いにしえの文 › 徒然草(所在なきままに書きつけた草) › 全一巻

21〜40段21~40단

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 徒然草 · 吉田兼好 · 元弘元年〜2年(1331年頃)成立 · 段落 20 · 漢字 4,369字 · 朗読 10.9分

徒然草(所在なきままに書きつけた草) 全一巻 「つれづれなるままに、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてどなく書きつけていきますと」 — この一文で始まる243編の短い文章。兼好法師が世を背いた後、無常と人のあり方、花と月、古い法度と当世の風俗を行き来しながら書いた。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」(137段)のように長く引かれる箇所が随所にあり、鼎をかぶった法師や出雲の獅子の像の話のように笑いを誘う断章も混じる。方丈記とともに日本の随筆の二本の柱に数えられる。

1月を見れば万のことが慰められる

萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ。」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ。」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅湘日夜東に流れ去る、愁人の爲にとゞまること少時もせず。」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康も、「山澤にあそびて魚鳥を見れば心樂しぶ。」といへり。人遠く水草きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。

万のことは、月を見るときにこそ慰められるものです。ある人が「月ほど面白いものはないでしょう」と言ったのに対し、また別の人が「露こそしみじみとするものだ」と言い争ったのは面白いことでした。折にかなえば、何がしみじみとしないことがあるでしょうか。

月や花は言うまでもなく、風こそ人の心を捉えるようです。岩に砕けて清く流れる水の景色は、季節を問わず素晴らしいものです。

「沅水と湘水は日夜東へ流れ去り、愁いある人のためにしばらくも留まらない」という詩を見たときは、しみじみとしたものでした。嵆康も「山や沢に遊んで魚や鳥を見れば心が楽しむ」と言っています。人里を離れ、水も草も清らかな所をさまよい歩くことほど、心の慰むことはないでしょう。

2何事も昔の世だけが慕わしい

何事も古き世のみぞ慕はしき。今樣は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人數だて。」といふべきを、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聽聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。

何事も昔の世だけが慕わしく思われます。今風のものは、どうしようもなく下品になっていくようです。あの木工の匠が作った美しい器も、古い時代の姿こそ趣があるように見えます。手紙の言葉づかいなども、昔の反古が立派です。ただ口にする言葉も、残念なことになっていきます。

昔は「車もたげよ」「火かかげよ」と言っていたのを、今風の人は「もてあげよ」「かきあげよ」と言います。主殿寮の「人数立てよ」と言うべきところを「立明を白くせよ」と言い、最勝講の御聴聞所であるものを「御講の廬」と言うべきところを「講廬」と言う、残念なことだと、昔の人がおっしゃっていました。

3九重の神さびた有様

衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ。」といふこそいみじけれ。夜の御殿のをば、「掻燈疾うよ。」などいふ、まためでたし。上卿の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜、此處彼處に睡り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり。」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。

衰えた末の世とはいいますが、それでも九重(宮中)の神さびた有様は、世俗を離れて素晴らしいものです。露台、朝餉、何殿、何門などという呼び名は、まことに立派に聞こえます。

粗末な所にもありそうな小蔀、小板敷、高遣戸なども、素晴らしく聞こえます。「陣に夜の設けをせよ」と言うのこそ立派です。夜の御殿のことを「掻燈を早く」などと言うのも、また素晴らしいことです。

上卿が陣で事を執り行う様子は言うまでもなく、諸司の下人どもが慣れた顔つきでしているのも趣があります。あれほど寒い夜通し、ここかしこで眠り込んでいるのも趣があります。

「内侍所の御鈴の音は、素晴らしく優雅なものです」と、徳大寺の太政大臣はおっしゃっていました。

4斎宮の野の宮——神社の優雅さ

齋宮の野の宮におはします有樣こそ、やさしく面白き事の限りとは覺えしか。經佛など忌みて、中子、染紙などいふなるもをかし。すべて神の社こそ、捨て難くなまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松尾、梅宮。

斎宮が野の宮におられる有様は、優雅で趣のあることの限りと思われました。経や仏などの語を忌んで、「中子」「染紙」などと言うというのも面白いことです。

およそ神の社こそ、捨てがたく優雅なものです。古びた森の景色も並々でないうえに、玉垣をめぐらし、榊に木綿を掛けてあることなどが、どうして立派でないことがあるでしょうか。

とりわけ趣のあるのは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松尾、梅宮です。

5京極殿と法成寺の跡

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事去り、樂しび悲しび行きかひて、花やかなりし邊も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らむ。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺など見るこそ、志留まり、事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてむ〈けむ〉や。大門金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これも亦いつまでかあらむ。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば萬に見ざらむ世までを思ひ掟てむこそ、はかなかるべけれ。

