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彊国彊國篇

荀子(荀況の書) 荀子 · 荀況 · 紀元前3世紀 · 段落 10 · 漢字 2,779字 · 朗読 11.1分

荀子(荀況の書) 彊國篇 孟子が性善を説いたところに、荀子は性悪を置いた。人の性は生まれながらに利を好み、妬み憎むので、そのままにしておけば争い奪って乱れる — だから師と法によってあるべき姿にし、礼と義で導いてはじめて治まるというのである。善は生まれつきのものではなく、積み重ねてできるものだと言った。 第一篇「勧学」が「青い染料は藍から出るが、藍より青い」で開き、「天論」は天を人の事から切り離して「天を大きなものとして慕うより、物として養い裁ち用いよ」と言う。「礼論」は礼がどこから来たのかを欲と物の争いから解き、「楽論」は音楽を否とした墨子に打ち返す。「正名」は名が天の定めたものではなく人びとが結んだ約束であることを明らかにし、「成相」の一篇は労働歌の調子に治まりと乱れを載せた歌である。 「君は舟であり衆人は水である、水は舟を浮かべもし、水は舟を覆しもする」が「王制」にある。李斯と韓非がその門下から出た。

刑范正,金錫美,工冶巧,火齊得,剖刑而莫邪已。然而不剝脫,不砥厲,則不可以斷繩。剝脫之,砥厲之,則劙盤盂,刎牛馬,忽然耳。彼國者,亦彊國之剖刑已。然而不教誨,不調一,則入不可以守,出不可以戰。教誨之,調一之,則兵勁城固,敵國不敢嬰也。彼國者亦有砥厲,禮義節奏是也。故人之命在天,國之命在禮。人君者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡。

鋳型が正しく、金と錫が良く、鍛冶が巧みで、火加減が適切で、型を割れば莫邪が出る。しかし剥ぎ取らず砥石で研がなければ縄も断てない。剥ぎ取り砥石で研げば、盤や鉢を割り牛馬を斬ることを一瞬でする。

あの国も、強い国の型を割ったのと同じである。しかし教え諭さず調えて一つにしなければ、内にあって守ることができず、外に出て戦うことができない。教え諭し調えて一つにすれば、兵が強く城が固く、敵国が敢えて触れない。

あの国にも砥石がある。礼と義と節と調べがそれである。だから人の命は天にあり、国の命は礼にある。人を治める者は、礼を高く仰ぎ賢い者を尊べば王となり、法を重くし民を愛せば覇となり、利を好み欺きが多ければ危うく、権謀で傾け覆し奥深く陰険であれば滅びる。

威有三:有道德之威者,有暴察之威者,有狂妄之威者--此三威者,不可不孰察也。禮義則脩,分義則明,舉錯則時,愛利則形。如是,百姓貴之如帝,高之如天,親之如父母,畏之如神明。故賞不用而民勸,罰不用而威行,夫是之謂道德之威。禮樂則不脩,分義則不明,舉錯則不時,愛利則不形;然而其禁暴也察,其誅不服也審,其刑罰重而信,其誅殺猛而必,黭然而雷擊之,如牆厭之。如是,百姓劫則致畏,嬴則敖上,執拘則[最]聚,得間則散,敵中則奪,非劫之以形埶,非振之以誅殺,則無以有其下,夫是之謂暴察之威。無愛人之心,無利人之事,而日為亂人之道,百姓讙敖,則從而執縛之,刑灼之,不和人心。如是,下比周賁潰以離上矣,傾覆滅亡,可立而待也,夫是之謂狂妄之威。--此三威者,不可不孰察也。道德之威成乎安彊,暴察之威成乎危弱,狂妄之威成乎滅亡也。

威に三つある。道と徳の威があり、荒く察する威があり、狂い妄りな威がある。この三つの威はよく察しないわけにはいかない。

礼と義が修まり、分と義が明らかで、事を起こすのが時にかない、愛と利が形に現れる。このようであれば、民は帝のように貴び、天のように高め、父母のように親しみ、神明のように畏れる。だから賞を用いなくても民が励み、罰を用いなくても威が行われる。これをおよそ道と徳の威という。

