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楊朱楊朱篇

列子(列禦寇の書) 列子 · 列禦寇の名で伝わる · 今の版本は4世紀頃 · 段落 16 · 漢字 4,394字 · 朗読 17.6分

列子(列禦寇の書) 楊朱篇 道徳経・荘子とともに道家の三書に数えられるが、読む味わいがかなり違う。論じるよりも話を聞かせ、その話が後の世に言葉となって残った。天が崩れるのではないかと眠れなかった杞の国の人(杞憂)、山を移すと言って子孫を数えた愚公(愚公移山)、どんぐりを朝に三つ夕に四つ与えると怒った猿たち(朝三暮四)、琴の音から泰山と川の流れを聞き分けた鍾子期(知音)はみなこの書から出た。 八編の肌合いがそれぞれ違う。天瑞・黄帝は生まれることと変わることを説き、周穆王は夢と目覚めの境を揺さぶり、湯問はこの書架で最も大きな想像を広げる — 底のない谷の帰墟と五つの山を背に負って立つ大亀、人とまったく同じに歩き歌い、割って見れば革と木であった偃師の人形。力命は力と命を向かい合わせて争わせ、楊朱は「我が身の毛一本で天下を利することはしない」という言葉が出たところであり、説符は短い話三十四片で締めくくる。

楊朱游於魯,舍於孟氏。孟氏問曰:「人而已矣,奚以名爲?」曰:「以名者爲富。」「既富矣,奚不已焉?」曰:「爲貴。」「既貴矣,奚不已焉?」曰:「爲死。」「既死矣,奚爲焉?」曰:「爲子孫。」「名奚益於子孫?」曰:「名乃苦其身,燋其心。乘其名者,澤及宗族,利兼鄉黨,況子孫乎?」「凡爲名者必廉,廉斯貧;爲名者必讓,讓斯賤。」曰:「管仲之相齊也,君淫亦淫,君奢亦奢。志合言從,道行國霸。死之後,管氏而已。田氏之相齊也,君盈則己降,君歛則己施。民皆歸之,因有齊國;子孫享之,至今不絕。若實名貧,僞名富。」曰:「實無名,名無實。名者,僞而已矣。昔者堯舜僞以天下讓許由、善卷,而不失天下,享祚百年。伯夷、叔齊實以孤竹君讓,而終亡其國,餓死於首陽之山。實、僞之辯,如此其省也。」

楊朱が魯に遊んだとき、孟氏の家に宿った。孟氏が問うた。「人であればそれで足りるのに、名を何に用いるのか。」

言った。「名によって富むのだ。」

「すでに富んだなら、どうしてやめないのか。」

言った。「貴くなるためだ。」

「すでに貴くなったなら、どうしてやめないのか。」

言った。「死のためだ。」

「すでに死んだなら、何に用いるのか。」

言った。「子孫のためだ。」

「名が子孫に何の益があるのか。」

言った。「名はその身を苦しめ、その心を焦がす。しかしその名に乗る者は、恵みが宗族に及び、利は郷や党にも兼ね及ぶ。まして子孫はなおさらだ。」

「およそ名を求める者は必ず廉く、廉ければ貧しくなる。名を求める者は必ず譲り、譲れば賤しくなる。」

言った。「管仲が斉の相であったとき、君が淫らであれば自分も淫らであり、君が奢れば自分も奢った。志は合い言葉は従われ、道は行われて国は覇となった。死んだ後は、管氏の家が残っただけだ。

田氏が斉の相であったとき、君が満たせば自分は減らし、君が収めれば自分は施した。民はみな彼に帰し、これによって斉の国を得た。子孫がそれを享け、今に至るまで絶えない。

このように、まことの名は貧しく、偽りの名は富むのだ。」

言った。「実には名がなく、名には実がない。名とは偽りにすぎない。昔、堯と舜は偽りをもって天下を許由と善巻に譲ったが、天下を失わず、祚を百年享けた。伯夷と叔斉はまことに孤竹の君の位を譲ったが、ついにその国を亡い、首陽の山で餓え死んだ。実と偽りの弁えは、これほどはっきりしているのだ。」

楊朱曰:「百年,壽之大齊。得百年者千無一焉。設有一者,孩抱以逮昏老,幾居其半矣。夜眠之所弭,晝覺之所遺,又幾居其半矣。痛疾哀苦,亡失憂懼,又幾居其半矣。量十數年之中,逌然而自得亡介焉之慮者,亦亡一時之中爾。則人之生也奚爲哉?奚樂哉?爲美厚爾,爲聲色爾,而美厚復不可常厭足,聲色不可常翫聞,乃復爲刑賞之所禁勸,名法之所進退,遑遑爾競一時之虛譽,規死後之餘榮,偊偊爾順耳目之觀聽,惜身意之是非,徒失當年之至樂,不能自肆於一時。重囚纍梏,何以异哉?太古之人知生之暫來,知死之暫往,故從心而動,不違自然所好;當身之娛非所去也,故不爲名所勸。從性而游,不逆萬物所好;死後之名非所取也,故不爲刑所及。名譽先後,年命多少,非所量也。」

楊朱が言った。

「百年が寿の最も大きな限りである。百年を得る者は千に一人もいない。たとえ一人いたとしても、幼くて抱かれている時と、老い昏れた時とが、ほぼその半ばを占める。夜の眠りに弭んだところ、昼の覚めて遺したところが、またほぼその半ばを占める。痛みや病、哀しみや苦しみ、亡い失うこと、憂えや懼れが、またほぼその半ばを占める。