飛鳥川の淵瀬が常ならぬ世ですから、時が移り事が去り、楽しみも悲しみも行き交って、華やかであった辺りも人の住まない野となり、変わらない住まいは住む人が入れ替わりました。桃や李は物を言いませんから、誰とともに昔を語ればよいのでしょう。まして、見たこともない昔の尊かったであろう跡は、いっそうはかないものです。

京極殿や法成寺などを見ますと、建てられた志は残っているのに、姿が変わってしまった様子はしみじみとします。御堂殿(藤原道長)がお造りになって磨きあげられ、荘園を多く寄せられ、ただ我が一族のみが帝の御後見、世の固めとして行く末までも続くとお思いになったとき、どのような世にもこれほど衰え果てようとはお思いになったでしょうか。

大門や金堂などは近ごろまでありましたが、正和のころ南門は焼けました。金堂はその後倒れ伏したままで、建て直す手立てもありません。無量寿院だけが、その形のままで残っています。丈六の仏が九体、たいそう尊く並んでおられます。行成大納言の額や、兼行が書いた扉が鮮やかに見えるのは、しみじみとすることです。法華堂なども、まだあるようです。これもまた、いつまであるでしょうか。

これほどの名残さえない所々は、おのずと礎だけが残っているものもありますが、確かに知る人もありません。ですから、何事につけても自分の見ることのない世までを思い定めておこうとするのは、はかないことでしょう。

6移り変わる人の心

風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。されば白き絲の染まむ事を悲しび、道の衢のわかれむ事を歎く人もありけむかし。堀河院の百首の歌の中に、 むかし見し妹が垣根は荒れにけり茅花まじりの菫のみして さびしきけしき、さること侍りけむ。

風も吹かぬうちに移り変わる人の心の花に、慣れ親しんだ年月を思いますと、しみじみと聞いた言葉の一つ一つが忘れられないままに、その人が我が世の外へ去っていくのが世の習いであることこそ、亡き人との別れよりもまさって悲しいものです。

ですから、白い糸が染まることを悲しみ、道の辻で分かれることを嘆いた人もあったのでしょう。堀河院の百首の歌の中に、

昔見し妹が垣根は荒れにけり / 茅花まじりの菫のみして

寂しい景色です。そのようなことがあったのでしょう。

7御国譲りの節会——庭に花だけが散り敷く

御國ゆづりの節會行はれて、劒、璽、内侍所わたし奉らるゝほどこそ、かぎりなう心ぼそけれ。新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや。 殿守の伴のみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく 今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。

御国譲りの節会が行われて、剣、璽、内侍所をお渡しになるときこそ、限りなく心細いものです。

新院が御位をお退きになった翌年の春、お詠みになったとか申します。

殿守の伴のみやつこよそにして / はらはぬ庭に花ぞ散りしく

今の世の事多さに紛れて、院には参る人もないのが寂しいことです。このようなときにこそ、人の心も現れるものでしょう。

8諒闇の年

諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あら〳〵しく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。

諒闇の年ほどしみじみとすることはないでしょう。倚廬の御所の様子など、板敷を低くし、葦の御簾を掛けて、布の帽額が荒々しく、御調度どもも粗略で、人々の装束、太刀、平緒までが常と違っているのは、厳かなことです。

9亡き人の手習いを見つけて

靜かに思へば、よろづ過ぎにしかたの戀しさのみぞせむ方なき。人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中に、なき人の、手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いとかなし。

静かに思えば、万事、過ぎ去った方への恋しさばかりがどうしようもありません。

人が寝静まったのち、長い夜の手すさびに、何ということもない道具を取り片づけ、残しておくまいと思う反古などを破り捨てる中に、亡き人が手習いをし、絵を描いて遊んだものを見つけ出すと、ちょうどその折の心地がします。

近ごろ生きている人の手紙でさえ、久しくなって、どのような折、いつの年であったろうかと思うのは、しみじみとすることです。手に慣れた道具なども、心もなく変わらず長く残っているのは、たいそう悲しいことです。

10人の亡きあと——墳が田となるまで

人の亡き跡ばかり悲しきはなし。中陰の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日はいと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちり〴〵に行きあかれ〈原文・頭注「あがれ」〉ぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。しか〴〵の事はあなかしこ、跡のため忌むなる事ぞなどいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。年月經てもつゆ忘るゝにはあらねど、「去るものは日々に疎し。」といへる事なれば、さはいへど、その際ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸はけうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ。そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳はすかれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。

人の亡きあとほど悲しいものはありません。中陰のあいだ、山里などに移って、不便で狭い所に多くの人が集まり合い、後の供養の務めを営み合うのは、心あわただしいことです。日数が早く過ぎていくのは、何にも似ません。

