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説符說符篇

列子(列禦寇の書) 列子 · 列禦寇の名で伝わる · 今の版本は4世紀頃 · 段落 34 · 漢字 5,051字 · 朗読 20.2分

列子(列禦寇の書) 說符篇 道徳経・荘子とともに道家の三書に数えられるが、読む味わいがかなり違う。論じるよりも話を聞かせ、その話が後の世に言葉となって残った。天が崩れるのではないかと眠れなかった杞の国の人(杞憂)、山を移すと言って子孫を数えた愚公(愚公移山)、どんぐりを朝に三つ夕に四つ与えると怒った猿たち(朝三暮四)、琴の音から泰山と川の流れを聞き分けた鍾子期(知音)はみなこの書から出た。 八編の肌合いがそれぞれ違う。天瑞・黄帝は生まれることと変わることを説き、周穆王は夢と目覚めの境を揺さぶり、湯問はこの書架で最も大きな想像を広げる — 底のない谷の帰墟と五つの山を背に負って立つ大亀、人とまったく同じに歩き歌い、割って見れば革と木であった偃師の人形。力命は力と命を向かい合わせて争わせ、楊朱は「我が身の毛一本で天下を利することはしない」という言葉が出たところであり、説符は短い話三十四片で締めくくる。

子列子學於壺丘子林。壺丘子林曰:「子知持後,則可言持身矣。」列子曰:「願聞持後。」曰:「顧若影,則知之。」列子顧而觀影,形枉則影曲,形直則影正。然則枉直隨形而不在影,屈申任物而不在我。此之謂持後而處先。關尹謂子列子曰:「言美則響美,言惡則響惡;身長則影長,身短則影短。名也者,響也;身也者,影也。故曰:慎爾言,將有和之;慎爾行,將有隨之。是故聖人見出以知入,觀往以知來,此其所以先知之理也。度在身,稽在人。人愛我,我必愛之;人惡我,我必惡之。湯武愛天下,故王;桀紂惡天下,故亡,此所稽也。稽度皆明而不道也,譬之出不由門,行不從徑也。以是求利,不亦難乎?嘗觀之神農有炎之德,稽之虞、夏、商、周之書,度諸法士賢人之言,所以存亡廢興而非由此道者,未之有也。」嚴恢曰:「所爲問道者爲富。今得珠亦富矣,安用道?」子列子曰:「桀紂唯重利而輕道,是以亡。幸哉余未汝語也。人而無義,唯食而已,是雞狗也。彊食靡角,勝者爲制,是禽獸也。爲雞狗禽獸矣,而欲人之尊己,不可得也。人不尊己,則危辱及之矣。」

子列子が壺丘子林に学んだ。壺丘子林が言った。「あなたが後ろに立つことを知れば、身を持つことを語ることができる。」

列子が言った。「後ろに立つことを聞きたいものです。」

言った。「お前の影を顧みれば、それが分かる。」

列子が顧みて影を観ると、形が枉がれば影も曲がり、形が直ければ影も正しかった。それならば、枉がるか直いかは形に随うもので影にあるのではなく、屈むか申びるかは物に任せるもので我にあるのではない。これを、後ろに立ちながら先に処るというのである。

関尹が子列子に言った。

「言葉が美しければ響きも美しく、言葉が悪ければ響きも悪い。身が長ければ影も長く、身が短ければ影も短い。名とは響きであり、身とは影である。

だから言う。お前の言葉を慎め、それに和する者があるだろう。お前の行いを慎め、それに随う者があるだろう。

それゆえ聖人は、出るものを見て入るものを知り、往くものを観て来るものを知る。これが先に知る理である。

度は我が身にあり、稽えは人にある。人が我を愛せば、我も必ず愛する。人が我を悪めば、我も必ず悪む。湯と武は天下を愛したので王となり、桀と紂は天下を悪んだので亡んだ。これが稽えるところである。

稽えも度もともに明らかでありながら道によらないのは、出るのに門によらず、行くのに径に従わないのに譬えられる。それで利を求めるのは、難しくないだろうか。

かつて神農や有炎の徳を観、虞・夏・商・周の書に稽え、法を守る士や賢人の言葉に度ってみたが、存亡や廃興でこの道によらなかったものは、いまだなかった。」

厳恢が言った。「道を問うのは富むためだ。いま珠を得ても富めるのだから、道を何に用いるのか。」

子列子が言った。「桀と紂はただ利を重んじて道を軽んじたので、亡んだ。幸いだな、私がまだお前に語っていなかったのは。人であって義がなく、ただ食うだけなら、それは鶏や犬である。しいて食い、角を突き合わせ、勝った者が制するなら、それは禽獣である。鶏や犬や禽獣となっていながら、人に自分を尊ばれようとしても、得られはしない。人が自分を尊ばなければ、危うさと辱めが及ぶのだ。」

列子學射,中矣,請於關尹子。尹子曰:「子知子之所以中者乎?」對曰:「弗知也。」關尹子曰:「未可。」退而習之。三年,又以報關尹子。尹子曰:「子知子之所以中乎?」列子曰:「知之矣。」關尹子曰:「可矣,守而勿失也。非獨射也,爲國與身亦皆如之。故聖人不察存亡而察其所以然。」

列子が射を学び、的に中ててから、関尹子に問うた。

尹子が言った。「あなたは、あなたが中った理由を知っているか。」

答えた。「知りません。」

関尹子が言った。「まだいけない。」

退いて習った。三年して、また関尹子に報じた。尹子が言った。「あなたは、あなたが中る理由を知っているか。」

列子が言った。「知っています。」

関尹子が言った。「よろしい。守って失うな。ただ射だけではない。国を為すことも身を為すことも、みなこれと同じである。だから聖人は存亡を察せず、そうである理由を察するのだ。」

列子曰:「色盛者驕,力盛者奮,未可以語道也。故不班白語道,失,而況行之乎?故自奮則人莫之告。人莫之告,則孤而無輔矣。賢者任人,故年老而不衰,智盡而不亂。故治國之難在於知賢而不在自賢。」

