いにしえの文 › 竹取物語(竹取の翁の物語)

第九竹取物語 9

竹取物語(竹取の翁の物語) 竹取物語 · 作者未詳 · 9世紀末〜10世紀初めに成立 · 段落 5 · 漢字 4,442字 · 朗読 11.1分

竹取物語(竹取の翁の物語) 日本に残る最も古い物語。竹の中から出てきた子が育ち、五人の貴公子と帝の求婚を次々に退けて月へ帰る。五人に持ってこいと言ったものはどれも世にない品で — 天竺の石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の玉、燕の子安貝 — それぞれが偽り、こしらえて恥をかく。富士の山の頂から煙が立つ理由も、この物語の終わりに記されている。

かやうにて、御心を互に慰め給ふほどに、三年ばかりありて、春の初より、かぐや姫月のおもしろう出でたるを見て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の顔見るは忌むこと。」ゝ制しけれども、ともすればひとまには月を見ていみじく泣き給ふ。七月のもちの月にいで居て、切に物思へるけしきなり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫例も月をあはれがり給ひけれども、この頃となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し歎くことあるべし。よく〳〵見奉らせ給へ。」といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を見給ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を見れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき。」といふ。かぐや姫のある所に至りて見れば、なほ物思へるけしきなり。これを見て、「あが佛何事を思ひ給ふぞ。思すらんこと何事ぞ。」といへば、「思ふこともなし。物なん心細く覺ゆる。」といへば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば物思すけしきはあるぞ。」といへば、「いかでか月を見ずにはあらん。」とて、なほ月出づれば、いで居つゝ歎き思へり。夕暗には物思はぬ氣色なり。月の程になりぬれば、猶時々はうち歎きなきなどす。是をつかふものども、「猶物思すことあるべし。」とさゝやけど、親を始めて何事とも知らず。八月十五日ばかりの月にいで居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。人めも今はつゝみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもゝ「何事ぞ。」と問ひさわぐ。かぐや姫なく〳〵いふ、「さき〳〵も申さんと思ひしかども、『かならず心惑はし給はんものぞ。』と思ひて、今まで過し侍りつるなり。『さのみやは。』とてうち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの國の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで來りける。今は歸るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの國より迎に人々まうでこんず。さらずまかりぬべければ、思し歎かんが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり。」といひて、いみじく泣く。翁「こはなでふことをの給ふぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、菜種の大さおはせしを、我丈たち並ぶまで養ひ奉りたる我子を、何人か迎へ聞えん。まさに許さんや。」といひて、「我こそ死なめ。」とて、泣きのゝしることいと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて父母あり。片時の間とてかの國よりまうでこしかども、かくこの國には數多の年を經ぬるになんありける。かの國の父母の事もおぼえず。こゝにはかく久しく遊び聞えてならひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみなんある。されど己が心ならず罷りなんとする。」といひて、諸共にいみじう泣く。つかはるゝ人々も年頃ならひて、立ち別れなんことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを見ならひて、戀しからんことの堪へがたく、湯水も飮まれず、同じ心に歎しがりけり。この事を帝きこしめして、竹取が家に御使つかはさせ給ふ。御使に竹取いで逢ひて、泣くこと限なし。この事を歎くに、髪も白く腰も屈り目もたゞれにけり。翁今年は五十許なりけれども、「物思には片時になん老になりにける。」と見ゆ。御使仰事とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、誠にか。」と仰せ給ふ。竹取なく〳〵申す、「このもちになん、月の都よりかぐや姫の迎にまうでくなる。たふとく問はせ給ふ。このもちには人々たまはりて、月の都の人まうで來ば捕へさせん。」と申す。御使かへり參りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを聞し召しての給ふ、「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明暮見馴れたるかぐや姫をやりてはいかゞ思ふべき。」かの十五日司々に仰せて、勅使には少將高野大國といふ人をさして、六衞のつかさ合せて、二千人の人を竹取が家につかはす。 家に罷りて築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓矢を帶して居り。母屋の内には女どもを番にすゑて守らす。嫗塗籠の内にかぐや姫を抱きて居り。翁も塗籠の戸をさして戸口に居り。翁のいはく、「かばかり守る所に、天の人にもまけんや。」といひて、屋の上に居る人々に曰く、「つゆも物空にかけらばふと射殺し給へ。」守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、蝙蝠一つだにあらば、まづ射殺して外にさらさんと思ひ侍る。」