最後の日はたいそう情けなく、互いに言うこともなく、それぞれ利口そうに物を取り片づけ、散り散りに分かれて行きます。もとの住まいに帰ってから、さらに悲しいことが多いのでしょう。「これこれのことはくれぐれも慎め、亡き人のために忌むことだ」などと言うのを聞きますと、これほどの折に何をと、人の心はやはり情けなく思われます。

年月が経っても少しも忘れるわけではありませんが、「去る者は日々に疎し」と言うことですから、そうは言っても、そのときほどではないのでしょうか、とりとめもないことを言って笑ったりもします。

遺骸は人気のない山の中に納めて、しかるべき日だけ参って見れば、ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉が降り埋めて、夕べの嵐と夜の月だけが、言葉を交わすよりどころとなります。

思い出して偲ぶ人があるうちはまだよいでしょう。それもまたほどなく亡くなって、聞き伝えるだけの後々の人が、しみじみと思うでしょうか。そうして墓を訪ねる営みも絶えてしまえば、どの人とも名さえ知られなくなり、年々の春の草だけが残るのですから、心ある人であればしみじみと見るでしょうに。

果てには、嵐にむせんでいた松も千年を待たずに薪に砕かれ、古い墳は鋤かれて田となります。その形さえなくなってしまうのが悲しいことです。

11雪の朝、雪のことを書き落とした手紙

雪の面白う降りたりし朝、人の許いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひが〳〵しからむ人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへす〴〵口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。

雪が面白いほど降った朝、ある人のもとに言うべきことがあって手紙を送ったのですが、雪のことは何も書かなかったところ、その返事に「この雪をどう見ていらっしゃるかと、一筆もおっしゃらないほどのひねくれた方のおっしゃることを、お聞き入れできましょうか。返す返すも残念なお心です」と言ってきたのは、面白いことでした。

今はもう亡き人ですから、これほどのことも忘れがたいのです。

12九月二十日の月見——戸を閉ざさなかった人

九月二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひしめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。

九月二十日のころ、ある方に誘われて、明けるまで月を見て歩いたことがございました。思い出されるところがあって、案内をさせてお入りになりました。

荒れた庭に露が深いなか、わざとではない匂いがしめやかに薫って、人目を忍んで住んでいる気配が、たいそうしみじみと感じられました。よいほどのところでお出になりましたが、それでもその様子が優雅に思われて、物陰からしばらく見ておりますと、妻戸をもう少し押し開けて、月を見る気配でした。

すぐに戸を閉ざして籠ってしまったなら、残念なことでしょう。あとまで見ている人があるとは、どうして知るでしょうか。このようなことは、ただ朝夕の心がけによるのでしょう。

その人はほどなく亡くなったと聞きました。

13櫛形の窓の縁

今の内裏つくりいだされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院御覽じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく縁もなくてぞありし。」と仰せられける、いみじかりけり。これは葉の入りて、木にて縁をしたりければ、誤りにて直されにけり。

今の内裏が造り出されて、有職の人々にお見せになったところ、どこにも難はないということで、すでに遷幸の日が近くなっていたのですが、玄輝門院が御覧になって、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてありました」とおっしゃったのは、立派なことでした。

これは葉の形に入れ込んで、木で縁を付けてあったので、誤りであるとして直されました。

14甲香という貝

甲香は、ほら貝の樣なるが、小さくて、口の程の細長にして出でたる貝の蓋なり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所の者は「へなたり。」と申し侍るとぞいひし。

甲香は、ほら貝のようでありながら小さく、口のあたりが細長く出た貝の蓋です。武蔵の国の金沢という浦にあったものを、その土地の者は「へなたり」と申すと言っておりました。

15手の悪い人が憚らずに書くこと

手の惡き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。

手の悪い人が、憚らずに手紙を書き散らすのはよいことです。見苦しいからといって人に書かせるのは、煩わしいことです。

16久しく訪ねなかったのちの頼み

久しく訪れぬ頃、いかばかり恨むらむと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、「仕丁やある、一人。」なんどいひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。「さる心ざましたる人ぞよき。」と、人の申し侍りし、さもあるべきことなり。

久しく訪ねなかったころ、どれほど恨んでいるだろうかと、自分の怠りを思い知らされて、言葉もない心地でいますと、女の方から「仕丁があれば、一人」などと言ってよこしたのは、ありがたく嬉しいことです。

「そのような心がけの人こそよい」と、ある人が申しましたのも、もっともなことです。

17馴れた人が気を遣う気配を見せるとき

朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時に、我に心をおき、ひきつくろへる樣に見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人もありぬべけれど、猶げに〳〵しくよき人かなとぞ覺ゆる。疎き人のうちとけたる事などいひたる、またよしと思ひつきぬべし。

