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致士致士篇

荀子(荀況の書) 荀子 · 荀況 · 紀元前3世紀 · 段落 9 · 漢字 921字 · 朗読 3.7分

荀子(荀況の書) 致士篇 孟子が性善を説いたところに、荀子は性悪を置いた。人の性は生まれながらに利を好み、妬み憎むので、そのままにしておけば争い奪って乱れる — だから師と法によってあるべき姿にし、礼と義で導いてはじめて治まるというのである。善は生まれつきのものではなく、積み重ねてできるものだと言った。 第一篇「勧学」が「青い染料は藍から出るが、藍より青い」で開き、「天論」は天を人の事から切り離して「天を大きなものとして慕うより、物として養い裁ち用いよ」と言う。「礼論」は礼がどこから来たのかを欲と物の争いから解き、「楽論」は音楽を否とした墨子に打ち返す。「正名」は名が天の定めたものではなく人びとが結んだ約束であることを明らかにし、「成相」の一篇は労働歌の調子に治まりと乱れを載せた歌である。 「君は舟であり衆人は水である、水は舟を浮かべもし、水は舟を覆しもする」が「王制」にある。李斯と韓非がその門下から出た。

衡聽、顯幽、重明、退姦、進良之術:朋黨比周之譽,君子不聽;殘賊加累之譖,君子不用;隱忌雍蔽之人,君子不近;貨財禽犢之請,君子不許。凡流言、流說、流事、流謀、流譽、流愬,不官而衡至者,君子慎之。聞聽而明譽之,定其當而當,然後士其刑賞而還與之,如是則姦言、姦說、姦事、姦謀、姦譽、姦愬莫之試也,忠言、忠說、忠事、忠謀、忠譽、忠愬莫不明通,方起以尚盡矣。夫是之謂衡聽、顯幽、重明、退姦、進良之術。

秤にかけて聴き、奥深いものを現し、明らかなものを重ね、邪な者を退け、善い者を進める術はこうである。

党を組んで取り巻いた誉れを君子は聴かず、害し盗み咎を重ねて着せる讒言を君子は用いず、隠し妬み塞ぎ覆う人を君子は近づけず、財貨や鳥や子牛で行う請願を君子は許さない。

およそ流れる言、流れる説、流れる事、流れる謀、流れる誉れ、流れる訴えが、正しい筋を通らずに横から至れば、君子は慎む。

聴いて明らかに誉め、その適切さを定めて適切にしてから、その刑と賞を定めて返し与えれば、邪な言、邪な説、邪な事、邪な謀、邪な誉れ、邪な訴えが試されることがなく、忠なる言、忠なる説、忠なる事、忠なる謀、忠なる誉れ、忠なる訴えが明らかに通じないものがなく、まさに起こって上まで尽くされる。これをおよそ、秤にかけて聴き、奥深いものを現し、明らかなものを重ね、邪な者を退け、善い者を進める術という。

川淵深而魚鼈歸之,山林茂而禽獸歸之,刑政平而百姓歸之,禮義備而君子歸之。故禮及身而行修,義及國而政明,能以禮挾而貴名白,天下願,令行禁止,王者之事畢矣。《詩》曰:「惠此中國,以綏四方。」此之謂也。川淵者,魚龍之居也;山林者,鳥獸之居也;國家者,士民之居也。川淵枯則魚龍去之,山林險則鳥獸去之,國家失政則士民去之。無土則人不安居,無人則土不守,無道法則人不至,無君子則道不舉。故土之與人也,道之與法也者,國家之本作也,君子也者,道法之摠要也,不可少頃曠也。得之則治,失之則亂;得之則安,失之則危;得之則存,失之則亡。故有良法而亂者有之矣,有君子而亂者,自古及今,未嘗聞也。《傳》曰:「治生乎君子,亂生於小人。」此之謂也。

川と淵が深ければ魚とスッポンが帰し、山と林が茂れば鳥獣が帰し、刑と政が平らであれば民が帰し、礼と義が備われば君子が帰す。

だから礼が身に及べば行いが修まり、義が国に及べば政が明らかになり、よく礼を携えて貴い名が明らかになれば、天下が願い、令が行われ禁が守られて、王たる者の仕事が終わる。『詩』に「この国の内を恵んで、四方を安らげる」とある。これを言うのである。

川と淵は魚と竜の住むところであり、山と林は鳥獣の住むところであり、国家は士と民の住むところである。川と淵が枯れれば魚と竜が去り、山と林が険しくなれば鳥獣が去り、国家が政を失えば士と民が去る。

土地がなければ人が安らかに住めず、人がなければ土地が守られず、道と法がなければ人が至らず、君子がなければ道が挙がらない。だから土地と人、道と法は国家の根本となるものであり、君子とは道と法を統べる要であって、片時も空けることができない。