列子が言った。「血気の盛んな者は驕り、力の盛んな者は奮る。ともに道を語ることはできない。だから髪が白くならないうちは、道を語っても外れる。まして道を行うことはなおさらだ。だからみずから奮る者には、人が告げない。人が告げなければ、孤りになって輔けがない。賢い者は人に任せるので、年老いても衰えず、智が尽きても乱れない。だから国を治めることの難しさは、賢を知ることにあって、みずから賢とすることにあるのではない。」

宋人有爲其君以玉爲楮葉者,三年而成。鋒殺莖柯,毫芒繁澤,亂之楮葉中而不可別也。此人遂以巧食宋國。子列子聞之,曰:「使天地之生物,三年而成一葉,則物之有葉者寡矣。故聖人恃道化而不恃智巧。」

宋の人で、その君のために玉で楮の葉を作る者があった。三年でそれを成した。先と刃、茎と枝、毛のような芒まで繁り潤い、楮の葉のなかに混ぜても見分けられなかった。この人はそこで巧みによって宋の国に食んだ。

子列子がこれを聞いて言った。「天地が物を生むのに、三年で一枚の葉を成すのなら、葉のある物は少ないだろう。だから聖人は道の化に恃み、智や巧みに恃まないのだ。」

子列子窮,容貌有饑色。客有言之鄭子陽者曰:「列禦寇蓋有道之士也,居君之國而窮,君無乃爲不好士乎?」鄭子陽即令官遺之粟。子列子出見使者,再拜而辭。使者去。子列子入,其妻望之而拊心曰:「妾聞爲有道者之妻子皆得佚樂。今有饑色,君過而遺先生食。先生不受,豈不命也哉?」子列子笑謂之曰:「君非自知我也。以人之言而遺我粟,至其罪我也,又且以人之言,此吾所以不受也。」其卒,民果作難而殺子陽。

子列子が窮まり、顔つきに飢えた色があった。ある客が鄭の子陽に言った。「列禦寇はおそらく道ある士です。君の国に住んで窮まっているのは、君が士を好まないということにならないでしょうか。」

鄭の子陽はただちに官に命じて彼に粟を遣った。子列子は出て使者に会い、再拝して辞した。使者は去った。

子列子が入ると、その妻は彼を望んで胸を拊って言った。「私が聞くに、道ある者の妻子はみな安らぎ楽しむといいます。いま飢えた色があり、君が立ち寄って先生に食を遣られたのに、先生は受けない。これが命でないとでもいうのですか。」

子列子は笑って言った。「君はみずから私を知ったのではない。人の言葉で私に粟を遣ったのだから、私を罪するときも、また人の言葉によるだろう。これが私の受けなかった理由だ。」

その果てに、民は果たして難を起こして子陽を殺した。

魯施氏有二子,其一好學,其一好兵。好學者以術干齊侯,齊侯納之,以爲諸公子之傅。好兵者之楚,以法干楚王,王悅之,以爲軍正。祿富其家,爵榮其親。施氏之鄰人孟氏同有二子,所業亦同,而窘於貧。羨施氏之有,因從請進趨之方。二子以實告孟氏。孟氏之一子之秦,以術干秦王。秦王曰:「當今諸侯力爭,所務兵食而已。若用仁義治吾國,是滅亡之道。」遂宮而放之。其一子之衛,以法干衛侯,衛侯曰:「吾弱國也,而攝乎大國之間。大國吾事之,小國吾撫之,是求安之道。若賴兵權,滅亡可待矣。若全而歸之,適於他國,爲吾之患不輕矣。」遂刖之,而還諸魯。既反,孟氏之父子叩胸而讓施氏。施氏曰:「凡得時者昌,失時者亡。子道與吾同,而功與吾異,失時者也,非行之謬也。且天下理無常是,事無常非。先日所用,今或棄之;今之所棄,後或用之。此用與不用,無定是非也。投隙抵時,應事無方,屬乎智。智苟不足,使若博如孔丘,術如呂尚,焉往而不窮哉?」孟氏父子舍然無慍容,曰:「吾知之矣。子勿重言!」

魯の施氏に二人の子があり、一人は学を好み、一人は兵を好んだ。学を好む者はその術で斉の侯に干め、斉の侯は彼を納れて、諸公子の傅とした。兵を好む者は楚へ行き、その法で楚の王に干め、王は彼を悦んで、軍正とした。禄はその家を富ませ、爵はその親を栄やした。

施氏の隣人の孟氏にも同じく二人の子があり、業とするところも同じであったが、貧しさに窘しんでいた。施氏の持つものを羨み、そこで進み趨る方を請い従った。二人の子はありのままを孟氏に告げた。

孟氏の一人の子は秦へ行き、その術で秦の王に干めた。秦の王が言った。「いま諸侯は力で争っており、務めるところは兵と食だけだ。もし仁義でわが国を治めるなら、それは滅亡の道である。」そこで宮して彼を放した。

もう一人の子は衛へ行き、その法で衛の侯に干めた。衛の侯が言った。「わが国は弱い国であり、大国のあいだに挟まれている。大国には事え、小国は撫でる。これが安らぎを求める道である。もし兵の権に頼れば、滅亡を待つばかりだ。もし彼を全きまま帰して他の国へ行かせれば、わが患いは軽くない。」そこで刖して、魯に還した。

帰ってくると、孟氏の父子は胸を叩いて施氏を責めた。施氏が言った。

「およそ時を得た者は昌え、時を失った者は亡びる。あなたたちの道は我らと同じなのに、功が我らと異なるのは、時を失ったからであって、行いの誤りではない。

それに天下の理に、つねに是であるものはなく、事に、つねに非であるものはない。先の日に用いたものを、いまは棄てることもあり、いま棄てるものを、後には用いることもある。この用いるか用いないかには、定まった是非がない。

隙に投じ時に抵り、事に応じるのに定まった方がないのは、智に属する。智がまことに足りなければ、たとえあなたたちが孔丘ほど博く、呂尚ほど術があっても、どこへ行って窮まらずにいられようか。」

