いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

1〜20段1~20단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 5,467字 · 朗読 13.7分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1つれづれなるままに——そして、この世に生まれて願わしいこと

つれ〴〵なるまゝに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。 いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御ありさまはさらなり、唯人も、舎人などたまはる際は、ゆゝしと見ゆ。その子、孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつゝ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。法師ばかり羨しからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ。」と、清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛にのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖のいひけむやうに、名聞ぐるしく、佛の御教に違ふらむとぞ覺ゆる。ひたぶるの世すて人は、なか〳〵あらまほしき方もありなむ。人はかたち有樣の勝れたらむこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、詞多からぬこそ、飽かず對はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性見えむこそ、口をしかるべけれ。人品容貌こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、うつさば移らざらむ。かたち心ざまよき人も、才なくなりぬれば、人品くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。ありたきことは、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また有職に公事のかた、人の鑑ならむこそいみじかるべけれ。手など拙からずはしりがき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。

つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと、不思議なことに気が狂いそうな心地になります。

さて、この世に生まれますと、願わしく思えることが多いようです。帝の御位はまことに畏れ多いものです。竹の園生(皇族)の末葉にいたるまで、人間の種ではないと言われるのですから尊いことです。摂政関白のお身の上は言うまでもなく、ただの人でも、舎人などを賜る家柄であれば立派に見えます。その子、孫までは、落ちぶれていてもなお優雅です。それより下の者が、身分相応に時を得て得意顔をしているのは、自分では立派だと思っているのでしょうが、ひどく残念なことです。

法師ほど羨ましくないものはないでしょう。「人には木の端のように思われるものだ」と清少納言が書いたのも、まことにもっともな言葉です。勢いが激しく大声を立てているのを見ても、立派には見えません。増賀聖が言ったとかいうように、名誉に苦しめられて仏の御教えに背いているように思われます。ひたすら世を捨てた人であれば、かえって願わしいところもあるでしょう。

人は、容姿や姿かたちが優れているのが願わしいことです。何か物を言うのが聞きづらくなく、愛嬌があって言葉数の多くない人こそ、飽きることなく向かい合っていたいものです。立派だと見ていた人が、心の劣る本性を見せてしまうのは、残念なことです。

身分や容姿は生まれつきのものでしょうが、心はどうして、賢いところからさらに賢いところへ移そうとして移らないことがあるでしょうか。容姿も心がけもよい人でも、学識がなくなってしまえば身分が下がり、憎らしげな人たちの中に立ち混じって、なんということもなく圧されてしまうのは、心外なことです。

身につけたいものは、本格的な学問の道、漢詩文を作ること、和歌、管弦の道であり、また有職故実や朝廷の務めに通じて人の鑑となるのが立派なことです。文字などは拙くなく走り書きし、声がよくて拍子を取り、辞退するふりをしながらも酒の飲めないわけではないのが、男としてはよいことです。

2華やかさを尽くす人

いにしへの聖の御代の政をも忘れ、民の憂へ、國のそこなはるゝをも知らず、萬にきよらを盡して、いみじと思ひ、所狹きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。「衣冠より馬車に至るまで、あるに隨ひてもちひよ。美麗を求むることなかれ。」とぞ九條殿の遺誡にもはべる。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉物はおろそかなるをもてよしとす。」とこそ侍れ。

昔の聖君の御代の政治も忘れ、民の憂いや国が損なわれることも知らず、何事にも華やかさを尽くして、それを立派だと思い、所狭しとふるまう人こそ、情けなく、思慮のないように見えます。

「衣冠から車馬にいたるまで、あるものに従って用いなさい。美麗を求めてはならない」と、九条殿(藤原師輔)の遺誡にもございます。順徳院が禁中のことどもをお書きになったものにも、「朝廷の奉り物は粗略なものをよしとする」とございます。

3万事に優れていても恋を知らない男は

よろづにいみじくとも、色好まざらむ男は、いとさう〴〵しく、玉の巵の底なき心地ぞすべき。露霜にしほたれて、所さだめず惑ひ歩き、親のいさめ、世のそしりをつゝむに、心のいとまなく、合ふさ離るさに思ひ亂れ、さるは獨り寢がちに、まどろむ夜なきこそ、をかしけれ。さりとて一向たはれたる方にはあらで、女にたやすからずおもはれむこそ、あらまほしかるべき業なれ。

何事に優れていても、恋を好まない男はひどく物足りなく、玉の杯に底がないような心地がするものです。

露や霜に濡れそぼち、行く先も定めずさまよい歩き、親の諌めや世間の非難を隠すのに心の休まる暇もなく、会ったり離れたりして思い乱れ、それでいて独り寝が多く、まどろむ夜もないことこそ、風情があります。

