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北扶余北扶餘

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 1 · 漢字 108字 · 朗読 0.4分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 紀異 第1 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1五頭の龍が引く車に乗って降りてくる

北扶餘古記云“前漢書宣帝神爵三年壬戌四月八日天帝降于訖升骨城〔在大遼醫州界.〕乗五龍車立都,稱王國號北扶餘自稱名解慕漱.生子名扶婁以解爲氏焉.王後因上帝之命移都于東扶餘,東眀帝継北扶餘而興立都于卒夲州爲卒夲扶餘,即髙句麗之始〔見下〕.”

北扶余。

『古記』に次のように言う。

「『前漢書』に、宣帝の神爵三年壬戌の四月八日に天帝が訖升骨城に〔大遼の医州の境にある。〕降りてきた。

五頭の龍が引く車に乗り、都を立てて王と称し、国号を北扶余とし、自ら名を解慕漱といった。

子を生んで名を扶婁とし、解を姓とした。

王はのちに上帝の命によって都を東扶余に移し、東明帝が北扶余を継いで興り、卒本州に都を立てて卒本扶余となった。すなわち高句麗の初めである。〔下に見える。〕」

夾注 2

在大遼醫州界.

大遼の医州の境にある。

見下

下に見える。