義湘が教えを伝える義湘傳敎
1智儼が先に夢を見る
義湘傳教法師義湘考曰韓信金氏,年二十九依亰師皇福寺落髮.未㡬西啚觀化.遂與元曉道出遼東,邉戍邏之爲諜者囚閉者累旬僅免而遝.〔事在崔侯夲傳及曉師行状䓁.〕永徽初㑹唐使舡有西還者寓載入中國.初止揚州,州将劉至仁請留衙内供飬豊贍.尋徃終南山至相寺謁智儼.儼前夕夢一大樹生海東枝葉溥布来䕃神州,上有鳯巢登視之,有一摩尼寳珠光明屬逺.覺而驚異洒掃而待湘乃至.殊禮迎際從容謂曰,“吾昨者之夢子来投我之兆.”許爲入室,雜花妙旨剖柝幽微.儼喜逢郢質克發新致可謂鈎深索隠,藍茜沮夲色.
義湘が教えを伝える。
法師義湘は、父を韓信といい、金氏である。年二十九で京師の皇福寺に依って髪を落とした。
久しからずして西に行って教化を見ようとした。ついに元暁と共に道を取って遼東に出たが、辺境の守備兵が巡って諜者と見なして閉じ込め、幾旬を経てやっと免れて帰って来た。〔この事は崔侯の本伝と元暁法師の行状などにある。〕
永徽の初めに、ちょうど唐の使いの船で西に帰るものがあり、便乗して中国に入った。
初めは揚州にとどまったが、州の将劉至仁が請うて衙の内にとどめ、供養が豊かであった。
やがて終南山の至相寺に行って智儼に謁した。
智儼はその前の夕べに夢を見た。一本の大樹が海東に生じて枝葉が広く布き、中国を覆って蔭をなし、上に鳳の巣があって、登って見ると一つの摩尼宝珠があって光が遠くまで届いた。
覚めて驚き異しく思い、水を打ち掃いて待っていると、義湘が至った。
特別の礼で迎え、静かに言った。「私が昨夜見た夢は、あなたが来て私に投ずる兆しであった。」
室に入ることを許すと、『華厳経』の妙なる旨を剖き割って、幽かで微かなところまで明らかにした。
智儼はよい資質に逢って新しい趣を能く発せられるようになったことを喜んだので、深きを鈎り隠れたるを索めたと言えようし、藍と茜が本の色より濃くなったのと同じである。
夾注 1
事在崔侯夲傳及曉師行状䓁.
この事は崔侯の本伝と元暁法師の行状などにある。
2先に知らせて国が災いを免れる
旣而夲國承相金欽純一作仁問,良啚䓁徃囚於唐,髙宗将大舉東征.欽純䓁宻遣湘誘而先之.以咸享元年庚午還國聞事於朝.命神印大徳明朗假設宻壇法禳之,國乃免.儀鳳元年湘歸太伯山,奉朝旨創浮石寺敷敞大乗霊感頗著.
やがて本国の承相金欽純 ― 仁問と書いたものもある ― と良図らが唐に行って囚われ、高宗が大いに軍を挙げて東を討とうとした。
欽純らはひそかに義湘を遣わして、誘って先に知らせさせた。
咸亨元年庚午の年に国に帰って、朝廷にこの事を申し上げた。
命じて神印宗の大徳明朗に密壇の法を仮に設けて禳わせたので、国はこれによって災いを免れた。
儀鳳元年に義湘は太伯山に帰り、朝廷の旨を奉じて浮石寺を建て、大乗を広く敷いたので、霊感がかなり著しかった。
3賢首が送った手紙
終南門人賢首撰搜玄䟽送副本於湘䖏,并奉書懃懇曰.西亰崇福寺僧法藏致書於海東新羅華嚴法師侍者.一従分别二十餘年傾望之誠豈離心首,加以烟雲萬里海陸千重恨此一身不復再靣.抱懷戀戀夫何可言.故由夙世同因今生同業,得於此報俱沐大経,特蒙先師授兹粵典.仰承,上人歸郷之後開演華嚴,宣揚法界無㝵縁起重重帝網新新佛國,利益弘廣喜躍增深.是知如来滅後,光輝佛日再轉法輪令法久住者其唯法師矣.藏進趣無成,周旋寡况仰念兹典愧荷先師.隨分受持不能捨離希憑此業用結来因.但以和尚章䟽義豊文簡致令後人多難趣入,是以録和尚微言妙旨勒成義記.近因勝詮法師抄冩還郷傳之彼圡,請上人詳撿臧否幸示箴誨.伏願當當来世捨身受身,相與同於盧舎郙聽受如此無盡妙法修行如此無量普賢願行,儻餘惡業一朝顛墜.伏希上人不遺宿昔在諸趣中示以正道,人信之次時訪存没不具.〔文載大文類.〕
終南山の門人賢首が『捜玄疏』を撰し、その副本を義湘のもとに送り、あわせて懇ろな書を奉じてこう言った。
「西京崇福寺の僧法蔵が、海東新羅の華厳法師の侍者に書を致します。
ひとたび分かれて後、二十年あまり、仰ぎ望む誠がどうして心から離れましょうか。そのうえ煙と雲は万里、海と陸は千重であり、この一身が再びお顔を拝せないことが恨めしく存じます。