礼と楽が修まらず、分と義が明らかでなく、事を起こすのが時にかなわず、愛と利が形に現れない。それでも荒さを禁じることには察しがあり、服さない者を討つことは審らかで、その刑罰は重く信があり、その殺すことは猛々しく必ず行われ、突然に雷のように撃ち、塀が崩れて押し潰すようである。このようであれば、民は押されれば畏れるが、緩めば上を侮り、捕らえ縛れば集まるが、隙を得れば散り、敵が中にあれば奪われる。形と勢いで押さず、殺すことで震わせなければ、その下を持つことができない。これをおよそ荒く察する威という。

人を愛する心もなく人を利する事もなく、日々人を乱す道を行い、民が騒ぎ逆らえば従って捕らえ縛り、刑で焼き、人の心と和さない。このようであれば、下が党を組んで崩れて上を離れ、傾き覆り滅びるのを立って待てるほどである。これをおよそ狂い妄りな威という。

この三つの威はよく察しないわけにはいかない。道と徳の威は安らかで強いところに成り、荒く察する威は危うく弱いところに成り、狂い妄りな威は滅びるところに成る。

公孫子曰:子發將西伐蔡,克蔡,獲蔡侯,歸致命曰:「蔡侯奉其社稷,而歸之楚;舍屬二三子而治其地。」既,楚發其賞,子發辭曰:「發誡布令而敵退,是主威也;徙舉相攻而敵退,是將威也;合戰用力而敵退,是眾威也。臣舍不宜以眾威受賞。」

公孫子が言った。子発が西へ蔡を討ちに行き、蔡を破り蔡侯を捕らえた。帰って命を奉じて言った。「蔡侯はその社稷を奉じて楚に返しました。私は幾人かに付けてその地を治めさせました」

やがて楚がその賞を出すと、子発は辞退して言った。「命を出し令を布いて敵が退いたのは主の威です。移し動かして互いに攻めたのは将の威です。合わせ戦い力を用いて敵が退いたのは衆の威です。臣は衆の威で賞を受けるのが適切ではありません」

譏之曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。夫尚賢使能,賞有功,罰有罪,非獨一人為之也,彼先王之道也,一人之本也,善善惡惡之應也,治必由之,古今一也。古者明主之舉大事,立大功也,大事已博,大功已立,則君享其成,群臣享其功,士大夫益爵,官人益秩,庶人益祿。是以為善者勸,為不善者沮,上下一心,三軍同力,是以百事成,而功名大也。今子發獨不然:反先王之道,亂楚國之法,墮興功之臣,恥受賞之屬,無僇乎族黨,而抑卑其後世,案獨以為私廉,豈不過甚矣哉!故曰:子發之致命也恭,其辭賞也固。

これを責めて言う。子発が命を奉じたことは恭しいが、その賞を辞退したことは頑なである。

およそ賢い者を尊び能ある者を使い、功ある者に賞し罪ある者を罰することは、一人だけが行うことではなく、あの先王の道であり、一人の根本であり、善を善とし悪を悪とする応えである。治は必ずこれによる。古と今は一つである。

古に明らかな君主が大事を起こし大功を立てるとき、大事がすでに広まり大功がすでに立てば、君はその成果を享け、群臣はその功を享けた。士大夫は爵が上がり、官人は秩が上がり、庶人は禄が増えた。だから善をなす者が励み、善くないことをなす者が阻まれ、上下が一つの心となり、三軍が力を同じくした。だから百事が成り、功と名が大きかった。

いま子発だけがそうでなく、先王の道にそむき、楚国の法を乱し、功を起こした臣を崩し、賞を受ける者たちを恥じ入らせた。族や里に分けることなく、その後の世を抑え低くしながら、独り自分の廉潔とした。どうして行き過ぎが甚だしくないことがあろうか。だから言う、子発が命を奉じたことは恭しいが、その賞を辞退したことは頑なであると。

