いにしえの文 › 菜根譚(菜の根を噛む処世の語り) › 全一巻

題辞 — 菜根譚に寄せて菜根譚題詞

菜根譚(菜の根を噛む処世の語り) 菜根譚 · 洪自誠 · 明・万暦年間(1600年頃) · 段落 4 · 漢字 387字 · 朗読 1.5分

菜根譚(菜の根を噛む処世の語り) 全一巻 「菜の根を噛むことができれば百のことを成し遂げられる」から名を取った処世の箴言集。前集は人の間で身を守る法を、後集は自然のなかで心を放つ法を説く。儒・仏・道の三つの流れが一つの器に収められている。

1山に隠れ住む者の序

逐客孤蹤,屏居蓬舍。樂與方以內人遊,不樂與方以外人遊也。妄與千古聖賢置辯於五經同異之間,不妄與二三小子浪跡于雲山變幻之麓也。日與漁父田夫朗吟唱和於五湖之濱,綠野之坳,不日與競刀錐,榮升斗者交臂抒情於冷熱之塲,腥羶之窟也。間有習濂洛之說者牧之,習竺乾之業者闢之,爲譚天雕龍之辯者遠之,此足以畢予山中伎倆矣。

追われた旅人として孤独な足跡を残し、茅屋に引きこもって暮らしている。世の内側にいる人々とは喜んで交わるが、世の外側の人々とは好んで交わらない。千古の聖賢を相手に五経の異同をみだりに論じはするが、二、三の若者とともに雲のかかる山の移ろう裾野に、みだりに足跡を乱すことはしない。日々、漁師や農夫とともに五湖のほとり、緑の野のくぼ地で声をあげて詩を吟じ、唱和はするが、日々、刀の先や錐の先を争い、わずかな俸禄を栄誉とする者たちと、熱いも冷たいもある場、生臭い巣窟で腕を組んで情を語り合うことはしない。ときに濂渓・洛陽の学説を学ぶ者があれば導き、天竺の業を学ぶ者があれば開いてやり、天を論じ龍を彫るような弁舌を生業とする者は遠ざける。これで私の山中での手わざは尽きたというものだ。

2菜根譚を初めて読んで

適有友人洪自誠者,持《菜根譚》示予,且丐予序。予始訑訑然視之耳。既而徹几上陳編,屏胸中雜慮手讀之,則覺其譚性命直入玄微,道人情曲盡岩險。俯仰天地,見胸次之夷猶;塵芥功名,知識趣之高遠。筆底陶鑄,無非綠樹青山;口吻化工,盡是鳶飛魚躍。此其自得何如,固未敢深信,而據所摛詞,悉砭世醒人之喫緊,非入耳出口之浮華也。

ちょうど洪自誠という友人があり、『菜根譚』を持ってきて私に見せ、そのうえ序文を求めた。私は初めのうち、気乗りしないままにただ眺めていただけだった。やがて机の上の古い書物を片づけ、胸中の雑念を払って手に取って読むと、気づかされた——その性命を語るところは、まっすぐに幽玄微妙の域に入り、人情を語るところは、曲がりくねった険しいところまで言い尽くしている。天地を仰ぎ俯しては胸のうちのゆったりとした落ち着きが見え、功名を塵あくたと見なすところには、見識と志の高さと遠さが知られる。筆先から生み出されるものは緑の樹、青い山でないものはなく、口から成るものはすべて、鳶が飛び魚が躍るような生気である。その自ら得た境地がいかほどであるかは、まことに深く信じきるわけにはいかないが、並べられた言葉から推すかぎり、どれも世を刺し人を目覚めさせる肝要の言であって、耳から入って口から出るだけの浮わついた華やかさではない。

3菜根にこそ真の味がある

譚以「菜根」名,固自清苦歷練中來,亦自栽培灌溉裏得,其顛頓風波,備嘗險阻可想矣。洪子曰:「天勞我以形,吾逸吾心以補之;天阨我以遇,吾亨吾道以通之。」其所自警自力者又可思矣!用是以數語弁之,俾公諸人人,知菜根中有真味也。

この譚を「菜根」と名づけたのは、もとより清らかな苦しみと鍛錬のなかから来たものであり、また自ら植え、育て、水を注ぐうちに得たものである。その風波に転び倒れ、険しい道をあまねく味わったさまは察するに足りる。洪子は言った。「天が我が身を労させるなら、私は我が心を安らかにしてそれを補う。天が我が境遇を塞ぐなら、私は我が道を通らせてそれを開く。」その自ら戒め自ら努めたところも、また思うに足りよう。そこでこの数語を巻頭に置き、人々に広く知らせる——菜根のなかに真の味があるということを。

4署名

三峯主人于孔兼題

三峯主人 于孔兼 題す。