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朗智が雲に乗る — 普賢の木朗智乘雲普賢樹

三国遺事(三国時代の遺聞集) 三國遺事 · 一然(イリョン) · 1281年(高麗・忠烈王7年) · 段落 5 · 漢字 818字 · 朗読 3.3分

三国遺事(三国時代の遺聞集) 避隠 第8 高麗の僧・一然が編んだ三国時代の説話集。正史が捨てた話を集めている。檀君神話を載せる最も古い書物である。

1名も姓も言わない僧

朗智乗雲普賢樹歃良州阿曲縣之霊鷲山〔歃良今梁州.阿曲一作西,又云求佛又屈弗.今蔚州置屈弗馹,今存其名.〕有異僧庵居累紀,而郷邑皆不識,師亦不言氏名.常講法華仍有通力.

朗智(ろうち)が雲に乗る — 普賢(ふげん)の木。

歃良州阿曲県の霊鷲山に〔歃良は今の梁州である。阿曲は西(せい)とも書き、求仏または屈弗ともいう。今、蔚州に屈弗駅を置いたので、その名が残っている。〕異なる僧がいて、庵に住むこと幾年にもなった。

ところが里では誰も知らず、法師もまた姓も名も言わなかった。

常に『法華経』を講じ、そのうえ神通の力があった。

夾注 1

歃良今梁州. 阿曲一作西, 又云求佛又屈弗. 今蔚州置屈弗馹, 今存其名.

歃良は今の梁州である。阿曲は西(せい)とも書き、求仏または屈弗ともいう。今、蔚州に屈弗駅を置いたので、その名が残っている。

2烏が二人に知らせる

龍朔初有沙彌智通,伊亮公之家奴也.出家年七歳,時有烏來鳴云,“霊鷲去投朗智爲弟子.”通聞之,尋訪此山來憩於洞中樹下.忽見異人出曰“我是普大士欲授汝戒品,故來爾.”因宣戒訖乃隐.通神心豁爾,智證頓圎.遂前行路逢一僧乃問朗智師何所住,僧曰“奚問朗智乎.”通具陳神烏之事.僧莞爾而笑曰,“我是朗智,今兹堂前亦有烏來報,有聖児投師将至矣,冝出迎故來迎爾.”乃執手而嘆曰,“霊烏驚爾投吾,報予迎汝是何祥也.殆山霊之隂助也.傳云山主乃辨才天女.”

龍朔の初めに沙弥の智通(ちつう)がいた。伊亮公の家の奴であった。

出家した年は七歳であったが、そのとき烏が来て鳴いて言った。「霊鷲山に行って朗智に身を投じ、弟子となれ。」

智通はこれを聞いてこの山を訪ね、谷の中の木の下で休んだ。

突然、異なる人が出て来て言った。「私は普賢大士である。お前に戒品を授けようとして来ただけだ。」

そして戒を授け終わると隠れた。智通は精神と心がからりと開け、智の証得がたちまち円満となった。

ついに先へ進み、道で一人の僧に会って、朗智法師はどこに住んでいるかと問うた。

僧が言った。「なぜ朗智を問うのか。」

智通は神なる烏のことを取りそろえて述べた。

僧はにっこり笑って言った。「私が朗智である。いま、この堂の前にも烏が来て知らせ、聖なる子が師に身を投じようとしてまさに至るから、出て迎えるべきだと言った。それで迎えに来ただけだ。」

そこで手を取って嘆じた。

「神なる烏がお前を驚かせて私のもとに来させ、私に知らせてお前を迎えさせた。これは何という祥(さが)であろうか。おそらく山の神霊がひそかに助けたのであろう。」

伝えるところでは、山の主は弁才天女であるという。

3私はお前に遠く及ばない

通聞之泣謝投禮於師.既而將與授戒,通曰“予於洞口樹下已蒙普賢大士乃授正戒.”智嘆曰,“善㦲.汝已親禀大士滿分之戒.我自生年來夕惕慇懃,念遇至聖而猶未能昭格,今汝已受,吾不及汝逺矣.”反禮智通,因名其樹曰普賢.通曰“法師住此其已久.”如曰,“法興王丁未之嵗始寓足焉,不知今㡬.”通到山之時乃文武王即位元年辛酉嵗也,計已一百三十五年矣.通後詣義湘之室,升堂覩奥,頗資玄化,寔爲錐洞記主也.

