海路で帰る
1暴風 — 経と仏像だけは捨てない
得此梵本已,即載商人大船,上可有二百餘人。後係一小船,海行艱嶮,以備大船毀壞。得好信風,東下二日,便值大風。船漏水入。商人欲趣小船,小船上人恐人來多,即斫緪斷,商人大怖,命在須臾,恐船水滿,即取麁財貨擲著水中。法顯亦以君墀及澡罐并餘物棄擲海中,但恐商人擲去經像,唯一心念觀世音及歸命漢地衆僧:「我遠行求法,願威神歸流,得到所止。」如是大風晝夜十三日,到一島邊。潮退之後,見船漏處,即補塞之。於是復前。
この梵本を得てから、すぐに商人の大きな船に乗った。船の上には二百人あまりがいた。後ろに小さな船を一艘つないでいたが、海の旅は険しく難しいので、大きな船が壊れたときに備えてのことである。よい季節風を得て東へ二日下ったところで、大風に出会った。船が漏れて水が入ってきた。商人たちが小さな船に乗り移ろうとすると、小さな船の上の者は人が多く来ることを恐れて、すぐに綱を切ってしまった。商人たちはたいそう恐れ、命が今にも尽きるかと思われ、船に水が満ちることを恐れて、すぐにかさばる荷を取って水の中に投げこんだ。法顕も水差しと洗いの器、そのほかの物を海に投げ捨てたが、ただ商人たちが経や仏像まで投げてしまうことを恐れて、ひたすら一心に観世音を念じ、漢の地の僧団に命を託した。「わたしは遠くまで旅して法を求めてきました。どうか威神の力で流れを戻し、たどり着くべき所に至らせてください。」こうして大風が昼も夜も十三日吹き続けたのち、一つの島のほとりに着いた。潮が引いたあとに船の漏れる所を見つけて、すぐにふさぎ、そこからまた先へ進んだ。
2星を見て進む海
海中多有抄賊,遇輒無全。大海彌漫無邊,不識東西,唯望日、月、星宿而進。若陰雨時,爲逐風去,亦無准。當夜闇時,但見大浪相搏,晃若火色,黿、鱉水性怪異之屬,商人荒遽,不知那向。海深無底,又無下石住處。至天晴已,乃知東西,還復望正而進。若值伏石,則無活路。
海には略奪する賊が多く、出会えば無事ではいられない。大海は果てしなく広がって東も西も分からず、ただ日と月と星を見て進む。曇ったり雨が降ったりするときは、風に流されるままで、見当をつけようもない。暗い夜には、大きな波が互いに打ち合って火の色のように光るものと、黿や鱉のような水中の怪しげなものばかりが見え、商人たちはあわてて、どこへ向かっているのか分からなかった。海は深くて底がなく、錨の石を下ろして留まる所もない。空が晴れてからようやく東西を知って、また正しい方へ向かって進むのだが、隠れた岩に当たれば、生きる道はない。
3耶婆提国
如是九十日許,乃到一國,名耶婆提。
こうして九十日ほど行って、一つの国に至った。名は耶婆提である。
4外道の国
其國外道、婆羅門興盛,佛法不足言。
その国は外道と婆羅門が盛んで、仏法は言うほどのものがない。
5広州を目ざして
停此國五月日,復隨他商人大船,上亦二百許人,賷五十日粮,以四月十六日發。法顯於船上安居。東北行,趣廣州。
この国に五か月とどまったのち、また別の商人の大きな船に乗った。船の上にはやはり二百人ほどがいた。五十日分の糧を積み、四月十六日に出発した。法顕は船の上で安居した。東北へ進み、広州を目ざした。
6「この沙門を下ろそう」