荀卿子說齊相曰:處勝人之埶,行勝人之道,天下莫忿,湯武是也。處勝人之埶,不以勝人之道,厚於有天下之埶,索為匹夫不可得也,桀紂是也。然則得勝人之埶者,其不如勝人之道遠矣!夫主相者,勝人以埶也,是為是,非為非,能為能,不能為不能,併己之私欲,必以道,夫公道通義之可以相兼容者,是勝人之道也。今相國上則得專主,下則得專國,相國之於勝人之埶,亶有之矣。然則胡不敺此勝人之埶,赴勝人之道,求仁厚明通之君子而託王焉,與之參國政,正是非!如是,則國孰敢不為義矣!君臣上下,貴賤長少,至於庶人,莫不為義,則天下孰不欲合義矣!賢士願相國之朝,能士願相國之官,好利之民莫不願以齊為歸,是一天下也。相國舍是而不為,案直為是世俗之所以為,則女主亂之宮,詐臣亂之朝,貪吏亂之官,眾庶百姓皆以爭奪貪利為俗,曷若是而可以持國乎?今巨楚縣吾前,大燕(魚酋)吾後,勁魏鉤吾右,西壤之不絕若繩,楚人則乃有襄賁開陽以臨吾左,是一國作謀,則三國必起而乘我。如是,則齊必斷而為四、三,國若假城然耳,必為天下大笑。曷若兩者孰足為也!夫桀紂,聖王之後子孫也,有天下者之世也,埶籍之所存,天下之宗室也,土地之大,封內千里,人之眾數以億萬,俄而天下倜然舉去桀紂而奔湯武,反然舉惡桀紂而貴湯武。是何也?夫桀紂何失?而湯武何得也?曰:是無它故焉,桀紂者善為人所惡也,而湯武者善為人所好也。人之所惡何也?曰:汙漫、爭奪、貪利是也。人之所好者何也?曰:禮義、辭讓、忠信是也。今君人者,譬稱比方則欲自並乎湯武,若其所以統之,則無以異於桀紂,而求有湯武之功名,可乎?故凡得勝者,必與人也;凡得人者,必與道也。道也者,何也?禮義、辭讓、忠信是也。故自四五萬而往者,彊勝非眾之力也,隆在信矣。自數百里而往者,安固非大之力也,隆在脩政矣。今已有數萬之眾者也,陶誕比周以爭與;已有數百里之國者也,汙漫突盜以爭地;然則是棄己之所安彊,而爭己之所以危弱也;損己之所不足,以重己之所有餘。若是其悖繆也,而求有湯武之功名,可乎!辟之,是猶伏而咶天,救經而引其足也。說必不行矣,愈務而愈遠。為人臣者,不恤己行之不行,苟得利而已矣,是渠衝入穴而求利也,是仁人之所羞而不為也。故人莫貴乎生,莫樂乎安;所以養生安樂者,莫大乎禮義。人知貴生樂安而棄禮義,辟之,是猶欲壽而歾頸也,愚莫大焉。故君人者,愛民而安,好士而榮,兩者亡一焉而亡。詩曰:「价人維藩,大師維垣。」此之謂也。

孫卿子が斉の相に言った。

「人に勝つ勢いにあって人に勝つ道を行えば、天下が憤りません。湯と武がそれです。人に勝つ勢いにあって人に勝つ道で行わなければ、天下を持つ勢いが厚くても匹夫となることを求めても得られません。桀と紂がそれです。それならば、人に勝つ勢いを得ることは、人に勝つ道には遥かに及びません。

およそ主と相は勢いで人に勝つ者です。正しいものを正しいとし誤りを誤りとし、能あるものを能とし能ないものを能ないとし、自分の私欲を併せて必ず道で行い、公の道と通ずる義で互いに併せ容れられるようにすることが、人に勝つ道です。

いま相国は上では主を専らに得、下では国を専らに得ておられ、人に勝つ勢いはまことにお持ちです。それならどうしてこの人に勝つ勢いを駆って人に勝つ道へ走られないのですか。仁で厚く明らかに通じた君子を求めて王を託し、彼と共に国政を計り是非を正されるがよい。

このようであれば、国で誰が敢えて義をなさないでしょうか。君と臣、上と下、貴賤と長幼が庶人に至るまで義をなさない者がなければ、天下で誰が義に合いたいと願わないでしょうか。賢い士が相国の朝廷を願い、能ある士が相国の官を願い、利を好む民が斉に帰することを願わない者がないでしょう。これが天下を一つにすることです。

相国がこれを捨てて行わず、まっすぐこの世俗のするとおりにされるなら、女の主が宮を乱し、欺く臣が朝廷を乱し、貪る吏が官を乱し、庶民がみな争い奪い利を貪ることを習わしとするでしょう。どうしてこれで国を保てましょうか。

いま巨大な楚がわが前に掛かり、大きな燕がわが後ろを窺い、強い魏がわが右を掛け、西の地が縄のように絶えず続いています。楚の人は襄賁と開陽を置いてわが左に迫りました。一つの国が謀を起こせば、三つの国が必ず起こって我々に乗るでしょう。このようであれば斉は必ず四つか三つに割れ、国は借りた城のようになるだけで、必ず天下の大きな笑いものとなるでしょう。二つのうちどちらがなすに足りますか。