といふ。翁これを聞きて、たのもしがり居り。これを聞きてかぐや姫は、「鎖し籠めて守り戰ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人をえ戰はぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの國の人こば皆あきなんとす。相戰はんとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人よもあらじ。」翁のいふやう、「御迎へにこん人をば、長き爪して眼をつかみつぶさん。さが髪をとりてかなぐり落さん。さが尻をかき出でて、こゝらのおほやけ人に見せて耻見せん。」と腹だちをり。かぐや姫いはく、「聲高になの給ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを、思ひも知らで罷りなんずることの口をしう侍りけり。『長き契のなかりければ、程なく罷りぬべきなンめり。』と思ふが悲しく侍るなり。親たちのかへりみをいさゝかだに仕う奉らで、罷らん道も安くもあるまじきに、月頃もいで居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなんかく思ひ歎き侍る。御心をのみ惑はして去りなんことの、悲しく堪へがたく侍るなり。かの都の人はいとけうらにて、老いもせずなん。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからんずるもいみじくも侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらんこそ戀しからめ。」といひて泣く。翁、「胸痛きことなしたまひそ。麗しき姿したる使にもさはらじ。」とねたみをり。かゝる程に宵うちすぎて、子の時ばかりに、家のあたり晝のあかさにも過ぎて光りたり。望月のあかさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人雲に乘りておりきて、地より五尺ばかりあがりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物におそはるゝやうにて、相戰はん心もなかりけり。辛うじて思ひ起して、弓矢をとりたてんとすれども、手に力もなくなりて、痿え屈りたる中に、心さかしき者、ねんじて射んとすれども、外ざまへいきければ、あれも戰はで、心地たゞしれにしれて守りあへり。立てる人どもは、裝束の清らなること物にも似ず。飛車一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に王とおぼしき人、「家に造麿まうでこ。」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心ちしてうつぶしに伏せり。いはく、「汝をさなき人、聊なる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助にとて片時の程とて降しゝを、そこらの年頃そこらの金賜ひて、身をかへたるが如くなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれが許にしばしおはしつるなり。罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き歎く、あたはぬことなり。はや返し奉れ。」といふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひ奉ること二十年あまりになりぬ。片時との給ふに怪しくなり侍りぬ。また他處にかぐや姫と申す人ぞおはしますらん。」といふ。「こゝにおはするかぐや姫は、重き病をし給へばえ出でおはしますまじ。」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛車をよせて、「いざかぐや姫、穢き所にいかでか久しくおはせん。」といふ。立て籠めたる所の戸即たゞあきにあきぬ。格子どもゝ人はなくして開きぬ。嫗抱きて居たるかぐや姫外にいでぬ。えとゞむまじければ、たゞさし仰ぎて泣きをり。 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫いふ、「こゝにも心にもあらでかくまかるに、昇らんをだに見送り給へ。」といへども、「何しに悲しきに見送り奉らん。我をばいかにせよとて、棄てゝは昇り給ふぞ。具して率ておはせね。」と、泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書きおきてまからん。戀しからんをり〳〵、とり出でて見給へ。」とて、うち泣きて書くことばは、「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す〴〵本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣をかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と、かきおく。天人の中にもたせたる箱あり。天の羽衣入れり。又あるは不死の藥入れり。ひとりの天人いふ、「壺なる御藥たてまつれ。きたなき所のもの食しめしたれば、御心地あしからんものぞ。」とて、持てよりたれば、聊甞め給ひて、少しかたみとて、脱ぎおく衣に包まんとすれば、ある天人つゝませず、御衣をとり出でてきせんとす。その時にかぐや姫「しばし待て。」といひて、「衣着つる人は心ことになるなり。物一言いひおくべき事あり。」といひて文かく。天人「おそし。」と心もとながり給ふ。かぐや姫「物知らぬことなの給ひそ。」とて、いみじく靜かにおほやけに御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。「かく數多の人をたまひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうできて、とり率て罷りぬれば、口をしく悲しきこと、宮仕つかう奉らずなりぬるも、かくわづらはしき身にて侍れば、心得ずおぼしめしつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものに思し召し止められぬるなん、心にとまり侍りぬる。」とて、