その残る十数年のうちを量っても、ゆったりとみずから満ち足りて、わずかの慮りもない時は、一時もない。

それならば人が生きるのは何のためなのか。何が楽しいのか。美しく厚いもののため、声と色のためにすぎない。しかも美しく厚いものはつねに飽き足るわけにいかず、声と色もつねに翫び聞いていられない。

そのうえまた、刑と賞に禁められ勧められ、名と法に進められ退けられる。あたふたと一時の虚しい誉れを競い、死後の余る栄えを規り、びくびくと耳や目の観ることや聴くことに順い、身と意の是非を惜しんで、ただ当年の至りの楽しみを失い、一時もみずから思いのままにできない。重い囚われ、累なる枷と、どこが異なるというのか。

遠い昔の人は、生が暫く来るものだと知り、死が暫く往くものだと知っていた。だから心に従って動き、おのずからそうであることの好むところに違わなかった。この身の娯しみは去るべきものではないので、名に勧められることがなかった。性に従って遊び、万物の好むところに逆らわなかった。死後の名は取るべきものではないので、刑の及ぶところとならなかった。名誉の先や後、年や命の多いか少ないかは、量るべきものではなかったのである。」

楊朱曰:「萬物所異者生也,所同者死也。生則有賢愚、貴賤,是所異也;死則有臭腐、消滅,是所同也。雖然,賢愚、貴賤非所能也,臭腐、消滅亦非所能也。故生非所生,死非所死;賢非所賢,愚非所愚;貴非所貴,賤非所賤。然而萬物齊生齊死,齊賢齊愚,齊貴齊賤。十年亦死,百年亦死;仁聖亦死,凶愚亦死。生則堯舜,死則腐骨;生則桀紂,死則腐骨。腐骨一矣,孰知其異?且趣當生,奚遑死後?」

楊朱が言った。

「万物の異なるところは生であり、同じところは死である。生きていれば賢と愚、貴と賤があり、これが異なるところである。死ねば臭り腐り、消え滅びるのであり、これが同じところである。

とはいえ、賢と愚、貴と賤はどうにもできるものではなく、臭り腐り消え滅びることもどうにもできるものではない。だから生は生かすものでなく、死は死なせるものでなく、賢は賢くするものでなく、愚は愚かにするものでなく、貴は貴くするものでなく、賤は賤しくするものでない。

それならば万物は均しく生き均しく死に、均しく賢く均しく愚かで、均しく貴く均しく賤しい。十年でも死に、百年でも死ぬ。仁や聖も死に、凶や愚も死ぬ。生きては堯や舜でも、死ねば腐った骨である。生きては桀や紂でも、死ねば腐った骨である。腐った骨は一つであって、誰がその異なりを知ろうか。ひとまず今の生に趣くことだ。どうして死後に暇があろうか。」

楊朱曰:「伯夷非亡欲,矜清之郵,以放餓死。展季非亡情,矜貞之郵,以放寡宗。清貞之誤善之若此!」

楊朱が言った。「伯夷は欲がなかったのではなく、清らかさを誇ることが過ぎて、ついに餓え死ぬに至ったのである。展季は情がなかったのではなく、貞を誇ることが過ぎて、ついに宗を乏しくしたのである。清と貞が善きものを誤らせることが、これほどなのだ。」

楊朱曰:「原憲窶於魯,子貢殖於衛。原憲之窶損生,子貢之殖累身。」「然則窶亦不可,殖亦不可,其可焉在?」曰:「可在樂生,可在逸身。故善樂生者不窶,善逸身者不殖。」

楊朱が言った。「原憲は魯で貧しく、子貢は衛で財を殖やした。原憲の貧しさは生を損ね、子貢の殖やしは身を累わせた。」

「それでは貧しいのもいけず、殖やすのもいけないなら、よいところはどこにあるのですか。」

言った。「よいところは生を楽しむことにあり、身を安らかにすることにある。だから生を楽しむことが上手な者は貧しくならず、身を安らかにすることが上手な者は財を殖やさない。」

楊朱曰:「古語有之:『生相憐,死相捐。』此語至矣。相憐之道,非唯情也;勤能使逸,飢能使飽,寒能使溫,窮能使達也。相捐之道,非不相哀也;不含珠玉,不服文錦,不陳犧牲,不設明器也。晏平仲問養生於管夷吾。管夷吾曰:『肆之而已,勿壅勿閼。』晏平仲曰:『其目柰何?』夷吾曰:『恣耳之所欲聽,恣目之所欲視,恣鼻之所欲向,恣口之所欲言,恣體之所欲安,恣意之所欲行。夫耳之所欲聞者音聲,而不得聽,謂之閼聰;目之所欲見者美色,而不得視,謂之閼明;鼻之所欲向者椒蘭,而不得嗅,謂之閼顫;口之所欲道者是非,而不得言,謂之閼智;體之所欲安者美厚,而不得從,謂之閼適;意之所欲爲者放逸,而不得行,謂之閼性。凡此諸閼,廢虐之主。去廢虐之主,熙熙然以俟死,一日、一月、一年、十年,吾所謂養。拘此廢虐之主,錄而不舍,戚戚然以至久生,百年、千年、萬年,非吾所謂養。』管夷吾曰:『吾既告子養生矣,送死柰何?』晏平仲曰:『送死略矣,將何以告焉?』管夷吾曰:『吾固欲聞之。』平仲曰:『既死,豈在我哉?焚之亦可,沈之亦可,瘞之亦可,露之亦可,衣薪而棄諸溝壑亦可,袞衣繡裳而納諸石椁亦可,唯所遇焉。』管夷吾顧謂鮑叔黃子曰:『生死之道,吾二人進之矣。』」