一月餘日,夜皷二時,遇黑風暴雨。商人、賈客皆悉惶怖,法顯爾時亦一心念觀世音及漢地衆僧。蒙威神祐,得至天曉。曉已,諸婆羅門議言:「坐載此沙門,使我不利,遭此大苦。當下比丘置海島邊。不可爲一人令我等危嶮。」法顯本檀越言︰「汝若下此比丘,亦并下我!不爾,便當殺我!汝其下此沙門,吾到漢地,當向國王言汝也。漢地王亦敬信佛法,重比丘僧。」諸商人躊躇,不敢便下。
一月あまりたって、夜の太鼓が二つ鳴る時刻に、黒い風と激しい雨に出会った。商人も旅客もみな恐れおののいたが、法顕はそのときもひたすら一心に観世音と漢の地の僧団を念じた。威神の助けを受けて、夜明けに至ることができた。明けてしまうと、婆羅門たちが相談して言った。「この沙門を乗せたせいで、我らに利がなく、こんな大きな苦しみに出会ったのだ。比丘を海の島のほとりに下ろすべきだ。一人のために我らが危うくなることはできない。」法顕のもとの施主が言った。「おまえたちがこの比丘を下ろすなら、わたしもいっしょに下ろせ。さもなければ、わたしを殺せ。おまえたちがこの沙門を下ろすなら、わたしは漢の地に着いたら、必ず国王におまえたちのことを申し上げる。漢の地の王もまた仏法を敬い信じ、比丘僧を重んじておられるのだ。」商人たちはためらって、あえて下ろさなかった。
7水と糧が尽きる
于時天多連陰,海師相望僻誤,遂經七十餘日。糧食、水漿欲盡,取海鹹水作食。分好水,人可得二升,遂便欲盡。商人議言:「常行時正可五十日便到廣州,爾今已過期多日,將無僻耶?」即便西北行求岸,晝夜十二日,到長廣郡界牢山南岸,便得好水、菜。但經涉險難,憂懼積日,忽得至此岸,見蔾藿依然,知是漢地。
そのとき空が幾日も続けて曇ったので、船の師が方角を見あやまり、ついに七十日あまりも流れていった。糧も水も尽きかけて、海の塩水を取って飯を炊き、よい水を分けると一人あたり二升ほどで、それさえ尽きようとしていた。商人たちが相談して言った。「ふだんの航海なら、ちょうど五十日で広州に着くのに、今はもう日数をずいぶん過ぎている。道を外れたのではないか。」そこで西北へ進んで岸を探し、昼夜十二日で長広郡の境、牢山の南の岸に至り、ようやくよい水と菜を得た。さまざまな険難を経て、憂いと恐れが幾日も積み重なったあと、ふとこの岸に着いて、アカザや豆の葉が昔のままであるのを見て、ここが漢の地であると知った。
8アカザを見て漢の地と知る
然不見人民及行跡,未知是何許。或言未至廣州,或言已過,莫知所定。即乘小船,入浦覓人,欲問其處。得兩獵人,即將歸,令法顯譯語問之。法顯先安慰之,徐問︰「汝是何人?」答言︰「我是佛弟子。」又問︰「汝入山何所求?」其便詭言︰「明當七月十五日,欲取桃臘佛。」又問︰「此是何國?」答言︰「此青州長廣郡界,統屬晉家。」聞已,商人歡喜,即乞其財物,遣人往長廣。
しかし人の住むようすも通った跡も見えず、ここがどのあたりなのか分からなかった。広州に至っていないという者もあり、すでに過ぎたという者もあって、どちらとも定められなかった。そこで小さな船に乗って入り江に入り、人を探してその場所を尋ねようとした。猟師二人に出会って、すぐに連れ帰り、法顕に言葉を通わせて尋ねさせた。法顕はまず二人を安心させ、ゆっくりと「あなたたちは何者ですか」と問うと、「わたしたちは仏の弟子です」と答えた。また「山に入って何を求めるのですか」と問うと、言いつくろって「明日は七月十五日なので、仏に供える桃を採ろうとしているのです」と言った。また「ここはどの国ですか」と問うと、「ここは青州長広郡の境で、晋の家に属しています」と答えた。これを聞いて商人たちは喜び、すぐに財物を分け与えて、人を長広に遣わした。
