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葱嶺を越える

仏国記(仏の国々をめぐる記) 佛國記 · 法顕 · 東晋・義熙年間(416年頃) · 段落 11 · 漢字 641字 · 朗読 2.6分

仏国記(仏の国々をめぐる記) 全一巻 六十五歳の僧・法顕が戒律を求めて長安を離れ、砂漠と葱嶺を越えて天竺まで行き、獅子国を経て海路で帰ってきた十五年の記録。訪ねた国は三十。韓国・中国・日本が互いを書き記していた時代に、東アジアの人がインドを自らの目で見て残した最も早い紀行文である。

1子合国

法顯等進向子合國,在道二十五日,便到其國。國王精進。有千餘僧,多大乘學。

法顕らは子合国へ向かって進み、道中二十五日でその国に至った。国王は精進する人であった。僧が千人あまりおり、多くは大乗を学ぶ。

2葱嶺の山に入る

住此十五日已,於是南行四日,入葱嶺山,到於麾國安居。

ここに十五日とどまったのち、南へ四日行って葱嶺の山に入り、於麾国に至って安居した。

3竭叉国で再会する

安居已止,行二十五日,到竭叉國,與慧景等合。

安居を終えて二十五日行き、竭叉国に至って慧景らと合流した。

4五年大会

值其國王作般遮越師。般遮越師,漢言五年大會也。會時請四方沙門,皆來雲集,集已,莊嚴衆僧坐處,懸繒幡蓋,作金銀蓮華,著繒座後,鋪淨坐具。王及羣臣如法供養,或一月、二月,或三月,多在春時。王作會已,復勸諸羣臣設供供養,或一日、二日、三日、五日。供養都畢,王以所乘馬,鞍勒自副,使國中貴重臣騎之,并諸白㲲、種種珍寶、沙門所須之物,共諸羣臣,發願布施。布施已,還從僧贖。

ちょうどその国の王が般遮越師を行っていた。般遮越師とは、漢の言葉で五年大会のことである。大会のときには四方の沙門を招くので、みな雲のように集まってくる。集まると、僧たちの座る場所を飾り立て、絹の幡と天蓋を懸け、金銀の蓮華を作って絹の座の後ろに置き、清らかな敷物を敷く。王と群臣が法のとおりに供養すること、一月あるいは二月、あるいは三月で、多くは春のころである。王が大会を終えると、さらに群臣に勧めて供養を設けさせるので、一日・二日・三日・五日と行う。供養がすべて終わると、王は自分が乗っていた馬に鞍と手綱まで添え、国中の高貴な臣にこれを乗らせ、さまざまな白い木綿や種々の珍宝、沙門に必要な品をあわせて、群臣とともに願を立てて布施する。布施したあとは、僧から買い戻す。

5麦が実ってから歳を受ける

其地山寒,不生餘穀,唯熟麥耳。衆僧受歲已,其晨輒霜。故其王每讚衆僧,令麥熟然後受歲。

その地は山が寒く、ほかの穀物は育たず、ただ麦だけが実る。僧たちが受歳を終えると、その朝にはたちまち霜が降りる。それでその王はいつも僧たちに、麦が実ったあとに受歳をするよう願う。

6仏の唾壺と歯

其國中有佛唾壺,以石作,色似佛鉢。又有佛一齒,國中人爲佛齒起塔。有千餘僧,盡小乘學。

その国には仏の唾壺がある。石で作られていて、色は仏の鉢に似ている。また仏の歯が一つあり、国の人々は仏歯のために塔を建てた。僧が千人あまりおり、みな小乗を学ぶ。

7葱嶺の真ん中

自山以東,俗人被服粗類秦土,亦以氈褐爲異。沙門法用轉轉勝,不可具記。其國當葱嶺之中。自葱嶺已前,草木果實皆異,唯竹及安石留、甘蔗三物,與漢地同耳。

山の東からは、俗人の衣服はおおむね秦の地と似ているが、やはり毛織と粗布を用いるところが違う。沙門の法のありようはいよいよ優れていて、こまごまと記しきれない。この国は葱嶺の真ん中にあたる。葱嶺から先は、草木や果実がみな異なっていて、ただ竹と石榴とサトウキビの三つだけが漢の地と同じである。

8雪山の毒竜

從此西行向北天竺國。在道一月,得度葱嶺。葱嶺冬夏有雪。又有毒龍,若失其意,則吐毒風,雨雪,飛沙礫石。遇此難者,萬無一全。彼土人人即名爲雪山也。

ここから西へ、北天竺国に向かって行った。道中一月で葱嶺を越えることができた。葱嶺には冬も夏も雪がある。また毒竜がいて、その意に逆らうと毒の風を吐き、雪や雨を降らせ、砂や礫を飛ばすので、この難に遭った者は万に一人も無事ではない。その土地の人々は、この山を雪山と呼んでいる。

9北天竺の陀歴国

度嶺已,到北天竺。始入其境,有一小國名陀歷。亦有衆僧,皆小乘學。

嶺を越えると、北天竺である。その境に入ったばかりのところに陀歴という小さな国があり、ここにも僧たちがいて、みな小乗を学ぶ。

10兜率天を見て刻んだ弥勒像

其國昔有羅漢,以神足力,將一巧匠上兜術天,觀彌勒菩薩長短、色貌,還下,刻木作像。前後三上觀,然後乃成。像長八丈,足趺八尺,齋日常有光明,諸國王競興供養。今故現在。

この国に昔、羅漢がいて、神足力によって巧みな匠を一人、兜率天に連れて上がり、弥勒菩薩の背丈と姿かたちを見せ、下りてから木を刻んで像を作らせた。前後三度上って見たのちに、ようやく像ができあがった。像は長さ八丈、足の甲が八尺で、斎日にはいつも光を放つので、諸国の王が競って供養する。今もそのまま残っている。

11新頭河 — 千仞の絶壁の梯子

於此順嶺西南行十五日。其道艱岨,崖岸嶮絶,其山唯石,壁立千仞,臨之目眩,欲進則投足無所。下有水,名新頭河。昔人有鑿石通路施傍梯者,凡度七百,度梯已,躡懸緪過河。河兩岸相去減八十步。九譯所絶,漢之張驀、甘英皆不至。

ここから嶺に沿って西南へ十五日行く。その道は険しく、崖は切り立っていて、山は石ばかりで、絶壁が千仞に立っており、見下ろせば目がくらみ、進もうとしても足の置き場がない。下には水があって、名は新頭河である。昔の人が石を削って道を通し、脇に梯子を架けたところがあり、全部でおよそ七百を渡る。梯子を渡り終えると、吊られた綱を踏んで川を渡る。川の両岸のあいだは八十歩に足りない。九度通訳を重ねても通じなくなる地であり、漢の張騫も甘英も、ともに至らなかった。