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流求

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 北史 四夷傳 · 李延寿 · 659年(唐・顕慶4年) · 段落 4 · 漢字 1,153字 · 朗読 4.6分

北史 四夷伝(北史に記された四方の異民族の記録) 全一巻 北朝の四王朝が見た東方。卵から生まれた朱蒙神話の完全な姿、長寿王百年の外交(婚姻の話と娘の死)、蓋鹵王の表文、そして勿吉・契丹・室韋・流求・倭まで十四の枝 — 隋の煬帝の滅亡を「徳を広げる者は栄え、土地を広げる者は滅びる」と結んでいる。

1流求国の王と村

流求國,居海島,當建安郡東。水行五日而至。土多山洞。其王姓歡斯氏,名渴刺兜,不知其由來有國世數也。彼土人呼之爲可老羊,妻曰多拔茶。所居曰波羅檀洞,塹柵三重,環以流水,樹棘爲籓。王所居舍,其大一十六間,雕刻禽獸。多鬥鏤樹,似橘而葉密,條纖如發之下垂。國有四五帥,統諸洞,洞有小王。往往有村,村有鳥了帥,並以善戰者爲之,自相樹立,主一村之事。男女皆白紵繩纏發,從項後盤繞至額。其男子用鳥羽爲冠,裝以珠貝,飾以赤毛,形制不同。婦人以羅紋白布爲帽,其形方正。織鬥鏤皮並雜毛以爲衣,制裁不一。綴毛垂螺爲飾,雜色相間,下垂小貝,其聲如珮。綴璫施釧,懸珠於頸。織藤爲笠,飾以毛羽。有刀槊、弓箭、劍鈹之屬。其處少鐵,刀皆薄小,多以骨角輔助之。編紵爲甲,或用熊豹皮。王乘木獸,令左右輿之,而導從不過十數人。小王乘機,鏤爲獸形。國人好相攻擊,人皆驍健善走,難死耐創。諸洞各爲部隊,不相救助。兩軍相當,勇者三五人出前跳噪,交言相罵,因相擊射。如其不勝,一軍皆走,遣人致謝,即共和解。收取鬥死者聚食之,仍以髑髏將向王所,王則賜之以冠,便爲隊帥。

流求国は海の島に住み、建安郡の東に当たる。水路を五日行って着く。土地には山と洞が多い。その王は姓を歓斯氏、名を渇刺兜といい、その由来や国を保った世の数はわからない。その土地の人はこれを可老羊と呼び、妻を多拔茶という。住む所を波羅檀洞といい、堀と柵が三重で、流れる水を環らせ、棘の木を植えて籓とする。王の住む建物は、その大きさ十六間で、鳥や獣を彫り刻んである。鬥鏤の樹が多く、橘に似ていて葉が密で、枝は髪のように細く垂れ下がる。国に四、五人の長があって諸々の洞を統べ、洞には小王がある。ところどころに村があり、村には鳥了帥があって、いずれも戦いの上手な者をこれに充て、自分たちで立てて、一つの村の事を主る。男女はみな白い紵の縄で髪を纏い、首の後ろから額まで巻き上げる。その男子は鳥の羽で冠とし、玉や貝で装い、赤い毛で飾り、形や作りは同じでない。婦人は羅の紋のある白い布で帽とし、その形は方正である。鬥鏤の皮とさまざまな毛を織り合わせて衣とし、裁ち方は一様でない。毛を綴じ、螺を垂らして飾りとし、いろいろな色を交え、下に小さな貝を垂らすと、その音は珮のようである。璫を綴じ、釧をはめ、玉を首に懸ける。藤を織って笠とし、毛と羽で飾る。刀・槊・弓・矢・剣・鈹の類がある。その地は鉄が少なく、刀はみな薄く小さく、多くは骨や角でこれを補い助ける。紵を編んで甲とし、あるいは熊や豹の皮を用いる。王は木の獣に乗り、左右にこれを担がせるが、導く者も従う者も十数人を越えない。小王は機(こし)に乗り、獣の形に彫ってある。国の人は互いに攻め撃つことを好み、人はみな強く健やかで走るのが上手く、死にがたく傷に堪える。諸々の洞がそれぞれ部隊をなし、互いに救い助けない。両軍が向かい合うと、勇ましい者が三、五人前に出て跳ね騒ぎ、言葉を交わして罵り合い、それから撃ち射る。もし勝てなければ、一軍はみな走り、人を遣わして謝れば、すぐにともに和解する。戦って死んだ者を収め取り、集まってこれを食い、そのうえ髑髏を王のもとへ持って行くと、王は冠を賜わり、そのまま隊の長となる。

