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修身修身篇

荀子(荀況の書) 荀子 · 荀況 · 紀元前3世紀 · 段落 12 · 漢字 1,659字 · 朗読 6.6分

荀子(荀況の書) 修身篇 孟子が性善を説いたところに、荀子は性悪を置いた。人の性は生まれながらに利を好み、妬み憎むので、そのままにしておけば争い奪って乱れる — だから師と法によってあるべき姿にし、礼と義で導いてはじめて治まるというのである。善は生まれつきのものではなく、積み重ねてできるものだと言った。 第一篇「勧学」が「青い染料は藍から出るが、藍より青い」で開き、「天論」は天を人の事から切り離して「天を大きなものとして慕うより、物として養い裁ち用いよ」と言う。「礼論」は礼がどこから来たのかを欲と物の争いから解き、「楽論」は音楽を否とした墨子に打ち返す。「正名」は名が天の定めたものではなく人びとが結んだ約束であることを明らかにし、「成相」の一篇は労働歌の調子に治まりと乱れを載せた歌である。 「君は舟であり衆人は水である、水は舟を浮かべもし、水は舟を覆しもする」が「王制」にある。李斯と韓非がその門下から出た。

見善,修然必以自存也;見不善,愀然必以自省也。善在身,介然必以自好也;不善在身,菑然必以自惡也。故非我而當者,吾師也;是我而當者,吾友也;諂諛我者,吾賊也。故君子隆師而親友,以致惡其賊。好善無厭,受諫而能誡,雖欲無進,得乎哉!小人反是,致亂而惡人之非己也,致不肖而欲人之賢己也,心如虎狼、行如禽獸而又惡人之賊己也。諂諛者親,諫争者疏,修正爲笑,至忠爲賊,雖欲無滅亡,得乎哉!《詩》曰:「噏噏呰呰,亦孔之哀。謀之其臧,則具是違;謀之不臧,則具是依。」此之謂也。

善を見れば身を整えて必ず自分にもあるかを省み、善くないものを見れば心を痛めて必ず自分の身を振り返る。善が身にあれば固く守って必ず自ら好み、善くないものが身にあれば雑草のように思って必ず自ら憎む。

だから私を誤りだとして、それが当たっている者は私の師であり、私を正しいとして、それが当たっている者は私の友であり、私にへつらう者は私の賊である。だから君子は師を高く仰ぎ友を親しみ、その賊を極めて憎む。

善を好んで飽きず、諫めを受けて戒めることができれば、たとえ進むまいとしても、そうなるだろうか。

小人はこれと逆である。極めて乱れていながら人が自分を誤りとするのを憎み、極めて愚かでありながら人が自分を賢いとすることを望み、心は虎や狼のようで行いは鳥獣のようでありながら、なお人が自分を害するといって憎む。へつらう者を親しみ、諫めて争う者を遠ざけ、身を修めて正しいことを笑い、至らんとする忠を賊と呼ぶ。たとえ滅びまいとしても、そうなるだろうか。

『詩』に「集まってそしり合い互いにあげつらう、これもまた甚だ悲しい。はかりごとが善ければみなこれに背き、はかりごとが善くなければみなこれに従う」とある。これを言うのである。

扁善之度,以治氣養生則後彭祖,以修身自名則配堯、禹。宜於時通,利以處窮,禮信是也。凡用血氣、志意、知慮,由禮則治通,不由禮則勃亂提僈;食飲、衣服、居處、動静,由禮則和節,不由禮則觸陷生疾;容貌、態度、進退、趨行,由禮則雅,不由禮則夷固僻違,庸衆而野。故人無禮則不生,事無禮則不成,國家無禮則不寧。《詩》曰:「禮儀卒度,笑語卒獲。」此之謂也。

あまねく善をなす法度がある。気を治めて生を養うのに用いれば彭祖の後に続き、身を修めて自ら名を立てるのに用いれば堯や禹と並ぶ。時を得て通じるのに適し、行きづまったところにあっても利となる。礼と信がそれである。

およそ血気・志意・知慮を用いるのに、礼によれば治まって通じ、礼によらなければ乱れて怠る。飲食・衣服・住まい・動静において、礼によれば和らいで節度があり、礼によらなければ突き当たり落ち込んで病が生じる。容貌・態度・進退・歩みにおいて、礼によれば雅やかであり、礼によらなければ硬く偏ってそむき、人々の中に混じって粗野である。