これを得れば治まり、失えば乱れる。得れば安らぎ、失えば危うい。得れば残り、失えば滅びる。だから善い法があって乱れることはあっても、君子があって乱れたことは、古から今まで、かつて聞いたことがない。伝えに「治は君子から生じ、乱は小人から生じる」とある。これを言うのである。

得衆動天。美意延年。誠信如神。夸誕逐魂。

多くの人を得れば天を動かす。美しい意は寿命を延ばす。誠と信は神のようである。誇りと偽りは魂を追い立てる。

人主之害,不在乎不言用賢,而在乎誠必用賢。夫言用賢者口也,卻賢者行也,口行相反而欲賢者之至,不肖者之退也,不亦難乎!夫耀蟬者務在明其火,振其樹而已,火不明,雖振其樹,無益也。今人主有能明其德者,則天下歸之,若蟬之歸明火也。

君主の害は、賢い者を用いると言わないことにあるのではなく、まことに必ず賢い者を用いることにある。およそ賢い者を用いると言うのは口であり、賢い者を退けるのは行いである。口と行いが互いに反しながら、賢い者が至り愚かな者が退くことを望む。また難しいことではないか。

およそ蝉を捕る者は、その火を明るくしその木を揺することに努めるだけである。火が明るくなければ、たとえその木を揺しても益がない。いま君主がよくその徳を明らかにすれば、天下が彼に帰することは、蝉が明るい火に帰するようである。

臨事接民而以義,變應寬裕而多容,恭敬以先之,政之始也;然後中和察斷以輔之,政之隆也;然後進退誅賞之,政之終也。故一年與之始,三年與之終。用其終爲始,則政令不行而上下怨疾,亂所以自作也。《書》曰:「義刑義殺,勿庸以即,女惟曰『未有順事』。」言先教也。

事に臨み民に接するのを義で行い、変化に応ずるのを寛やかにゆたかにして多く容れ、恭しく敬うことで先立つのが政の始めである。そのうえで中和して察し裁いて輔けるのが政の盛んなることである。そのうえで進め退け討ち賞するのが政の終わりである。

だから一年は彼と始めを行い、三年は彼と終わりを行う。その終わりを始めとして用いれば、政令が行われず上下が恨み憎む。乱れが自ら作られる理由である。『書』に「義にかなって刑し義にかなって殺すが、すぐに用いてはならない。あなたはただ『まだ順う事がない』と言え」とある。教えを先にすることを言ったのである。

程者,物之準也;禮者,節之準也。程以立數,禮以定倫,德以敘位,能以授官。凡節奏欲陵,而生民欲寬,節奏陵而文,生民寬而安。上文下安,功名之極也,不可以加矣。

程とは物の基準であり、礼とは節の基準である。程で数を立て、礼で倫を定め、徳で位を序し、能で官を授ける。

およそ節と調べは細かくありたがり、民の暮らしは寛くありたがる。節と調べが細かければ文があり、民の暮らしが寛ければ安らぐ。上に文があり下が安らぐのが功と名の極みであって、これに加えるものはない。

君者,國之隆也;父者,家之隆也。隆一而治,二而亂,自古及今,未有二隆争重而能長久者。

君は国の高みであり、父は家の高みである。高みが一つなら治まり、二つなら乱れる。古から今まで、二つの高みが重さを争って長く久しくありえたことはない。

師術有四,而博習不與焉:尊嚴而憚,可以爲師;耆艾而信,可以爲師;誦說而不陵不犯,可以爲師;知微而論,可以爲師。故師術有四,而博習不與焉。水深而回,樹落則糞本,弟子通利則思師。《詩》曰:「無言不讎,無德不報。」此之謂也。

師たる術に四つあって、博く習うことはそこに入らない。尊く厳かで畏れられれば師となることができ、年を重ねて信があれば師となることができ、誦し説いて侵さず犯さなければ師となることができ、微かなものを知って論ずれば師となることができる。だから師たる術に四つあって、博く習うことはそこに入らない。

水が深ければ巡って流れ、木の葉が落ちれば根を肥やし、弟子が通じて利を得れば師を思う。『詩』に「報われない言葉はなく、報いられない徳はない」とある。これを言うのである。

賞不欲僭,刑不欲濫,賞僭則利及小人,刑濫則害及君子。若不幸而過,寧僭勿濫;與其害善,不若利淫。

賞は行き過ぎないほうがよく、刑は溢れないほうがよい。賞が行き過ぎれば利が小人に及び、刑が溢れれば害が君子に及ぶ。もし不幸にも過つのなら、むしろ賞が行き過ぎても刑が溢れないようにせよ。善い者を害するよりは、溢れた者を利するほうがよい。