楊朱が言った。

「古い言葉にある。『生きては互いに憐れみ、死しては互いに捐てる。』この言葉は至っている。

互いに憐れむ道は、ただ情だけではない。労れた者を安らかにさせ、飢えた者を飽かせ、寒い者を温めさせ、窮まった者を達せさせることである。互いに捐てる道は、互いに哀しまないのではない。珠や玉を口に含ませず、文の錦を着せず、犠牲を陳ねず、明器を設けないことである。

晏平仲が管夷吾に生を養うことを問うた。管夷吾が言った。『放っておくだけだ。塞ぐな、遏めるな。』

晏平仲が言った。『その目はどのようなものですか。』

夷吾が言った。

『耳が聴きたいと欲するままに任せ、目が視たいと欲するままに任せ、鼻が向きたいと欲するままに任せ、口が言いたいと欲するままに任せ、体が安らぎたいと欲するままに任せ、意が行いたいと欲するままに任せる。

およそ耳が聞きたいと欲するものは音や声であって、それを聴けないのを、聡を遏めるという。目が見たいと欲するものは美しい色であって、それを視られないのを、明を遏めるという。鼻が向きたいと欲するものは椒や蘭であって、それを嗅げないのを、顫を遏めるという。口が言いたいと欲するものは是非であって、それを言えないのを、智を遏めるという。体が安らぎたいと欲するものは美しく厚いものであって、それに従えないのを、適を遏めるという。意が為したいと欲するものは放ち逸れることであって、それを行えないのを、性を遏めるという。

およそこれら諸々の遏めは、人を廃い虐げる主である。廃い虐げる主を去り、熙々として死を俟つのが、一日でも、一月でも、一年でも、十年でも、私のいう養いである。この廃い虐げる主に拘われ、縛られて放さず、戚々として久しい生に至るのが、百年でも、千年でも、万年でも、私のいう養いではない。』

管夷吾が言った。『私はすでにあなたに生を養うことを告げた。死を送ることはどうか。』

晏平仲が言った。『死を送ることは簡略です。何を告げましょうか。』

管夷吾が言った。『私はまことにそれを聞きたい。』

平仲が言った。『すでに死んだなら、どうして私にあるでしょうか。焼くのもよく、沈めるのもよく、埋めるのもよく、露わに置くのもよく、薪に包んで溝や壑に棄てるのもよく、袞の衣と繡の裳を着せて石の椁に納めるのもよく、ただ遇うところに任せるだけです。』

管夷吾が鮑叔と黄子を顧みて言った。『生と死の道を、我ら二人が尽くした。』」

子產相鄭,專國之政。三年,善者服其化,惡者畏其禁,鄭國以治,諸侯憚之。而有兄曰公孫朝,有弟曰公孫穆。朝好酒,穆好色。朝之室也聚酒千鍾,積麴成封,望門百步,糟漿之氣逆於人鼻。方其荒於酒也,不知世道之安危,人理之悔吝,室內之有亡,九族之親疏,存亡之哀樂也。雖水火兵刃交於前,弗知也。穆之後庭比房數十,皆擇稚齒婑媠者以盈之。方其耽於色也,屏親昵,絕交遊,逃於後庭,以晝足夜;三月一出,意猶未愜。鄉有處子之娥姣者,必賄而招之,媒而挑之,弗獲而後已。子產日夜以爲戚,密造鄧析而謀之,曰:「僑聞治身以及家,治家以及國,此言自於近至於遠也。僑爲國則治矣,而家則亂矣。其道逆邪?將奚方以救二子?子其詔之!」鄧析曰:「吾怪之久矣,未敢先言。子奚不時其治也,喻以性命之重,誘以禮義之尊乎?」子產用鄧析之言,因閒以謁其兄弟,而告之曰:「人之所以貴於禽獸者,智慮;智慮之所將者,禮義。禮義成,則名位至矣。若觸情而動,耽於嗜慾,則性命危矣。子納僑之言,則朝自悔而夕食祿矣。」朝穆曰:「吾知之久矣,擇之亦久矣,豈待若言而後識之哉?凡生之難遇而死之易及。以難遇之生,俟易及之死,可孰念哉?而欲尊禮義以夸人,矯情性以招名,吾以此爲弗若死矣。爲欲盡一生之歡,窮當年之樂,唯患腹溢而不得恣口之飲,力憊而不得肆情於色;不遑憂名聲之醜,性命之危也。且若以治國之能夸物,欲以說辭亂我之心,榮祿喜我之意,不亦鄙而可憐哉?我又欲與若別之。夫善治外者,物未必治,而身交苦;善治內者,物未必亂,而性交逸。以若之治外,其法可暫行於一國,未合於人心;以我之治內,可推之於天下,君臣之道息矣。吾常欲以此術而喻之,若反以彼術而教我哉?」子產忙然無以應之。他日,以告鄧析。鄧析曰:「子與真人居而不知也,孰謂子智者乎?鄭國之治偶耳,非子之功也。」

