第2章 — 養身養身
1美を知れば、醜さが生まれる
天下皆知美之為美,斯惡已。皆知善之為善,斯不善已。故有無相生,難易相成,長短相較,高下相傾,音聲相和,前後相隨。
天下の誰もが美を美と知れば、それがそのまま醜さである。誰もが善を善と知れば、それがそのまま善くないことである。だから、有と無は互いに生み合い、難しさと易しさは互いに成し合い、長さと短さは互いに比べ合い、高さと低さは互いに傾き合い、音と声は互いに和し合い、前と後ろは互いに従い合う。
注 11
美者,人心之所進樂也;惡者,人心之所惡疾也。美惡,猶喜怒也;善不善,猶是非也。喜怒同根,是非同門,故不可得偏舉也。此六者皆陳自然不可偏舉之明數也。
美とは人の心が進んで楽しむものであり、醜さとは人の心が嫌い憎むものである。美と醜さは喜びと怒りのようであり、善と善くないことは是と非のようである。喜びと怒りは根が同じ、是と非は門が同じであるから、片方だけを挙げることはできない。この六つの対はすべて、おのずからそうであって片方だけを挙げられないことを明らかにしたものである。
自揚己美,使彰顯也。
自分で自分の美を持ち上げ、はっきり目立つようにすることである。
有危亡也。
危うくなり滅びることがある。
有功名也。
功と名が有るということである。
人所爭也。
人々が争うもとである。
見有而為無也。
有るのを見て、無いものとして扱うのである。
見難而為易也。
難しいのを見て、易しいものとして扱うのである。
見短而為長也。
短いのを見て、長いものとして扱うのである。
見高而為下也。
高いのを見て、低いものとして扱うのである。
上唱下必和也。
上が唱えれば、下は必ず和して受ける。
上行下必隨也。
上が行えば、下は必ず従う。
2聖人は、為すことの無い仕事に身を置く
是以聖人處無為之事,
だから聖人は、為すことの無い仕事に身を置き、
注 2
自然已足,為則敗也。
おのずからそうであって既に足りているのだから、為そうとすれば損なう。
以道治也。
道によって治めるのである。
3言葉の無い教えを行う
行不言之教;萬物作焉而不辭,生而不有,為而不恃,
言葉の無い教えを行う。万物が起こっても退けず、生んでも持たず、為しても頼らない。
注 6
智慧自備,為則偽也。
知恵はおのずから備わっているのだから、為そうとすれば偽りになる。
以身師導之也。
自分の身をもって師となり導くのである。
各自動也。
それぞれがおのずから動く。
不辭謝而逆止。
断って逆らい止めることをしない。
元氣生萬物而不有。
元気(元気)が万物を生みながら、持つことをしない。
道所施為,不恃望其報也。
道が施し為すことは、その報いを望んで頼ることをしない。
4功を成しても留まらない
功成而弗居。
功を成しても、その座に留まらない。
注 2
因物而用,功自彼成,故不居也。
物に従って用いるので、功は相手の側で成る。だから留まらない。
功成事就,退避不居其位。
功が成り事が仕上がれば、退き避けてその位に留まらない。
5留まらないから、離れていかない
夫唯弗居,是以不去。
ただ留まらないからこそ、離れていくこともない。
注 3
使功在己,則功不可久也。
功を自分のものにしてしまえば、その功は長くもたない。
夫惟功成不居其位。
ただ功を成しても、その位に留まらないということである。
福德常在,不去其身也。此言不行不可隨,不言不可知疾。上六句有高下長短,君開一源,下生百端,百端之變,無不動亂。
福と徳が常に有って、その身を離れない。これは、行わなければ従うことができず、言わなければ早く知ることができないという意味である。上の六つの句には高いと低い、長いと短いが有る。君主が一つの源を開けば、下では百の端が生じ、百の端が変じて、乱れ動かないものは無い。