とはいえ、まるきり放埒な方ではなく、女に軽々しく思われないのが、願わしい身の処し方でしょう。

4後の世のことを心に忘れない人

後の世のこと心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。

後の世のことを心に忘れず、仏の道に疎くない人は、奥深く思われます。

5配所の月を罪なくして見たい

不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顯基中納言のいひけむ、「配所の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。

不幸に沈んでいる人が、髪を下ろすなどと浅はかに思い定めたのではなく、あるかないかのように門を閉ざして、待つこともなく夜も昼も過ごしているのは、それなりに願わしいことです。

顕基中納言が言ったという「配所の月を、罪なくして見たい」という言葉も、もっともなことに思われます。

6子というものは無い方がよい

我が身のやんごとなからむにも、まして數ならざらむにも、子といふもの無くてありなむ。前中書王、九條太政大臣、花園左大臣、皆族絶えむ事を願ひ給へり。染殿大臣も子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なりとぞ、世繼の翁の物語〈大鏡〉にはいへる。聖徳太子の御墓を、かねて築かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり。」と侍りけるとかや。

自分の身分が高くても、まして物の数でもないような身であっても、子というものは無い方がよいでしょう。

前中書王(兼明親王)、九条太政大臣、花園左大臣は、みな血筋が絶えることをお願いになりました。染殿大臣も子孫がおられないのがよいとされています。後の世継ぎが劣っておられるのは悪いことだと、『大鏡』の世継の翁の物語にも言っています。

聖徳太子が、あらかじめ御墓を築かせられたときも、「ここを切れ、あそこを断て。子孫がないようにしようと思うのだ」とおっしゃったとか申します。

7無常だからこそ美しい——四十になる前に

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つく〴〵と一年を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しとおもはば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせむ。命長ければ恥おほし。長くとも四十に足らぬほどにて死なむこそ、目安かるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを愧づる心もなく、人にいでまじらはむ事を思ひ、夕の日に子孫を愛し、榮行く末を見むまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなむあさましき。

あだし野の露が消えるときもなく、鳥部山の煙が立ち去ることもないまま、いつまでも住みつづけるのが人の習いであるとしたら、どうして物のあわれがあるでしょうか。世は定めのないことこそが素晴らしいのです。

命のあるものを見ますと、人ほど長く生きるものはありません。かげろうは夕べを待たずに死に、夏の蝉は春や秋を知りません。しみじみと一年を暮らすあいだだけでも、この上なくゆったりとしたものです。飽き足らず惜しいと思うなら、千年を過ごしたとしても、一夜の夢のような心地がするでしょう。

住みおおせることのない世で、醜い姿を待ち得たとして、何になるでしょうか。命が長ければ恥も多いのです。長くても四十に足らぬほどで死ぬのが、見た目にもよいことでしょう。

その年を過ぎてしまうと、自分の姿を恥じる心もなく、人中に出て交わることを思い、夕暮れの日に子や孫を愛して、彼らの栄えていく末を見るまでの命を願い、ひたすら世を貪る心ばかりが深くなって、物のあわれも知らなくなっていくのは、情けないことです。

8人の心を惑わすものは色欲に及ぶものがない

世の人の心を惑はすこと色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけむは、まことに手足膚などのきよらに、肥え膏づきたらむは、外の色ならねばさもあらむかし。

世の人の心を惑わすものは、色欲に及ぶものがありません。人の心とは愚かなものです。匂いなどは仮のものであるのに、しばらく衣に香を薫きしめたのだと知りながら、何とも言えない匂いには必ず胸が高鳴るものです。

久米の仙人が、物を洗う女の脛の白いのを見て神通を失ったというのは、まことに手足や肌などが清らかで、ふくよかに肉づいているのは外から飾った色ではないのですから、そういうこともあるでしょう。

9女の髪の毛で縒った綱

女は髪のめでたからむこそ、人のめだつべかめれ。人の程、心ばへなどは、物うち言ひたるけはひにこそ、物ごしにも知らるれ。事に觸れてうちあるさまにも、人の心を惑はし、すべて女のうちとけたる、いもねず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。まことに愛著の道、その根深く源遠し。六塵の樂欲多しといへども、皆厭離しつべし。その中に、たゞかの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、變る所なしとぞ見ゆる。されば女の髪筋を縒れる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて造れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る。自ら戒めて、恐るべく愼むべきはこの惑ひなり。

