意げに言った。「裴郎が言うには『謝安は裴郎なら悪くはないと言っているが、それならどうしてまた酒を飲むのか』と。裴郎はまた『謝安は支道林を評して、九方皋が馬を見るようなもので、その黒いか黄色いかはおおまかにして、その抜きんでた秀でたところを取るのだと言った』とも申しておりました」
謝公は言った。「そんな二つの言葉はまったく言っていない。裴氏が勝手にこの言葉を作ったにすぎぬ」
庾氏は心中ひどく面白くなく、そこで東亭が酒屋の下を通ったことを詠んだ賦を述べた。
読み終えると、謝公はまったく褒めも評もせず、ただこう言った。「あなたはまた裴氏の学を学んでおられるな」
これによって『語林』はついに廃れた。今あるものはみな先に写されたもので、謝公の言葉はもう入っていない。
夾注 3
庾龢、裴啟已見。
庾和と裴啓はすでに見えている。
支遁傳曰:「遁每標舉會宗,而不留心象喻,解釋章句,或有所漏,文字之徒,多以為疑。謝安石聞而善之曰:『此九方皋之相馬也,略其玄黃,而取其俊逸。』」列子曰:「伯樂謂秦穆公曰:『臣所與共儋纆薪菜者,有九方皋,此其於馬,非臣之下也。』公使行求馬,反,曰:『得矣!牡而黃。』使人取之,牝而驪。公曰:『毛物牡牝之不知,何馬之能知也?』伯樂曰:『若皋之觀馬者,天機也。得其精,亡其麤。在其內,亡其外。見其所見,不見其所不見。視其所視,遺其所不視。若彼之所相,有貴於馬也。』既而,馬果千里足。」
『支遁伝』に言う。「支遁はいつも大綱を掲げて要を集めたが、たとえや表象に心を留めず、章句を解き明かすのに漏れるところがあったので、文字にこだわる徒輩は多くこれを疑った。謝安石は聞いてこれをよしとし、『これは九方皋が馬を見るのと同じだ。その黒いか黄色いかはおおまかにして、その抜きんでた秀でたところを取るのだ』と言った」『列子』に言う。「伯楽が秦の穆公に言った。『私とともに荷縄を担い薪や菜を採っていた者に九方皋という者がおります。この者は馬については私に劣りません』と。公は行って馬を求めさせた。帰ってきて『手に入れました。牡で黄色です』と言った。人を遣って取ってこさせると、牝で黒毛であった。公は『毛並みも牡牝も分からぬのに、どんな馬が分かるというのか』と言った。伯楽は『皋のような馬の見方は、天の働きによるものです。その精なるものを得て、粗いものを捨て、その内にあるものを見て、その外を捨て、見るべきものを見て、見るべきでないものを見ず、視るべきものを視て、視るべきでないものを捨てるのです。彼が見ているものは、馬よりも貴いものです』と言った。やがてその馬は、果たして千里を走る足を持っていた」
續晉陽秋曰:「晉隆和中,河東裴啟撰漢、魏以來迄于今時,言語應對之可稱者,謂之語林。時人多好其事,文遂流行。後說太傅事不實,而有人於謝坐敘其黃公酒壚,司徒王珣為之賦,謝公加以與王不平,乃云:『君遂復作裴郎學。』自是眾咸鄙其事矣。安鄉人有罷中宿縣詣安者,安問其歸資。答曰:『嶺南凋弊,唯有五萬蒲葵扇,又以非時為滯貨。』安乃取其中者捉之,於是京師士庶競慕而服焉。價增數倍,旬月無賣。夫所好生羽毛,所惡成瘡痏。謝相一言,挫成美於千載,及其所與,崇虛價於百金。上之愛憎與奪,可不慎哉!」
『続晋陽秋』に言う。「晋の隆和年間、河東の裴啓が漢・魏以来今に至るまでの、言葉や応答の取り上げるに足るものを集めて、これを『語林』と名づけた。当時の人は多くその事を好み、その書はついに世に行われた。のちに太傅の事を記したものが事実でなく、また、ある人が謝公の席でその黄公の酒屋の話を述べ、司徒の王珣がそれについて賦を作った。謝公は王珣と仲がよくなかったことも加わって、『あなたはついにまた裴郎の学をなさるのか』と言った。これ以後、人々は皆その書を卑しんだ。謝安の郷里の人で中宿県の職を辞して謝安を訪ねた者があり、謝安はその帰りの元手を尋ねた。答えて『嶺南は衰え疲れており、ただ五万の蒲葵の扇があるだけですが、それも時季はずれで売れ残りの品となっております』と言った。謝安はそこでその中くらいのものを取って手に持った。すると都の士も民も競ってこれを慕って用いた。値は数倍に上がり、十日ひと月のうちに売る物がなくなった。およそ好まれるものは羽毛が生え、憎まれるものは瘡となる。謝相の一言が千年にわたって成った美を挫き、その与えるところでは、虚しい値を百金にまで高くした。上に立つ者の愛憎と与奪は、慎まずにいられようか」
25沙門は高士たりえずという論
王北中郎不為林公所知,乃箸論沙門不得為高士論。大略云:「高士必在於縱心調暢,沙門雖云俗外,反更束於教,非情性自得之謂也。」
王北中郎は林公に認められなかったので、そこで「沙門は高士たりえずという論」を著した。
大略に言う。「高士は必ず心を思うままにのびのびと調わせるところにある。沙門は俗の外にあると言うものの、かえってますます教えに束縛されており、情も性も自ら得たというものではない」