抱いた慕わしさを、どのような言葉で言い尽くせましょうか。
過ぎた世に同じ因を結び、この生に同じ業を成したので、この報を得て共に大経に沐し、とくに先師からこの優れた典を授かりました。
謹んで承るに、上人が郷に帰られた後、華厳を開き演べ、法界の礙りなき縁起と重重の帝網、新しく新しき仏国を宣べ揚げ、利益が弘く広いとのこと、喜び躍る思いがいよいよ深まります。
これによって知られます。如来の滅後、仏の日を再び輝かし、法輪を再び転じて法を久しく住まらせる方は、ただ法師おひとりであると。
私は進み趣いて成すところがなく、周旋したことも少ないので、この典を仰ぎ念ずるほど先師に恥じ入ります。
分に随って受け持ち、捨て離れることができず、この業に憑って来たるべき因を結ぶことを希うばかりです。
ただ、和尚の章と疏は義が豊かで文が簡なので、後の人が趣き入るのに難しい所が多くあります。そこで和尚の微かな言葉と妙なる旨を録して『義記』を勒め成しました。
近ごろ勝詮法師が抄し写して郷に帰り、あの土に伝えることになりましたので、上人が詳しく検めて臧否を判じ、箴め誨える言葉を示してくださることを請います。
伏して願うことは、来たるべき世ごとに身を捨て身を受け、相ともに盧舎那の前でこのような尽きることなき妙法を聴受し、このような量りなき普賢の願行を修めることであります。
もし余りある悪業で一朝にして顛り墜ちることがあれば、伏して希います、上人が昔日を忘れず、いずれの趣にあっても正しい道を示してくださいますよう。
人の便のあるごとに、時に存没を訪ねます。これにて具えません。」〔文は『大文類』に載っている。〕
夾注 1
文載大文類.
文は『大文類』に載っている。
4十の寺に教えを伝える
湘乃令十刹傳敎,太伯山浮石寺·原州毗摩羅·伽耶之海印·毗瑟之玊泉·金井之梵魚·南嶽華嚴寺䓁是也.又著法界啚書印并略䟽括盡一乗樞要,千載龜鏡竸所珎佩.餘無撰述,嘗鼎味一臠足矣.啚成緫章元年戊辰.是年儼亦帰寂,如孔氏之絶筆於獲麟矣.世傳湘乃金山寳蓋之㓜有也.
義湘はそこで十の刹に教えを伝えさせた。太伯山の浮石寺、原州の毗摩羅寺、伽耶山の海印寺、毗瑟山の玉泉寺、金井山の梵魚寺、南嶽の華厳寺などがそれである。
また『法界図書印』とあわせて略疏を著して、一乗の枢要をすべて括ったので、千載の亀鏡となって、競って珍しんで帯びた。
それ以外に撰述はない。鼎の味は一切れの肉で足りる。
図を成したのは総章元年戊辰の年である。この年に智儼もまた帰寂したので、孔子が獲麟のところで筆を絶ったのと同じである。
世に伝えて、義湘は金山宝蓋の後の身だという。
5階のない塔を回る弟子たち
徒弟悟真·智通·表訓·真㝎·真藏·道融·良圎·相源·能仁·義寂䓁十大徳爲領首,皆亞聖也各有傳.真嘗䖏下柯山鶻嵒寺每夜伸臂㸃浮石室燈.通著錐洞記,蓋承親訓故辞多詣妙.訓曽住佛國寺常徃来天宫.湘住皇福寺時與徒衆繞塔,每歩虚而工不以階升.故其塔不設梯磴,其徒離階三尺履空而旋.湘乃顧謂曰,“世人見此必以爲怪不可以訓世.”餘如崔侯所撰夲傳.讃曰.披榛跨海冐烟塵,至相門開接瑞珎.采采雜花我故國,終南太伯一般春.
弟子としては悟真・智通・表訓・真定・真蔵・道融・良円・相源・能仁・義寂など十大徳が領首となったが、みな聖に亜ぐ者で、それぞれ伝がある。
悟真はかつて下柯山の鶻巌寺にいて、夜ごとに腕を伸ばして浮石寺の室の灯を点した。
智通は『錐洞記』を著したが、おおむね親しく訓を承けたので、言葉が妙なるところに至ったものが多い。
表訓はかつて仏国寺に住み、常に天の宮を行き来した。
義湘が皇福寺に住んでいた時、徒衆と共に塔を回ったが、歩むごとに虚を踏んで上り、階を踏まなかった。
そのため、その塔には梯や踏み石を設けず、その徒は階から三尺を離れて空を踏んで旋った。
義湘はそこで顧みて言った。「世の人がこれを見れば必ず怪しとするだろうから、世を訓えることはできない。」
残りは崔侯が撰した本伝と同じである。
讃えて言う。
藪を分け海を跨いで煙と塵を冒せば 至相寺の門が開いて瑞なる珍を迎えた。 華厳の花を采り采りて我が故国に移せば 終南山と太伯山が一つの春である。