女は髪が美しいことこそ、人の目を引くものでしょう。人柄や心のもちようなどは、何か物を言う気配によって、物を隔てていても知られるものです。

何かのことに触れて何気なくふるまう様子でも、人の心を惑わします。おおよそ女が心を許して、眠りもせず、我が身を惜しいとも思わず、堪えられそうもないことにもよく堪え忍ぶのは、ただ恋を思うからです。

まことに愛着の道は、その根が深く源が遠いものです。六塵の欲楽は多いといいますが、どれも厭い離れることができます。その中で、ただあの惑い一つだけはやめがたく、老いた者も若い者も、知恵のある者も愚かな者も、変わるところがないように見えます。

ですから、女の髪の毛で縒った綱には大きな象もよくつながれ、女の履いた足駄で作った笛には秋の鹿が必ず寄って来ると言い伝えております。自ら戒めて、恐れ慎むべきはこの惑いです。

10住む家でその人を推し量る

家居のつき〴〵しくあらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。よき人の長閑に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみ〴〵と見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子透垣のたよりをかしく、うちある調度も、むかし覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。多くの工匠の、心を盡して磨きたて、唐の日本の、珍しくえならぬ調度ども竝べおき、前栽の草木まで、心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは存へ住むべき、また時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るよりも思はるゝ。大かたは、家居にこそ事ざまは推しはからるれ。後徳大寺の大臣の、寢殿に鳶ゐさせじとて繩を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらむ何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ。」とて、その後は參らざりけると聞き侍るに、綾小路の宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩を引かれたりしかば、彼のためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏のむれゐて池の蛙をとりければ、御覽じ悲しませ給ひてなむ。」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。後徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけむ。

住む家が似つかわしく好ましいのは、仮の宿りとは思いながらも、興のあることです。

立派な人がのんびりと住みなしている所は、差し込む月の色も一段としみじみと見えるものです。今風にきらきらしてはいなくても、木立が古びて、わざとらしくない庭の草も心あるようで、簀子や透垣の造りも趣があり、あちこちに置かれた調度も昔を思わせて落ち着いているのが、奥ゆかしく見えます。

多くの職人が心を尽くして磨き立て、唐の物も日本の物も、珍しく何とも言えない調度どもを並べ置き、前栽の草木まで思いのままにならないよう作りなしてあるのは、見る目にも苦しく、ひどく気の毒です。そうしたところでいつまで住みつづけられるものか、またたちまちのうちに煙となってしまうだろうと、一目見るにつけても思われます。

おおよそは、住む家でその人柄が推し量られるものです。

後徳大寺の大臣が、寝殿に鳶を止まらせないようにと縄をお張りになったのを西行が見て、「鳶が止まったとして何が困るというのでしょう。この殿のお心はそれほどのものなのだ」と言って、その後は参らなかったと聞いております。

ところが、綾小路の宮がおいでになる小坂殿の棟に、いつでしたか縄をお引きになったことがあり、あの例が思い出されたのですが、「実は、烏が群れ集まって池の蛙を取るので、御覧になって悲しまれ、それでなさったのです」と人が話してくれましたので、それならまことに立派なことだと思われました。後徳大寺にも、どのような理由があったのでしょうか。

11栗栖野の庵——あの柑子の木さえなければ

神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝ筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覺えしか。

十月のころ、栗栖野という所を通って、ある山里に尋ね入ったことがございました。はるかな苔の細道を踏み分けていきますと、心細く住みなした庵がありました。木の葉に埋もれる筧の雫の音のほかには、何の音を立てるものもありません。

閼伽棚に菊や紅葉などを折って散らしてあるのを見ますと、それでも住む人があるのでしょう。こうしていても暮らしていけるものだと、しみじみと見ておりますうちに、向こうの庭に大きな柑子の木が枝もたわわに実をつけていて、まわりを厳重に囲ってありました。それが少し興を醒ましてしまい、この木がなければと思われました。

12心の合う人と語り合うこと

同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事も、うらなくいひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然やは思ふ。」など爭ひにくみ、「さるからさぞ。」ともうち語らはば、つれ〴〵慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。

同じ心であるような人と、しめやかに物語をして、面白いことも世のはかないことも、隔てなく言い合って慰められるなら嬉しいことでしょうが、そのような人はいるはずもありませんから、少しも違わぬようにと向かい合っていたら、独りでいる心地がするでしょう。

互いに言うほどのことを「そのとおり」と聞いてくれる張り合いがありながら、少しは食い違うところもある人であってこそ、「私はそうは思わないが」などと言い争い憎み合い、「だからそうなのだ」と語り合うなら、つれづれも慰められるでしょうに。