孟氏の父子はさっぱりと怒った顔を解いて言った。「我らは分かった。あなたは重ねて言わないでほしい。」

晉文公出會,欲伐衛,公子鋤仰天而笑。公問:「何笑?」曰:「臣笑鄰之人有送其妻適私家者,道見桑婦,悅而與言。然顧視其妻,亦有招之者矣。臣竊笑此也。」公寤其言,乃止,引師而還。未至,而有伐其北鄙者矣。

晋の文公が出て会を開き、衛を伐とうとした。公子鋤が天を仰いで笑った。

公が問うた。「何を笑うのか。」

言った。「臣は、隣の人がその妻を実家に送る途中、道で桑を摘む女を見て、悦んで言葉をかけたのを笑うのです。しかし振り返ってその妻を見ると、妻にも彼女を招く者がありました。臣はこれをこっそり笑ったのです。」

公はその言葉に寤め、そこでやめて、師を引いて還った。至らないうちに、その北の鄙を伐つ者があった。

晉國苦盜。有郄雍者,能視盜之貌,察其眉睫之間,而得其情。晉侯使視盜,千百無遺一焉。晉侯大喜,告趙文子曰:「吾得一人,而一國之盜爲盡矣,奚用多爲?」文子曰:「吾君恃伺察而得盜,盜不盡矣,且郄雍必不得其死焉。」俄而羣盜謀曰:「吾所窮者郄雍也。」遂共盜而殘之。晉侯聞而大駭,立召文子而告之曰:「果如子言,郄雍死矣!然取盜何方?」文子曰:「周諺有言:察見淵魚者不祥,智料隱匿者有殃。且君欲無盜,莫若舉賢而任之,使教明於上,化行於下,民有恥心,則何盜之爲?」於是用隨會知政,而羣盜奔秦焉。

晋の国が盗に苦しんだ。郄雍という者があり、盗の貌を視て、その眉と睫のあいだを察して、その情を得ることができた。晋の侯が彼に盗を視させると、千でも百でも一つも遺さなかった。

晋の侯は大いに喜び、趙文子に告げて言った。「私は一人を得て、一国の盗は尽きた。多くを用いて何になろうか。」

文子が言った。「我が君が伺い察ることに恃んで盗を得られるなら、盗は尽きません。そして郄雍は必ずその死を全うできないでしょう。」

ほどなく盗の群れが謀って言った。「我らを窮まらせるのは郄雍だ。」そこでともに襲って彼を殘した。

晋の侯は聞いて大いに駭き、ただちに文子を召して告げた。「果たしてあなたの言葉のとおり、郄雍は死んだ。それでは盗を取るにはどんな方があるのか。」

文子が言った。「周の諺に言葉があります。淵の魚を察し見る者は祥くなく、智で隠れ匿れたものを料る者は殃いがあると。それに君が盗をなくそうとされるなら、賢を挙げて任せ、教えが上で明らかになり、化が下に行われ、民に恥じる心があるようにするに及びません。そうなれば、何の盗がありましょうか。」

そこで随会を用いて政を知らせると、盗の群れは秦へ奔った。

孔子自衛反魯,息駕乎河梁而觀焉。有懸水三十仞,圜流九十里,魚鼈弗能游,黿鼉弗能居,有一丈夫方將厲之。孔子使人並涯止之,曰:「此懸水三十仞,圜流九十里,魚鼈弗能游,黿鼉弗能居也。意者難可以濟乎?」丈夫不以錯意,遂度而出。孔子問之曰:「巧乎?有道術乎?所以能入而出者,何也?」丈夫對曰:「始吾之入也,先以忠信;及吾之出也,又從以忠信。忠信錯吾軀於波流,而吾不敢用私,所以能入而復出者,以此也。」孔子謂弟子曰:「二三子識之!水且猶可以忠信誠身親之,而況人乎?」

孔子が衛から魯に帰る途中、河の梁で駕を息めて眺めていた。懸かる水が三十仞、圜りめぐる流れが九十里あり、魚や鼈も泳げず、黿や鼉も居られないところを、一人の男がまさに渉ろうとしていた。

孔子は人をやって岸に沿って止めさせた。「ここは懸かる水が三十仞、圜りめぐる流れが九十里で、魚や鼈も泳げず、黿や鼉も居られないところだ。思うに、渉るのは難しいのではないか。」

男は気にもかけず、そのまま渡って出てきた。

孔子が問うた。「巧みなのか。道や術があるのか。入って出られる理由は何なのか。」

男が答えた。「はじめ私が入るときには、まず忠と信によった。私が出るときにも、また忠と信に従った。忠と信が私の体を波の流れに置き、私は敢えて私を用いなかった。入ってまた出られたのは、これによるのだ。」

孔子が弟子に言った。「お前たち、これを識れ。水でさえ忠と信と誠の身で親しむことができるのだ。まして人はなおさらだ。」

白公問孔子曰:「人可與微言乎?」孔子不應。白公問曰:「若以石投水,何如?」孔子曰:「吳之善沒者能取之。」曰:「若以水投水,何如?」孔子曰:「淄澠之合,易牙嘗而知之。」白公曰:「人固不可與微言乎?」孔子曰:「何爲不可?唯知言之謂者乎!夫知言之謂者,不以言言也。爭魚者濡,逐獸者趨,非樂之也。故至言去言,至爲無爲。夫淺知之所爭者末矣。」白公不得已,遂死於浴室。

白公が孔子に問うた。「人とひそかに言葉を交わすことはできますか。」孔子は応えなかった。

白公が問うた。「石を水に投げるようにすれば、どうですか。」

孔子が言った。「呉のよく潜る者なら、それを取り出せる。」

言った。「水を水に注ぐようにすれば、どうですか。」

孔子が言った。「淄と澠の水を合わせても、易牙は嘗めてそれを知る。」

白公が言った。「人とは、まことにひそかに言葉を交わせないのですか。」

孔子が言った。「どうしてできないことがあろうか。ただ、言葉の意味を知る者であればだ。およそ言葉の意味を知る者は、言葉で言うのではない。魚を争う者は濡れ、獣を逐う者は走る。それを楽しんでいるのではない。だから至りの言葉は言葉を去り、至りの行いは行いがない。およそ浅い智が争うところは、末である。」

