仏歯の行列
1仏歯の行列 — 九十日の供養
佛齒常以三月中出之。未出十日,王莊校大象,使一辯說人,著王衣服,騎象上,擊皷唱言:「菩薩從三阿僧祇劫,作行不惜身命,以國、妻、子及挑眼與人,割肉貿鴿,截頭布施,投身餓虎,不恡髓腦,如是種種苦行,爲衆生故。成佛在世四十五年,說法教化,令不安者安,不度者度,衆生緣盡,乃般泥洹。泥洹已來一千四百九十七年,世間眼滅,衆生長悲。却後十日,佛齒當出至無畏山精舍。國內道俗欲殖福者,各各平治道路,嚴餝巷陌,辨衆華香,供養之具!」如是唱已,王便夾道兩邊,作菩薩五百身已來種種變現,或作須大拏,或作睒變,或作象王,或作鹿、馬。如是形像,皆彩畫莊校,狀若生人。然後佛齒乃出,中道而行,隨路供養,到無畏精舍佛堂上。道俗雲集,燒香、然燈,種種法事,晝夜不息。滿九十日乃還城內精舍。城內精舍至齋日則開門戶,禮敬如法。
仏の歯は、いつも三月に取り出して奉じられる。十日前になると、王は大きな象を飾り、弁舌のたつ者一人に王の衣服を着せて象の上に乗らせ、太鼓を打って呼びかけさせる。「菩薩は三阿僧祇劫のあいだ、身も命も惜しまずに行を修め、国も妻子も捨て、眼をえぐって人に与え、肉を割いて鳩と引き換え、頭を切って布施し、身を投げて飢えた虎に食わせ、髄も脳も惜しまれなかった。このようにさまざまな苦行をされたのは、衆生のためである。仏と成って世に四十五年おられ、法を説き教え導いて、安らかでない者を安らかにし、導かれていない者を導かれたが、衆生との縁が尽きて、涅槃に入られた。涅槃に入られてから一千四百九十七年、世間の眼が消えて、衆生は長く悲しんでいる。十日の後、仏の歯が無畏山の精舎へお出でになる。国内の道人も俗人も、福を植えようとする者は、それぞれ道をならし、街路を飾り整え、さまざまな花と香、供養の具を用意せよ。」こう呼びかけ終わると、王は道の両側に、菩薩の五百身このかたのさまざまな変現の姿を造って立てる。須大拏となった姿もあり、睒変となった姿もあり、象王となった姿もあり、鹿や馬となった姿もある。これらの形像はみな彩色して飾られ、まるで生きた人のようである。そのうえで仏の歯が出てきて、道の中央を進み、道すじで供養を受けながら、無畏精舎の仏堂の上に至る。道人も俗人も雲のように集まり、香を焚き、灯をともし、さまざまな法事を昼も夜も休まず行う。九十日が満ちると、城の中の精舎に帰る。城の中の精舎は、斎日になると戸を開けて、法のとおりに礼拝し敬う。
2跋提精舎の達摩瞿諦
無畏精舍東四十里,有一山。山中有精舍,名跋提,可有二千僧。僧中有一大德沙門,名達摩瞿諦,其國人民皆共宗仰。住一石室中四十許年,常行,慈心,能感蛇鼠,使同止一室而不相害。
無畏精舎の東四十里に一つの山があり、山の中に精舎があって、跋提という名で、僧が二千人ほどいる。僧の中に達摩瞿諦という大徳の沙門がいて、その国の人民はみなこぞって仰いでいる。一つの石室に住んで四十年ほどになるが、いつも慈しみの心を行って、蛇や鼠を感化し、同じ一室にともにいても互いに害さないようにさせた。
3摩訶毗可羅の精舎
城南七里有一精舍,名摩訶毗可羅,有三千僧住。
城の南七里に精舎が一つあり、摩訶毗可羅という名で、僧が三千人住んでいる。
4羅漢を羅漢の法で荼毘する
有一高德沙門,戒行清潔,國人咸疑是羅漢。臨終之時,王來省視,依法集僧而問:「比丘得道耶?」其便以實答言:「是羅漢。」既終,王即案經律,以羅漢法葬之。於精舍東四、五里,積好大薪,縱廣可三丈餘,高亦爾,近上著栴檀、沉水諸香木,四邊作階上,持淨好白㲲周帀蒙積上。作大輿床,似此間𨎪車,但無龍魚耳。當闍維時,王及國人、四衆咸集,以華香供養。從轝至墓所,王自華香供養。供養訖,轝著𧂐上,以酥油遍灌,然後燒之。火然之時,人人敬心,各脫上服,及羽儀、傘蓋,遙擲火中,以助闍維。闍維已,收斂取骨,即以起塔。法顯至,不及其生存,唯見葬時。
徳の高い沙門が一人いて、戒行が清らかであったので、国の人はみな羅漢ではないかと思っていた。臨終のとき、王が来て見舞い、法のとおりに僧たちを集めて「この比丘は道を得たのか」と問うと、僧たちはありのままに「羅漢です」と答えた。息を引き取ると、王はすぐに経と律を調べて、羅漢の法によって葬った。精舎の東四、五里のところに、よい大きな薪を積み、縦も横も三丈あまり、高さも同じほどで、上のほうには栴檀や沈水などの香木を置き、四方に階段を造り、清らかでよい白い木綿を持ってきて、積んだ薪の上まですっかり覆った。大きな輿の床を造ったが、こちらの地の霊柩の車に似ていて、ただ竜や魚の飾りがないだけである。荼毘のときには、王も国の人も四衆もみな集まって、花と香で供養した。輿から墓所に至るまで、王が自ら花と香で供養した。供養が終わると、輿を薪の上に載せ、酥油をあまねく注いでから、火をつけた。火が燃え上がるとき、人々は敬う心から、それぞれ上着を脱ぎ、羽の扇や傘や天蓋とともに、遠くから火の中に投げ入れて、荼毘を助けた。荼毘が終わると、骨を拾い集めて、すぐに塔を建てた。法顕が至ったときには、その人の生きているうちには間に合わず、ただ葬るところだけを見たのである。