子産が鄭の相となり、国の政を専らにした。三年で、善い者はその化に服し、悪い者はその禁を畏れ、鄭の国はそれで治まり、諸侯も彼を憚った。

ところが兄に公孫朝があり、弟に公孫穆があった。朝は酒を好み、穆は色を好んだ。

朝の家には酒を千鍾も集め、麴を積んで封のようにし、門から百歩のところで望んでも、糟や漿の気が人の鼻に逆らった。酒に荒んでいるあいだは、世の道の安危も、人の理の悔いや吝も、家の内に有るか亡いかも、九族の親しさ疎さも、存亡の哀楽も分からなかった。水や火、兵や刃が目の前で交わっても、気づかなかった。

穆の後の庭には房を並べて数十を置き、みな年若くたしなやかな者を選んで満たした。色に耽っているあいだは、親しい者を屏け、交わり遊ぶことを絶ち、後の庭に逃れて、昼を足して夜とした。三月に一度出てきても、意はなお足りなかった。郷に処女で美しい者があれば、必ず賄って招き、媒を立てて挑み、得られないうちはやめなかった。

子産は日夜これを憂え、ひそかに鄧析を訪ねて謀った。

「私が聞くに、身を治めて家に及び、家を治めて国に及ぶといいます。これは近いところから遠いところに至るという言葉です。私は国については治めましたが、家は乱れています。その道が逆なのでしょうか。どんな方で二人を救えばよいのでしょう。あなたが教えてください。」

鄧析が言った。「私も怪しんで久しいが、敢えて先に言わなかった。あなたはなぜ、彼らが盛んなうちに時を見て、性と命の重さを喩し、礼と義の尊さで誘わないのか。」

子産は鄧析の言葉を用い、暇を見てその兄と弟に謁して告げた。

「人が禽獣より貴い理由は、智と慮りです。智と慮りが導くものは礼と義です。礼と義が成れば、名と位が至ります。もし情に触れて動き、嗜みと欲に耽れば、性と命が危うくなります。あなたたちが私の言葉を納れれば、朝に悔いて夕には禄を食めるでしょう。」

朝と穆が言った。

「私たちが知ってから久しく、選び取ってからも久しい。どうしてあなたの言葉を待ってはじめて識るものか。およそ生は遇いがたく、死は及びやすい。遇いがたい生をもって、及びやすい死を俟つのだ。何を念うことがあろうか。

それなのに礼と義を尊んで人に誇り、情と性を矯めて名を招こうとする。私たちはそれを死ぬより劣ると思う。

一生の歓びを尽くし、当年の楽しみを窮めようとして、ただ腹が溢れて口の飲みたいままにできないことを患い、力が疲れて色に情を肆せないことを患うだけだ。名声の醜さや、性と命の危うさを憂える暇などない。

そのうえ、あなたは国を治める能で物に誇り、説く辞で私たちの心を乱し、栄えと禄で私たちの意を喜ばせようとする。なんと鄙しく憐れなことではないか。

私たちはさらにあなたと分けて考えたい。およそ外を治めることが上手な者は、物が必ずしも治まらないまま、身がともに苦しむ。内を治めることが上手な者は、物が必ずしも乱れないまま、性がともに安らぐ。

あなたの外を治める法は、しばらく一国に行えても、人の心には合わない。私たちの内を治める法は、天下に推し及ぼせて、君臣の道も息む。私はつねにこの術であなたを喩したいと思っていたのに、あなたが逆にあの術で私たちを教えようというのか。」

子産はぼんやりとして応える言葉がなかった。別の日に鄧析に告げた。鄧析が言った。「あなたは真人と同じ家にいながらそれを知らない。誰があなたを智者といおうか。鄭の国が治まったのは偶然であって、あなたの功ではない。」

衛端木叔者,子貢之世也。藉其先貲,家累萬金。不治世故,放意所好。其生民之所欲爲,人意之所欲玩者,無不爲也,無不玩也。牆屋臺榭,園囿池沼,飲食車服,聲樂嬪御,擬齊楚之君焉。至其情所欲好,耳所欲聽,目所欲視,口所欲嘗,雖殊方偏國,非齊土之所產育者,無不必致之,猶藩牆之物也。及其游也,雖山川阻險,塗逕修遠,無不必之,猶人之行咫步也。賓客在庭者日百住,庖廚之下不絕煙火,堂廡之上不絕聲樂。奉養之餘,先散之宗族;宗族之餘,次散之邑里;邑里之餘,乃散之一國。行年六十,氣幹將衰,棄其家事,都散其庫藏、珍寶、車服、妾媵。一年之中盡焉,不爲子孫留財。及其病也,無藥石之儲;及其死也,無瘞埋之資。一國之人受其施者,相與賦而藏之,反其子孫之財焉。禽骨釐聞之,曰:「端木叔,狂人也,辱其祖矣。」段干生聞之,曰:「端木叔,達人也,德過其祖矣。其所行也,其所爲也,衆意所驚,而誠理所取。衛之君子多以禮教自持,固未足以得此人之心也。」

衛の端木叔は、子貢の後の世の者である。その先の財に藉って、家に万金を累ねた。世の事を治めず、意を好むところに放った。生きた人のしたいと欲すること、人の意が玩びたいと欲することは、しないものがなく、玩ばないものがなかった。