このようにして、互いにお心を慰め合っておられるうちに三年ほど経ち、春の初めから、かぐや姫は月が美しく出たのを見て、常よりも物思いに沈んだ様子でした。ある人が「月の顔を見るのは忌むことです。」と止めましたが、ともすれば人のいない間に月を見て、ひどくお泣きになります。七月の十五夜の月に出て座り、しきりに物思いをしている様子でした。

近く使われている人々が、竹取の翁に告げて言いました。「かぐや姫は、常にも月を趣深くお思いになっておられましたが、このごろになっては、ただ事でもなさそうでございます。ひどくお嘆きになることがあるのでしょう。よくよくお見守り申し上げなさいませ。」

これを聞いて、かぐや姫に言いました。「どんな心地がするので、こうして物思いに沈んだ様子で月をご覧になるのか。よい世の中であるのに。」かぐや姫は「月を見ると、世の中が心細く悲しく思われます。何を嘆くことがありましょう。」と言います。

かぐや姫のいる所へ行って見ますと、やはり物思いをしている様子でした。これを見て、「わが仏よ、何事をお思いになるのか。お思いになることは何事か。」と言いますと、「思うこともありません。ただ、心細く思われるのです。」と言います。翁は「月をご覧になるな。これをご覧になると、物思いをなさる様子になるのだ。」と言いますと、「どうして月を見ずにいられましょう。」と言って、やはり月が出れば出て座り、嘆いて物思いをしています。夕暗には物思いをしない様子です。月の出るころになると、やはり時々は嘆き、泣いたりなどします。これを、使われている者たちは「やはりお思いになることがあるのだろう。」とささやきましたが、親をはじめとして、何事とも分かりません。

八月十五日ばかりの月に出て座って、かぐや姫はたいそうひどくお泣きになります。人目も今は包み隠されずにお泣きになります。これを見て、親たちも「何事か。」と尋ね騒ぎます。

かぐや姫は泣きながら言いました。「以前から申し上げようと思っておりましたが、『きっとお心を惑わせ申し上げることになる。』と思って、今まで過ごしてまいったのです。『そうしてばかりもいられない。』と思って、打ち明け申すのです。わたしの身はこの国の人ではなく、月の都の人なのです。それを、昔の約束があったことによって、この世界に参って来たのです。今は帰るべき時になりましたので、この月の十五日に、あのもとの国から迎えに人々が参って来ます。やむを得ず行かなければなりませんので、お嘆きになるであろうことが悲しく、この春から思い嘆いておりますのです。」と言って、ひどく泣きます。

翁は「これは何ということをおっしゃるのか。竹の中から見つけ申し上げたけれども、菜種の大きさでいらしたのを、わたしの丈と並ぶまで育て申し上げたわが子を、どんな人が迎え申し上げようか。まさしく許すものか。」と言って、「わたしこそ死んでしまおう。」と言い、泣き騒ぐことがたいそう堪えがたそうでした。