2流求の風俗

無賦斂,有事則均稅。用刑亦無常准,皆臨事科決。犯罪皆斷于鳥了帥,不伏則上請于王,王令臣下共議定之。獄無枷鎖,唯用繩縛。決死刑以鐵錐大如筋,長尺餘,鑽頂殺之,輕罪用杖。俗無文字,望月虧盈,以紀時節,草木榮枯,以爲年歲。人深目長鼻,類于胡,亦有小慧。無君臣上下之節,拜伏之禮。父子同床而寢。男子拔去髭須,身上有毛處皆除去。婦人以黑黥手爲蟲蛇之文。嫁娶以酒、珠貝爲聘,或男女相悅,便相匹偶。婦人產乳,必食子衣,產後以火自灸,令汗出,五日便平復。以木槽中暴海水爲鹽,木汁爲酢,米麵爲酒,其味甚薄。食皆用手。遇得異味,先進尊者。凡有宴會,執酒者必待呼名而後飲,上王酒者,亦呼王名後銜杯共飲,頗同突厥。歌呼蹋蹄,一人唱,衆皆和,音頗哀怨。扶女子上膊,搖手而舞。其死者氣將絕,輦至庭前,親賓哭泣相吊。浴其屍,以布帛縛纏之,裹以葦席,襯土而殯,上不起墳。

賦を取り立てることはなく、事があれば均して税を出す。刑の用い方にも定まった基準がなく、みな事に臨んで裁き決める。罪を犯せばみな鳥了帥が断じ、服さなければ王に上げ請い、王は臣下に命じてともに議して定めさせる。獄に枷や鎖はなく、ただ縄で縛るだけである。死刑は、箸ほどの太さで一尺余りの長さの鉄の錐で、頭の頂を穿って殺し、軽い罪には杖を用いる。風俗に文字がなく、月の欠け満ちを望んで時節を記し、草木の栄え枯れるのをもって年とする。人は目が深く鼻が長く、胡に似ていて、ちょっとした知恵もある。君臣や上下の節、拝し伏す礼はない。父と子が同じ床で寝る。男子は髭を抜き去り、体の上の毛のある所はみな除き去る。婦人は黒い墨で手に黥して、虫や蛇の文様とする。嫁ぎ娶るには酒と玉や貝を聘とし、あるいは男女が互いに好み合えば、そのまま連れ合いとなる。婦人が子を産むと、必ず子の衣(胎)を食べ、産んだ後は火でみずから灸って汗を出させると、五日でもう平常に復する。木の槽の中で海の水を日に晒して塩とし、木の汁を酢とし、米と麦の粉で酒を造るが、その味ははなはだ薄い。食べるのはみな手で行う。珍しい味を得れば、まず尊い者に進める。およそ宴会があれば、酒を持つ者は必ず名を呼ばれるのを待ってから飲み、王に酒を上げる者も、王の名を呼んでから杯を口に当ててともに飲む。かなり突厥と同じである。歌い呼びながら足を踏み、一人が唱えると衆がみな和し、音はかなり哀しく怨むようである。女子を助けて肩の上に乗せ、手を振って舞う。その死ぬ者は、息が絶えようとすると、車で庭の前まで運び、親族や客が哭き泣いて弔う。その屍を洗い、布や絹で縛り纏い、葦の席で包み、土に直に当てて殯し、上に墳を築かない。

