信忠が冠を掛ける信忠掛冠
1栢の木が黄ばんで萎れる
信忠掛冠孝成王潜邸時,與賢士信忠圍碁於宫庭栢樹下,甞謂曰,“他日若㤀郷有如栢樹.”信忠興拜.隔數月王即位賞功臣,㤀忠而不第之.忠怨而作歌帖於栢樹,樹忽黄悴.王恠使審之,得歌献之,大驚曰,“萬機鞅掌㡬㤀乎角弓.”乃召之賜爵禄,栢樹乃蘇.歌曰.“物叱好支栢史,秋察尸不冬爾屋攴墮米,汝於多攴行齊教因隐,仰頓隐面矣攺衣賜乎隐冬矣也.月羅理影攴古理因淵之叱行尸浪阿叱沙矣以攴如攴,皃史沙叱望阿乃,世理都之叱逸烏隐第也.”後句亡.由是龍現於两朝.
信忠(しんちゅう)が冠を掛ける。
孝成王がまだ王位に就く前に、賢士の信忠と宮廷の庭の栢(はく)の木の下で碁を囲んでいて、かつてこう言った。
「後日、もしそなたを忘れるようなことがあれば、あの栢の木があるだろう。」
信忠は立ち上がって礼をした。
数か月を隔てて王が即位し、功臣に賞を与えたが、信忠を忘れて序列に入れなかった。
信忠は恨んで歌を作り、栢の木に貼りつけたところ、木が突然黄ばんで萎れた。
王は怪しんで調べさせると、歌を得て差し出した。
大いに驚いて言った。「万機に忙しく、あやうく栢の木の下の約束を忘れるところであった。」
そこで召して爵と禄を与えると、栢の木は生き返った。
歌はこうである。
⟪郷歌⟫
物叱好支栢史 秋察尸不冬爾屋攴墮米 汝於多攴行齊教因隐 仰頓隐面矣攺衣賜乎隐冬矣也 月羅理影攴古理因淵之叱 行尸浪阿叱沙矣以攴如攴 皃史沙叱望阿乃 世理都之叱逸烏隐第也
後の句は失われた。
これによって二代の朝廷で寵愛が表れた。
2官を掛けて山に入る
景徳王〔王即孝成之弟也.〕二十二年癸夘,忠與二友相約掛冠入南岳,再徴不就落髮爲沙門.爲王創断俗寺居焉,願終身丘壑以奉福大王,王許之.留真在金堂後壁是也.南有村名俗休,今訛云小花里.〔按三和尚傳,有信忠奉聖寺與此相混然,計其神文之世,距景徳已百餘年.况神文与信忠乃宿世之事,則非此信忠明矣.冝詳之.〕又别記云.景徳王代有直長李俊〔髙僧傳作李純.〕早㑹發願,年至知命須出家創佛寺.天寳七年戊子年登五十矣,攺創槽淵小寺爲大刹,名断俗寺.身亦削髮法名孔宏長老,住寺二十年乃卒.與前三國史所載不同,两存之闕疑.讃曰.功名未已鬢先霜,君寵雖多百嵗忙.隔岸有山頻入夢,逝将香火祝吾皇.
景徳王〔王は孝成王の弟である。〕二十二年癸卯に、信忠は二人の友と約束して冠を掛け、南岳に入った。
二度召されたが応じず、髪を落として沙門となった。
王のために断俗寺を建ててそこに住み、終身、丘や谷にあって大王の福を奉りたいと願うと、王は許した。
残された肖像が金堂の後ろの壁にあるのがこれである。
南に村があって俗休(ぞくきゅう)というが、今は訛って小花里という。
〔『三和尚伝』を調べると、信忠奉聖寺があってこれと混じっている。しかし神文王の世を数えると、景徳王とはすでに百年余り隔たる。まして神文王と信忠のことは前の世のことであるから、この信忠ではないことは明らかである。よく詳らかにすべきである。〕
また別記にこう言う。
景徳王の代に直長の李俊が〔『高僧伝』には李純とある。〕早くに発願して、年が五十に至れば必ず出家して寺を建てようとした。
天宝七年戊子の年に五十になると、槽淵の小さな寺を改めて大きな寺とし、名を断俗寺とした。
自分も髪を削って法名を孔宏長老といい、寺に二十年住んで卒した。
先の『三国史』に載るところと同じでないので、両方を残して疑わしいところを空けておく。
讃じて言う。
功名はまだ尽きないのに鬢が先に霜を置き 君の寵愛は多いといえど百年は忙しい。 岸を隔てて山があり、しきりに夢に入るので 行って香火をもって我が皇を祝おう。
夾注 3
王即孝成之弟也.
王は孝成王の弟である。
按三和尚傳, 有信忠奉聖寺與此相混然, 計其神文之世, 距景徳已百餘年. 况神文与信忠乃宿世之事, 則非此信忠明矣. 冝詳之.
『三和尚伝』を調べると、信忠奉聖寺があってこれと混じっている。しかし神文王の世を数えると、景徳王とはすでに百年余り隔たる。まして神文王と信忠のことは前の世のことであるから、この信忠ではないことは明らかである。よく詳らかにすべきである。
髙僧傳作李純.
『高僧伝』には李純(りじゅん)とある。