およそ桀と紂は聖王の後の子孫であり、天下を持った者の世を継いだ者です。勢いと籍のあるところであり、天下の宗室であり、土地の大きさは封内千里、人の多さは億万で数えました。それがやがて天下はさっと桀と紂を捨てて湯と武に走り、翻って桀と紂を憎み湯と武を貴びました。

これはなぜですか。およそ桀と紂は何を失い、湯と武は何を得たのですか。言う、これは他に理由はありません。桀と紂は人が憎むところをよくなし、湯と武は人が好むところをよくなしたのです。

人が憎むところは何ですか。汚れ緩むことと、争い奪うことと、利を貪ることがそれです。人が好むところは何ですか。礼と義と、辞譲と、忠と信がそれです。

いま人を治める者が、比べて言えば自ら湯と武に並びたいと思いながら、その統べるところで言えば桀と紂と異なるところがないまま、湯と武の功と名があることを求める。できましょうか。

だからおよそ勝ちを得る者は必ず人と共にあり、人を得る者は必ず道と共にあります。道とは何ですか。礼と義と、辞譲と、忠と信がそれです。

だから四万五万から上に行くものは、強く勝つのが衆の力ではなく、仰ぐところが信にあるのです。数百里から上に行くものは、安らかで固いのが大きさの力ではなく、仰ぐところが政を修めることにあるのです。

いますでに数万の衆を持つ者が、偽り党を組んで味方を争い、すでに数百里の国を持つ者が、汚れ突き当たり盗んで地を争う。それならこれは自分が安らかで強いところを捨てて、自分が危うく弱くなるところを争うことであり、自分に足りないものを減らして自分に余るものを重くすることです。

このようにそむき誤りながら湯と武の功と名があることを求める。できましょうか。たとえばこれは、伏せて天を舐め、首を吊った者を救うといってその足を引くようなものです。説くことは必ず行われず、努めるほどいよいよ遠くなります。

人の臣となった者が、自分の行いが行われないことを顧みず、かりそめに利だけを得ようとすれば、これは城を破る衝車が穴に入って利を求めるようなもので、仁ある人が恥じてしないところです。

だから人に生より貴いものはなく、安らぎより楽しいものはないのに、生を養い安らかに楽しくするものに、礼と義より大きいものはありません。人が生を貴び安らぎを楽しむことを知りながら礼と義を捨てるのは、たとえば長生きしたいと思いながら首を切るようなもので、愚かさにこれより大きいものはありません。

だから人を治める者は、民を愛して安らぎ、士を好んで栄えます。二つのうち一つでも欠ければ滅びます。『詩』に「善き人が垣根であり、大いなる衆が垣である」とあります。これを言うのです」

夾注 1

荀卿子

底本はここを「荀卿子」と記している。この書の中で一つの呼び名にそろえて「孫卿子」と記す。——訳者

力術止,義術行,曷謂也?曰:秦之謂也。威彊乎湯武,廣大乎舜禹,然而憂患不可勝校也。諰諰然常恐天下之一合而軋己也,此所謂力術止也。曷謂乎威彊乎湯武?湯武也者,乃能使說己者使耳。今楚、父死焉,國舉焉,負三王之廟,而辟於陳蔡之間,視可司間,案欲剡其脛而以蹈秦之腹,然而秦使左案左,使右案右,是乃使讎人役也;此所謂威彊乎湯武也。曷謂廣大乎舜禹也?曰:古者百王之一天下,臣諸侯也,未有過封內千里者也。今秦南乃有沙羨與俱,是乃江南也。北與胡貉為鄰,西有巴戎,東在楚者乃界於齊,在韓者踰常山乃有臨慮,在魏者乃據圉津--即去大梁百有二十里耳!其在趙者剡然有苓而據松柏之塞,負西海而固常山,是地遍天下也。威動海內,彊殆中國,然而憂患不可勝校也,諰諰然常恐天下之一合而軋己也;此所謂廣大乎舜禹也。然則奈何?曰:節威反文,案用夫端誠信全之君子治天下焉,因與之參國政,正是非,治曲直,聽咸陽,順者錯之,不順者而後誅之。若是,則兵不復出於塞外,而令行於天下矣。若是,則雖為之築明堂於塞外而朝諸侯,殆可矣。假今之世,益地不如益信之務也。