だから人は礼がなければ生きられず、事は礼がなければ成らず、国と家は礼がなければ安らかでない。『詩』に「礼と儀はすべて法度にかない、笑いと語らいはすべて適っている」とある。これを言うのである。

以善先人者謂之教,以善和人者謂之順;以不善先人者謂之諂,以不善和人者謂之諛。是是、非非謂之知,非是、是非謂之愚。傷良曰讒,害良曰賊。是謂是、非謂非曰直。竊貨曰盜,匿行曰詐,易言曰誕,趣舍無定謂之無常,保利棄義謂之至賊。多聞曰博,少聞曰淺;多見曰閑,少見曰陋。難進曰偍,易忘曰漏。少而理曰治,多而亂曰秏。

善をもって人を導くのを教といい、善をもって人と和するのを順という。善くないものをもって人を導くのを諂といい、善くないものをもって人と和するのを諛という。

正しいものを正しいとし誤りを誤りとするのを知といい、正しいものを誤りとし誤りを正しいとするのを愚という。善い人を傷つけるのを讒といい、善い人を害するのを賊という。正しいものを正しいとし誤りを誤りとするのを直という。

財を盗むのを盗といい、行いを隠すのを詐といい、言葉を軽々しく変えるのを誕といい、取捨に定まりがないのを無常といい、利を守るために義を捨てるのを至賊という。

多く聞くのを博といい、少なく聞くのを浅という。多く見るのを閑といい、少なく見るのを陋という。進みにくいのを偍といい、すぐ忘れるのを漏という。少なくて筋が通っているのを治といい、多くて乱れているのを秏という。

治氣養心之術:血氣剛强,則柔之以調和;知慮漸深,則一之以易良;勇膽猛戾,則輔之以道順;齊給便利,則節之以動止;狹隘褊小,則廓之以廣大;卑溼、重遲、貪利,則抗之以高志;庸衆駑散,則刦之以師友;怠慢僄弃,則炤之以禍災;愚款端愨,則合之以禮樂,通之以思索。凡治氣養心之術,莫徑由禮,莫要得師,莫神一好。夫是之謂治氣養心之術也。

気を治め心を養う術はこうである。

血気が剛強なら柔らかさで調和させ、知慮が深くなりすぎたら易しさと善良さで一つにし、勇ましく猛々しく荒いなら道理と従順さで助け、素早く身軽なら動と止で節度をつけ、狭く小さいなら広大さで広げ、低く沈み鈍く利を貪るなら高い志で引き上げ、人々の中に混じって鈍く散漫なら師と友で導き、怠けて軽々しく投げ出すなら災いを照らして見せ、愚直で律儀なら礼と楽で調え、思索で通じさせる。

およそ気を治め心を養う術に、礼によることより近い道はなく、師を得ることより要となるものはなく、一つを好むことより神妙なものはない。これを気を治め心を養う術という。

志意修則驕富貴,道義重則輕王公,內省而外物輕矣。傳曰:「君子役物,小人役於物。」此之謂矣。身勞而心安,爲之;利少而義多,爲之。事亂君而通,不如事窮君而順焉。故良農不爲水旱不耕,良賈不爲折閱不市,士君子不爲貧窮怠乎道。

志が修まれば富と貴を軽んじ、道と義が重ければ王公を軽く見る。内を省みれば外の物は軽くなる。

伝えに「君子は物を使い、小人は物に使われる」とある。これを言うのである。

身が苦しくても心が安らかならそれを行い、利が少なくても義が多いならそれを行う。乱れた君に仕えて通じるよりは、行きづまった君に仕えて従うほうがよい。

だから善い農夫は長雨や旱のために耕すのをやめず、善い商人は損のために市に出るのをやめず、士や君子は貧しく行きづまったために道に怠らない。

體恭敬而心忠信,術禮義而情愛人,橫行天下,雖困四夷,人莫不貴。勞苦之事則争先,饒樂之事則能讓,端愨誠信,拘守而詳,橫行天下,雖困四夷,人莫不任。體倨固而心執詐,術順墨而精雜汙,橫行天下,雖達四方,人莫不賤。勞苦之事則偷儒轉脫,饒樂之事則佞兌而不曲,辟違而不愨,程役而不録,橫行天下,雖達四方,人莫不弃。