5金の鋤を引いた王
王篤信佛法,欲爲衆僧作新精舍。先設大會,飯食僧。供養已,乃選好上牛一雙,金銀、寶物莊校角上。作好金犁,王自耕頃田邊,然後割給民戶、田宅,書以鐵券。自是已後,代代相承,無敢廢易。
王は仏法を篤く信じ、僧たちのために新しい精舎を造ろうとした。まず大きな会を設けて、僧たちに食を供し、供養を終えてから、よい上等の牛を一対選んで、角の上を金銀や宝物で飾り、よい金の鋤を造って、王が自ら田の四方のきわを耕した。そのうえで民家や田や宅地を割いて与え、鉄の券に書き記して渡した。これより後、代々受け継がれて、あえて廃したり変えたりする者がない。
6仏の鉢の行く末を誦する声
法顯在此國,聞天竺道人於高座上誦經,云︰「佛鉢本在毗舍離,今在揵陁衛。竟若干百年,當復至西月氏國。若干百年,當至于闐國。住若干百年,當至屈茨國若干百年,當復來到漢地。住若干百年,當復至師子國。若干百年,當還中天竺。到天竺已,當上兜術天上。彌勒菩薩見而嘆曰︰『釋迦文佛鉢至。』即共諸天華香供養七日。七日已,還閻浮提,海龍王持入龍宮。至彌勒將成道時,鉢還分爲四,復本頻那山上。彌勒成道已,四天王,當復應念佛如先佛法。賢劫千佛共用此鉢。鉢去已,佛法漸滅。佛法滅後,人壽轉短,乃至五歲。五歲之時,粳米、酥油皆悉化滅,人民極惡,捉木則變成刀、杖,共相傷割。其中有福者,逃避入山,惡人相殺盡已,還復來出,共相謂言:『昔人壽極長,但爲惡甚,作諸非法故,我等壽命遂爾短促,乃至五歲。我今共行諸善,起慈悲心,修行信義。』如是各行信義,展轉壽倍,乃至八萬歲。彌勒出世,初轉法輪時,先度釋迦遺法弟子、出家人及受三歸、五戒、齋法,供養三寶者,第二、第三次度有緣者。」法顯爾時欲寫此經,其人云︰「此無經本,我止口誦耳。」
法顕がこの国にいたとき、天竺の道人が高座の上で経を誦するのを聞いたが、それはこうであった。「仏の鉢はもともと毗舎離にあったが、今は揵陀衛にある。何百年か経てば、また西月氏国に至り、何百年かすれば于闐国に至り、何百年かとどまれば屈茨国に至り、何百年かすればまた漢の地に来、何百年かとどまればまた師子国に至り、何百年かすればまた中天竺に帰るであろう。天竺に至ってしまえば、兜率天の上に上るであろう。弥勒菩薩はそれを見て『釈迦文仏の鉢が至った』と嘆じ、すぐに諸天とともに花と香で七日のあいだ供養するであろう。七日が過ぎると閻浮提に帰り、海竜王が竜宮に持ち入れる。弥勒がまさに道を成じようとするころになると、鉢はまた四つに分かれて、もとの頻那山の上に戻るであろう。弥勒が道を成じれば、四天王はまた先の仏たちの法のとおりに仏を念じて鉢を献ずるであろう。賢劫の千仏がこの鉢をともに用いる。鉢が去ってしまえば、仏法はしだいに滅びる。仏法が滅びたのちは、人の寿命がうつり短くなって、五歳にまでなるであろう。寿命が五歳の時には、粳米も酥油もみな消え去り、人民はきわめて悪くなって、木を手に取ればたちまち刀や杖に変わり、互いに傷つけ切り合う。その中で福のある者は逃れて山に入り、悪人たちが互いに殺し尽くしてしまってから、また出てきて、互いに言い合うであろう。『昔の人は寿命がきわめて長かったが、ただ悪が甚しく、さまざまな非法を行ったために、我らの寿命はこのように短く縮まって、五歳にまでなったのだ。今、我らはともに諸々の善を行い、慈悲の心を起こし、信と義を修めよう。』こうしてそれぞれが信と義を行えば、寿命は次々に倍になって、八万歳にまで至る。弥勒が世に出て、初めて法輪を転じるときには、まず釈迦の遺した法に従った弟子たち — 出家した人、三帰・五戒・斎法を受けた人、三宝に供養した人を導き、第二、第三には、順に縁のある者を導くであろう。」法顕はそのとき、この経を写し取りたいと思ったが、その人は「これには経本がなく、わたしはただ口で誦しているだけです」と言った。
夾注 1
法顯聞誦之時有定歲數,但今忘耳。
法顕が誦するのを聞いたときには、定まった年数があったが、今は忘れてしまった。
7漢の地にない経を得る
法顯住此國二年,更求得《彌沙塞律》藏本,得《長阿含》、《雜阿含》,復得一部《雜藏》。此悉漢土所無者。
法顕はこの国に二年とどまり、さらに求めて『弥沙塞律』の蔵本を得、『長阿含』『雑阿含』を得、また『雑蔵』一部を得た。これらはみな漢の地にないものである。