扶桑国扶桑國
1慧深が語った扶桑国
扶桑國者,齊永元元年,其國有沙門慧深來至荊州,說云:「扶桑在大漢國東二萬餘里,地在中國之東,其土多扶桑木,故以爲名。」扶桑葉似桐,而初生如笋,國人食之,實如梨而赤,績其皮爲布以爲衣,亦以爲綿。作板屋,無城郭。有文字,以扶桑皮爲紙。無兵甲,不攻戰。其國法,有南北獄。若犯輕者入南獄,重罪者入北獄。有赦則赦南獄,不赦北獄。在北獄者,男女相配,生男八歲爲奴,生女九歲爲婢。犯罪之身,至死不出。貴人有罪,國乃大會,坐罪人於坑,對之宴飲,分訣若死別焉。以灰繞之,其一重則一身摒退,二重則及子孫,三重則及七世。名國王爲乙祁;貴人第一者爲大對盧,第二者爲小對盧,第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色隨年改易,甲乙年青,丙丁年赤,戊己年黃,庚辛年白,壬癸年黑。有牛角甚長,以角載物,至勝二十斛。車有馬車、牛車、鹿車。國人養鹿,如中國畜牛,以乳爲酪。
扶桑国については、斉の永元元年、その国の沙門の慧深が荊州に来て、こう説いた。「扶桑は大漢国の東二万余里にあり、地は中国の東にあって、その土地に扶桑の木が多いので、これを名としています。」扶桑の葉は桐に似ていて、生えはじめは笋のようで、国の人はこれを食べる。実は梨のようで赤く、その皮を績いで布とし、衣を作り、また綿ともする。板の屋を作り、城郭がない。文字があって、扶桑の皮で紙を作る。兵や甲がなく、攻め戦わない。その国の法に南の獄と北の獄がある。もし軽い罪を犯した者は南の獄に入れ、重い罪の者は北の獄に入れる。赦があれば南の獄を赦し、北の獄は赦さない。北の獄にある者は、男女を互いに配し、生まれた男は八歳で奴となり、生まれた女は九歳で婢となる。罪を犯した身は、死ぬまで出られない。貴人に罪があれば、国は大いに会し、罪人を坑に坐らせ、これに向かって宴し飲み、死に別れるように分かれ訣れる。灰でこれをめぐらし、その一重であれば一身だけが退けられ、二重であれば子孫に及び、三重であれば七代に及ぶ。国王を名づけて乙祁といい、貴人の第一の者を大対盧、第二の者を小対盧、第三の者を納咄沙という。国王が行くときは鼓と角が導き従う。その衣の色は年に随って改め易え、甲乙の年は青、丙丁の年は赤、戊己の年は黄、庚辛の年は白、壬癸の年は黒である。角のきわめて長い牛があって、角で物を載せるが、多いときは二十斛に勝える。車には馬の車・牛の車・鹿の車がある。国の人は鹿を養うことを、中国で牛を畜うようにして、乳で酪を作る。
2扶桑の風俗
有桑梨,經年不壞。多蒲桃。其地無鐵有銅,不貴金銀。市無租估。其婚姻,婿往女家門外作屋,晨夕灑掃,經年而女不悅,卽驅之,相悅乃成婚。婚禮大抵與中國同。親喪,七日不食;祖父母喪,五日不食;兄弟伯叔姑姊妹,三日不食。設靈爲神像,朝夕拜奠,不制縗絰。嗣王立,三年不視國事。其俗舊無佛法,宋大明二年,罽賓國嘗有比丘五人遊行至其國,流通佛法、經像,教令出家,風俗遂改。」
桑の梨があって、年を越しても壊れない。蒲桃が多い。その地には鉄がなく銅があり、金銀を貴ばない。市に租や估がない。その婚姻は、婿が女の家の門の外に屋を作り、朝夕に水を打ち掃き、年を経ても女が悦ばなければ、すぐに追い払い、互いに悦べばそこで婚が成る。婚の礼はおおむね中国と同じである。親の喪には七日食べず、祖父母の喪には五日食べず、兄弟・伯叔・姑・姉妹には三日食べない。霊を設けて神像とし、朝夕に拝み奠るが、縗や絰は作らない。嗣ぐ王が立つと、三年は国の事を視ない。その風俗には旧く仏法がなかったが、宋の大明二年、罽賓国にかつて比丘五人があって、遊び行ってその国に至り、仏法と経や像を流し通わせ、出家することを教え令したので、風俗はついに改まった、ということであった。
3女国
慧深又云:「扶桑東千餘里有女國,容貌端正,色甚潔白,身體有毛,髮長委地。至二、三月,競入水則任娠,六七月產子。女人胸前無乳,項後生毛,根白,毛中有汁,以乳子,一百日能行,三四年則成人矣。見人驚避,偏畏丈夫。食鹹草如禽獸。鹹草葉似邪蒿,而氣香味鹹。」天監六年,有晉安人渡海,爲風所飄至一島,登岸,有人居止。女則如中國,而言語不可曉;男則人身而狗頭,其聲如吠。其食有小豆,其衣如布。築土爲牆,其形圓,其戶如竇云。
慧深はまたこう言った。「扶桑の東千余里に女国があり、容貌は端正で、色はきわめて潔く白いが、身体に毛があり、髪は長く地に委れています。二月、三月になると、競って水に入ると娠み、六、七か月で子を産みます。女人は胸の前に乳がなく、項の後ろに毛が生えて、根が白く、毛の中に汁があって、それで子を乳します。百日で歩くことができ、三、四年で人となります。人を見ると驚いて避け、ことに丈夫を畏れます。鹹草を食べることは禽獣のようです。鹹草は葉が邪蒿に似ていて、気は香り、味は鹹いのです。」天監六年、晋安の人が海を渡ったとき、風に飄られて一つの島に至り、岸に登ると、人が住み止まっていた。女は中国のようであったが、言葉は解することができず、男は人の身で狗の頭、その声は吠えるようであった。その食べる物に小豆があり、その衣は布のようであった。土を築いて牆とし、その形は円く、その戸は竇のようであったという。