朝夕へだてなく馴れ親しんだ人が、何かの折に自分に対して気を置き、身づくろいをするように見えるのを、「今さらそんなに」などと言う人もあるでしょうが、それでもやはり、まことに誠実でよい人だなと思われます。

疎い人が打ち解けて何かを言ったのも、また、よいことだと思えるものです。

18名利に使われて——万事はみな非である

名利に使はれて靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ愚かなれ。財多ければ身を守るにまどし。害を買ひ煩ひを招く媒なり。身の後には金をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらむ人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。埋もれぬ名をながき世に殘さむこそあらまほしかるべけれ。位高くやんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に高き官位を望むも、次におろかなり。智惠と心とこそ、世に勝れたる譽も殘さまほしきを、つら〳〵思へば、譽を愛するは人の聞きを喜ぶなり。譽むる人、毀る人、共に世に留まらず、傳へ聞かむ人また〳〵速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られむことを願はむ。譽はまた毀のもとなり。身の後の名殘りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。たゞし強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の爲にいはば、智惠出でては僞あり、才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく徳もなく、功もなく名もなし。誰か知り誰か傳へむ。これ徳をかくし愚を守るにあらず、もとより賢愚得失のさかひに居らざればなり。まよひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。

名誉と利益に使われて、静かな暇もなく一生を苦しめるのは、愚かなことです。

財が多ければ、我が身を守るのに下手になります。害を買い、煩いを招く仲立ちです。死んだ後に黄金で北斗を支えたとしても、人のために煩わしいだけでしょう。愚かな人の目を喜ばせる楽しみも、また味気ないものです。大きな車、肥えた馬、金や玉の飾りも、心ある人は情けなく愚かだと見るでしょう。黄金は山に捨て、玉は淵に投げ入れるべきです。利に惑うのは、とりわけ愚かな人です。

埋もれない名を長い世に残すことこそ願わしいでしょう。けれども、位が高く尊いことをもって、優れた人と言えるでしょうか。愚かで拙い人も、よい家に生まれて時に合えば、高い位に上がって驕りを極めることもあります。立派であった賢人・聖人が、自ら卑しい位にいて、時に遇わずに終わったことも、また多いのです。ひたすら高い官位を望むのも、その次に愚かなことです。

知恵と心こそ、世に優れた誉れを残したいものですが、よくよく思えば、誉れを愛するのは人の評判を喜ぶことです。誉める人も毀る人も、ともに世に留まらず、伝え聞くであろう人も、また速やかに去っていくでしょう。誰に恥じ、誰に知られることを願うのでしょうか。誉れはまた毀りのもとです。死んだ後の名が残っても、何の益もありません。これを願うのも、その次に愚かなことです。

ただし、強いて知恵を求め、賢さを願う人のために言うならば、知恵が出れば偽りがあり、才能は煩悩が増長したものです。伝え聞き、学んで知るのは、まことの知恵ではありません。どのようなものを知恵と言うべきでしょうか。可も不可も一筋です。どのようなものを善と言うのでしょうか。

まことの人は、知恵もなく徳もなく、功もなく名もありません。誰が知り、誰が伝えるでしょうか。これは徳を隠して愚かさを守るのではなく、もとより賢愚・得失の境に居ないからです。

迷いの心をもって名利の要を求めれば、このようになります。万事はみな非です。言うに足らず、願うに足りません。

19法然上人の三つの言葉

ある人法然上人に、「念佛の時睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何して此の障りをやめ侍らむ。」と申しければ、「目の覺めたらむ程念佛し給へ。」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり。」といはれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも念佛すれば往生す。」ともいはれけり。是も亦尊し。

ある人が法然上人に、「念仏のとき眠りに襲われて行を怠ってしまいますが、どうしてこの障りをやめられましょうか」と申しあげたところ、「目の覚めているあいだ念仏なさい」とお答えになったのは、たいそう尊いことでした。

また、「往生は、一定と思えば一定、不定と思えば不定である」とおっしゃいました。これも尊いことです。

また、「疑いながらも念仏すれば往生する」ともおっしゃいました。これもまた尊いことです。

20栗ばかり食べていた女

因幡の國に、何の入道とかやいふものの女、かたちよしと聞きて、人數多いひわたりけれども、この女たゞ栗をのみ食ひて、更に米のたぐひを食はざりければ、「かゝる異樣のもの、人に見ゆべきにあらず。」とて親ゆるさざりけり。

因幡の国に、何の入道とかいう者の娘が、容姿がよいと聞いて、多くの人が言い寄りましたが、この女はただ栗ばかりを食べて、まったく米の類を食べなかったので、「このような異様な者を、人に見せるべきではない」といって、親が許しませんでした。