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孫順が子を埋める — 興徳王の代孫順埋兒 興德王代

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 2 · 漢字 284字 · 朗読 1.1分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 孝善 第9 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1子は再び得られても母は再び求められない

孫順埋児興徳王代孫順者〔古今作孫舜.〕牟梁里人,父鶴山.父没,與妻同但傳人家得米穀飬老孃.孃名運烏.順有小児,每奪孃食.順難之謂其妻曰,“児可得母難再求,而奪其食母飢何甚.且埋此児以啚母腹之盈.”乃負児敀醉山〔山在牟梁西北.〕北郊堀地,忽得石鐘甚竒.夫婦驚恠,乍懸林木上試擊之,㫪容可愛.妻曰,“得異物殆児之福不可埋也.”夫亦以爲然,乃負児與鍾而還家懸鐘於梁扣之,聲聞于闕.

孫順(そんじゅん)が子を埋める — 興徳王の代。

孫順は〔古い記録には孫舜と書く。〕牟梁里の人で、父は鶴山(かくさん)である。

父が死んだのち、妻とともに他人の家に雇われて米や穀物を得て、老いた母を養った。母の名は運烏(うんう)である。

孫順に小さな子があり、いつも母の食べ物を奪って食べた。

孫順はこれを困って、その妻に言った。

「子は再び得られるが、母は再び求めがたい。それなのにその食べ物を奪うので、母の飢えはどれほどひどいだろうか。この子を埋めて、母の腹が満ちるようにしよう。」

そこで子を背負って醉山〔山は牟梁の西北にある。〕の北の野に行き、地を掘ったところ、突然石の鐘を得て、はなはだ奇異であった。

夫婦は驚き怪しんで、しばらく林の木の上に掛けて試しに打ってみると、音が深く響いて愛すべきものであった。

妻が言った。「異なる物を得たのは、おそらくこの子の福です。埋めてはなりません。」

夫もそのとおりだと思い、そこで子と鐘を背負って家に帰り、鐘を梁に掛けて打つと、音は宮闕にまで聞こえた。

夾注 2

古今作孫舜.

古い記録には孫舜と書く。

山在牟梁西北.

山は牟梁の西北にある。

2前の孝と後の孝を天と地がともに見た

興徳王聞之謂左右曰,“西郊有異鍾聲,清逺下類速檢之.”王人来檢其家,具事奏王,王曰,“昔郭巨瘞子天賜金釡,今孫順埋児地湧石鍾.前孝後孝覆載同鑑.”乃賜屋一區,嵗給粳五十碩以尚純孝焉.順捨舊居爲寺,號弘孝寺安置石鍾.真聖王代百濟横賊入其里,鍾亡寺存.其得鍾之地名完乎坪,今訛云枝良坪.

興徳王がこれを聞いて左右に言った。「西の野に異なる鐘の音があり、清らかに遠くまで及んで比べるものがない。急いで調べよ。」

王の使いが来てその家を調べ、事を取りそろえて王に奏上した。

王が言った。

「昔、郭巨(かくきょ)が子を埋めようとすると天が金の釜を下し、いま孫順が子を埋めようとすると地が石の鐘を湧き出させた。

前の孝と後の孝を、天と地がともに見たのだ。」

そこで家一棟を下賜し、毎年うるち米五十碩を与えて純粋な孝をたたえた。

孫順は旧居を差し出して寺とし、弘孝寺(こうこうじ)と名づけて石の鐘を安置した。

真聖王の代に百済の荒々しい賊がその里に入り、鐘は失われて寺だけが残った。

鐘を得た場所を完乎坪(かんこへい)と名づけたが、今は訛って枝良坪(しりょうへい)という。