かぐや姫が言いますには、「月の都の人として、父母がおります。片時の間ということであの国から参って来たのですが、こうしてこの国では多くの年を経てしまったのでした。あの国の父母のことも覚えておりません。ここではこのように長く遊ばせていただいて、なじみ申し上げてまいりました。すばらしいという心地もせず、悲しいばかりなのです。けれども、自分の心ならず行かなければならないのです。」と言って、ともにひどく泣きます。

使われている人々も、幾年もなじんで、別れることになることを思い、心づかいなどが上品で美しかったことを見慣れて、恋しいであろうことが堪えがたく、湯水も飲めず、同じ心で嘆いていました。

このことを帝がお聞きになって、竹取の家にお使いをお遣わしになります。お使いに竹取の翁が出て会い、泣くことは限りがありません。このことを嘆くうちに、髪も白く、腰も曲がり、目もただれてしまいました。翁は今年五十ほどでしたけれども、「物思いで片時のうちに老いてしまった。」と見えます。

お使いは仰せであると言って翁に言いました。「たいそう心苦しく物思いをしているというのは、まことか。」と仰せになります。竹取の翁は泣きながら申し上げます。「この十五夜に、月の都からかぐや姫の迎えに参って来るそうでございます。もったいなくもお尋ねくださいました。この十五夜には人々をお下しくださって、月の都の人が参って来たら捕らえさせたいと存じます。」と申し上げます。

お使いは帰り参って、翁のありさまを申し、奏上した事どもを申し上げるのをお聞きになっておっしゃいました。「一目ご覧になった心にさえ忘れられないのに、明け暮れ見慣れたかぐや姫を行かせては、どう思うことであろう。」その十五日、役所ごとに仰せつけて、勅使には少将高野大国(たかののおおくに)という人をお指名になり、六衛府を合わせて二千人の人を竹取の家にお遣わしになります。

家に参って築地の上に千人、屋根の上に千人、家の人々もたいそう多くいたのに合わせて、空いた隙もなく守らせます。この守る人々も弓矢を帯びております。母屋の内には女たちを番に据えて守らせます。嫗は塗籠の内でかぐや姫を抱いております。翁も塗籠の戸を閉ざして戸口におります。

翁が言いました。「これほど守る所で、天の人にも負けようか。」と言って、屋根の上にいる人々に言いました。「ほんの少しでも何かが空に飛んだなら、すぐに射殺してください。」守る人々が言いますには、「これほどにして守る所に、蝙蝠(こうもり)一匹でもいたら、まず射殺して外にさらそうと存じております。」と言います。翁はこれを聞いて、頼もしく思っておりました。

これを聞いて、かぐや姫は言いました。「閉じ籠めて守り戦う用意をなさっても、あの国の人とは戦えないのです。弓矢で射ることもできません。このように閉じ籠めてあっても、あの国の人が来れば皆開いてしまいます。向かい合って戦おうとしても、あの国の人が来れば、勇ましい心を使う人はだれもいないでしょう。」

翁が言いますには、「お迎えに来る人は、長い爪で目をつかみつぶそう。その髪をつかんでかなぐり落とそう。その尻をかき出して、ここらの官人たちに見せて恥をかかせよう。」と腹を立てております。

かぐや姫が言いました。「声高におっしゃらないでください。屋根の上にいる人たちが聞くのに、たいそう体裁が悪いことです。これまでお寄せくださったお心を、思い知ることもなく行かなければならないことが残念でございます。『長い縁ではなかったので、まもなく行かなければならないのであろう。』と思うのが悲しいのでございます。親たちへのご恩返しを少しも申し上げられずに、行く道も安らかであるはずもないのに、幾月も前から出て座り、今年だけの暇を願い申しましたけれども、まったく許されませんので、このように思い嘆いているのでございます。お心ばかりを惑わせて去ってしまうことが、悲しく堪えがたいのでございます。あの都の人はたいそう清らかで美しく、老いもしません。思い悩むこともないのでございます。そのような所へ参るのもすばらしいこととも思えません。老い衰えてゆかれるお姿を見申し上げられないことこそ、恋しいでしょう。」と言って泣きます。