牆や屋、台や榭、園や囿、池や沼、飲食、車や服、声や楽、嬪や御は、斉や楚の君に擬えるほどであった。その情が好みたいと欲するもの、耳が聴きたいと欲するもの、目が視たいと欲するもの、口が嘗めたいと欲するものは、たとえ遠い方や偏った国のもので、斉の土の産み育てたものでなくても、必ず致さないものがなく、垣の内の物のようであった。遊ぶときも、山や川が阻み険しく、道のりが長く遠くても、必ず行かないところがなく、人が咫や歩を行くようであった。

庭にいる賓客は日ごとに百を越え、庖や厨の下には煙と火が絶えず、堂や廡の上には声と楽が絶えなかった。

奉り養って余ったものは、まず宗族に散じ、宗族に散じて余ったものは、次に邑や里に散じ、邑や里に散じて余ったものは、そこで一国に散じた。

年六十になり、気と幹が衰えようとすると、その家の事を棄て、その庫に蔵めたもの、珍宝、車や服、妾や媵をみな散じた。一年のうちに尽き、子孫に財を留めなかった。

彼が病んだときには薬や石を蓄えるものがなく、彼が死んだときには埋める資がなかった。一国の人でその施しを受けた者たちが、互いに賦を出して彼を葬り、その子孫に財を返した。

禽骨釐がこれを聞いて言った。「端木叔は狂った人だ。その祖を辱めた。」

段干生がこれを聞いて言った。「端木叔は達した人だ。徳はその祖に勝った。彼の行ったこと、彼の為したことは、衆の意の驚くところであるが、まことの理の取るところである。衛の君子は多く礼の教えでみずからを持しているが、もとよりこの人の心を得るには足りない。」

夾注 1

禽骨釐

底本は「禽骨釐」と記すが、さきに出た禽滑釐と同じ人である。― 訳者

孟孫陽問楊朱曰:「有人於此,貴生愛身,以蘄不死,可乎?」曰:「理無不死。」「以蘄久生,可乎?」曰:「理無久生。生非貴之所能存,身非愛之所能厚。且久生奚爲?五情好惡,古猶今也;四體安危,古猶今也;世事苦樂,古猶今也;變易治亂,古猶今也。既聞之矣,既見之矣,既更之矣,百年猶厭其多,況久生之苦也乎?」孟孫陽曰:「若然,速亡愈於久生,則踐鋒刃,入湯火,得所志矣。」楊子曰:「不然。既生,則廢而任之,究其所欲,以俟於死。將死,則廢而任之,究其所之,以放於盡。無不廢,無不任,何遽遲速於其閒乎?」

孟孫陽が楊朱に問うた。「ここに人がいて、生を貴び身を愛して、死なないことを祈るとすれば、それでよいでしょうか。」

言った。「理に、死なないということはない。」

「久しく生きることを祈るとすれば、よいでしょうか。」

言った。

「理に、久しく生きるということはない。生は貴ぶことで存たせられるものではなく、身は愛することで厚くできるものではない。

また、久しく生きて何になろうか。五つの情の好み悪むことは、昔も今と同じである。四肢の安らかさ危うさも、昔も今と同じである。世の事の苦しみ楽しみも、昔も今と同じである。変わり易わり治まり乱れることも、昔も今と同じである。すでにそれを聞き、すでにそれを見、すでにそれを経てきた。百年でさえその多さを厭うのに、まして久しく生きることの苦しみはどうであろうか。」

孟孫陽が言った。「そうであるなら、速く亡びるほうが久しく生きるより勝るので、鋒や刃を踏み、湯や火に入れば、志すところを得られるのですね。」

楊子が言った。「そうではない。すでに生きているなら、放って任せ、その欲するところを究めて、死を俟つ。死もうとするなら、放って任せ、その往くところを究めて、尽きるにまかせる。放たないものがなく、任せないものがない。どうしてそのあいだで遅いか速いかを急ぐのか。」

楊朱曰:「伯成子高不以一毫利物,舍國而隱耕。大禹不以一身自利,一體偏枯。古之人損一毫利天下不與也,悉天下奉一身不取也。人人不損一毫,人人不利天下,天下治矣。」禽子問楊朱曰:「去子體之一毛以濟一世,汝爲之乎?」楊子曰:「世固非一毛之所濟。」禽子曰:「假濟,爲之乎?」楊子弗應。禽子出語孟孫陽。孟孫陽曰:「子不達夫子之心,吾請言之。有侵若肌膚獲萬金者,若爲之乎?」曰:「爲之。」孟孫陽曰:「有斷若一節得一國,子爲之乎?」禽子默然有閒。孟孫陽曰:「一毛微於肌膚,肌膚微於一節,省矣。然則積一毛以成肌膚,積肌膚以成一節。一毛固一體萬分中之一物,奈何輕之乎?」禽子曰:「吾不能所以答子。然則以子之言問老聃、關尹,則子言當矣;以吾言問大禹、墨翟,則吾言當矣。」孟孫陽因顧與其徒說他事。

楊朱が言った。「伯成子高は毛一本でも物を利することをせず、国を捨てて隠れて耕した。大禹は一身をもってみずからを利することをせず、体の半ばが枯れた。昔の人は、毛一本を損ねて天下を利することにも与せず、天下をことごとく挙げて一身に奉ることも取らなかった。人々が毛一本も損ねず、人々が天下を利そうとしなければ、天下は治まる。」