白公はやむをえず、ついに浴室で死んだ。

趙襄子使新穉穆子攻翟,勝之,取左人中人,使遽人來謁之。襄子方食而有憂色。左右曰:「一朝而兩城下,此人之所喜也;今君有憂色,何也?」襄子曰:「夫江河之大也,不過三日;飄風暴雨不終朝,日中不須臾。今趙氏之德行無所施於積,一朝而兩城下,亡其及我哉!」孔子聞之曰:「趙氏其昌乎!夫憂者所以爲昌也,喜者所以爲亡也。勝非其難者也,持之,其難者也。賢主以此持勝,故其福及後世。齊、楚、吳、越皆嘗勝矣,然卒取亡焉,不達乎持勝也。唯有道之主爲能持勝。」孔子之勁,能拓國門之關,而不肯以力聞。墨子爲守攻,公輸般服,而不肯以兵知。故善持勝者以彊爲弱。

趙襄子が新穉穆子に翟を攻めさせ、これに勝って、左人と中人を取り、早馬の使いを遣って報せた。襄子はちょうど食事をしていたが、憂いの色があった。

傍の者が言った。「一朝に二つの城が落ちたのは、人の喜ぶところです。いま君に憂いの色があるのは、どうしてですか。」

襄子が言った。「およそ江や河が大きく溢れても三日を越えず、飄る風や暴しい雨も朝を終えず、日が中天にあるのも須臾のことだ。いま趙氏の徳行は積むほどに施されていないのに、一朝に二つの城が落ちた。亡びが我に及ぶのではないか。」

孔子がこれを聞いて言った。「趙氏は昌えるだろう。およそ憂えることは昌える理由であり、喜ぶことは亡びる理由である。勝つことは難しいことではない。それを持つことが難しいことである。賢い主はこれによって勝ちを持つので、その福が後の世に及ぶ。斉も楚も呉も越も、みなかつて勝った。しかしついに亡びを取ったのは、勝ちを持つことに達していなかったからだ。ただ道ある主だけが勝ちを持つことができる。」

孔子の力は国の門の関を押し開くことができたが、力で名を知られることを肯わなかった。墨子は守りと攻めを為して公輸般を服させたが、兵で知られることを肯わなかった。だから勝ちを持つことの上手な者は、強をもって弱とするのである。

宋人有好行仁義者,三世不懈。家無故黑牛生白犢,以問孔子。孔子曰:「此吉祥也,以薦上帝。」居一年,其父無故而盲。其牛又復生白犢,其父又復令其子問孔子。其子曰:「前問之而失明,又何問乎?」父曰:「聖人之言先迕後合。其事未究,姑復問之。」其子又復問孔子。孔子曰:「吉祥也。」復教以祭。其子歸致命。其父曰:「行孔子之言也。」居一年,其子又無故而盲。其後楚攻宋,圍其城,民易子而食之,析骸而炊之;丁壯者皆乘城而戰,死者太半。此人以父子有疾皆免,及圍解而疾俱復。

宋の人で仁と義を行うことを好む者があり、三代にわたって怠らなかった。家の黒い牛が故なく白い犢を生んだので、それを孔子に問うた。孔子が言った。「これは吉祥である。上帝に薦めよ。」

一年して、その父が故なく盲いた。その牛がまた白い犢を生んだので、その父はまたその子に孔子に問わせようとした。

その子が言った。「前に問って盲いられたのに、また何を問うのですか。」

父が言った。「聖人の言葉は、先に迕い後に合う。その事はまだ究まっていない。ひとまずまた問え。」

その子はまた孔子に問うた。孔子が言った。「吉祥である。」また祭ることを教えた。その子は帰って言葉を伝えた。その父が言った。「孔子の言葉のとおりにせよ。」

一年して、その子もまた故なく盲いた。

その後、楚が宋を攻め、その城を囲んだ。民は子を取り替えて食べ、骸を析いて炊いた。丁壮の者はみな城に乗って戦い、死んだ者は大半であった。この人は父子ともに病があったので、どちらも免れ、囲みが解けると病もともに癒えた。

宋有蘭子者,以技干宋元,宋元召而使見。其技以雙枝,長倍其身,屬其踁,並趨並馳,弄七劍迭而躍之,五劍常在空中。元君大驚,立賜金帛。又有蘭子又能燕戲者,聞之,復以干元君。元君大怒曰:「昔有異技干寡人者,技無庸,適值寡人有歡心,故賜金帛。彼必聞此而進,復望吾賞。」拘而擬戮之,經月乃放。

宋に蘭子という者があり、技で宋の元君に干めたので、元君は召して見せさせた。その技は、身の丈の倍もある二本の枝を脛に属けて、並んで趨り並んで馳せ、七本の剣を弄んで次々に躍らせ、五本の剣はつねに空中にあるというものであった。元君は大いに驚き、ただちに金や帛を賜った。

また別の蘭子で燕のように戯れる技のある者がそれを聞き、あらためて元君に干めた。元君は大いに怒って言った。「さきに異な技で寡人に干めた者があったが、技は用に立たず、ちょうど寡人に歓ぶ心があったので、金や帛を賜ったのだ。あの者は必ずそれを聞いて進み出て、また我が賞を望んだのだ。」そこで拘えて誅そうとし、ひと月経ってようやく放した。