翁は「胸の痛むことをなさるな。美しい姿をした使いにも負けはしない。」と、恨めしく思っております。

こうしているうちに宵が過ぎて、子の刻ほどに、家のあたりが昼の明るさにもまして光りました。望月の明るさを十合わせたほどで、そこにいる人の毛穴まで見えるほどです。大空から人が雲に乗って降りて来て、地から五尺ほど上がったところに立ち連なりました。

これを見て、内にも外にもいる人々の心が、何かに襲われるようになって、向かい合って戦おうという心もなくなりました。やっとのことで心を起こして弓矢を取り構えようとしますが、手に力もなくなって、なえて屈んでいる中で、心の確かな者が我慢して射ようとしても、外の方へ飛んでいきましたので、その者も戦わず、心はただ呆けに呆けて、たがいに見守り合っておりました。

立っている人々は、装いの清らかで美しいことが何にも似ていません。飛ぶ車を一つ備えています。羅の天蓋をさしかけています。その中に王と思われる人が、「家の中の造麿よ、参って来い。」と言いますと、勇ましく思っていた造麿も、何かに酔ったような心地になってうつ伏せに伏せってしまいました。

その人が言いますには、「お前、愚かな人よ、わずかな功徳を翁が作ったことによって、お前の助けにしようとして片時の間ということで降したのを、幾年も、幾らもの黄金をいただいて、身が変わったようになってしまった。かぐや姫は、罪をお作りになったので、このように賤しいお前のもとにしばらくおられたのだ。罪の期限が尽きたので、このように迎えるのを、翁は泣き嘆く。かなうことではない。早くお返し申せ。」と言います。

翁は答えて申し上げます。「かぐや姫を育て申し上げること、二十年あまりになりました。片時とおっしゃるので、不思議に思われます。また、他所にかぐや姫と申す方がいらっしゃるのでしょう。」と言い、「ここにいらっしゃるかぐや姫は、重い病をなさっておられますので、出ておいでになれません。」と申し上げますと、それへの返事はなく、屋根の上に飛ぶ車を寄せて、「さあ、かぐや姫、汚い所にどうして長くいらっしゃるのですか。」と言います。

閉て籠めてあった所の戸が、すぐにおのずから開くだけ開いてしまいました。格子なども人なしに開きました。嫗が抱いていたかぐや姫が外に出てしまいました。引き留めることもできませんので、ただ見上げて泣いておりました。

竹取の翁が心を乱して泣き伏せっている所へ寄って、かぐや姫が言いました。「ここでも自分の心ならずこうして行くのですから、昇るところだけでもお見送りください。」と言いましたが、「どうして悲しいのに見送り申し上げようか。わたしをどうせよといって、捨ててはお昇りになるのか。連れて一緒に行ってください。」と泣いて伏せっていますので、お心が乱れてしまいました。

「文を書き置いて参りましょう。恋しいと思われる折々に、取り出してご覧ください。」と言って、泣きながら書いた言葉はこうでした。「この国に生まれた身でありましたなら、お嘆かせ申し上げないときまでおりましたでしょうに、おられずに過ぎて別れてしまうことが、かえすがえす本意なく思われます。脱いで置く衣を形見とご覧ください。月の出た夜にはこちらを見てください。お見捨て申し上げて参る空からも落ちてしまいそうな心地がします。」と書き置きました。

天人の中に持たせてある箱がありました。天の羽衣が入っています。また一つには不死の薬が入っています。一人の天人が言いました。「壺にあるお薬をお召しあがりください。汚い所の物を召しあがったので、ご気分が悪くおありでしょう。」と言って持って近寄りましたので、少しお舐めになり、少しは形見にしようと、脱いで置く衣に包もうとしますと、ある天人が包ませず、お召し物を取り出して着せようとします。