9猟師に道を尋ねる
太守李嶷敬信佛法,聞有沙門持經像乘船汎海而至,即將人從至海邊,迎接經像,歸至郡治。商人於是還向楊州。劉沇青州請法顯一冬、一夏。夏坐訖,法顯離諸師久,欲趣長安。但所營事重,遂便南下向都,就禪師出經律。
太守の李嶷は仏法を敬い信じる人であったので、沙門が経と仏像を持って船で海を渡って来たと聞くと、すぐに人々を連れて海辺に出てきて、経と仏像を迎え、郡の役所へ帰った。商人たちはそこから楊州へ去っていった。青州の劉沇が法顕を招いて、一冬一夏をとどまらせた。夏の安居が終わると、法顕は師たちと別れて久しかったので長安へ行こうとしたが、担っている事が重かったので、ついに南へ下って都に向かい、禅師とともに経と律を世に出した。
10青州長広郡に上陸する
法顯發長安,六年到中國,停六年,還三年達青州。凡所遊歷,減三十國。沙河已西,迄于天竺,衆僧威儀法化之美,不可詳說。竊惟諸師來得備聞,是以不顧微命,浮海而還,艱難具更,幸蒙三尊威靈,危而得濟,故將竹帛疏所經歷,欲令賢者同其聞見。是歲甲寅。
法顕は長安を発って、六年で中国に至り、六年とどまり、帰りに三年かかって青州に着いた。巡り歩いた国は、三十国に少し足りない。沙河の西から天竺に至るまで、僧たちの威儀と、法による教化の美しさは、詳しく述べきれない。師たちがまだ十分に聞いておられないことを、ひそかに思ったので、つまらぬ命をかえりみず、海を渡って帰ってきた。さまざまな困難をことごとく経てきたが、幸いに三尊の威霊を受けて、危うい中から救われた。そこで竹と絹に経てきたことを書き記して、賢い人たちと、その見聞を分かち合いたいと思う。この年は甲寅である。
11顧みれば心が震え、汗が流れる
晉義熙十二年,歲在壽星,夏安居末,慧遠迎法顯道人。既至,留共冬齋。因講集之餘,重問遊歷。其人恭順,言輒依實。由是先所略者,勸令詳載。顯復具叙始末。自云︰「顧尋所經,不覺心動汗流。所以乘危履嶮,不惜此形者,蓋是志有所存,專其愚直,故投命於不必全之地,以達萬一之冀。」於是感歎斯人,以爲古今罕有。自大教東流,未有忘身求法如顯之比。然後知誠之所感,無窮否而不通;志之所將,無功業而不成。成夫功業者,豈不由忘失所重,重夫所忘者哉!
晋の義熙十二年、年が寿星にあたる年の夏安居の末に、慧遠が法顕道人を迎えた。着いてからは、ともに冬の斎にとどまった。講義や集まりの合間に、あらためてその旅について尋ねたが、その人柄は恭しく従順で、言葉はいつも事実に拠っていた。そこで、先には大すじだけを記していたものを、詳しく書き記すよう勧めると、法顕はまた始めから終わりまでを備えて語り、自ら言った。「経てきたことを顧みると、思わず心が震え、汗が流れます。危うきに乗り、険しい所を踏んで、この身を惜しまなかったのは、志すところがあって、その愚かな真っ直ぐさをひたすらに守ったからです。それで、必ずしも無事ではいられない地に命を投げ出して、万に一つの望みを果たそうとしたのです。」そこでこの人に感嘆し、古今にまれな人だと思った。大いなる教えが東へ流れてきて以来、身を忘れて法を求めることで、法顕に比べられる者はなかった。そうしてはじめて知られる。誠が感応するところには、どれほど行き詰まっても通じないことがなく、志が向かうところには、成し遂げられない功業がない。功業を成すというのは、世の人が重んじるものを忘れ、世の人が忘れるものを重んじたことによるのではないか。