けれども、実のところ少し愚痴をこぼす相手にはなっても、自分と同じでない人は、ありふれたとりとめもないことを言うあいだはよいとして、まことの心の友としてははるかに隔たったところがあるにちがいないのが、やはり寂しいことです。

13灯火のもとで昔の人を友とする

ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる卷々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。

独り灯火のもとで書物を開き、見たことのない世の人を友とすることこそ、この上ない慰めです。

書物は『文選』のしみじみとした巻々、『白氏文集』、老子の言葉、『南華(荘子)』の篇です。この国の博士たちが書いたものも、古いものにはしみじみとしたものが多くあります。

14和歌はやはりよいもの

和歌こそなほをかしきものなれ。あやしの賤山がつの所作も、いひ出づれば面白く、恐ろしき猪も、臥猪の床といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに。」といへるは、古今集の中の歌屑とかやいひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがたことば、この類のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、「ものとはなしに。」とぞ書ける。新古今には、「のこる松さへ峯にさびしき。」といへる歌をぞいふなるは、誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じおほせ下されけるよし、家長が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや、今もよみあへる、同じことば歌枕も、むかしの人のよめるは、更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも清げに、あはれも深く見ゆ、梁塵秘抄の郢曲のことばこそ、またあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたる言種も、皆いみじく聞ゆるにや。

和歌はやはりよいものです。取るに足りない木こりや山人のすることも、歌に詠み出せば面白く、恐ろしい猪も「臥猪の床」と言えば優しくなります。

近ごろの歌は、一節面白く言い当てていると見えるものはありますが、古い歌どものように、どうしてでしょうか、言葉の外にしみじみとした趣の感じられるものはありません。

貫之が「糸による物ならなくに」と言ったのは、『古今集』の中の歌屑などと言い伝えられていますが、今の世の人が詠めるような言いぶりとは見えません。その時代の歌には、姿も言葉もこの類のものが多いのです。この歌に限ってそのように言い立てられたわけも分かりません。『源氏物語』には「ものとはなしに」と書いてあります。

『新古今集』では「残る松さへ峰にさびしき」と言った歌をそう言うそうですが、まことに少し崩れた姿にも見えるでしょうか。けれどもこの歌も、衆議判のときによろしいという評があり、後にもことさら感に入られたとのことが、家長の日記には書かれています。

歌の道だけは昔と変わらないなどということもありますが、さあどうでしょう、今も人々が詠み合っている同じ言葉や歌枕でも、昔の人が詠んだものはまるで同じものではありません。やさしく素直で、姿も清らかで、趣も深く見えます。

『梁塵秘抄』の郢曲の言葉こそ、これもまたしみじみとしたことが多いようです。昔の人は、どのように言い捨てた言葉づかいでも、みな立派に聞こえるのでしょうか。

15どこへでも、しばし旅立ってみると

いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。

どこであれ、しばし旅立ってみることこそ、目が覚める心地がするものです。

その辺りをあちこち見て歩きますと、田舎びた所や山里などには、見慣れないことばかりが多いものです。都へ便りを頼んで手紙を送り、「あのこと、このこと、都合のよいときに忘れるな」などと言ってやるのも面白いことです。

そのような所でこそ、何事にも気を使うようになります。持っている調度までもよいものはよく見え、才のある人も、容姿のよい人も、普段より趣のあるように見えるものです。

寺や社などに人目を忍んで籠っているのも面白いことです。

16神楽と楽の音

神樂こそなまめかしく面白けれ。大かた〈原文「大かに」〉物の音には笛篳篥、常に聞きたきは琵琶和琴。

神楽こそ優雅で面白いものです。おおよそ楽の音では笛と篳篥、いつも聞きたいのは琵琶と和琴です。

17山寺に籠って

山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれ〴〵もなく、心の濁りもきよまる心地すれ。

山寺に籠って仏にお仕えすることこそ、つれづれでもなく、心の濁りも清まる心地がするものです。

18許由のひさご、孫晨の藁

人はおのれをつゞまやかにし、驕りを退けて財を有たず、世を貪らざらむぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。唐土に許由といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手してさゝげて飮みけるを見て、なりひさごといふ物を、人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心の中すゞしかりけむ。孫晨は冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとゞめて世にも傳へけめ。これらの人は語りも傳ふべからず。