秦穆公謂伯樂曰:「子之年長矣,子姓有可使求馬者乎?」伯樂對曰:「良馬可形容筋骨相也。天下之馬者,若滅若沒,若亡若失,若此者絕塵弭𨅊。臣之子皆下才也,可告以良馬,不可告以天下之馬也。臣有所與共擔纆薪菜者,有九方皋,此其於馬非臣之下也。請見之。」穆公見之,使行求馬。三月而反報曰:「已得之矣,在沙丘。」穆公曰:「何馬也?」對曰:「牝而黃。」使人往取之,牡而驪。穆公不說,召伯樂而謂之曰:「敗矣,子所使求馬者!色物、牝牡尚弗能知,又何馬之能知也?」伯樂喟然太息曰:「一至於此乎!是乃其所以千萬臣而無數者也。若皋之所觀天機也,得其精而忘其麤,在其內而忘其外;見其所見,不見其所不見;視其所視,而遺其所不視。若皋之相者,乃有貴乎馬者也。」馬至,果天下之馬也。

秦の穆公が伯楽に言った。「あなたの年は長けた。あなたの一族に、馬を求めにやれる者はいるか。」

伯楽が答えた。「よい馬は、形や容、筋や骨で相ることができます。しかし天下の馬は、滅びるようで没するようであり、亡いようで失ったようであって、このようなものは塵を絶ち足跡を弭めて走ります。臣の子らはみな下の才で、よい馬を告げることはできても、天下の馬を告げることはできません。臣が荷や薪や菜をともに担った者のなかに九方皋という者がおり、馬については臣に劣りません。どうぞ彼にお会いください。」

穆公は彼に会い、馬を求めに行かせた。三月して帰って報じた。「もう得ました。沙丘にいます。」

穆公が言った。「どんな馬か。」

答えた。「牝で黄色です。」

人をやって取りに行かせると、牡で黒かった。穆公は悦ばず、伯楽を召して言った。「失敗だ、あなたが馬を求めにやった者は。色や物、牝か牡かさえ知れないのに、どんな馬が知れるというのか。」

伯楽は溜め息をついて大きく息をついた。「ここまで至ったのですか。これこそ彼が臣に千万倍も勝って数えきれない理由です。皋が観るのは天の機です。その精を得てその麤を忘れ、その内にあってその外を忘れ、見るべきものを見て、見るべきでないものを見ず、視るべきものを視て、視るべきでないものを遺るのです。皋が相るものには、馬より貴いものがあるのです。」

馬が至ると、果たして天下の馬であった。

楚莊王問詹何曰:「治國柰何?」詹何對曰:「臣明於治身而不明於治國也。」楚莊王曰:「寡人得奉宗廟社稷,願學所以守之。」詹何對曰:「臣未嘗聞身治而國亂者也,又未嘗聞身亂而國治者也。故本在身,不敢對以末。」楚王曰:「善。」

楚の荘王が詹何に問うた。「国を治めるのはどうすればよいのか。」

詹何が答えた。「臣は身を治めることに明るく、国を治めることに明るくありません。」

楚の荘王が言った。「寡人は宗廟と社稷を奉ずることになった。それを守るすべを学びたい。」

詹何が答えた。「臣は、身が治まっているのに国が乱れたということを聞いたことがなく、また身が乱れているのに国が治まったということを聞いたこともありません。だから本は身にあります。末をもってお答えすることは敢えてしません。」

楚の王が言った。「善い。」

狐丘丈人謂孫叔敖曰:「人有三怨,子之知乎?」孫叔敖曰:「何謂也?」對曰:「爵高者,人妬之;官大者,主惡之;祿厚者,怨逮之。」孫叔敖曰:「吾爵益高,吾志益下;吾官益大,吾心益小;吾祿益厚,吾施益博。以是免於三怨,可乎?」

狐丘の丈人が孫叔敖に言った。「人には三つの怨みがある。あなたはそれを知っているか。」

孫叔敖が言った。「何をおっしゃるのですか。」

答えた。「爵の高い者は人が妬み、官の大きい者は主が悪み、禄の厚い者は怨みが及ぶ。」

孫叔敖が言った。「私は爵が高くなるほど志を下げ、官が大きくなるほど心を小さくし、禄が厚くなるほど施しを博くします。これで三つの怨みを免れましょうか。」

孫叔敖疾,將死,戒其子曰:「王亟封我矣,吾不受也。爲我死,王則封汝,汝必無受利地。楚越之間有寢丘者,此地不利而名甚惡。楚人鬼而越人禨,可長有者唯此也。」孫叔敖死,王果以美地封其子,子辭而不受;請寢丘,與之,至今不失。

孫叔敖が病んで死もうとするとき、その子に戒めて言った。「王はしばしば私に封じようとしたが、私は受けなかった。私が死んだら、王はお前を封じるだろう。お前は必ず利のある地を受けるな。楚と越のあいだに寝丘というところがある。この地は利がなく、名もひどく悪い。楚の人は鬼を信じ、越の人は禨を信じる。長く有てるのはここだけだ。」

孫叔敖が死ぬと、王は果たしてよい地でその子を封じたが、子は辞して受けず、寝丘を請うた。それを与えると、今に至るまで失っていない。

牛缺者,上地之大儒也,下之邯鄲,遇盜於耦沙之中,盡取其衣裝車。牛步而去,視之歡然無憂𠫤之色。盜追而問其故。曰:「君子不以所養害其所養。」盜曰:「嘻,賢矣夫!」既而相謂曰:「以彼之賢,往見趙君,使以我爲,必困我。不如殺之。」乃相與追而殺之。燕人聞之,聚族相戒,曰:「遇盜,莫如上地之牛缺也!」皆受教。俄而其弟適秦,至關下,果遇盜,憶其兄之戒,因與盜力爭。既而不如,又追而以卑辭請物。盜怒曰:「吾活汝弘矣,而追吾不已,迹將箸焉。既爲盜矣,仁將焉在?」遂殺之,又傍害其黨四五人焉。

牛缺は上地の大儒である。南へ邯鄲に行く途中、耦沙のなかで盗に遇い、その衣も装も車もすべて取られた。牛缺は歩いて去ったが、見れば歓やかで、憂えや惜しむ色がなかった。

盗が追いかけてその理由を問うた。言った。「君子は、養うための物で、その養う身を害することをしない。」

盗が言った。「ああ、賢いな。」やがて互いに言い合った。「あの者の賢さで趙の君に会い、我らのことを言わせれば、必ず我らを困しめるだろう。殺すに及ばない。」そこでともに追いかけて彼を殺した。