智通はこれを聞いて泣いて謝し、法師に身を投じて礼をした。

やがて戒を授けようとすると、智通が言った。「私は谷の入口の木の下で、すでに普賢大士から正しい戒を授かりました。」

朗智が嘆じた。「よいことだ。お前はすでに大士からみずから円満な戒を受けたのだ。

私は生まれてから夕べごとに恐れ慎んで、ひたすら聖なる人に会うことを念じてきたが、まだ明らかに至ることができなかった。いまお前がすでに受けたのだから、私はお前に遠く及ばない。」

かえって智通に礼をし、これによってその木を普賢と名づけた。

智通が言った。「法師がここに住まれて、すでに久しいのですか。」

朗智が言った。「法興王の丁未の年に初めて足を留めたが、今が何年になるかは知らない。」

智通が山に至った時は文武王即位元年の辛酉の年であるから、数えればすでに百三十五年である。

智通はのちに義湘の室に赴き、堂に昇って奥義を見て、幽玄な教化に少なからず資するところがあり、実に『錐洞記』を著した人である。

4元暁が師と仰ぐ

元曉住磻髙寺時,常徃謁智,令著初章觀文及安身事心論.曉撰訖,使隠士文善奉書馳逹,其篇尾述偈云,“西谷沙弥稽首禮,東岳上徳高巖前〔磻髙在霊鷲之西北,故西谷沙弥乃自謂也.〕吹以細塵補鷲岳,飛以微滴投龍淵.〔云云.〕山之東有大和江,乃爲中國大和池龍植福所創,故云龍淵.通與曉皆大聖也,二聖而摳衣師之,道迈可知.

元暁(げんぎょう)が磻高寺にいたとき、常に朗智を訪ねて拝したので、朗智は『初章観文』と『安身事心論』を著させた。

元暁が著し終えると、隠士の文善(ぶんぜん)に書を奉じさせ、走り届けさせた。

その篇の末に偈を述べて言う、

西の谷の沙弥が頭を下げて礼し 東の岳の上徳の、高き巌の前に差し上げます。〔磻高寺は霊鷲山の西北にあるので、「西の谷の沙弥」とは自分を指して言ったのである。〕 細かな塵を吹いて鷲の峰に補い 小さな水滴を飛ばして龍淵に投じます。

山の東に大和江がある。すなわち中国の大和池の龍のために福を植えようとして造ったものなので、龍淵という。

智通と元暁はともに大聖である。二人の聖人が衣を整えて師と仰いだのだから、道の高さは知るに足る。

夾注 2

磻髙在霊鷲之西北, 故西谷沙弥乃自謂也.

磻高寺は霊鷲山の西北にあるので、「西の谷の沙弥」とは自分を指して言ったのである。

云云.

しかじかである。

5雲に乗って中国まで通う

師甞乗雲徃中國清涼山,隨衆聽講俄項即還.彼中僧謂是隣居者然罔知攸止.一日令於衆曰,“除常住外,别院來僧各持所居名花異植来献道塲.”智明日折山中異木一枝歸呈之.彼僧見之乃曰,“此木梵号怚提伽,此云赫,唯西笁·海東二霊鷲山有之.彼二山皆第十法雲地菩薩所居,斯必聖者也.”遂察其行色,乃知住海東霊鷲也.因此攺觀名著中外.郷人乃號其庵曰赫木.今赫木寺之北崗有古基,乃其遺趾.霊鷲寺記云,朗智甞云,“此庵趾乃迦葉佛時寺基也.”堀地得燈缸二.隔元聖王代有大徳縁㑹来居山中,撰師之傳行于世.按華嚴經,第十名法雲地今師之馭雲,蓋佛陁屈三指,元曉分百身之類也欤.讃曰.想料嵓藏百嵗間,髙名曽未落人寰,不禁山鳥閑饒舌,雲馭無端洩徃還.

法師はかつて雲に乗って中国の清涼山に行き、衆に従って講義を聴き、またたく間に帰ってきた。

そこの僧たちは近くに住む者だと思ったが、どこに留まっているかは知らなかった。

ある日、衆に命じた。「常住の者を除き、別の院から来た僧は、それぞれ住む所の名高い花や珍しい木を持って来て道場に献じよ。」

朗智は翌日、山中の異なる木の一枝を折って帰り、これを差し出した。

そこの僧がこれを見て言った。「この木は梵語で怚提伽(たていが)といい、ここでは赫(かく)という。西天竺と海東の二つの霊鷲山にだけある。

あの二つの山はいずれも第十法雲地の菩薩が住む所であるから、これは必ず聖者である。」

ついにその身なりを調べて、海東の霊鷲山に住むことを知った。

これによって見方が変わり、名が内外に表れた。

里の人々はそこでその庵を赫木(かくもく)と呼んだ。今、赫木寺の北の丘に古い基(もとい)があり、すなわちその残った跡である。

『霊鷲寺記』に、朗智がかつて「この庵の跡は迦葉仏の時の寺の基である」と言ったという。地を掘って灯の缸(かめ)二つを得た。

元聖王の代に大徳の縁会(えんえ)がいて、山中に来て住み、法師の伝を著して世に広めた。

『華厳経』を調べると第十を法雲地というが、いま法師が雲を御したのは、おおよそ仏陀が三本の指を屈した事や、元暁が身を百に分けた事の類であろうか。

讃じて言う。

思えば巌に隠れて百年を過ごすあいだ 高き名はついに人の世に落ちなかった。 山鳥のひまな長話を禁じられず 雲の車がゆえもなく行き来したことを漏らしてしまった。