力の術が止まり義の術が行われるとは何を言うのか。言う、秦を言うのである。

威と強さは湯と武より大きく、広さと大きさは舜と禹より大きい。それでも憂いと患いは数えきれない。怯えて常に天下が一つに合わさって自分を圧し潰すことを恐れている。これがいわゆる力の術が止まることである。

何を威と強さが湯と武より大きいというのか。湯と武は、自分を喜ぶ者を使うことができただけである。いま楚は、父がそこで死に、国が取り上げられ、三王の廟を背負って陳と蔡の間に退いた。隙を窺い脛を研いで秦の腹を踏もうとするが、秦が左にせよと言えば左にし、右にせよと言えば右にする。これはすなわち仇を使役する者としたのであって、これがいわゆる威と強さが湯と武より大きいということである。

何を広さと大きさが舜と禹より大きいというのか。言う、古に百王が天下を一つにし諸侯を臣としたが、封内千里を越えた者はいなかった。

いま秦は南に沙羨まで併せたのだから江南であり、北は胡と貉と隣り合い、西に巴と戎を持ち、東で楚にあったところは斉と境を接し、韓にあったところは常山を越えて臨慮を持ち、魏にあったところは圉津を占めて大梁から百二十里離れているだけである。趙にあったところは鋭く苓を持ち松柏の塞を占め、西海を背にし常山を固めた。これは地が天下にあまねく及んだのである。

威が海内を動かし、強さが中国を危うくする。それでも憂いと患いは数えきれず、怯えて常に天下が一つに合わさって自分を圧し潰すことを恐れている。これがいわゆる広さと大きさが舜と禹より大きいということである。

それではどうするのか。言う、威を節して文に返り、あの正しく誠で信があり全き君子を用いて天下を治めさせ、彼と共に国政を計り是非を正し曲直を治め、咸陽で聴いて、順う者は据え置き、順わない者はその後に討つ。このようであれば、兵が再び塞の外に出なくても令が天下に行われるだろう。このようであれば、たとえ塞の外に明堂を築いて諸侯を朝させても、ほぼできるだろう。

いまこの世で、地を増やすことは信を増やすことに努めるに及ばない。

應侯問孫卿子曰:入秦何見?

応侯が孫卿子に問うた。「秦に入って何を見られましたか」

孫卿子曰:其固塞險,形埶便,山林川谷美,天材之利多,是形勝也。入境,觀其風俗,其百姓樸,其聲樂不流汙,其服不佻,甚畏有司而順,古之民也。及都邑官府,其百吏肅然,莫不恭儉、敦敬、忠信而不楛,古之吏也。入其國,觀其士大夫,出於其門,入於公門;出於公門,歸於其家,無有私事也;不比周,不朋黨,倜然莫不明通而公也,古之士大夫也。觀其朝廷,其朝閒,聽決百事不留,恬然如無治者,古之朝也。故四世有勝,非幸也,數也。是所見也。故曰:佚而治,約而詳,不煩而功,治之至也,秦類之矣。雖然,則有其諰矣。兼是數具者而盡有之,然而縣之以王者之功名,則倜倜然其不及遠矣!是何也?則其殆無儒邪!故曰粹而王,駮而霸,無一焉而亡。此亦秦之所短也。

孫卿子が言った。

「その塞は険しく、形と勢いは便利で、山と林と川と谷は美しく、天然の材の利が多い。これは形が勝れているのです。

境に入ってその習わしを見ると、その民は素朴で、その声と楽は流れも汚れもせず、その服は軽薄でなく、役人を甚だ畏れて順う。古の民です。

都邑と官府に至ると、その百吏は粛然として、恭しく倹しく篤く敬い忠で信があり粗くない者がない。古の吏です。

その国に入ってその士大夫を見ると、自分の門を出れば公の門に入り、公の門を出れば自分の家に帰り、私の事がない。党を組まず朋党を作らず、さっぱりと明らかに通じて公でない者がない。古の士大夫です。

その朝廷を見ると、その朝廷は閑かで、百事を聴いて裁くのに滞るものがなく、静かで治める者がないかのようである。古の朝廷です。

だから四代にわたって勝ちがあるのは幸運ではなく理の数です。これが見たところです。

だから言います、安らかでありながら治まり、簡略でありながら細やかで、煩わしくなくて功があるのが治の至りであると。秦はこれに近いのです。

そうではあっても、恐れるべきことがあります。これら幾つもの備えを併せてすべて持ちながら、王たる者の功と名に照らせば、はるかに及ばないことが遠い。これはなぜですか。おそらく儒者がいないからでしょう。