そのときにかぐや姫が「しばらく待ちなさい。」と言って、「衣を着た人は心が変わってしまうといいます。一言、言い置くべきことがあります。」と言って文を書きます。天人は「遅い。」と気がかりにお思いになります。かぐや姫は「物の分からないことをおっしゃるな。」と言って、たいそう静かに朝廷にお文を差し上げられます。あわてない様子です。

「このように多くの人をお下しくださって引き留めさせなさいましたが、許さない迎えが参って来て、連れて行ってしまいますので、残念で悲しいことでございます。宮仕えを申し上げられなくなったのも、このように厄介な身でございましたから、そのためなのですが、お分かりいただけないようにお思いになったでしょうに、心強く承らずに終わってしまったことを、無礼な者とお思いになってお心に留められましたことが、心にかかっております。」と言って、

夾注 1

底本はここで翁の年を五十ほどとしていますが、前では七十を越えたとしていました。底本がそれ自体で食い違っている箇所です。――訳者

今はとて天のはごろもきるをりぞ君をあはれとおもひいでぬる

もうこれまでと 天の羽衣を 着るこのときになって あなたをいとしく 思い出したのです

とて、壺の藥そへて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人とりて傳ふ。中將とりつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつる事も失せぬ。この衣着つる人は物思もなくなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。その後翁・嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書きおきし文を讀みて聞かせけれど、「何せんにか命も惜しからん。誰が爲にか何事もようもなし。」とて、藥もくはず、やがておきもあがらず病みふせり。中將人々引具して歸り參りて、かぐや姫をえ戰ひ留めずなりぬる事をこま〴〵と奏す。藥の壺に御文そへて參らす。展げて御覽じて、いたく哀れがらせ給ひて、物もきこしめさず、御遊等もなかりけり。大臣・上達部を召して、「何の山か天に近き。」ととはせ給ふに、或人奏す、「駿河の國にある山なん、この都も近く天も近く侍る。」と奏す。是をきかせ給ひて、

と書いて、壺の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて差し上げさせます。中将に天人が取って渡します。中将が受け取りますと、すぐに天の羽衣を着せ申し上げましたので、翁をいとおしく悲しくお思いになっていたお心も消えてしまいました。この衣を着た人は物思いもなくなってしまうので、車に乗って、百人ほどの天人を伴って昇って行きました。

その後、翁と嫗は血の涙を流して思い乱れましたが、甲斐がありません。あの書き置いた文を読んで聞かせましたが、「何のために命も惜しいだろうか。だれのために何事も用があろうか。」と言って、薬も飲まず、そのまま起き上がりもせず病み伏せってしまいました。

中将は人々を引き連れて帰り参り、かぐや姫を戦って引き留められなくなったことを細々と奏上します。薬の壺にお文を添えて差し上げます。広げてご覧になって、ひどくお悲しみになり、物も召しあがらず、管弦の遊びなどもありませんでした。大臣・上達部をお召しになって、「どの山が天に近いか。」とお尋ねになりますと、ある人が奏上しました。「駿河の国にある山が、この都にも近く、天にも近くございます。」これをお聞きになって、

あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ

会うこともなく 涙に浮かぶこの身には 死なない薬も 何の役に立ちましょう

かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には調岩笠といふ人を召して、駿河の國にあンなる山の巓にもて行くべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせたもふ。御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士どもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。

あの差し上げた不死の薬の壺に、お文を添えてお使いにお与えになります。勅使には調岩笠(つきのいわかさ)という人をお召しになって、駿河の国にあるという山の頂に持って行くようにとお言いつけになります。峰ですべきことも教えさせられます。お文と不死の薬の壺を並べて、火をつけて燃やすようにとお言いつけになります。その趣旨を承って、兵士たちを多く連れて山へ登ったことから、その山を富士の山と名づけたのです。その煙は、今もなお雲の中へ立ち昇ると言い伝えられています。

夾注 1

兵士(士)が多い(富)という言葉が、富士という名になったのです。――訳者