禽子が楊朱に問うた。「あなたの体の毛一本を去って一世を済うなら、あなたはそれをするか。」

楊子が言った。「世はもとより毛一本で済えるものではない。」

禽子が言った。「かりに済えるとしたら、それをするか。」

楊子は応えなかった。

禽子が出て孟孫陽に語った。孟孫陽が言った。

「あなたは先生の心に達していない。私が言ってみよう。あなたの肌膚を侵して万金を得られるなら、あなたはそれをするか。」

言った。「する。」

孟孫陽が言った。「あなたの一節を断って一国を得られるなら、あなたはそれをするか。」

禽子は黙ってしばらくあった。

孟孫陽が言った。「毛一本は肌膚より微かであり、肌膚は一節より微かである。それははっきりしている。しかし毛一本が積もって肌膚を成し、肌膚が積もって一節を成す。毛一本はもとより一つの体の万分のうちの一つの物である。どうしてそれを軽んじるのか。」

禽子が言った。「私はあなたに答えるすべを知らない。しかし、あなたの言葉を老聃や関尹に問えば、あなたの言葉が当たっているだろう。私の言葉を大禹や墨翟に問えば、私の言葉が当たっているだろう。」

孟孫陽はそこで、その徒を顧みて別の事を話した。

楊朱曰:「天下之美歸之舜、禹、周、孔,天下之惡歸之桀、紂。然而舜耕於河陽,陶於雷澤,四體不得暫安,口腹不得美厚;父母之所不愛,弟妹之所不親。行年三十,不告而娶。及受堯之禪,年已長,智已衰。商鈞不才,禪位於禹,戚戚然以至於死。此天人之窮毒者也。鮌治水土,績用不就,殛諸羽山。禹纂業事讐,惟荒土功,子產不字,過門不入;身體偏枯,手足胼胝。及受舜禪,卑宮室,美紱冕,戚戚然以至於死。此天人之憂苦者也。武王既終,成王幼弱,周公攝天子之政。邵公不悅,四國流言。居東三年,誅兄放弟,僅免其身,戚戚然以至於死。此天人之危懼者也。孔子明帝王之道,應時君之聘,伐樹於宋,削迹於衛,窮於商周,圍於陳蔡,受屈於季氏,見辱於陽虎,戚戚然以至於死。此天民之遑遽者也。凡彼四聖者,生無一日之歡,死有萬世之名。名者,固非實之所取也。雖稱之弗知,雖賞之不知,與株塊無以異矣。桀藉累世之資,居南面之尊,智足以距羣下,威足以震海內;恣耳目之所娛,窮意慮之所爲,熙熙然以至於死。此天民之逸蕩者也。紂亦藉累世之資,居南面之尊;威無不行,志無不從;肆情於傾宮,縱欲於長夜;不以禮義自苦,熙熙然以至於誅。此天民之放縱者也。彼二凶也,生有從欲之歡,死被愚暴之名。實者,固非名之所與也。雖毀之不知,雖稱之弗知,此與株塊奚以異矣?彼四聖雖美之所歸,苦以至終,同歸於死矣。彼二凶雖惡之所歸,樂以至終,亦同歸於死矣。」

楊朱が言った。

「天下の美しさは舜と禹と周公と孔子に帰され、天下の悪しさは桀と紂に帰される。

しかし舜は河陽で耕し、雷沢で陶を焼き、四肢は暫くも安らげず、口と腹は美しく厚いものを得られなかった。父母に愛されず、弟や妹に親しまれなかった。年三十になって、告げずに娶った。堯の禅りを受けたときには年はすでに長け、智はすでに衰えていた。商鈞は才がなく、位を禹に禅り、戚々として死に至った。これは天のもとの人で窮まり毒しんだ者である。

鮌は水と土を治めたが、績も用も就らず、羽山で殛された。禹はその業を纂いで讐に事え、ただ土の功に荒み、子が生まれても字わず、門を過ぎても入らなかった。身体は半ば枯れ、手足は胼れ胝んだ。舜の禅りを受けると、宮室を卑しくし、紱と冕を美しくして、戚々として死に至った。これは天のもとの人で憂え苦しんだ者である。

武王が終わると、成王は幼く弱く、周公が天子の政を摂った。邵公は悦ばず、四つの国に流言があった。東に居ること三年、兄を誅し弟を放ち、やっとその身を免れて、戚々として死に至った。これは天のもとの人で危ぶみ懼れた者である。

孔子は帝王の道を明らかにし、その時の君たちの招きに応じたが、宋で樹を伐られ、衛で迹を削られ、商や周で窮まり、陳や蔡で囲まれ、季氏に屈を受け、陽虎に辱めを見て、戚々として死に至った。これは天のもとの民であたふたとした者である。

およそあの四人の聖は、生きて一日の歓びもなく、死して万世の名がある。名とは、もとより実の取るところではない。讃えられても知らず、賞されても知らず、株や塊と異なるところがない。

桀は累なる世の資に藉り、南面する尊い位に居て、智は群下を距ぐに足り、威は海内を震わすに足りた。耳や目の娯しむところに恣い、意や慮りの為すところを窮め、熙々として死に至った。これは天のもとの民で逸れ蕩れた者である。

紂もまた累なる世の資に藉り、南面する尊い位に居て、威は行われないところがなく、志は従われないところがなかった。傾宮に情を肆い、長い夜に欲を縦にし、礼や義でみずからを苦しめず、熙々として誅されるに至った。これは天のもとの民で放ち縦にした者である。