身が恭しく敬い、心が忠と信にあり、礼と義を術とし、情で人を愛するなら、天下を横切って、たとえ四方の夷の地で行きづまっても、人は貴ばない者がいない。

苦労する仕事では先を争い、豊かで楽しい仕事では譲ることができ、正しく律儀で誠と信にあり、守って細やかなら、天下を横切って、たとえ四方の夷の地で行きづまっても、人は任せない者がいない。

身が傲り硬く、心に偽りを抱き、術がそむき、情が雑じって汚れているなら、天下を横切って、たとえ四方に通じても、人は賤しまない者がいない。

苦労する仕事では怠けて抜け出し、豊かで楽しい仕事ではへつらって曲げず、偏ってそむき律儀でなく、仕事を任されても務めないなら、天下を横切って、たとえ四方に通じても、人は捨てない者がいない。

行而供冀,非漬淖也;行而俯項,非擊戾也;偶視而先俯,非恐懼也。然夫士欲獨修其身,不以得罪於比俗之人也。

歩くときに用心深いのは泥を踏むからではなく、歩くときに首をうつむけるのは突き当たるのを恐れるからではなく、向かい合って先にうつむくのは恐れるからではない。そうであるから、士は独りその身を修めようとするのであって、俗世の人に罪を得ないようにするためではない。

夫驥一日而千里,駑馬十駕則亦及之矣。將以窮無窮,逐無極與?其折骨絶筋,終身不可以相及也。將有所止之,則千里雖遠,亦或遲或速、或先或後,胡爲乎其不可以相及也?不識步道者,將以窮無窮逐無極與?意亦有所止之與?夫堅白、同異、有厚無厚之察,非不察也,然而君子不辯,止之也;倚魁之行,非不難也,然而君子不行,止之也。故學曰︰「遲彼止而待我,我行而就之,則亦或遲或速,或先或後,胡爲乎其不可以同至也?」故蹞步而不休,跛鼈千里;累土而不輟,丘山崇成;厭其源,開其瀆,江河可竭;一進一退,一左一右,六驥不致。彼人之才性之相縣也,豈若跛鼈之與六驥足哉?然而跛鼈致之,六驥不致,是無它故焉,或爲之,或不爲爾。

およそ駿馬は一日に千里を行き、鈍い馬も十日かけて進めばやはり至る。

尽きないものを尽くし、極まりないものを追おうとするのか。それなら骨が折れ筋が切れても、生涯互いに及ぶことはできない。止まるところがあるなら、千里がたとえ遠くても、遅いか速いか、先か後かの違いだけである。どうして互いに及ばないことがあろうか。

道を歩くことを知らない者は、尽きないものを尽くし極まりないものを追おうとするのか、それともやはり止まるところがあるのか。

およそ堅白、同異、厚さの有無を論じることは、細かく見ていないわけではない。それでも君子が論じないのは、止まるところを知るからである。奇怪で突飛な行いは難しくないわけではない。それでも君子が行わないのは、止まるところを知るからである。

だから学ぶ者は言う。「あの者が遅れて止まって私を待ち、私が行って追いつくなら、やはり遅いか速いか、先か後かの違いだけだ。どうして共に至れないことがあろうか」と。

だから半歩でも休まなければ足の悪いスッポンも千里を行き、土を積んでやめなければ丘や山も高くできあがる。その源をふさいで溝を開けば、大河も尽きることがある。一度進んで一度退き、一度左に一度右に行けば、六頭の駿馬でも至らない。

あの人々の才と性の隔たりが、どうして足の悪いスッポンと六頭の駿馬の足ほどであろうか。それでも足の悪いスッポンは至り、六頭の駿馬は至らない。これは他に理由はない。する者としない者の違いだけである。

道雖邇,不行不至;事雖小,不爲不成。其爲人也多暇日者,其出入不遠矣。好法而行,士也;篤志而體,君子也;齊明而不竭,聖人也。人無法,則倀倀然;有法而無志其義,則渠渠然;依乎法而又深其類,然後溫溫然。

