耽羅
1耽羅を先に討った理由
耽羅,高麗與國也。世祖既臣服高麗,以耽羅為南宋、日本衝要,亦注意焉。至元六年七月,遣明威將軍都統領脫脫兒、武德將軍統領王國昌、武略將軍副統領劉傑往視耽羅等處道路,詔高麗國王王禃選官導送。時高麗叛賊林衍者,有餘黨金通精遁入耽羅。九年,中書省臣及樞密院臣議曰:「若先有事日本,未見其逆順之情,恐有後辭。可先平耽羅,然後觀日本從否,徐議其事。且耽羅國王嘗來朝覲,今叛賊逐其主,據其城以亂,舉兵討之,義所先也。」
耽羅は高麗の友好国である。世祖は高麗を臣として服属させたのち、耽羅が南宋・日本への要地であることから、ここにも目を向けた。至元六年七月、明威将軍都統領の脱脱児、武徳将軍統領の王国昌、武略将軍副統領の劉傑を遣わして耽羅などの地の道筋を見させ、詔によって高麗国王の王禃に官人を選んで案内し送らせた。そのころ、高麗の叛賊林衍の残党である金通精が耽羅に逃げ込んでいた。九年、中書省と枢密院の臣が議して言った。「まず日本に事を起こしても、その逆らうか従うかの心をまだ見ていないのでは、のちに言われることがあるのを恐れます。まず耽羅を平定し、そのうえで日本が従うかどうかを見て、ゆっくりその事を議してもよいでしょう。また耽羅の国王はかつて来朝して拝謁しましたが、いまや叛賊がその主を追い、その城に拠って乱しています。兵を挙げてこれを討つのが、義として先にすべきことです。」
2耽羅国招討司
十年正月,命經略使忻都、史樞及洪茶丘等率兵船大小百有八艘,討耽羅賊黨。六月,平之,於其地立耽羅國招討司,屯鎮邊軍千七百人。其貢賦歲進毛施布百匹。招討司後改為軍民都達魯花赤總管府,又改為軍民安撫司。
十年正月、経略使の忻都、史枢および洪茶丘らに命じ、大小百八艘の兵船を率いて耽羅の賊党を討たせた。六月、これを平定し、その地に耽羅国招討司を置いて鎮辺軍千七百人を駐屯させた。その貢賦は、毎年、毛施布百匹を納めさせた。招討司は後に軍民都達魯花赤総管府に改め、さらに軍民安撫司に改めた。
3高麗に返す
三十一年,高麗王上言,耽羅之地,自祖宗以來臣屬其國;林衍逆黨既平之後,尹邦寶充招討副使,以計求徑隸朝廷,乞仍舊。帝曰:「此小事,可使還屬高麗。」自是遂復隸高麗。
三十一年、高麗王が上申して、耽羅の地は祖宗以来その国に臣属してきたが、林衍の逆党が平定されたのち、尹邦宝が招討副使となり、策をもって直接朝廷に属することを求めたのであるから、もとのとおりに戻していただきたいと願った。帝は「これは小事である。高麗に返し属させてよい」と言った。これよりついにまた高麗に属した。