燕の人がこれを聞き、族を集めて互いに戒めた。「盗に遇ったら、上地の牛缺のようにするな。」みなその教えを受けた。

ほどなくその弟が秦へ行き、関の下に至って、果たして盗に遇った。兄の戒めを憶い出し、そこで盗と力いっぱい争った。やがて及ばないと分かると、また追いかけて卑しい言葉で物を請うた。

盗が怒って言った。「我らがお前を活かしたのは寛いことなのに、我らを追ってやめない。迹が著れてしまう。すでに盗となっているのに、仁がどこにあろうか。」そこで彼を殺し、さらに側にいた仲間の四、五人まで害した。

虞氏者,梁之富人也,家充殷盛,錢帛無量,財貨無訾。登高樓,臨大路,設樂陳酒,擊博樓上。俠客相隨而行,樓上博者射,明瓊張中,反兩㯓魚而笑,飛鳶適墜其腐鼠而中之。俠客相與言曰:「虞氏富樂之日久矣,而常有輕易人之志。吾不侵犯之,而乃辱我以腐鼠。此而不報,無以立慬於天下。請與若等戮力一志,率徒屬必滅其家爲等倫。」皆許諾。至期日之夜,聚衆積兵以攻虞氏,大滅其家。

虞氏は梁の富んだ人である。家は充ち殷んで、銭も帛も量りなく、財や貨も数えきれなかった。高い楼に登り、大きな路に臨み、楽を設け酒を陳ね、楼の上で博を打っていた。

俠客が連れ立って通りかかったとき、楼の上で博を打つ者が投げ、瓊が中って二つの魚を得て笑った。ちょうど飛んでいた鳶が腐った鼠を落とし、それが彼らに中った。

俠客たちが互いに言った。「虞氏が富み楽しむ日は久しいが、つねに人を軽んじ侮る志がある。我らは彼を侵し犯してもいないのに、腐った鼠で我らを辱めた。これを報いなければ、天下に勇を立てるすべがない。あなたたちと力を尽くし志を一つにし、徒や属を率いて必ずその家を滅ぼし、等しい者としてやりたい。」みなが承知した。

期した日の夜、衆を集め兵を積んで虞氏を攻め、その家を大いに滅ぼした。

東方有人焉,曰爰旌目,將有適也,而餓於道。狐父之盜曰丘,見而下壺餐以餔之。爰旌目三餔而後能視,曰:「子何爲者也?」曰:「我狐父之人丘也。」爰旌目曰:「譆!汝非盜邪?胡爲而食我?吾義不食子之食也。」兩手據地而歐之,不出,喀喀然,遂伏而死。狐父之人則盜矣,而食非盜也。以人之盜因謂食爲盜而不敢食,是失名實者也。

東方に人があり、爰旌目といった。どこかへ行こうとして、道で餓えた。狐父の盗で丘という者が、それを見て壺の餐を下して食べさせた。

爰旌目は三たび口にしてはじめて物が見えるようになり、言った。「あなたは何をする者か。」

言った。「私は狐父の人、丘だ。」

爰旌目が言った。「ああ、あなたは盗ではないか。どうして私を食べさせたのか。私は義として、あなたの食を食べない。」両手を地につけて吐こうとしたが、出てこず、喀々として、ついに伏して死んだ。

狐父の人は盗であったが、食は盗ではない。人が盗だというだけで食を盗だといい、敢えて食べなかったのは、名と実を失ったのである。

柱厲叔事莒敖公,自爲不知己,去,居海上,夏日則食菱芰,冬日則食橡栗。莒敖公有難,柱厲叔辭其友而往死之。其友曰:「子自以爲不知己,故去。今往死之,是知與不知無辨也。」柱厲叔曰:「不然。自以爲不知,故去。今死,是果不知我也。吾將死之,以醜後世之人主不知其臣者也。」凡知則死之,不知則弗死,此直道而行者也。柱厲叔可謂懟以忘其身者也。

柱厲叔が莒の敖公に事えたが、みずから自分を知ってくれていないと思い、去って海辺に住み、夏の日には菱や芰を食べ、冬の日には橡や栗を食べた。

莒の敖公に難が起こると、柱厲叔はその友に辞して、行って殉じて死もうとした。その友が言った。「あなたはみずから自分を知ってくれていないと思って去ったのだ。いま行って殉じるなら、知られることと知られないことに弁えがないことになる。」

柱厲叔が言った。「そうではない。みずから知られていないと思って去った。いま死ねば、それはまことに私を知らなかったということになる。私は殉じて死んで、後の世の、その臣を知らない人主を醜しめるのだ。」

およそ知ってくれれば殉じて死に、知ってくれなければ死なないのが、直き道を行く者である。柱厲叔は、懟んでその身を忘れた者というべきである。

楊朱曰:「利出者實及,怨往者害來。發於此而應於外者唯請,是故賢者慎所出。」

楊朱が言った。「利を出せば実が及び、怨みを往らせれば害が来る。ここに発して外に応ずるものは、ただ請うたものだけである。それゆえ賢い者は出すものを慎む。」

楊子之鄰人亡羊,既率其黨,又請楊子之豎追之。楊子曰:「嘻!亡一羊,何追者之衆?」鄰人曰:「多歧路。」既反,問:「獲羊乎?」曰:「亡之矣。」曰:「奚亡之?」曰:「歧路之中又有歧焉,吾不知所之,所以反也。」楊子戚然變容,不言者移時,不笑者竟日。門人怪之,請曰:「羊,賤畜,又非夫子之有,而損言笑者,何哉?」楊子不答。門人不獲所命。弟子孟孫陽出,以告心都子。心都子他日與孟孫陽偕入,而問曰:「昔有昆弟三人,游齊魯之間,同師而學,進仁義之道而歸。其父曰:『仁義之道若何?』伯曰:『仁義使我愛身而後名。』仲曰:『仁義使我殺身以成名。』叔曰:『仁義使我身名並全。』彼三術相反,而同出於儒。孰是孰非邪?」楊子曰:「人有濱河而居者,習於水,勇於泅,操舟鬻渡,利供百口。裹糧就學者成徒,而溺死者幾半。本學泅,不學溺,而利害如此。若以爲孰是孰非?」心都子嘿然而出。孟孫陽讓之曰:「何吾子問之迂,夫子答之僻?吾惑愈甚。」心都子曰:「大道以多歧亡羊,學者以多方喪生。學非本不同,非本不一,而末異若是。唯歸同反一,爲亡得喪。子長先生之門,習先生之道,而不達先生之況也,哀哉!」