あの二人の凶は、生きて欲に従う歓びがあり、死して愚かで暴しいという名を被った。実とは、もとより名の与えるところではない。毀られても知らず、讃えられても知らず、これも株や塊と何が異なろうか。

あの四人の聖は、美しさの帰するところではあるが、苦しみのまま終わりに至り、ともに死に帰した。あの二人の凶は、悪しさの帰するところではあるが、楽しみのまま終わりに至り、これもともに死に帰した。」

楊朱見梁王,言治天下如運諸掌。梁王曰:「先生有一妻一妾而不能治,三畝之園而不能芸,而言治天下如運諸掌,何也?」對曰:「君見其牧羊者乎?百羊而羣,使五尺童子荷箠而隨之,欲東而東,欲西而西。使堯牽一羊,舜荷箠而隨之,則不能前矣。且臣聞之:吞舟之魚,不游枝流;鴻鵠高飛,不集汙池。何則?其極遠也。黃鐘大呂,不可從煩奏之舞。何則?其音疏也。將治大者不治細,成大功者不成小,此之謂矣。」

楊朱が梁の王に会い、天下を治めることは掌のうちで運らすようなものだと言った。

梁の王が言った。「先生は一人の妻と一人の妾を治めることもできず、三畝の園を芸ることもできないのに、天下を治めることは掌のうちで運らすようだと言う。どういうことか。」

答えて言った。

「君はあの羊を牧う者をご覧になりましたか。百頭の羊が群れているのに、五尺の童子に箠を担わせて従わせれば、東に行かせたければ東へ、西に行かせたければ西へ行きます。堯に一頭の羊を牽かせ、舜に箠を担わせて従わせたなら、前に進ませることもできません。

また臣が聞くに、舟を呑むほどの魚は枝の流れに遊ばず、鴻や鵠は高く飛んで汚れた池に集まらないといいます。なぜでしょうか。その極みが遠いからです。

黄鐘や大呂は、煩わしく奏する舞に従わせることができません。なぜでしょうか。その音が疏いからです。

大きなものを治めようとする者は細かなものを治めず、大きな功を成す者は小さなものを成さないというのが、これを言うのです。」

楊朱曰:「太古之事滅矣,孰誌之哉?三皇之事若存若亡,五帝之事若覺若夢,三王之事或隱或顯,億不識一。當身之事或聞或見,萬不識一。目前之事或存或廢,千不識一。太古至于今日,年數固不可勝紀。但伏羲已來三十餘萬歲,賢愚、好醜,成敗、是非,無不消滅,但遲速之間耳。矜一時之毀譽,以焦苦其神形,要死後數百年中餘名,豈足潤枯骨?何生之樂哉?」

楊朱が言った。

「遠い昔の事は滅びた。誰がそれを誌したろうか。三皇の事は存るようで亡いようであり、五帝の事は覚めているようで夢のようであり、三王の事は隠れるものも顕れるものもあって、億に一つも識られない。この身の事は聞くものも見るものもあって、万に一つも識られない。目の前の事は存るものも廃れるものもあって、千に一つも識られない。

遠い昔から今日まで、流れた年数はもとより数え尽くせない。ただ伏羲以来三十余万年、賢と愚、好と醜、成と敗、是と非は、消え滅びないものがない。ただ遅いか速いかの違いだけである。

一時の毀りや誉れを誇って、その神と形を焦がし苦しめ、死後の数百年のうちの余る名を求めても、どうして枯れた骨を潤せようか。何の生の楽しみがあろうか。」

楊朱曰:「人肖天地之類,懷五常之性,有生之最靈者也。人者,爪牙不足以供守衛,肌膚不足以自捍禦,趨走不足以從利逃害,無毛羽以禦寒暑,必將資物以爲養,任智而不恃力。故智之所貴,存我爲貴;力之所賤,侵物爲賤。然身非我有也,既生,不得不全之;物非我有也,既有,不得而去之。身固生之主,物亦養之主。雖全生,不可有其身;雖不去物,不可有其物。有其物,有其身,是橫私天下之身,橫私天下之物。不橫私天下之身,不橫私天下物者,其唯聖人乎!公天下之身,公天下之物,其唯至人矣!此之謂至至者也。」

楊朱が言った。

「人は天地の類に肖り、五常の性を懐いて、生あるもののうちで最も霊いものである。

人というものは、爪や牙は守り衛るに足らず、肌や膚はみずから捍ぎ禦ぐに足らず、趨り走ることは利を追い害を逃れるに足らず、寒さや暑さを禦ぐ毛も羽もない。必ず物に資って養いとし、智に任せて力を恃まない。

だから智の貴いところは、我を存たせることが貴いのであり、力の賤しいところは、物を侵すことが賤しいのである。

しかし身は我が有つものではないので、すでに生きているなら、全くせずにいられない。物は我が有つものではないので、すでに有るなら、去ることができない。身はもとより生の主であり、物もまた養いの主である。

たとえ生を全くしても、その身を有つことはできず、たとえ物を去らなくても、その物を有つことはできない。その物を有ち、その身を有つのは、天下の身をみだりに私し、天下の物をみだりに私することである。

天下の身をみだりに私さず、天下の物をみだりに私さない者は、ただ聖人であろう。天下の身を公にし、天下の物を公にする者は、ただ至りの人であろう。これを、至りのなかの至りというのである。」

