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烏長国烏長國

往五天竺国伝(五天竺めぐりの記) 往五天竺國傳 · 慧超(ヘチョ) · 727年(新羅・聖徳王26年) · 段落 1 · 漢字 126字 · 朗読 0.5分

往五天竺国伝(五天竺めぐりの記) 全一巻 新羅の僧・慧超が二十歳の頃にインドと西域の四十か国を自ら歩いて書いた旅行記。千年以上失われていたが、1908年に敦煌の石窟で巻物の残本として見つかった。故郷を思う五言詩五首が併せて収められている。

1僧が俗人より多い国

又從此建馱羅國。正北入山三日程。至烏長國。彼自云欝地引那。此王大敬三寶。百姓村莊。多分施入寺家供養。少分自留以供養衣食。設齋供養。每日是常。足寺足僧。僧稍多於俗人也。專行大乘法也。衣著飲食人風。與建馱羅國相似。言音不同。土地足駝騾羊馬㲲布之類。節氣甚冷

またこの建馱羅国から真北へ山に入って三日の道を行くと烏長国に至る。彼らは自ら欝地引那という。

この王は三宝を大いに敬って、民と村の大きな分を寺に布施して供養させ、小さな分だけを残して自分の衣と食に充て、斎を開いて供養することが毎日の常となっている。寺も多く僧も多く、僧が俗人より少し多いほどである。もっぱら大乗の法だけを行う。

衣装と食べ物と風俗は建馱羅国と似ているが、言葉は同じでない。土地には駱駝と騾馬と羊と馬と毛織りの布などが豊かである。季節はひじょうに冷たい。