だから言います、純粋なら王となり、混じれば覇となり、一つもなければ滅びると。これもまた秦の短いところです」

積微:月不勝日,時不勝月,歲不勝時。凡人好敖慢小事,大事至然後興之務之,如是,則常不勝夫敦比於小事者矣。是何也?則小事之至也數,其縣日也博,其為積也大;大事之至也希,其縣日也淺,其為積也小。故善日者王,善時者霸,補漏者危,大荒者亡。故王者敬日,霸者敬時,僅存之國危而後戚之。亡國至亡而後知亡,至死而後知死,亡國之禍敗,不可勝悔也。霸者之善箸焉,可以時託也;王者之功名,不可勝日志也。財物貨寶以大為重,政教功名反是--能積微者速成。詩曰:「德輶如毛,民鮮克舉之。」此之謂也。

微かなものを積むとはこうである。月は日に勝てず、季は月に勝てず、年は季に勝てない。

およそ人は小さな事を怠り侮って、大きな事が至ってから初めてこれを起こし努めることを好む。このようであれば、常にあの小さな事に篤く取り組んだ者に勝てない。

これはなぜか。小さな事は至ることが頻繁で、その掛かる日が広く、その積み重ねが大きく、大きな事は至ることが稀で、その掛かる日が浅く、その積み重ねが小さいからである。

だから日をよく使う者は王となり、季をよく使う者は覇となり、漏れを繕う者は危うく、大いに荒れた者は滅びる。だから王たる者は日を敬い、覇たる者は季を敬い、やっと残る国は危うくなってから悲しむ。滅びる国は滅びるに至ってから滅びを知り、死に至ってから死を知る。滅びる国の災いと敗れは悔いきれない。

覇たる者の善は現れて季に託すことができるが、王たる者の功と名は日で記しきれない。

財物と宝は大きいものを重んじるが、政と教えと功と名はこれと逆である。よく微かなものを積む者が速く成す。『詩』に「徳は毛のように軽いが、民でこれを挙げられる者は稀だ」とある。これを言うのである。

凡姦人之所以起者,以上之不貴義,不敬義也。夫義者,所以限禁人之為惡與姦者也。今上不貴義,不敬義,如是,則天下之人百姓,皆有棄義之志,而有趨姦之心矣,此姦人之所以起也。且上者下之師也,夫下之和上,譬之猶響之應聲,影之像形也。故為人上者,不可不順也。夫義者,內節於人,而外節於萬物者也;上安於主,而下調於民者也;內外上下節者,義之情也。然則凡為天下之要,義為本,而信次之。古者禹湯本義務信而天下治,桀紂棄義倍信而天下亂。故為人上者,必將慎禮義,務忠信,然後可。此君人者之大本也。堂上不糞,則郊草不瞻曠芸;白刃扞乎胸,則目不見流矢;拔戟加乎首,則十指不辭斷;非不以此為務也,疾養緩急之有相先者也。

およそ邪な人が起こる理由は、上が義を貴ばず義を敬わないからである。およそ義とは人が悪と邪をなすことを限り禁じるものである。いま上が義を貴ばず義を敬わなければ、天下の人と民がみな義を捨てる志を持ち邪に走る心を持つようになる。これが邪な人が起こる理由である。

また上は下の師である。およそ下が上に和することは、たとえば響きが声に応じ、影が形に似るようなものである。だから人の上となる者は順わないわけにはいかない。

およそ義とは、内では人に節をつけ、外では万物に節をつけるものであり、上では主を安らかにし、下では民を調えるものである。内と外、上と下に節があることが義の情である。

それならおよそ天下を治める要は、義が根本であり、信がその次である。古に禹と湯は義を根本とし信に努めて天下が治まり、桀と紂は義を捨て信にそむいて天下が乱れた。だから人の上となる者は、必ず礼と義を慎み、忠と信に努めてから初めてよい。これが人を治める者の大きな根本である。

堂の上を掃かなければ、郊の草を見て草取りする暇がない。白い刃が胸を遮れば、目は流れ矢を見ない。戟を抜いて頭に当てられれば、十本の指が断たれるのを辞さない。これを務めとしないのではなく、痛みとかゆみ、緩急に互いに先立つものがあるからである。