楊子の隣人が羊を亡くした。その仲間を率い、さらに楊子の僕まで請って追わせた。

楊子が言った。「ああ、一頭の羊を亡くしただけで、どうして追う者が多いのか。」

隣人が言った。「岐れ道が多いのです。」

帰ってきたので問うた。「羊を獲たか。」

言った。「亡いました。」

言った。「どうして亡ったのか。」

言った。「岐れ道のなかにまた岐れがあり、私は行く先が分からなくなって、帰ってきたのです。」

楊子は哀しげに顔色を変え、しばらく言葉を言わず、一日中笑わなかった。

門人たちは怪しんで請うた。「羊は賤しい畜であり、しかも先生のものでもないのに、言葉も笑いも損なわれるのは、どうしてですか。」

楊子は答えなかった。門人たちはその意を得られなかった。

弟子の孟孫陽が出て、心都子に告げた。心都子は別の日に孟孫陽とともに入って問うた。

「昔、兄弟三人があり、斉と魯のあいだに遊び、同じ師に学んで、仁義の道をきわめて帰りました。その父が『仁義の道とはどのようなものか』と言うと、長兄は『仁義は私に、身を愛して名を後にさせます』と言い、次は『仁義は私に、身を殺して名を成させます』と言い、末は『仁義は私に、身も名もともに全くさせます』と言いました。あの三つの術は互いに反するのに、同じく儒から出ています。どれが是でどれが非なのでしょうか。」

楊子が言った。「河のほとりに住む人があり、水に習れ、泅ぐことに勇く、舟を操って渡しを鬻ぎ、利は百口を供えた。糧を裹んで学びに就く者は徒をなしたが、溺れ死ぬ者はほぼ半ばであった。もともと泅ぐことを学んだのであって、溺れることを学んだのではないのに、利と害がこのようである。あなたはどれが是でどれが非だとするか。」

心都子は黙って出た。

孟孫陽が責めて言った。「どうしてあなたの問いは迂く、先生の答えは僻いのか。私はいよいよ惑う。」

心都子が言った。「大きな道は岐れが多くて羊を亡い、学ぶ者は方が多くて生を喪う。学びはもともと同じでないのでも、もともと一つでないのでもないのに、末がこれほど異なる。ただ同じに帰り一つに反ることによって、得も喪もなくなるのだ。あなたは長く先生の門にあり、先生の道を習いながら、先生の譬えに達しない。哀しいことだ。」

楊朱之弟曰布,衣素衣而出。天雨,解素衣,衣緇衣而反。其狗不知,迎而吠之。楊布怒,將扑之。楊朱曰:「子無扑矣!子亦猶是也。嚮者使汝狗白而往,黑而來,豈能無怪哉?」

楊朱の弟を布といった。白い衣を着て出かけた。天から雨が降ったので、白い衣を解き、黒い衣を着て帰ってきた。その犬が分からず、迎えて吠えた。

楊布は怒って打とうとした。楊朱が言った。「お前は打つな。お前もこれと同じことをするだろう。さきほどお前の犬が白くて行き、黒くなって帰ってきたら、どうして怪しまずにいられようか。」

楊朱曰:「行善不以爲名,而名從之;名不與利期,而利歸之;利不與爭期,而爭及之,故君子必慎爲善。」

楊朱が言った。「善を行って名のためにしなくても、名は従ってくる。名は利と期さなくても、利は帰してくる。利は争いと期さなくても、争いは及んでくる。だから君子は必ず善を為すことを慎む。」

昔人言有知不死之道者,燕君使人受之,不捷,而言者死。燕君甚怒,其使者將加誅焉。幸臣諫曰:「人所憂者莫急乎死,己所重者莫過乎生。彼自喪其生,安能令君不死也?」乃不誅。有齊子亦欲學其道,聞言者之死,乃撫膺而恨。富子聞而笑之曰:「夫所欲學不死,其人已死而猶恨之,是不知所以爲學。」胡子曰:「富子之言非也。凡人有術不能行者有矣,能行而無其術者亦有矣。衛人有善數者,臨死,以決喻其子。其子志其言而不能行也,他人問之,以其父所言告之。問者用其言而行其術,與其父無差焉。若然,死者奚爲不能言生術哉?」

昔の人で、死なない道を知っていると言う者があった。燕の君が人を遣ってそれを受けさせたが、間に合わず、言った者が死んだ。

燕の君はひどく怒り、その使者を誅そうとした。幸いの臣が諫めて言った。「人が憂えるものに死より急なものはなく、己が重んじるものに生に過ぎるものはありません。あの者はみずからその生を喪ったのです。どうして君を死なないようにできましょうか。」そこで誅さなかった。

斉の者でまたその道を学ぼうとした者があり、言った者が死んだと聞いて、胸を撫でて恨んだ。

富子が聞いて笑って言った。「およそ学ぼうとしたのは死なないことなのに、その人がすでに死んでいるのに、なお恨んでいる。これは学ぶということが分かっていないのだ。」

胡子が言った。「富子の言葉は違う。およそ人には、術があっても行えない者があり、行えても術のない者もある。

衛の人でよく数える者があり、死もうとするとき、その要決を子に喻した。その子はその言葉を志えたが、行うことができなかった。他の人が問うたので、その父の言ったことを告げた。問うた者はその言葉を用いてその術を行ったところ、その父と差がなかった。そうであるなら、死んだ者がどうして生の術を言えないことがあろうか。」