人は自分の身を質素にし、驕りを退けて財を持たず、世を貪らないのが立派なことでしょう。昔から賢い人が富んでいることは稀です。

唐土に許由といった人は、身に備えた貯えもまったくなくて、水も手で掬って飲んでいました。それを見て、ある人がひさごというものを与えたところ、あるとき木の枝に掛けておいたのが風に吹かれて鳴ったので、うるさいと言って捨ててしまいました。そしてまた手で掬って水を飲んだのです。どれほど心の中が涼しかったでしょうか。

孫晨は冬の季節に衾がなく、藁が一束あったのを、夕方にはこれに臥し、朝には片づけていました。唐土の人はこれを立派だと思ったからこそ、書きとめて世にも伝えたのでしょう。この国の人は、こうした話を語り伝えることもないでしょう。

19折節の移り変わるのは、何事にもしみじみとする

折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ。物の哀れは秋こそまされと、人毎にいふめれど、それも然るものにて、今一きは心もうきたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやう〳〵氣色だつほどこそあれ、をりしも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になりゆくまで、萬に唯心をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて思ひすて難きことおほし。 灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢すゞしげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも人の戀しさもまされと、人のおほせられしこそ、實にさるものなれ。五月、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。七夕祭るこそなまめかしけれ。やう〳〵夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催し行はるゝ樣ぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそおもしろけれ。晦日の夜いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらむ、こと〴〵しくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には猶することにてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。

折節の移り変わるのこそ、何事につけてもしみじみとするものです。

「物のあわれは秋がまさる」と誰もが言うようですが、それもそのとおりでありながら、いま一段と心が浮き立つものは春の景色であるようです。鳥の声なども格別に春らしくなり、のどやかな日ざしに垣根の草が萌え出るころから、やや春が深まって霞がわたり、花もようやく咲きそうな気配を見せるかと思うと、折しも雨風が続いて、心あわただしいうちに散り過ぎてしまいます。青葉になっていくまで、何事につけてもただ心を悩ませるばかりです。

花橘は名にこそ知られていますが、やはり梅の匂いにこそ、昔のことも立ち返って恋しく思い出されます。山吹が清らかで、藤がおぼつかない様子をしていることなど、すべて思い捨てがたいことが多いのです。

「灌仏会のころ、祭のころ、若葉の梢が涼しげに茂っていくころこそ、世のあわれも人恋しさもまさる」とある方がおっしゃったのは、まことにそのとおりです。

五月、菖蒲を葺くころ、早苗を取るころ、水鶏が戸を叩くように鳴くことなど、どうして心細くないことがあるでしょうか。六月のころ、粗末な家に夕顔が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのもしみじみとします。六月祓もまた趣があります。七夕を祭るのこそ優雅です。

次第に夜寒になるころ、雁が鳴いて来るころ、萩の下葉が色づくころ、早稲田を刈って干すことなど、取り集めてみれば秋のことばかりが多いものです。また野分の翌朝こそ趣があります。

こう書き続けていけば、みな『源氏物語』や『枕草子』などで言い古されたことですが、同じことをいま改めて言うまいというわけでもありません。思うことを言わないのは腹が膨れることですから、筆に任せて、味気ない遊びとして書くだけで、掻きやり捨てるべきものですから、人が見るはずのものでもありません。

さて、冬枯れの景色こそ、秋にはほとんど劣らないでしょう。汀の草に紅葉が散りとどまって、霜がたいそう白く置いた朝、遣水から煙の立つのが趣があります。年がすっかり暮れて、人ごとに急ぎ合っているころが、またなくしみじみとします。すさまじいものとして見る人もない月が、寒々と澄んでいる二十日あまりの空こそ、心細いものです。

御仏名や、荷前の使が立つことなどが、しみじみと尊いものです。公事が立て込んで、春の準備まで重なって催し行われる様子は大したものです。追儺から四方拝へと続くのこそ面白いことです。

大晦日の夜、ひどく暗いのに松明をともして、夜半を過ぎるまで人の門を叩いて走り回り、何事なのでしょうか、ことごとしく大声を立てて足が地につかぬほど慌てていたのが、明け方からさすがに音もなくなっていくのこそ、年の名残も心細いものです。

亡き人が来る夜だといって魂を祭る行いは、近ごろ都にはありませんが、東の地方ではなお行われることだというのが、しみじみとしたことでした。

こうして明けていく空の景色は、昨日と変わったとは見えませんが、打って変わって珍しい心地がします。大路の様子が、松を立てわたして華やかに嬉しげであるのも、また趣のあることです。

20ただ空の名残だけが惜しい

某とかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。

某とかいった世捨て人が、「この世に繋ぎとめるものも持たない身ですが、ただ空の名残だけが惜しい」と言ったということこそ、まことにそのように思われます。