26どうして老いた婢の声を出すまでのことがあろうか
人問顧長康:「何以不作洛生詠?」答曰:「何至作老婢聲!」
人が顧長康に尋ねた。「どうして洛陽の書生ふうの詠み方をなさらないのか」
答えた。「どうして老いた婢の声を出すまでのことがあろうか」
夾注 1
洛下書生詠,音重濁,故云老婢聲。
洛陽あたりの書生の詠み方は声が重く濁っているので、老いた婢の声と言ったのである。
27頬が似ているからといって、それで立派なものになれましょうか
殷顗、庾恆並是謝鎮西外孫。殷少而率悟,庾每不推。嘗俱詣謝公,謝公熟視殷曰:「阿巢故似鎮西。」於是庾下聲語曰:「定何似?」謝公續復云:「巢頰似鎮西。」庾復云:「頰似,足作健不?」
殷顗と庾恒はともに謝鎮西の外孫である。
殷氏は若くてさっぱりと悟りが早かったが、庾氏はいつもこれを認めなかった。
かつて二人そろって謝公を訪ねたとき、謝公は殷氏をよくよく見て言った。「阿巣はたしかに鎮西に似ている」
すると庾氏は声を落として言った。「いったいどこが似ているのですか」
謝公は続けてまた言った。「巣の頬が鎮西に似ている」
庾氏はまた言った。「頬が似ているからといって、それで立派なものになれましょうか」
夾注 3
謝氏譜曰:「尚長女僧要適庾龢,次女僧韶適殷歆。」
『謝氏譜』に言う。「謝尚の長女の僧要は庾和に嫁ぎ、次女の僧韶は殷歆に嫁いだ」
巢,殷顗小字也。
巣は殷顗の幼名である。
庾氏譜曰:「恒字敬則。祖亮,父龢。恒仕至尚書僕射。」
『庾氏譜』に言う。「庾恒は字は敬則である。祖父は庾亮、父は庾和である。庾恒は官は尚書僕射に至った」
28肘を垂れていて風骨がない
舊目韓康伯:將肘無風骨。
昔から韓康伯を評してこう言った。肘を垂れていて風骨がないと。
夾注 1
說林曰:「范啟云:『韓康伯似肉鴨。』」
『説林』に言う。「范啓が『韓康伯は肉づきのよい鴨のようだ』と言った」
29やはり結局のところ、人と変わるところはありませんな
符宏叛來歸國。謝太傅每加接引,宏自以有才,多好上人,坐上無折之者。適王子猷來,太傅使共語。子猷直孰視良久,回語太傅云:「亦復竟不異人!」宏大慚而退。
符宏が背いて来てこの国に帰順した。
謝太傅はいつも彼を迎え引き立てたので、符宏は自分に才があるとして人の上に立つことを好み、座中に彼を言い負かす者がなかった。
たまたま王子猷が来たので、太傅は彼と語らせた。
子猷はまっすぐにじっと長いあいだ見つめ、太傅を振り向いて言った。「やはり結局のところ、人と変わるところはありませんな」
符宏は大いに恥じて退いた。
夾注 1
續晉陽秋曰:「宏,符堅太子也。堅為姚萇所殺,宏將母妻來投,詔賜田宅。桓玄以宏為將,玄敗,寇湘中,伏誅。」
『続晋陽秋』に言う。「符宏は符堅の太子である。符堅が姚萇に殺されると、符宏は母と妻を連れて来て身を寄せ、詔によって田と宅を賜った。桓玄が符宏を将としたが、桓玄が敗れると湘中を荒らし、誅に伏した」
30首の白い烏の群れを見たが、ただガアガアと鳴く声が聞こえるばかりであった
支道林入東,見王子猷兄弟。還,人問:「見諸王何如?」答曰:「見一群白頸烏,但聞喚啞啞聲。」
支道林が東へ入り、王子猷の兄弟に会った。
帰ってくると人が尋ねた。「王氏の人々に会ってみてどうでしたか」
答えた。「首の白い烏の群れを見たが、ただガアガアと鳴く声が聞こえるばかりであった」
31阿訥を座の上席に置くわけにはいかない
王中郎舉許玄度為吏部郎。郗重熙曰:「相王好事,不可使阿訥在坐頭。」
王中郎が許玄度を推挙して吏部郎にしようとした。
郗重熙は言った。「相王は事を起こすのがお好きだ。阿訥を座の上席に置くわけにはいかない」
夾注 1
訥,詢小字。
訥は許詢の幼名である。
32謝望蔡はきょろきょろとして、鷹を逃がした鷹匠のようだ
王興道謂:謝望蔡霍霍如失鷹師。
王興道が言った。謝望蔡はきょろきょろとして、鷹を逃がした鷹匠のようだと。
夾注 1
永嘉記曰:「王和之字興道,琅琊人。祖翼,平南將軍。父胡之,司州刺史。和之歷永嘉太守、正員常侍。」望蔡,謝琰小字也。
『永嘉記』に言う。「王和之は字は興道、琅邪の人である。祖父の王翼は平南将軍、父の王胡之は司州刺史である。王和之は永嘉太守・正員常侍を歴任した」望蔡は謝琰の幼名である。
33あなたは哀家の梨を手に入れても、やはり蒸して食うのではないか
桓南郡每見人不快,輒嗔云:「君得哀家梨,當復不烝食不?」
桓南郡は人に会って気に入らないことがあると、そのたびに怒って言った。「あなたは哀家の梨を手に入れても、やはり蒸して食うのではないか」
夾注 1
舊語:秣陵有哀仲家梨甚美,大如升,入口消釋。言愚人不別味,得好梨烝食之也。
古い言い伝えに、秣陵に哀仲の家の梨がたいそう美味で、大きさは一升ほどもあり、口に入れると溶けてしまったという。愚かな人は味の区別がつかず、よい梨を手に入れても蒸して食ってしまう、という意味である。