楊朱曰:「生民之不得休息,爲四事故:一爲壽,二爲名,三爲位,四爲貨。有此四者,畏鬼,畏人,畏威,畏刑。此謂之遁民也。可殺可活,制命在外。不逆命,何羨壽?不矜貴,何羨名?不要勢,何羨位?不貪富,何羨貨?此之謂順民也。天下無對,制命在內。故語有之曰:人不婚宦,情欲失半;人不衣食,君臣道息。周諺曰:『田父可坐殺。』晨出夜入,自以性之恆;啜菽茹藿,自以味之極;肌肉麤厚,筋節𦝘急,一朝處以柔毛綈幕,薦以粱肉蘭橘,心㾓體煩,內熱生病矣。商魯之君與田父侔地,則亦不盈一時而憊矣。故野人之所安,野人之所美,謂天下無過者。昔者宋國有田夫,常衣縕黂,僅以過冬。暨春東作,自曝於日,不知天下之有廣廈隩室,綿纊狐貉。顧謂其妻曰:『負日之暄,人莫知者。以獻吾君,將有重賞。』里之富室告之曰:『昔人有美戎菽、甘枲莖芹萍子者,對鄉豪稱之。鄉豪取而嘗之,蜇於口,慘於腹,衆哂而怨之。其人大慙。子此類也。』」

楊朱が言った。

「生きた人が休み息めないのは、四つの事のためである。一に寿、二に名、三に位、四に貨である。この四つがあると、鬼を畏れ、人を畏れ、威を畏れ、刑を畏れる。これを遁れる民という。殺されることも生かされることもあり、命を制するものが外にある。

命に逆らわなければ、どうして寿を羨もうか。貴さを誇らなければ、どうして名を羨もうか。勢を求めなければ、どうして位を羨もうか。富を貪らなければ、どうして貨を羨もうか。これを順う民という。天下に対するものがなく、命を制するものが内にある。

だから言葉にこうある。人が婚い宦えなければ、情と欲は半ば失われる。人が衣て食わなければ、君臣の道は息む。

周の諺に『田を作る老人は、座らせておけば死ぬ』とある。明け方に出て夜に入ることをみずから性の常と思い、豆を啜り藿を茹でることをみずから味の極みと思い、肌や肉は粗く厚く、筋や節は強く急である。それを一朝にして柔らかな毛皮と絹の幕に置き、粱や肉、蘭や橘を薦めれば、心は痛み体は煩わしく、内が熱して病を生ずる。商や魯の君を田を作る老人と同じ地に置けば、やはり一時も満たないうちに疲れ果てるだろう。

だから野の人が安らかと思うところ、野の人が美しいと思うところを、天下にこれに勝るものはないというのである。

昔、宋の国に田を作る男がいて、つねに麻の古綿の衣を着て、やっと冬を越していた。春になって東の作りに出たとき、みずから日に曝されて、天下に広い廈や奥まった室、綿や纊、狐や貉のあることを知らなかった。

妻を顧みて言った。『日を背に負う温かさを、知る者がいない。これを我が君に献じたら、重い賞があるだろう。』

里の富んだ家の者が彼に告げた。『昔の人に、戎菽を美味いとし、枲の茎や芹や萍の子を甘いとして、郷の豪に向かってそれを讃えた者がいた。郷の豪が取って嘗めてみると、口を蜇し腹を慘ませたので、人々は嘲って彼を怨んだ。その人は大いに慙じた。あなたはその類だ。』」

楊朱曰:「豐屋、美服、厚味、姣色,有此四者,何求於外?有此而求外者,無厭之性。無厭之性,陰陽之蠹也。忠不足以安君,適足以危身;義不足以利物,適足以害生。安上不由於忠,而忠名滅焉;利物不由於義,而義名絕焉。君臣皆安,物我兼利,古之道也。鬻子曰:『去名者無憂。』老子曰:『名者實之賓。』而悠悠者趨名不已。名固不可去,名固不可賓邪?今有名則尊榮,亡名則卑辱;尊榮則逸樂,卑辱則憂苦。憂苦,犯性者也;逸樂,順性者也。斯實之所係矣。名胡可去?名胡可賓?但惡夫守名而累實。守名而累實,將恤危亡之不救,豈徒逸樂憂苦之間哉?」

楊朱が言った。

「豊かな家、美しい服、厚い味、姣しい色、この四つがあれば、何を外に求めようか。これがありながら外に求める者は、飽きることのない性である。飽きることのない性は、陰陽の蠹である。

忠は君を安んじるに足らず、身を危うくするにちょうど足りる。義は物を利するに足らず、生を害するにちょうど足りる。上を安んじることが忠によらなければ、忠の名は滅びる。物を利することが義によらなければ、義の名は絶える。君と臣がともに安らかで、物と我がともに利されるのが、昔の道である。

鬻子が『名を去る者は憂いがない』と言い、老子が『名は実の賓である』と言った。それなのに、悠々たる者たちは名に趨ってやまない。

名はもとより去れないものなのか。名はもとより賓とできないものなのか。いま名があれば尊く栄え、名がなければ卑しく辱められる。尊く栄えれば安らぎ楽しみ、卑しく辱められれば憂え苦しむ。憂え苦しむのは性を犯すものであり、安らぎ楽しむのは性に順うものである。これが実の係るところである。

名をどうして去れようか。名をどうして賓とできようか。ただ、名を守って実を累わせることが悪いのである。名を守って実を累わせれば、危うく亡ぶことの救えないのを恤えることになる。どうして安らぎ楽しむか憂え苦しむかというだけのことであろうか。」