邯鄲之民以正月之旦獻鳩於簡子,簡子大悅,厚賞之。客問其故。簡子曰:「正旦放生,示有恩也。」客曰:「民知君之欲放之,故競而捕之,死者衆矣。君如欲生之,不若禁民勿捕。捕而放之,恩過不相補矣。」簡子曰:「然。」

邯鄲の民が正月の旦に鳩を簡子に献じた。簡子は大いに悦んで、厚く賞した。

客がその理由を問うた。簡子が言った。「正月の旦に放ち生かして、恩のあることを示すのだ。」

客が言った。「民は君が放ちたいと欲しておられるのを知って、競って捕るので、死ぬものが多いのです。君が生かそうと欲されるなら、民に捕ることを禁じるに及びません。捕ってから放つのでは、恩と過ちが互いに補い合いません。」

簡子が言った。「そのとおりだ。」

齊田氏祖於庭,食客千人,中坐有獻魚雁者。田氏視之,乃歎曰:「天之於民厚矣!殖五穀、生魚鳥以爲之用。」衆客和之如響。鮑氏之子年十二,預於次,進曰:「不如君言。天地萬物與我並生,類也。類無貴賤,徒以小大智力而相制,迭相食,非相爲而生之。人取可食者而食之,豈天本爲人生之?且蚊蚋噆膚,虎狼食肉,非天本爲蚊蚋生人、虎狼生肉者哉?」

斉の田氏が庭で旅立ちの祭りをしたとき、食客は千人であった。中ほどに座っていた者のなかに魚や雁を献じる者があった。田氏はそれを視て、嘆いて言った。「天が民に対することは厚い。五穀を殖やし、魚や鳥を生んで、人の用に供えている。」

多くの客は響きのようにそれに和した。

鮑氏の子が年十二で末の席に連なっていたが、進み出て言った。

「あなたの言葉のとおりではありません。天地の万物は我らと並んで生まれ、同じ類です。類に貴賤はなく、ただ小さいか大きいか、智や力によって互いを制し、互いに交代に食べ合うのであって、互いのために生まれたのではありません。人が食べられるものを取って食べますが、どうして天がもともと人のためにそれを生んだのでしょうか。それに蚊や蚋は膚を噆み、虎や狼は肉を食べます。天がもともと蚊や蚋のために人を生み、虎や狼のために肉を生んだのではないでしょう。」

齊有貧者,常乞於城市。城市患其亟也,衆莫之與。遂適田氏之廄,從馬醫作役而假食。郭中人戲之曰:「從馬醫而食,不以辱乎?」乞兒曰:「天下之辱莫過於乞。乞猶不辱,豈辱馬醫哉?」

斉に貧しい者があり、つねに城の市で乞うていた。城の市はその頻りなことを患い、誰も与えなくなった。そこで田氏の廄へ行き、馬医に従って働いて食を借りた。

郭のなかの人が戯れて言った。「馬医に従って食うのは、辱めではないのか。」

乞う子が言った。「天下の辱めに、乞うことに過ぎるものはない。乞うことさえ辱めでないのに、どうして馬医が辱めであろうか。」

宋人有游於道、得人遺契者,歸而藏之,密數其齒,告鄰人曰:「吾富可待矣。」

宋の人で、道を歩いていて他人が落とした契を拾った者があった。帰ってそれを蔵し、ひそかにその齒を数えて、隣人に告げた。「私が富むのを待つばかりだ。」

人有枯梧樹者,其鄰父言枯梧之樹不祥,其鄰人遽而伐之。鄰人父因請以爲薪。其人乃不悅,曰:「鄰人之父徒欲爲薪而教吾伐之也。與我鄰,若此其險,豈可哉?」

枯れた梧の樹を持つ者があった。その隣の老人が、枯れた梧の樹は祥くないと言ったので、その隣人は急いでそれを伐った。隣の老人はそこでそれを薪にもらいたいと請うた。

その人はそれで悦ばず、言った。「隣の老人は、ただ薪にしたいために私に伐らせたのだ。私と隣り合っていながら、これほど険しいとは、あってよいことか。」

人有亡鈇者,意其鄰之子,視其行步,竊鈇也;顏色,竊鈇也;言語,竊鈇也:動作態度,無爲而不竊鈇也。俄而抇其谷而得其鈇,他日復見其鄰人之子,動作態度無似竊鈇者。

鈇を亡くした者があり、隣の子を疑った。その歩きようを視れば鈇を盗んだようであり、顔色を視れば鈇を盗んだようであり、言葉を聞けば鈇を盗んだようであり、動きも態度も、鈇を盗んだようでないものがなかった。

ほどなく自分の谷を掘ってその鈇を見つけた。別の日にまた隣の子を見ると、動きも態度も鈇を盗んだように見えるところがなかった。

白公勝慮亂,罷朝而立,倒杖策,錣上貫頤,血流至地而弗知也。鄭人聞之曰:「頤之忘,將何不忘哉?」意之所屬箸,其行足躓株埳,頭抵植木,而不自知也。

白公勝が乱を慮り、朝を罷めて立っていた。杖を逆さに突き、その錣が上に向かって頤を貫き、血が地に流れるまで気づかなかった。

鄭の人がこれを聞いて言った。「頤を忘れるのだから、何を忘れないことがあろうか。」

意が属き著いているところがあれば、その歩みが株や埳に躓き、頭が立った木に抵っても、みずから気づかないのである。

昔齊人有欲金者,清旦衣冠而之市,適鬻金者之所,因攫其金而去。吏捕得之,問曰:「人皆在焉,子攫人之金何?」對曰:「取金之時,不見人,徒見金。」

昔、斉の人で金を欲しがる者があった。早朝に衣と冠を着けて市へ行き、金を鬻ぐ者のところに至って、そこでその金を攫んで去った。

吏が捕らえて問うた。「人がみなそこに居たのに、あなたはどうして人の金を攫んだのか。」

答えた。「金を取るときには、人は見えず、ただ金だけが見えた。」