道がたとえ近くても行かなければ至らず、事がたとえ小さくてもしなければ成らない。その人となりに暇な日が多い者は、その出入りが遠くまで及ばない。

法を好んで行えば士であり、志が篤く身についていれば君子であり、ひととおり明らかで尽きなければ聖人である。

人に法がなければ途方に暮れ、法があってもその意味を心に刻まなければうろたえ、法に拠りさらにその類を深めてから初めてゆったりと和やかになる。

禮者,所以正身也;,師者,所以正禮也。無禮何以正身?無師,吾安知禮之爲是也?禮然而然,則是情安禮也;師云而云,則是知若師也。情安禮,知若師,則是聖人也。故非禮,是無法也;非師,是無師也。不是師法而好自用,譬之是猶以盲辨色,以聾辨聲也,舍亂妄無爲也。故學也者,禮法也。夫師,以身爲正儀而貴自安者也。《詩》云:「不識不知,順帝之則。」此之謂也。

礼とは身を正すものであり、師とは礼を正すものである。礼がなければ何で身を正し、師がなければ私は礼が正しいとどうして知ろうか。

礼がそうであるからそうするなら、それは情が礼に安らいでいるのである。師が言うとおりに言うなら、それは知が師と同じなのである。情が礼に安らぎ知が師と同じなら、それは聖人である。

だから礼を誤りとするのは法がないことであり、師を誤りとするのは師がないことである。師と法を正しいとせず自分の思いどおりにするのを好むのは、たとえば目の見えない者が色を見分け、耳の聞こえない者が音を聞き分けるようなもので、乱れと妄りを除けばすることがない。

だから学びとは礼と法である。およそ師は自分の身を正しい手本として、自ら安らぐことを貴ぶ者である。『詩』に「知らず悟らぬままに、帝の法に従う」とある。これを言うのである。

端愨順弟,則可謂善少者矣;加好學遜敏焉,則有鈞無上,可以爲君子者矣。偷儒憚事,無廉恥而嗜乎飲食,則可謂惡少者矣;加愓悍而不順,險賊而不弟焉,則可謂不詳少者矣,雖陷刑戮可也。老老而壯者歸焉,不窮窮而通者積焉,行乎冥冥而施乎無報,而賢不肖一焉。人有此三行,雖有大過,天其不遂乎。

正しく律儀で従順で恭しければ、善い若者と言えよう。これに学を好み、謙り、機敏であることを加えれば、並ぶ者はいても上はなく、君子となることができる。

怠けて仕事をいやがり、恥を知らず飲食を好むなら、悪い若者と言えよう。これに荒々しく従わず、陰険で害をなし恭しくないことを加えれば、不吉な若者と言えよう。たとえ刑罰に落ちても構わない。

老人を老人として敬えば壮健な者が集まり、行きづまった者を行きづまらせなければ通じた者が集まり、暗いところで行い報いのないところに施せば、賢い者も愚かな者も一つになる。人にこの三つの行いがあれば、たとえ大きな過ちがあっても、天がこれを見捨てようか。

君子之求利也略,其遠害也早,其避辱也懼,其行道理也勇。君子貧窮而志廣,富貴而體恭,安燕而血氣不惰,勞勌而容貌不枯,怒不過奪,喜不過予。君子貧窮而志廣,隆仁也;富貴而體恭,殺埶也;安燕而血氣不惰,柬理也;勞勌而容貌不枯,好交也。怒不過奪,喜不過予,是法勝私也。《書》曰:「無有作好,遵王之道;無有作惡,遵王之路。」此言君子之能以公義勝私欲也。

君子は利を求めるのにおおまかであり、害を遠ざけるのに早く、恥を避けるのに慎み深く、道理を行うのに勇ましい。

君子は貧しく行きづまっても志が広く、富んで貴くても身が恭しく、安らかに休んでも血気が怠らず、苦労して疲れても顔が枯れず、怒っても度を越して奪わず、喜んでも度を越して与えない。

君子が貧しく行きづまっても志が広いのは仁を高くするからであり、富んで貴くても身が恭しいのは勢いを減らすからであり、安らかに休んでも血気が怠らないのは理を選ぶからであり、苦労して疲れても顔が枯れないのは交わりを好むからである。怒っても度を越して奪わず、喜んでも度を越して与えないのは、法が私に勝ったのである。

『書』に「好みを作り出さず、王の道に従え。憎しみを作り出さず、王の路に従え」とある。これは君子が公の義で私の欲に勝つことができることを言ったのである。