3流求の土地と神

子爲父者,數月不食肉。其南境風俗少異,人有死者,邑里共食之。有熊、豺、狼,尤多豬、雞、無羊、牛、驢、馬。厥田良沃,先以火燒,而引水灌,持一鍤,以石爲刃,長尺餘,闊數寸,而墾之。宜稻、粱、禾、黍、麻、豆、赤豆、胡黑豆等。木有楓、栝、樟、松、楩、楠、枌、梓。竹、藤、果、藥,同于江表。風土氣候,與嶺南相類。俗事山海之神,祭以肴酒。戰鬥殺人,便將所殺人祭其神。或依茂樹起小屋,或懸髑髏於樹上,以箭射之,或累石系幡,以爲神主。王之所居,壁下多聚髑髏以爲佳。人間門戶上,必安獸頭骨角。

子は父のために、数か月肉を食べない。その南の境は風俗がやや異なり、人に死ぬ者があると、邑や里がともにこれを食う。熊・豺・狼がおり、豬と鶏がとりわけ多く、羊・牛・驢・馬がいない。その田は良く肥えていて、まず火で焼き、それから水を引いて灌ぎ、一本の鍤を持つ。石を刃として、長さ一尺余り、幅数寸のもので、これを墾す。稲・粱・禾・黍・麻・豆・赤豆・胡豆・黒豆などに適する。木には楓・栝・樟・松・楩・楠・枌・梓がある。竹・藤・果物・薬は江南と同じで、風土と気候は嶺南と似ている。風俗では山と海の神を祀り、肴と酒で祭る。戦って人を殺せば、そのまま殺した人でその神を祭る。あるいは茂った樹に寄せて小屋を建て、あるいは髑髏を樹の上に懸けて矢で射、あるいは石を積み幡を結んで、神の主とする。王の住む所では、壁の下に髑髏を多く集めて、よいこととする。民家の門の上には、必ず獣の頭の骨と角を据える。

4陳稜の遠征

隋大業元年,海師何蠻等,每春秋二時,天清風靜,東望依稀,似有煙霧之氣,亦不知幾千里。三年,煬帝令羽騎尉硃寬入海求訪異俗,何蠻言之,遂與蠻俱往。同到流求國,言不通,掠一人而反。明年,復令寬慰撫之,不從。寬取其布甲而歸。時倭國使來朝見之,曰:「此夷邪夕國人所用。」帝遣武賁郎將陳稜、朝請大夫張鎮州率兵自義安浮海至高華嶼,又東行二日到{句黽}鼊嶼,又一日,便至流求。流求不從,稜擊走之。進至其都,焚其官室,虜其男女數千人,載軍實而還。自爾遂絕。

隋の大業元年、海の船頭の何蠻らが、春と秋の二つの時、空が清く風が静かなとき、東を望むとおぼろげに煙や霧のような気があるように見えるが、何千里かはわからないと言った。三年、煬帝は羽騎尉の朱寛に命じて海に入り、異なる風俗を訪ね求めさせた。何蠻が言っていたことなので、そこで蠻とともに行った。ともに流求国に至ったが、言葉が通じず、一人を掠めて帰った。翌年、再び寛に命じてこれを慰め撫でさせたが、従わなかった。寛はその布の甲を取って帰った。そのとき倭国の使いが来朝していてこれを見、「これは夷邪久国の人が用いるものです」と言った。帝は武賁郎将の陳稜と朝請大夫の張鎮州を遣わし、兵を率いて義安から海に浮かび、高華嶼に至り、さらに東へ二日行って句鼊嶼に着き、さらに一日でもう流求に至った。流求が従わなかったので、稜は撃って走らせた。進んでその都に至り、その官室を焼き、その男女数千人を虜にし、軍の収獲を載せて帰った。これより後はついに絶えた。